北奥法律事務所

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08月

新宿のシン・ゴジラと「リアル脱出ゲーム~僕のまちの破産からの脱出~」

今年の夏休みは「群馬の保渡田古墳群と埼玉の忍城と吉見百穴に行きたい」との私の提案が無慈悲に却下され、家族の専断的決定により新宿で行われている「東京ミステリーサーカス」の「シン・ゴジラからの脱出」に行くことになりました。
https://mysterycircus.jp/shin-godzilla/

私は「脱出ゲーム」が取り上げられたTV番組は見たことがないためよく分かりませんが、要するに、特定のテーマを素材にして2~4人で一組となり会場内で主催者から様々な課題(謎解き)を与えられ、答えを出して最終問題の解答に辿り着けばゴール、という仕組み(ルール)になっているもののようです。

で、家族が「シン・ゴジラ」を観て過剰に気に入ったため、これをテーマとした脱出ゲームをやってみたいとのことで、私も同行を余儀なくされたものです。

「ネタバレ禁止」なので込み入ったことは書けませんが、要するに、参加者は「巨災対」の一員となってゴジラを停止させる方策を立案するための謎解きゲームを60分の制限時間の中で繰り返し(計6~7個)行うというもので、映画をご覧になった方であれば、概ね問題なく楽しむことができ、大人でも相応に難しいと感じるように思われます(私がその種のものが不得手なだけかもしれませんが)。

そして、進行役となるスタッフの方々は「局長」役の方をはじめ相応に話芸などの訓練をして臨んでおり、終盤のシナリオを含め最後まで飽きさせずに拝見できたように思います(値段も相応のようですが)。

ところで、「何人かが集まって紙を広げてああでもない、こうでもないなどと話をしながら何某かの成果物を作って伝達する」という作業は、JC在籍時に、いわゆる「ワークショップ」で何度か経験しています。

ただ、私が経験した「ワークショップ」なるものは、各人が好き勝手に発言した内容を付箋にペタペタ貼り担当者が何となく内容をまとめて発表して、主催者が「皆さん頑張りましたね~」などと予定調和的にお褒めの言葉を述べるものの、それを起点として社会が何か実際に変わるわけでもなく、私にとっては面白くもなく、あまり有意義とも思えない営みだったというのが正直なところでした。

ですので、どうせ「ごっこ」の類に過ぎないのなら「夢中になって取り組むことができ、最後まで飽きさせない創意工夫が散りばめられている」こちらの脱出ゲームの方が遥かにマシではないか(だからこそ、安くない料金を払ってでも満席盛況の日々となっているのではないか)、言い換えれば、巷に溢れる「ワークショップ」なるものも脱出ゲームを参考にして参加者に様々な共同作業をさせたり謎解きのような娯楽性を備えた手法を開発した方が、結果として参加者にテーマに対し関心をもって取り組む動機付けを持たせることができるのではないか、などと思ったりもしました。

というわけで、「リアル脱出ゲーム~僕のまちの破産からの脱出~」の企画案(導入部)を考えてみました。

それこそ、山崎亮氏や木下斉氏などが脱出ゲームのライターの方と組んで、参加者を熱狂させる「あっと驚く、問題解決のシナリオ案」を擁して、全国の人々に「まちの様々な問題に取り組むマインド」を伝道していただければと思っています。

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君が住むA県B市は、20年前に当時の市長が推進した大規模リゾート構想の失敗などで巨額の債務を抱え、破綻の危機に瀕している。

役所内に飛び交う噂では、今日にもデフォルト(支払不能)宣言をして市内で行われているライフラインの供給や各種行政機能が停止し、多くの市民や企業がこのまちの未来を諦め遠方の大都市に転居・移転することになるかもしれない。

そんな中、若い市長の呼びかけにより、優秀だが地元では有数のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児・・(以下略)の面々が秘密裏に集められた。

破綻必至の巨額累積債務対策本部。通称「巨債対」。

君達は、副市長から委嘱された特別チームとして、巨額負債の原因となった市内の様々な問題に解決し、行政、議会、経済そして人々の意識を改革する作業を通じて、市内の社会経済全体の機能停止と破綻を防げ。

制限時間は60分。間に合わなければ、この街は倒産する。」

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余談ながら、新宿では、牡蠣狂いでありながら数年ほど生牡蠣がご無沙汰になっていた同行家族の恫喝と強要により、いわゆるオイスターバーで食事をとりました。

すると、店内入口のガラスケースに「赤崎」などと書いてあったので、大船渡の赤崎かと思ってメニューを見ると、大槌産、米崎産、釜石産などと岩手のオンパレードになっていましたが、それ以上に、夏なのに岩手の牡蠣=真牡蠣が生で食べられる(そうした技術が創出されている)ことに大いに驚かされました。

メニューには岩牡蠣と真牡蠣が数個ずつ掲載され、岩牡蠣は九州などのもの、真牡蠣が岩手と宮城のものと表示されていましたが、真牡蠣も岩牡蠣に負けず十分に美味しくいただくことができたように思います。なお、店内で提供している日本酒も岩手のものでした。

