北奥法律事務所

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休暇など

おらほのホープ?とトホホのロータリー聖地巡礼

7月にロータリークラブ岩手・宮城地区の会報に当クラブの「ホープ」という名目?で、私の紹介記事を載せていただきました。なお、写真が8年前の撮影であることは口が裂けても言えません。

いつも厳しくご指導いただいている吉田前会長は本当は「いつも例会に遅れて来る困った奴だ」と書きたかったかもしれませんが、ぐっと堪えていただき?記事では過分なお言葉を賜りました。

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だからというわけではありませんが、今年の夏は、とある事情で静岡県長泉町にある「クレマチスの丘」に行くことになったので、同じ町内にある、ロータリーの日本における創設者を顕彰した「米山梅吉記念館」にも立ち寄ることにしました。

で、やけに広い駐車場に入り、今まさに全国のロータリアンに「聖地巡礼しましたよ。羨ましいでしょう!」と高らかに自慢しようと入口に向かったところ・・・

なんということでしょう。まさかのお盆休館(それも、かなり長い)で、やむなく、敷地内にあった「ポール・ハリス(RC創設者)の記念樹」と隣の「こども図書館」(こちらは開館してました)だけチラ見して、その場を後にしました。

しかし、このご時世、普通の平日に、全国から暇なおじいちゃん・・・もとい、真面目な会員さんが大型バスに乗って大量にやってくるということも滅多にないのでは、それよりも盆正月に静岡東部を旅行するロータリアンが、折角だからと立ち寄りたいニーズはそれなりにあるはずで、そうしたニーズに応えるため、盆正月も「人員を減らすなど経費をかけずに簡易な形態で開館する」ことが望ましいのでは(少なくとも、閑散期の平日に開館するよりもマシでは?)と思わざるを得ません。

昔、正月シーズンに浜松城や長篠の設楽原歴史資料館を訪れたときも同じ感想を抱きましたが、多くの関係者の方に考えていただきたいものです。

ともあれ、クレマチスの丘では、象徴的な存在というべき彫刻美術館や井上靖文学館、ベルナール・ビュフェの美術館、写真美術館などを廻りました。

今は小説を(司馬遼作品を除き)ほとんど読まない私ですが、学生時代に井上作品は多少は読んでおり、それらを出鱈目に組み合わせて

しろばんば風林火山の氷壁は淀の甍を巡る衆星

などと軽口を叩きつつ昔を懐かしんだりもしました。

彫刻美術館には隣に高級レストランがあり、軽口ついでに

一事がヴァンジの美術館 隣はサンジのレストランかな

と、つまらぬことを呟きながら彫刻と庭園を満喫した後、三島の楽寿園に立ち寄って、小旅行を終えました。

後日、この話をfacebookに載せたところ、紫波のご出身の方から、米山梅吉が紫波の彦部開拓にも尽力したとのお話をいただきました。

三井報恩会の彦部開拓は昔に新聞で読んだ記憶がありますが、米山梅吉の関与は存じておらず、三井財閥の事業なので言われてみれば納得ですが、そうした点から物事の繋がりを考えてみるのも興味深いと思いました。

新宿のシン・ゴジラと「リアル脱出ゲーム~僕のまちの破産からの脱出~」

今年の夏休みは「群馬の保渡田古墳群と埼玉の忍城と吉見百穴に行きたい」との私の提案が無慈悲に却下され、家族の専断的決定により新宿で行われている「東京ミステリーサーカス」の「シン・ゴジラからの脱出」に行くことになりました。
https://mysterycircus.jp/shin-godzilla/

私は「脱出ゲーム」が取り上げられたTV番組は見たことがないためよく分かりませんが、要するに、特定のテーマを素材にして2~4人で一組となり会場内で主催者から様々な課題(謎解き)を与えられ、答えを出して最終問題の解答に辿り着けばゴール、という仕組み(ルール)になっているもののようです。

で、家族が「シン・ゴジラ」を観て過剰に気に入ったため、これをテーマとした脱出ゲームをやってみたいとのことで、私も同行を余儀なくされたものです。

「ネタバレ禁止」なので込み入ったことは書けませんが、要するに、参加者は「巨災対」の一員となってゴジラを停止させる方策を立案するための謎解きゲームを60分の制限時間の中で繰り返し(計6~7個)行うというもので、映画をご覧になった方であれば、概ね問題なく楽しむことができ、大人でも相応に難しいと感じるように思われます(私がその種のものが不得手なだけかもしれませんが)。

そして、進行役となるスタッフの方々は「局長」役の方をはじめ相応に話芸などの訓練をして臨んでおり、終盤のシナリオを含め最後まで飽きさせずに拝見できたように思います(値段も相応のようですが)。

ところで、「何人かが集まって紙を広げてああでもない、こうでもないなどと話をしながら何某かの成果物を作って伝達する」という作業は、JC在籍時に、いわゆる「ワークショップ」で何度か経験しています。

ただ、私が経験した「ワークショップ」なるものは、各人が好き勝手に発言した内容を付箋にペタペタ貼り担当者が何となく内容をまとめて発表して、主催者が「皆さん頑張りましたね~」などと予定調和的にお褒めの言葉を述べるものの、それを起点として社会が何か実際に変わるわけでもなく、私にとっては面白くもなく、あまり有意義とも思えない営みだったというのが正直なところでした。

ですので、どうせ「ごっこ」の類に過ぎないのなら「夢中になって取り組むことができ、最後まで飽きさせない創意工夫が散りばめられている」こちらの脱出ゲームの方が遥かにマシではないか(だからこそ、安くない料金を払ってでも満席盛況の日々となっているのではないか)、言い換えれば、巷に溢れる「ワークショップ」なるものも脱出ゲームを参考にして参加者に様々な共同作業をさせたり謎解きのような娯楽性を備えた手法を開発した方が、結果として参加者にテーマに対し関心をもって取り組む動機付けを持たせることができるのではないか、などと思ったりもしました。

というわけで、「リアル脱出ゲーム~僕のまちの破産からの脱出~」の企画案(導入部)を考えてみました。

それこそ、山崎亮氏や木下斉氏などが脱出ゲームのライターの方と組んで、参加者を熱狂させる「あっと驚く、問題解決のシナリオ案」を擁して、全国の人々に「まちの様々な問題に取り組むマインド」を伝道していただければと思っています。

