北奥法律事務所

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個別の法的問題等

ちぃたん☆vsチータンの法廷闘争が来る日?

最近、カワウソのゆるキャラを巡って関係者が紛糾状態にあるという報道が繰り返されていますが、1月中旬に「解任」の記事が出た直後、「じゃじゃ麺を擁する盛岡の人々は、何かコメントをしなくてよいのか」などと思ってFBに下記の戯言を掲載したことがあります。

先日のニュースでは、事の発端(舞台)となった高知県須崎市が、ちぃたん☆の運営会社(芸能事務所)に対し、市が権利を有する「しんじょう君」に関する権利侵害を理由に使用停止の仮処分を申し立てたとのことで、事態はさらに泥沼化しているようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000138-spnannex-ent

請求の当否などは分かりかねますが、「ゆるキャラ」の元祖と言われる「ひこにゃん」では自治体と制作者との間で熾烈な法廷闘争が繰り広げられ判決もなされたと記憶しており、そうした展開もありうるかもしれません。

この種の事柄は、官製キャラクター商法と評してもよいのかもしれませんが、制作者と利用者との間の信頼関係が十分でないとか利用者側に多数の関係者が生じ思惑もバラバラである(適切な協議や統一がされていない)とか、一部の関係者に非常に無責任な姿勢があり、それに便乗し事態を悪化させる者が新たに生じて混迷を深めるといったパターンはよく見られるような気がします。

消費者(そのキャラクターを楽しむ側)であれば、「ゆるいから良いのだ」ということになるかもしれませんが、提供者側が「ゆるい」のでは無責任等の言い換えに過ぎないとの誹りを受けてしまうでしょうから、そうした話を全く聞かない熊本や船橋の方などをはじめ、キャラクタービジネスの権利管理や活用に長けた方々から学ぶ姿勢を大事にしていただければ良いのではと思います。

キャラクター商法に限らず大雪りばぁねっとのようなケースも含め、官民連携で行われる事業は「官の無責任」と「民の濫用」で惨憺たる事態に陥るリスクを内包していますので、公金や公共財を扱う資格のない者に物事を委ねることのないよう、適切な監視や監督がなされる仕組みの構築や運用に意を注いでいただきたいものです。

【虚構新報いわて支局速報 31.1.17】

お騒がせ中のゆるキャラ「ちぃたん☆」に対し、盛岡市商工観光部が、じゃじゃ麺の締めのスープである「チータン」との誤認混同を招きかねないなどとして、不正競争防止法違反を理由に名称の変更を求めていることが分かった。

17日に記者会見したタニフジ市長(仮称)は「チータンはじゃじゃ麺と共に市民が長年愛してきた宝。勝手に名前を使うのは盛岡ブランドへの重大な侵害だ」と憤る。

「ちぃたん☆」の運営会社は取材に対し盛岡市の要求に応じるつもりはないとした上で「今度は、チータンをたっぷり注いだ皿回しにちぃたん☆がチャレンジする動画を投稿する予定です」と回答。

これに対し、タニフジ市長も「そんな暇があるなら白龍で皿洗いでもさせて欲しい。当市も、ゆるキャラ『元祖ちぃたん★』を作って世界に伝えたい」と応酬し、両者の対立は深まるばかり。

一番かわいそうなのは、昔から人間のエゴに翻弄され今や絶滅したとされるニホンカワウソかもしれない。

万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(後編)

今回は、前回に掲載した記事(岩手日報への投稿)についての補足説明です。この話(人間の尊厳だけでなく、いのち、自然そして万物の尊厳を憲法改正のテーマとして提げること)は、数年前から考えていたことなのですが、この投稿を行った経緯は次のような事情に基づくものです。

きっかけですが、3年前に「JC(青年会議所)が掲げている理念(JCIクリード)は日本国憲法の基本原理にそっくりである」という趣旨のことを投稿したことがあります。

この投稿は今も「JC 憲法」などとネット検索すると日本JCのサイトと並んで筆頭ランクに登場しており、私自身ブログの中で最も気に入っている記事の一つです。

ただ、ツィッター上でこの投稿を好意的に取り上げていただいた方がおられるのを拝見した以外で誰かから感想などを告げられる機会もなく、このまま埋もれていくのだろうと思っていたところ、半年ほど前に盛岡JC仲間で今も現役会員であるB君から、この投稿への過分なお褒めをいただくと共に、「岩手のJCの面々にも伝えて欲しい」などと奇特?な要望を受けました。

引用記事でも述べたとおり、私は現役時代にJCの方々に憲法とJCの関係についてお話する機会に恵まれなかったこともあり(引用記事も、卒業する年に盛岡JCで「この話を例会でさせて欲しい」と関係者の方に頼んだもののボツにされた怨念?が発端になっています)、有り難くお引き受けし、今月下旬に今年の日本JC岩手ブロックの主要メンバーの方々?向けにミニ講義を行うことになりました。

