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日記2008


4月
2008年4月25日(金)
電子メールに関する緊急告知

 4月23日(水)に、私のパソコンでは受信できない謎のメールが送信されてきたため、その日から翌日午前中にかけて、まったくメールを受信できない状況になってしまい、泣く泣く同時期に受信された他のメールごと(合計30通)、サーバーから削除せざるをえない羽目になってしまいました。
 そのため、4月23日から24日の午前中にかけていただいたメールは、まったく閲覧できない状況になってしまいましたので、もし、この日記をご覧いただいた方で、その期間に私あてにメールを送信された方がおられましたら、大変申し訳ありませんが、再度、送信していただきますようよろしくお願いいたします。
 一体どうしてこんなサイバー攻撃?に遭うのか皆目見当がつきませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

フレーム
2008年4月17日(木)
今年の石割桜

 岩手県庁を背後に従え、快晴に映える石割桜です。この日記が載る頃には散り際かもしれませんが。
 この写真には写っていませんが、石割桜の隣には、「石割」ではないものの、赤みがかったもう1本の桜の木があり、紅白のコントラストが遠目にも美しいです。

2008年4月10日(木)
ようやく更新

 ここ数ヶ月、平日は朝から朝まで仕事をするような状態が続き、すっかり休眠状態になっていた本日記ですが、ようやく更新することができました。
 いつの間にか2万アクセスも達成し、閲覧いただいた方々には改めて御礼申し上げます。

2008年4月10日(木)
漂流する相談者

 最近、他の先生に相談したところ芳しい対応を得られなかったので、私のところに相談に来たという方が増えてきているように感じます。別に、筋の悪い無理な相談というわけではなく、ごく真っ当な相談でしたので、私の方で丁寧に説明し、ご納得いただいたり受任したりしています。
 岩手の弁護士は総じて多忙であり、相談等に十分な時間を割くことができないと、性急に事を進めがちになる傾向はあるようです。ある事件で経験したのですが、関係者に対して郵送した書面一つをとっても、相手側の感情に配慮してもっと詳しく丁寧に書いてもよいのでは、と感じることもあります。
 また、最近は新人の弁護士が増え、司法過疎の錦の御旗のもとで能力識見も十分に備わっていない状態で第一線に駆り出されるため、適切に対処できない場面も増えてきていると思われます。
 さらに言えば、長期的な関係を必要とする複雑な事件では、弁護士と依頼者との出会いはお見合いに近い面があり、相性が悪いと能力云々に関係なく、この弁護士に頼むのは嫌だ、ということになりがちです。
 かくいう私も、せっかちで合理的な処理を優先したがる性格ですので、顧客等への対応については日々反省という面もないわけではありません。
 結局のところ、依頼者サイドも、誰でもいいというのではなく、弁護士の説明をじっくり聞いていただき、交際相手・結婚相手を決める場面にも負けないくらいの熟慮をもって、弁護士への依頼の是非を決めていただけばと思っています。
 仕事に追われ他に何をする余裕もない身としては、弁護士の方々にも、そんなに忙しくて事件対応が十分にできないのなら、会務等にあまり精を出さなくともよいのでは…と思ったりもしますが。

2008年4月9日(水)
交渉術の教科書

 モサド前長官のエフライム・ハレヴィ氏の「暗闇に身をおいて」を読みました。
 これまで知識が乏しかったイスラエル及びその周辺地域の現代史について多少とも勉強になったほか、モサドの幹部から長官まで上り詰めた著者が、国の重要な外交に関する様々な交渉に関わった際の経験として、主君(首相)の黒子として交渉を担当する者がわきまえておくべきことを触れている点が、非常に興味深く感じました。
 私のようなごくありふれた町弁は、スパイ活動のようなことをすることはまずありませんが、依頼者の代理人(黒子)として様々な交渉をしていますので、そうした点からは、大いに学ぶところがあったと思います。