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君が住むA県B市は、20年前に当時の市長が推進した大規模リゾート構想の失敗などで巨額の債務を抱え、破綻の危機に瀕している。

役所内に飛び交う噂では、今日にもデフォルト(支払不能)宣言をして市内で行われているライフラインの供給や各種行政機能が停止し、多くの市民や企業がこのまちの未来を諦め遠方の大都市に転居・移転することになるかもしれない。

そんな中、若い市長の呼びかけにより、優秀だが地元では有数のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児・・(以下略)の面々が秘密裏に集められた。

破綻必至の巨額累積債務対策本部。通称「巨債対」。

君達は、副市長から委嘱された特別チームとして、巨額負債の原因となった市内の様々な問題に解決し、行政、議会、経済そして人々の意識を改革する作業を通じて、市内の社会経済全体の機能停止と破綻を防げ。

制限時間は60分。間に合わなければ、この街は倒産する。」

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余談ながら、新宿では、牡蠣狂いでありながら数年ほど生牡蠣がご無沙汰になっていた同行家族の恫喝と強要により、いわゆるオイスターバーで食事をとりました。

すると、店内入口のガラスケースに「赤崎」などと書いてあったので、大船渡の赤崎かと思ってメニューを見ると、大槌産、米崎産、釜石産などと岩手のオンパレードになっていましたが、それ以上に、夏なのに岩手の牡蠣=真牡蠣が生で食べられる(そうした技術が創出されている)ことに大いに驚かされました。

メニューには岩牡蠣と真牡蠣が数個ずつ掲載され、岩牡蠣は九州などのもの、真牡蠣が岩手と宮城のものと表示されていましたが、真牡蠣も岩牡蠣に負けず十分に美味しくいただくことができたように思います。なお、店内で提供している日本酒も岩手のものでした。

ともあれ、久しぶりに贅沢な食事をしたせいか、お店を出る頃には、

牡蠣喰えばカネが無くなり放心し

というのが正直なところで、幸い当家は現在のところ「巨額債務で破綻必至」にならずに済んでいますが、収益力に見合わない出費が続くことのないよう、財政健全化に努めたいものです。

20年間生きたスキー靴

例年、年末から2月にかけて多忙になることが多く、雪解けが近くなってからようやくスキー場に行けるという有様になることが珍しくありません。

今年は2月末に雫石スキー場、その1週間後に網張スキー場に行きましたが、諸事情により丸一日とはいかず、いずれも初級者コースを中心に3時間ほど滑っただけで帰宅しました。

両スキー場とも約20年ぶり?に来た上、当時=修習中は仲間が安比に好んで行きたがり、これらのスキー場(特に網張)には滅多に来る機会がなかったので、懐かしさの反面、ここはこうなっていたのかと再発見のような感覚もありました。

雫石は、出発が遅れて午後2時過ぎに着いたので、やむなくロープウェイで上部に行き初級コースを若干滑った後、下山してナイターで滑ることにしました。

すると、一旦コースを閉めて整備するとのことで30分待たされることになり、喫茶店がないかと探したものの既に営業終了しており、やむなくプリンスホテル2階のレストラン入口ロビーで待っていましたが、すでに夕食を開始している浴衣姿の宿泊客らを横目に見ていると、「自分はそこ(入口)から先には行けないんだ・・」などとプチ格差社会感を抱かずにはいられないものがありました。

それはさておき、ナイターの開始直後に滑り出したところ、圧雪車で整備された直後のため、非常に滑りやすくなっており、ある意味、ここ数年で一番気持ちのよいコンディションで滑ることができました。

20年前、修習生仲間と雫石のナイターに一度だけ来たことがあり、今回のナイターはそれ以来でしたが、あのときも爽快に滑ることができたので、とても懐かしく感じました。

ジャンプ大好きのI君(東京地裁で活躍中)は段差で跳びまくり、K君(S市の大物弁護士)はショートスキーで蝶のように舞い(蜂のように女心を刺す光景は残念ながらゲレンデでは拝見できませんでした)、さほど上手ではない地元出身の私(しがない田舎の町弁)とKさん(巨大事務所を経て名門企業のインハウスローヤー)は、彼らの華麗な光景を横目にマイペースで滑っていましたが、4人全員がかけがえのない楽しい時間を過ごすことができたことは間違いありません。

これに対し、その1週間後に訪れた網張スキー場は雪の状態があまり良くなく、途中から雨になり靴にしみこんでくるなど、散々なコンディションでした。昔、一人で網張に来たことが一度だけあり、その際も大雪で快適に滑ることができませんでしたので、どうも網張とは相性がよくありません。

その上、なんということでしょう。

雨が染みてきたスキー靴に目を向けたところ、ヒビ割れががあることに気づきました。20年間使い続けた愛着ある一品だけに(平成17年から26年頃は一度もできませんでしたが)、ついにそのときが来てしまったというか、残念この上ない限りです。

このスキー靴とスキー板は、平成10年の夏頃に検察修習のお昼時間に我々(修習生4人)が指導検事のお供で大通りのレストランで昼食をとった帰りに、当時は大通りにあった石井スポーツで、「これ、お勧めだよ」とO検事からアドバイスを受けて購入したものです。

そして、頻繁にスキー場に行っていた修習時代(24歳頃)から東京で過ごした30歳近くまでの時期に、新人時代に同業の方に誘っていただいたスキー旅行などを含め、ほぼ毎年、何らかの形でお世話になってきたもので、私にとっては二度と戻らない眩しい日々を一緒に過ごした仲間のような存在と言っても過言ではありません。

それだけに、改めて、一つの時代が終わり、新たな時代が次の世代により始まっていくのだろうなどと、感傷に浸らずにはいられない面がありました。

そんなわけで一首。

老靴が役目を終えて懐かしむ夢の続きは弧らに託して
私にも青春の日々あったねと伝える靴のヒビの愛しさ

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縄文と弥生の数奇で幸運な出逢いとしてのフラガール

今回(昨年)のいわき方面への旅行は、スパリゾート・ハワイアンズ(旧・常磐ハワイアンセンター)に家族を一度は連れて行こうと考えたのが発端になっており、「丸一日プールに入りたい」という同行者の強硬な要求もあって、2泊3日の旅の締めくくりに、この日は朝からハワイアンズに向かいました。

