北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

07月

尋問で決めゼリフを言いたがる華々しい?弁護士と、それが似合わない地味な奴

相手方関係者に攻撃的な態度で接するのを好む弁護士の中には、反対尋問の最後に、詰問調で責め立てるような質問を一気呵成に畳みかけるように行った上で、「証人は、こんなロクでもないことを言ってましたということで、尋問を終わります」などと、わざわざ決めゼリフを述べて締め括る人がたまにいます。

そうした尋問を格好良いと思うか何酔ってんだコイツと思うかは、好みの問題や聞き手の立場もさることながら尋問の巧拙・奏功次第であることは申すまでもなく、巧妙な尋問によって決めゼリフを言われてもやむを得ないほど証人が粉砕されてしまえば何も言えませんし、そうでなければ滑稽なものでしかありません。

先日の裁判で関係者の尋問があり、相手方代理人の一人である新人弁護士が当方の担当者への反対尋問でそうした挙に及んでいたのですが、弾劾が奏功したわけでもないのに無理にそうした「証人を誹謗する決めゼリフ」を述べていました。

さすがに裁判所も苦言を呈しましたが、私も、その御仁の尋問態度の悪さに対する腹立たしさもあり思わず大声で「そんなことは言ってない!」と叫んでしまい、かえって裁判長から「静粛に」と窘められてしまいました。

我ながら他人の稚拙な尋問は軽くあしらう老獪な姿勢が求めらるとは思っているのですが、人間的成熟なるものは遠い彼方のようで、「反省だけなら・・」の類の汗顔の至りです。

見苦しい決めゼリフではなくとも、相手方関係者に対する糾弾ありきの態度が強すぎて、単なる信用性の弾劾に止まらず、証人の証言を過度に歪めようとしたり、人としての尊厳を蹂躙しようとするような姿勢が垣間見える弁護士はそれなりにいますが、そのような方の中には別な場で「憲法擁護!」などと叫ぶ人もいたりしますので(もちろん、その種の方だけのことではありませんが)、色々な意味で残念な感想を抱かざるを得ません。

私は良くも悪くも朴訥な仕事しかできない地味系の町弁ですので、反対尋問では、相手方の主張に関する具体的な矛盾点や問題点の指摘に止めて、相手を誹謗したり当事者間の感情的対立を煽ることは極力差し控えるよう心がけており、それが、遠回りでも本当に憲法の本質=人間の個人としての尊厳を踏まえた紛争解決のあり方ではないかと信じて、徒に言葉を弄ぶことなく努力を続けたいと思っています。

まあ、単に私がパフォーマンスが不得手だということに尽きるのかもしれませんが・・

多浪が田老に集うとき、そして二つの「たろう」の誇りと救い

大阪大学や東京大学に「多浪の会」なるサークルが結成され、「多浪」の方々の単なる交流だけでなく、全国の同じ境遇の方を支援する情報提供などにも取り組みたいなどと述べられた記事が掲載されていました。
https://www.j-cast.com/2017/07/28304395.html?p=all

折角なので、岩手県宮古市(田老地区)は、「多浪の聖地(或いは故郷)」を標榜し、この方々の全国大会などを行って欲しいとの誘致活動をなさるべきではないかと思います。

参加者の方々には、震災時に巨大津波に飲み込まれてしまった「防潮堤の長城」に全員で並び、多浪を乗り越える力強い人生の誓いを叫んでいただくと共に、たろう観光ホテルの最上階で「あの映像」を見て「どんな高い人生の津波にも打ち砕かれない多浪の誇り」を新たにしていただくのも良いのではないかと思います。

また、当然のことながら、東大や阪大など優秀な方々の集団であることは間違いないのですから、地元側は田老地区のまちづくりや活性化、全国や世界とのつながりの支援なども含む長期的な関係形成を彼らにお願いすべきではと思います。

