北奥法律事務所

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2019年

京アニ放火事件の被疑者の意識が戻らなかった場合(植物状態)の対処に関する法の不備?

先日の京都アニメーション社を巡る大惨事は、私も同社制作の某作品を拝見したこともあり、大変残念な思いを禁じ得ません。

この件では、犯人とされる人物が現在も重体とのことで「可能な状態になり次第逮捕」との報道もありますので、今後は回復等するのかもしれませんが、最初の報道の時点では、どうなるか分からないということでしたので、それを見たときは、仮に、この人物の意識が戻らず植物状態で生命のみが延命治療で保持できた場合、この御仁への処断はどのようになるのだろう?と思わざるを得ませんでした。

前提として、結果のあまりの重大さから、心神喪失認定などという展開でもない限り(裁判の際は被告人側は争点として提示するかもしれませんが、容易には認められないでしょう)、判決の結果は目に見えています。

しかし、意識不明のままでは公判(刑事裁判)を開くことはできませんので、意識が戻らない限り、延命治療を延々と(極論、数十年間も)という展開になる可能性もありますが、それでは被害者・遺族はもちろん国民一般の理解も得られないでしょう。

他方、不勉強で存じませんが、そのような場合に、いわば「死刑(絞首刑)の代替手段」として、この御仁について国が延命治療の中止を命じる(それによって死亡の結果を生じさせる)制度は現行法上、設けられていないのでは?と思われます。

さらに言えば、仮に今回を機に強制的な延命治療の中止の制度を設けたとして、この御仁にそれを適用できるかという論点(遡及処罰の可否)もあるのではと思われます。

第三者の身として、今、この御仁をどうして欲しいと言える立場ではありませんが、上記の点について適切な説明や解決のあり方などに見識をお持ちの方は、ご教示いただければ幸いです。

また、以前に「延命治療の中止と法律家の関与」に関してブログに載せたことがあったのを思い出したので、亡くなられた方々のご冥福などをお祈りしつつ、ご参考までに再掲します。

余談ながら、この事件の発生日(朝)の岩手日報に大釜保育園の49歳の園長さんが病気で急逝されたとの訃報広告が掲載されていたのを見つけ、この方はガンライザーに何度も出演していたオオガマックスの方なのだろうかと、そちらもご冥福を祈らずにはいられませんでした。

オレオレ宴会の受益者たちの責任の取り方とその先にある被害救済と予防の道

先月、吉本興業に所属する芸人の方々が、特殊詐欺(振込め詐欺・オレオレ詐欺)により違法に巨利を得ていた集団(反社会的勢力)の宴会に参加していた問題が発覚し、ご本人達が無期限謹慎に追い込まれるなど、今も社会問題として盛んに報道されています。

先日も、報酬を得た方々が、修正申告(による納税)を行うと共に、受益額を超える額について消費者被害の救済を行っている団体に寄付を行ったという趣旨の報道がなされていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190713-00000350-oric-ent

ただ、この事件を巡る報道によれば、芸人さん達の関わりが発覚する以前に詐欺集団(犯行グループ)の摘発がなされたとのことですので、犯人らにより現に詐欺被害に遭った方々も、全員とまでは言えないにせよ、相当の人数が特定できていると思われます。

ですので、原資がどこから来たのかという観点(被害者救済)からすれば、彼ら(芸人さん)達が得た利益を道義的見地などにより放出するというのであれば、その放出先は、当該事件の被害者への支給を目的とした基金に組み入れて、被害弁償(配当)の原資とするのが最も望ましいはずです。

この点、仮に、本件詐欺集団が摘発された際、連中が稼いでいた収益(犯罪収益)として相応の金額の差押ができていれば、その金額(現預金など)について摘発時の権利者(犯罪集団の関係者)の形式的な権利を剥奪し、警察等が被害者らに債権届を申し出るよう促した後、預金保険機構を通じて配当を実施するという制度(犯罪利用預金口座等に係る資金による被害回復分配の支払等に関する法律。通称・振り込め詐欺等救済法)に基づき、被害者らへの分配(配当原資の限度での被害回復)が可能になっています。

ですので、もし本件でその手続がなされているのであれば、芸人さん達は、その手続に基づく配当原資(基金的なもの)にこそ寄付して自身が受益した事件の被害者の救済こそ実現すべきだと思いますし、そうした形で被害回復に貢献するのであれば、延々と強い非難を向け続けるのも酷ではないか(関与への非難はさておき、けじめをつけたものとして所属企業=供給サイドからの活動再開を認めた上で、今後の出演や人気等の持続可能性はご本人の今後の活動の内容も踏まえたTV局その他の利用者サイドや社会の評価に委ねるべき)と思われます。

本件を巡る報道では、この点(犯行グループの摘発時に犯罪収益の凍結などがされ被害回復の手続が図られているのか等)についての報道がなく、そこは残念に感じています。

なお、私の知る限り、現行の被害回復分配金の制度は、摘発時に犯罪収益の確保(差押)ができた場合にのみ運用されているかもしれないのですが、本件のように、犯人から何らかの形で受益した者が、その利益を放棄し分配金の原資として提供することが認められて良いはずで、仮に、その点について制度の不備があるのであれば、早急に改めていただきたいところです。

また、この事件では被害者への分配金に用いるのが困難だという事情があるのなら、同種又は各種の犯罪被害について被害回復が困難な状況にある方を対象に一定の被害填補(給付)を行うことを目的とした基金を設けて、その基金に寄付し、最終的に本件又は同種事件の被害者の救済につなげるというのが、望ましいことだと思われます。

なお、そのような形で受領額(売上)をすべて放棄するのであれば、税務上も課税しないなどの措置が必要と言うべきでしょう。

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その上で、さらに「その先の話」として、以下のことも考えていただきたいところです。

今回は、社会内でも一定の影響力がある著名なお笑い芸人の方が、オレオレ宴会に参加し報酬を受け取るなどの事情を理由に、犯罪集団に便宜を図ったものとして強い非難を向けられ報酬も吐き出す(寄付する)ことを余儀なくされたわけですが、このように「違法に収益を得た経済犯罪の犯人が、違法収益を原資として、本来であれば利用できない経済的便益(商品購入、サービス利用)をするケース」は幾らでもあるわけで、今回の件にしても、犯行グループが宴会場として利用した会場(ホテル?)は会場費や飲食費などの収益を得ているはずです。

言い換えれば「犯罪者と何らかの商取引を行い、違法収益を原資として受益した」という点では、今回の芸人さん達だけが、他の取引先企業などと比べて特に異常なことをしたわけではありません。