駐車場には、太陽光発電の装置が大規模に設置されていましたが、天候次第では発電以外の面でも有り難いように思われ、現在のコストのことは分かりませんが、もっと普及して良いのではと思いました。

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施設の入口では、中毒性のあるメロディで「連れてって連れてって連れてって~」というテーマソングが延々と流れており、それに倣って、

連れてって連れてって、いわきの駐車場~
日除けと雨除け、発電も兼ねちゃってってって~
ハワイア~ンズ もとい、家族サービス部。

などと歌いたくなりました。
https://www.youtube.com/watch?v=cAvOmmH9Edc

それはさておき、私自身は、旅行では名所旧跡や各種施設を時間の限り訪ね尽くす弾丸志向型で、リゾートとかプールなどという過ごし方は性に合いませんので、ご家族の皆さんお好きにどうぞ状態で同行者に任せたというのが正直なところです。

ただ、以前に映画「フラガール」は観ていましたので、フラ・ミュージアムはきちんと見ておきたいと思って、そこだけは一人で見に行きました。
http://www.hawaiians.co.jp/show/hulamuseum.html

展示は、「フラガールのあらすじ=ハワイアンズ成立の基礎となった常磐炭鉱の閉山と生き残りを巡る人々の闘いの物語」と「フラの本場たるハワイやタヒチ(ポリネシア人)のフラ文化の紹介」の2本立てとなっており、後者ではフラが宗教的・祝祭的な儀式であることなどが説明されています。

このブログでは「縄文の継承者としての東北」という視点を繰り返し強調していますが、ポリネシア人(ハワイやタヒチなどの南方系)と縄文人(北方系)は人種的に同系(古モンゴロイド)とされているのだそうで、常磐炭鉱の人々が起死回生のシンボルとしてフラを選んだ背景には、指導者の知見だけでなく、「底に流れる人種の血」といった観点も考えてもよいのかもしれません。

ただ、常磐炭鉱は「一山一家」を標榜し、ハワイアンセンターの開設(フラガールの物語)も炭坑の人々がそうした一体感を守るために始めた営みとして描かれ、特定の個人の特異な力量ではなく関係者一人一人の役割意識や団結などが重視されているわけで、そうした光景は縄文文化(個人主義)よりも弥生文化(集団主義)に当てはまるもののように思われます。

弥生人は漢民族や朝鮮民族などと同じ新モンゴロイドという人種なのだそうで、縄文人の末裔の一つである蝦夷集団(各部族)が国家と呼べるだけの社会を形成できなかったように、日本という国(ヤマト国家とその前史)はクニという巨大組織を作る力に長けた彼らが大陸から渡ってきたときから始まったと言ってよいのではと思われますし、以前に沖縄に行った際も「琉球王国は土着の縄文人ではなく渡来の弥生人が土着の民を取り込む形で作ったのではないか」と書いたことがあります。

前回述べたとおり、かつて大和国家の最北端(最前線)の役割を担ったいわきの地には縄文と弥生の結合を図る文化があり、それがフラという縄文に似た文化を活かす方法で地域の存続を図る努力が人々により営まれた底流にあるのでは、という見方もできるように思います。

そのことは「フラの本場」であるハワイの民が米国(西欧人=コーカソイド)の侵略に抗しきれずに民族としての主権を失い米国に同化する道を辿った光景や、タヒチはもちろんインドネシアなど他のポリネシア系の民族を見ても、彼らが近世・近代に国家としての強靱さを持たない状況下で西欧の侵略などに晒され苦難の道を辿ったことなどにも視野を広げると、色々と考えさせられる面があります。

ハワイアンズの宣伝によれば「フラの博物館」は世界でここだけなのだそうですが、以上に述べた観点を踏まえれば、いわきの人々がフラ(ポリネシア人の文化)を継承ないし保護振興する姿は、我々が考える以上に意味や価値のあることなのかもしれません。

そんなわけで、激しいフラの踊りの先に、失われた人類の多様な過去、そして禍々しい要塞のような原発に依存することのない未来も垣間見ることができればなどと思って一首。

誇らしく一心不乱に舞う汗は 岩城も穿つ ひとしずくかな

ただ、私自身は同行者の「目当てはプール。ショーは興味なし」との専断的決定のせいで前夜も含めフラのショーをほとんど見ることができず、トホホ感を抱いたまま立ち去ることを余儀なくされましたので、またいつの日か再訪し、改めてフラのショーなどを拝見できればと思います。

みちのくの境界で郷土愛を叫ぶ

いわき編(昨年GW)の2日目は滝桜に立ち寄った後いわき市に向かい、まずは白水阿弥陀堂を訪問しました。

白水阿弥陀堂は中尊寺金色堂の建立者たる藤原清衡公の娘がいわき地方の有力者に嫁ぎ、その財力で建立されたもの・・と思っていたのですが、それは伝説の類なのだそうで、実際は地元の有力武士らが支援を持ち寄って建立したものの、平泉との繋がりがあったこと自体は間違いないため、それを権威ないし正統性の証として宣伝する中で、上記の伝説が形づくられたのではないか、という趣旨の話がパンフに書いてありました。

阿弥陀堂自体はコンパクトな建物でしたが、毛越寺によく似た浄土式庭園があり、後背の山林を借景として相応に見応えのある雰囲気だと感じました。

パンフによれば、全盛期~江戸時代はこの数倍の規模があったものの、明治の廃仏毀釈騒動で多数の伽藍などが被害に遭ったため阿弥陀堂だけが残ったとのことで、「廃仏毀釈被害に関する北の横綱」というべき?浄法寺の天台寺と同様に、残念な思いを禁じ得ませんでした。

ともあれ、都人のエゴを発端とする悲惨な抗争と犠牲の末に平泉文化を開いた清衡公に縁を持ち、近代には薩長の威を借りた文化財破壊の被害に遭いつつ、現代もなお浄土を願い静かに祈りを続けているという点で、この地(白水阿弥陀堂)もまた、みちのくの歴史を凝縮したような面があると言ってよいのではと思います。

