北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

06月

帰ってきた二戸ロータリークラブと田中舘秀三物語、そして「あれから30年」

5月の話で恐縮ですが、盛岡地裁二戸支部に所用があり、ちょうど二戸ロータリークラブの例会日でもあったので、折角だからということで、例会に参加してきました。

ちょうど今年の会長さんが私の小中学時代の同級生のお母さんで子供の頃に大変お世話になった方だったため、予めご挨拶していたところ、折角なので卓話をしてはという話になりました。

そこで、簡単な自己紹介(30年前の二戸RCの思い出話)の後、今年の2月頃に引用のブログでも連載した「世界遺産シンガポール植物園と同国の文化学術資産群を戦災から守った二戸人(兼盛岡人)・田中舘秀三博士(東北帝大教授)の物語」について、お伝えしてきました。

幸い、田中舘愛橘会の会長さんもいらしていましたので「あらすじ案」を印刷したものをお渡しし、愛橘博士に続き秀三先生の物語も漫画化していただければとお願いしました。

会員さんには、この話を初めて知ったという方も多数おられたようですので、地元の「知られざる偉人」の顕彰としては意味があったのではと思われます。

今後も秀三博士(先生)の物語についてどこかでお伝えできる機会があればと思っていますので、関心のある方は、お気軽にお声がけいただければ幸いです。

また、以前にブログで連載した「あらすじ案」は、「あとがき集」と共にA4用紙25頁分にまとめており、ご希望の方から直メールいただければPDFでお送りすることは可能ですので、ご遠慮なくお問い合わせ下さい。

例会のあと裁判所の所用まで時間があったので、会長さんほか何人かの方にお付き合いいただき、しばらく雑談をさせていただいたのですが、久しぶりに「ふるさとの人は有り難きかな」と感じる暖かい時間を過ごすことができました。

私は幼少期から同世代の子供達と一緒に過ごすよりも大人達に混ざって横で会話を聞いているのを好む変な子供だったせいか、少しばかりあの頃に戻ったような気もしました。

こうした機会に限らず、二戸の人々にも必要としていただける場を持つことができるよう、まずは研鑽に努めていきたいと思います。

ゲスの極みの外部不経済に泣かされたり悩まされる人々(後編)

不貞問題については、明確な証拠が突きつけられない場合などに不貞そのものやその程度などを巡って全面否認する例も時折みられます。

そのように特定の事実関係(幅のある事実も含めて)が争われた場合、裁判所としては、争点たる事実Aの存否について「争いのない関連事実のうち、Aの存否の判断に影響しうる事実群(肯定方向に働くB群と、否定方向に働くC群)」を先に確定させ、次いで、証拠によりAの存否に判断しうる他の事実群(肯定方向に働くD群と否定方向に働くE群)の存否を確定させ、その結果により、BないしEを総合的にみて経験則に基づきAの有無を認定する、というのが基本だと思います。

特定の事実を巡って当事者の証言が全面対立することも時には見られますが、「コテコテの虚偽の証言」の類はさておき、各人のメンタリティなどに起因して事実認識(認知)に様々な歪み(バイアス)が生じ、同じ状況に直面しても認識する事実の内容が甲と乙とで微妙に(時には大きく)ずれることで、そのような「供述の対立」が生じることも珍しくありません。

そのことは、裁判に限らず普段の家族・友人間の会話などでも当たり前に生じることだとも言えるでしょう。

そうした意味では、法廷傍聴などに限らず裁判ドラマなど通じて、事実の存否が争われる光景とご自身の日常的な光景などを比較しながら、「事実の存否や内容に関する適切な判断のあり方」に考えを深めていただければと思います。

********

ところで、「ゲス不倫」報道に言及するまでもなく、この種の話題はイエスの時代から現在に至るまで古くて新しい投石(第三者による過剰な糾弾)の問題があり、未だに社会の底の闇の深さを感じるというか、それで良いのだろうかと思うところはあります。

我が業界にも、周囲の不安や猜疑心を煽り自分の正当化に固執し、物事を混乱させてまで目先の駆け引きや勝利を優先するトランプ大統領型?の弁護士は珍しくありませんが、私自身はそうした「相手をとことん痛めつけてでも勝つ」路線ではなく、適切なルールを踏まえつつ、各人のやむを得ざる事情を踏まえた対立の止揚と調和を目指すオバマ大統領のようなスタンスの方が性に合っています。

もちろん、そうした方向を意識せざるを得ない特殊な事案(相手方の行動に著しい問題があり強い反省や糾弾を相手に求めなければならない対決色の強い事案)を受任することもありますので、その場合は、どのような方法をとれば裁判所にその点の理解が得られるか、日々悩んだり自身を発憤させるよう努めたりの繰り返しにはなりますが。