敢えて違いがあるとすれば、今回の方々は頻繁にテレビ(公共電波)に出演するなどして一定の社会的影響力がある(それに先立ち犯罪などに無縁な存在として自身をプロデュースしてきた)という点になるのでしょうが、今回の件で彼らを非難する根拠を「犯罪者の違法収益から受益したこと」と捉えるのであれば、TV出演などしている有名人であるかどうかは本質的なことではないと言えます。

その点では、芸人さん達にこれだけバッシング報道が出るのであれば、本件で会場を提供したホテルにも抗議電話などが殺到してもおかしくないのではと思いますが、そのような報道を聞いたことがありません。

また、その会場(運営企業)が社会的に非難されて営業自粛を余儀なくされたとか、売上などを寄付したなどという話も聞きません(ネットで検索すると、会場だと名指しされる著名ホテルが出てきますが、そのホテルにそのような話が出ているなどという報道を聞きません)。

言うまでもなく、会場を提供したホテルも、社会的責任(CSR)の担い手という点では「お笑い芸人さん」達と異なるところはなく、芸人さんばかりが攻撃されてホテルなどは何のお咎めもなしというのは、かなりの違和感があるというか、恣意的なリンチのような気持ち悪さがあります(もちろん、会場となったホテルを大衆が攻撃せよと言いたいわけではありませんが)。

また、一般論として、この種の詐欺事件の犯人集団の構成員が自身が得た利益(犯罪収益による報酬)で過大な浪費をしたりギャンブルなどに明け暮れるという話は、この仕事をしていると相応に聞きますし、報道でも時々目にするのではと思います(悪銭身につかずを地で行くような光景と言えます)。

しかし、それらの浪費先(支出先)に対し、犯罪収益により不当に受益しているのだから受益額を吐き出して被害弁償に向けるべき、などという議論(立法提案)がなされているのを聞いたことがありません。

とりわけギャンブルに関しては、犯罪収益であれ借金の類であれ問題のある原資を用いる人が相当数いたり、ギャンブルの失敗で周囲に迷惑をかける人も珍しくないと言われているのに、元締め(運営企業)が獲得した利益を被害者救済に用いるなどという話がどこからも出てこないのは、残念なことだと思っています。

ですので、芸人さん達に限ることなく、会場(ホテル)であれギャンブル等であれ、犯罪行為(とりわけ組織犯罪)に基づく収益を原資としてサービス等の提供を行った者(企業)は、拠出者(購入者、サービス利用者)が犯罪収益を原資とすることに故意過失がある場合はもちろん、無過失であっても、受益(売上など)の程度が特に著しい(過大だ)と認められる場合には、一定の限度で収益を剥奪し被害弁償の原資(配当基金)とすることができる制度を設けるべきではないかと、昔から思っています。

もとより、その「債権回収と配当」の主たる担い手となるべきは弁護士ですが、制度を整備して争いの余地を少なくしたり捜査機関が適切な協力をすることで弁護士の労力を軽減し、その代わり、さほど苦労しない事案では報酬も抑えて被害弁償の原資の極大化を図る、といった工夫がなされるべきだと思います。

そして、企業側(サービスの供給者)が「この人に便宜を図ると、後で収益を剥奪されるかもしれないから、申出には応じない(違法に贅沢はさせない)」との毅然とした対応をとることができれば、最終的には「悪いことをしても割に合わない」という形で犯罪予防につながる面も出てくるのではと思われます。

そうした取組がなく「有名人叩き」ばかりが目に付く光景は、被害者保護が主眼ではなく「バッシング(石投げ)のネタが見つかった有名人を攻撃し溜飲を下げたいだけ」という世間の嫉妬の構造らしきものが見え隠れして、残念に感じてしまいます。

単なる有名人叩きで終わるのではなく、被害者救済であれ受益者の責任であれ予防的なことであれ、真に取り組むべきことに繋げる姿勢が、もっと社会内に醸成されてくれればと願うほかありません。

いっそ、「オレオレ集団を騙して巨額の金銭を一味から奪い取り、それを被害者救済原資として提供する凄腕芸人」でも出現してくれればと思わないでもありませんが、それこそ有名人まかせの浅ましい考えということになりそうです。

冬の県北と今年のスキー

かなり前の話で恐縮ですが、2月上~中旬ころ、立て続けに二戸の裁判所に仕事がありました。当時、すでに盛岡は全く雪のない毎日晴天の日々でしたが、新幹線のトンネルを抜けて二戸に出ると、そこは地吹雪体験の世界でした。

ある期日の際は、帰りの新幹線に間に合わず、恐らく20年ぶりに銀河鉄道に乗りました。新幹線よりも遙かに秀逸な車窓風景を久しぶりに眺めながら、特急の車内で銀河英雄伝説を読み耽っていた高2の夏を懐かしく感じました。

君のせて銀河の歴史が一ページ

2月下旬になって急を要する仕事が片付き少し余裕ができたので、ようやくスキーに行くことができました。しかし、今年の盛岡圏は雪は降らず晴天ばかりの日々であったせいか、サラサラの粉雪には遠い状態で、

滑りぞめ今年もやっぱり春スキー

という有様でした。

今年は合計で3回のみのスキーで、1回目が岩手高原、2回目は雫石に行きましたが、現行のリフトの終点の先にある、昔のゴンドラ駅の跡のあたりは標高のせいか良質な雪が残っているようで、「ハイシーズンの週末だけでもゴンドラを運行し、そこまで行けるようにして欲しい」と思わずにはいられませんでした。

雫石には修習中に少しだけ行き、第1ゴンドラに乗ってメンズダウンヒルコースを若干滑走したことがありますが、第2ゴンドラ=レディスダウンヒルコースは行く機会がないまま終わってしまい、ゴンドラ自体も無くなってしまった今、あの頃に一度だけでも行っておくべきだったと悲しみを禁じ得ません。

山頂の粉雪恋し雫石  双頭龍も夢のまた夢

ともあれ、雪はグシャグシャ、地面も表出という絵に描いたような春スキー状態のゲレンデ下部を抜けて麓に戻ると、足元の雪まで陽光のため下山中に解けてしまったように見えました。そうした光景に春の訪れを感じつつ、某ジブリ映画にひっかけて一句。

雪しずく春の麓に着きし間に

その翌週(三週目)は、修習中に一度だけでも行きたいと思いながら、安比ばかり行きたがる修習仲間に引きずられ?一度も行けずに終わった夏油高原スキー場に、あれから20年を経て、ついに初めて行きました。

