北奥法律事務所

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01月

交易と移民が作った多民族国家の「横と縦の多様性」と未来~シンガポール編②

前日に引き続きシンガポール旅行の2日目について、簡単に触れさせていただきます。

今回は、H.I.S.社を通じて旅行を手配した方なら無料で参加できる市内の名所巡りツアーに参加し、①ベイサンズの隣にある、最近話題の人工巨大ツリーなどを擁する最新型庭園(ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ)、②マーライオン周辺、③チャイナタウン(仏教寺院)、④インド人街(店舗群)、⑤アラブ人街(イスラム寺院)を昼食付きで午後2時過ぎ頃まで巡る、駆け足の弾丸ツアーに参加しました。

①の庭園(植物園)では、6階建てくらいの塔の周囲を草木で取り囲んだ施設(グランドフォレスト)に案内されましたが、ラピュタ上層部の雰囲気によく似ており、最初に登場する大型の人工滝も含め、このような施設は日本には今のところ存在しないでしょうから、そうしたこともあって大変見応えがありました。

残念ながら、2日目・3日目に使用したデジカメを帰国時に紛失してしまい、携帯写真は数も多くない上、容量の関係(2メガ制限)でブログに掲載できないものが多いので、シンガポール・ナビのサイトでご覧下さい。
http://singapore.navi.com/miru/142/

そういえば、修習生時代(平成11年頃)に裁判所の研修で、なぜか小岩井農場に連れて行かれたことがあり、その際、同社の緑化事業などを解説していた担当の方が「当社は三菱グループの企業なので、三菱地所が丸ビルの立替(現在の新生丸ビル)をする際に、丸ビルに人工の滝を作る計画があったものの予算の都合で頓挫した」というお話を聞いて「いかにもバブルちっくだな~」と感じたのを妙に覚えています。

ただ、こうした施設や中心部にある「森に覆われた超高級ビル(ホテル)」など(こちらのサイトもご参照)の光景を間近に見ると、あの頃にそうした施設を東京駅の真ん前に作っておけば、世界に日本の技術力や緑化思想をアピールし、その後の世界で高級建築物の受注競争をリードすることもできたのでは?などと、余計なことを思わないでもありませんでした。

②のマーライオン周辺は、真っ正面にそびえるベイ・サンズをはじめ、現在のシンガポールの高層建物群が港湾を囲んで林立する様子を体感でき、像そのものはともかく、これがかつて「世界三大がっかり名所」と呼ばれたことが信じられないという場所でした。

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③のチャイナタウンは、バズの窓から街をざっと見た以外は停車場所となった著名な仏教寺院しか拝見できませんでしたが、雰囲気は楽しめました。大戦前から多くの華人が本国から移住していたということもあるでしょうが、こうして大規模な仏教寺院が多く残っているのは、本国と違い文化大革命による迫害を受けなかったことも影響しているのだろうかなどと、あれこれ考えさせられました。

余談ながら、近くには国が供給した高層マンションが建ち並んでいましたが、日本では恐らくアウトと思われる「ベランダの外に竿を出して衣類を干す鯉のぼり光景」が多く見られました。スコールはあっても強風(台風)がない土地柄だからなのかもしれません。

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④のインド人街では、狭い路地の商店街を案内されましたが、日本で過去に流行ったルミナリエ(神戸は行ってませんが東京は見ました)のような飾りが通りに掛けられていたことが印象的でした。

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⑤のイスラム寺院は、衣類に関する制約(女性の肌の露出禁止)から、大半の女性がイスラム礼拝用の衣類を纏って院内に入っていましたが、それがかえって「無料の民族衣装着用会」の様相を呈し、着用した観光客の皆さんは喜んで写真を撮りあっていました。

いっそ、日本の神社仏閣も「和服を着ないと立入禁止」にして、拝観時には羽織って着用できる簡素な衣類を無料で貸し出せば、かえって観光客が殺到などということもあり得るかもしれません。

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個人的には、プラナカン文化(主に、出稼ぎ華人男性と現地マレー人女性との婚姻により、双方の文化が融合して生じたもの)を拝見する時間が欲しかったのですが、10時から14 時までの食事付き弾丸ツアーということもあり、バスで建物群をチラ見しただけで終わってしまいました。

ともあれ、このように大英帝国の植民地時代(戦前)から形成されてきた各移民(華人、インド人、周辺諸国からのマレー人=イスラム教徒)が培ってきた文化が保全された地区を拝見した後、最後に現代に戻ってベイ・サンズで解散となり、私にとっては「お目当ての一つ」であるホテルの展望台(プールは宿泊者専用なので無理)に行きました。