不貞問題に限らず交通事故から企業活動被害なども含め、加害者・被害者どちらの立場でも仕事をするのが普通の町弁ですので、依頼主の立場や事件の事情に即した適切な主張立証を意識しつつも、特殊事案を別とすれば、相手方当事者の真っ当な心情への配慮も意識した仕事ができるのが望ましいと思っています。

先日、中野信子氏の「サイコパス」という本(文春新書)を読みましたが、虚偽の言動を平然とまき散らす悪質な不貞行為者に限らず、社会の様々な混乱や人の尊厳の蹂躙などを招く御仁に対し、どのように向き合っていくか(関わりを避けるべきかも含め)を考える上で、色々と参考になるように思われます。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610945

ゲスの極みの外部不経済に泣かされたり悩まされる人々(前編)

不貞行為絡みの慰謝料請求は町弁には頻繁に相談・依頼がなされる事件の一つであり、当方も、①被害配偶者、②加害配偶者、③不貞関与者のいずれの立場でも、少なからぬ取り扱い経験があります。

紛争の形は様々ですが、「夫の不倫により妻が不貞相手の女性を訴えた例」を受任した件(どちらの立場かは差し控えます)で、夫の言動に多くの問題があり、当事者たる女性(被害配偶者、不貞関与者)の双方から見て、「夫が一番悪い」と感じざるを得ないことは時折あります。

そうした「夫の身勝手過ぎる行動で女性達が本来なら無用の争いや消耗、憔悴を余儀なく光景」を見ていると、思わず、準備書面でも、「Aのような輩を昨今ではゲスの極みというのであろうが・・」などと書きたくなってしまいます(他方、妻の不倫事案では、不貞相手の男性や夫に問題又は残念な点があったり何らかの疾患を感じる例が多く、妻自身の人格に反社会性を感じることは滅多にありません)。

さすがに、そうした非難ありきの記載は自粛していますが、無用の争いが生じた挙げ句に、私自身が関係証拠を長時間分析し、事実関係や法的構成を文章にまとめる作業のため延々と深夜労働(毎度ながらの不採算仕事)を余儀なくされる日々を送っているせいか、「この男のせいで・・」という思いをどこにぶちまけたらいいのやらと、つまらないことばかり考えてしまいます。

詳細は書けませんが、その件では男性が複数の不貞行為に及んでおり、先行の不貞行為と後行の不貞行為は一定の期間を空けて生じ、不貞関与者同士(夫と関わった女性達)は互いに意思疎通がないため、いわば異時的不貞行為とでも呼ぶべきものでした。

このような事案で不貞関与者(特に後発関与者)の責任をどのように考えるべきかという問題があり、その点は理論的に様々な論点を内包し、法律論としては相応に奥深いものがあるため、相応に機が熟せば当事者にご迷惑をお掛けしない形でブログでも書いてみたいと思っています。

或いは、そうした営みを通じて「法律実務家として勉強を深めることができる」と思える(思い込める?)ことが、せめてもの慰めなのかもしれません。

ところで、不貞行為に基づく慰謝料の問題は事案によって色々な争点がありうる一方で、これまで基本的な法的構成や諸論点を整理した書籍が出版されることはほとんどなかったようで、昨年頃に出版された中里和伸先生の本が大いに参考になります。
https://www.amazon.co.jp/%E5%88%A4%E4%BE%8B…/dp/490449721X

ただ、この本にも、上記の異時的不貞行為の問題(過去に配偶者に有責行為があり夫婦の信頼関係が損なわれたものの、同居が継続された(と見られる)場合に、後発して関与した第三者の責任の有無・程度)にはほとんど触れられていなかったとの記憶であり、さらなる議論の深化が期待されます。

ちなみに、私が担当した案件では、そうした点について色々と検討したことを書きましたが、若い相手方代理人が議論に応じることないまま、早期解決のため裁判所の勧告を踏まえて相応の譲歩をした和解で終了するという結果になっています。

ちなみに著者の中里先生には私が合格した直後の時期にご挨拶する機会があり、とても誠実な方との記憶があります。
http://news.livedoor.com/article/detail/10390500/

盛岡の若き「女猛者」たちの多様性と諸民族の尊厳を巡る課題と役割~猛者踊りの風景から~

5月上旬の話で恐縮ですが、昼前に裁判所から事務所に戻る際、盛岡一高の「猛者踊り(旧・D人踊り)」の方々が中央通りを練り歩く光景に出くわしました(行事そのものをご存知ない方は、こちらのサイトで確認して下さい)。
http://www.morioka-times.com/news/2009/0905/13/09051205.htm

