北奥法律事務所

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05月

その「座席」が似合う人、似合わない人

東京都の舛添知事の公費使用や政治資金の問題で、岩手の達増知事が「海外出張でファーストクラスを利用している知事」として報道されるという出来事がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160513_3
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160517_6

弁護士になった直後の平成12年5月頃、勤務先の東京の事務所で関西方面への日帰り出張が3回ほどあったのですが、最初の出張の際に渡された新幹線の切符がグリーン車でした。

2回目の出張からは畏れ多いと辞退したため、それが人生最初で最後?のグリーン車でしたが、このような経験ができたのは、弁護士会の旧報酬規程に「グリーン車」の定めがあったことや依頼主が相応の規模の企業さんだったことが影響していたのだと思います。

10年近く前に仙台である会合に参加した後、新幹線のホームで、その会合に参加されていた国会議員の方がグリーン車に颯爽と乗車されていたのを拝見しました。議員さんは電車には無料で乗車できると聞いたことがあり、それ自体を軽々に批判するつもりはないのですが、同じ会合に出ていた者同士で、かたや税金でグリーン車、かたや自腹で普通車というのも、身分の違いを感じて少し寂しくなりました。

政治家であれ弁護士であれ、受任者にどのような待遇の交通手段を提供するかは発注者(納税者)が決めるべきことでしょうから、私も、グリーン車であれファーストクラスであれ遠慮なく使って下さいと仰っていただけるような依頼主にお目にかかれるよう(それだけ、自分の仕事で大きな成果を上げて依頼主に激賞されるよう)、地道に研鑽を重ねたいと思います。

まあ、田舎の町弁では、そうした「太っ腹なお金持ち」の依頼主との出逢いはあまり期待できないかもしれませんが・・

それはさておき、税金で仕事をなさっている方々の「使い道」のあり方については、報道はもちろんのこと、誰のため、何のために用いるかということも含めて、議論が深まって欲しいと思っています。

(R03.5追記)

先日も、国会議員さんのJR無料パスの目的外使用に関する報道があり、引用の記事を拝見しながら上記の投稿を思い出しました。私が拝見した光景(参加した会合)も、国会議員さんの本来の仕事とは関係のない事柄なので、議論の余地があるのかもしれません。
国会議員特権の「JR無料パス」、公私がグレーな利用実態とは (msn.com)

主婦の年収に関する裁判実務(交通事故など)の考え方とその将来

「専業主婦の妥当な年収が幾らか」というアンケート記事がネットで取り上げられており、男性の回答の1位が「ゼロ円」などという、兼業主夫として激務に勤しむ私に言わせれば、情けないと言いたくなる結果が取り上げられていました。
http://woman.mynavi.jp/article/160513-6/

この問いに対する答えは、個人の信条のほかご家庭の状況等に応じて様々な考え方があるでしょうが、裁判実務では「専業主婦が事故の被害者になった場合の休業損害や逸失利益の算定の基礎」としての「年収」は、賃金センサスの女子労働者の全年齢平均の賃金額(産業計・企業規模計・学歴計)とするのが通例(多数派)とされ、平成26年の統計では364万円強となっています(交通事故で弁護士が用いる算定表に記載された数値です)。

なお、平成26年の男性は480万円弱であり、平成21年比で女性は約15万円、男性は約10万円増加しています。

ちなみに、賃金センサス(平均賃金)に満たない少額の収入のある「兼業主婦」も賃金センサスで計算し、「専業主夫」も女子の賃金センサスで計算するのが通例とされています。

このように賠償額算定における基礎収入の場面で「主婦=平均賃金」とする考え方は、昭和49年や50年の最高裁の判決に基づくとされています。

他の従事者(賃金労働者・自営業者など)が、賃金センサスを下回る年収しか得ていない場合には、その実収入により休業損害等を計算するのが通例ですので(実収入がある人は、それに基づき算出するのが本則とされ、賃金センサスを考慮する方が例外的と言えます)、それとの比較で言えば、主婦(夫)ひいては被害者たる主婦(夫)のいる世帯を優遇する考え方という面があると言えます。

そうした意味では、税制における配偶者控除と少し似ているのかもしれません。

ただ、一億層中流社会と言われ、「企業勤務の夫と専業主婦の妻、子供は概ね2人の核家族」が当たり前とされた、これまでの日本社会では、「主婦」を一括りにして賃金センサスで計算することについて違和感なく受け止められてきたと思いますが、専業主婦の割合が低下し共働きが当たり前になっているほか非婚者も激増し、さらには一億層中流幻想が崩壊し格差が広がる一方と目されている現代の社会で、裁判所がこの考え方を今後も維持していくのか、やがて何らかの形で変容されることがあるのか、興味深く感じます(民法だけでなく憲法のセンスも関わる問題だと思います)。