こちらの雪も、ほぼ春スキー状態にはなっていましたが、それでもまずまず快適に滑走でき、ようやく宿願を果たすことができました。

帰路には、思うところあって北上パル(イオン)の「ドムドムバーガー」に立ち寄りました。子供の頃の休日は盛岡には縁が薄く、映画などは八戸に来ることが多かったのですが、当時、本八戸駅にあったドムドムバーガーでマヨネーズたっぷりのテリヤキバーガーを食べて帰ることが何度かあったと記憶しており、久しぶりに食べてみたいと思って立ち寄ったのですが、30~35年ぶり?にいただいたテリヤキバーガーは、思ったほどマヨネーズたっぷりではないようにも感じ、「思い出の味」は追憶の彼方といったところです。

できれば、その次の週にも、修習以来ご無沙汰になっている下倉スキー場に行きたかったのですが、寝坊で行けず来年に持ち越しとなり、昼から仕事に明け暮れるいつもの日々となり、その点は残念でした。

私はゴルフやテニスその他の「大人の社交スポーツ」を全く嗜むことができず、無雪期の唯一の嗜み(生き甲斐?)である登山(トレッキング)も仕事に追われて15年ほどご無沙汰になっているため、せめて、スキーだけでも死ぬまで続けていきたいと思っていますが、残念ながら現在のところ、家族(の一部)以外に同行して下さる方がおらず、どうにかならないものかと思っています。

ふたつの「もりおか」と地域のアイデンティティ

盛岡には「杜稜」と称する施設や団体などが幾つかあり、この古めかしい中国語は訓読みで「もりおか」になるため、盛岡を表す雅語として古くから親しまれており、企業名などを含め、市内で多く使われています。

他方で、先日の地元のネット記事で初めて知ったのですが、中ノ橋・肴町周辺のエリアは「杜稜地区」と称されているのだそうで、その地区に杜稜小学校もありますので、定義が混乱しているというか(「河南地区」とどう違うのでしょう?)、遠方出身のヨソ者には内実が非常に分かりにくい言葉だと感じています。

肴町周辺エリアが杜稜なる名乗りの発祥だという歴史でもあるのでしたら、ぜひご教示いただきたいのですが、或いは、過去の一時期に、そうした「流行り雅語」に飛びついた方々が市内にいて、それぞれが勝手に「杜稜」を名乗った状態が続いて現在に至っただけなのではと想像しないこともありません。

ちなみに、岩手県庁の公務員の方など(外郭団体を含む)が住宅ローン等の際に利用する公務員の互助組織たる金融機関は「杜稜信用組合」というのですが、これは盛岡信用組合と名乗っているものに他ならないので、盛岡以外の出身の県職員等の方々は、名称変更運動をしなくてもよいのかなぁ(アイデンティティを考えれば、岩手公園などよりも遙かに名称変更の必要があるのでは?)と感じないでもありません。

個人的には、「岩手信用組合」だとつまらないので、当県が南部と伊達の混成県であることを踏まえて「ナンダ信用組合」とでも名乗っていただければ、全国の皆さんの関心を惹きつけることができそうな気がします。

かなり前のことですが「杜稜地区」に関する記事を見つけたので、毎度ながら下らないことを考えて投稿させていただいた次第です。
http://www.morioka-times.com/news/2018/1809/28/18092801.htm

負けるな牛丼の友

かなり前の話で恐縮ですが、歌人としての活躍を期待されながら、若くして命を絶ってしまった方を紹介する記事を読んだことがあります。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/480831/
https://www.hikipos.info/entry/2019/03/28/070000

一般企業で就労するのが難しい方とのことで、非正規従業員として就労しながら短歌を発表していたそうですが、拝見すると啄木っぽい雰囲気もあり、残念に思います。

私も、大学卒業後はS法会の先輩に紹介いただいた「公立中学校の警備員のバイト」を終えた朝方に、S家の豚汁牛丼セットでぜいたく気分を味わって帰宅するも、腹が・・・という生活をしていました。

ぼく浪人 今年も落ちる秋がきて
牛丼屋にて牛丼食べる

銀座のイソ弁時代の夕食は、新橋駅近くのY家が利用頻度の最も多い場所で、事務所に戻って書類を見返した途端に腹が・・・という有様は変わらずでした。イソ弁も非正規のようなものと言ったら怒られそうですが(当時は分不相応の給与をいただき、おかげさまで開業できましたので)、ネオン街に消えていく皆さんとはついにご縁がありませんでした。

ぼくイソ弁 起案に追われる夜がきて
牛丼屋にて牛丼食べる

震災から数年経ち、昔と異なり胃は丈夫になりましたが、町弁冬の時代(或いは業界内格差)の影響で、1年ほど昼はスーパーの半額おにぎりとカップ麺に依存していました。現在は、某パスポートのお陰もあり、多少は食生活は改善しています。

ぼく町弁 運転資金がひもじくて
冷凍おにぎりチンして食べる

そんなわけで、この業界を目指す皆さんに向けて最後に一言。

法学の友よ、負けるな 
ぼくもいま事件に右往左往している

JR福知山線事故の刑事裁判で議論されなかった重大論点と、就労者の尊厳のいま

先日、H17に発生したJR福知山線の車両転覆事故に伴う大惨事について歴代社長が検察審査会により強制起訴され無罪となった最高裁決定(最決H29.6.12)が、判例タイムズ1457号に掲載されているのを見ました。

判決(決定)によれば、刑事裁判では、社長らが本件現場(カーブ地点)に自動停止装置を設置(指示)しなかったことが過失(業務上過失致死傷罪の成立を基礎づける注意義務違反)と言えるかが問われ、最高裁は、社長らには事前に指示すべき義務(刑事責任を問うだけの過失)はなかったと判断しています。

ただ、私はこの事件に不勉強でよく存じませんが、この事故に関する報道が盛んになされていた当時、JR西が運転士ら従業員に対し、日勤教育などと称する心身の健康を害するような抑圧行為を組織的に行っており、本件運転士も本件運転時にそれにより強いストレスを抱えていた(ので無理に遅れを取り戻そうとした)ことが、大幅な速度超過の原因だと言われていたような記憶があります。

決定文や判タ解説を見る限り、その問題が刑事裁判で問われていたようには見えないのですが、どうなんでしょうか。

少しだけWeb検索したところ、本件事故とは別にJRの従業員さん達が日勤教育について慰謝料等を請求した訴訟の記事が出ていましたが、本件で日勤教育などの就労環境上の問題が事故原因として争点となった訴訟等があるのかは見つかりませんでした。

もともと当然に有罪と言える事案ではなく、だからこそ事故の原因となった会社内の様々な問題を社会に問うべき面の大きい裁判だったのでしょうから(被告人の負担云々の議論は措くとして)、どうせなら「運転士の心身不調(による操作ミス)を誘発した(それを阻止すべき義務を怠った)関係者の過失」(体調等を管理すべき直接の上司などのほか、運転士の不調の原因となった悪習?に帰責性のある立場の方々の過失責任)も、民事を含め何らかの形で裁判所の審査の対象としてもよかったのではと思わないでもありません。