折角なので、日本国憲法のオーソドックスな考え方やそれを前提とした現在の社会が取り組むべき課題などに関する私なりの考えをお伝えしたいと思いましたが、今も昔も大勢の方の前でお話をするのは全く不得手ですので、毎度ながら膨大なレジュメを作ってB君に送っており、当日は棒読みモードでご容赦いただこうと思っています。

弁護士が語る憲法といっても、いわゆる護憲派の弁護士さんが仰るようなネタではなく、もちろん右翼チックな話でもなく、引用記事をベースに、改めて憲法とJCの関係についてあれこれ考えつつ、それを踏まえて憲法とその重要な担い手としてのJCの現代のあるべき姿を考えていただくようなテーマ設定にしたつもりです。

こんな機会は二度と無いでしょうから、講義終了後のしかるべき時期にブログにレジュメを公表するつもりですが、要するに、

①JCが掲げる理念(と実践)に照らせば、世間的には右翼チックとも評されるJCは、実際には日本最大級の護憲団体と評しても過言ではないこと

②それにもかかわらず復古的な改正を日本JCが唱える根底にあるものとは

③その上で、岩手のJCに考えて欲しい憲法改正案(運動)とは何か

の三本立てになっています。

さほどの大人数でもないそうですが、現在の岩手のJCの大幹部の方々がお集まりになるようですので、君たちは護憲団体だ、などと言うと五体満足で帰れないなんてこともあるかもしれません(笑)。

このうち、①②は引用記事を掘り下げた内容に過ぎませんが、③はブログでそれとなく書いたことはあるものの明確に述べてはいなかったので、思うところあって約10年ぶりに岩手日報向けに投稿を書きたい、また、どうせなら講義の前に書いて公表してしまいたい、というのが今回の日報への奇行ならぬ寄稿のきっかけとなっています。

もとより、人間だけでなく人にあらざる存在の尊厳も憲法で定めよなどと奇特なこと?を言っている人がいるとの話は聞いたことはなく、それどころか「万物の尊厳」という言葉も、少なくとも日本語(現代の日本社会)では聞いたことがありません。

ネットで検索しても、私が過去に投稿したブログ記事しか発見できず、当然ながら、私のオリジナル(独創?)の言葉ということになるはずです。

しかし、この考え方は、要するに「社会は人間だけのものではない、自然、いのちそして万物(に通じている目に見えない力)に畏怖と感謝を抱くべき」という、日本人にとってはごく当たり前の、伝統的かつ違和感のないもので、そのことが憲法(日本人の最高法規)に掲げられていない方が間違った状態というべきではないかと思っています。

当日にお伝えする内容(レジュメ)では、そのこと及びそれを岩手の人々が率先して日本ひいては世界に呼びかけていく意義について、若干ながら触れており、いずれ本ブログにも掲載したいと考えていますので、関心をもっていただける方は、楽しみに?お待ちいただければ幸いです。

万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(前編)

先日、訳あって10年以上?ぶりに岩手日報の投稿欄(日報論壇)に投稿メールを送ったところ、数日後(11月8日)に無事に掲載されました。

ただ、本文は私の作成文章がほとんどそのまま掲載されているものの、私が投稿フォームから送信したタイトル(「万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から」)が全面書き換えになっており、この言葉(万物の尊厳)が今回の投稿のキーワードでしたので、その点は少し残念でした。

私は、日報論壇の投稿フォームには常に自作のタイトルを付けて送信しているのですが、どういうわけか毎度、全面的に書き換えられてしまいます。

字数の都合もあるかとは思いますが、表題は投稿の趣旨や読み手への訴求力など色々なことを考えた上で決めていますので、いっそ日報論壇の投稿フォーム自体にタイトル欄を設けて字数も告知していただければ有り難いと感じているところです。

ともあれ、今回は私が送信した内容をそのまま掲載し、次回に投稿の経緯について少し触れることにします。

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安倍首相は憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正を切望しており、今後は国会発議などの実現に強い働きかけを行うものと予想されます。

私自身は、自衛「権」はまだしも国家組織の一部門としての自衛隊を憲法に明記するのが適切か、また、初めての改正が自衛隊の明文化というのは社会に無用の誤解などを招くのではと感じており、現時点で賛成する考えはありません。

但し、制定から70年以上を経た今、改めて憲法のあり方を巡り様々な議論がなされるべきであること自体は間違いありません。

日本国憲法は大戦の惨禍を踏まえ、誰もが不当な抑圧の被害を受けたり加害者に陥ることの無いよう人間の個人としての尊厳が保たれるべきだと13条で掲げており、これが憲法の究極的な目的と考えられています。

現在、人格や文化の多様性の尊重が様々な場面で叫ばれていますが、それらも憲法の掲げる価値を実現する営みの一つと言えるでしょう。

ただ、「人間」だけの尊厳を掲げるのは、果たして日本人に相応しいことなのでしょうか。私達は日本列島を取り巻く様々な自然の恵みと脅威に感謝と畏れを抱きながら暮らしてきたのであり、今も自然ひいては万物に見えざる力を感じ、それを大切にして生きているのだと思います。

