北奥法律事務所

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10日

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~最終話~

恐らく次期日弁連会長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第4話(懇談会編)です。

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前置きが大変長くなりましたが、ようやく懇談会当日の話になります。

過去にも、日弁連会長選の立候補者の方(とりわけ、主流派候補の方)が「告示前の事実上の選挙運動のため全国行脚し各地弁護士会で懇談会を開く件」には、昔お世話になった方(東京で執務する方)から来てくれと言われて何度か参加したことがあります。

今回も、それらと同じく出席者の簡単な自己紹介の後、山岸先生(候補者)が所信表明し、それらを踏まえて質疑応答という形になりました。

自由と正義(ここ数年)の写真を見ていた頃から、この山岸先生は、本当にビジネス弁護士2000に載っている山岸先生と同一人物なのか?と思ってはいましたが、やはり百聞は一見にしかずというか、かつて岩手弁護士会にいらした歴代の会長さん達(当時は候補)と同じく、日弁連の正義や良識を体現していると評すべき誠実さや重みを感じる面はありました。

で、進行役をつとめた岩手会(二弁出身)のY先生から「懇親会(飲み会)に行かない奴はここで当てるから何か述べよ」とのお達しがあり、欠席回答していた私も発言せよということになりました。

さすがにα社事件の話をここでするわけにもいかず「質問ネタ」を何も考えていなかった(既出の話題に即した気の利いた質問も思いつかなかった)ため、一瞬、頭が真っ白にはなりましたが、それまで他の方からあまり言及がなかった震災をネタにしつつ、他の出席者なら絶対に言わないだろう不都合な真実ほど偉い人の前では敢えて言いたいという私のこだわりから、次のようなことを述べました。

「我々、盛岡を中心とする岩手(内陸)の弁護士は、震災以来、何度も何度も、片道2~3時間以上をかけて沿岸被災地に赴き法律相談をはじめとする被災者支援に従事してきました。

震災直後には、東京や阪神などの多くの弁護士さんが現地支援に駆けつけて下さったので、その方々をお連れして避難所に押しかけ相談などを行ったことも何度かありますし、その後は、沿岸各地に設置された相談所の担当として、現地の数名の先生方の補完として1ヶ月に1回などの頻度で被災地への出張を続けてきました。

このようなことを述べると、我々が、毎回、多数の被災者から相談や事件を要請され、具体的な救済や支援の仕事に追われているのだろうと思われるかもしれませんが、残念ながら、そのような事実はありません。

個人差の大きい話でしょうが、私の場合、2~3時間かけて沿岸の相談所に赴いたものの誰も来所者がなく、丸一日、持参したPCで事件の起案や判例学習の内職に終始し空しく帰宅した、などという経験は、過去何年も、そして今も、山ほど余儀なくされています。

もちろん「被災地には本当に困っている人はいないんだ、相談所も無駄な存在だ、被災地なんかもう行きたくない」などと言いたいのではありません。運営サイドの方々を軽々に批判したいのでもありません。

私は個別の事案や相談の対応を通じて、被災地に限らず過疎地などには、弁護士のサービスを必要とする方が多数いるのを知っています。例えば、高齢で心身に様々な問題が生じている一方、不動産をはじめ相応の財産があり、その権利関係や家庭に複雑な法的問題があるなど、弁護士の支援が望ましいケースはそれなりに見てきました。

しかし、そうした方の多くが、相談所であれ個々の事務所であれ、弁護士のもとにアクセスしているわけではなく、或いは、アクセスしたとしても、ご本人のコミュニケーション能力に問題がありすぎて、ご本人と我々だけでは、適切な対応ができないという例もあります。

要は、我々弁護士と法的サービスを必要としている人々をつなぐ役割の方が、圧倒的に不足しているのです。或いは、そもそも、そのような「つなぐ」仕事をする立場にあったり能力を有する方が、ニーズを持った人々と現実につながりをさほど持っていないという面もあるのかもしれません。

それは、地域の人間関係がすでに壊れていることが、大きな原因なのだろうと思っています。だから、本当にサービスを必要とする方々が、様々な形で取り残され、問題が先送りされ、ますます悪化している。

そうであればこそ、人のつながりの回復、地域内の相互扶助の営みの再構築を図ることこそ、日弁連の役割として考えていただきたいのです。

具体的には、当事者と我々とをつなぐ役割を持った組織や団体などとの連携の強化があげられるでしょうし、救済や解決を要する事案と対処による解決の実例について、支援者であれご家族など国民一般であれ、周知する努力も必要なのかもしれません。

また、そのような「つなぐ」業務あるいは作業に適切な対価が支払われず、つなぐ役割を担うことにインセンティブがないという問題もあると思います。これは介護職や保育士さんなどの報酬問題に似ている面があり、弁護士法72条との関係も視野に入れつつ、利用者サイドの適正な費用負担(財源としては、例えば、棚ぼた的な相続財産の活用なども含め)や保険制度なども含めた検討と改善の努力をお願いしたいところです。

ここ数年、弁護士が余っているとかペイする仕事が得られないという話題が業界では盛んに言われています。

今のままでは、少なくとも我々地方の町弁の世界は、ある意味、そのとおりでしょう。しかし、実際にニーズのある、役に立つことができる事案を適切に我々のもとに辿り着かせ、弁護士であれ支援者であれ適切な対価を確保し内実ある仕事ができる仕組みを整えることができれば、言い換えれば、すでに壊れてしまった地域の相互扶助を、弁護士が大きな役割を果たすことを主要な要素に据えて再構築することができれば、様相は一変するはずです。