ただ、男性陣は様々な色でカラフルに仮装・塗装して多様なD人姿を誇示しているのに対し、女性陣がいずれも学生服の上に園児服を羽織るスタイルで、それ自体の印象も残念感が漂う上、各人の個性(多様性)もせいぜい園児服に縫い付けたアップリケで違いを見せている程度のように感じ、その点は少し残念に思いました。

他の仮装に扮する女学生がいても良いのではと思って少し検索したところ、過去にはチャイナ服などに扮する方も若干は見られたようです(今回も、私が発見できなかっただけかもしれません)。

別に女子高生の仮装に関心があるわけではありませんが、園児服姿の女学生集団が練り歩く光景はイマイチ感は否めず(少なくとも、男性陣とは落差を感じます)、皆が同じ姿にするなら蝦夷風のオリジナル民族衣装を考案するとか、年度ごとに変えてみるとか、岩手人らしさを伴った何らかの華のある工夫を検討していただきたいところです。

出身者ではありませんので意見できる立場ではありませんし、批判する趣旨ではないのですが、全員が同じ扮装(しかもぱっとしない園児服)でアップリケでしか個性を示せないのは、若いサラリーマンの画一的なスーツと安物ネクタイみたいな感じで、かえって残念な印象を受けてしまうので、受験勉強で仮装どころではないのかもしれませんが、伝統を大切にしつつ、男女とも多様な個性を表現する文化を育んでいただければと思いました。

余談ながら、私の高校1年の同級生で数年前は時の人になった元国会議員の方(現在は捲土重来に向け奮闘中とのこと)は、高校2年の学園祭に「妖怪人間ベラ」に扮していたそうで、緑一色の姿をチラ見したような記憶があります。

仮装する一高生の皆さんも、いずれ多様な飛躍を遂げていただければと思います。

**********

と、こんな話を以前(当日)にFBに書いて投稿したところ、多くの一高OBや父兄の方々から多数の有り難いコメントを頂戴しました。

特に、私が盛岡JCに在籍していた頃に宴会で活躍されていた「仮装の二大巨頭」というべき二人の方から熱いコメントをいただき、そのお二人のルーツがD人踊りにあることが分かったように思われ、それだけでも投稿した甲斐がありました。

とりわけ、某先生は、ぜひ全身に黄金色を纏ったお姿で在校生諸君の前に再降臨いただき、如来のごとく崇敬の念を集めていただければと願わずにはいられません。

また、女生徒の園児服も、それなりの理由や物語があるとのコメントを多数いただきました。街中でチラ見するだけでは分からないことも、行事の全部を拝見できればその意義が分かるということなのでしょう。

一高OBの皆さんには申すまでもないことだとは思いますが、D人であれ猛者であれ、その趣旨は、県内の英才が参集する一高生が「ひ弱な優等生」ではなく野性味あるエネルギーを涵養していることを表現するという点にあるのだと思います。

それだけに、過去の取組みの意義はさておくとしても、園児が猛者(野性味あるエネルギーの表現)なのか?という点は街でチラ見するだけの一般人には些か分かりにくさが否めず、「女性猛者の表現のあり方」について、さらに皆さんの議論を深めていただければ幸いです。

それと共に、在校生の方々には、中止・名称変更論争の原因にもなった世界の諸民族の事情などにも理解、認識を深めていただき、いずれは盛岡であれ世界の遠いどこかであれ、人類一人一人の尊厳を高めるための役割をご自身の現場で発揮していただくよう願っています。

起業と難関私立校の不毛の地?東北の今とこれから

facebookで流れる情報をパラパラと見ていたところ、著名起業家として64名の方をピックアップし、出身地と学歴別に整理した記事を見かけました。

ざっと見たところ、東京・阪神・中京の大都市圏が中心なのはやむを得ないとしても、北信越や北九州などが順当に輩出しているのに対し、東北は福島から2名の方が選出されているのみで、北東北(北奥地域)に至っては残念ながらゼロとなっています。
https://hcm-jinjer.com/media/contents/b-contents-6740/

私がその記事を読んで、すぐに思ったのは、このデータと地域の教育環境の格差に何らかの関係があるのだろうか、という点でした。

というのは、少し前に、いわゆる難関私立中学について調べたことがあったのですが、大都市圏に限らず関東圏や西日本などでは小規模県でも各県に有力な私立中学・高校を多数擁しているのに対し、東北地方だけが、そうした学校が地域内に全くと言って良いほど存在しないことが分かり、残念に感じたことがありました(仙台にもその種の学校が今も存在しないのが不思議なのですが、かつて支店経済の典型と言われたことも関係しているのでしょうか)。