他方、力を持ちすぎた人類の活動により国内はもちろん世界中でかけがえのない自然が損なわれる一方、時には復讐の刃が人々に襲いかかる光景も目にしています。

岩手や北東北には太古からこの地で自然と共に生きた縄文人や蝦夷の血が色濃く受け継がれ、先人の文学作品などにもそうした思想が表現されてきました。

日本国憲法は国家のあり方や国民との関係を語るのみで、人にあらざる存在について何ら語っていませんが、そうであればこそ、人に限らず自然ひいては万物の尊厳も憲法に掲げるべきと私達が声を上げていくことは、大いに意義があるのではないでしょうか。

主権や統治機構、人権などの定めに限らず、日本人とは何者で、どこから来て、どこに行くべきかを語ることもまた憲法そして私達に託された使命であり、太古から現代そして未来圏までの複雑で多様な営みを見据えた憲法論の深化を願っています。

リアル・エロティカセブンの詩とコンビニ報道の課題

金曜の朝のワイドショーで「変態コンビニ店長」が取り上げられているのを見ましたが、すぐに思い浮かんだのは、平成5年に放送された「悪魔のKISS」というテレビドラマの主題歌でサザンオールスターズが歌っていた「エロティカ・セブン」という享楽的な印象の強い歌詞の曲でした。

この番組は、常磐貴子氏の「出世作兼問題作」としても有名で、当時は大学2年くらいだった私も運良く?放送を拝見した記憶があるのですが、残念ながら録画しておらず、あとで悔やんだことは申すまでもありません。

同日中の報道で、予想どおりというべきか、コンビニのオーナー(フランチャイズ契約の当事者)でもある店長氏は契約解除(解約)と閉店を余儀なくされたという報道が出ていましたが、洗濯物を干しながら「モンダイの映像」をチラ見した限りでは、孤独な中年おじさんの悪ふざけの悲哀という印象もなきにしもあらずで、被害者の方々はともかく第三者的にみれば、こんなことにならずに済む方法はなかったのかなと思わずにはいられない面はあります。
https://www.asahi.com/articles/ASL9P3S0CL9PUUHB00C.html

そんなわけで?久しぶりに「替歌の神様」が降臨し毎度ながら投稿せずにはいられなくなりました。

ただ、事件自体が報道直後に一気に収束したことなどを踏まえ長期の掲載は望ましくないと判断し、替え歌そのものは掲載の数日後に削除しました。この件に関心があり、どうしても見てみたいという知人の方がおられれば、個人的に楽しむ範囲内での提供は構いませんので、個人的に連絡して下さい。

もちろん当事者の方々(コンビニ本部を含め)を誹謗等する意図は微塵もなく、あくまで元ネタ(原曲)を思い出した方々にあの頃やドラマを懐かしんでいただければという趣旨ですので、ご容赦のほどお願いします。

ところで、ここまでの報道を見る限り、店長氏の奇行の原因や背景について触れたものは見かけませんでしたが、単なる「キャラの問題」だけに片付けることなく何某かの深掘りのある報道があっても良いのでは、と少し残念に思いました。

本件と関係があるかは全く分かりませんが、コンビニの零細経営者は長時間労働などの過酷な環境に置かれる方が少なくないとも言われており、そうしたものが本件にも関係しているのなら、何らかの報道があってよいと思います。

また、相当以前から地域内で問題視されていたとの報道もあり、どうしてそれが本部などに発覚せずに放置されていたのか(ご家族なども誰も何もできなかったのか)という管理体制上の問題なども、これだけコンビニが「地域の公器」のような様相を呈してくると、社会の関心事として取り上げてもよいのではと思いました。

余談ながら、ドラマ「悪魔のKISS」は、多重債務や悪徳宗教、薬物など様々な社会悪が若い女性に降りかかり、辛酸の末にそれを脱して終了、というストーリーになっていましたが、よくよく考えると、人々がそうした被害に遭わないようにする(遭っている人を救い出す)ことも我々町弁の重要な仕事の一つなわけで、ドラマのような強烈な修羅場には立ち会ったことはないものの、あの事件は一歩間違えれば、と思う経験はそれなりにしているような気がします。

コンビニ業界についても、従事者の就労環境の問題から弁当廃棄(値引禁止)などの問題まで色々と改善されるべき論点はあるように思いますので、そうしたことも視野に入れた報道などを考えていただければと思いますし、我々も、そのことにもっと関わっていければと感じています。

ともあれ、報道によれば大変反省しているという店長氏も、必要に応じた治療的なものも含め、しかるべき法的責任を踏まえつつ、適切な再出発を図っていただければと思います。