そのような意味では、引用の記事に対して「賃金センサスのことに触れないなんて不勉強だ」などと軽々に批判することもできないのかもしれません。

「子供の貧困」と弁護士業界が真っ先に取り組むべき対策

5月5日(こどもの日)の各紙の社説が、いずれも近年よく取り上げられている「子供の貧困」や虐待問題などになっていることを紹介するネット記事を見かけました。
http://www.j-cast.com/2016/05/08266168.html

田舎の町弁をしていると、離婚やこれに伴う親権、養育費(及び離婚までの婚姻費用)の請求・申立をはじめ、経済的に厳しい生活を余儀なくされている母子の方との関わりを避けて通れない面があります。それらは大赤字仕事になることも珍しくありませんが、一期一会と思って腹を括って対応しています。

「子供の貧困」は、世間的にはここ2、3年で一挙に取り上げられることが多くなったように思いますが(その点ではLGBTに似ています)、日弁連はそれより何年も前から取り上げており、例えば、平成22年に盛岡で実施された人権擁護大会では、メイン扱いというべき第1分科会でテーマとして取り上げられ、その改善を求める決議(提言)もなされています。

ただ、この日弁連決議を見ると、保育施設の拡充や高校教育の無償化など、様々な貧困救済(公的給付)に関する提言がなされているものの、意地悪い見方をすれば、大新聞の社説などとあまり変わらないというか、弁護士でなくとも提言する(できる)ような内容の項目が多く、「個々の弁護士が実務で現実に見聞した痛々しい問題を集約して、その改善・救済を求める」といった印象はあまり感じられません。

提言内容そのものを批判する趣旨ではありませんが、「法律実務家の意見書」であれば、自身の実務上の経験、知見などを踏まえた事柄に力点を置いた方が、読み手に説得力があるのではと思います。

例えば、子供の貧困の多くは、離婚を典型とする「主たる稼ぎ手(いわゆる世帯主)が子の養育環境から離脱(又は養育放棄)すること」により生じるところ、我が国では、離婚後は非監護親(たる稼ぎ手。通常は父)は監護親(通常は母)に養育費を支払うべきとされていますが、裁判所が採用する養育費の計算方法は、一般的には義務者(非監護親)に手厚く、とりわけ所得が少ない層では子が現実に生存できるだけの額すら算出されないとして問題になっています(その根底には、典型的な世帯構成を前提とする「世帯主」の利益を優先し、他の家族の立場ひいては一人一人の個性ないし実情を軽視する我が国の現在の社会システムの問題があるのではないかとも言われています)。

これに対し、上記決議では、公的給付(役所=税金からの支払)を主眼としているせいか、残念ながら養育費の問題について触れられていないように見受けられます。

「子供の貧困」対策を弁護士会が語るのであれば、公的給付のような、本業との結びつきが弱く弁護士会が特段の政治的影響力などを持っているとも考えにくい事柄よりも、まずは、養育費のような、自身の取扱領域に属する事柄について具体的に問題や改善策を求め、その上で他の事柄も論じるという方が良いのではと感じます。

この点、私のような末端の町弁は、冒頭で述べたように低所得の監護親の方の依頼により法テラスの立替制度に基づき離婚や養育費、婚姻費用の支払等を求める事件を受任することが多くありますが、法テラスは生活保護等の事情がない限り「立替」=総額10~20万円程度(通例)に対し毎月数千円程度の返済を求めています。そのため、滞納せずにきちんと支払をされる方については、それだけ実質的な取得額が目減りする結果になります。

そこで、上記の養育費等に即して言えば、①法テラス受任による養育費・婚姻費用(が主要争点の事件)については、代理人報酬は原則として全額公費負担(本人=監護親の償還義務なし)、②法テラス経由ではない事件も、監護親が低所得等なら同種の公的補助をするなどといった提言と、それを実現するためのロビー運動をする方が、その必要性を支える具体的な事情を多くの弁護士が語ることができるはずですし、関係先にも影響力を発揮しやすいのではと感じます。

中には「弁護士の業界利益の主張だ」と批判する人もいるかもしれませんが、それが導入されて救済されるのは、サービスの利用者=監護親及びその親に養育される子供自身に他なりませんし、弁護士にとっても、自身を頼りにして下さる方々を守るための運動なのですから、それを実現することは業界の信用にも繋がるのではないでしょうか。