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もちろん、庶民にはこれで十分という素晴らしい眺望を堪能して下界に戻りましたが、しがない田舎の町弁家族は土を離れては生きられないのか、家族から再度のギブアップ宣言が出て、その後にお約束のようにトラブルが発生しました。

幸い、翌日には解決したこともあり、詳細は差し控えますが、宿泊先のホテルには大変ご迷惑をお掛けし、またお世話になりました。

ちなみに今回の宿泊先は、H.I.S.から「家族全員で同じ部屋に泊まれるのはここだけ」と紹介されたマリーナ・マンダリンという立派な吹き抜け(アトリウム)のある高級ホテルで、多少の年季は感じさせるものの、大変快適に過ごすことができました。ただ、日本との比較で1点だけ残念な点があり、その点は次回に触れます。

ともあれ、超駆け足とはいえ横の多様性(諸民族の集合体)と縦の多様性(伝統の保全と超現代的な建造物群の併存と調和)の双方を体感できた、貴重な一日になりました。

「世界で最も頑張る都市国家」が伝える75年前の宿題と現在の課題~シンガポール編①

先日、年末年始休暇の一貫として、シンガポールに家族旅行に行かせていただきました。といっても、当方の予算や時間の都合もあり、正月明けに出発し、往路も復路も夜行便で現地に2泊という実質2日半程度の超駆け足旅行になりました。

恥ずかしながら、現在の私(当事務所)の収入では海外旅行などという贅沢に手を染めるだけの力はないのですが、それなりの理由があって、思い切って過去の蓄えを取り崩して行くことにしました(正月を外したので、費用面はかなり助かりました)。

理由というのは、長期休暇の旅にバックパッカーをしていた修習時代と異なり、新婚旅行(エジプト弾丸の旅)以来、平成22年の日弁連の韓国調査を別とすれば十数年も海外旅行がご無沙汰になっていたということもありますが、大きく2つの事情があり、①家族に海外の実体験をさせ視野を拡げると共に、英語学習の必要性などを感じさせたいということと、②シンガポールにこだわるべき2つの特別の理由があったことの2点があります。

②については、ご承知のとおり、シンガポールは、もともと僅かなマレー系原住民しか住んでいなかった小島(淡路島≒東京23区程度)を大英帝国が貿易及び東南アジア支配のための植民都市として開発し、出稼ぎ華人・マレー人・インド人などが入り交じる特異な他民族都市を形成していたところ、大戦を経て過酷な環境で独立を余儀なくされたという事情が影響しています。

すなわち、同国は、アジア有数の貿易都市のアドバンテージを有する一方、周辺国(マレー半島、インドネシア諸島群)とは全く異なるアイデンティティを形成し精神的な繋がりも希薄なため、周辺国が同胞意識を持って接してくれない「独りぼっちの国」という存続リスクも抱えた中で、リー・クアンユー首相らの強固な統制的指導のもと国を挙げて努力を続けて現在の繁栄を勝ち取った国であり、そうした「努力し続けなければならない宿命を負った国」に私も共感する面が多々ありましたので、同国の気風を家族にも学んで欲しかったという点が1つ目となります。

とりわけ、私自身が田舎の小さな商家の次男として、幼少期から「地元や実家に残れない、必死で勉強して自分の力で身を立てて人生を切り開いていなかければならない」ことを母に叩き込まれて育ちましたので、この国が自分と重なる面があるように感じたということも大きいです。

次に、シンガポールにこだわった(来訪に特別の意義を認めた)理由として、「二戸出身の学者さんが大戦期に同国の学術資産・文化財(大英帝国が長年に亘り築いた世界的財産)を守り、その代表例(シンガポール植物園)が世界遺産になった」ということを割と最近に知ったので、同郷人としてその先生(田中舘秀三博士)の足跡を訪ねたい、また、私が同国を訪れてブログなどで紹介するだけでも、博士の顕彰になるのではないかという点がありました。

この点は、帰国後に改めて博士のことを調べたところ、功績の大きさもさることながら、とてもユニークな人物(単なる善人ではない奇人ないし怪人ぶり)が見えてきて「この人の物語はぜひ映画化されるべきだ、誰もその旗を振らないなら俺がやる!」との無謀な感情が爆発し、おって1~2週間後にブログで連載するとおり、映画シナリオ案まで作ってしまいました(ぜひ、ご覧ください)。