因果なドン・ファンより最高裁のドンパン節

先月に不審死を遂げた和歌山県田辺市の実業家の方については、他殺が強く疑われる一方で犯人の特定・立件が困難ではとの報道もあり、ワイドショーの格好のネタとして世間の注目を集めています。私は、さほどこのニュースに関心はなく、

紀州のドン・ファンより秋田のドンパン
富豪のカサノバより肴町のモリノバ
美女へのバラマキより花巻バラ園
そして、迷走の年の差婚より名将・島左近

といった感じではありますが、誰が逮捕等されるにせよ、否認事件になる可能性は強いでしょうから、殺害行為と直接に結びつく証拠が見つからず情況証拠のみで立件せざるを得なくなった場合、平成22年の最高裁判決の要件にあてはまる事実(証拠)を突き止めることができるかで結論が決まるのかなと思って眺めています。

この判決は、情況証拠のみで犯人だと認定するためには、「Aが犯人でないとしたら、合理的に説明できない(少なくとも説明が極めて困難な)事実関係が含まれていることを要する」と述べているのですが、否定の否定が肯定の要件という感じで、何度読んでも分かりにくく、混乱しやすい文章だなぁと思ってしまいます。

「Aが犯人だと考えないと説明のつかない事実が含まれていることを要する」と書いてくれた方がよほど分かりやすいと思うのですが、要件的に何がどう違うのでしょうね。

それで結論が決まるような難事件が配点されることがあれば、判決の解説文などを読んで双方の違いを考えたりしなければならないのでしょうが、零細事務所の経営者としては、そんな日が来ないことを願うばかりです。

現在は、ドン氏の愛犬が掘り出されて死因の調査がなされているとのことで、本件で「犬が服薬死と判明し投与者も特定された」場合、殺犬だ→殺犬犯が殺人犯じゃないかと感じる人が益々増えるとは思います。

ただ、それだけでは最高裁判決が示す「決め手の事実」にはならないと評価されそうな気もしますので、検察は色々と事実を積み上げて「Aが犯人でないとしたら合理的に説明できない事実が(総合的に)存在している」と主張することになるのかもしれません。

報道などによれば、ドン氏はこの犬を法定相続人より優先する受益者とする信託契約などをしていたか判明していないとのことですが、本件では、犯人がドン氏の愛犬を先に殺したいと考えるだけの明確な事情であるとか、犯人と被害者の関係破綻などの(明確な)事実がなくとも、何らかの思い込みや衝動などで犯行に突き進んだのでは、というストーリーを、全国の皆さんが推測しているのかもしれません。

私がこの事件にあまり関心を持てないのも、そうした「軽率・短絡の匂い」がプンプンして、被害者を含めた登場人物に、人の心の深淵や善悪の彼岸に迫る深みのある世界を感じ取れないから、という点にあるのかもしれません。

誰が犯人かはともかく、過ぎたるは及ばざるが如しの連鎖という印象の否めない事件であり、子供向けの昔話の素材にでもなりそうな気もしますが、ともあれ、真相究明に向けて、関係者のご尽力を期待したいところです。

余談ながら、某先生によれば、銭形平次シリーズにも、これと似たような話(先に犬が殺されるもの)があるのだそうで、「素人の粗探しより紫波のあらえびす」といったところかもしれません。

企業施設の重大事故における賠償不払リスクの実情と解決策(後編・中三ガス爆発事件)

先般、報道のあった「盛岡市内の託児施設の塩中毒死事件」を題材に、「重大な事故を惹起した者がその責任をとることができず被害者が放置される事案が頻発しており、保険の義務化(施設開設等の許可条件化)が必要ではないか」という趣旨のことを述べた投稿の後編です。

引用した報道があった直後に前回の投稿をfacebookに載せたところ、震災の発生直後(平成23年3月)に盛岡市の中三デパート地下で発生したガス爆発による死亡事故を巡る問題に関心をお持ちの方から「その件でも遺族が賠償を受けられず、気の毒だった」という趣旨のコメントが寄せられました。

私自身はその事件にも全く関与しておらず詳細を存じませんが、中三が民事再生手続をした関係で同社から遺族にはほとんど賠償金が支払われず、そのため、遺族が(中三も)ガス供給を行っていた会社(地元のガス会社)に対し、過失があったと主張し賠償請求をしています。

そして、ガス会社側(の損保)が巨費を投じて強力な反証を行ったせいか、敗訴してしまったため、なおのこと遺族は辛い思いをしたのだと、コメントを寄せた方は憤慨していました(H30.6.8付の岩手日報記事によれば、遺族に対しては450万円の見舞金を支払う趣旨の和解が成立し、中三からガス会社への訴訟は控訴棄却となったとのことです)。

この件についても、施設管理者たる中三の被害者(遺族)に対する賠償責任は争いがないと聞いていますので(工作物責任でしょうか)、もし中三が施設賠償責任保険に加入していれば、民事再生に関係なく遺族には適正な損害賠償の支払がなされたはずです。