それこそ「多浪」が「田老」を助ける中で双方の誇りが取り戻されるという点で、「救いに至る道」とも言えるのかもしれません。

特定のイベントを揶揄したいわけではありませんが、震災から何年も経て、政治家やマスコミなどの「形だけ・かけ声だおれの復興エール」ばかりが目に付く一方で、現実に沿岸被災地と全国・世界の様々な方々が共同した取組をしているなどという報道などに接する機会が減っているだけに、こうした「多少のユニークさも含めて、多くの人々の関心を引きつけ、現地に行きたいと思えるイベント(風化対策)」が求められているのではなどと思わないこともありません。

ちなみに、私は司法試験では2浪していますが、多くの先輩方に「そんなのひよっ子だ」と笑われてしまいそうです。

預金の相続に関する最高裁平成28年12月19日判決と残された課題としての「親族間の断絶事案における費用負担の公平性の確保」

久しぶりに本業に関することで若干ながら投稿します。

預金の相続については、「預金は当然分割=相続人全員が同意しなくとも単独で自身の法定相続分に相当する額の払戻請求が可能」とした平成16年の最高裁判決により、近年では、銀行への払戻請求を求める方から依頼を受けることが何度かありました。

それらは、再婚のため前妻さんの子とは断絶状態にあるとか、配偶者やお子さんがおらず、きょうだい筋に相続権が生じたものの、多数の相続人がおり、音信不通になっている人もいるなどの事情で、かつ、相続財産も預金しかないので、ご自身(又は多数派を形成している相続人グループ)だけで相続手続を行いたい(ご自身の法定相続分にあたる預金の払戻のみを受けたい)といったケースであり、世間には、それなりに多く存在するものと思われます。

これまでは、銀行側に事情を説明し当方依頼者(相続人)の法定相続分相当額のみの払戻を受けることができたのですが、従前の判断を変更して預金は死亡時点では相続人全員の共有状態だとした今回(H28.12.19)の最高裁判決で、今後はそのような形をとることができず、不動産などと同様に、他の相続人との間で遺産分割の手続を行うのでなければ払戻を受けることができないことになりました。

この点は、日弁連の機関誌「自由と正義」の7月号でも特集が組まれており、行方不明の相続人がいれば不在者管理人の選任や失踪宣告の手続などをするほかないという趣旨のことが述べられています。

ただ、当然のことながら必要となる手続の負担が増えるほど、依頼する弁護士や「不在者管理人」の選任などに要する費用が嵩みますので、ややこしい論点や必要な作業が多い割に預金額がさほどではない事案などは、相続が捨て置かれ「休眠預金」化する事態が多く生じるかもしれません。

この点は、換価価値が乏しい(或いは換価困難な)不動産の相続などでも生じている現象ですが、自由と正義の特集も含め、費用対効果の問題について正面から触れている論考を見たことがなく、その点は残念に感じます。

とりわけ、相続の場面では、被相続人と交流のあった相続人A(のグループ)が様々な後始末に追われることが多く、Aが相続の解決の一環として費用を負担して弁護士に依頼する一方で、被相続人と交流がなく、相続権を有していたがゆえに財産を手にするに過ぎない他の相続人Bは、手間も費用も負担せず面倒な作業はA側(代理人を含め)に行って貰い法定相続分に相当する財産だけは手にするといった事態が生じることも珍しいことではありません。

以前に、そのようなケースで「被相続人の甥の一人」であるAさんの依頼で多数の相続人に通知して被相続人の預金の払戻の手続を行った際は、Aさん自身の法定相続権が僅かであり、全員が法定相続分に応じた利益(預金取得)を得ることから、私の費用はタイムチャージとし、回収した預金の全体から控除させていただく=関係相続人が相続分に応じて負担することで了解いただきたいと通知し、全員からご了解をいただいて対処したことがあります。

上記のように弁護士が関係相続人全員の利益のため活動するようなケースは珍しいことではないはずですから、そうしたケースでは代理人費用を共益的な費用として関係相続人が応分に負担することが広く認められてよいのではと思われます。