ともあれ、前置きが長くなりましたので、以下では旅行の概略を説明します。

まず、夜行便で早朝に到着し、直ちにシンガポール植物園に向かうつもりだったのですが、夜行に慣れない家族からギブアップ宣言(爆睡状態)が出て昼過ぎまで足踏み状態を余儀なくされ、宿泊先ホテルから歩いて行けるラッフルズホテルに向かったものの、すぐに時間切れとなり、午後3時から夜間まで、予約していたリバーサファリとナイトサファリのツアーに参加しました。

2日目は駆け足の市内観光ツアーに参加し、最後に解散場所のマリーナ・ベイ・サンズの展望台に行きましたが(あの有名なプールは宿泊者専用ですので庶民には無理)、その後、ちょっとしたトラブルが発生し、ヒヤヒヤしながら一晩を過ごしました。

3日目はアジア最大級のリゾートエリア・セントーサ島に行き、諸般の事情により水族館とセントーサ・マーライオンだけを駆け足で拝見した後、H.I.Sから頂戴した「チキンライスの名店のタダ券」を何が何でも消化しなければとオーチャード通りにある店舗で昼食をとり、ホテルに一旦戻った後、チェックアウトして、ようやく私にとっての第一目的地であるシンガポール植物園に行きました。

そして、そのまま時間切れとなり夜行便で羽田に強制送還されたという次第であり、とても海外に来たとは思えない、某「週末のシンデレラ」番組に負けないほどの超駆け足旅行でした。

たったそれだけの滞在とはいえ、海外に来ると感じることも多く、今回、何が何でも取り上げることにした「田中舘秀三博士の物語」以外にも、書きたいことは山ほどありますが、余力の問題もありますので、まずは簡単な紀行&感想編を3回取り上げ、4回目に今回の最終目的地となったシンガポール植物園に触れます。

そして、それを導入部として、「壮大感動巨編・シンガポールの魂を救った日本人~田中舘秀三物語~」の映画シナリオ案及び企画説明等を全11回の連載で行うつもりですので、ぜひ最後まで温かい目でお付き合い下さるようお願いいたします。

で、早速ですが、今回は1日目の観光について少し触れます。

まず、午前中にホテルで足止めを余儀なくされた際、どうせ待つならH.I.Sから頂戴した「トーストボックス」という同国で数十店舗を展開するコーヒーチェーンのタダ券を使いたいと考え、ホテルから一番近い地下モール内のお店に向かい、道に迷った末、同国名物「カヤトースト」とコーヒーのセットなどを購入し、家族の起床まで私も半眠状態でダラダラ過ごしました。

お店からホテル(詳細は次回)に戻る際、「日本占領時期死難人民記念碑」が帰路の途中にありましたので、手を合わせてきました。これは、大戦時に旧日本軍がシンガポールを侵略、陥落させ征服者として敗戦時まで君臨していた時代に行った華僑虐殺などの蛮行により命を落としたシンガポール人を慰霊するために1967年に建立された施設です。

半年前に沖縄に初めて行った(那覇地裁での尋問)際も到着後に真っ先に「ひめゆりの塔」と平和記念公園に行きましたが、今回もできればここに来て手を合わせたいと思っていたので、その点は何よりでした。

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そして、午後になって家族が起床したため、前記のとおりラッフルズホテルに行きましたが、リバーサファリのツアーの集合時刻が午前3時前のため、シンガポール・スリングで有名な「ロングバー」を外からチラ見しただけで終わってしまい(店内にアジア人の姿は見えず、白人でぎっしりでした)、その点は残念でした。

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リバーサファリは当家しか参加者がいなかったようで、日本語が堪能でおしゃべり好きなガイドさん(その方に限らず、同国は熟年女性がごく当たり前に仕事をなさっている光景をよく目にします)から色々とお話を伺いながら園内を歩きました(ガイドさんと話した内容などは、次々回に少し書きます)。

リバーサファリは、シンガポール動物園やナイトサファリと同じ地区にある(ので入口は皆、隣接しているという親切設計の)、平たく言えば「川の水族館(水辺の生物の動物園)」であり、ボートに乗船して動物を見たりクルーズ船もありますので、遊園地的要素も加味されている面があります。
http://singapore.navi.com/miru/155/

