北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

岩手・北東北など

野党合併論争と「階議員と達増知事が対決する日」

先般より、国民民主党(旧・民進党の中道派?の方々)と自由党(現在の小沢氏勢力)が、岩手1区選出の階議員が反対する中で合意されたとの報道がなされています。
https://www.sankei.com/politics/news/190426/plt1904260009-n1.html

階議員は、もともと達増知事が岩手1区から知事選に出馬した際に達増氏の後継者として見出され、達増知事らの強力な支援のもと当選を続け、当初は、各所で小沢氏の応援演説をなさっていました(私も、弁護士会の会合など複数の場で聞いたことがあります)。

が、その後は民主党分裂騒動の際に小沢氏と袂を分かったのを振り出しに、民主党岩手支部の財産管理を巡り小沢氏勢力と訴訟闘争を余儀なくされたり選挙でも小沢氏勢力(希望党候補となった達増知事の奥方)と対決を経験するなどしており、その後に親分として担いだ細野議員に希望党騒動が生じたことも含め、旧民主党系の現職議員の中では激動の政治家人生を歩んだ方の一人と言えるでしょう。

報道では、支援者との協議次第では離党の可能性もありうるとのことですが、階議員が、今後、政治家としてどのような道を進まれるのだろうか、そして、それに対し周囲の政治状況がどのように反応するのかという点については、選挙区民ならずとも興味深く感じるところではと思います。

残念ながら、当方は事情通の類では全くありませんので、次のような劇的な展開になったら、大変おもしろ・・もとい、岩手1区内で政治や政策のあり方を巡り深い議論がなされるのでは妄想しないこともありません。

①階議員があくまで合併反対を貫き、同志と共に離党。

②参院選は、さしあたり無所属で「岩手の旧民進党勢力」の方々と共に黄川田氏を擁立。

③参院選は、野党票が割れて平野氏(自民系候補)が当選。

④それが自民党に事実上、恩を売った形となり、自民寄りの無所属議員として「将来の入党」を目指す。

⑤その延長で、細野氏と統一会派を結成。会派名「れいわ民主党」

⑥それらへの落とし前として、岩手の最強候補こと達増知事が、ついに次回の衆院選で岩手1区から「階議員への刺客」として出馬。

⑦自民党岩手県連もこれまで選挙で敗れ続けた達増知事を追い落とす千載一遇のチャンスとばかりに階議員の自民入党を了解・支援し、自民党候補となった階議員と野党系統一候補たる達増知事の一騎打ちが実現。なお、現職の高橋議員とは比例優遇または参院・県知事選出馬?などを通じて円満解決し、両者とも必勝の態勢を整える。

かくして、達増夫人との選挙戦(仮称・いわて保元の乱)に続く階議員と達増家の宿命の対決・第二幕の結果やいかに!

などという展開になってくれれば、少なくとも現時点では、どちらが勝つのか全く見通せませんので、1区であれ他の選挙区であれ「投票日前から結果が見えていて、投票所に行く気力も失せる選挙」ばかりが続く岩手の選挙史上、かつてない稀有な戦いが期待できるのではと、政治家の方々とはご縁のないノンポリ無党派層としては、野次馬根性を逞しうせずにはいられません。

ともあれ、選挙に身を委ねなければならない方々の大変さに敬意を表しつつ、国民主権の内実を高めるような質の高い営みがなされることを願っています。

***********

R01.5.19追記

先日の報道で、階議員が国民民主党を離党しつつ黄川田氏の擁立は断念するとの報道があり、残念ながら?②が外れてしまいましたが、他勢力の支援が得られない中で予測される結果からすれば、現実的な判断と言わざるを得ないのでしょう。

ともあれ、階議員が「小沢氏と袂を分かちつつ、自民に与するわけでもない」状態では、達増知事も「落とし前」の名分が立ちにくく、このままでは「階議員vs達増知事」という宿命?の対決は実現しそうにありません。