その場合、「中三のガス会社への訴訟」はともかく、少なくとも遺族自身は、責任論に熾烈な争いがあり立証や敗訴などのリスクの高い裁判をガス会社に提訴しなければならない負担を免れることも言うまでもありません。

だからこそ、その件で最も罪深いことは、中三が事前に、その被害を対象とする施設賠償責任保険に加入していなかったことだと言うべきだと思います。

そうした意味では、施設側が賠償責任保険に加入することは、事故の被害者(になりうる者)はもちろん、ガス会社など「施設が責任を果たさないことにより賠償請求を受けるリスクのある者」にも必要有益なことであり、ひいては、その会社らの損保にとっても同様だと思います。

そうであればこそ、中三事件は「施設賠償保険の義務化が必要であることを示す典型例」として、被害者・ガス会社・損保会社の3者が、それぞれの立場で保険義務化=商業施設の開設者(営業主)に施設賠償保険への加入を営業許可等の条件として義務づける制度の導入について声を上げていただければと思いますし、今回の塩中毒死事件も、同じリスクに直面しているのであれば、同様のことが言えるのだと思います。

また、このように保険を通じて早急な被害回復を図る制度は、①加害者自身の救済(更生)、②事故そのものの防止につながることの2点からも、必要不可欠なことではないかと考えます。

交通事故の無保険などを例に出すまでもなく、本件(塩中毒死事件)でも、巨額の賠償責任を個人が果たしうるはずもなく、加害者本人はその重すぎる責任と向き合わなければなりません。何らかの私財をお持ちであれば、それはほとんど全て賠償責任の履行にあてる必要があります(破産免責に関しては、故意との認定があれば悪意不法行為を理由に非免責債権となる可能性が相当にありますが、過失認定だと免責の可能性が高いでしょう)。

交通事故を引き合いにするまでもなく、高額な賠償責任を負うリスクのある業務などに従事する者にとっては、賠償責任保険は、自身を破滅させることなく責任の履行(けじめ)を果たす制度であることは言うまでもありません。

そして、保険の義務化を通じて、損保会社等が保険事故(支払)を減らしたい(それにより収益や保険料抑制による顧客の支持を得たい)という正当な動機のもと、事故防止や業界の質の向上のための取組み(適正な審査と契約拒否だけでなく被保険者への相当な監視・監督、交通事故であれば道路状況や車両装置などの改善を含め)を熱心に行う制度や慣行が確立されるのであれば、高額な賠償責任が生じる深刻な被害の発生そのものが確実に減っていくことでしょう。

そうした制度・慣行が作られるまで、あと一体何人が泣けばいいというのか、政治家云々に限らず、様々な関係者の熱意と行動を強くお願いしたいところです。

企業施設の重大事故における賠償不払リスクの実情と解決策(前編・託児所の塩中毒死事件)

平成27年に盛岡市内の認可外保育施設で起きた「飲料に混入させた塩分の過剰投与に起因するとみられる幼児の死亡事件」は、現在、盛岡地裁の法廷で民事・刑事の双方が審理されています。

刑事事件については、加害者本人(施設責任者)が過失を認めたことから、盛岡地検は略式請求したのですが、被害者の強い意向を踏まえて盛岡簡裁が正式裁判を決定したとの報道があり、全国ニュースで大きく取り上げられた電通の自死事件に類する面があります。

その上で、遺族は「過失ではない、故意だ」と強く主張し、刑事事件の結果を待たずに民事訴訟を起こしたとのことであり、先般、第1回口頭弁論期日の記事が県内で一斉に取り上げられていました。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/6/1/15487

この記事ですが、岩手日報の紙面では、Webでの表示内容に続けて「被告は弁護士に依頼してない=本人訴訟」と書いてありました。私に限らず、これを読んだ業界人は全員、「この人は無保険なんだ=被害者は回収不能の重大なリスクを負っているのでは」と嘆息したのではないかと思います。

ちなみに、加害者(施設側)が、託児施設内の事故を対象とする賠償責任保険に加入しているのであれば、交通事故一般と同じく、事故直後から損保会社が対応し、訴訟等になれば損保社の費用負担で指定弁護士(特約店のようなもの)が選任され、賠償額も当然ながら損保社から支払われます。

言い換えれば、本人訴訟と書いてある時点で無保険であることが確定したも同然で、しかも、弁護士に依頼していないこと自体、本人の無資力を強く推認させます。

ちなみに、幼児の死亡事故の性質上、賠償義務額は通例で億単位(最低でも5000万円以上)になるはずです。

その上、本件では被害者の方は東京の弁護士さん達に依頼されており、裁判が長期化すれば交通費(と日当)のため、地元の弁護士に依頼するよりさらに数十万円の負担を要することになるはずです。

どのようなご事情かは存じませんが、代表の先生は業界でも相応に著名な方なので、回収可能事案かつ賠償額に争いの余地が大きい事案なら相応の経費を負担してでも第一人者に頼みたい、というのはごく自然なことですが、加害者本人に支払能力がない場合は、さらにお気の毒な事態になりかねません。