今回はクルーズ船(湖状の広大な貯水池を周遊するもの)は乗れませんでしたが、ボートには乗りました。これは、ディズニー(千葉のD国)のジャングルクルーズに似ていますが、当然のことながら人形の類ではなく本物の動物達を見ながら進みますので、D国のそれよりも遥かに乗船し甲斐があります(個人的には、激流下り的要素も足していただければなお良いのにとは思いましたが、少しだけその要素があります)。

また、展示中の生物の生息域の地図が図示されるなど、英語が分からなくともある程度のことは分かるため、とても良いと思いました。さほど金がかかることでもないでしょうし、その生物のことを知ったり関心を持つ最初の手がかりになることでもありますので、日本の動物園や水族館なども生息域の図示を必ず行うべきではないでしょうか。

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あと、ハイライトの一つである、マナティ達が泳ぐ「アマゾン浸水の森」は、まるで腐海の底ではないかと思いました。きっと、こうして人々の汚れた心を浄化し続けているのでしょう。

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リバーサファリのあと、夕方から開演となるナイトサファリに移動しました。こちらは、多くのツアー参加者と一緒に行動することになり、最初に円卓での「チリクラブ」付きの簡単な夕食をとった後、夜行性の小型~中型動物がまとまって展示されているエリアを30分ほど歩き、次いで、幾つかの動物のパフォーマンスを紹介するショーを30分ほど見た後、最後にトラム(周遊車両)に乗り大型動物の展示エリアを45分ほどで廻って終了、というツアーでした。
http://singapore.navi.com/miru/11/

チリクラブはシンガポールの名物料理の一つで、味自体は良好ですが、私はカニの殻を自分で処理するのがとても苦手で、「最初から剥いて出してくれればいいのに・・」などと文句を言いながら美味しくいただきました(ネットで調べると、皆さん同じことを仰っています)。

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動物のパフォーマンスショーは、当然のことながら英語で行われ、英語能力が皆無の面々が雁首を揃えた当家は全く司会者の軽妙トークを理解できないまま終わってしまいました。

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司会者は冒頭で「この国(語圏)の人は来てますか~」と声を掛けており、日中韓の三国からいずれも多数の人が参加していましたが、これらの三国には私と同レベルの方は大勢いるでしょうし、小さい子供も多く来ていますので、「言葉の壁」に関する対策を考えていただきたいとは思いました。

欲を言えば、イヤホンを支給して同時通訳をしてくれればベストでしょうが、それが無理でも、毎回の司会者の説明(プログラム内容)は大体同じでしょうから、美術館のような補助解説テープを希望者に支給して、それを聞きながら拝見できれば、理解度が大分違うと思います。

これは、日本に来る外国人観光客など、世界中に当てはまる話でしょうから、日本の旅行会社がソニー?などと組んで開発して各国の外国人旅行者向けに提供すれば、日中韓人はもちろん世界中で喜ばれるのではと思いますが、いかがでしょう。もちろん、最後に「次は英語を勉強してまた来てね」の一言を添えれば、親が家庭でわめくよりも子供への教育効果がありそうですし。

トラムは、ネット情報では「見えない動物も多く、イマイチだった」などと酷評する意見も幾つか見られるようですが、私自身はそれなりに見応えがあったと思います(もちろん、動物を適切な方法でトラムに近づけるような工夫は園側にも考えていただきたいとは思いますが)。あと、「どうして北東北人が南国に来てツキノワグマを見なけりゃならんのだ」との不条理感を抱いた場面もありました。

最後に、こんな容器に入ったマンゴージュースを買って、飲みながらホテルに戻りました。理由は分かりませんが、現在の同国ではこのタイプの容器が流行しているようで、マーライオンの近くの売店などでも同タイプのもの(象さんは付いてませんが)を拝見しました。

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個人的には、注射器の類のように見えますし、ゴミの量も多くなるので、デザイン的にも環境面でもセンスが良いとは思いませんが・・

その他、書きたいことはまだまだ尽きませんが、まあ、あまり詳しいことを書くと今後に旅行される方にとって面白味が減るでしょうから、ぜひ、ここに書かれていない多くの醍醐味を現地でご覧になっていただきたいと思います。

金色がお好きな「日米の二人のトップ」に関する共通点と未来

トランプ大統領が就任と同時に行ったのは、TPP離脱宣言だけでなくホワイトハウスの執務室のカーテンを金色のものに取り替えたことだった・・という趣旨の記事が出ていました。
http://www.asahi.com/articles/ASK1Q4QN8K1QUHBI00W.html?iref=comtop_8_01