しかし、選挙で厳しい戦いを勝ち上がることは政治家にとって何よりの求心力になるでしょうから、お二人がそれぞれ「影響力のある国政政治家」でありたいと希望なさるのであれば、そうした戦いが実現することこそ、お二人のために良いことなのでは?と思っています。

割るぞうくんと雪の慕情

私の通勤用の駐車場は近所のご老公から賃借しているのですが、良心的な価格で有り難い反面、ご老公には除雪が無理とのことで、これまで豪雪時には駐車場全体が凄まじいボコボコ状態となり走行がままならず、何度も何度も悲しい思いをしてきました。

そんな私がカチカチの駐車場を砕氷するため救世主のごとく現れた「割るぞうくん」。私は一昨年にその存在を知りましたが、最近は岩手日報などメディアでも紹介される機会が増えているようです。

去年欲しかった!
何年も前から欲しかった!
今年(年末)買った!

でも、今期、まだ雪が積もりません(今ココ)。

と、1月頃にFBで愚痴をこぼしていたのですが、結局、2月も3月も盛岡は全く豪雪がなく、ついに今回の冬は割るぞうくんの出番がないまま終わってしまいそうです・・

やむなく、八代亜紀氏に倣って、割るぞうくんのテーマ曲を作って雪請いをすることにしました。皆さんもぜひ一緒に歌っていただければ幸いです(爆?)。

******

心が忘れたあの日々も
膝が寒さを覚えてる

車の雪かきできなくて
エンジン無駄にふかしてた

堅い 割れない 堅い 割れない
ついに手にした 今は割りたい

雪ふれふれふれ もっとふれ
私も割るぞうくん 使いたい

雪ふれふれふれ もっとふれ
私の割るぞうくん 出番来い

******

幸い、割るぞうくんのメーカーの方からも好評を頂戴した?ようで、いつの日か、この替え歌をひっさげて本物のご出演により商品CMを全国展開していただければ、これに勝るよろこびはありません。

元祖「美人すぎる歌人」が名付けた美しき洞内滝と、鉄のまちの今昔

しばらく急ぎの起案が山積しブログの更新ができませんでしたが、少し一息ついたので久しぶりに掲載することにしました。

先日、上記と同じ理由で住田町の滝観洞などを見に行きました。滝観洞は19年前に釜石の峠道を越えて訪れたことがあるのですが、現在は釜石道(仙人峠道路)により遠野市街からあっという間にアクセスできました。

滝観洞は「天の岩戸の滝」という美しい洞内滝(日本には観光可能な洞内滝がほとんどなく、日本で最も見応えのある洞内滝と呼んで差し支えないと思います)を目的地(メインスポット)とする洞窟で、他に大きな見所はありませんが、滝までは相当な距離があり、往復で30分~1時間弱を要するものとなっています。

天の岩戸の滝は、戦前の著名な歌人であり明治末~大正期を代表する美人の一人とも称された、歌人・柳原白蓮により命名されたものだそうです。

近年では、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で平成を代表する美人女優の一人・仲間由紀恵氏が準主役として好演を博したと思いますが、その不遇の生い立ちや当時の時代状況に照らして数奇でドラマチックな人生を送ったことなどを踏まえると、白蓮は、どのような思いを込めてこの美しい洞内滝に名前を授けたのか、色々と考えさせられます。

白蓮は、命名にあたり「神代よりかくしおきけむ滝つ瀬の世にあらはるるときこそ来つれ」との歌を詠んだそうですが、或いは、身分の高い家柄の縁者として生まれた女性が様々なものに縛られていた時代に翻弄されつつも自分の気持ちに素直に生きようとした自身の姿を、戦後になって世に出でたこの滝に重ね合わせる面もあったのかもしれません。

というわけで、そんなことを思いつつ一首。

秘められし情が溢れて岩穿ち 人も驚く滝あらはるる

白蓮は啄木とは接点がなかったようですが、もし啄木が長命できれば、当時の人々がもっと自由に、自分の気持ちに沿って生きることができるための何らかの共闘が見られたのかもしれず、その点は少し残念に思いました。