2008年4月7日(月)
クレサラ事件に関する広告

 最近、岩手でもクレサラ事件に関する広告を目にするようになりました。
 盛岡市内で無料配布されている生活情報誌に、個人による債務整理支援を称する謎の団体が広告を出していたり、先日はネットで「債務整理」などと検索すれば真っ先に出てくるようなクレサラ専門を称する東京の弁護士事務所のチラシまで入っていました。
 ここ数年、弁護士でもないのに支援団体などと称して債務整理ビジネスに算入しようとする団体が雨後の筍のように出てきているようです。もちろん、看板のとおり良心的な支援を良質なサービスをもって提供できるのであればケチをつけるべきではありませんが、「提携事務所」の例を引き合いに出すまでもなく、債務整理ビジネスに絡んでくる(まともな)弁護士以外の人には胡散臭い人間が少なくないという前例が山のようにありますので、気をつけていただきたいところです。また、債務整理とりわけ過払金請求に関しては、昨今、みなし弁済の論点がほぼ死滅した反面、計算方法を巡って厄介な論点が多数出てきており、これらの議論に素人が対応できるのか、大いに疑問に思っています。
 自己破産・民事再生についても、事案によっては非常にデリケートで難しい判断・処理を要求される場面があり、誰でもできるような仕事ではありません。
 また、債務整理に限らず、弁護士と依頼者との関係は信頼関係が基礎ですので、よほどやむをえない事情がない限り、依頼者と面談した上で受任すべきであるというのが業界の基本原則ですので、「東京のクレサラ専門事務所」なるものが、電話と郵便のやりとりのみで大量に事件を地方からかき集めるというのも好ましいことではなく、依頼者の利益を損なう処理に陥る恐れが大きいと思っています。
 私は、東京時代からクレサラ事件を多数手がけており、業界人として要求される基本的な水準は充たしている(料金的にも東京の一般的相場より低廉)と自負していますので、よく分からない団体や東京の弁護士さんにわざわざ頼まなくとも、ご遠慮なく当事務所に依頼していただければと思います。

2008年4月5日(土)
家電リサイクル法に関する現地調査

 日弁連公害環境委員会(廃棄物部会)に出席してきました。
 今回は、部会で取り組んでいる家電リサイクル法に関する実態調査の一環として、千葉県浦安市にある松下ロジスティクスセンターに行ってきました。
 同センターは、大手家電量販店の石丸電気が、同社が販売した家電をリサイクルのため買主から引き取った上でメーカー(又はリサイクル専門の指定法人)に引き渡す際の中継地として利用している場所だそうです。そして、リサイクルの際にやりとりされるリサイクル券(廃棄物処理における管理票=マニフェストに類似)やコンピュータの情報管理データ、実際に廃家電が集積されている場所などを見せていただくなどして、石丸電気が買主から廃家電を引き取ってメーカー等に引き渡すまでの過程について、丁寧に説明していただきました。
 リサイクルの問題については、私自身が何某かの事件等の現場に関わっているわけではないので、非常に疎いのですが、廃家電が非正規のルートに横流しされることのないよう情報管理にそれなりの手間とコストをかけている様子が窺われました。
 日弁連(廃棄物部会)では、平成18年10月に家電リサイクル法の改正に関する意見書を発表するなど、リサイクル問題にも積極的に取り組んでおり、今後も可能な範囲で関わっていきたいと思います。
 なお、本年6月には、5年ぶりに岩手青森県境不法投棄事件の現地視察を行うことが内定しており、そちらの関係も今から楽しみです。

3月
2008年3月29日(土)
筆界調査委員の任期満了と総括

 先日、いつの間にか筆界調査委員の任期が終了していたことを知りました。
 以前も書きましたが、弁護士にとっては到底ペイしないボランティア仕事ではありましたが、それなりに学ぶところは多く、今後の仕事のため参考にはなったと思っています。
 もう少し続けてみたいという気持ちもありましたが、他の仕事で一杯一杯気味のため、任期更新は遠慮させていただいた次第です。
 2年間、筆界調査委員をして感じたことは、筆界特定制度は、土地家屋調査士の方に支払う測量費用を負担しなければならないことや、複雑事案であれば結局は訴訟並みの時間を要するといった面はありますが、裁判では享受できないメリットは確かにあるということです。すなわち、筆界を特定するためその土地の来歴などを詳細に調べる必要がある事案では、近隣土地を含めた不動産登記簿や公図などの調査を法務局が徹底して行ってくれるので、こうした調査に必ずしも通暁していない(必ずしも専門的な教育を受けたわけではない)弁護士としては、大いに助かる(依頼者のためにもなる)という点は、強く言えるかと思います。
 境界を巡る問題は、高額な土地売買が絡んでいるのでない限り、弁護士にとってペイする仕事にしていくのは容易ではないというのが実情だと感じていますが、合理的に制度設計・運営をして、どうにかペイする=受任可能にできればと思っています。