この件に限らず「モーレツ企業での末端従業員に対する過酷待遇(組織的なパワハラ行為?)」というのは、社会問題を生じさせた一部の企業を典型に、かつて日本社会で少なからず見られた光景かとは思いますが、そうであればこそ、こうした風習が個人の尊厳への重大な侵害になりうるものであることを裁判所が明確に宣言する機会があればよかったのではと感じています。

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ところで、少し前、伝聞ではありますが、次のような話を聞いたことがあります。

「盛岡市内のA先生の事務所では、職員が、ほとんど毎日、昼の時間に裁判所と弁護士会(サンビル)に赴くことになっている。これは、弁護士会や裁判所に設置されているポスト(書類入れ)に交付書類がないか確認するためというものだが、現在は急いで(その日のうちに)取りに行くべき書類がポストに挿入されることは滅多になく(そもそもポストが空の日の方も多い)、何のために行くのか疑問を感じつつも仕方なく往復している。なお、先生(弁護士)は、裁判所や弁護士会に行っても、自ら書類を取ることはない。」

私自身は、それを聞いて「なんて無意味で不合理なことをさせているのだろう、それって日勤教育とか身分制社会などと言われても仕方ないのでは?」と思わざるを得ませんでした。

ちなみに、当事務所では必要やむを得ない事情がない限り、職員に弁護士会や裁判所に書類を取りに(出しに)行くよう指示するということはしていません。事務所がこの2つの施設から遠い(自転車で10分、歩くと20分以上?)ということもあり、基本的に、私がこれらに行くときに、ついでにポストに寄って取っており、職員に出動を頼むのは、ごく希です(裁判所は私が頻繁に行くのでほとんどありませんが、弁護士会はあまり行く機会がなく、急ぎの用事があるときなどにお願いしています)。

もちろん「そんな無意味なことに時間を使う暇があれば、事務所内にもっとやるべき(やって欲しい)ことがある」という、ごく当たり前?の発想に基づくものですし、私も職員も皆、細々した仕事で相応に一杯一杯で、「しなくてもよい仕事(と称する無駄な行為)」に時間を浪費する暇(させる余裕)はありません。

ですので、「だったら、その先生(事務所)に無用で不合理な仕事を命じるのを改めよ(やりがいのある仕事を命じて欲しい)などと、団交申立など(ついでに記者会見も)をなさってはどうか」と戯言?の一つも言いたくなったのですが、そのあと、「あっ」と思い返したことがありました。

私が司法修習生のときにお世話になったB先生の事務所でも、その事務所の職員(事務員)さんが同じようなことを仰っていた(なさっていた)ことを思い出したのです。

ちなみに、B先生は県内の著名企業の顧問などをなさっている大ベテランのせいか、当時はさほど忙しく仕事をなさっているようには見受けられず、事務員さんも日中はかなり暇を持て余している感じがあり(私も雑談のお相手をするのが大変だった・・という記憶が微かにあります)、上記の「毎日のお使い」を嫌々しているという印象は全くありませんでした。

ただ、私がお世話になっている間は、その事務員さんに代わりに行ってくれる?と言われたことは時々あり、私も(修習生としてさほど起案などを命じられていなかったという負い目?もあって)無為徒食の日々を過ごすくらいなら、その程度のことはしなくてはと思って、昼食のついでもあり、ある意味、喜々として引き受けていたような気もします(他にも個人的な理由があったかもしれませんが・・)。

ですので、完全な想像になりますが、ひょっとしたら、盛岡のベテランの方々(A先生もB先生も、私が修習生になる前から長年仕事をなさっている大ベテランの方々です)には「事務職員に、昼になると裁判所や弁護士会に書類の提出や受取のお使いをさせる文化」が、かなり以前(数十年前)からあったのかもしれません。

そして、A先生は、(少なくとも先生や事務所の主観では)それを今も続けているだけに過ぎない(殊更に、無駄な仕事を強要して就労者の尊厳を害しているという認識は持っていない)のかもしれません。さらに言えば、もしかしたら、冒頭の話に登場したA先生の職員さんも、さほど仕事を抱えているわけでもなく、その「毎日の昼のお使い」があることが事務所で就労する上での存在意義になっている面もある、などという話もあるかもしれません。

そうであれば、「そんなの日勤教育じゃないか」などと一方的に非難することができるのか、という話につながってきそうな気もします。

ただ、「就労対策の一環として、本来は必要がない軽作業をさせている」といった類の話なのであれば、その方が障害を持っているなど相応にやむを得ない事情があれば致し方ないのかもしれませんが、そうでなければ、最近流行りの生産性云々の話を持ち出すまでもなく、「就労者の尊厳」という観点から、そのような光景は決して望ましいものではないのであって、労使双方が真摯に「各人のあるべき仕事のあり方(仕事の創出のあり方)」を考え、実践を積み上げることが求められていると思います。

本当は、そうしたことなども地元の先生方などとお話できる機会があればと思わないでもありませんが、諸々の理由で夢のまた夢、ということになりそうです。

盛岡を舞台とした映画を制作する方々の光景と、その影裏で?盛岡出身の偉人の物語の映画化を目指す男

先日の盛岡北RCの例会は、当クラブきっての顔の広さ(社交力の凄さ)を誇るTさんのご紹介で、大友啓史監督とタッグを組み同監督の映画作品などのプロデューサーを務めておられる五十嵐真志さんという方(引用サイトの運営企業の役員さん)がゲストとして卓話をして下さいました。

主として、来年上映予定の芥川賞作品「影裏」(綾野剛・松田龍平の共演作品。沼田真佑原作)の制作過程や作り手の方針などに関する説明があり、若干のマル秘話のほか、市内各地のロケや大友監督の作品にかける思いなどを説明されていました。

昨年頃、盛岡の方が近所でロケが行われていたのを発見したとfacebookで投稿されていたのを拝見していますが、ロケ地の写真などもプロジェクターで紹介されていました。

で、スピーチの最後に、この映画は大企業のみがスポンサーとなっていた過去の大友作品と異なり協賛を広く募っており、とりわけ「オール岩手ロケで、岩手の作品として世に送り出したい」とのコンセプトから、盛岡をはじめ岩手県内の企業さんに対応可能な金額で協賛者になって欲しいとの呼びかけがありました。