同様に、相続人の行方不明により不在者管理人の選任を要した場合なども、その経費は、相続人全員の共益費として相続財産(預金)から控除する制度が設けられるべきではと思われます。

相続に限らず、我が国の法制度では「問題解決のため率先して努力した人に負担が集中し、フリーライダーが得をする不公平な光景」が時折みられますので、そうしたものの是正や公平・適正な費用負担や負担軽減のあり方などについて関係者の議論を期待したいものです。

そうしたリスクの高い事案では、遺言書によって相続人の負担軽減を図るべきということになるのでしょうし、だからこそ、ご自身の相続に関する潜在的なリスクや事務作業などについて被相続人が生前に把握し対処の必要性を理解する機会が設けられるべきではないかと思われます。

それこそ、医師の定期健康診断のように、一定の年数に達した方のうち相続がややこしいなど一定の事情のある方には、弁護士等への相談を励行するような仕組み・慣行などを考えていただきたいものです。

「今の政局は鎌倉末期だ」と仰る学者さんの1年半前に同じ呟きをした男と「憲法改正と共に自民党政権が崩壊する日」

法律業界の「Web上№1有名人」というべき岡口基一裁判官のFBフィードで、さきほど今年の7月6日付で歴史学者の方が、先般の都議選の結果を受けて「自民大敗の光景は、鎌倉末期の有様のようだ」と論じた記事が紹介されているを拝見しました。

私は、安倍政権が世間の強い支持を受けていた昨年2月の時点でこれと似たようなブログ記事を書いており、紹介するならこちらも取り上げていただければ・・などと、しみったれたことを少しだけ思いました。

ちなみに、その記事では「専制型の政権運営は既得権の剥奪には役立つことは確かで、そうした事情が現在の「総理・総裁の権限強化」を支えているのでしょうが、一部の者への優遇が鮮明になるなど不公平感が目立つようなら、鎌倉幕府の滅亡がまさにそのようなものであったように、専制が崩壊して一気に混乱に陥るリスクも内包していると思います。」などということも書いていました。

その時点では、加計学園どころか森友学園も全く報道されていなかったようですので(少し調べたところ、H28.6の新聞記事が発端らしいです)、別に予言者を気取るつもりはありませんが(一般論を書いているに過ぎませんし、現在までに生じた事態や世間に判明した事実も単なる「疑惑」やそれに起因する政争云々に止まると言うべきだと思いますし)、読み返すと、しみじみと感じるところはあります。

個人的には、ネット記事に表示された学者さんのコメントよりも私の記事の方が、今後の政治システムのあり方について少しばかり踏み込んだ検討をしているのではなどと自画自賛したい気持ちも無いわけではありませんが、それはさておき、こうした政治状況を踏まえ、改めて、何かの参考にしていただければ幸いです。

その記事では、自民党(幕府)の失策で基本的な支持層(御家人)に深刻な被害や惨状が生じて大量離反を招くような事情はまだ見受けられない、と書いており、1年半を経た現在も、その点は概ね同じ認識ですが、敢えて言えば、介護や育児などの分野に関しては過酷な生活を余儀なくされる人々が当時よりもさらに増えているのではと思われます。

そうした方々には、自民党の支持基盤にあたる穏健保守層(無党派層も含め)も相当にいるでしょうから、個人への過度の負担に伴う「家庭や親族関係の崩壊」が進み、それが、自民党政権が自助(個々の家庭・親族内での解決)を偏重し公助や共助を軽視(未整備)したからだと見なされるような事態でも生じれば、御家人の離反に類する事態もありうるかもしれません。

少なくとも、弁護士業界のように?既存の制度や成功の方程式に限界を感じ、自分を取り巻く状況の将来に不安感を抱いた結果、新たな模索に乗り出す人にチャンスを与えたいという程度なら、非常に多くの方が感じていることは間違いないと思います(そうした方々が、都議選の小池氏躍進の原動力になったのでしょう)。