DSC06540

日本では、ここ以外で観光地化された洞内滝は、浜松市の竜ヶ岩洞(6年前に行きました)くらいではないかと思います。浜松の滝は割と簡単に行けたとの記憶ですが、こちらは、入口で貸与されたヘルメットを被り、ひたすら屈んで向かわなければなりません。そのため、肥満の方には、

滝観洞メタボの君は灰蓮洞

と言わざるを得ないように思われますので、ご注意ください。

滝観洞を拝見したあとは、釜石の鉄の歴史館に行きました。館内は製鉄そのものの歴史や社会での役割などを伝えるコーナーと、橋野から新日鐵住金に至る釜石の鉄の歴史を伝えるコーナーの2つから成り立っており、とりわけ橋野鉄鉱山が世界遺産(の構成資産)に指定されたことで、その点が重点的に取り上げられていました。

屋上からは釜石湾が臨めますが、その光景を遮るように釜石大観音が大きな姿を見せており、大観音がちょうど釜石湾の中央に鎮座していることがよく分かるものとなっています。

釜石大観音の建立は、大戦末期の釜石湾大砲撃(米戦艦群の艦砲射撃と戦闘機の無差別殺戮)で、700人以上の住民等が犠牲になったことへの慰霊という面もあると聞いたことがあるような気がします。

私のような世代は、TV等のせいか大観音が動き出して並み居る米艦群に向かって強力な熱光線を放つ光景を想像してしまいますが、それはさておき、観音像の背中を見ていると平和への祈りの姿を感じることができそうな気もします。

釜石湾 見守り祈る観音像 戦艦倒す砲は無くとも

IMG_0931

その後、釜石市に新たに開設された商業施設に赴いて、ちょうど開催されていた「釜石よいさ」をチラ見しつつ一休みした後、鵜住居地区を経由し橋野に向かいました。

休憩場所で頂戴したパンフレットに鵜住居の根浜海岸の美しい姿が掲載されており、今もこの姿が残っているのかと期待して現地に向かったのですが、やはりというか、残念ながら津波で美しい砂浜は消失していました。

ちょうどワールドカップの競技場が出来上がっていましたが道路などの整備が追いついておらず、迷路のような状態になっていました。

ともあれ、気を取り直して橋野高炉跡に向かったのですが、到着した頃には同行者は全員車内で就寝しており、すでに午後6時近くにもなっていたので、やむなく私一人で駐車場から現地に向かうことにしました。

現地は霧に覆われ、誰一人おらず、静寂な雰囲気に包まれていました。

日が暮れて遺跡も霧に眠るとき熊も狸も車中うたた寝

IMG_0938

その後、笛吹峠を越えて遠野市街を経由して盛岡に戻りましたが、峠の周辺は完全に霧に覆われており、少し前に見た「肘折峠」という不可思議な夢で描かれていた幽界につながる世界を彷彿とさせるものがありました。

ともあれ、皆さんも滝観洞(住田)や釜石エリアを訪れて様々な非日常を体験していただければと思います。

民話の里の雪の妖精と青春の影

2ヶ月以上も前の話で恐縮ですが、盛岡地裁遠野支部に係属している企業倒産(破産管財)事件の関係で、2月に遠野に出張したときのことを書きます。

今回は少し時間ができたので、カッパ淵のあたりに立ち寄ることとしましたが、周辺には雪原が青空に映える美しい光景が広がっていました。

ふと、大学時代に、いわゆる司法試験受験サークル(研究室)の仲間だったある女性が、大学2年か3年の冬に白いウールのコートを着ていた姿を眩しく感じたことを思い出しました。

遠い昔の報われぬ記憶を懐かしんでも致し方のないことですが、改めて、そうした疼きが成仏できればなどと、年甲斐もなく思わずにはいられませんでした。

白纏う貴女に雪の妖精と言えぬ切なさ とうの昔に

IMG_0722

ちょうど、写真に撮った風景の中央に二本の枯木があり、その木々は、通学時などにささやかながらもその女性と二人きりで話した時間があったことや実ることなく終わった若き日の感情を象徴しているのだろうかなどと、馬鹿なことを思わないでもありませんでした。