2008年3月28日(金)
ある勝訴判決

 本日、ある重大な事件(労働紛争)で裁判所から全面勝訴判決をいただきました。
 裁判の結果如何で生じる影響の大きさもさることながら、3年間、期日のたびに徹夜仕事を繰り返し、文字通り寿命を削って闘ってきた事件でしたので、感慨ひとしおでした。
 相手方が控訴することは確実と思われ、厄介な関連事件もあり、まだまだ激闘が続きますが、依頼者はもとより依頼者が支えている地域社会を守るため、死力を尽くしていきたいと思っています。

2008年3月27日(木)
法科大学院という罪悪?

 前回の日記の続きですが、現在のような修習生を巡る危機的な状況がどのような経緯で生じたのかという点は、法曹人口(司法試験合格者)の増員政策を巡る問題と切り離して考えることはできないようです。
 そして、法曹人口の増員とワンセットになって登場したのが法科大学院であり、法科大学院設置を強力に推し進めた人々は、同時に法曹人口増員論者でもあるのだそうです。
 最近になって知った下記のブログの連載によれば、法科大学院の設置(に伴い大学人や文科省に生じる利権の確保)こそが、法曹人口増員が強く提唱された主たる動機であるとの印象を強く受けるところであり、「色々と叫ばれた綺麗事の裏に、こんな思惑があったのか。それにしても、やられっぱなしの日弁連はダメだな」と思わずにはいられません。
 http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/
 実際、下記のブログにもありますが、少なからぬ先生から聞くところでは、法科大学院が多額の学費を学生から集めている一方で、そこに務めている弁護士教員の大半は、事務所経営を賄うには到底足りず生活費も確保できない薄給しかもらえないなどの劣悪な環境下で講義をなさっているようです。
 http://chokudai.blogmin.jp/653891.html
 この先生のブログでは、法科大学院の非常勤講師に対する劣悪な待遇ぶりについて怒りを述べて(それどころか大学相手に調停まで起こして)おられますが、私も(法科大学院ではありませんが)某大学の講師をしていた立場として、まったく同感に感じています。
 余談ですが、法科大学院が大量に設置された際に、知名度のある学者の方に対する高額なヘッドハンティングがあったとか、学者の方の給与は弁護士と違って相当な高額らしいという噂は聞いたことがあります。

 東京での勤務時代、母校(中央大)の法職講座の講師として多摩に通ったことがあり、そこそこの報酬でしたが、対応された大学の職員の方の態度は非常に親切丁寧であったのに対し、某大学の非常勤講師の場合、母校よりも遥かに少額の報酬で、かつ対応もお役所そのもので、労力的には大学の数倍を使ったにもかかわらず、対応した職員からは感謝の言葉なんぞ何もなしという有様で、もう二度とやりたくないと思わずにはいられませんでした。

 大学への批判として昔から言われている言葉に、「大学は教育に興味がなく、研究(と称するもの)をする金を貰う名目として、教育を掲げているだけに過ぎない」というものがありますが、法科大学院も同様なのかという印象を拭いされません。
 教育には興味がないからこそ、教育の重要な担い手である実務家(弁護士)教員の待遇には興味がなく、質はともかく安値で下請してくれる弁護士を探しているだけではと思ってしまいます。
 そして、そのことが、学者ではなく実務家教員だからこそなしうる実務用の文書の起案という訓練を法科大学院が行わないという結果に結びつき、修習制度の崩壊に寄与しているのではないかと思わずにはいられません。
 現在、修習生(新人弁護士)の初任給の水準は大幅に下落しているとのことですが、確かに、さしたる修業もせず使い物にならない修習生が大量生産されるというのであれば、丁稚奉公に相応しい値段で働いて貰うしかないかとは思います。
 無論、そうなったとき法科大学院に人が集まるのかという問題はあるわけで、結局、そうした形で責任を取ることになるのかもしれませんが。