そのため、知的総合力を必要とするであろう起業家の輩出に関する一覧表で東北(とりわけ北東北)の出身者がほとんどいない光景を拝見すると、そうした「地域内の優秀な子弟を集めて潜在的な才能に相応しい良質な教育を施し、互いに触発・切磋琢磨させる環境の不在」という格差が、上記の結果に繋がっているのかもしれない、と思わずにはいられない面があります。

ただ、北東北が、昔から「リーダーや新たな産業の創出者を輩出できない、指示待ち人間の供給地」だったかと言えば必ずしもそうではなく、戦争直前の時代には、米内光政を筆頭に大日本帝国を動かす軍産学官文の大物が参集して「日本一の同窓会」と呼ばれた旧制盛岡中学の全盛期(といっても草創期の卒業生かもしれませんが)の例もあったわけで、その後、岩手は一体何をやっていたんだと思わないでもありません。

鹿児島人の有名な愚痴で「維新で優秀な人が皆、東京に行ったから地元に残ってない」という話がありますが、或いは、戦前の東北にもそうした面があったのかもしれません。

もう一つの見方として、一覧表では近畿や北九州などという弥生文化圏が起業家を多く輩出し、東北・北海道や南九州・沖縄といった縄文文化圏が後塵を拝しているように見受けられますので(京都の表示がありませんが、京セラなど著名企業が幾らでもありますので選出漏れでしょう)、そうしたことも関係しているのかと思わないこともありません。

というのは、起業=ビジネスのアイディアだけではない、新たな組織を作る力と捉えれば、弥生人に向いている作業で、個人プレーの縄文人には向かないと考える余地もあるからです(その裏返しとして、文化・芸術系などで北東北や沖縄などが相応の人材を輩出していることも間違いないはずです)。

以前、那覇に出張したとき、琉球王国は、原住民的な縄文系ではなく、平安時代?にやってきた弥生系の民が作ったのではと考えたことがあり、そうしたことも、関係しているのではと思ったりもします。

と、そのようなことを書いてfacebookに投稿したところ「西日本が大阪を中心とする商品経済が浸透していたのに対し、東北はそうした影響が薄く、そのことも(起業文化の未発達に)関係しているのでは」とのコメントをいただきました。

そう言われてみると、震災直後の時期に岩手県内の何人かの企業経営者の方に「原発の風評被害による売上逸失があれば、原発ADRで一定の被害回復ができますよ」と説明した際に、「自分達の商圏は岩手及びその周辺に止まるから風評被害なんて無い」と返答されたことがあったのを思い出しました。

とりわけ旧南部藩などは(日本海側の秋田・酒田や米供給地の仙台と異なり)全国規模の流通等にあまり組み込まれておらず、盛岡等に招かれた近江商人や北上川の舟運などはありましたが、自ら全国規模の取引をする商人は多くはなかったのでしょから、そうしたことも「全国ないし世界に向けて展開する起業文化」が低調な?ことの背景にあるのかもしれません。

それはさておき、小規模ながら?天下に向かって頑張っておられる地元の方も報道などで相応に拝見していますし、他人様の話以前に、まずは与えられた環境で自身の意欲や才覚を高めるにはどうすればよいか考えるべきでしょうから、様々な取組を拝見しながら地道にできることを積み重ねようとは思います。

法廷でご乱行に及ぶ被告人と駆け出し町弁が見た「その瞬間」

仙台地裁で、保釈中であった被告人がナイフを隠し持って凶行に及ぶという残念なニュースがありました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170616/k10011019891000.html

ここ数年の刑事裁判実務では、私の駆け出し時代と違って保釈が非常に認められやすくなっているそうですが、こうした事案が生じてしまうと、保釈の運用にもマイナスの影響が生じないか危惧されます。

昔、薬物の単純自己使用で全面自白し、しっかりした配偶者もいて保釈中に問題を起こすとは到底思えない普通の一般人の方について、「(行為直後に本人が渡航していたため)物証がなく証拠が関係者の供述のみだから」というだけの理由で若い裁判官に保釈が却下され、準抗告も却下、おまけに公判で検察官や裁判官に嫌味まで言われて納得できない思いを余儀なくされたことがあり、時計の針が逆戻りしないよう願うばかりです。

