北奥法律事務所

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ロータリー

盛岡北RC幹事卓話と小規模RCの運営に関する持続可能性

7月から1年間、盛岡北ロータリークラブの幹事を拝命しており、本日、幹事の立場で卓話を担当しました。

私は、RCやJCなどにありがちな美辞麗句を威風堂々と演説する能力が微塵もありませんので、何を話せば良いのやらと困りましたが、先日、入会以来はじめて予算書や決算書をまともに拝見する機会があり、色々と問題点があるように感じたので、

~当クラブの不都合な真実と、これからの運営の話をしよう~

という不穏なタイトルで、会員の皆さんに心底嫌がられそうな話(要するに、現在のクラブの収支分析と改善点の指摘など)をしました。

聞き手に歓迎されないような内容も含まれているせいか、開会時には私の姿がなく、幹事席に熊のぬいぐるみが置いているかも・・と思いましたが、卓話自体は無事に終えることができました。

残念ながら、実践につながる見込みは期待薄ですが・・

大規模クラブなどの方には無用の話ですが、現在の地方のRCは、30~40人規模のクラブが非常に多いようであり、お時間のあるロータリアンの方は、当クラブにMU(訪問)に来ていただければ、多少とも参考にしていただける面があったかもしれません。

私は人前で即興の話をするのが苦手で、必ずレジュメを用意していますが、写真のニボジローのように?爆盛で膨れあがってしまい、RC卓話では半分も話せずに終わってしまうのが通例です。

二郎系のような病みつき力は無理でも、何か良好な後味を持ち帰っていただけるようなお話ができれば良いのですが。

オクラホマの若者が蝦夷の夢をみるとき

先日の盛岡北RCの例会は、米国オクラホマ州からの短期留学生(17~18歳の男女約10名)の歓迎会を兼ねるもので、盛岡西北RCと合同で、ホテル大観で行われました。

私は例会だけでお暇しましたが、直後には有志の方々により着付けとさんさ踊り体験指導がなされたとのことで、その他の盛り沢山のRC歓迎行事と併せて、留学生の方々は満足して帰途につくものと思われます。
岩手県盛岡市 米の高校生「さんさ踊り」を体験 (tvi.jp)

ただ、折角なら「どうしてオクラホマの若者が、盛岡(岩手)に来る理由があるのか」について、RC関係者の方々から一言頂戴できれば、なお良かったのではないかと思いました。

日本人なかんずく岩手人にとって、オクラホマは全く馴染みのないない場所ですが、米国大陸の「へそ」にあたる、ど真ん中やや下の位置(南はテキサス)で、ロッキー山脈西側の大平原(グレートプレーンズ)を構成する諸州の一つであり、誤解を恐れずに言えば、地形的にはウクライナによく似ていると言って良いかと思います。

この地は、かつてインディアンと呼ばれた先住民(ネイティブ・アメリカン。以下「NA」)の本拠地の一つであり、東海岸で英国移民(アングロサクソン)により建国された米国が版図を西側に急拡大していた1700年代に、利権を主張する他の西欧国家との抗争の勝利という形をとって米国に編入されています。

が、実際の統治ないし社会運営を巡っては、移民(侵略者)たる白人と先住民たるNAとの間で激しい抗争があり、最終的にNA側が敗北し、1800年代頃には、多くのNAが故郷を追われると共に、白人による入植や、それに伴う農園労働力たる黒人奴隷の大量移住が行われ、現在の人種構成に至っていると言われています。

ここまでご覧になって、それってどこかで聞いた話に似ている・・と感じませんか?

そう。

古代において列島の西から興り弥生人=大陸由来民を中心に形成されたヤマト王権が、縄文の暮らしを色濃く残す東のエミシの部族集団(日高見国)を制圧していった光景を。

アテルイ、安倍氏、奥州藤原氏、九戸戦役、戊辰戦争などに彩られた岩手の歴史を。

北海道(アイヌ)を含む北日本の人々が辿った長い長い物語を。

それが脳裏に浮かばなかった岩手ケンミンの貴方は岩手人を名乗る資格が危ういので、イチから郷土史を勉強し直して下さい。

このように、帝国(異民族征服・統合国家)としての米国などの建国史は、その観点からは、日本の建国史とさほど変わりありません(その点はロシア等も同様でしょう)。

そして、蝦夷≒縄文人であれ、米国のNAであれ、有史以後の被征服民の多くが、遠い遠い昔、世界各地を横断した古モンゴロイドと呼ばれる人々の末裔であることも、よく知られている話です。