2008年3月26日(水)
修習生を巡る惨状

 正月にも書きましたが、本年から、当事務所も弁護修習のため修習生を受け入れることになり、1月末から本日まで約2ヶ月間、第1号の修習生のお世話をしました。
 もちろん、この修習生に対する評価や感想をここで書くことはできませんが、修習生のお世話をしながら、現在の修習生を巡る混乱(私に言わせれば修習制度の破綻)など色々なことを知って驚いたりしましたので、そのことについて若干述べたいと思います。

 今年の修習生(新61期)は、2年修習であった私(52期)の時代と異なり、修習は全部で1年間で、前期修習がないなど、修習制度という面に関しては大いに後退しています(人数が倍以上なので仕方ない面は強いですが)。
 法科大学院が前期修習の代替だなどと称している人もいますが、私が見聞した限りでは、法科大学院がその代替をしているとは到底思われません。
 前期修習というと、司法試験に合格して浮かれ切っている修習生どもが勉強もせず飲んだくれてばかりいるようなイメージがないこともありませんが、朝から晩まで記録の検討と起案に明け暮れる日々を送る時期もあり、その経験を経て実務修習で様々な起案をする基礎を培ったと認識している身としては、そうしたトレーニングをせずに実務修習に飛び込んできても、果たして実務家になるためのトレーニングができるのか、何も身に付かない「みてるだけ〜」の傍観者に陥ってしまうのではないかとの印象を拭い切れません。

 より深刻なのは、厳しい就職活動を修習と同時並行で行わなければならないということです。私の時代だと、変な欲を出さなければ就職できる事務所は東京都内にいくらでもありましたが、まったく時代が変わり、定員1名の就職口に希望者が100人以上殺到するという、民間企業と同等ないしそれ以上の非常に厳しい就職戦線になっているのです。
 また、私の時代なら、履歴書のみ提出し、1回か2回、ボスに面接すれば内定の是非が決まりましたが、現在は、法科大学院の成績証明書、司法試験の成績通知書などを事前に提出させ書類選考をしたり、筆記試験を課すのが当たり前になっているというのです。
 確かに、合格者数が増えた上に修習制度が劣化しているため、採用側としては企業防衛のためにも修習生の質を厳しくチェックする必要があり、やむを得ないことだと思います。
 ただ、だからといって、弁護士会が募集した合同説明会に、数百人の修習生が参加しているのに、出店した事務所が5箇所(求人5名)にも満たないという話が続出しているそうで、給与を切りつめるなどして交通費等を捻出している修習生にとって見れば、とんでもない話です(聞いた話では、千葉では九州から飛行機で来た修習生を含めて数百人の人が集まったのに、当日になって1つしか求人がないという話が発覚して、修習生から厳しいクレームが寄せられたのだそうです)。そう遠くないうちに、就職活動の費用捻出のため多重債務に陥り自己破産する修習生・若手弁護士が現れるに違いありません。
 より一層問題なのは、この就職問題のため、修習に専念できない修習生が読発しているということです。このような就職活動をしているのが、一般的な大学4年生なのであれば、良くも悪くも、大学に出てこなくても仕方ないね(実際、問題はない)という社会通念(大学の講義に履修必要性が乏しいことの裏返しでもありますが)があるわけですが、国費で勉強しいてる(しかも、前期修習がなくなり、より一層実務修習の重要性が増している)修習生が就職活動に追われて修習もままならないというのでは、まったくもって話になりません。東京から遠く離れた修習生であれば、金曜や月曜は欠勤して面接に行くというのが常態化しているはずですし、そのことは一面でやむを得ないとは思いますが、納税者の立場からすれば、疑問を禁じ得ません(だからといって給与の貸与制にすべきだとは当然には思いませんが)。

 過渡期ゆえの混乱かとは思いますが、現在の法曹養成システムを巡る危機的状況については、より多くの国民に認識を深めていただきたいと思っています。
 私自身は、公私ともそれなりに恵まれた修習生活を享受できた最後の世代として、せめて、現在の修習生の教育に微力を尽くすのみです。

2月
2008年2月25日(月)
東北弁連への寄稿

 先日、東北弁連の会報への寄稿を求められたので、次の文章を書いて提出しました。タイトルは「県境不法投棄事件と独立開業」です(雑記帳と内容がかなり重複していますが)。