それは、最近残念な話題が相次ぐ「ひきこもり問題」のように、都会でも、そして全国中に存在している普遍的な問題だと思います。

申すまでもなく、そのことは、この場にいる誰もが分かっていることで、日弁連にとっては長年の課題のはずです。そうであればこそ、皆さんには今、改めてそのことを考えていただければと思っています。」

実際はここまで長々ではなく、3分の1程度に要約?していますが、舌足らずの分も含めて下記のことを述べたものであることは、山岸先生をはじめ同行された大物弁護士さん達には十分ご理解いただけたと思います。

そして、山岸先生からは、司法アクセスの改善は重要なテーマの一つだが、今日はよい話を聞くことができたとの前向きなコメントをいただきました。言葉の一つ一つを覚えているわけではありませんが、声のトーンがそれまでの発言よりも少しうわずっていて、それは、型どおりの挨拶ではなく本気で感じるところがあったというニュアンスを伴っているように感じました。

もちろん、多数の会員(弁護士)との意見交換の場ですので、それ以上、私が山岸先生達とやりとりすることはありませんでしたが、意見交換を終えて、ひっそりと場を後にしようとしていた私のもとに山岸先生がいらして「君の話を聞くことができて良かった」とお声がけいただきました。

一瞬、内心色々な考えが駆け巡ったあと「平成12年頃に先生が手がけておられたα社事件を覚えておられますか。私は相手方代理人の事務所に勤務して、その事件を拝見していました」とだけ述べました。

山岸先生も、α社事件のことはしっかりと覚えていらして、私も自分が起案していましたと面と向かって述べるのは憚られましたので、それ以上何も申さず、本日はありがとうございました、もしお役に立てることがありましたら、ご遠慮なくお声がけください、とだけ述べて辞去しました。

その後に行われた懇親会(飲み会)に参加しなかった(事前に欠席を伝えた)のは、やはり、委任状もなく、会ったことすらないが、それでも、自分はB氏のために闘った代理人である、そして、自分の中ではα社事件は今も終わることができていない、そんな中、相手方のボス格である山岸先生と一緒に酒を飲むなんてできないという気持ちからでした。

ですが、さきほどのやりとりで、ようやく、私にとってのα社事件を終えることができたと思いました。

山岸先生から手をさしのべられて握手したとき、何か肩の荷が下りたような、胸のつかえがとれたような実感がありました。

もちろん、ボスからほとんど説明を受けることなく東京を去った身ですので、できることなら、山岸先生に差し支えない範囲でこっそり事件の顛末を聞いてみたいとの欲がなかったわけではありませんが、懇親会はそのような場でありませんし、所詮、下っ端の一兵卒ですので、書面だけで想像を巡らせるのも私らしいことだと思っています。

ただ、何年かに一度、憑かれたようにα社についてネット検索することがあり、B氏はご自身で立ち上げた同種の企業を育て上げ、業界で相応に活躍されている一方、α社は当時以上に発展している様子が窺われるものの、当時から引退が視野に入っていたはずのA氏の息子さんが、何度見てもWeb上で表示された役員欄に入っていない(社長もA氏の退任後は別の方が長年つとめている)のを、半ば不思議な気持ちで眺めてきました。

実は、α社事件で私が関わった最後の頃にα社側から提出された書面では、α社では今後は実子や親族による経営支配を解消したい、そのための準備等をしているのだという主張がなされたこともあり、或いは、そのことが関係しているのかもしれませんが、実情は何も分かりません。もちろん、B氏側のα社側への持株関係が今どうなっているかも、全く分かりません。

当時の私は、敗訴的和解はやむを得ないのだろうとしても、創業者の子弟であり有力な後継候補として一時期は職務に精励していた(であろう)B氏の尊厳に配慮した、適切な和解(持株関係の解消や適正な譲渡対価の支払など)がなされるべきではないかと思っていましたし、それが間違っているとは今も思っていません。

ただ、あれだけの大きな紛争には、私に窺い知ることができない、偉そうなことを言うべきでない諸相があるのだろうと思いますし、結局のところ自分は「何か、一矢報いたかった」だけなのだろうとも思っています。

今回の私のありふれた発言と山岸先生のお返事が、「一矢報いた」などと評価できるものではないことは自分自身が一番よく分かっていますが、それでも、被災地ないし岩手の実情を何らかの形で訴えて日弁連の活動につなげる糧にしていただくことが、私にできるせめてもの、或いは、私に相応しい「一矢」なのだろうと思っています。

選挙のことは何も分かりませんが、山岸先生のますますのご活躍と、日弁連が掲げる人権擁護などへのご尽力を祈念しつつ、18年を経てこうした場が私に与えられたことに、心から感謝したいと思っています。

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(6.13 追記)

この投稿をした後、昨日になってS先生(今回の懇談会をお声がけいただいた方)から「投稿を見て、改めて山岸先生の賛同者(呼びかけ人)に加わって欲しいが、引き受けて貰えないか」とのメールを頂戴しました。

懇談会の少し前にもS先生から同様のご依頼を受けていたのですが、今回記載した理由からその際は辞退申し上げていました。しかし、本文記載のとおり、懇談会を経て、私にはお断りする理由がなくなりましたので、せっかくお声がけいただいたこともあり、謹んで了解させていただきました。

また、S先生への返事を書き終わって送信する直前に山岸先生からも「仲間に勧められて君のブログを読んだよ。改めて、ハコモノの整備だけでない司法アクセスの質の向上について取り組んでいくので、ぜひ見ていて欲しい」とのお電話をいただき、ただただ恐縮したというのが正直なところです。

というわけで、今後、山岸先生の陣営が公表される「賛同者一覧」に私の名前も表示されるのかもしれませんが、上記の経過に基づくものであり、今回の一連の投稿は「賛同者」云々に関係なく本文記載のとおり私自身のこととして記載したものですので、その点はご理解のほどお願いいたします。