金色を身にまとうのがお好きな公権力の代表者という話を聞くと、現代日本人が連想するのは「いつも金色ネクタイ」のイメージが強い鳩山由紀夫首相でしょうか。それだけに、素直に考えれば「日本を代表する反トランプメディア」になりそうな朝日新聞の記事だけに、そのイメージを狙った報道かもしれないなどと思わないこともありません。

そういえば、このお二人ですが、キャラ(片や傲慢・豪腕、片や優しそうな異星人)や政治家としての出自(片や政治経験の全くない不動産王、片や首相の孫にして日本有数の政界のサラブレッド)は全く異なるように感じられるものの、共に「大金持ち」であるだけでなく、「公権力の代表者になった経緯」という点で見れば、看過すべきでない共通点もあるような気もします。

というのは、トランプ氏のような御仁を大統領に押し上げた原動力が、オバマ大統領の美しい言葉の影で広がる米国の格差社会で置き去りにされた貧困層や没落中間層の現状(米国経済)への不満や怒りの心情であることは、広く言われていることですが、鳩山政権誕生(民主党への政権交代)の原動力も、それに近い面がないわけではありません。

民主党の政権交代の原因については、第一次安倍内閣で閣僚不祥事が頻発して首相の対応が後手に回って信頼を失ったとか、当時の民主党の主要メンバー(陥落までの主要閣僚陣)がそれなりに政治家としての知名度やブランド力を得ていて、一度は政権を任せてみたいという機運があったこと、小泉政権の郵政解散の反動などなどが挙げられるかもしれませんが、現在との大きな違いとして、倒産が非常に多く、不況と呼ばれた時代だったことは軽視できないと思います(当時は我々「町弁」たちは、クレサラから企業倒産まで多くの債務整理事件に従事していましたが、今は見る影もありません)。

そういえば、鳩山内閣の実質的な意味での「前政権」というべき小泉内閣は、最後まで国民の高い人気を得ていた一方で、自由経済至上主義の印象の強い竹中平蔵経財相の重用など、見方によっては「華々しい光景の陰で、その後に顕在化した格差社会の素地を作った」という批判も当てはまる余地があるような気もします。

だからこそ前哨戦となった参院選で小沢代表(当時)が大勝した際のキャッチフレーズが「国民の生活が第一」だったわけで、小沢氏が西松建設事件や陸山会事件で失脚しなければ、その後も、小沢氏が同様の言葉を掲げて衆院選で大勝し首相となっていた可能性は極めて高いのではないでしょうか。

言い換えれば、「ワシントンのエリート達から政治を普通の国民に取り戻す」と叫ぶトランプ氏と、「自民党の一党支配(及びそれに寄生する官民の各種利権)から日本の政治を取り戻す」と叫んでいた当時の民主党(鳩山政権)は、その支持層も含めて、かなり似ている面があるように思います。

そういえば、民主党の支持層は中年の男性の方が多い(女性に人気が無い)と聞いたことがありますし、逆に、民主党=インテリの支持が多いというイメージがありますが(少なくとも、当時、自民党を引きずり下ろしたかった朝日新聞はじめ?左派色のあるメディアの支持を集めていました)、トランプ候補も意外にインテリ層の支持もそれなりにあったという趣旨の記事を目にした記憶があります。

また、双方(鳩山氏、トランプ氏)とも、親ロシアのスタンスであり(鳩山氏は祖父の鳩山一郎首相が日ソ共同宣言=国交回復を樹立し対米自立志向が強かったことなどに由来)、「米軍による沖縄の防衛(駐留)」を重視していない(ように見える)点も似ています(その政策の当否はさておき)。

決定的な違いは双方の政権発足時の支持率の差でしょうか(鳩山内閣の発足時の支持率は70%以上で、世間の大きな期待を集めていたことは覚えている方も多いでしょう)。

そんなわけで、トランプ政権が「反面教師として参考にすべき存在」があるとすれば、鳩山(由紀夫)政権ではないかと感じているのですが、だからこそ、IT革命とグローバリズムをはじめとする社会経済の大変動により没落を余儀なくされた中間層の健全な復活に寄与する政策を目に見える形で推進できれば、優れた政治家として支持を集めるでしょうし、民主党政権時代の日本のように社会内に不況や政争による閉塞の印象を与えたり、世界を不安と混乱に陥れ、既存中間層のさらなる没落を招くような行動に及べば、彼を相応しくない立場から追い出そうとする力が何らかの形で働くのではないかと思われます。