 私は、平成12年4月から平成16年10月まで東京で勤務弁護士として生活した後、平成16年11月に岩手弁護士会に登録換をして独立開業した。私は当県二戸市で生まれ育ち、母が青森出身、父方の先祖が秋田の出ということもあって、司法試験受験を志した頃から、いつかは盛岡を拠点として岩手をはじめ北東北の社会のために働く弁護士として生きていきたいと考えていたので、無事にその第一歩を踏み出せたことに日々感謝しつつ、地道に業務に精励しているつもりである。

 ところで、大学時代を多摩の山中で過ごした身にとって、はじめて本格的に体験した4年半の東京都心部での生活は、勤務先事務所が銀座の繁華街ということもあり十分に刺激的で、仕事も含めそれなりに充実感があり、正直、もうしばらく東京で暮らしたいと感じたことも少なくなかった。
 しかし、弁護士4年目になって関わりを持ったある事件が、そんな気分を吹き飛ばし、今すぐ帰って郷土のために働くべきだという思いを強く抱かせることとなった。私の故郷で起きた日本最大級の不法投棄事件である、岩手青森県境不法投棄事件(以下「県境事件」という。)である。

 県境事件は、平成11年暮れに発覚し程なくその規模が全国的にも知られるようになった事件で、青森県で処理業の許可を得た業者が操業していた青森県田子町と岩手二戸市との県境付近の山中に長年に亘り膨大な量の廃棄物を不法投棄した事件であり、投棄量は判明しているだけで青森県側で約67万?、岩手県側で約20万?にも上る。しかも、不法投棄に直接関与した原因企業は発覚後に倒産状態に陥った一方で、廃棄物のほとんどが有害物質に汚染されていることなどから、岩手青森両県は双方とも百億円単位の巨額の公費投入による長期間の撤去作業を余儀なくされ、国費による一部の補助があるとはいえ、その負担は我々地元県民に重くのしかかっているのである。
 私は、この事件を知ってからというもの、地元出身の、しかも若手としては恐らく唯一の弁護士として、何かをなすべき責務があると思いながらも、東京のしがないイソ弁として何もできない日々を送ることに鬱々とした思いを抱いていた。そんな中、平成14年末に日弁連から会員向けに各種委員会への参加希望を求める書面が届いたことから、藁にもすがる思いで公害対策環境保全委員会廃棄物部会の参加を希望し、第1回の会合時に部会として県境事件に取り組んでいただけないかと懇請した。すると、全員一致で現地調査を行うことが決定されたので、最終的に東北弁連との合同視察という形をとり、同年10月31日、11月1日の2日間にかけて、岩手・青森両県庁及び地元住民からのヒアリングを含む不法投棄現場の現地視察が行われた。その際には、日弁連・東北弁連双方より多数の先生方のご参加をいただき、無事に成功を収めることができた。ご多忙の中ご参加いただいた先生方に、地元民の一人として改めて感謝申し上げる次第である。

 そして、私は、この事件及び事件が含む様々な問題について法律家を含む国民一般の認知がまだまだ乏しいことに鑑み、少しでも世論喚起に役立てばとの思いで、調査の成果を日弁連として発表すべく、県境事件の調査報告書と意見書を作成することとした。意見書は、県境事件を通じて浮かび上がった廃棄物処理法制の諸問題を運用面も含めて多岐に亘って取り上げることとし、長年に亘り廃棄物問題に取り組んでこられた日弁連廃棄物部会の先生方から多くの指導を受けながら起案し、平成16年7月に無事に日弁連として発表することができた(現在も日弁連HPからダウンロードできるので、関心のある方はご覧いただければ幸いである)。意見書では、県境事件のような広域型不法投棄事件では、排出者側の都道府県も監督責任の程度に応じて相応の費用を負担する制度が導入されるべきであるという意見も盛り込んでいるが、都会から持ち込まれたゴミを地元民の負担で撤去させられる理不尽さへの抗議の意思を込めたつもりである。

 ところで、こうした取り組みの中で、何度も地元に戻ったり地元の方々と話をする機会に恵まれたことは、それまで半ば故郷と縁が切れていた自分にとって、「急いで戻らなくては」との思いを強くする契機となった。県境事件も根本的な背景として司法過疎を含む様々な過疎の問題があり、これ以上そのことを座視して東京暮らしを続けることは許されない、自分のような非才の身でも戻れば役に立てることがあると思わずにはいられなかった。
 かくして、年が明けた平成16年の最初の出勤日に勤務先に独立を願い出、快諾を得てその年の秋に開業へと至った次第である。
 それから3年以上経過したが、幸いなことに多くの方のご理解、ご支援をいただき、多少の荒波に揉まれつつも大過なく事務所経営ができており、県北を含む県内各地から(稀に県外からも)ご依頼を得て、若干なりとも地域の司法過疎の解消に役立つことができたのではないかと自負している。