続いてカッパ淵に移動し、数年ぶりとはいえ毎度ながらの光景をチラ見して帰路につきました。

大学時代の思い出に浸っていたせいか?或いは脳内の沈静化も兼ねて、ここでもテーマを変えて、もう一首作りたくなりました。

すると、私がその団体(真法会研究室)の入室試験に合格した際に「学生指導の責任者」を務めていらした大物弁護士の方(稲益孝先生)のことを思い出しました。

入室試験の発表直後に合格者(入室者)全員が集められた最初の会合の際、自己紹介で「自分は出生直後の病気のせいで左耳が聞こえません」と述べたところ、稲益先生に「私も片耳が聞こえないが、仕事は問題なくできている。君も挫けずに頑張れ」とのコメントをいただいたせいか、真法会のお歴々の方々の中では親近感というかご挨拶しやすい気持ちがありました。

ただ、稲益先生とは1年に1~2回程度にご挨拶する程度の関わりしかありませんでしたが、お会いするたびに必ず「君は今もあまり勉強してなさそうな顔つきだな」と言われていました。

まあ、そのとおりと言わざるを得ない面はありましたので(在学中の勉強では合格にほど遠い力量しか備わらなかった上、学生時代は高校の反動?で、光栄ゲーム廃人化した時期もありました)、悔しさをバネにして?勉強していましたが、合格した年に「先生、もう同じセリフは言わせませんよ」と申し上げようと心待ちにしていたところ、その年に、先生が病気で亡くなられたという報に接しました。

そうした意味では、冒頭の思い出だけでなく稲益先生との関係でも、ある種の喪失を経験したのかもしれませんし、そうした心情が、その埋め合わせを求めるように戯言じみた一首の形をとって表出している面もあるのかもしれません。

会うたびに勉学足りぬと喝破せし 師は合格の年に身罷る

以前にも遠野に出張すると短歌の真似事をしたくなると書きましたが、この地は人が心の奥底に封じ込めているものと向き合わせようとする力を有しているのかもしれません。

高速利用者の途中下車の促進策

高速の出入口付近にある道の駅の利用活性化や高速利用者の便宜の目的で、1時間以内にICに戻れば料金は据置とする制度が導入されるとのことで、岩手では九戸ICのそばにあるオドデ館(道の駅おりつめ)が対象となっているそうです(岩手日報の3月1日の記事ですが、すでにWeb上で閲覧不能となっており、やむなく転載しているサイトを見つけたので貼り付けます)。
http://ayame.walkers.tokyo/iwate/iwatesan/43718
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20180301_6

私も、先日投稿した1月の久慈出張の際、数年ぶりにオドデ館に立ち寄りましたが、一般論として、昼食時などは待ち時間のため食事だけで1時間ギリギリになることが多いでしょうし(間に合わないときのストレスは強烈です)、物販コーナーの立ち寄りも考えたら、1時間半は確保した方が良いのではと思います。

盛岡駅北のマックスバリュは「入庫30分は無料、1000円以上の購入で90分まで無料」のルールですが、購入時にETCカードを提示する(カード読取機で対応?)ことで、同じやり方ができるのではないでしょうか。

また、高速利用者の便宜を道の駅だけの利権にする理由もないでしょうから、高速の出入口付近の飲食店などもそのサービスを利用できる(道の駅も含め、利用店舗は一定の負担金を高速側に払う方式とする)ようにすれば、なお良いのではと思います(この記事も、単に1時間以内で戻れば無料というだけで道の駅利用が強制されないなら同じことではありますが、記事の内容だけでは判然としません)

まあ、根本的には、わざわざ途中で降りて立ち寄る人がどれだけいるのか、皆さっさと目的地に向かいたいのではないか、また、顧客吸引力のある商品をどれほど提供できているのか(それが先では)というべきかもしれません。