そんなわけで、現代に生じた福島の苦難なども踏まえつつ、阿弥陀如来のご尊顔を拝して一首。

みちのくの御仏が知る血と涙 浄土は今もなすべきを問う

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次に、阿弥陀堂から自動車ですぐの場所に常磐炭坑の往時の様子を展示した「みろく沢炭鉱資料館」があることが分かったので、そちらに向かいました。

資料館は小屋にビニールハウスを接続させた渋い施設で、小規模ですが味わいたっぷりの、ぜひ訪れていただきたい場所だと思います。

炭坑の入口跡がすぐ隣にありますが、注意を呼びかける男性が妙にニヤケ顔になっているのが気になりました。

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次いで、いわきのメイン施設の一つというべき複合水族館施設「アクアマリンふくしま」に行きました。私は昔から動物園よりも水族館の方が好きな性格らしく、浅虫・男鹿・松島(仙台)をはじめ、遠出すると動物園を素通りして水族館ばかり優先してしまう傾向があります。

それはさておき、さすがにGWのため大混雑しており魚介類より人垣を見た記憶しかないような気もしますが、施設の規模や充実度などは東北随一でしょうから、人の少ない時期に再訪しじっくりと拝見したいものです。

アクアマリンの建物は水上に浮かぶ潜水艦のような姿ですが、水族館の向こうには造成中の人工島と陸地を結ぶ巨大なベイブリッジ(小名浜マリンブリッジ)があり、水族館(潜水艦)とベイブリッジが海に向かって進もうとしているような光景は、周囲の「東北ばなれ」したアーバンリゾート的な光景(昨年に訪れた名古屋港周辺に似ています)も相まって、その先に福島の明るい未来と希望が続いているかのような印象を受けました。

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その後、県境を越えて、茨城県の北茨城市にある五浦(いづら)海岸六角堂に向かいました。

六角堂は太平洋に面した小さな崖の上にあり、明治期に日本美術や東洋美術などの復権に尽力したことで有名な岡倉天心が後半生を過ごした邸宅の敷地内に天心自ら設計して建てられたもので、ご本人が一人で自由な時間を過ごし思索を深める場として用いられていたようです。

六角堂は東日本大震災津波のため流失し近年に再建されたことでも有名で、そのニュースを見ていた関係もあり、ぜひ見たいと思って立ち寄りましたが、周辺の雰囲気もよく(男鹿半島や松島に近い雰囲気があります)、今度は岡倉天心美術館と名物のアンコウ鍋を食べに来たいものだと思いました。

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西欧列強による侵略・植民地化などの暴風が吹き荒れた時代にアジアの文化・芸術の復権に力を注いだ岡倉天心の運動ないし思想は、大日本帝国の躍進と共に社会の理解を得たものの、戦争の時代には侵略の正当化に悪用されたこともあり、その後は「アジアを一つに」という天心の思想は腫れ物のように扱われて不遇の時代が続いたようにも思われます。

しかし、中国の強大化や北朝鮮を巡る緊張などアジアが改めて世界規模の紛争の震源地になりうる状況になっている今、改めて天心の思想の再評価と運動の現代的な継承が図られるべきではないかと思います。

それこそ、この地(六角堂ないし北茨城市)が原発事故のため良くも悪くも世界の注目を集めた福島に隣接していることを前向きに捉えて、アジアないし世界の結束に向けた取り組みをしていただければと思います。

訪問時に初めて知ったのですが、震災後に復興支援映画と題して岡倉天心の苦闘を描いた「天心」という映画が制作・上映されたのだそうで、隣接する五浦岬公園には撮影のため再現した当時の建物(日本美術院)や映画の説明資料などが残されており、いずれ映画も拝見できればと思いました。
http://eiga-tenshin.com/official/

このブログでは、二戸出身の田中舘秀三・東北帝大教授が大日本帝国軍の侵攻に伴う大戦の混乱からシンガポールなどの学術資産を守った出来事を紹介し、その物語の映画化を期待する目的でシナリオ案の連載をしたことがありますが、今それが実現できるのであれば、竹中氏は秀三先生を演ずるに最も相応しい御仁の一人と思われ、そうした意味も含め、この地の方々を羨ましく感じました。

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その後、本日の宿泊地であるいわき湯本温泉に向かうためいわきに戻りましたが、折角なので、県境のある勿来の関の跡(擬定地)に立ち寄ることにしました。

勿来関は、白河関(4号線)、鼠ヶ関(日本海側=新潟・山形県境)と並んで古代にあっては大和国家の北限(蝦夷領域との国境)となった場所であり、平安朝から近代に至るまで、多くの歌人に歌枕として詠まれたことでも知られています。

といっても、頼朝(鎌倉軍)による征服までは大和国家に対する自治独立を保った北東北(北奥)とは異なり、いわき(磐城国)は飛鳥時代ころには既に大和国家の一部として、その統治体制に組み込まれていたようです。

そうした意味では、「化外の地」として大和国家とは独自の道を歩んだ北奥と異なり、福島は、古代には磐城国、中世は会津(秀吉・徳川政権による東北の監視役)、近代は郡山(明治政府の巨大開拓地)、現代は原発(首都圏への電力供給地)という形で、常に時の中央政府と強い関わりを持ちながら歩んできた歴史があると言ってよいでしょう。

それだけに北奥とは異なった形で中央権力のエゴに翻弄される面があるのだとしても、反面、北奥よりも遙かに「日本を動かす」チャンスに恵まれているのではと思いますし、現代の福島が「苦闘をバネに日本を変えるために打って出る」ような展開があれば、北奥の人々もそれを支えることができればと願わないでもありません。

私自身はこのまま静かでちっぽけな九度山のような日常に埋没してしまうのでしょうし、それが分相応とも思いますが、それで終わってよいのだろうかと余計なことを考えてしまうときもあります。

そんな悲哀?を感じつつ、丘の上の遊歩道に並べられた多くの歌碑の真似事をしたくなって一首。

さむらいは名こそ惜しみて身を捨てて 志遂ぐ死地を待つべし

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その日にお世話になった宿は家族向けにリーズナブルなサービスを提供していただきましたが、夕食に関しては質より量の印象は否めず、私には珍しく、遺憾ながら食べきれずに残してしまいました。そんなわけで、