だからこそ、それを実現することができれば、社会的影響力を認められ、やがては公的給付のような「本業以外の論点」にも影響力を拡げる道が開けるのでは(それこそが廻り道に見えて近道である)と感じます。

監護親(母親)の代理人として従事している末端の町弁の率直な心情としては、「(この程度の養育費等の額で)報酬をいただくのは誠に心苦しいが、もともと低い報酬なのにタダ働きで事務所を潰すわけにもいかず」と感じながら勤しんでいるという面は否めず、「低額報酬+立替制度」のままでは、関係者が互いに疲弊、消耗を繰り返して、結局は子供にしわ寄せが及ぶという印象は否めません(そのため、この種の業務で恒常的な大赤字に悲しむ身としては、従事者の報酬増額にも取り組んでいただきたいところではあります)。

もちろん、「養育費」は自助の問題であり、自助が不十分だ(社会内で機能していない)から公助(や共助)を拡充すべきだというのが、上記の日弁連決議の根底にあるのでしょうが、順番の問題として、まずは自分達の取扱領域から入り、その上で、「弁護士達が全国で取り組んでいる養育費の額や支払確保に関する負担の問題一つをとっても、自助が社会内で機能していないことは明らかだ、だから公助等を強化すべきだ」という論理を構築した方が、公助を論ずるにしても説得力が増すのではないかと思います。

そんなわけで、日弁連(弁政連)の偉い方々も、(このテーマに限らず)本業との結びつきが薄い政策提言や議員さんとの宴会に費やすエネルギーや暇とカネがあるなら、まずは、仕事に端的に関わり、子供の利益にも直結するようなロビー運動をなさっていただきたいと、末端で実務を担う田舎の町弁としては願うばかりです。

なお、日弁連は養育費の算定方法についても意見書を公表していますが、弁護士への依頼費用などにまで踏み込むものにはなっていないようです。

マンションの管理組合の理事長が集会決議を経ずに業務委託した場合の紛争

ここしばらく、自宅等で勉強している判例などの紹介ができていなかったので(入力等の作業はそれなりに進んでいますが、紹介文まで作る余力等がありませんでした)、表題の件に関し、久しぶりに1件ご紹介します。

建物区分所有法では、マンションの共用部分の管理に関する事項は管理組合の集会の決議で決する(保存行為は各共有者が行使可)とされています(18条)。

甲マンションのY管理組合の理事長A(規約で管理者と指定されている者)が、平成23年5月に、Yの集会決議のないまま、X社に建物の調査診断等を委託しましたが、Yの臨時総会で契約を白紙に戻すと決議しました。

これに対し、Xは受託業務の完了を理由にYに代金150万弱を請求し提訴し、Aの行為は有効(権限あり)だとか、否としても権限ありと信頼した正当な理由があると主張しました。

これに対し、裁判所は、本件調査委託契約が甲の共用部分の管理に関する事項に該当するので集会決議が必要で、これを欠く行為を管理者Aが行う権限なし(管理者は共用部分等の保存、集会決議実行、規約指定行為の権限しかない。法26条)として、契約を無効と判断し(Xは代表理事の権限を定めた一般社団・財団法人法77ⅣⅤの適用を主張しましたが、退けられています)、Aが権限ありと信じたことにXに過失ありとして、表見代理(民法110条)も否定し、Xの請求を全部棄却しています(東京地裁平成27年7月8日判決判時2281-128)。

私自身はマンションの運営などに関する法的問題のご相談を受けたことはほとんどありませんが、近年はマンション絡みの紛争に関する裁判例が雑誌に掲載されることが増えており、盛岡もマンションが林立していますので、今後は、都会で生じたような様々な問題が、盛岡ないし岩手のマンションでも生じてくることは十分見込まれることだと思います。

マンションの居住者で管理組合の集会への参加はご無沙汰になっているという方は少なくないと思いますが、こうした判決なども参考に、出席して集会の様子などもご覧になっていただいてもよいのではと思います。

医療事故に関するご相談と「専門家セカンドオピニオン保険」の必要

医療過誤がらみの事件には残念ながらご縁が薄く、未だに訴訟として受任したことがないのですが、年に1、2回ほどの頻度でその種のご相談を受けることがあります。

先日、「初診対応したクリニックの転医義務違反の成否」が問題となる例についてご相談があったのですが、その件については、少し前に判例雑誌で勉強した事案によく似ていたので、それをもとに問題の所在など基本的な事柄をお伝えしました。