個人的には、給油利用が一番ニーズがありそうな気がしますが、それを目的にしてしまうと、高速の運営企業(NEXCO東日本)に嫌がられるのでしょうね・・

町弁が久慈に来たりて じぇじぇ歌人

昨年末頃から業務と私用で一杯一杯の状態が続き、とりわけ2月になって書面の締切が続いたことから、ブログの投稿が困難となっています。

久しぶりに少し一息ついたので、1月下旬に弁護士会の企画で久慈商工会議所での相談会を担当したときのことについて載せることにします。

午後1時から午後3時まで2時間(30分ごと計4人)の枠が設けられていたのですが、前日の昼の時点で予約ゼロと報告されたので、応募するんじゃなかったと後悔したのですが、夕方になって1件予約ありとの連絡があったので、エア宅急便だけは免れたと思いつつ、久慈に向かいました。

この日は東京は大寒波に見舞われていましたが往路は順調そのもので、想定より1時間近く前に到着したので、思い切って小袖海岸に向かうことにしました。

小袖海岸のシンボルの一つである「つりがね洞」は昔から存在だけは知っているのですが、これまで訪れるたびに通行止め(工事)やら時間切れやらで赴くことができず、今回こそはと思って行くことにしたものです。

で、最初の「行けなかった日」である修習生のときから数えて足かけ20年ほどを経て、ついに、つりがね洞に辿り着きました。

昔は「洞」の内部に岩が鐘のようにぶら下がっていたそうですが、今は鐘を無くした空洞がその名称と共に欠落を強調するかのように存在感を訴えているように見受けられます。

そんな光景を眺めつつ自分の心にも開いた穴があるのだろうかなどと思って一首。

人生の峠を越えて見る海は 夢の隙間を埋める旅路か

DSC06107

小袖海岸の海女センター周辺は、1~2年前に大手生保会社さんのご依頼で相続セミナーを久慈で行った際に山側ルートでチラ見だけしましたが、折角なのでそこまでは行くことにしました。途中の海岸線は、内陸部とは違った冬の厳しさ、美しさを感じさせる見応えのある光景になっていました。

荒磯の波と雨雪 あのひとの涙と思い寒さかみしむ

DSC06113

なんだか短歌というより演歌みたいな感じですが、ともあれ、ゴールの夫婦岩まで到着し、去り際にまた一句。

おらおらで じぇじぇじぇの浜に ひとりいぐ

DSC06116

商工会議所に到着した際は目の前のお寿司屋さんにも行きたかったですが、悲願?の小袖海岸を優先したため、昼食は、泣く泣く寿司を諦めてコンビニサンドで済ませました。

で、会場に戻ったところ予約の1件のほか新たにもう1件追加申込があり、2件分の相談対応をしてきました。

双方とも弁護士への相談が必要相当な案件で、うち1件は訴訟受任などの可能性を含めた会社業務に関する様々なご相談があり、1時間近くも要するものでしたので、結果として久慈まで往復した甲斐はあったと思います。

午後3時過ぎに終了となり、道の駅でウルイやサメの切り身など「自分用の土産」を買い込んで久慈を出発しました。九戸ICまでの北上高地は降雪で白一色に染まった森を微かな陽光が照らす幻想的な姿に包まれており、その光景に溶けてしまいたいと思いながら、快適に走行することができました。

銀世界 白に消えんと願う身の 胸の残り火 そを妨げる

ところが、なんということでしょう。

浄法寺ICに辿り着くと通行止めを理由に強制退場を余儀なくされました。盛岡では大雪状態という情報は得ていましたが、浄法寺の空は何の問題もない薄曇りの晴天で、これで通行止めと言われても納得できません。

ただ、どうせ安比~安代周辺=奥羽山脈の吹雪が原因だろう、松尾ICに着けば高速に戻れるだろう、吹雪が終わったのなら安代ICで復帰できるかもと淡い期待を抱いて、4号線に戻らず、そのまま安代=高速沿いに県道を南下することにしました。