くいだおれ家族そろって呻く夜

といった有様の方が私にはお似合いのようです。

滝桜に向き合う「ここにしか咲かない一つだけの花」

1年前の話で恐縮ですが、昨年のGWは、いわき方面に2泊で旅行しました。いわき市は(磐越道や常磐道も)今回が初訪問になります。

東北自動車道を南下した後、最初に二本松ICで下りて二本松城を訪問し、その後、田村市の「あぶくま洞」に向かいました。

二本松城は、安達太良山などの眺望が素晴らしく、平山城の広大な敷地内を散策したかったのですが、時間不足のため裏口から本丸周辺を拝見したほか、大手門(三の丸)の入口をチラ見しただけで終わってしまいました。

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その後、二本松市内で移転(避難)営業をなさっている「浪江やきそば」の名店に来てみたのですが、大行列で泣く泣く諦め、あぶくま洞に向かいました。

あぶくま洞は、龍泉洞と違って地下水脈が通っていないため、龍泉洞を何度も見ている岩手県民としては、少し物足りない面もありましたが、鍾乳石の造形美という点では、龍泉洞よりも多様で大規模な光景を楽しむことができたほか、入口の大岩壁に見応えがあるように思いました。

若干の追加料金で探検コースに立ち入ることができるのですが、かなり狭い空間を辿らなければならず、肥満の方には無理があるほか、汚れても構わない格好で入った方がよいのではと思いました。

その後、この日の宿を予約した三春町に向かいましたが、途中で、田村市にある「小沢の桜」という名所に立ち寄りました。「はつ恋」という映画のロケ地だそうで、すでに大半は散っていたものの、十分に見応えがありました。

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そして、宿に着く前に、三春といえばということで、滝桜にも立ち寄ってきました。満開から3週間を過ぎていましたので完全に葉桜でしたが、周辺もよく整備され、日本有数の銘木としての風格を感じました。

幸い、町内の山桜などは散りきっておらず、ちょうど滝桜と丘の坂を挟んで向かい合っている名もない山桜は、まだ美しい姿を見せていました。

そうした光景を見ていると、ここ数年、かつて司法研修所で一緒に勉強した方々の多くが、著名な事件を手掛けて大きな成果をあげたり司法の重要な部門で活躍されているとのニュースなどに接し、彼らが滝桜のように咲き誇っているのに比べ、私自身は震災前後から何年もぱっとしない停滞状態が続いている、そんな光景を感じずにはいられないところはあります。

ただ、私がそうした華々しい方々に遠く及ばないにせよ、滝桜の後に咲く目立たない山桜のように、いつの日か地域社会で地味でも意義や価値のある役割を果たすことができるよう、その機会が与えられる日まで地道に研鑽を積んでいこうと思います。

と、そんなことを考えつつ一首。

そびえ立つ国の誉れの散る頃に 遅咲きの花 愛でる神あり

この日は夕方に訪れたこともあり、写真映えのしない薄暗い状態でしたが、翌朝にもう一度訪れた際は、快晴の空に滝桜も周辺の山桜も、共に美しい姿を見せていました。

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賢治に献じる花のうた

今年は、桜の季節に遠方に赴くだけの余力がないとのことで、やむなく紫波の城山公園と花巻市周辺を少しだけ訪ねました。

最初に向かった城山公園では大渋滞に遭いましたが、ピーク日だけあって、十分に見応えがありました。ただ、この日は曇天気味だったので、「桜は晴天に限る派」の私としては、少し残念に思いました。

次に、4号線を南下して花巻に行き、花巻城址の桜を車内からチラ見した後、同行者の要求によりマルカン百貨店の大食堂で一休みし、その後、いわゆるイギリス海岸(北上河畔)付近に約10年ぶりくらいに行きました。

雪解けの季節ですので、当然ながら今回も「海岸」を見ることはできませんでしたが、隣接する公園や堤防に桜並木が整備されており、その点は見応えがあって幸いでした。そんなわけで、毎度の一首。

日高見のケルトの浜は見えねども 献じて偲ぶ桜ひとひら

余談ながら、先日読んだ松木武彦「縄文とケルト」(ちくま新書)では、縄文文化(遺跡群)とイギリス各地に点在するストーンヘンジなどの古代遺跡群で確認される古代ケルトの文化には共通する文化的・精神的な要素があるなどと書かれており、賢治のまなざしは、そうしたことも見据えていたのだろうかと考えてみるのもまた、良いのではないかと思います。

ところで、私が花巻に来た本当の目的は、花巻城址(鳥谷ヶ崎公園)の桜をきちんと見るというものでしたが、公園の駐車場がどこにあるのか分からず、周辺をウロウロしているうちに疲れてマルカンに向かってしまったという体たらくでした。

今調べたところ、この公園には(ある意味、信じがたいことに)専用の駐車場がないとのことで、要するに隣接するヨーカドーの駐車場を使って下さい(その代わり、タダ駐車はよろしくないので、帰りに何か買って帰って下さい)ということなのだろう、と思わずにはいられませんでした。

九戸城址を筆頭に城址大好き人間ですので、数年前に花巻支部に出頭した際も鳥谷ヶ崎公園に行こうとしたものの駐車場が分からず諦めて帰ったことがあり、次回の出頭の際には時間を確保して、上記のパターンで必ず公園に行こう(でも、やっぱり桜の時期に行きたかった・・)と思いを新たにした次第です。

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妖怪ウォッチの新作映画とガンライザーの異同を踏まえて「あるべき次回作のシナリオ」を論ぜよ

当方では毎冬に映画接待を求める強硬な要求がなされるため、不本意ながら?これまで妖怪ウォッチの映画は全て引率せざるを得ず、今年は大至急の仕事がさほど多くなかったこともあり、公開初日に拝見しました。
http://www.eiga-yokai.jp/index.php

ただ、このシリーズは、毎回「かぞくやともだち(自分と価値観を共有する内輪社会)との意思疎通をだいじにしよう(だから、そんな大切な人々を困らせる悪い奴は倒そう)」以上のメッセージを読み取ることができず、つまらないなどと安易に申すつもりはありませんが、早送りさせて欲しいなぁと感じる面はあります。