だからこそ思うのです。

社会経済上、直接にはほとんど何のつながりも持っていないだろうオクラホマの若い短期留学生達を、岩手・宮城のRCが長年に亘り世話することになったのには、何らかの見えざる力が働いていないだろうか。

歴史の中に忘れ去られ、取り残された蝦夷≒縄文=古モンゴロイド=NAの血が、声が、双方の出逢いを促したのではないか。

ホテル大観にいらしていたオクラホマの若者達は多くが白人でしたが、黒人の方が1名、NA由来か東洋移民系かは不明ですが、いわゆる黄色人種(モンゴロイド)の血が入っているのではと感じる方も1~2名ほど?いました。

彼らが故郷の複雑な歴史を正しく学んだ上で、人種を巡る米国の厄介な問題を克服し、人類共通の福利のため力を合わせていける光景を願っています。

そうであればこそ、岩手の人々にも、彼らの姿から蝦夷の末裔としての誇りを、そして、自分達のあるべき道を考えていただければと思います。

もとより、私は「被征服民(蝦夷・NA)ばかり同情し、征服者(弥生人・白人)を非難したい」のではありません。前回の投稿(岩手県立病院物語)でも触れたとおり、科学的・合理的知見が伝播したことで、健康や富に限らず不合理・抑圧的な陋習から人々が解放された面はあるはずですし、何より、双方の文化・思想が交わることで新たに社会に生み出された価値あるものが数多あるずだと確信しています。

であればこそ、歴史とその功罪、失われたものと生み出されたものの双方を適切に学び、自身の現場での役割へと昇華させる努力が各人に求められているのであり、異なる人種・文化・社会が激しく衝突した歴史を共有する岩手とオクラホマの人々は、互いの経験を知ることで、各人の実践に活かせる面が多々あるのではと考えます。

そうした話が岩手の人々とオクラホマの若者達との間で語られる光景を夢見つつ、大観の玄関で飲湯しながら「温泉入りたかった・・」と捨て台詞を残して、終わりなき日常に戻っていった次第です。

ロータリアンとランパス兄さん

少し前の週の金曜日のことですが、11時半の法廷のあと一人で昼食をとることになり、無性に蕎麦が食べたくなったのですが、昨年頃から盛岡でも頻繁に出回るようになった「ランチパスポート」に骨の髄まで依存しているため、市街地で蕎麦が対象となっている数少ない店舗の一つである川徳デパートの「北の蕎麦屋」さんに向かいました。

人気店のせいか行列状態で待っていると、同業のH先生がエスタブリッシュな雰囲気で颯爽と横切っていったので、ああそうかと、隣(ロイヤルホール)で盛岡ロータリークラブの例会が行われることに気づきました。

その瞬間、「面識のある会員の方に見つかったらやだな~」と、北の蕎麦屋を諦めて、並ばずに済む他店に移動することも考えましたが、蕎麦が食べたいとの欲求に勝てず、そのままお店の前で座って待っていました。やはりというか、目の前には、盛岡経済界を代表していそうな顔立ちの紳士の方々が、次々と現れては談笑しながら隣に吸い込まれていくのが見えました。

そうした光景を横目にランパス亡者道を突き進む我が身(ちなみに、その週の利用は4回目)を顧みると、彼我の身分差を感じて悲しくならないでもありませんでしたが、さすがにお店では20分も待った甲斐があり、500円で十二分に美味しくいただきました。

お店前の椅子では存じている方に見つからないようにコソコソ隠れていたつもりでしたが、お世話になっている税理士のS先生に「見ぃつけた!」と言わんばかりの屈託のない笑顔で声を掛けていただきました。残念ながら私が「今日は見なかったことにして下さい」と目力一杯に訴えていたのは伝わらなかったようです。

私も某RCの端くれ会員として水曜には分不相応の食事をいただいていますので、例会だと気づいた瞬間にお店の順番の書き込みを削除し、盛岡RCに4倍のお金(2000円)を払って例会に飛び入り参加(メーキャップ)しようと気軽に決意できる身分になりたいものですが、筋金入りの貧乏性体質のため、その日を迎える前に寿命に追いつかれてしまいそうです。

