北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

さわや書店

壮大感動巨編「シンガポールの魂を救った日本人~田中舘秀三物語~」第10回 映画化の実現構想と賛同者の募集について

今回は、これまで延々と述べてきた「あらすじ案」(を参考にした本職の方の原作や脚本など)を、どうすれば本当に映画化できるのかという観点で、思いつきレベルのことを少し書きたいと思います。

もちろん私自身には映画化できるだけの小説や脚本を作る力も実現する力もありませんので、やはり本職の方にこの物語に関心を持っていただき、映画の作り手達の目に耐えるだけのものを作っていただくほかありません。

というわけで、(FBを通じて)「このブログを読んで下さる可能性があり、かつ業界人との繋がりのある方」に、何かの機会に伝えていただくことをお願いする以外には思いつく方法がありませんので(自ら賛同者を募り団体を設立して運動云々などという「オルグする能力」は私には全くありません)、思いつくまま私の個人的な人脈を生かした幾つかのルートを考えてみました。

勝手に名前を出された皆さんは、お気を悪くなさらないようお願いします。なお、順番は「私が思いついた順」です。

①肴町の若大将SMさんを通じて、盛岡が輩出した作家・斎藤純氏や高橋克彦氏に小説版を依頼→高橋氏の強力な知名度を生かして映画化に持ち込む。

→高橋氏が「天を衝く」に続く二戸人小説第2弾の執筆に意欲を燃やしていただけるのなら、一挙に話が進むか?とりあえず、今回のシナリオ案を「街もりおか」に連載させて貰うようお願いするところからスタートし、映画化が無理でも盛岡・二戸合同文士劇上演を目指すか?

②JC人脈の方々を通じて、盛岡が輩出した映画人・大友啓史監督に依頼し、映画化に持ち込む。

→大友監督が「旧制盛岡中学出身の知られざる傑物を主人公にした作品を撮りたい!」という意欲を燃やしていただけるのなら、一挙に話が進むか?

③司法研修所の同級生である現役作家・H先生に小説版を依頼→H先生の強力な知名度を生かして映画化に持ち込む。

→できあがったものが、なぜかハードボイルド法廷ミステリーサスペンスに入れ替わっているリスクあり?ともあれ、H先生が「ミステリー系だけでなく大戦を舞台にした歴史ロマン小説も作りたい」との意欲を燃やしていただけるのなら、一挙に話が進むか?

④司法研修所の同級生Oさんを通じ?九戸政実(九戸戦役)を描いた「冬を待つ城」の著者である作家・安部龍太郎氏に小説版を依頼→安部氏の強力な知名度を生かして映画化に持ち込む。

→安部氏が「冬を待つ城」に続く二戸人小説第2弾の執筆に意欲を燃やしていただけるのなら、一挙に話が進むか?

⑤函館ラ・サールの同期生で映画産業などにも従事する実業家弁護士・Y君に頼んで、本企画に賛同する大物映画人を探して貰い、映画化に持ち込む。

→Y君人脈を通じて、現役映画人に売り込むことができれば、松下村塾組と二戸との知られざる繋がりで共感を獲得し一挙に話が進むか?

⑥盛岡JCのOB女性起業家TMさんを通じ「のん」こと能年氏を主役(千代)に抜擢することを前提としたシナリオ案を「この世界の片隅に」の制作陣など関係者に売り込む。

→監督さんなどに「大戦を舞台とする泣ける物語をもう一度作りたい」とのお考えがあれば熱意が通じるかも。特に「光と影をきちんと描く」との観点から華人虐殺は必ず触れるべき話だが、実写化は悩ましい面があるので、アニメ併用とする作り方などもあってよいのでは。

⑦「街の本屋」業界の雄・さわや書店盛岡フェザン店など市内の書店に本企画を持ち込み、まずは前回紹介したコーナー博士の本の復刊本をシンガポール紀伊國屋書店から大量購入していただき、荒俣氏本や戸川氏本(復刊可能?)と共に秀三博士フェアを行うなどして話題として盛り上げ、最終的に同店などの人脈を通じて原作小説→映画化に持ち込む。

→この路線だと長期戦は必至かもしれませんが、のんこと能年氏を現代パートの主役で抜擢するなら多少遅くなっても大丈夫でしょう。

⑧その他(アイディア随時募集中)

と、思いつくままに私個人のツテで映画化(や小説化)が実現できるかもしれないルートをあれこれ考えてみました。もちろん、私にとっては、秀三博士の物語の映画化(による顕彰)が実現できればそれでよく、そうした意味では「早い者勝ち」だと思っていますので、関心を持っていただいた方は、それ以外のルートも含め、ぜひこの企画をしかるべき業界人の方に売り込んでいただければ幸いです。