今どき、毒気というか、子供から大人社会への風刺や異議申立などを含んだ(かつ、家族向けの売れるエンタメとして仕上がっている)作品というのは、なかなか世には出ないんでしょうかね・・

本作品と同様に「鬼と人との対決」をテーマとする「岩手のヒーロー」ことガンライザーは、鬼=縄文人、人=弥生人という暗喩があり「人が鬼を歴史の彼方に追いやったので、鬼が世界を取り戻すため攻めてくる。両者の血を引くガンライザーが、人と鬼の調和を伴う新たな世界の創造のため、時に迷い苦しみながら闘っている」というメッセージが見え隠れするので、その点では、多少は見応えがあります。

大人の立場からは「身内を守るため相手を撃滅する闘い」ばかり描くのではなく、主人公が異質な他者が自分達と衝突せざるを得ない背景にあるものを見抜いて撲滅以外の解決のあり方を模索するような物語も見せてやっていただければ、と思わないでもありません。

まあ、そんな話は昔だってウルトラセブンくらいで、後は似たような勧善懲悪話ばかりだったじゃないかと言われそうですが。

そもそも、鬼や妖怪=弥生人(現代日本人)との闘争に敗れて歴史に消えた古い縄文人の暗喩という発想は岩手の専売特許ではなく、鬼太郎こと水木しげる氏の出身地である山陰など、縄文文化の歴史が息づくとされる地方では、よく言われていることではないかと思います。

「妖怪ウォッチ」が数年前に社会現象になるほど爆発的にヒットした背景にも、弥生的な同質社会の行き詰まりというか「社会の向こう側」に潜む多様な異界の存在との接触を欲するようなメンタリティが社会内(子供達)に存する(存した)ことの表れとみるべきかもしれません。

そうであればこそ、妖怪ウォッチには、「異質な他者が織りなす世界との接触による現実世界の再構成」というコンセプトがあってよいのではと思いますが、これまでの映画を拝見する限り「自分達の社会の平和を乱す悪い妖怪を倒す」という弥生的世界観ばかりが目に付くように感じ、残念に思います。

そもそも「僕達を苦しめる悪い妖怪や鬼」を描くなら、それに匹敵する「悪い人間」も登場させないと、妖怪達にとって不公平だと思わざるを得ません。

そこで、これまでの映画の一貫したパターンである「主人公ら+善良な妖怪vs悪い妖怪」という構図ではなく、敵側に人間も含め、しかも「敵側にもそれなりの事情があり、その事情の解決も物語の課題に含まれる」という味付けもすれば、大人にも見応えのある作品が作れるのでは、と思ったりします。

例えば、来年に予定される次回作は、こんなストーリーでやってみてはどうでしょう。

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主人公ナツメの住む街で先日当選した若い市長Aは、市内の様々な問題を矢継ぎ早に解決して多くの市民から熱狂的な支持を受け、間もなく国政に進出し将来は国の指導者になるのではと目されていた。

しかし、Aには裏の顔があり、多くの人の心を操り秘密組織や特殊な装置を作って人類を草木などに変え太古の自然と妖怪の世界に戻すことを計画しており、その背後には強大な妖怪BがAに力を与えて協力し、それに賛同する妖怪達も多くいた。

やがて、Aの正体に気づいたナツメは仲間と共にAの野望を砕くため立ち上がり、妖怪達も双方の勢力に分かれて闘うことになった。すると、Aが子供時代は善良な心の持主で、善良な妖怪と心を通わせていたが、悪い人間のエゴでその妖怪が無残な目に遭い、人間に絶望して滅びを望んだこと、その善良な妖怪が人間への恨みの果てに姿を変えたのがBであることが分かった。

激しい闘いの最後にBは倒されて闇の世界に消え、善良な心を取り戻したAが残った。Aは「Bを救わなければ」との思いで、闇の世界に向かおうとする。それを某大物妖怪がサポートを買って出て、Aと一緒にBを救うための旅に出た。

ナツメ達はAやBのような者を再び生み出さないよう人と妖怪が互いに幸せに暮らせる善良な社会を作っていく決意を新たにするのであった・・

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まあ、そんな戯言の類はさておき、今回の主人公が過去に救助されたことがあるとの下りは、あまりにも某作品の「そのまんま」過ぎというか、M監督から抗議が来ないのだろうか?と余計なことを思いました。

以上、あれこれ書きましたが、私の読解力の問題もありそうですので、同じ接待業務に従事された方がおられれば、異なる視点などもご教示いただければ幸いです。

天母山と賢治の魂

例年、正月には妻の実家がある遠方の某県に帰省し、義父の車両を拝借して自動車で行動可能な圏内に小旅行をするのが通例になっています。今回は平成24年に富士宮市の天母山公園を訪ねた件に触れたいと思います。

富士宮市の北部(富士山麓)に「天母山(あんもやま)公園」という地元民の憩いスポットがあります。公園自体は丘の上にある桜が植樹された広場と遊具群といった一般的な公園なのですが、この公園に隣接して「天母山法華道場」なる法華宗の一流派の寺院があり、溶岩が固まったゴツゴツした石で作った仏像や灯籠、狛犬?などが並んでいます。

写真を添付できないのが残念ですが、溶岩石で出来た石灯籠などは一見すると、おどろおどろしい風情があり、それだけを見ると恐怖寺院のような印象です(関心のある方は「天母山」で検索して写真をご覧下さい)。

無論、他の庭園や寺院の建物は至って普通・簡素なもので幽霊屋敷の類ではありませんが、溶岩石の石灯籠などはオバケ屋敷を作りたい方には参考価値が大きいと思われます。

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天母山の山頂付近に、奇石博物館という奇石や鉱物をテーマとするユニークな私設博物館があります。館内では様々な鉱物のほか糞の化石などが展示、販売されているのですが、「石っこ賢さん」こと宮沢賢治の業績を展示するコーナーがあり、賢治が採取した岩手県内の鉱物も多く展示されています。
http://www.kiseki-jp.com/

岩手県民なら「下の畑に居ります」は聞き飽きた?セリフですが、ここでは同じような看板に「イギリス海岸に石を採りに行ってます」と専門的な言葉で書かれたものが掲示されています。賢治ファンに限らず、岩手人には一見の価値があると思います。