基本となるコースは、相応の規模の企業や資産家の方でないと気軽にイエスと言える額ではないようですが、エンドロール等に出るだけでなく自社商品に「影裏」の文言を用いて販売等することも了解するほか(すでに県内の某著名酒造メーカーが特製日本酒を販売する方向で準備中とのこと)、大友監督との対談などの特典も付いてくるのだそうです。

そんな額は無理という方でも、20万円からの協賛口があり、詳細は忘れましたが、そちらもエンドロールで小さく?名前が出るほか試写会招待などの特典もあると聞いたような気がします。

というわけで、同作品を応援したいとか、商品展開も含めた宣伝に乗り出したいという方は、ぜひ、五十嵐さんまでお問い合わせ下さい、というか、連絡先知らんぞという方は、名刺をいただきましたので、ご遠慮なく私にお申し出下さい。

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・・と、ここまで、どうして頼まれたわけでもないのに、協賛などの類にはご縁のない「運転資金の調達に日々追われる田舎町弁」の私がこんなことを書いているかというと、そこには一つ、重大な下心がありました。

皆さんお忘れかもしれませんが、3年ほど前「太平洋戦争下のシンガポールに二戸生まれで盛岡出身の変人学者さん(田中舘秀三・後の東北帝大教授)が突如現れ、世界遺産・シンガポール植物園と大英帝国が有する東南アジアの貴重な学術資産群を陥落に伴う戦火や略奪から守った物語(あらすじ案)」を本ブログで延々と連載し、いつか映画化を目指したい!などと恥も外聞もなく途方もないことを書いたことがありました。

もちろん、戦時下に重要な役割を果たした同郷の方を顕彰したいというだけの気持ちからのことでしたが、その後は、何をすることもなく(一度、本格的な研究者らしき方からDMをいただき大変驚いたことはあります)、無為のまま現在に至っていました。

そこで「このあらすじ案を大友監督に渡して映画化して下さい」などと馬鹿なことを申すつもりはありませんが、沼田氏であれどなたであれ、五十嵐さんの人脈に連なる方で、この秀三先生の物語に関心を持っていただける方がいれば、それをとっかかりに、本物の小説家による新たな小説完成→いつかは大友作品へ、という野望もありうるのでは・・との儚い夢を抱かないではありませんでした。

が、さすがに、手ぶらで「あらすじ案」を渡しただけでは「なんだこの変な奴は」の一言でおしまいというか、少年ジャンプの編集者に駄作を持ち込み封も開けてもらえず突っ返されてトボトボ田舎に帰る哀れな高校生並みの話になるでしょうから、せめて、誰か協賛金のお力になって下さる方がおられれば、それを手土産に・・という他力本願なことを思いついた、というのが本投稿の率直な動機です。

というわけで、(私のことはさておき)大友監督作品のエンドロールに載りたい、いや、対談もしたい(かなりお金はかかるけど・・)という方がおられば、ご遠慮なく私までご連絡下さるようお願い申し上げます。

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~最終話~

恐らく次期日弁連会長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第4話(懇談会編)です。

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前置きが大変長くなりましたが、ようやく懇談会当日の話になります。

過去にも、日弁連会長選の立候補者の方(とりわけ、主流派候補の方)が「告示前の事実上の選挙運動のため全国行脚し各地弁護士会で懇談会を開く件」には、昔お世話になった方(東京で執務する方)から来てくれと言われて何度か参加したことがあります。

今回も、それらと同じく出席者の簡単な自己紹介の後、山岸先生(候補者)が所信表明し、それらを踏まえて質疑応答という形になりました。

自由と正義(ここ数年)の写真を見ていた頃から、この山岸先生は、本当にビジネス弁護士2000に載っている山岸先生と同一人物なのか?と思ってはいましたが、やはり百聞は一見にしかずというか、かつて岩手弁護士会にいらした歴代の会長さん達(当時は候補)と同じく、日弁連の正義や良識を体現していると評すべき誠実さや重みを感じる面はありました。

で、進行役をつとめた岩手会(二弁出身)のY先生から「懇親会(飲み会)に行かない奴はここで当てるから何か述べよ」とのお達しがあり、欠席回答していた私も発言せよということになりました。

さすがにα社事件の話をここでするわけにもいかず「質問ネタ」を何も考えていなかった(既出の話題に即した気の利いた質問も思いつかなかった)ため、一瞬、頭が真っ白にはなりましたが、それまで他の方からあまり言及がなかった震災をネタにしつつ、他の出席者なら絶対に言わないだろう不都合な真実ほど偉い人の前では敢えて言いたいという私のこだわりから、次のようなことを述べました。

「我々、盛岡を中心とする岩手(内陸)の弁護士は、震災以来、何度も何度も、片道2~3時間以上をかけて沿岸被災地に赴き法律相談をはじめとする被災者支援に従事してきました。

震災直後には、東京や阪神などの多くの弁護士さんが現地支援に駆けつけて下さったので、その方々をお連れして避難所に押しかけ相談などを行ったことも何度かありますし、その後は、沿岸各地に設置された相談所の担当として、現地の数名の先生方の補完として1ヶ月に1回などの頻度で被災地への出張を続けてきました。

このようなことを述べると、我々が、毎回、多数の被災者から相談や事件を要請され、具体的な救済や支援の仕事に追われているのだろうと思われるかもしれませんが、残念ながら、そのような事実はありません。

個人差の大きい話でしょうが、私の場合、2~3時間かけて沿岸の相談所に赴いたものの誰も来所者がなく、丸一日、持参したPCで事件の起案や判例学習の内職に終始し空しく帰宅した、などという経験は、過去何年も、そして今も、山ほど余儀なくされています。

もちろん「被災地には本当に困っている人はいないんだ、相談所も無駄な存在だ、被災地なんかもう行きたくない」などと言いたいのではありません。運営サイドの方々を軽々に批判したいのでもありません。

私は個別の事案や相談の対応を通じて、被災地に限らず過疎地などには、弁護士のサービスを必要とする方が多数いるのを知っています。例えば、高齢で心身に様々な問題が生じている一方、不動産をはじめ相応の財産があり、その権利関係や家庭に複雑な法的問題があるなど、弁護士の支援が望ましいケースはそれなりに見てきました。

しかし、そうした方の多くが、相談所であれ個々の事務所であれ、弁護士のもとにアクセスしているわけではなく、或いは、アクセスしたとしても、ご本人のコミュニケーション能力に問題がありすぎて、ご本人と我々だけでは、適切な対応ができないという例もあります。

要は、我々弁護士と法的サービスを必要としている人々をつなぐ役割の方が、圧倒的に不足しているのです。或いは、そもそも、そのような「つなぐ」仕事をする立場にあったり能力を有する方が、ニーズを持った人々と現実につながりをさほど持っていないという面もあるのかもしれません。