すると、少し調べたところ、滝沢ICまで通行止めになっているとのことで、これでは途中で高速に戻ることもできず、並行路(国道282号)は同じ境遇の車両で大渋滞は不可避と思い、いっそ一戸に戻り国道4号線で南下する方が賢明かとも思いましたが、すでに安代IC近くまで来てしまったので、今更と思い、やむなくそのまま南下を続けました。

やはり、安比が近づくにつれ国道は混雑気味になり、これでは1時間で足る帰路が3時間以上になるかも、と意気消沈せざるを得ません。そんなわけで、安比の温泉地帯を横目に峠道を上り下りしながら一首。

高速が止まりまさかの大迂回 雪見温泉 寄る金もなく

結局、安比(竜ヶ森)の峠を越えて松尾八幡平ICの手前に辿り着いた時点で、ちょうど通行止めが解除され、無事に高速で盛岡に戻ることができ、通常の1時間遅れで済みました。

帰宅後、朝には晴天だったとはいえ、こんな日に洗濯物を外に干した我が身の愚かさを呪ったことは申すまでもありません。

朝日を浴びて輝く金色堂を世界の人々が拝むことができる日

先日の日経新聞の「日経プラスワン・何でもランキング」は、外国人がゆくディープジャパンのテーマで、1位が高野山、2位が鋸山、3位が祖谷かずら橋になっていましたが、表示された15位圏内に東北が1箇所もありませんでした。

「自国であり得ない風景や体験を求める」なら金色堂を知らんのか、さらに言えば、今や福島第一原発こそ一番のディープ(ブラック?)じゃないかと、東北人としては納得できない結果になっています。

それどころか、記事の横に「静かな地方都市が旅のクライマックス」と題されているのに、そこに列挙された諸都市(函館、金沢、沖縄など)にも東北の姿はなく、壊滅的敗北というほかありません(調査は、訪日経験ある米国・豪州人144人を対象としたものとのこと)。

ただ、よくよく考えると、金色堂も、覆堂のため外からは全く見えず、内部は写真撮影禁止のため、インパクトのある姿をブログ・FB等で拡散(宣伝)してもらうことも期待できずということで、自ら情報発信の努力を怠っている?と言われてもやむを得ないのかもしれません。

で、海外には他に黄金寺院はあるのだろうかと思って検索したところ、インドやタイ、ミャンマーなどに巨大な黄金寺院があり、そちらは丸見えの姿になっているので、夜景や夕暮れなど、見応えのある写真が山ほどネットで閲覧できました。

多雨・降雪などの問題がある日本では(中尊寺の財力の問題も含め?)修復リスクの大きい野ざらしは困難なのでしょうが、可能であれば、覆堂を撤去し防水・防弾などを備えた強力なガラス(或いは最近の水族館で使われている強化プラスチック)で、現在の覆堂と同程度(或いはそれよりも広く)囲むような形で設ければ、「周囲の自然と金色堂が一体となった風景」を演出できるのでは?と思わないでもありません。

また、金色堂が撮影禁止になっているのは「室内ではストロボ(フラッシュ)が金を劣化させるからだ、室外ならそのような心配はない」と書かれた記事を見かけたので、屋外からガラス(プラスチック)ケース越しに撮影する形なら問題ないというのであれば、外観は写真取り放題ということで、世界への発信力も大きく期待できると思われます。

ただ、現在のように金色堂の扉を開けた状態で公開できるのかという問題があるかもしれませんが、年に何回か一定の時間を区切って扉を開けた状態で公開し、さらに言えば、相当な手続をとって許可を受けた人は、その際にケースの中に立ち入って直に金色堂を拝めるようにすれば、なお良いのではと考えます。

金色堂は「古くから西洋人すら憧れた黄金の国ジパングの象徴」として、平泉の成り立ちや思想と共に知名度を高める努力が求められると思いますし、現在の技術で、寺院保護と屋外展示化の双方を両立できることが可能であれば果敢に挑んでいくことが、現代の岩手人の責務ではないかと思いますが、どうでしょう。