ところで、冒頭の「天母山法華道場」について検索したところ、国柱会という法華宗の在家宗徒団体が、明治期に建立したという記事が出てきたのですが、この国柱会という団体(宗教・政治結社)は石原完爾ら国粋主義のエリート陸軍軍人に影響を与えたことのほか、宮沢賢治が会員となっていたことで有名です。

ちなみに、「天母山」という地名(山名?)も、もともと富士宮市にあった地名ではなく、法華宗の教義(国立戒壇=祭政一致国家思想)が関わっているようです。ウィキペディア等であれこれ調べていくと、法華宗の教義の中に国立戒壇の聖地(祭政一致国家の総本山とでも言う意味?)を富士山麓の天母山に建立すべきだという説があるようで(通説ではないようですが)、これが、この山の命名に関係していると推測されます。

天母山公園の成り立ちを説明するサイト(公的なものではない)を見ると、創価学会が周辺地を買い占めていたものの、ある時期にそれを断念?して、市に寄付したと記しているものがありました。

創価学会は国立戒壇思想を巡って過去に批判(他勢力からの攻撃)を受け、国立戒壇思想を放棄したという類の記事も見受けられるため、もしかすると、創価学会はその思想に基づき一旦は天母山周辺の土地の買収を図ったが途中でその思想を放棄し、その証として買収地を市に寄付したということなのかもしれません。

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もちろん、実際の(現在の)天母山公園の周辺には宗教論争の類を感じさせる光景は微塵もなく、丘の上に植樹された桜や遊具が並んでいる、ごくありふれた公園の様相を呈しています。

また、奇石博物館は法華宗とは何の関係もなく、別の経緯でこの場所に建設されており(館員の方に「天母山」の由来をお尋ねした際も、まったく不明とのことでした)、賢治が取り上げられていたのも賢治が鉱物の専門家であったことによるもので、宗教的な事柄とは何の関係もありません(奇石博物館自体、何らの宗教色も見受けられません)。

ただ、天母山という富士宮市でも対外的知名度の高くはないスポットの中に「法華宗(国柱会)」と「鉱物」という賢治が短い生涯の中で大きく関わりを持った事柄に縁のある施設が複数存在していることについては、岩手人としては感慨深いものを抱かずにはいられません。

或いは、天母山には「世界全体の平和と幸福(軍国主義者が悪用する以前の本来の意味での「八紘一宇」)」を求めた賢治の魂の一部が眠っているのかもしれません。

富士宮市と言えば、多くの日本人には焼きそばと白糸の滝等の著名な観光スポットが連想されるのでしょうが、ガイドブックでは触れられない意外なところに深い話が潜んでいるということで、関心をお持ちの方は、ぜひ訪ねていただいたり、これを機に、岩手と富士宮市との交流を図っていただければと思っています。

蛇足ですが、天母山のことを最初に妻に聞いた際「昔、天母という鉱物が採れたから、そこに博物館を作ったのか?」と思ったので、館員の方に質問したところ、「何を言っているのか?」と怪訝な反応されました。

そのため帰宅後に検索したところ「天母」と「雲母」を取り違えていたことが判明し、天母の由来を知りたくて色々と調べたところ上記の話が分かってきたという次第です。

ただ、wikiや個人の方が開設したサイトなどが元ネタになっており、正確性には多少のリスクがあるかもしれませんので、その点はご留意下さい。

(今回の投稿はH24に旧HPに掲載したものの再掲です)

博士が守った世界遺産は黄昏と共に~シンガポール編⑤

シンガポール紀行&感想編の締めとして、最終日(3日目)について少し書きます。

この日は、午前中に「アジア最大級のリゾート地(シンガポールの観光立国の象徴)」と言われるシンガポール南部のセントーサ島に行ったものの、諸事情により、水族館「シーアクアリウム」と展望台「セントーサ・マーライオン」を見ただけで本島に戻りました。

セントーサ島はユニバーサルスタジオやウォーターパークをはじめ島全体がリゾート地として開発され、ビーチもあるそうですが、各種娯楽施設を備えた人口リゾート地としてはアジア最大級なのだろうと感じました。

といっても、そうしたものに関心の薄い私は、引率(ケーブルカーを利用したかった等の理由から往路のみH.I.Sのツアーを利用)のガイドさんに「日本軍が戦時中に多くの華人を虐殺した際、この島に多数の遺体を遺棄したという話を聞いたのですが、島内に慰霊碑などはありませんか」と尋ねたところ、慰霊碑などは無いが、シロソ砦に戦争に関する展示があるとの説明を受けました。

帰国後に少し調べてみたところ、以下のようなサイトを拝見し、次に来星の機会があれば、ぜひ訪れたいところだと思いました。
https://www.nttdata-getronics.co.jp/csr/lits-cafe/sato/singapore.html

今回の主要目的地であるシーアクアリウムは、「世界最大級の海洋水族館」とのことでしたが(こちらは海専門で、「川専門」のリバーサファリとの違いを出しているようです)、駆け足で通過せざるを得なかったことやいわゆるショーの類がないせいもあってか(イルカなどは尊厳保護の点からショー禁止が世界的潮流となっていることの影響でしょうか)、鳥羽や名古屋港など日本の著名水族館の方が大きいのでは?との印象はありました。
http://singapore.navi.com/miru/154/

それでも「世界最大の水槽」とされるメインのパノラマ水槽は圧倒的な迫力があるなど、十分に楽しめました。

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今回は駆け足にならざるを得なかったので、半ば勘違いで行けずに終わった「中世アジアの外洋船の博物館エリア」も含めて、もう一度、見に来たいものです(但し、ポケモンと称する他国の著作物ではなく自国オリジナルキャラで勝負すべきでしょう)。

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セントーサ・マーライオンからは、現代的な都市と自然が共存するシンガポールの美しい光景を堪能できたように思います。なお、エレベーターの手前には、どういう理由か他の海獣に関する人形とかポスター類などが展示されていましたが、シンガポール・ゴジラ(略して「シン・ゴジラ」)といった感じのものもありました。