ロータリーへの田舎の町弁の関わり方

前回に続けて、ロータリー関係で、もう少し書いてみたいと思います。

ロータリーは、1905年にシカゴで活動する弁護士の方が懇意にしている他業種の友人と共に結成したとのことですが、我が国では、弁護士の絶対数が他業種に比べて少ないせいか、ロータリーの組織内での弁護士の存在感は、米国に比して高くないように思われます。

むしろ、盛岡北RCもそうですが、Webサイトで会員を公開している盛岡の各クラブの構成を見ても職業比率で見る限り非常に多いのはお医者さんで、入門書の著者も医師の方になっています。我が国の医師数は、弁護士数の約10倍(しかも、弁護士は最近になって激増しているので数年前なら約15~20倍)なので、当然と言うべきかもしれませんが。

お医者さんに対抗したいわけではありませんが、弁護士会員にとって創設者と同じ看板(職業)を背負っているというだけでなく、職業倫理を重んずる実業人、専門職業人が社会奉仕を実践することを目的とするロータリーにおいては、厳格な倫理規程を掲げ社会正義の実現を目的とする弁護士は、職業の特性としても果たすべき役割が大きいというべきでしょうから、そうした意識を持って参加していきたいと思っています。

とりわけ盛岡北RCに関しては、故・野村弘先生をはじめ岩手弁護士会の重鎮の先生方が過去に在籍されていたと伺っていますので、それらの先生方にも恥じないような活動や生き方ができればと思っています。

この意味では、現在、弁護士業界は激増の一途を辿っており、そのせいか、先日の地区の広報では、私以外にも2人の弁護士の方(いずれも宮城でしたが)の入会報告がなされていました。恐らく、岩手・宮城地区で一度に3人もの弁護士が入会するということ自体、前例がほとんど無いのではないかと思われます。

今後は、弁護士激増に追い立てられるかのように、ロータリー内で弁護士の会員が増えていくと思われますが、中には、今年の盛岡西RCの会長をされている吉田瑞彦先生のようにリーダーシップを発揮したり弁護士会員の価値を高めていく方も、増えていくのだろうと思います。

ロータリーに限らず、弁護士の社会貢献、社会奉仕の幅や形を拡げて、そのことを、より良い形での職域拡大に繋げ、ひいては、真面目に仕事をする弁護士が激増に負けず適切に生計を営み、社会に必要とされる存在であり続けることができる業界であり続けるよう、私も精進していきたいと思っています。

ロータリーへの入会に関するご挨拶

3月に、盛岡北ロータリークラブに入会させていただきました。先日の地区(岩手・宮城)の会報にも新入会員の1人として掲載されていましたので、ロータリー会員の方は既にご存知かもしれません。

今後は、市内の他のクラブにも、メークアップ(例会の欠席補填)の関係でお邪魔させていただくこともあると思いますので、その際はよろしくお願いいたします。

入会の経緯ですが、もともと、後記の理由で、JCを卒業した後は、市内のどこかのロータリーに入会できればと思って、市内の各クラブのHPを検索していました。で、ちょうど、私が盛岡JCで大変お世話になったS先輩のお父さんが盛岡北RCの会員をされているのを発見した上、同クラブは現在、弁護士の現役会員がおらず、「一業種一人」を原則とするロータリーの考え方からも、受け入れていただけるのではないかと考えて、Sさんにお願いし、取り計らっていただいたという次第です。

私は、亡父が40年くらい二戸ロータリークラブの会員をしており、幼少時からロータリーに接することが多かった上、実家が商売(小さな酒類卸等の企業経営)をしている関係で、二戸RCの家族旅行会だけが、観光地に出かける唯一の機会で(クリスマス会?も何度か行きましたが、そうしたイベントもロータリーでしか経験していません)、子供心にロータリーに華やかで肯定的なイメージを持っていたこと、父自身が会員として強い誇りを持って参加していたこと(上着には常にロータリーバッジを着けていました。私は弁護士業に誇りを持っていますが、恥ずかしながら着け外しが面倒なので、いつも財布の中です)などから、子供の頃は大人になったら必ずロータリーに入会したいという思いを持っていました。