以下、知ったかぶりの町弁Aと、妻Bの会話から。

A 先日は、公判で弁護士か裁判官を殺そうと思ったと述べた被告人もいたそうだよ。
B えっ・・順番が違うんじゃない、どうして検察官に対しては思わないの?
A 根底に甘えの感情があり、その裏返しだから、甘えの対象ではない検察官に怒りの矛先が向かわなかったんじゃないかな。

と、戯言はさておき、私も15年ほど前、東京高裁で「無罪を主張し1審で負けた被告人の控訴事件」について国選弁護を担当した際、残念ながら棄却の判決が言い渡された直後、被告人が裁判長の名を絶叫しながら法壇に飛びかかっていったのを間近で見た経験があります。

もちろん、係官に取り押さえられて大事には至りませんでしたが(勾留中ですので凶器もありません)、それ以前からのご本人とのやりとりも含め、あの興奮した様子では接見は無理だろうと思い、こちらからの接触は断念することにしました。

当時の東京地・高裁では判決の直後に地下で容易に接見できたので、当時は多くの方と言渡後の最後のやりとり(反省会)を行っており、無罪主張が退けられた事案では言渡後に接見室で何らかの説明等をするのが望ましいのですが、その件では私にはその勇気がありませんでした。

すると、数日後、ご本人から、諸々の不満のほか「釈放後にお前のところに行くぞ」と書かれた書面が、私ではなく勤務先のボス宛てに届きました(ちなみに国選なので収支も含めてボスは関係ありません)。以前に長文の手紙をいただいた際は、非常に綺麗な字で作成されていたのですが、今回は残念なまでに殴り書きでした。

あれから15年。その後にお会いする機会はなく、ネットでご本人の名前を検索してもお見かけすることもありません。

1審の弁護人が非常に尽力されており、2審で結論を覆すような特段の反証を見出すことは難しい事案だったとの記憶でしたが、長文の控訴趣旨書で1審判決への批判はそれなりに尽くしたつもりです。高裁判決はそれらに逐一反論した内容となっているものの、一読して、あまり当を得てないと感じる箇所も若干ありました。

その事件の証拠関係から裁判所の結論は(当否はさておき)当時の実務では一般的なものだろうとは思いますが、それでも、その事件でまだ何かできたこと、すべきことがあったのだろうかと、今も考えてしまう面はあります。

そういえば、その事件も、被告人が知人とトラブルを起こしたことが事件の発端となっており、何らかの意味で「知人への甘え」が関係していたような気もします。

そうしたことも含めて、今後も我が身を省みて襟を正していければと思います。

これも田舎の町弁の生きる道

某大企業さんから有り難くお引き受けしている仕事が佳境に入り、土日も雪だるま状態の作業に延々と追われています。

ただ、「本来は争点Aだけ審理すれば足りるのが当社の方針です。それに規定ではこれしか払えません」という依頼主(組織)のせいか、「争点BCDEF(以下略)も審理せよ」と余計な?仕事を増やしたがる相手方のせいか、「BCDなども審理判断する(ので、負けたくなければ必要な主張立証をせよ)」と宣う裁判所のせいかはさておき、結果として、限られた費用で膨大な作業に追われ、負荷ばかりが増大しているような千本ノック的被害感情は否めません。

まあ、社会的意義などに照らし非常にやり甲斐のある事件なので、いつかはいいことがあるさと信じて?低賃金労働(時給計算)にもめげずに頑張ることにしています。

そういえば、その大企業の社長さん(直にお会いしたことはありません)が、昨年に、イクボス宣言なるものをなさったとの報道に接した記憶があります。

この言葉は「部下に無理な労働をさせず自身も私生活を充実させている上司」との意味だそうですが、何度聞いても音の響きが好きになれず、カタカナ嫌いということもあって、兼業主夫婦等支援責任者とでも言えばいいのにと下らないことばかり考えてしまいます。

それはさておき、高邁な理念も、兼業主夫労働にあくせく従事しつつ深夜に事務所に戻って大企業の受注業務にも勤しむ零細事業者のことまでは考慮の対象に含まれていないのかもしれません。そんなわけで、事務所で深夜に独り、あかちょうちん気分で一句。

下請の悲哀はイクボス知らん顔

戯言はさておき、当方に限らず、地方の町弁業界の景気は残念な状態が続き、限られた報酬で山のような作業を余儀なくされる依頼ばかりが増えているのが実情ではないかと思います。