まあ、こんなことを延々と書いていても、家族から「寝言と駄文の暇があれば家庭内労働に精励せよ」との上官命令が来るだけというのが、私の恥ずかしい現実ですが。

IMG_0385

「まちの本屋さん」が語る、法律事務所の営業と未来

私は盛岡駅フェザンのカード(常時5%引)を所持している関係で、一般書籍は盛岡駅のさわや書店で購入することが多いのですが、そこの店長をなさっている田口幹人さんが「本屋道」を熱く語った本を上梓され、店内でも販売されていたので、さっそく購入して一気に読み終えました。

本書は、田口さんがフェザン店の店長になるまでの軌跡(山間部にあるご実家の書店で読書を愛する人々に囲まれて育ったこと、盛岡市にかつてあった第一書店の勤務時に、業界では著名なさわや書店の名物店長さんと出逢い薫陶を受けたこと、ご実家を継ぐも時代の変化により経営環境があまりにも厳しく閉店を余儀なくされたことなど)が語られた上で、さわや書店の取り組みを通じて世に知られていなかった名著に光があたり新たな営みが生じたこと、地域で活躍する方への出版の支援や地域の様々な方を巻き込んだイベントと書籍販売との連動などが、幾つかの書籍を例にして説明されています。

全体として、地方都市に進出する巨大店舗やネット直販などの「書店を巡る現代的事象」と前向きに相対しつつ現代の「まちの本屋」の果たすべき役割や生きる道を模索する内容になっており、書店・出版業界に限らず、弁護士業界を含め、同じような激動に晒されている様々な業界のあり方などを考える上でも、参考になるところが多い一冊だと思います。

とりわけ、「本」を「弁護士が提供するリーガルサービス」に置き換えると、例えば、「本は、新刊の際に売れるとは限らない、その本に合った旬があり、それを捉えて売り出すタイミングを見極めるべき」という下り(26頁)は、新たな法律や判例などが直ちに社会に広まり、それを巡って弁護士の出番が来るわけではない(社会の熟度を見極めるべき)ということに繋がり、それを自身の業務や「営業」に活かしていくかを考える上で、参考になる面が大きいように思われます。

また、「本を置けば売れた時代があった、工夫すればさらに売上を伸ばすことができた、現在は、手を掛けても、成果を得るまでに要する時間と労力が、売上と釣り合わないところまできている」(160頁)というのは、恥ずかしながら極端な供給過小から供給過剰(と需要の縮小?)に向かっている過去と現在の町弁業界が置かれた状況そのものと述べても過言ではなく、それだけに、よりシビアな社会で生き残るため、地域に根を張り様々な工夫で苦闘を続けている「まちの本屋」の取り組みから学ぶべきことは多いのではないかと思います。

また、弁護士は「本」との比較では、サービスの中身を担う張本人(いわば、著者)であると共に、自らサービスの販売を行わなければならない(出版社ないし書店員)上、お店(法律事務所)の経営者でもあるという点で多面性があります。

そのような観点から出版・書店業界の様々な当事者の取り組みを参考にしたり、その文脈だと「書店員」に近い立場と言えそうな法律事務所の職員について、営業面をはじめ、今後、業界の活性化のため、どのように役割(活躍の場)を拡大させていけるか(さらに、誤解を恐れずに言えば、地位を向上させることができるか)という点でも、考えさせられるところがあります。

と同時に、「本屋は文化を売っているのではなく商売をしているのだ、だからこそ「今日行く」と「今日用」=現に顧客の役に立つことを通じて社会貢献(教育と教養)を図るべきだ」という下り(107頁)も、ともすると、現実的な権利救済や利害調整などからかけ離れた「高邁な理想」を強調しがちな弁護士業界としては、特に留意すべきことではないかと思っています。

私は、著者の田口さんのお父さんと面識があり、本書でも描かれているように、過疎地での書店経営の傍ら、本を通じて地域の文化を向上させたいとの強い思いを持って、色々と活動をなさっていたというお話を伺ったことがあります。

かくいう私自身、二戸という田舎町で育ち、少年漫画と歴史漫画中心という有様とはいえ、子供の頃は近所の書店に入り浸って少年時代を過ごした人間でもありますので、それだけに、田口さんの実家のような「田舎町の小さな書店」の存立が困難になっている現代で、過疎地に生まれ育つ子供達などの交通弱者にどのようにして「知の世界」への親和性を育んでいけるかという点は、大いに気がかりなところです。

田口さんは、私とは同じ年のお生まれとのことですが、本屋さん達に限らず、私も含め、地域に根を張る様々な立場の方が、そうした問題意識を共有し、それぞれの現場を守り、より良いものに磨き上げながら、社会のためにできること、すべきことを地道に実践していければと思っています。