私自身はこの事件に何の関わりもなく(当事者双方から相談等を受けたことはありません)、事件報道を最初に目にしたときは「託児施設なんだから施設賠償責任保険くらいは入っているだろう、死亡事故は大変気の毒だが、適正な賠償金の支払がなされるのなら、せめてもの救い」と思っていたのですが、その意味では大変残念な展開になっていると言えます。

もちろん、こうした話は本件に限った事柄ではなく昔から山ほど存在しており、私も残念なご相談を受けたことは山ほどあります。だからこそ、託児施設であれ自動車等であれ、高額な賠償責任を生じる可能性のある仕事等に携わる者には、任意保険の加入を義務化(免許要件)とすべきだというのが、私の昔からの持論です(被害者側の弁護士費用保険の整備も含め)。

私も「名ばかり理事」となっている弁政連岩手支部では、今年になって地元選出の国会議員さんと懇談しようということになり、先日は高橋比奈子議員との懇談会があり、6月には階猛議員との懇談会が予定されています。

私自身は、上記のような「実務で現に発生しているあまりにも不合理な問題とその解決策」を議員さんに陳情すべきではと思っているのですが、キャラの問題か過去のいきさつの問題(会内では「会務をサボるろくでなし」認定されているようです)か、残念ながら内部での意思決定権が与えられておらず自分の会費分の弁当食うだけの穀潰し傍聴人状態が続いています。

内部では「日弁連(のお偉いさん)が取り組んでいる問題を(議員の関心の有無にかかわらず?)宣伝すべき」というのがコンセプトとなっているようで、お偉いさん(や議員さん、世論など)の関心が及ばない限り、今後も残念な構造は放置され、気の毒な事態が繰り返されることになるのかもしれません。

もちろん本件の詳細は存じませんので、何らかの形で適正な賠償責任が果たされることを強く願っています。

私も、かつて県内で発生した保育事故の賠償請求のご依頼を受けたことがあり、本件のような甚大過ぎる被害ではなく、加害者が大企業で支払能力もあったため、適正の範囲内での賠償がなされたとの記憶ですが、ご両親の沈痛な面持ちは今も覚えています。

(H30.9追記)

14日に塩中毒事件で「検察は罰金求刑したが、裁判所は執行猶予付き禁固刑とした」との報道がなされていました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/morioka/20180914/6040002031.html

私は、上記のとおり「民事訴訟で本人が弁護士に依頼せず自ら対応しているので、無保険(回収困難)事案ではないか」と考えたのですが、もしそうであれば、これだけ重い結果が生じている事案で、どうして検察庁が罰金求刑にしたのか、不思議に思います。

保険対応で適正賠償額が支払確実な事案であれば、加害者に相応に汲むべき事情があることを前提に、略式請求(罰金)とするのは理解できますし、これに対し、「被害者に過失のない死亡事故を起こして無保険で賠償できないなら正式裁判+実刑」というのが交通事故の通例のはずです。

「検察が略式請求としたが、裁判所が正式裁判とした事案」といえば、電通の過労死事件が思い浮かびますが、その事件の展開がどうであるにせよ、電通に民事訴訟(安全配慮義務違反に基づく賠償請求訴訟)における賠償資力が無いはずはなく、だからこそ、略式請求がなされたという展開は「昔ながら」という意味では了解できる面があります。

それだけに、この事案では「無保険事案らしき光景が見え隠れするのに、検察が罰金求刑に止まっている」ことに、非常に違和感を抱くのですが(被告人に罪責を問いにくい相応の事情があったのでしょうか)、この点について内情などをご存知の方がおられれば、こっそり教えていただければ有り難いです。

もちろん、実は責任保険が対応する事案だった、というのであれば、それに越したことはないのですが、そうであれば、どうして保険会社が介入せずに本人が訴訟対応しているのか、全く不可解です。

任意団体(権利能力なき社団)が自治体から借りて管理する緑地で生じた事故における法律問題~盛岡北RC卓話から~

私が所属する盛岡北ロータリークラブでは、各会員が年1回、20分ほどの卓話(スピーチ)を担当することとなっており、先日がその担当日でした。

ちょうど、その少し前の役員会で、当クラブが盛岡市から土地を借りて植樹し管理している「どんぐりの森」について話題になったため、万が一のリスクもありますよ、と余計なこと?を言ってみたくなり、以下のとおり「どんぐりの森で大事故が発生した場合のクラブや関係者の賠償責任如何」という設問を作成して、簡単ながら解説しました。

奥入瀬渓流国賠訴訟判決のアレンジという面もありますが、権利能力なき社団たる任意団体で賠償問題が生じた場合に広くあてはまる法的論点について取り上げた面もあり、それなりに参照価値があるかもしれません。