収入面で試練の真っ只中にある業界に身を置きながら土日も深夜に事務所で作業をしていると、イクボス、何とかミクスの賃上げ、ワークライフバランス、プレ金などという言葉は、いずれも大企業(大組織)の人達のためだけのもの、そのしわ寄せを下請労働者が低賃金の長時間労働で担っているのが実情だ、などというニュースのコメントを身につまされるような思いで眺めることもありますが、腐らずに今夜も頑張ろうと思います。

最後の福祉弁護人とドタバタ劇

先日受任した被疑者国選事件が、自宅に障害のあるお子さん(成人)が一人残されているとか、猫がいるものの面倒を見る人がいないとか、本題(被疑事実)とは関係のないところで色々と問題があり、保健所・医療施設・動物愛護団体など様々な関係先の方々と延々と電話でやりとりする等の作業に追われました。

幸い、猫やお子さんの保護に関する実働は関係機関に担っていただき、猫も残念な展開にならずに済んでおり、「猫の餌をやってきてくれ」などという国選の著名ジョークのような有様には至っていませんが、先日は迷路のような道路の先にあるご本人の自宅を訪ねて内部の残念な状況を五感で思い知るという出来事もありました。

最近は、後見絡みの受任が増えているほか、ご家族の障害などの問題を抱えた高齢の方からの財産管理などに関するご依頼(地域包括支援センターを介したもの)もあり、次第に「最後の福祉弁護人」といった感じになってきています。

10年以上前は、ヤミ金などの従事者と不毛な怒鳴り合いに勤しむ「最後のクレサラ弁護人」だったこともありますが、時代の流れを感じざるを得ません。

で、保健所のAさんや医療施設のBさんとのやりとりの一コマから。

A:お子さんが所持金がなく困っている。解決のため、被疑者に○○を聞いて貰えないか。
私:昨日も接見に行ったばかりなので、何とか他の方法で対応できませんかね・・
B:無理です。これがどうにかならないと、お子さんが食べていけません。
私:仕方ないですね・・今夜も行きますよ。

~で、接見して○○を聞いてきた次の日~

A:何とかなりました。○○の点が分からなくとも、大丈夫でした!
私:そうですか。昨日のうちに仰っていただきたかったですが、良かったですね・・
(こうした話の連続で急ぎの重い仕事が延々遅れており、内心ピギャー)

で、心の余裕がなくなるとロクなことが起きないというか、11時の法廷を勘違いして10時半に裁判所に行き、到着後に愕然としながら無為に30分を過ごす羽目になりましたとさ・・

どんとはれ。

ともあれ、この件では、当事者(特にお子さん)が悩ましい問題を抱えた状態が今も続いており、現在、関係者に検討・準備いただいているものを含め、様々な福祉的支援が必要であることは間違いありません。

現在生じている幾つかの看過すべきでない問題を解消するには一定の経費を要しますが、この件では特殊な手法を用いれば一定の費用回収ができることも間違いないと思われるものの、現在の法制度では簡単にできることではないことも確かです。

この場では具体的に書けなくてすいませんが、そうした問題について担保的な手法により最後に回収する目処を付けた上で、行政などが介入し問題の除去を図るという仕組みがあってもよいのではと残念に感じています。

天峰山と「知られざる北上高地」

前回の「岩泉での法律相談」の続きですが、岩泉から事務所に戻る途中、岩手山の好展望地として名高い天峰山に立ち寄りました。

恥ずかしながら、修習生時代(平成10年頃)は天峰山の存在自体を知らず、5年ほど前にようやくその存在を知ったものの、岩泉方面に赴く機会自体がほとんどなくなってしまい、今回が初訪問になります。

この日は絶好の晴天日で、真正面の岩手山はもちろん北の八幡平・安比方面から南の南昌山・焼石方面、また、奥(岩手山の西)にある秋田駒ヶ岳・乳頭山なども含めて非常に良好な展望を望むことができました。

IMG_0568

ただ、展望場所の東側は樹林帯となっており、北上高地の風景を望むことはできませんでした。途中の道路からは、展望地のすぐ東にある玉山牧場の広々とした牧場風景が広がり、遠くには早池峰山をはじめ北上高地の山々を目にすることができる場所もあっただけに、少し残念に思いました。

北上高地の特色として、「重畳たる山並みの頂上部分が草原(牧場)になっている光景(が幾つか点在していること)」が挙げられ、南部(106号線以南。遠野周辺など)には寺沢高原・荒川高原・種山が原など、そうした山上の大草原が数多く見られるのですが、北部はあまり多くはなく、観光客が気軽に立ち寄れる場所はくずまき高原牧場、袖山高原、高森高原くらいしか思いつかないのが実情だと思います。