トランプ政権の閣僚のニュースを聞くと軍人関係者の話が多く、まるで戦争をしたいのか(そのための人材シフトなのか)と不安に感じざるを得ませんが、政治や社会に無用の混乱が蔓延しないよう、何より、暴力(他者の尊厳を蔑ろにする手法)による物事の解決を志向する勢力が跋扈することのないよう、強く願いたいものです。

と、ここまで書いた後、グーグルで両氏のお名前を入力したところ、ここまで延々と書くかどうかはさておき、同じようなことを感じる方が多くおられることがよく分かりました。

南京大虐殺の否定本と戦後世代の「神の左手、悪魔の右手」から現代に続く道

アパホテルの「南京大虐殺否定本」に関する報道が話題になっていますが、先日、旧日本軍によるシンガポールでの華人虐殺の話を知ったことから改めて南京事件のことを勉強したくなり、以前から買うかどうか迷っていた中公新書の「南京事件」を買いに、以前から置いてあった盛岡駅フェザンのさわや書店に行きました。

が、残念ながら売り切れており、代わりに同店の「文庫X」キャンペーンで一世を風靡した清水潔氏が同じテーマを取り上げた本が大々的に売り出されていたのを見つけ、面白そうだったので買って帰りました。もちろん、いわゆる否定本の類でないことは言うまでもありません。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/5134

まだチラ見しかしていませんが、本題(裏付けを含めた虐殺の実情の説明)のほか、坂の上の雲では描かれていない?日清戦争時の虐殺を紹介したり、著者自身の原体験(祖父や父の物語)について触れているところなどは、きちんと読んでおきたいと感じました。

余談ながら、(いつの話かは伏せますが)以前、ある宴会の場で円卓の少し離れた席に座っていた私より数十年ほど上の世代の男性同士の談笑が聞こえてきて、ご自身のことかそうでないのかは聞き取れませんでしたが(聞きたくもありませんし)、その世代の男性が少なからず行っていたと言われる、数十年前?の「東南アジアへの買春ツアー」の話題を楽しげに話しているのが分かりました。

構造的暴力などという古い政治学用語を引用するまでもなく、圧倒的な経済格差や極端な貧困などに起因する半強制的な買春は、対象女性の尊厳を決定的に破壊するという点で「魂の殺人」と称される強姦とさほどの違いはないというべきで、詰まるところ、戦中も戦後も、日本人が一定の貢献(戦中には植民地独立の端緒、戦後には現在の経済発展の下支えなど)と被害(各種の暴力)の双方をアジアにもたらしてきたことは否定し難いのだと思います。

もちろん、それぞれの時代に各人が帰属していた社会の常識なるものがある上、何より、私たちの世代は、そうした上の世代の方々の「悪魔の右手」だけでなく、敗戦などの反省を踏まえた平和的な手段での戦後復興・経済成長の努力という「神の左手」にも庇護されて育ってきたことを踏まえるべきで、紅衛兵のように勘違いして上の世代を軽々に糾弾するような営みもまた、愚劣なことなのでしょう。

我々の世代は、安倍首相らのご尽力のおかげ?で「謝罪を続ける宿命」はないのかもしれませんが、それだけに「正しい事実を知り、伝え、それをもとに行動する努力を続ける宿命」はより一層強まっており、それを放棄する者には相応のペナルティが待っているのではないのかなと感じたりもします。

それと共に南京事件で諸説入り乱れる様を見ていると、相応の根拠を示されてもバイアスのある見方ないし立場を固守せざるを得ない(せずにはいられない)という、人間の心理などの難しさを感じます。虚心坦懐にものを見ることができるメンタリティを養うための社会基盤や教育などのあり方について、もっと問題意識が深まればと思っています。

生活保護を巡る需給双方の「なめんな」と解決策

先日、神奈川県小田原市の生活保護の担当職員らが、「保護なめんな」などの文字をプリントしたジャンパーを着用して職務に従事していたことを取り上げたニュースが流れていました。
http://www.asahi.com/articles/ASK1K551JK1KULOB026.html

その件のことは存じませんが、10年近く前に盛岡市の広報広聴課で無料相談を担当していた際、同課に生活保護受給者と思われる興奮状態の方が押しかけて、生活保護に関する不満?を激しく述べて「ここから飛び降りて死んでやる」などと叫び、それを職員の方が宥めるという事態(所要30分程度)を垣間見たことがあります(確か、保護費を使い果たして生活できないという類の話で、毎月の金額への不満なども話していたような記憶があります。また、昔の話ですし狭義の守秘義務の問題でもありませんので、役所名の表示も許容範囲とさせて下さい)。