盛岡西北クラブの某大物ロータリアンの方に倣って「似たような話を皆さんのクラブの事業バージョンで聞いてみたい方は、卓話に呼んで下さい」と宣伝してみたい気もしないこともありませんが、「そんな縁起でもない話はイヤだ」とお叱りをうけるのが関の山かもしれません。

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盛岡北RC(以下「当クラブ」という。)が管理している「どんぐりの森」で、次の事態が生じた場合に、被害者は当クラブやその関係者(役員や一般会員など)或いは盛岡市などに賠償請求をはじめとする法的責任を追及したいと考えている。誰がどのような責任を負うか、説明しなさい。

(1) 近所の高校生Aが、当クラブに断りなく敷地内でバーベキューを始めたところ、Aの火の不始末により森が燃え上がり隣接するBの自宅に延焼して全焼し、逃げ遅れたBが死亡した。そのため遺族Cが賠償請求を希望している。

(2) 近所の小学生Dが、当クラブに断りなく「森」を散策中、植栽されていた木(遊歩道状に設置された通路に面するもの)が突如、倒れてDに衝突し、Dは脳挫傷など重大な傷害を負い、治療の終了後(症状固定後)も常時介護を要する全身麻痺(自賠責保険における後遺障害1級相当)などの障害が残存した。

事故後の調査でその立木の根本が遅くとも半年以上前から腐っており、強風や地震など一定の外力が加わるなどすれば倒木のおそれがあったことが判明したが、そのことを調査、指摘するという作業は当クラブ内ではなされていなかった。

(3) 当クラブが「森」の入口に設置している看板が、「100年に一度の大型台風」と報道された異常な強風のため杭から外れて近所のE社の事務所に衝突し、E社の建物を損壊したほか、相当の期間、E社の営業を困難にさせる被害を生じさせた。被害発生後の調査では、特に杭の腐食などの問題は確認されなかった。

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(レジュメの項目)

第1 ロータリークラブが管理する施設で賠償問題が生じた場合の法的主体(誰が義務を負うか)について
 1 ロータリークラブという団体の法的性格と賠償問題が生じた場合の権利義務の主体
 (1) 団体の法的性格
 (2) 団体の債務に関する構成員個人の責任
 (3) 団体の責任者、問題を起こした担当者などの賠償責任
 2 民事上の賠償以外の法的責任(刑事責任)

第2 小問(1) 失火と延焼に関する賠償問題
 1 A及びその親権者のB・Cに対する賠償責任
 2 当クラブのB・Cに対する賠償責任
 3 当クラブの会員個人(会長、担当委員長、一般会員など)のB・Cへの賠償責任
 4 盛岡市のB・Cに対する賠償責任
 5 B・Cの損害について

第3 小問(2) 施設内の立木に起因する被害に関する賠償問題
 1 当クラブのD(及び親権者)に対する賠償責任
 2 会員個人の責任、盛岡市の責任
 3 Dらの損害

第4 小問(3) 施設内の設備に起因する被害に関する賠償問題

第5 まとめ(予防策とおまけ)

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事故で賠償問題が生じた場合の対策ですので、当然ながら損害保険(賠償責任保険)への加入が望ましいという「まとめ」になるため、我ながら損保会社の回し者じゃないかなどと思ってしまいます。

反面、それならそれで、いっそ損保各社におかれては「我が社の保険商品の販売促進のため、その商品の出番になるような事例を作ってミニ講義をして欲しい」とのご依頼があれば、大歓迎という気持ちもないわけではありません。

が、よくよく考えると多くの会社さんが「交通事故などの賠償請求の相手方(当方が被害者代理人)」になっているため、残念ながら利益相反のため断念、という感じになってしまいそうです。

加除式書籍の追録執筆は続くよどこまでも

平成18年に、新日本法規出版社から日弁連廃棄物部会(のメインの先生)に「廃棄物処理法の各条文に関する網羅的解説を掲載した加除式書籍を出版したい」とのお話があり、平成15年に加入した私も執筆陣に加えていただき、措置命令の条文などの解説を担当したことがあります。
http://www.sn-hoki.co.jp/shop/product/book/detail_0572_8_0.html?hb=1

加除式書籍は改訂が必要になれば追録を作成しなければならないのですが、廃棄物処理法の性質上、法改正などが頻繁にあり、私が担当した箇所も、2年に1回くらいの頻度で作業の指示がなされています。

で、昨年12月に平成29年改正の追録の要請があり、年末が提出期限だったのですが、今年の年末年始は本業等に加えて私事で厄介事が勃発したこともあり、正月明けになってようやく、一晩で仕上げて提出しました。

今回の追録は重要な新設条文がある一方、それに対する解説書の類は手元に何もありませんので、開き直って、ネットであれこれ調べて大胆な仮説?を交えつつ、無理矢理仕上げたというのが正直なところです。

代表の先生方と出版社との協定で、最初に気持ち程度の報酬を頂戴したあとは、追録の原稿料は一切無しという日々を送らせていただいておりますが、そんなことにもめげずに、本年最初の一首。