それは、地域の人間関係がすでに壊れていることが、大きな原因なのだろうと思っています。だから、本当にサービスを必要とする方々が、様々な形で取り残され、問題が先送りされ、ますます悪化している。

そうであればこそ、人のつながりの回復、地域内の相互扶助の営みの再構築を図ることこそ、日弁連の役割として考えていただきたいのです。

具体的には、当事者と我々とをつなぐ役割を持った組織や団体などとの連携の強化があげられるでしょうし、救済や解決を要する事案と対処による解決の実例について、支援者であれご家族など国民一般であれ、周知する努力も必要なのかもしれません。

また、そのような「つなぐ」業務あるいは作業に適切な対価が支払われず、つなぐ役割を担うことにインセンティブがないという問題もあると思います。これは介護職や保育士さんなどの報酬問題に似ている面があり、弁護士法72条との関係も視野に入れつつ、利用者サイドの適正な費用負担(財源としては、例えば、棚ぼた的な相続財産の活用なども含め)や保険制度なども含めた検討と改善の努力をお願いしたいところです。

ここ数年、弁護士が余っているとかペイする仕事が得られないという話題が業界では盛んに言われています。

今のままでは、少なくとも我々地方の町弁の世界は、ある意味、そのとおりでしょう。しかし、実際にニーズのある、役に立つことができる事案を適切に我々のもとに辿り着かせ、弁護士であれ支援者であれ適切な対価を確保し内実ある仕事ができる仕組みを整えることができれば、言い換えれば、すでに壊れてしまった地域の相互扶助を、弁護士が大きな役割を果たすことを主要な要素に据えて再構築することができれば、様相は一変するはずです。

それは、最近残念な話題が相次ぐ「ひきこもり問題」のように、都会でも、そして全国中に存在している普遍的な問題だと思います。

申すまでもなく、そのことは、この場にいる誰もが分かっていることで、日弁連にとっては長年の課題のはずです。そうであればこそ、皆さんには今、改めてそのことを考えていただければと思っています。」

実際はここまで長々ではなく、3分の1程度に要約?していますが、舌足らずの分も含めて下記のことを述べたものであることは、山岸先生をはじめ同行された大物弁護士さん達には十分ご理解いただけたと思います。

そして、山岸先生からは、司法アクセスの改善は重要なテーマの一つだが、今日はよい話を聞くことができたとの前向きなコメントをいただきました。言葉の一つ一つを覚えているわけではありませんが、声のトーンがそれまでの発言よりも少しうわずっていて、それは、型どおりの挨拶ではなく本気で感じるところがあったというニュアンスを伴っているように感じました。

もちろん、多数の会員(弁護士)との意見交換の場ですので、それ以上、私が山岸先生達とやりとりすることはありませんでしたが、意見交換を終えて、ひっそりと場を後にしようとしていた私のもとに山岸先生がいらして「君の話を聞くことができて良かった」とお声がけいただきました。

一瞬、内心色々な考えが駆け巡ったあと「平成12年頃に先生が手がけておられたα社事件を覚えておられますか。私は相手方代理人の事務所に勤務して、その事件を拝見していました」とだけ述べました。

山岸先生も、α社事件のことはしっかりと覚えていらして、私も自分が起案していましたと面と向かって述べるのは憚られましたので、それ以上何も申さず、本日はありがとうございました、もしお役に立てることがありましたら、ご遠慮なくお声がけください、とだけ述べて辞去しました。

その後に行われた懇親会(飲み会)に参加しなかった(事前に欠席を伝えた)のは、やはり、委任状もなく、会ったことすらないが、それでも、自分はB氏のために闘った代理人である、そして、自分の中ではα社事件は今も終わることができていない、そんな中、相手方のボス格である山岸先生と一緒に酒を飲むなんてできないという気持ちからでした。

ですが、さきほどのやりとりで、ようやく、私にとってのα社事件を終えることができたと思いました。

山岸先生から手をさしのべられて握手したとき、何か肩の荷が下りたような、胸のつかえがとれたような実感がありました。

もちろん、ボスからほとんど説明を受けることなく東京を去った身ですので、できることなら、山岸先生に差し支えない範囲でこっそり事件の顛末を聞いてみたいとの欲がなかったわけではありませんが、懇親会はそのような場でありませんし、所詮、下っ端の一兵卒ですので、書面だけで想像を巡らせるのも私らしいことだと思っています。

ただ、何年かに一度、憑かれたようにα社についてネット検索することがあり、B氏はご自身で立ち上げた同種の企業を育て上げ、業界で相応に活躍されている一方、α社は当時以上に発展している様子が窺われるものの、当時から引退が視野に入っていたはずのA氏の息子さんが、何度見てもWeb上で表示された役員欄に入っていない(社長もA氏の退任後は別の方が長年つとめている)のを、半ば不思議な気持ちで眺めてきました。

実は、α社事件で私が関わった最後の頃にα社側から提出された書面では、α社では今後は実子や親族による経営支配を解消したい、そのための準備等をしているのだという主張がなされたこともあり、或いは、そのことが関係しているのかもしれませんが、実情は何も分かりません。もちろん、B氏側のα社側への持株関係が今どうなっているかも、全く分かりません。

当時の私は、敗訴的和解はやむを得ないのだろうとしても、創業者の子弟であり有力な後継候補として一時期は職務に精励していた(であろう)B氏の尊厳に配慮した、適切な和解(持株関係の解消や適正な譲渡対価の支払など)がなされるべきではないかと思っていましたし、それが間違っているとは今も思っていません。

ただ、あれだけの大きな紛争には、私に窺い知ることができない、偉そうなことを言うべきでない諸相があるのだろうと思いますし、結局のところ自分は「何か、一矢報いたかった」だけなのだろうとも思っています。

今回の私のありふれた発言と山岸先生のお返事が、「一矢報いた」などと評価できるものではないことは自分自身が一番よく分かっていますが、それでも、被災地ないし岩手の実情を何らかの形で訴えて日弁連の活動につなげる糧にしていただくことが、私にできるせめてもの、或いは、私に相応しい「一矢」なのだろうと思っています。

選挙のことは何も分かりませんが、山岸先生のますますのご活躍と、日弁連が掲げる人権擁護などへのご尽力を祈念しつつ、18年を経てこうした場が私に与えられたことに、心から感謝したいと思っています。

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(6.13 追記)

この投稿をした後、昨日になってS先生(今回の懇談会をお声がけいただいた方)から「投稿を見て、改めて山岸先生の賛同者(呼びかけ人)に加わって欲しいが、引き受けて貰えないか」とのメールを頂戴しました。