ただ、記事で書いた「新たな勢力・体制」が現時点で誰かと言われれば、出現したと言えるのかも含め、まだ見えてきません。重要な検討課題として載せた「選挙・議会・政治家」の抜本的改革を訴える人も、まだ現れていないと思います。

現在の安倍政権の人気低下で、これまで「反安倍」を標榜していた方々が勢いづいているようですが、石破氏を筆頭に「首相候補として追い風を感じている御仁」が誰もいないと感じる現状では、相応の権力基盤を形成している安倍首相の時代はまだもう少し続きそうに感じますし、仮に安倍首相が早期退陣したとしても、自民党政権自体は当面は続く(とって代わるだけの政治勢力がない)ことは確かだろうと思います。

そのような点に限らず、記事で書いた「自民党は、戦後に日本が直面した政治体制に最も適合した政治勢力ではないか(だから適者生存で繁栄したのだ)」という観点からすれば、自民党政治を本気で打ち破りたいのなら、政治体制(統治機構ひいてはそれを取り巻く国際環境)そのものを変化させる必要があるのではないか、そのためには、第一歩として統治機構の変革を憲法改正により行うこと(それに対する大衆の広範な支持)こそが、自民党政権を終焉させる手段なのではないかと思います。

だからこそ、現在及び近未来の社会状況に適合する、最大多数の最大幸福を実現できる新しい選挙・議会・政治家の姿を構想し訴えて国民の支持を得られるかが、「新しい政権与党(になり得る勢力)」にとって基本的かつ最初のハードルではなるはずです。

これは、鎌倉末期になぞらえると後醍醐天皇の役回りと言えるでしょうし、だとすれば、そうした方には何度も弾圧(既存の左右など様々な有力者の攻撃)を受けながら立ち上がり続ける執念やしぶとさ、強運などが必要になるのだと思います。

そして、それが、各地の「自民などの既存勢力と局地戦を展開する地元民の支持を得た地域政党など(悪党こと楠木正成たち)」の支援を得て力を蓄え、最終的に「自民党の非主流派の有力者」がそれに賛同して大挙して寝返ったとき、体制転覆が現実のものとなるのではないかと思います。

皮肉めいた言い方をすれば、戦後体制(日本国憲法の統治システム)によってこそ繁栄した自民党こそが、口先では憲法改正を唱えつつ本当はそのようなことは考えず改憲論を一種のガス抜きとして利用し、戦後体制により生じた既得権の保護や調整を本質とする「真の護憲政党」というべきで、だからこそ、「護憲派」を標榜する方々(野党)は、自民党の補完勢力と言われてもやむを得ない面があるのだと思います。

だからこそ「自民党にとって(さらには今の野党群にとっても)都合の悪い憲法改正(選挙や議会、行政などのシステムの変革)」を打ち立てる知恵と熱意があるかどうかこそが、本質的な意味で野党(体制変革の担い手)と言えるかどうかのリトマス紙だと思いますし、自民党政権は、そうした憲法改正が行われるときにこそ、本当に崩壊・終焉するのだろうと思います。

個人的には、そうした勢力の萌芽がそう遠くないうちに生じるのではと感じており、そのような意味で、新しい時代の入口に近いところに来たと期待したいですし、無党派層をはじめ流動的な投票動向のある一般国民の多くが潜在的にその展開を求めているのではないかと思っています。

ただ、そうした展開に至らず徒に既存の政治が不信感を高めて政治の混乱が続いてしまうと、鎌倉末期から建武の新政や室町幕府を経ずに、いきなり応仁の乱になってしまうのではと危惧しないこともありません。

昨年、中公新書の「応仁の乱」が好評を博したの、そうした可能性を少なからぬ国民が危惧していることの現れなのかもしれず、今さらながら、同書を買って読みたくなりました。

このおうちの変と北奥のボソっと道

本ブログを何度もご覧いただいている方はご存知かと思いますが、私は時折、短歌(狂歌?)や川柳(俳句?)の真似事をするのが現在のささやかな楽しみになっており、奥のほそ道に倣って多少の文章を書いた上で一句(一首)を載せるのを常としています。