ただ、医療事故に関する賠償請求の当否は、「ガーゼ取り忘れ」のような素人目にも過失(医療水準違反)が明らかな事案を別とすれば、医師の対応が「医療水準に反すること」の立証が最大の難関になり、専門的知見をもとに水準違反を立証(証言)する協力医を得られるかという厄介な問題に直面します。

そして、私には日常的に医療過誤を取り扱っている方々のような人脈等がないので、「まずは、最寄りのお医者さんに当該問題(対象となった医師の対応など)が現在の業界(医療)の水準に悖ると言えるか聞いて下さい。もし、悖るというお話があれば、意見書その他の協力が得られるか尋ねて下さい」といった対応をするものの、残念ながら、そこで終わってしまうのが通例になっています。

そうした意味では、医療問題について、「ここに聞けば(調べれば)セカンドオピニオンを求める医師の先生がすぐに分かる」的なサイト等(さしずめ、「医療過誤ドットコム」とでもいうべきもの)があれば有り難いとも思うのですが、いずれにせよ、現状では高コストになることが多いと思われます。

この種の事案では、ご本人サイドのエネルギーの濃淡もまちまちで、この種の訴訟等にありがちな高額なコストを負担できない(その話が出ると一気に萎える)方も多いので、保険などを活用した無償・低コストで医療機関から簡易なセカンドオピニオンを得られるような仕組みがあれば、どちらの方針に進むにせよ望ましいのではと感じています。

もし、そのような保険(協力医保険)と弁護士費用保険がセットになって、保険制度を通じて協力医から簡易迅速に「当該医師の対応は医療水準違反だ」との意見書等が得られた場合に賠償請求等を自己負担なく(或いは低廉な負担で)行うことができるようになれば、医療事故などを巡る賠償問題に関する当事者の負担は大きく改善されることは間違いないはずです。

また、水準違反とは言えないという意見が得られて、そのことを患者側が受け入れる場合も含めて、そうした営みを通じて医療側の予防や説明等の仕組み、慣行も前進されるのであれば、社会的な役割も果たすことになると思います。

医療過誤は「専門」が強調される分野の筆頭格と言われますが、医療水準の議論で医師の協力が十分に得られるなど、医療絡みの高度専門的な議論について弁護士が自ら本格対処しなくとも済むのであれば、弁護士が医療自体に詳しくなくとも問題なく対応できることが多いはずですので、そうした仕組みが整備されてくれればというのが正直なところです。

24年ぶりの函館と、あの日みた景色

今年のGWは、前半に1泊2日で函館に行きました。私は平成元年4月から3年間、函館ラ・サール高校の生徒として函館に住んでいましたが、卒業以来ご無沙汰になっており、訪れるのは24年ぶりになります。

家族は初めての来函ですので、函館駅に到着後、朝市→ベイエリア→元町界隈や函館山、五稜郭など観光客向けの典型コースばかりを巡って帰宅しました。

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今の函館のB級グルメと言えば、ラッキーピエロのチャイニーズチキンバーガーということになるでしょうし、昭和62年創業とのことで、私の高校時代から存在していたのでしょうが、恥ずかしながら当時は全く知らず、今回はじめて食べました。

五稜郭も、中学の修学旅行で行ったせいかもしれませんが、高校時代はどういうわけか敢えて行きたいという気になれず(GWに帰省していたせいもあるでしょうが)、今回、修学旅行以来はじめて五稜郭に行きました。

函館は中韓などからの観光客も非常に多く、函館随一のデパートというべき「丸井今井」(盛岡の川徳に相当。なお、函館駅前の「棒二森屋」はフェザンと中三を一つにしたようなものでしょうか)にも、中国語の広告が大々的に掲載されていました。

五稜郭の桜は文句なしの満開状態で、タワーも奉行所も満足して巡ることができました。

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事前にネットで調べていましたので、街並みの変化にさほど心揺さぶられるところはありませんでしたが、それでも、和光や大門商店街のアーケードが無くなっているのを見ると、思うところはありました。

また、私自身は在学中はほとんど外食はしていませんが、例外として函館山の麓にある「カール・レイモン」が当時はレストランを経営しており、落ち着いた店内でドイツソーセージのランチを年に1、2回ほど食べるのがささやかな楽しみになっていたので、同社がレストランを閉鎖し物販と軽食に特化してしまったのは、少し残念に思っています。

