北奥法律事務所

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参院選

「関わってはいけない宗教団体がある」と聞いた日のこと

参院選については、岩手選挙区への是非の発言をするつもりはありませんが、北海道選挙区では応援している石川候補が惜敗となりましたので、その点は残念に思っています。将来の話をするのは早すぎるのでしょうが、どのような場であれ、いずれ捲土重来を期して頑張っていただければと思います。

開票日には、深夜まで刻々と順位が変動する各局等の開票状況をサイトで一喜一憂していただけでも疲労感がありました。まして、実際に選挙運動に従事された方々大変さは、想像を絶するものがあるのでしょう。

ところで、安倍もと首相の殺害事件に関し、犯人(被疑者)が恨みを抱いていた宗教団体として、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の名前が報道され、教団側も、犯人の母の在籍を認めています。

この点に関し、私は、かなり若い頃、尊敬していた方(故人)に、信仰の自由は最大限尊重されるべきだが、統一教会だけには関わらないで欲しいと言われたことがあります。その方が普段は非常に温和なのに、そのときは深刻な口調で説明されていたためか、強く心に残ったことを覚えています。

具体的な内容までは思い出せないのですが、間違いなく霊感商法や家庭崩壊等の話があったはずで、多分その種の話を人生で初めて聞いたので、よく覚えているのだと思います(今回の事件を受けた記事でも、同種の話が紹介されています)。

ただ、大学時代には「インドカレー研究会」と表示された手作りポスターを学内で見た記憶は微かにあるものの、統一教会の存在を感じたことは一切ありませんでした。

その後も本業等で相談を受けた経験もなく、私自身は何の関わりも持たずに現在に至っています。

そんなわけで、部外者の身で、岸首相や安倍首相の「光と影」にあれこれ物申すつもりはありませんが、こうした形で人に災禍が及ぶこともあるということは、残念な事件から庶民が学ぶべき事柄の一つとして、考えてよいのではと思っています。

 

政治過程の憲法不適合に関する官と民の役割と責任

平成25年7月に実施された参議院通常選挙に関する選挙無効訴訟の最高裁判決(最大判H26.11.26判時2242-23)が、直近の判例時報に掲載されていました。

参院選に関しては、平成22年7月に実施された参院選(議員定数配分規定が最大1:5.00)に関し投票価値の平等違反等が問われた最高裁判決(最大判H24.10.17)で、その選挙当時、本件定数配分規定の下で選挙区間の投票価値の不均衡は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたが、本件選挙までの間に本件定数配分規定を改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えるとは言えない=配分規定が違憲とまでは言えない=違憲状態だが裁量違反なく違憲でない、とされています。

そして、当該判決を承けて、平成24年に公選法が改正されており、その改正法のもとで平成25年の参院選が行われたものの、議員定数配分は最大1:4.77の格差となっており、改めて、この論点に取り組んでいる弁護士の方々が、選挙無効を求めて提訴したものです。

最高裁は、今回も、違憲問題が生じる著しい不平等状態にあるものの、本件選挙までに定数配分改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるとは言えぬ=本条違反に至らずとして、原告の請求を棄却(違憲違法・事情判決とした2審を変更)しています。

但し、都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行方式を改めるなど、仕組みを見直す立法措置が必要だと指摘し、できるだけ速やかに、そのことを内容とする具体的な改正を行うなどして違憲状態を解消すべきだと述べており、国会がこれに応じずに違憲状態を放置した場合には、次回(平成28年)の参院選に対する訴訟では、より厳しい判断が予想されると言えます。

判文や解説をきちんと読み込んだ訳ではありませんが、平成24年最判との違いとして、平成24年は違憲を主張する反対意見が3名だったのに対し、今回は反対意見が4名となっています。また、4名のうち1名(山本裁判官)は、1票の格差は2割未満でなければ許容されない(0.8を下回れば違憲)とし、0.8を下回る選挙区から選出された議員はすべて身分を失わせるべきという徹底した投票価値平等論に立っていることが、特筆すべき点として挙げられます。