といっても、学校の国語の時間以外に短歌や俳句などを勉強したことはもちろんなく完全な自己流なので、その種の教養のある方にとっては見苦しい限りなのかもしれません。

ただ、短歌であれ川柳・俳句であれ、特別な技量や素養のある方々の世界を大切にしつつ、「防人の歌」のように一般大衆が素朴に感じたこと、考えたことを表現したり、そのことにより時代を何らかの形で映し出すような営みが盛んになって良いのではないかと思っており、そうした理由から、敢えて厚顔無恥ぶりを発揮して、今後も気に入ったものが出来上がれば、懲りずに投稿し続けたいと思っています。

今も昔も、功成り名遂げた立派な弁護士さんが回顧録などを出版なさる光景をよく目にしますので、いつの日かそうした方々に対抗?して「北奥のボソっと道」などと題し、ブログで掲載した短歌や川柳を文章を添えて出版してみたい・・などと妄念に囚われないこともありませんが、一笑に付されるだけというのが関の山でしょう。

というわけで、連歌?を気取るわけではありませんが、先日思いついたものを何点か。

家事はいま 私せんたく 妻はネコ 鈴の音で知る このおうちの変

カビ落つる クーラーの風せきとめて

網戸ふき 今年の手相も黒一色

教育の抗弁 こちらに勝ち目なし

今宵また家と事務所の天の川 共にソファで仰ぐ星空

余談ながら、5月に旅先で芸能人の方々が俳句の腕を競い合う「プレバト!!」なる番組を始めて知りましたが、夏井先生の添削シーンを拝見しながら、私はどうしても理屈がちで言葉がほとばしるような作品は作れないので、せいぜい凡人2位止まりだろうと痛感せざるを得ませんでした。

仙台地裁の資料室と無慈悲なアナウンス

先日、当方が1審で勝訴した裁判で相手方が控訴したため仙台高裁で第1回期日があり、出張してきました。

東京時代は、銀座の事務所に勤務しており控訴審=東京高裁への出頭も頻繁にしていましたが、岩手では仙台の往復交通費などが馬鹿にならないこともあり、依頼主に判決等の強い希望がなければ、なるべく1審で決着させたいと考えて進めることも少なくなく、仙台に仕事で赴く頻度はせいぜい半年に1回くらいという感じです。

ともあれ、7月はバーゲンの季節でもありますので、学生時代からバーゲン巡り(買えるかどうかは別問題)をささやかな楽しみにしている身としては、閉廷後、重い事件記録を抱えながら中心部のデパートなどをウロウロ巡った後、ハイライトというべき仙台三越にやってきました。

が、割引品が少なく、どうも様子がおかしい、最近は6月末からバーゲンが始まるそうなので、もう売り切ってしまったのか?と思ったところ、予想外の無慈悲なアナウンスが響き渡りました。

「あたしミツコー。 明日から、みんなお待ちかねの三越クリアランスバーゲンだよー」

そんなわけで、毎度の一句。

炎天下さまよい晩菊ひとつ買う

ちなみに、私の実家では父がたまに晩菊を土産に買ってきたので子供の頃はよく食べていたのですが、私の知る限り盛岡では晩菊が手に入らず、仙台出張の際に駅前など幾つかの商業施設の地下コーナーで時々買っていますが、私以外の家族は漬物を好まず、一人さみしく頂戴しています。

******

ところで、今回の仙台出張では、仙台地裁の資料室(図書室)を尋ねることも目的の一つでした。

これは、先日、盛岡地裁の資料室(図書室。岩手弁護士会の会員にも利用が認められています)で探しても見つからなかった本について、仙台地裁ならあるかもと思って尋ねてみたのですが、残念ながら、仙台地裁にも所蔵されていませんでした。

仙台地裁の資料室にお邪魔したのは初めてで、総務課に伺ったところ、基本的に仙台弁護士会の会員にのみ開放しているが、相応の理由があれば許可するということで、ご了解いただき立ち入りました。