ちなみに、当時の相談場所は、現在のそれ(別室)と異なり職員の机と隣り合わせの遮音性の著しく低いブースでしたので、目には入りませんでしたが声は丸聞こえでした。

職員の方々と個人的な面識等がなかったこともあり、悩んだ末にしゃしゃり出るのを差し控えてお任せした方が良いと判断し、ブース内で終了まで静観した後(昼休みの出来事だったと思いますが、途中から相談時間になったかどうかは覚えていません)、あとで職員の方に「警察に通報しなくて良かったのですか」と伺ったところ、1万円前後の額?(自腹)を渡して帰って貰った、警察を呼ぶよりその方が賢明との説明があり、恐らく、そのような話は決して珍しいものではない(同一人かはさておき)との印象を受けました。

冒頭の記事の中にも受給関係者による職員の被害が発端とありますし、上記のような出来事があった盛岡市でも、何らかの問題が存在ないし発生するということもあるかもしれません。

反社会勢力による産廃の不法投棄が頻発していた時代には行政の担当者を守るために警察と連携せよといった話があったかとは思いますし、この種の問題は関係者(官民双方)の「心のケア」に関する対策も避けて通れないと思いますが、現在の「行政対象暴力に対する(岩手県内等の)実務の実情」はどうなっているのでしょう。

残念ながら、そうした事柄に関与するどころか生活保護一般に関わる機会も滅多に得られていませんので偉そうなことは言えませんが、例えば、申請に対する審査などの部門と不正調査などの部門を切り離して、前者は各種の福祉関係者と連携して「より良質な他の選択の模索」も含めた親身な対応を行うと共に、後者は警察など各種の調査機関と連携して厳格な調査や対処の充実を図るなどとするのであれば、後者(不正問題)を理由に前者が過度に拒否的な対応をとるなどという事態を防ぐことが多少はできるのでは?などと思わないでもありません。

もちろん、障害者などの「働きたくとも働けない人」にとっては、人間の尊厳の最後の砦としての相応の保護は必要でしょうし、「働こうと思えば働ける人」にとっては、尊厳の拠り所としての労働の場を、その人の実情に合わせた形で適切に提供するなどの工夫が必要でしょうから、メンタル面なども含め、そうした視野のもと各種支援組織の総合的・ワンストップ的な対応ができる仕組みの構築やそうした観点での関係者の尽力こそが、一番必要なことではないかと思います。

また、上記の盛岡市のケース(で私が聞いた話)のように、「職員が自腹を切ってその場をやり過ごす」などという話はあってよいことでなく(不当負担を強いるのは反作用として何らかの不正の温床になりかねません)、相当な理由がある場合の臨時給付の制度を設けるのか、モラルハザードを許さないため警察等を通じて次の給付日までは何らかの保護施設に収容するような制度を設けるのか、選択肢はどうあれ、現場に不当な負担を生じさせないためのきちんとした議論がなされるべきだと思います。

少なくとも、そうした工夫をすることなく現場の役人さんに過負担を強いた挙げ句、行政が自ら暴力(暴言)的になったとしても、社会の理解は得られないでしょうし。

幻の大河ドラマ「紫式部」豪華キャスティング案

今年の大河「おんな城主 直虎」の放送が始まりましたが、第1回の視聴(録画)を逃してしまい、今、土曜の録画を待っているところです。

ただ、恥ずかしながら諸事情により昨年の真田丸も途中から録画の消化ができず20回分くらいが溜まった状態で、先にそちらを片づけねばとの思いもある上、下手をすると、未視聴のまま同居家族から「腹いせによる録画番組の大量殺戮」の被害に遭いかねない恐怖もあり(花燃ゆはそのせいで維新後の回を見ることができませんでした・・)、どうなることやらという状態です。

ところで、今回の主人公は親族にも著名人がいない(井伊直政だけ)点で「花燃ゆ」以上に超マイナーな方ですが、どうせ女性が主役の大河を作るなら、紫式部を主人公にして藤原氏の権力闘争と庶民の困窮などを描きつつ源氏物語も回想的に交えた作品を作ってはどうでしょうと思っているのは、私だけではないと思います。

大河は「歴史を題材にして現代のテーマを描く」ものですが、貴族と庶民の格差社会なら現代に通じるでしょうし、皇位承継(に対する権力の干渉)という難しい論点についても触れることができるかもしれません。