懇談会の少し前にもS先生から同様のご依頼を受けていたのですが、今回記載した理由からその際は辞退申し上げていました。しかし、本文記載のとおり、懇談会を経て、私にはお断りする理由がなくなりましたので、せっかくお声がけいただいたこともあり、謹んで了解させていただきました。

また、S先生への返事を書き終わって送信する直前に山岸先生からも「仲間に勧められて君のブログを読んだよ。改めて、ハコモノの整備だけでない司法アクセスの質の向上について取り組んでいくので、ぜひ見ていて欲しい」とのお電話をいただき、ただただ恐縮したというのが正直なところです。

というわけで、今後、山岸先生の陣営が公表される「賛同者一覧」に私の名前も表示されるのかもしれませんが、上記の経過に基づくものであり、今回の一連の投稿は「賛同者」云々に関係なく本文記載のとおり私自身のこととして記載したものですので、その点はご理解のほどお願いいたします。

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(7.4 追記)

私も最近知ったのですが、次回の選挙では、山岸先生のほか、日弁連事務総長などをつとめた仙台弁護士会の荒中先生(東北では知名度の高い会務の大物先生と理解しています)も出馬なさるのだそうです。

さらに、日弁連などの役職を歴任された東京の別な大物先生の出馬も確実視されているほか、つい最近、事情通の先生に伺ったところでは、他にも出馬を検討している方々が複数おられるのだそうです。

そうなると、次回は従前の「日弁連の枢要役員を歴任した主流派候補vsその種の役職歴のない非主流派の泡沫候補」という構図ではなく、主流派同士?(少なくとも大物同士)の三つどもえ又はバトルロイヤルという、かつて日弁連会長選挙が経験したことのない?大変な状況が出現しているのかもしれません。

どうして、次回に限って?そのような展開が生じたのか全く存じませんが、せっかく本命級の方々同士の対決になるのでしたら、日弁連のあり方や様々な論点について各陣営・先生がたとも質の高い議論を交わしていただき、今後につなげていただければと願っています。

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第3話~

恐らく次期日弁連会長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第3話(山岸先生へのこだわり編)です。

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ところで、既述のとおり私はこの事件では一度も出廷したことがなく、当然ながら、当時、山岸先生たちにお会いしたこともありません。

ただ、まだ法律事務所のHPなどもほとんど無い時代、敵方の弁護士さん達の人となりを知りたいと思っていたところ、日経BP社が平成11年に刊行した「ビジネス弁護士2000」という本に、森綜所属の有力弁護士として山岸先生たちの写真や説明文が載っていました。

山岸先生以外の「森綜ドリームチーム」の方々は、皆さん東大出身らしく?無愛想であったり優等生的な雰囲気の写真で、見ていてあまり気にもなりませんでした。

ところが、山岸先生に関しては、割と若い写真(40歳前後?)で口元に不敵な笑みを浮かべ強い自信や自負が感じられる表情であり、私は敵方の一兵卒という立場だったせいか、「この先生は他の先生達と違って人を喰わんばかりの憎々しいほどニヤリとした表情をしている」と、なぜか記憶に残りました。

この本は今も所持していますので、若い頃の憎々しい?山岸先生を見たいという奇特な方は、ご遠慮なく当事務所までご来所ください。

私はこの写真を見て、その事件で生じた圧倒的な勝敗の差もあって「俺達は天下の森綜だ、貴様のような小物が俺達に勝てるなどと身の程知らずなことを思うなよ」と傲然と言い放たれているように思いましたし、そうした傲然さこそ、かの久保利先生を筆頭にガチンコ企業紛争最強伝説などと称される森綜らしい姿だと感じる面もありました。

α社事件の起案に追われていた頃、私が大変お世話になった業界人としては非常に優れた先生(私と違って、ご本人がその気なら森綜に就職しパートナーになることも間違いなくできた方)から、「森綜と一度闘ったことがあるが、時には、勝つためにえげつないやり方をとってくることがある」と言われたことがあり、そのことで余計に予断偏見が入った面があるかもしれません。

だからこそ、当時の私は、この山岸先生の写真を拝見しつつ、負けっぱなしでたまるか、絶対に一矢報いてやるとの気持ちで?深夜土日の事務所で一人さびしく牛丼や立ち食い蕎麦を喰らいながら、報われない起案に延々と明け暮れていた次第です。

その顛末は前回に述べたとおりですが、それから10年以上を経て、すっかり「大がかりな企業法務にはご縁のない田舎のしがない町弁」になり果てた私の前に届いた日弁連機関誌「自由と正義」で、山岸先生のお名前や顔写真をお見かけする機会が増えました。

そこに表示され、言葉を紡いでいる山岸先生は、あの「ビジネス弁護士2000」に写っていた「優秀だが傲然として少し感じの悪そうなビジネス弁護士」ではなく、人権擁護などの日弁連の典型的な会務活動に熱心に従事されている「真面目で誠実そうな、いかにも日弁連的な大物弁護士」の姿でした。

しかし、私はα社事件の敗北感と「ビジネス弁護士2000」の写真のイメージが強すぎ、「自由と正義」に写った姿はこの先生の本当の姿なのか、何か裏があるのではなどという猜疑心?から自由になることができませんでした。

だからこそ、19年の時を経てS先生から「懇談会に来て欲しい」と言われた瞬間、「ついに山岸先生のご尊顔を拝する機会に恵まれた。この人は聖人君子のような人権擁護の担い手なのか、B氏を非情に追放したα社事件のように?えげつない勝利でも平気で分捕ろうとする強欲な方なのか、どっちが本当か見極めてやりたい」との考えが頭をよぎりました。

α社事件に関わったことで何年経っても捨てられずにいた胸のつかえも含め、それが、今回の山岸先生の懇談会に参加した、私の真の?目的だったのです。

(以下、次号)

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第2話~

恐らく次期日弁連長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第2話(私の関わり編)です。

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平成12年の春、就職後間もない私が夜に一人で事務所の記録庫を漁っていると(と書くと聞こえが悪いですが、ボスが手がけている事件を自主的に勉強したいとの目的です。たぶん・・)、おおっ、天下の森綜が相手の事件があるのか、しかもガチンコ支配権紛争だ、と興奮したのを今も覚えています。

もちろん自分が後日関わることになるとは微塵も思っておらず、ミーハー感覚で記録をチラ見しただけでしたが、半年ほど経過して、その事件の係属紛争の一つで、1審でB氏が敗訴した事件(相手はA氏ではなくα社。代理人も森綜ではなくα社の顧問弁護士さん)の控訴趣意書を私に起案せよとのお達しがボスからありました。