折角なのでラ・サールも見に行こうということになり、湯の川温泉の宿から出発し、校舎や寮、グラウンドの外観だけをチラ見して戻りました。

ラ・サールは、私の在籍時は、開校以来の「港町らしい?ピンクに塗装した木造校舎(でもって、網走刑務所のように建物が放射状。冬は石炭ストーブ)」というアヴァンギャルドな建物でしたが、私が卒業した直後に現在の立派な校舎に全面建替となり、寮も現在は立派なものに建て替えられていますので(高校の寮は函館山からも確認できます)、良くも悪くも郷愁をそそられる要素は微塵もありません。

ただ、グラウンド(体育館も?)は概ね昔のままであるほか、旧校舎の一部が移築されており、その点はさすがに懐かしさを禁じ得ませんでした。

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在学中は函館山に登ることはほとんどありませんでしたが、高1か高2の晩秋の頃、夕方に学校から北側に片道30分か40分ほど、住宅街から荒地のような丘の上まで走って、いわゆる「函館の裏夜景」を見に行ったことがあります。

当時は、「裏夜景」を観光名所として口にする人はほとんどなく、それだけに、黒色の函館山と夕闇を背にした街並みの裏夜景は心に染みる眩しさがあり、そこに吹く海からの強風と共に、よく覚えています。

高校では「勉強もできず運動もできず、あやとりや射撃のような特技もない、のび太以下の田舎者」でしたので(日本史の成績だけが救いでした)、心中は身の置き場もなく鬱々とした日々を送っていたように思いますが、それだけに、一人だけでも特別な時間、光景を持てることを心の命綱にしていたのかもしれません。

そんなわけで、当事務所の近所で短い新婚生活を送った石川啄木に敬意を表しつつ?その時のことを懐かしんで一首。

黄昏の裏夜景こそかなしけれ 十六の胸 癒やす木枯らし 

函館ラ・サールには、英国の軍歌?に由来すると言われる「It’s a long way to La Salle High School」という学生歌があり(鹿児島も同様とのこと)、校歌は出だししか覚えていないがこの歌なら今もほとんど全部歌えるという卒業生は、私だけではないと思います。

高校1年のときは「商社に入りヨーロッパの駐在員として人知れず死にたい。日本(人)と関わりたくない」という厭世願望がありましたが、やがて社会との関わりを持って生きたいという方向に気持ちが傾いてきて、高校を卒業する頃に、ようやく司法試験を意識するようになりました。

もちろん、どのような法律家になりたいか、どのように社会と関わり何を尽くしたいかということまで深く考えていたわけではありませんが、暗中模索の日々は、今もさほど変わらないのかもしれません。

そんなわけで、次に訪れるときには何か答えのようなものを持ち帰ることができればと願って、最後に一句。

旅立ちの 夢は今なお ロング・ウェイ

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憲法記念日と日本国憲法の活かし方

5月3日は憲法記念日ですが、この日に憲法について取り上げられるニュースといえば、決まって、1番目が、いわゆる護憲運動を旗印にする左派勢力の集会で、2番目が、国家主義的な見地からの改憲を旗印にする右派勢力の集会というパターンだと思います。

取り上げられる発言も、それぞれの立場のアピール的なものに止まり、いずれも積極的に支持していない「無党派」の第三者にとっては、示威行動的な空しさばかり感じてしまいます。せめて、双方が対話、議論するような集会でも行ってくれればと思わずにはいられません。

私にとって5月3日は個人的な思い出がある日でもありますが、それはさておき、法律家の端くれとして、各自が日本国憲法とそのあり方、活かし方について考える日であって欲しいと思います。

私が日常的に拝見している他の弁護士さん方のブログを拝見したところ、憲法について触れているものは多くはありませんでしたが、淡路の蔭山文夫先生のブログでは、憲法の存在意義について、我が国の法律実務家(司法試験等で憲法学をきちんと勉強した人)にとってスタンダードな感覚、認識が述べられており、大いに参考になると思います。

その上で、落合洋司先生のブログで書かれているように、社会の変化・進展に応じて憲法のあり方を考えていく(その前提として、日本国憲法の制定過程と現代社会の有り様の双方をよく学び、感じ取る)必要もあると感じています。

なお、憲法のあり方、活かし方を考える上では、小林正啓先生が仰るように、「日本国憲法が時代にそぐわないのではなく、現代の社会がようやく日本国憲法に追いついてきた(が、昔の価値観のまま放置された法令が残っているので、それらは時代が「追いついた」時点で違憲判決を受けている」という視点も、欠かすべきでないと思います。

私にはこの方々のような見識を示す力はありませんが、法に関わる人々の真摯な営みの積み重ねの上に、現行憲法の理念を実現する道が開けるものと思いますので、時に自省を深めつつ、実務の一端を地道に担っていければと思っています。