さすがに盛岡地裁の資料室よりも蔵書量は多い(ざっと1.5~2倍くらい?)感じでしたが、新しい書籍の充実度はさほどでもないような印象もあり、盛岡のラインナップとも似ている感じもしました。

裁判所で購入する本を誰がどのように決めているかは存じませんが、折角なら、仙台では東北の他の地裁で購入しない本を優先的に揃えるといった営みがあってよいのではと思いました。

が、それ以前に、そもそも岩手弁護士会にそうした書籍を買って欲しいというのが痛切な願いですが、会運営に何の影響力もない末端木っ端会員には、望むべくもありません。

学童保育が地域で果たしうる役割

以前にも投稿したことがありますが、先日、私が運営に少しだけ関わっている盛岡市内の学童保育所の責任者の方の指示で、県内の多くの学童保育所が加入している「岩手県学童保育連絡協議会」の総会に参加し、当方施設の実情や県連協への要望などについて5分ほど簡単な報告をしてきました。

要望といっても、県連協の最大の課題とさている「学童支援に関する県内自治体間の格差」(北上や久慈などは相当の予算措置が講じられて立派な施設が作られている一方、児童センターを重視する盛岡が学童に冷淡だとされていることなど)をその場で述べても意味がありませんので、当方施設が昨年に経験した出来事(NPO法人化)に関する経過や意義のほか、私個人の経験を踏まえて学童保育一般に求めることなどを簡単に述べました。

率直なところ、その場で私に求められている内容が何なのか最後まで考えがまとまらず、しどろもどろで全く堂々としていない拙い報告でしたが、

マンション暮らしの住民をはじめ、現代の地域社会が互いの繋がりの乏しい関係になっている状況の中、子ども達が地域の良質な大人達から影響を受けて育つ機会が損なわれていること、

それゆえ、地域の子らの生活の場所の提供者たる学童保育所には本来的な役割だけでなく、地域の人々の結節点などという形で潜在的に大きな可能性、果たしうる役割があること、

だからこそ、その意義や価値を多くの方に伝達いただくと共に無理のない形で地域社会との良質な繋がりを深めていただきたいこと

などをお伝えしました。

とりわけ、現代の社会は、バラバラになった地域のコミュニティの再構築や地域住民に対する公的サービスの提供のあり方に関する再編成=「官から民へ(お役人や税金に依存しない住民の自律的・自治的な地域社会の再形成)が重要な課題になっていることは言うまでもありません。

私が関わっている学童保育所で、地域社会と有意義な関わりを持つ先進的な試みがなされているなどという事情を聞いているわけではありませんので、私の願望を述べたものに過ぎませんが、学童に限らず、そうした事柄への貢献も視野に入れた幅広い活動を様々な方に考えていただければと思っています。

東京に負けない地方制度の大改革と「方言政党んだんだ」結党を目指して

都民ファーストの会の躍進で「にわか地域政党ブーム」が再燃しそうな気もしますが、これまで「方言や訛りを用いた政党名」は聞いたことがないように思いますので、岩手など過疎県ではそうした蛮勇を振るう方がいてもよいのではないでしょうか。例えば、

①いわでがいづばんの会 ②岩手でいがったの会 ③地域政党んだんだ

なんてどうでしょう。

近年、方言や訛りの文化(ひいては言葉に宿る思想・哲学の多様性)の消滅の危機が叫ばれているだけに、敢えて地域独自の言語の意義や価値を地域のオリジナリティや誇りの象徴として標榜する運動があってもよいのではと思わないこともありません。

まあ、ネット上で「田舎の勘違い泡沫キラキラ政党」と揶揄されて終わってしまうのかもしれませんが・・

もとより、私自身は、零細事務所の維持と家族政党「あたしの都合が第一」の活動に精一杯というのが恥ずかしい現実です。

都知事選の際(1年前)、小池氏には東京から日本の閉塞的な政治文化をぶっ壊すという心意気で頑張っていただければという趣旨のことを、対抗馬たる増田氏へのエールと共に述べた投稿を載せたことがあります。