そして、私でよいのだろうかと思いつつ、多くの新人がそうであるように「巨大事務所を相手とする企業法務の大事件」にある種の憧れを抱いていた平凡な駆け出しイソ弁の一人として、その事件に関われることが嬉しくて、無我夢中で記録や文献を読み漁り、終電仕事を繰り返しながら、長文の控訴趣意書を作成しました。

ただ、その事件の特質(メインの受任者がボスではなく某先生であること等?)のためか、私は受任者(代理人)ではなく、ボス(及び代理人として書面に名を連ねる某先生達)のゴーストライター(起案代行)という立場であり、また、起案にあたりB氏からお話を伺うなどの機会はありませんでした。

当然のことながら、通常は、事務所の依頼者の方と直にお会いしお気持ちを伺ったり事実や証拠を確認した上で起案を始めますので、依頼者から説明を受けず「記録(と文献)だけで起案する」ことに疑問や不安を感じないこともありませんでしたが、私の内気さ(或いはボスの敷居の高さ)もさることながら特殊な事件という認識もあり、敢えて自分からボスに「B氏と会わせて下さい、某先生の事務所で行われる打ち合わせにも同行させて下さい、法廷も傍聴させて下さい」と求めることなく、純然たる「ただの起案屋さん」で終わってしまいました。

自分の名前が出ないこと自体は不満も何もありませんが、やはり、B氏との面談(打ち合わせへの同席など)を一度でもボスにお願いすべきだったのでは(起案担当者が依頼者と会わず肌感覚の心証もとれないというのは、いくら何でも間違っているのではないか)と感じざるを得ない面はありましたし、ボスはもちろん某先生も恐らくB氏も(たぶん、相手方たる山岸先生たちも)私=法廷に来ていない若いイソ弁が起案していることを分かっていたはずで、それだけに「貴方の顔が見たい(お前も出てこい)」という話が全くなかったことには、少し、さびしい面がありました。

その後、天王山というべき事件(もちろん、相手方は山岸先生たちです)の上告趣意書も任せていただいた(私が売り込んだのではなく、ボスから指示された)のですが、株主間契約の法的性質が中心争点であり、私が全く関与していない控訴審では「有効な合意だが当事者の合意から長期の期間が経過したので法的拘束力が失われた」との理由で敗訴していたため、そのような場当たり的な法律論が許されてなるものかとの思いで、東弁図書館などにあった株主間契約などの文献を徹底的に読み漁り、当時の書式(B5)で100頁超の上告受理申立理由書も作成しています。

今でこそ株主間契約は、企業経営に臨む方(とりわけ共同出資者間)の基本的な留意事項の一つですが、平成12~13年当時は、まだほとんど国内では表だった議論がなく、日本の文献ではほとんど触れていませんでした(そのせいか、1・2審の書面でも株主間契約の法的性質に関しさほど議論が行われていませんでした)。

反面、米国では幾つかの州で相応に議論や判例の集積があり、東京弁護士会の図書館にはそれに関する多数の書籍がありましたので、それらを徹底的に読み込み、文献の該当箇所を多数引用しながら「米国諸州では株主間契約に強い法的効力が認められており、米国会社法の影響下で成立した日本の株式会社法も同様の解釈がなされるべきだ」などと主張したため、今なら最高裁にクレームを受けるような長文書面ができあがったのでした(さすがに英文を読む力はなく翻訳書籍限定ですので、たかが知れた内容かもしれませんが)。

ともあれ、その事件をはじめ、全部で5~6件ほどの事件(平成13年頃から上級審又は1審で係属した主要な事件)の書面作成をことごとく私が担当することになり、山岸先生らの書面に「それは間違っている、こっちが正しい」と書き続けました。

今も、理屈で負けたとは思っていません。

しかし、皆さんのご想像どおり、結果は全敗でした。上告趣意書に至っては、業界人の誰もが経験することではありますが、最高裁は何も言わずに全部の事件とも三行半(受理しない)の一言で終わらせています。

理由は人によって様々な見方(私自身の力不足も当然含め)があるのでしょうが、根本的には、A氏がB氏を排除できた根本的な理由が、A氏側とB氏側の持株比率ではなく(その点はほぼ対等でした)、支配権の死命を決する役割を担ったのが、グループ本社の主要役員(平取締役)の方々の支持の有無であり、端的に言えば、その方々が一貫してA氏を支持し続けたことが、B氏の敗訴の根底にあるものだと感じられました。

その原因がどのようなものであるのか(B氏又はその父に責められるべき点があるのか、A氏が狡猾に幹部の方々を抱き込むなどという事実でもあったのか)、確証を得るだけの資料等がなく、私には全く分かりませんでした。

ただ、そうした事情が分かるようになってからは、この事件は、そこで勝負ありになっており、それ以上は、どのように理屈や制度をいじくり倒しても、本質的な部分で勝てない構図だ、と感じざるを得ないようになりました。

以前、医療ドラマで「大学病院には、出世コースから外れた若い医者に対し、成功が絶対的に無理=患者が死亡を余儀なくされる手術ばかり担当させる=それによる遺族対応なども押しつけることがあり、敗戦処理係と呼ばれて日陰者扱いされ、失意のまま病院を去っていく」などという話(登場人物)が描かれているのを見たことがありますが、客観的に見れば、当時の私も、敗戦処理係を担当していたのかもしれません(事実、私が関与するようになったのは、主戦場たる事件の控訴審で和解協議が決裂し、敗訴判決が出た後でした)。

もちろん、当時の私は、薄々そのような感覚を抱きつつも、そのような帰結は、父達の期待に応え、それまでの相応に輝かしい人生を捨ててα社に身を投じたB氏にとって、あまりにも酷ではないか、仮に、親世代の二人が合意した内容の拘束力に疑義を呈すべき面があったとしても、せめて、B氏には何らかの救い(一定の金銭給付であれ、それ以外であれ)がなされるべきではないかと感じ、相手方に何か一矢報いなければならない、そして、局地戦で強力な一勝を得て、それをテコに再度の和解協議の素地を作りたいという、「不本意ながら太平洋戦争に臨んだ良識派軍人」のような?思いで、必死に闘っていたつもりです。

しかし、私はその思いを遂げることが全くできないまま、α社事件で敗訴判決を重ねた上、失意のうちに?平成16年に東京を去ることになりました。

もちろん、岩手(盛岡)での開業は私が自分で敷いたレールの核心部分ですので、「すべてのモラトリアムが終わり、ついに人生の本番が始まる」という高揚感はありましたが、「自分は東京で他の人にはできない特別な何かを成し遂げて凱旋したのだ」などという達成感は微塵もありませんでした。

(以下、次号)