ともあれ、久しぶりに贅沢な食事をしたせいか、お店を出る頃には、

牡蠣喰えばカネが無くなり放心し

というのが正直なところで、幸い当家は現在のところ「巨額債務で破綻必至」にならずに済んでいますが、収益力に見合わない出費が続くことのないよう、財政健全化に努めたいものです。

元祖「美人すぎる歌人」が名付けた美しき洞内滝と、鉄のまちの今昔

しばらく急ぎの起案が山積しブログの更新ができませんでしたが、少し一息ついたので久しぶりに掲載することにしました。

先日、上記と同じ理由で住田町の滝観洞などを見に行きました。滝観洞は19年前に釜石の峠道を越えて訪れたことがあるのですが、現在は釜石道(仙人峠道路)により遠野市街からあっという間にアクセスできました。

滝観洞は「天の岩戸の滝」という美しい洞内滝(日本には観光可能な洞内滝がほとんどなく、日本で最も見応えのある洞内滝と呼んで差し支えないと思います)を目的地(メインスポット)とする洞窟で、他に大きな見所はありませんが、滝までは相当な距離があり、往復で30分~1時間弱を要するものとなっています。

天の岩戸の滝は、戦前の著名な歌人であり明治末~大正期を代表する美人の一人とも称された、歌人・柳原白蓮により命名されたものだそうです。

近年では、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で平成を代表する美人女優の一人・仲間由紀恵氏が準主役として好演を博したと思いますが、その不遇の生い立ちや当時の時代状況に照らして数奇でドラマチックな人生を送ったことなどを踏まえると、白蓮は、どのような思いを込めてこの美しい洞内滝に名前を授けたのか、色々と考えさせられます。

白蓮は、命名にあたり「神代よりかくしおきけむ滝つ瀬の世にあらはるるときこそ来つれ」との歌を詠んだそうですが、或いは、身分の高い家柄の縁者として生まれた女性が様々なものに縛られていた時代に翻弄されつつも自分の気持ちに素直に生きようとした自身の姿を、戦後になって世に出でたこの滝に重ね合わせる面もあったのかもしれません。

というわけで、そんなことを思いつつ一首。

秘められし情が溢れて岩穿ち 人も驚く滝あらはるる

白蓮は啄木とは接点がなかったようですが、もし啄木が長命できれば、当時の人々がもっと自由に、自分の気持ちに沿って生きることができるための何らかの共闘が見られたのかもしれず、その点は少し残念に思いました。

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日本では、ここ以外で観光地化された洞内滝は、浜松市の竜ヶ岩洞(6年前に行きました)くらいではないかと思います。浜松の滝は割と簡単に行けたとの記憶ですが、こちらは、入口で貸与されたヘルメットを被り、ひたすら屈んで向かわなければなりません。そのため、肥満の方には、

滝観洞メタボの君は灰蓮洞

と言わざるを得ないように思われますので、ご注意ください。

滝観洞を拝見したあとは、釜石の鉄の歴史館に行きました。館内は製鉄そのものの歴史や社会での役割などを伝えるコーナーと、橋野から新日鐵住金に至る釜石の鉄の歴史を伝えるコーナーの2つから成り立っており、とりわけ橋野鉄鉱山が世界遺産(の構成資産)に指定されたことで、その点が重点的に取り上げられていました。

屋上からは釜石湾が臨めますが、その光景を遮るように釜石大観音が大きな姿を見せており、大観音がちょうど釜石湾の中央に鎮座していることがよく分かるものとなっています。

釜石大観音の建立は、大戦末期の釜石湾大砲撃(米戦艦群の艦砲射撃と戦闘機の無差別殺戮)で、700人以上の住民等が犠牲になったことへの慰霊という面もあると聞いたことがあるような気がします。

私のような世代は、TV等のせいか大観音が動き出して並み居る米艦群に向かって強力な熱光線を放つ光景を想像してしまいますが、それはさておき、観音像の背中を見ていると平和への祈りの姿を感じることができそうな気もします。

釜石湾 見守り祈る観音像 戦艦倒す砲は無くとも

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その後、釜石市に新たに開設された商業施設に赴いて、ちょうど開催されていた「釜石よいさ」をチラ見しつつ一休みした後、鵜住居地区を経由し橋野に向かいました。

休憩場所で頂戴したパンフレットに鵜住居の根浜海岸の美しい姿が掲載されており、今もこの姿が残っているのかと期待して現地に向かったのですが、やはりというか、残念ながら津波で美しい砂浜は消失していました。

ちょうどワールドカップの競技場が出来上がっていましたが道路などの整備が追いついておらず、迷路のような状態になっていました。

ともあれ、気を取り直して橋野高炉跡に向かったのですが、到着した頃には同行者は全員車内で就寝しており、すでに午後6時近くにもなっていたので、やむなく私一人で駐車場から現地に向かうことにしました。

現地は霧に覆われ、誰一人おらず、静寂な雰囲気に包まれていました。

日が暮れて遺跡も霧に眠るとき熊も狸も車中うたた寝

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その後、笛吹峠を越えて遠野市街を経由して盛岡に戻りましたが、峠の周辺は完全に霧に覆われており、少し前に見た「肘折峠」という不可思議な夢で描かれていた幽界につながる世界を彷彿とさせるものがありました。

ともあれ、皆さんも滝観洞(住田)や釜石エリアを訪れて様々な非日常を体験していただければと思います。