この山本裁判官ですが、経歴(出身)をネットで確認したところ、前内閣法制局長官で、最高裁判事の就任時の記者会見で、当時の安倍内閣が推進していた集団的自衛権に関する議論に関し、現在の憲法の解釈の限界を超えると発言して注目を浴びた方であることが分かりました(当然、そのニュースは私も見ていましたが、お名前はすっかり忘れていました)。

もちろん、当時の議論・定義を前提にした発言でしょうから、その後に行われた閣議決定に対する見解を述べたものではないということになるでしょうし、さすがに最高裁判事の就任後は、山本判事がその後の集団的自衛権を巡る閣議決定などのシーンで存在感を示すことは無かったと思います。

とはいえ、国会の存立の基本というべき選挙制度に関する訴訟で厳しい判断を示されているのを見ると、「政のあり方(国会が憲法の基本原則に従うべき身の正し方)」について、強い信念をお持ちなのだろうと感じられます。

ちなみに、反対意見4名のうち残りの3名(大橋・鬼丸・木内の3判事)は、いずれも弁護士出身で、「違憲・違法を宣言すべきだが事情判決の法理により選挙は無効としない」との判断を示しています。政治的な対立を含みやすい論点で最高裁判事の票が割れる場合には、弁護士出身の判事が「少数派寄りの憲法の理想重視の少数意見」に立つことが珍しくないのですが、ある意味、(議員と同じく憲法の尊重擁護義務を負う)行政官の頂点というべき内閣法制局長官の経験者が、弁護士出身判事達よりも厳しく、憲法(国家権力のあり方を定めた法)の解釈について、最も先鋭的と言える意見を示している光景には、官の矜持とでも言うべき、大いに示唆に富むものを感じずにはいられません。

以前に、最高裁判事の経験者の方の著作で、実際の合議では、表に出せないような生々しい議論が交わされることもあるという趣旨の記載を読んだ記憶がありますが、前回よりも反対意見が1票増えていることも含め、こうした経歴の方に最も厳しい反対意見を表明させていること自体が、最高裁自身の、組織としての何らかの意思を示すものではないかと感じたのは、私だけではないのではと思われます。

ところで、山本判事は安倍内閣により任命されており、当時は、集団的自衛権の閣議決定を目指す安倍首相が、山本氏を最高裁に厄介払いしたなどと評する報道もあったような記憶もありますが、私個人の漠たる感覚としては、恐らくそれは一面的な見方というべきで、現下の社会情勢を踏まえて、山本氏の良さは現在の政治過程の中枢(法制局)よりも一歩離れた場所(最高裁)の方が生きるという「高度な政治判断」があったのではないかと思いたいところです。

ですので、山本判事の先鋭的な反対意見についても、単純に「政治(国会)と官(最高裁)の対立」と捉えるのも正しい理解ではなく、「官の最高峰まで上り詰めた人が、現在の国会議員の選出の仕組みは憲法の理念に反し、選挙無効=一部の議員の地位を剥奪すべきだとまで言っている。だからこそ、民(政治家はもちろん、国民全体)がそのバトンを受け止めて、選挙制度改革の気運を高めるべき」という、国民的な議論や運動(選挙制度改革を旗印にした政治勢力の登場などを含め)が求められていると言うべきではないかと考えます。

残念ながら、現在もなお、選挙制度改革を巡る議論等が国内で盛んに行われているとは到底言えず、このままでは、従前と同じく小手先だけの改正のみが行われ、平成28年の選挙では今度は反対意見がもう1、2名増えるだけ、といった展開になるのではと危惧されます。

集団的自衛権に関しては、選挙制度改革に比べれば、まだ議論のある方だとは思いますが、相変わらず、異なる政治的立場の持ち主が自分の価値観に基づく主張を繰り広げているだけの、価値観を異にする者同士の対話のない示威行動的な運動に止まっている感も否めません。

また、上記の観点からは、一票の価値の問題も、憲法9条に絡んだ問題も、根底の部分では相通じる面があるのに、それぞれに携わっている方々同士に何の連携も見られないという点も、憲法を深く考える上では、とても残念に感じます。