そのため、弁護士になった直後の二十代半ば、まだ東京で働いていた時代に、同業の大先輩の先生に、岩手に帰ったらロータリーに入会したいと相談したところ、君は若いから先にJCで修行しなさいと言われ、さらに、平成16年末に盛岡で開業後してすぐ、偶然にも、実家がお世話になっている北日本銀行の二戸支店長だった方(二戸RCの会員でもあり、ご近所だった関係で店番をしていた私も何度かご挨拶していました)にお会いする機会があり、同様の相談をすると盛岡JCへの入会を取り計らっていただいたので、平成17年にJCに入会しました。

そんな訳で、平成25年末にJCを卒業した後、市内のどこかのロータリーに入会できればと思っていたのですが、1つ、問題がありました。

JCに入会する際には、会員としての活動を懸命に行って、ロータリー会員になっているOBの方に誘っていただけるような身分になりたいと思っていたのですが、関係者の方はご存知のとおり、恥ずかしながら、JCでは入会から2、3年程度で本業(昼と深夜)と兼業主夫業(夜)のためパンクしてしまい、その後は卒業まで5年以上も幽霊会員化し、OBどころかJC本体にも恥ずかしくて顔を出せない、たまに出ても居場所すら作れないような身分になってしまいました。

そのため、卒業の際にどなたかに入会を勧められるということもありませんでしたし、自分からお願いするのも情けなくてできないという気持ちもかなりありました。ただ、それでも、私にとっては、岩手で開業すると決めたときからロータリーへの入会を必達目標に据えていたこともあり、恥を忍んでSさんにお願いしたところ、快諾いただいたという次第です。

幸い、ロータリーの例会は昼間が原則のため、兼業主夫=夜が肉体労働時間となる私には、かえって都合がよく(しかも、会場が事務所から歩いてすぐの場所)、しかも(あまり有り難くないことに)弁護士増などで昔よりも仕事が減って時間の確保も付きやすくなってきているので、JC時代よりも出席しやすい環境が整っています。ただ、肝心の会費を稼ぐ力が大幅に落ちたのが悩みの種ですが。

余談ながら、二戸出身なので、盛岡「北」RCに入会できて、個人的にはとても嬉しいという面があります。といっても、盛岡にある東西南北などの各クラブは、住所等で区分しているわけではないようですが。

そんなわけで、ようやくロータリーに入会できたことで、今は心底ホッとしているというのが正直なところです。私も自分の人生に大した願望を持っているわけではなく、こうして自分の事務所を作り上げ、曲がりなりにもロータリアンとしての1歩を踏み出せたので、与えられたか自分で敷いたのかはさておき、子供の頃から薄々意識していたレール(要するに「なりたいもの」)は、一応、達成したのだろう、あとは、どれだけ地域に内実のある奉仕ができるかで人生の意義が決まるということなのだろうと思っています。

最近まで知りませんでしたが、ロータリーは私が想像していた以上に平均年齢層が高く(盛岡北RCは特にその傾向が顕著で、私がJCでお世話になった方々のお父さんやその世代の方々が会員の大半を占めています)、父のように40歳前後に入会する方は多くはないようです(父の場合、祖父が早世したことも影響しているのでしょう)。そうしたことなどから、この年齢・身分での入会に分不相応とのご批判もあるかもしれませんが、以上のような経緯に依るものですので、ご理解のほどお願いいたします。

また、ロータリーもJCと同じく(JC以上に?)、数十年前に比べると会員総数がかなり減っているようです。私自身が偉そうなことが言える立場ではありませんが、決して、功成り名を遂げた地域の重鎮の方でないと入れない団体ではないようですから、同世代の方々には、ぜひ入会を検討いただければと思っています(お父さんが入会されている方も、他のクラブに入会するなどして、二世代で会員になっている方もあるそうです)。

今、入会時に交付されたロータリーの入門書を拝読してますが、「ロータリーの奉仕は個人個人の発意にあり、奉仕の主体はロータリー(団体)ではなくロータリアン個人である」とされ、団体行動よりも会員の個人としての行動を通じた社会への奉仕を重視しているため、集団行動に適性のない私には、かえって向いている面があるのかもしれません。

若い頃は、外国で隠者のように暮らしたいとか、各地を転々として生きたいなどと思ったこともありますが、ここに至って自分の生き方がほぼ定まったように思われ、悔いのない後半生にしていければと思っています。