なお、その「巨大な屋外強化ガラス(プラスチック)ケース」は、金色堂の価値や意義を理解する相応の建築家ないしデザイナーさんの監修のもとで作られることになるのでしょうが、降雪などを考慮して上部を尖った形(当事務所のロゴマークのようなクリスタルないしオベリスク状)にしていただければと思ったりもします。

もちろん、「覆堂に囲われて、静寂で薄暗い光景の中で見る金色堂の方が有り難みがある」「観光客がみだりに写真撮影する光景は荘厳な金色堂に相応しくない」というご意見もあるでしょうから、屋外化が絶対に正しいとは言えないのでしょうが、そうしたことも含めて、議論や関心が広まればと思います。

現在の金色堂の姿をしっかりと確認したいという方は、こちら(中尊寺HPから)をどうぞ。

岩手県PR動画「都会のオラオラ、岩手のおらおら」そして北方世界を制覇したアイヌ王・源義経の物語

岩手出身の60代の(もと)専業主婦の女性が、「おらおらでひとりいぐも」という作品で新人作家の登竜門とされる河出書房新社の文藝賞を受賞されたとのことで、市内の書店の正面にも山積みされています。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026374/

私は小説を読む習慣がないので、山積みの光景をチラ見して通り過ぎただけなのですが、岩手でも、こんなCM(PR動画)を作れば、石原軍団や壇蜜氏で話題を集めた宮城県CMに対抗できるのでは?と思いました。

(第1幕~都会のオラオラ~)
半グレ風、或いはジョジョ風の荒くれ者どもが、何かに取り憑かれたように「オラオラオラオラー」と叫び、拳を突き上げ修羅の国よろしく闘いまくる。

(第2幕~岩手のオラオラ~)
のどかな農村風景。野良着姿のお婆さん(又はお母さん)を座敷童風の子供達が取り囲んで「おらもおらも~」と何かじゃれあっている。そんな里の姿を遠くから宮沢賢治が一人静かに見守っている。

最後に「あなたは、どっちのオラオラが好きですか?~喧噪に疲れたときは、おでんせ岩手。」のメッセージで終了。

と、ここまで書いて私自身が岩手県のPR動画を一度も見たことがないことに気づいたので先ほどチラ見しましたが、せっかく村上弘明氏を擁して色々なテーマを素材にしているのに、面白味がないというか、視聴者の心に突き刺さるような「グッとくる何か」が欠けているように感じました。

いっそ、村上氏こと清衡公が、他の登場人物らと共に途中から北野監督の座頭市のように全員でタップダンスを始めるとか、「岩手もしもシリーズ」と題し、義経と泰衡らが蝦夷地に渡り、北の琉球王国こと「アイヌ王国」を建国し、北方世界の要としてロシアからアラスカまでを勢力圏とする一大貿易国家を構築する・・といった話を作った方が話題性があるように思うのですが、いかがでしょう。

ちなみに、今、読んでいる「アイヌと縄文」という本によれば、平安期に北海道に住んでいたアイヌ(擦文人)は、鎌倉期までにはサハリンから渡来したオホーツク人を圧倒しロシア本土にも進出して現地人(ニヴフ=ギリヤーク)と抗争し、最終的には現地人が助けを求めた元朝(モンゴル帝国)との数十年の抗争を経て(北の元寇と呼ばれています)、北海道に撤退するという壮大な展開を辿ったそうです。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068736/

そして、擦文人(アイヌ)の成立にあたっては、古代(平城・平安期?)に北東北の太平洋側から多くの地元民(蝦夷)が移住してアイヌの原型たる続縄文人と同化し、これにより北海道の擦文人=アイヌ民族が形成・成立されたのだそうです。

であれば、その「短い期間ながら、北方世界を一度は制覇した大アイヌ国」の成立や勃興に、実は義経や平泉が関係していた・・などという物語は、想像の世界として十分にあり得るというか、歴史小説のネタとしてはもってこいではないか、と思わないこともありません。

ということで、ぜひ、冒頭の作家さん(若竹千佐子氏)をはじめ岩手在住又は岩手にゆかりのある作家の方々は、このテーマでの渾身の大作をご執筆くださるよう、強くお願い申し上げる次第です。