私自身は、異なる政治的価値観を有する者同士が、時に議論を交わし、時に妥協を重ねながら、平和的な手段・手続によって高次の政治的価値を実現していくべきだというのが、そうした社会を実現できなかった戦前の反省の上に立つ、日本国憲法の理念だと理解していますし、投票価値(政治的意思決定に対する終局的な影響力)の平等は、そうした社会を支える基本的な原則(インフラ)だと思いますので、そうした観点から、双方の論点を有機的に結びつけるような方向で、議論が深まればと思っています。

定数配分では往々にして有利な結果を享受している地方の立場からすると、定数不均衡問題では、ともすれば、現状肯定の発想に陥りやすいのではないかと思いますが、「国民一人一人の政治に対する影響力という価値が軽視されている表れなのだ」という視点に立ち、悪しきアファーマティブアクションとして断ち切るべき、地方の声を届けるのは別の手段によるべしとの姿勢も必要ではないかと思います。

なお、冒頭の訴訟は定数不均衡問題に取り組む2つの訴訟グループ(元祖派と升永弁護士派)のうち前者を当事者とするものですが、その主力メンバーとして携わっておられる方の中に、私が東京で勤務していた事務所に、私と入れ替わりで入所された先生がおられます。岩手県内に「定数不均衡問題に取り組んでいる弁護士さんから講演を聴きたい」との奇特?な方がおられれば、私までご一報いただければ、お役に立てることもあるかも知れません。

参院選・岩手選挙区結果を過去の投票結果と比較したプチ分析(H25.7.22再掲)

今年は国政選挙や大きな地方選挙などがなく、「国民(住民)の選択」という意味での政治のあり方等に関する議論が盛り上がっていません。

昨年の7月の参院選の開票当夜に、以下の文章を書いて旧HPの日記に載せていたのですが、改めて、岩手県における選挙(政治)の実情を考える機会にしていただければということで再掲しました(一部、表現を修正しています)。

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平成25年7月21日に投開票が行われた参院選ですが、岩手選挙区の結果を過去のそれと比較すると色々と興味深い現象を感じ取ることができます。

選挙結果の見方は人それぞれだとは思いますが、何かの参考にしていただければと思い、少し長いですが、書いてみることにしました。

まず、最初に、岩手日報HPに掲載された今回の選挙結果(得票状況)をざっとご覧下さい(閲覧できなくなったときは、wiki等でご確認下さい)。

大雑把に得票率を見れば、次のように算出されると思います。

平野氏(無所属・40%弱)、田中氏(自民・26%強)、
関根氏(生活・15%弱)、吉田氏(民主・10%強)、
菊池氏(共産・7%強)、高橋氏(幸福・1%強)

次に、これと、wikiに表示されている前回(平成22年)や前々回(平成19年)の同じ岩手選挙区の選挙結果(但し、半数改選の関係で、前回については、立候補者は全員異なります)を比較してみて下さい。

これらを比較すると、最初に目につくのは、自民系の候補者(今回の田中氏(26%)、前回の高橋雪文氏(30%)、前々回の千田勝一郎氏(25%))の得票率が、さほど大きな違いがないという点です。

ちなみに、この中で、高橋雪文氏は県議(盛岡選挙区)を2~3期ほどお務めになっていましたので(千田氏もご出身は岩手ですが出馬までは他県在住で、今回の田中氏と同じく議員秘書をなさっていたとの記憶です)、他のお二人と比べると基礎票があると思われ、その点が、得票率の違いの大きな理由の一つと推測されます。

お三方とも、出馬時の年齢に大きな差がなく(性別も同じ)、小選挙区を中心とする当時の自民党の勢力図にも大きな違いがないため、お三方の得票率の違いは、上記の点など候補者間の多少の違い(変数)を除けば、純粋に、それぞれの年における「岩手の自民党(誤解を恐れずに言えば、鈴木俊一氏を中心とする勢力)の県内における支持率を表したもの」と言えそうな気もします。