それだけに、国道に面しておりアクセスに強い優位性のある玉山牧場について、観光客(一般人)が気軽に立ち寄って展望を享受できる=山上草原の美しさを感じることができる措置を講じるのが望ましいというべきで、例えば、東側を望む木製の展望塔などを整備しても良いのでは?と思いました。

展望塔に相応の高さを確保すれば、外山ダム湖岩洞湖、北の姫神山なども含めた360度の大展望が得られるのではと感じるだけに、関係者には検討していただきたいところです。

また、既存の展望場所(小さな広場)も、自動車が出入りする際に砂埃が立ちやすいのだそうで、コンクリート舗装するかはさておき、もう少し整備してもよいのではと思いました。

残念ながら事務所に速やかに戻る必要上、直ちに国道(455号線)に戻りましたが、国道沿いには天峰山の入口であることを示す表示などは一切なく、この場所は今も知る人ぞ知るの場所になっています(ですので、冒頭のとおり何年間も知らず、知った後も、どこが入口なのだろうと分からない状態が続いていました)。

それはそれで味わいがあるというべきかもしれませんが、これだけの展望地ですので、その良さを社会に伝える姿勢があっても良いのではと感じます。

玉山牧場は、ネットで調べたところ、くずまき高原牧場(の運営企業である、葛巻町が母体となっている公社)が管理しているのだそうで、それだけに、盛岡市がやる気を見せないのなら、葛巻町側が「北上高地北部の良さを世間にもっと伝えたい」という心意気を発揮していただきたいものです。

余談ながら、時間さえあれば、往路を戻るのではなく大川地区から櫃取湿原に向かいたいとも思っていました。櫃取湿原も修習生時代から行きたい、行きたいと思いながらも未だに足を踏み入れることができておらず(入口だけは2回ほど行っているのですが)、いつになることやらです。

龍が棲む町の宿命と「相続放置」に関する過疎地の現実

先日、岩泉町の社会福祉協議会が実施する法律相談事業に弁護士会から派遣されて担当してきました。

平成28年8月の「異常な進路を辿った挙げ句に岩手県の一部と北海道の十勝地方を襲った台風10号」によって岩泉町は甚大な被害を受けましたが、私自身は数年ほど岩泉方面に行く機会がなく、台風以来はじめての訪問となりました。

10時から12時まで3件のご相談があり、テーマは賃貸借や成年後見など様々でしたが、いずれの事案も相続が絡んでいる一方、相談者の方も高齢のため、ご自身での対処が難しいと見られるものもありました。

高齢者から込み入った事案の相談を受けた場合、残念ながら、様々な論点や幾つかの作業を必要とする旨を繰り返し説明しても、聞き手=相談者が高齢のため自身で作業をこなせないことはもちろん、当方の説明を理解できているかすら心許ないのが通例で、お一人で相談せず、ご家族や支援者と一緒にいらして下さいと説明するほかありません。

医療であれば、(例外があるにせよ)ご自身が当を得た説明ができなくとも、目視であれ諸検査であれ身体を診て病気を確認し、それに対し手術や投薬などの対処ができる=ご本人はそれを受け入れていればよいということが多い(と思われる)のに対し、弁護士への相談事項は、より高度で内実のあるコミュニケーションが構築できないと話を進めることができないものが通例です。

相談の対象が「問題の解決」という性質上、「依頼するか、説明された内容をもとに自分で対処するか」の選択から始まり(もちろん、相談内容や当事者の置かれた状況によりどちらが相応しいかは異なります)、受任業務の多くも、僅かな例外(過払裁判の一部など)を除き、弁護士と依頼者が様々な作業や意思疎通を重ねなければ解決できない事案が少なくありません。

とりわけ初動段階では、弁護士が「これこれの準備をして下さい(それを済ませていただけないと私=法律家が従事する前提を欠きます)」と幾つかの作業をお願いせざるを得ないことが多くあります。

主に、事実関係の説明やご自身の手持ち資料の整理、関係者の内部協議などになりますが、そうしたものについて高齢者の方がお一人で対処することは困難ですので、込み入った事案では、ご家族や相当な支援者のご協力が得られないと、先に進めるのが難しいと言わざるを得ません。

率直なところ、岩手に戻って十数年、高齢の方がお一人で込み入ったご相談を持ち込んできて、そうした残念なやりとりを余儀なくされることが非常に多いというのが実情です。

で、今回のご相談では、例えば、「不動産の貸主が借主の賃料不払等を理由に不動産の明渡を求めたいが、借主は既に亡くなっており、借主側の相続関係も不明である」といったものがあり、その場合には、前提として契約関係の明確化(内容確認)や所有関係など(不動産登記事項証明書)を行いつつ、本題というべき借主側の相続人調査などを行わなければならず、それらの一つ一つをとっても、様々な事務作業が必要となります。