以下、近年のイケメン大河に対抗して「当代の美人女優さん総出演大河」をコンセプトに雑談感覚でキャスティング草案を考えてみましたので、話のタネにしていただければ幸いです(敬称略。絞り切れていない方は、括弧内で次点候補を表示。年末にFB投稿して他の方から頂戴したご意見も参考にしています)。

紫式部   新垣結衣
清少納言  石原さとみ
和泉式部  深田恭子

藤原彰子  橋本環奈
藤原定子  指原莉乃(島崎遥香)

藤原道長  谷原章介(伊勢谷友介)
藤原道隆  古田新太
藤原道兼  北村一輝
藤原兼家  西田敏行
藤原詮子  米倉涼子
藤原倫子  北川景子

花山天皇  市川海老蔵
藤原頼道  神木隆之介
藤原元命  堀江貴文
源高明   木村拓哉(後世の回想)

小野小町  佐々木希
藤壺    桐谷美玲
紫の上   武井咲
光源氏   滝沢秀明(松田翔太)

まあ、この時代の天皇家と摂関家とのあまりの近親婚ぶりの酷さ(現代人の感覚との乖離の激しさ)などから、よほど脚色等をしないとドラマ化は難しいのかもしれませんが・・

平成29年の年頭のご挨拶と新聞雪崩警報の先にあるグローバル社会の今後

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

例年は年末に妻の実家に帰省するのですが、今年は事情により正月を自宅で過ごし、その後に若干の休暇をいただく予定です。

そのため、大晦日の夜は、年末に済ませることができなかった「面倒な作業や論点が山積みの企業倒産(管財)事件における労働債権(論点多数)の弁済表と裁判所向けの検討レポート及び元従業員の方々への通知書面」の作成で過ぎてゆき、気がつくと、新年の6時頃には恒例の事務所ソファの寝袋で初日の出を見ながら昼まで初夢気分という、この上ない素晴らしい正月になりました。

昔は、深夜3時か4時くらいには仕事を切り上げて、残りの時間で溜まった日経新聞を一気読みするのが習慣だったのですが、根気が続かない老骨へと堕してしまったのか4ヶ月以上も山積みになるばかりの有様で、先日ようやくお盆の頃の「トランプ氏が失言で支持急落」などという記事を見て、おぉ、ヒラリー逃げ切りかなどと微笑ましい感想を抱いている次第です。

司法改革に伴う町弁業界の荒波と迷走は止まるところを知らず、社会正義のやりとりをする法曹界も今や大規模な弱肉強食の時代に突入していますが、群れに馴染めず権威にも束縛する権力者にもご縁がない田舎のしがない一匹狼の町弁として、ドラマではなく現実に存在する危機的な裁判実務の穴埋めに役立てるよう、今後も精進して参りたいと思います。

今年も町弁の基本である「①中小企業法務、②家事(男女・親子・相続等)全般、③交通事故などの賠償問題、④倒産・債務整理全般、⑤その他の民事上の法律問題・各種紛争」の5分野が業務の基軸になると思いますが、成長著しい若い世代をはじめ県内の他の先生方に負けることのないよう、研鑽を積んで法律家としての地力を高めると共に、一定分野・類型での特色やアドバンテージをより強調できればと考えています。

昨年の最後の投稿になった前回のブログでは、「平成という時代は個人の多様性と尊厳(に対する社会の包容力)という日本国憲法の最高規範(根源的価値)がようやく日本社会に浸透していく過程を描いた時代だったのではないか」、「次の時代は多様性の深化が進む一方、それを拒絶し既存のスタンダードの墨守を求める勢力との抗争が強まる時代になるのではないか」という趣旨のことを書いていました。

すると、本日の日経新聞の「私の履歴書」で登場したカルロス・ゴーン氏が「現代に大切なのは、アイデンティティを失わずに多様性を受け入れることだ。自分の人生がまさにそのようなものであった」という趣旨のことを仰っているのを見つけ、我が意を得たりと思わずにはいられませんでした。

アイデンティティと多様性という二つの核は、時に激しく対立する要素を有している一方、人間(個人)の尊厳(憲法13条)という触媒を通してこそ最もよく結びつき、輝くものでもあろうと思います。

そうした理念を掲げた武器(法)をもって闘う存在たる我々法律実務家の社会での役割は、ますます深化されるべき面があるはずで、そのことも視野に入れながら、良質な研鑽に努めて参りたいと思います。

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