まあ、こんな戯言を書いても「無駄無駄無駄無駄~」と言われるだけかもしれませんが・・

(H30.1.16追記)
先ほどのニュースで、若竹氏が芥川賞を受賞されたとのことで、誠におめでとうございます。

大谷選手の選ぶ道と「あれから1200年」

日ハムの大谷翔平選手のメジャーリーグ・エンゼルスへの入団報道については、最も高額な年俸が確実視されたヤンキースを選ばなかったことに対し、ニューヨークの地元紙などからは、「(岩手県奥州市という)人口の少ない田舎町の出身だから大都会を嫌がったのか」などと批判的というか中傷じみた「やっかみ記事」も出ているようです。
http://www.sankei.com/premium/news/171209/prm1712090007-n1.html

こうした記事に対しては、日本のメディア(特に、岩手日報など)は「小なる者の側に立って巨大勢力と戦うのがアテルイ以来、1200年の奥州市(胆江地方)そして岩手の伝統だ、くたばれヤンキース!」などとエールを送っていただきたいものです。

まあ、野球人としての生き方は、ご本人が諸般の事情をもとにお決めになるべきことですから、それこそ、エンゼルスで実績を挙げ、数年後はヤンキースで二刀流→現代のベーブルースと称される、といった展開になれば、それはそれで望ましいことだとは思いますが。

そうなったときは、今度は「1200年前の地元の英雄は残念な結末を遂げたが、現代では田村麻呂と共に京都(天下の中心)で大輪の花を咲かせるハッピーエンドになった」と語られることになるのかもしれません。

ともあれ、学生時代に読んだ「なんと孫六」なども懐かしみつつ、さらなるご活躍を期待しています。

町弁が遠野に来たりてエセ歌人

突然の解散に伴う今回の総選挙では、野党の元首相や代表経験者の方々が無所属で立候補されるとのことですが、いっそ、民主党のシンボルカラーも踏まえて、「REDの会(Retired Extremely Dangerous)」を結成なさってはいかがかと思わないでもありません。

それはさておき、先日は、破産管財人を受任している企業倒産の事件の関係で数ヶ月ぶりに遠野支部(裁判所)に行きましたが、宮守ICまでの単調な山道を抜けて遠野盆地(綾織地区)が山あいに開けてくる光景は、いつ見ても清々しく感じます。

小雨交じりの曇天ではありましたが、青空や紅葉などの彩りがなく山に囲まれた刈り取り前の稲穂の眩しさだけが引き立つ光景も味わいがあるものだと思いました。そんなわけで、毎度の一句。

山里の秋雨照らす黄金いろ

遠野支部には、昨年10月から3~4ヶ月に1回の頻度で通っているのですが、岩手に戻って12年以上になるのに、どういうわけか遠野支部だけはほとんど縁がない状態が続いていました。

そうしたこともあり、昨年10月に赴いた際は、折角だからと鍋倉公園の頂上まで登ったのですが、城下にひろがる遠野市街と澄んだ青空に目を向けつつ、管財事件の当事者となった企業の関係者の方々の様々な事情や心情について思いを馳せる面がありました。

城あとは閑かな遠野の里の秋 喜怒哀楽を空に残して

2月や6月に赴いた際は、遠野支部では5分程度のやりとりをしただけで、仕事の関係ですぐに盛岡に戻ったのですが、せめてものということで、「とおの物語館」と近くを流れる小川の周辺を散策して帰りました。

今日もまた とんぼ帰りの遠野支部 川でキュウリを冷やす間もなく

そんなわけで、遠野に来ると一句(一首)作って帰りたがる習癖があるようですが、肝心の受任事件も仕事自体は大過なく進めることができていますので、歌人としては三流以下の素人でも、法律実務家としては相応の成果をあげて、関係者の方に「貴方に頼んで(貴方に関わってもらって)良かった」と思っていただけるよう努めてまいりたいと思います。