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その後、H.I.Sから頂戴した「チキンライスの名店のタダ券」を何が何でも消化しなければとの思いで、オーチャード通りにある著名店で昼食をとりましたが、店内は同じ魂胆で来店した?日本人だらけだったこと、日本語メニューが最初からテーブルに置いてあり、メニューも定食(セットもの)ばかりで、日本国内のレストランに入ったような感じでしたので、雰囲気という点では、さほど有り難みがありませんでした(もちろん美味しくいただきましたが)。

なお、お店が入っている建物の下層階はアーケードになっていて、日本の著名ラーメン店やトンカツ屋さんなどもありました。

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そして、ホテルに一旦戻った後、チェックアウトし、ようやく私にとっての第一目的地であるシンガポール植物園に行きました。なお、前日のトラブルの関係で、ホテルの方には果物の差し入れまで頂戴してしまいましたが、追加料金の請求もされず、重ねて恐縮の限りです。

シンガポール編の初回の投稿でも述べたとおり、同郷の偉人・田中舘秀三博士が数奇な縁?により日本軍の侵略による戦災から守った世界遺産・シンガポール植物園を訪れて、博士の何らかの足跡を感じたいということが、個人的な旅の目的になっていました。

事前にネットで少し調べた限りでは、残念ながら植物園内に博士を顕彰した施設等はなく、シンガポール博物館に当時の写真が残されている程度だということは知っており、時間等の都合で今回は博物館への訪問は困難と思っていたので、せめて、園内の雰囲気だけでも味わいたいということで、地下鉄(MRT)で最近できた植物園に隣接する駅に向かいました。

駅の場所が、本来の正面玄関の反対側(裏門)ということで、メインエリアまでそこそこ歩かざるを得ず、疲労状態の同行家族の文句に耐えつつ、中心施設たる国立ラン園(ナショナル・オーキッド・ガーデン)と、シンボル的存在である「バンドスタンド」(かつて演奏が行われた綺麗な東屋。英国庭園的な上品さに包まれており、非常に雰囲気が良いです)を見ることができました(残念ながら携帯写真は容量オーバーで掲載困難のため、こちらのサイトなどをどうぞ)。
http://tropicalplant.air-nifty.com/top/2006/11/post_1.html
http://singapore.navi.com/special/5029491

ナショナル・オーキッド・ガーデンは、花のメインの季節ではなかったのか、夕方に行ったのが悪かったのか、ネット上の写真で見るほどの華々しさは感じませんでしたが、それでも、ここで数十年ないしそれ以上前に開発された花々が今や日本をはじめ世界中で咲き誇るようになったのだと思うと、感慨深いものがありました。

また、花々もさることながら、熱帯の個性的な多数の木々や巨木などが印象に残り、静閑な雰囲気もあって、しばらくここでのんびりすることができればとの思いにかられました。ちょうど、新婚さんがバンドスタンドや園内の人口滝などで写真撮影をしている光景や小動物にも出くわし、そうしたことも好ましく感じました(明るく写った携帯写真はすべて容量オーバーで掲載できず、デジカメ紛失が悔やまれます)。

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しかし、残念ながら、そこでタイムアウト。実質2日半だけの弾丸旅行は終了し、夜行便で羽田に強制送還されました。

とはいえ、植物園が第一の目的地であり、予定では最初に駆け足で来るはずだったのが、最後に、多少は時間をとって訪れることができたので、黄昏のバンドスタンドを眺めながら、旅のラストにはちょうど良かったと思わないでもありませんでした。

予告どおり、次回から田中舘秀三博士の物語について、映画化を目指した「あらすじ原案」のご紹介を中心に、以下の構成で計11回の連載を行います。

関心をお持ちいただける方は、ぜひ最後までご覧いただくと共に、映画化企画にご賛同いただける方は、それぞれの方法(ご自身で映画制作や原作小説の執筆など)に従事いただければ一番ですが、それは無理という方は、その種の業界に従事する方への「いいネタがあるぞ」というご紹介など。二戸や盛岡などの関係者は自治体などへの働きかけも含め)で、何らかのアクションを起こしていただければ幸いです。

【壮大感動巨編「シンガポールの魂を救った日本人~田中舘秀三物語~」】

第1回 企画案とあらすじ導入部
第2回 あらすじ案①現代編1~ふてくされた気持ちの中で
第3回 あらすじ案②大戦編1~舞い降りた男と英国人学者
第4回 あらすじ案③大戦編2~奇跡の楽園と殺意
第5回 あらすじ案④大戦編3~引継ぎの時
第6回 あらすじ案⑤大戦編4~学ぶ者たちの平等と誇り
第7回 あらすじ案⑥現代編2~そして花々は今も咲き続ける
第8回 あとがき
第9回 元ネタ(文献)のご紹介
第10回 映画化構想と賛同者の募集について
第11回 おまけ・田中舘父子と小保内家を巡る小話

ところで、2日目に宿泊先ホテル近くのアーケードを歩いていた際、シンガポールには珍しいスキー関係のお店を発見しました。この日のガイドさんは昨年?に札幌に観光に行ったと仰ってましたが、私の知る限り、岩手県(役所)や県民が、シンガポールと特別な結びつきを築いているとか、交流しているなどという話は聞いたことがありません。

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しかし、せっかく田中舘博士という偉大な触媒があるのですから、盛岡であれ二戸であれ、そのことを武器にしてスキー客誘致や各種交流・販路拡大に取り組むべきで、そうした方が現れないのであれば、とても残念なことだと思います。

岩手県(や盛岡など)は後藤新平などのご縁を通じて台湾との交流(集客)には熱心ですが、ひとつ覚えのように台湾の尻ばかり追いかける発想では、後藤新平も含め偉大な先人達に笑われるばかりでしょう。

あと、もう一つ余談ですが、シンガポールの地下鉄は、駅に着いて扉が開く際に女性の声で「ハピ、ハピ」というアナウンスが聞こえるため、これって「Happy Happy」と言っているのか、だとして、なんでそんなことを言っているのか、不思議に思っていたのですが、同じことを感じた方は多かったようで、「シンガポール ハピハピ」で検索すると、その答えが出てきます(ネタばらしをしても面白くないでしょうから引用はしません)。

最後に地下鉄からの一コマですが、優先席が日本と異なり各シートの脇=出入口に設けられており、こちらの方が良いのではと思いました。

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