 県境事件の方は、現在は淡々と原状回復事業が行われている最中であるが、願わくば、かつて郷土の英雄が寡兵でもって秀吉・家康の大軍と互角の戦いを繰り広げたように、都会側に何か一矢報いることができないか、そして、そのことに自分自身も一兵卒として役立つことができればと夢見ている次第である。
                                                                以上

1月
2008年1月20日(日)
法曹一元と町弁と地方自治

 先日、ある会合で、同世代のAさんから次のような話をされました。
 「自分の友人が東京の渉外系の弁護士事務所に勤務しており、数年間米国に留学して戻ってきたが、彼は、滞在先の地方都市で地域内で活動していた弁護士が裁判官になって、弁護士としての経験を活かして裁判所で活躍しているのを目の当たりにして、大いに感銘を受けていた。日本では、このように地方の弁護士が裁判官に任官するということはしないのか。」
 結論から言えば、日本では、私のように田舎で一人で事務所経営をしている町弁が裁判官に任官するというケースは極めて稀であり、少なくとも私自身は聞いたことがありません。現実問題として、我々町弁のほとんど(少なくとも現役として激務に追われている面々)は、一人または少人数で毎日毎晩様々な業務に追われており、しかるべき方に円滑に引き継ぐことができるのならともかく(それは非常に大変なことです)、それらの仕事(依頼者への責任)を放り出し事務所の経営(ひいては職員の雇用など)をかなぐり捨てて任官するというのは到底考えられませんし、少なくとも我が国にはそのようなことを容易に実現するためのシステムはまったくありません。

Aさんには「やるかやらないかはその人の考え方次第でしょう」などとお茶を濁して会話を終えましたが、現在の私自身がなりたいかどうかはともかくとして、雑多な経験を積んだ弁護士が、裁判官などになって新たな境地を切り開いていくこと自体は、今後、大いに励行されるべきだと思いますし、とりわけ、弁護士大増員時代を迎えて、その必要性・可能性は高まっていると思います。
 ですので、日米の文化・システムの違いを考慮せずに単純に町弁も裁判官になるべきというのは同意できませんが、日本の国情に即した形で、弁護士を基点とする法曹一元(検察官や裁判官を弁護士から選出するシステム)を図っていくことは、大いに推進されるべきことだとは思っています。
 
 ただ、一方で、私自身の現在の実感(我が国の弁護士の多数派も同様と思われます)としては、我が国の現在のキャリア裁判官のシステム(修習後に判事補として10年間修業して判事に任命され、その後はよほどのことがない限り定年まで判事職を続けることができるもの)は大筋において上手く機能していると感じており、若干の例外はあるにせよ、これまで接してきた裁判官の方々は、皆さん非常に優秀かつ真摯に職務に取り組んでおられると認識しているので、現在のところ、この方々の首をすげ替えて弁護士等に取り替えることが合理的だとは考えていません。
 そのため、当面のところは、現在の弁護士任官制度(志のある少数の弁護士の方が、裁判所の募集等に応じて裁判官に任官する制度)を維持拡充して漸進的に制度のあり方を模索・改良していくのが適切だと考えています。
 