新年の最初の徹夜はタダ仕事 今年の計も推して知るべし

と愚痴半分の戯言をFBにも投稿したところ、日弁連の医療観察法の解説書籍などを刊行されているO先生から「委員会活動で執筆したものは、印税=原稿料も含めて全て日弁連の収入になり、執筆者には(実費支給を別とすれば)一円も来ないので、最初の原稿料が入るだけ恵まれているよ」とのコメントをいただきました。

そのようにせざるを得ない合理的な事情(活動費や大勢の合宿など実費類が多いとか、出版元の経費リスクなど)があるのでしょうが、それだけ伺うと、日弁連から「中村修二教授もびっくりのブラック弁連」に改称した方がよいのではというか、いつか裁判する人が出てくるかもなどと、余計なことを考えてしまいます。

まあ、我々の書籍もそうですが、法律書籍の出版は自身の勉強を兼ねてという色合いが非常に強く、研鑽と発表の機会が与えられただけで感謝すべきというほかないという感じはあります。

追録の作業も直近の重要な改正を否応なくフォローできるというメリットは大きく、そうした意味では有り難いお話なのですが、困ったことに私自身が住民・業者・行政いずれの立場でも、未だに本格的な廃棄物紛争の訴訟等を受任したことがなく、せっかく勉強したことを仕事で活かす機会に恵まれていません(自宅建設用に購入した土地から廃棄物の不法埋設が発覚し関係者に責任追及した事案があり、その際は相応に役立ちましたが・・)。

まあ、東京から遠く離れた岩手で「何でも屋のしがない田舎の町弁」として仕事しているせいか、それとも岩手は廃棄物を巡る民事紛争などがほとんどない恵まれた土地柄だからなのか?、その辺は分かりませんが、まだ勉強が足りないから「そうした仕事」にも巡り会わない(選ばれない)のかもしれないと謙虚に受け止め、今後も廃棄物部会の活動を含めて精進していければと思います。

見ず知らずの遠方の弁護士に仕事を頼むリスクと専門性を謳う広告だけによる弁護士選びの怖さ

先般「岩手県内の交通事故の被害で東京のA弁護士に依頼しているが、加害者側損保の言いなりとしか思えないような納得できない対応を受けている」と仰る方の相談を受けました。

要するに、特定の損害の支払を損保側に全面拒否されており、受任弁護士がそれに応じて欲しいという話をしてきたが、それが正しいとは思えないので、私にセカンドオピニオンを聞きたいというものでした。

で、その件では特殊な事情が生じているものの、全面拒否は絶対におかしい、このような考え方をすれば、当方の希望額の全額となるかはともかく、相応の額が認められるべきではないか(それが実務一般の考え方に沿うと思われる)と説明しました。

相談者の方は、A弁護士がインターネットでは「交通事故が専門だ」と標榜していた(検索で上位に出てきた)ので頼むことにした(が、その論点に限らず、残念な対応があった)という趣旨のことを述べていました。

少し調べたところ、確かにそのような標榜をしているものの、かなり若い弁護士さんで、Webで確認できる経歴その他に照らしても、その御仁が業界人としての優位性を喧伝するほどの内実が伴っているのか疑問を感じざるを得ない面もありました。

以前にも、似たような話でブログ記事を書いたことがあり、詳細は書けませんが、色々な意味で今回はこの記事に近い話ではないかと感じると共に、我が業界は病院など他業界と比べても、情報開示・品質保証機能をはじめ色々な意味で制度も利用者の認識なども熟度が低く、ミスマッチや消費者被害的な光景が生じているのではないかと残念に感じました。

まあ、私自身が逆の立場であれこれ言われることのないよう努めるほかありませんが・・

最近、東京など遠方の弁護士に電話と郵便のやりとりのみで事件依頼をする方が珍しくないようですが、残念な展開に至ったという話を聞くこともありますし、容易に会いに行けない遠方の弁護士に依頼しなければならない事件は滅多にあるものではありません。

現状では、途中から代理人たる弁護士の仕事に不満を感じるようになったとしても、相当に業務が進行した時点で解任等を求めるのは様々なリスクがあることは確かです。

それだけに、誰に頼むにせよ、最低でも1回は面談して互いの人となりを把握したり、ご自身が特にこだわっている点をきちんと伝えて見通しの説明を受けたり、多少とも不安に感じる(しっくりこない)点があれば、何人かに面談して最も信頼できる(相性も合う)と感じた弁護士に依頼するなど、最初の段階から適切な工夫を考えていただきたいところです。

また、Webサイトやチラシなどで専門性(他の弁護士と比べた優位性)を謳う宣伝があれば、本当に、ご自身を担当する弁護士がその内実を伴っているのか、サイトの内容は言うに及ばず、最初の面談時などに色々と質問をするなどして、きちんと確認することが望ましいと思います。