都議会に限らず、地方自治の統治機構制度が現状のままで良いのかと感じている方は少なくないでしょうから、首都圏に限らず地方でもそうした機運が盛り上がることを期待したいものです。

・・・とFBに書いて投稿したところ、大学時代の先輩から、事務所名を「岩手でいがった法律事務所」にしたらどうか、とコメントをいただきました。

が、職員に

そんたひょんたななばでんわぐぢでへんのやんたべじゃ、
んがおらさそだなほずねえごどやれつったってわがねんだ

と拒否されますので、謹んで遠慮させていただこうと思います。

余談ながら、最近の「ケンミンショー」では、上記のような「地域の方言コーナー」が登場していますが、こうした試みを通じ、地域の言葉を保全し、そこに潜む文化を考える潮流がより盛んになればと思っています。

岩手は東北の中でも「住みよさ」の劣る地域なのか?

東洋経済新報社が行っている全国の各自治体の「住みよさランキング」に関する記事が出ていましたが、北東北なかんずく岩手・盛岡の自治体の順位が南東北(ひいては全国)に比べて残念なものとなっているようです。
http://toyokeizai.net/articles/-/177362

あくまで同社の独自評価であり、同社が有意と考える特定の要素が重視されるなどのバイアスがあるのだと思いますし、素人感覚では東北でダントツ一位になって良いはずの仙台市が上位ランク内に入っておらず(前年(2016)のランキングも含め、かなりの下位のようです)、隣接する名取が1位になっているという奇妙さもあるなど、割り引いて考える必要がありそうな気はします。
http://toyokeizai.net/articles/-/123956

ともあれ、盛岡も長年住んでいれば、学童保育への公的支援が薄いとか(市が児童センターを優先し学童は敵視しているらしい?)、二戸(私の頃)と異なり中学校に給食制度(センター)がなく、仕事のある親(早朝労働)か子(がっかり弁当で、しかも付け合わせ禁止とのこと)のいずれかが泣く羽目になるとか、残念な話を聞くこともありますので、そのことも考慮されたのかもしれません。

よく見ると、北上に比べ、ほとんどの指標が上回っているのに「住居水準充実度」だけが突出して負けており、学童も「北上未満」の典型例らしいので、そうした事情が関係しているのかもしれません(住居水準充実度は、住居スペースや持ち家比率などを指すとのことで、福祉制度は関係ないのかもしれませんが)。

ただ、今のところ大型ダンプが行き交う階段ピラミッドの街という様相を呈している陸前高田が「快適度」全国19位になっているというのも違和感ありますが・・
http://toyokeizai.net/articles/-/177113?page=4

「富裕度」については、他地域に比べて残念な自治体ばかりの東北・北海道管内では健闘している数字ですが、それは県内の富を集める一部の方が市内におられるというだけの話で、この仕事をしていると残念な生活水準・状況の方も多数お見かけしますので、地域全体の住みよさにどれほど関係あるのやらという感じはあります。

私も震災以前にはワークライフバランスはさておき収入面だけは分不相応の額をいただいた恵まれた年がありましたが、今や遠い目で懐かしむほかありません。

数年前、盛岡市役所が「ブランド宣言」なるものをしたという話があり、最近はあまりそうした類の記事を見ることもありませんが(田舎の行政関係者の抽象的なナントカ宣言の類なら今も昔もありますが)、まずは、こうした統計も踏まえて他者と比較しつつ要改善のポイントを探る姿勢を示していただければと思います。

全データが掲載された書籍を拝見していませんが、ネット上の情報から察する限り、二戸など北岩手・東青森=旧糠部地域(私の出身エリア)が全く見当たらず残念に思う反面、ぜひ「おらほの町はAがなくともBがある。町になくとも俺にはある(今、これから生み出してみせる)」などと、各人が全国、世界に向けて独自の存在感を発揮していただければと思います。