 その中で、日米の比較という見地から考えておくべきことは、米国の州裁判所(我が国の地方裁判所に類似)の多くでは、判事は地元の弁護士から選挙で選出されることが多く、その判事は基本的に自分の地元(州)で一生涯、裁判官として仕事をしていく(らしい)点で、日本の制度とは大いに異なるという点です。我が国の裁判官は、(ある程度の年齢になると居住地等の関係で大きく分けて東日本コース、西日本コースに分かれるらしいですが)原則として最高裁事務総局の判断で日本全国どこに飛ばされるか分からない制度になっていますし、私の知る限り、大都市圏はともかく、岩手のような小県では、自分が生まれ育った県に異動させることはまずありません(これは検察官も同様)。言うまでもなく、知人・親族等が関係するなど、公正に対する国民の信頼を損なう恐れがある事件が配点される可能性を排除するためです(万一の場合に、忌避・回避の制度はありますが)。
 では、どうして米国が、そのようなリスクを承知で地元の弁護士から地元で働く裁判官を選ぶという制度を選択しているのかと考えると、地方自治によるものとしか考えられません。我が国のように中央政府が主宰する試験等で選ばれる裁判官に司法上の判断をすべて委ねるのではなく、陪審制に加えて法律上の判断をする裁判官も自分達の地域住民から自分達の手で選ぶという姿勢を貫くことで、司法においても地方自治の実現を確保しているということです。
 恐らく、このような発想は、明治政府によって徹底的に中央集権的思考を叩き込まれた現代の日本人には親近感を持ちにくくなっているのではないでしょうか。
 もちろん、私は、いずれの制度の是非をここで論じるつもりはありません。ただ、弁護士任官(法曹一元)というものを考える際には、このような地方自治の視点を欠かすべきではないし、我が国でも長年に亘って巷間言われてきた地方自治の推進なるものを考える際には、このような「司法(という三権の一角をなす国家作用)における地方自治」という視点も欠かすべきではないということは、大いに強調されるべきだと思います。
 少なくとも、江戸時代であれば、「南部藩内のもめ事は、藩内で決着させる。ご公儀(幕府)は手出し無用」となるはずですから。

 先日(3月くらいですが)、NHK(「その時歴史が動いた」)で戊辰戦争における長岡戦役(北越戦争)が取り上げられているのを見ましたが、もし、河井継之助が新政府軍に勝利していれば、我が国は連邦制の国家となり、司法のあり方も米国のようなシステムになっていたのかもしれないなどと、昔読んで大泣きした「峠」(司馬遼太郎の最高傑作の一つと呼ばれる作品です)を思い返しつつ、考えたりもしました。

2008年1月2日(水)
風林火山と武田一族の興亡

 現在のところ、盆と正月は、リフレッシュと家族への福利厚生に徹させていただくことにしています。
 今回は、大河ドラマ「風林火山」にちなんで、山本勘助と武田軍に関する史跡に少しばかり行くことにしました。
 まずは、静岡県富士宮市にある「山本勘助の誕生の地」の碑及びその周辺を見に行きました。周囲はまったく観光地化されていない細い路地ばかりで、勘助の呪いかどうかは知りませんが、散々な目に遭いました。
 ただ、「勘助坂」付近をずっと登った最上部が建設中の第2東名のちょうど真上で、斜面から見下ろす光景はそれなりに圧巻ではありましたが・・
 次に、愛知県新城市にある長篠古戦場(設楽原決戦場)跡に行ったのですが、現地の詳細な地図もなく肝心の馬防柵に辿り着くことができなかった上に、設楽原資料館も正月休業とのことで、勝頼の呪いかどうかは知りませんが、こちらも散々でした。正月でなければ来ることができない人も少なくないのですから、温泉のように割増料金を取ってでも営業して欲しいものだと思いました(この辺が、役所営業の弊害なのでしょうかね・・)
 以前に関ヶ原や安土城に行ったときには、駅前でレンタサイクルを借りて軽快に巡ったので、こちらも観光客の基点となる道の駅のようなものを作り、そこで自転車で古戦場巡りができるようにしたらいいのにと思いました。
 長篠城址を(資料館は同様に休業でしたが)きちんと見ることができたのが、せめてもの幸いでした。

 帰りに、商売繁盛の神様と言われる豊川市の豊川稲荷に行き、当事務所の安泰を祈願してきましたが、元日でもないのに大混雑しており、驚かされました。後で調べたところ、「稲荷」といっても神社ではなく寺院だそうで、立派な鳥居もあるしどこかの稲荷神社の総本山かと思って元気に柏手を打ってきた私としては、正月早々に狐に化かされたと言いたくもなりました。
 まあ、ネットの記載を見ても神仏習合の延長線上にあるような印象が強いので、祟りを受ける心配はなさそうですが。

2008年1月1日(火)
謹賀新年

 あけましておめでとうございます。本年も、本サイト共々よろしくお願いいたします。 

 平成20年も、司法修習生の受入など新たなチャレンジが予定されていますが、研鑽を重ねて乗り切っていきたいと思います。