そして、ここ10年ほど「岩手の自民党の支持率」が大きく変動したとはあまり感じられない(全国レベルの風を別とすれば、鈴木氏ら県内の自民党議員の方などに、県民の支持が大きく増えるような政策的成果も、大きく減らすような不祥事もなかった)ことに照らせば、毎回の得票率に大きな違いがないということも、ごく自然に納得できます。

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今回の参院選では、当初から「岩手と沖縄以外は、自民候補は盤石」との報道が流れ、岩手県では前代未聞と思われる、安倍首相・石破幹事長・進次郎氏の複数回の波状攻撃が岩手でも繰り広げられましたが、それでも、自民党の得票率という点では、過去の選挙とほとんど変わらない結果となったと言うことができます。

また、「政党の離合集散を経験していない」という点から、同様に共産党系の候補の方を見てみても、5~7%ほどの幅ということで、あまり大きな違いがありません。

今回に関しては、社民党から立候補がなく、同党支持者の票が一定数は流れたと推測されるため、今回選挙での全国的な「共産党躍進」と比べると、自民党と同様、岩手は異なる風が流れていた(共産党に風が吹いたとは言えない)と見るほかないと思われます。

次に、民主系列ですが、得票順に、平野氏・関根氏・吉田氏を全部併せると、合計で約65%の得票率になります。これは、平野氏が、民主党(小沢氏系)候補として圧倒的な勝利を収めた6年前の選挙(得票率62%強)とほとんど同じ比率です。

そのため、6年前の結果と比べれば、自民・共産は、多少は得票率が増えたものの過去の結果と大差はなく、非自民・非共産の勢力が、得票率は若干減りつつも、単に3分割されただけに過ぎない(この勢力の内部で票の取り合いをしただけ)という印象を強く受けます。

要するに、現在の参院選の制度を前提に、過去10~15年ほどの岩手県の政治状況を見る限り、有権者のうち、①自民系が25%程度、②共産系が5%程度、③非自民・非共産系が55%程度(過去の選挙結果からの大凡の推計)の基礎票を持っていて、残りの15%程度の浮動票(無党派層ないし各党支持者内部の流動層)を奪い合っている(政治状況に応じてこの15%の層が揺れ動き、得票率に影響を与えている)が、少なくともこの間のほとんど全部の選挙で、その浮動票は主に非自民・非共産系候補に流れていた、という姿が見えてくるように思われるのです。

そして、平野氏が2期目の当選を果たした6年前は、非自民・非共産系が、小沢氏という、諸党派の糾合に関し稀有な才能を持った方の全盛期であった上、順風満帆の状態(候補者が官僚出身の2期目の候補で政党に対する逆風も一切なし)であったことも重なり、非自民・非共産系の候補として最大級の得票率(62%強)を獲得できたのではないかと思われます。

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このような観点から、今一度、今回の選挙に戻りますと、今回の参院選においては、当初から最有力候補の1人と見られていた平野氏が、民主離党後に自民党に支援を求めたものの、自民党岩手支部が独自候補の擁立を重視して、支援を拒否したという報道が流れたことがあったと記憶しています。

もし、この時点で、自民党(岩手支部)が、「平野氏が、自民の基礎票=25%を超える得票をする可能性が相当にある」と予見することができれば、独自候補の擁立を見送り平野氏と手を組む方向で動くことができたのではないかとも思われますし、仮に、自民党側に最盛期の小沢氏のような方がいれば、勝つためには手段は選ばずということで、そのような選択肢をとったのではないかと思われます。

もちろん、選挙のプロの方々ですので、上記のような予測をしつつ「負けてもいいから、独自候補を擁立したい(平野氏と手を組むのは避けたい)」といった、何らかの込み入った理由(内部事情)があったのかもしれず、そうした事情の有無については、そうしたものを発掘することこそメディアの役割ということで、報道関係者にはご尽力いただきたいところです。