土地の賃貸借であれば、そうした前提をクリアできた上で、最後に建物撤去という悩ましい問題があり、事案に応じたリスクやコストに関し依頼者との間で見通しや覚悟などの共通認識を得た上でなければ、弁護士としては軽々に依頼を受けられない面があります。

残念ながら「借主たる80代くらいの高齢者ご本人」お一人のみでは、そうした面倒な話に対処いただくことは困難で、一通り説明しても「何となくわかったけど、自分一人では何もできない、しない、それでおしまい」という、茶飲み話レベルの展開にしかならず、互いの時間の無駄と言わざるを得ません。

その件でも、同種の説明をして、町内で同様の企画(無料相談会)があれば、お子さんなどに同行していただくか、私への相談を希望されるなら、ご一緒に盛岡にいらして下さいと伝えるのが精一杯でしたが、お子さんは遠方に勤務しているので同行は難しいなどと言われてしまうと、私も何と言葉をかけてよいのやらという感じになってしまいます。

最近は、この種の「本題(賃貸借など)に加えて、前提として相続が絡み、かなり面倒な作業が必要になる可能性が高い(ので、誰もが嫌がって放置し先送りされ、次の世代が結局は迷惑する可能性が高い)事案」が非常に増えているとの印象は否めません。

そのため、建物登記の義務化(放置への不利益処分)、相続時に一定の期間内に遺産分割などがなされなければ暫定的に法定相続分登記の義務づけ(又は職権での実施)、それらの履行が困難な方のための支援などが必要だと感じています。

現状では、相続物件に絡んで利害関係のある第三者に面倒な負担が強いられる一方、その解決に対処した者に報いる面が薄く、放置した場合のペナルティもほとんどないため、とりわけ高齢者が権利義務の主体となっている事案では、先送りばかりが常態化しており、何らかの制度的な手当が急務だと思います。

そうした意味では、今回の相談は社会福祉協議会を通じて行われたものでしたから、相談者が拒否するのでない限り、担当職員が立ち会うなどして、今後の動線を支援する取組をすべきでは(それが、職員自身の今後のためでもあるのでは)と思わざるを得ませんでした。

*********

相談会が終わった後、帰路につく前に、大川地区の名所である「大川七滝」を見ていくことにしました。

大川七滝は、大川が階段状に傾斜している場所であり、メジャーな知名度はありませんが、それなりに見応えがあり周辺の雰囲気も良いので、一度は訪れる価値のある場所と言ってよいでしょう。

私自身は、4~5年ほど前に龍泉洞を訪れた帰りに大川七滝に立ち寄り、さらに奥の山深い道を進んで「北上高地の秘境」と言われる櫃取湿原の入口を通過して(日没のため湿原には行けませんでした)、区界高原から盛岡に戻るという休日を過ごしたことがあり、今回も七滝だけでもチラ見していこうと思い、会場となった複合福祉施設を北進しました。

すると、なんということでしょう。

ちょうど七滝のすぐ手前で道路が台風禍の土砂崩れでズタズタに寸断され、現在も復旧未了のままになっていたのです。

DSC05651   DSC05652

そこで、仕方なく少し戻って小さな橋を渡り迂回路を進み、どうにか七滝自体には辿り着くことができました。

私が今回に通った道路で寸断されていたのはこの場所だけでしたが、周辺の細い道にも寸断されたままの状態になっている箇所が多くみられ、1年近くを経た今も台風禍の復旧は十分でないこと、また、川から10m以上の橋に瓦礫が散乱している光景から、当日の岩泉町内にどれほど激しい濁流が押し寄せたのかということが、多少なりとも感じる面はありました。

とりわけ、七滝の手前の道が寸断されたというのは、蛇行する川や七滝の姿が竜の化身のようなものだと考えると、「特別な場所に気軽に来ることができると思うな」と天に告げられているような印象も受けました。

そんなわけで台風禍に翻弄される「龍のまち」岩泉を思って一首。

大川におおかぜ来たりて龍となり 人の非力を現代(いま)に知らしむ

DSC05655   DSC05656

岩泉の台風禍は、小本川沿いの福祉施設の被害があったとはいえ震災に比べれば人的被害が多くなかったせいか、人々の記憶から風化しつつある面は否めないのかもしれませんが、それだけに、土木工事だけでなく上記のような住民が必要としている人的サポートの拡充も含め、過疎地の復興へのご尽力を願ってやみません。