また、上記の観点から、三分割された「非自民・非共産」系の票が、3者(平野氏:関根氏:吉田氏)で、大雑把に言って、60:25:15の比率で分かれたことは、旧民主(小沢氏が糾合した勢力)の岩手県内における行く末を考える上で、なかなか興味深い印象を与える数値ではないかと思います。

吉田氏が関根氏に及ばなかったという点は、今もなお、小沢氏(の勢力)を強く支持する方が県内には相当におられるということでしょうし(保守層のうち反TPPの票を集めたという要素もあるのかもしれませんが)、分裂後の民主党(岩手支部)が、全国の選挙結果と同様、基礎票と目される幾つかの労組などの方々以外には、支持の広がりを持つことができていないことが強く印象づけられたように思います。

少なくとも、吉田氏個人は、新人云々という点をさておけば、県外出身のハンディを跳ね返す快活さ(人柄の印象の良さ)、熱心さなどがあったと思われ、ご本人の資質はマイナス要素としては働いていなかったと言うべきだと思います。

そして、平野氏が「非自民・非共産」(55%)及び無党派(15%)のうち、かなりの得票を占めたのは、民主党政権の大臣さん方には珍しく?バッシング報道も無いに等しかった地元出身の復興相として、「派手さはないが、地道に実績を積んだのだろう」という印象を有権者に残したため、県民の多くが、昨今の政治情勢で被災地の復興問題が何かと置き去りにされているように感じている(そのことに対する問題意識が、全県的に共有されている)ことと相俟って、被災県の代表として送り出す上で最も相応しいと考える有権者が多かったというのが、素直な見方ではないかと思われます。

もちろん、報道によれば、鈴木氏の地元である(山田町を含めた)旧岩手2区では、沿岸部も含めて、軒並み、田中氏の方が得票していたので、上記だけでは説明がつかない、南北問題や沿岸・内陸の違いなども、視野に入れなければならないとは思いますが(平野氏の地元である北上市は、数十年の幅で見れば、県北・沿岸の地盤沈下と入れ替わるようにして発展してきた地域だと思いますし)。

ともあれ、上記の分析の見地からすれば、今回、平野氏が集めた「40%弱」という得票率のうち、約15%位が無党派などの浮動票であったと思われ、仮に、この層の投票が全く得られなかったなら、平野氏の得票は25%ほどに止まるため、田中氏に敗北していたはずだと言えることは確かなのではないかと思われます。

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また、今回の選挙は、かつて保革を含めた非自民・非共産系の糾合という偉業を成し遂げた小沢氏の時代の終焉を完全に印象づける結果になったことは確かと思われますが、それと同時に、他の理念・論理・剛腕で岩手の政界を糾合・再編したり、岩手から全国に向けて、新しくより良い政治のあり方を発信できる方の不在もまた、印象づける結果になったと感じます。

無党派層の1人としては、そのような力量を備えた政治家の方が出現して(もちろん、既存の方々がそのように成長することも含め)、新しい政治風景が現れてくれればと願っているところです。

というわけで、今後の参院選であれ、岩手県知事選であれ、岩手県全域を射程に入れて選挙をなさる方にあっては、現在の勢力図を前提とした、上記の各政党ごとの基礎票と、有権者の約15%と思われる浮動票を視野に入れて、自派の足場固めと支持拡大を検討いただくのが賢明ではないかと思った次第です。

また、上記の見地から、市町村毎の得票状況を年度ごとに調査して分析できれば、さらに興味深いものが見えてくるかもしれません。

そうした仕事は、県内の政治学者さんが、ゼミ生を動員してやっていただくべきものだと思うのですが、いかがでしょう。

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ちなみに、毎回の選挙結果の得票率があまり大差がないという姿は、参院選に限らず、衆院選でも見受けられるようです。

この点は、岩手1区のここ10年ほどの得票率をwikiで見れば感じられるところですが、小沢氏の支援で登場してきた達増拓也氏(現知事)と、その後継者の階猛氏(現職)の得票状況を見れば、達増氏が徐々に増やしてきた得票率が、階氏への継承時にピーク(10~11万票=60%強)となり、それが、民主党分裂により、全体の得票率(6割)を維持したまま、真っ二つに割れた(前回選挙での階氏:達増陽子氏の得票比が、概ね35%対25%)という様相を呈しています。

そして、この間、自民(高橋比奈子氏ほか)は、26~30%の得票、社民・共産も約6%ずつの得票となっており、これらを見ると、参院選以上に、政治勢力ごとの得票率が固定化していることが分かります。

そのため、無党派層としては、選挙ごとに、もっと政治勢力間の得票率が変動するような仕組みないし仕掛けをして欲しい、そうでなければ無党派層(浮動層)の存在感が高まらないじゃないかと大いに感じてしまいます。

ちなみに、今回の参院選での盛岡市における各候補者の得票率も見たところ、田中氏(自民)は約25%で国政の岩手1区の自民候補者の得票率と大差なしですが、達増知事が支援する関根氏(生活)が15%強、階氏らが支援する吉田氏(民主)が12%弱であるのに対し、平野氏が40%もの得票率となっています。

平野氏を無党派層のシンボルのように捉えるのは間違いだとしても、盛岡市に関して言えば「盛岡を地盤とする達増知事も階氏も負けて、彼らの固定客(所属政党の固い支持基盤)ではない層が存在感を示した」と言うべき面があるようにも思われ、今後の県政の行方を考える上で示唆に富む面があるのかもしれません。

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あと、ここまで書いてから思い出しましたが、「自民系」の得票には公明党支持者の投票が相当数を占めることは明らかでしょうから、正確には、「自公系」と言わなければならないと思います。というわけで、適宜、そのように読み替えていただければ幸いです。

この点に関し、岩手日報を見てもwikiを見ても、「自民候補者の得票数(得票率)のうち、公明票の占める割合」というのが表示されていないように思われ、この点は、残念だ(よくない)と思います。

とりわけ全国的には与党勢力ということもあり、自民系候補がどの程度、得票レベルで公明票に依存しているかを知ること(自公系における内部の可視化)は、公明党に対するスタンス云々に関係なく、他の党の支持者や無党派にとっても、投票行動を決める上で、一つの大きな要素になると考えます。

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とまあ、ここまでダラダラと書いてきましたが、私は、選挙に象徴されるような権力闘争の類には適性が微塵もなく、片隅で書生肌の青臭い政策論(政治システムの理念論)にうつつを抜かす方が性に合っています。

そのため、選挙で勝つための方法なんぞを考えるよりも、上記のとおり、別の選挙制度を導入するなどして無党派=浮動層が影響力を持ちうるような状態を作出して欲しいなぁと感じているというのが正直なところです。

もちろん、政党を嫌悪しているわけではまったくありませんので、得票率が固定化しないという前提で、無党派(浮動層)が、もっと政党側と関わり(良い意味での影響力)を持てる仕組みも考えていただきたいです。

ところで、ここまで、主として公表された各選挙での得票率を基礎として、色々と書いてきましたが、統計情報をよく見ると、岩手日報もwikiも、白票(無効票)の割合(票数)について、一切表示せず、完全に無視しています(日報らが悪いのか、選管が公表していないのか、私には分かりませんが)。

ご承知のとおり、無党派層に投票を呼びかける方の多くが、「嫌なら白票を出して欲しい。それ自体が、既存勢力への抗議票になるから」と語っているわけですが、公表される統計情報の中で白票が無視されたのでは、上記の呼びかけに応じて?、民主政治の発展を願って白票を投じた方の思いが、完全に無視され、裏切られていることになります。

というわけで、選挙結果の統計情報で白票を公表しないのはもってのほかというべきで、ご賛同いただける方は、岩手日報に抗議電話(wikiには抗議メール?)をなさっていただければと思います。

また、過去の選挙の得票数と現在のそれを比較すると、改めて、人口減少を強く感じます。

その他、実際の数字を見ていけば、空理空論で抽象的な政治論などをするよりも、色々と見えてくる面があると思われ、皆さんも何らかの形で実践していただければ幸いです。