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寮生活

子供達が身を立てるようにするため、我々は何をすべきか

今年の春頃に函館ラ・サール学園(中学・高校)の学内誌に投稿させていただくことになったので、折角の機会ということで、読み手の迷惑を顧みず?これまで色々と考えていたことを長文で書きました。

下記は学校側に送信した原文であり、1箇所だけ学校側にカットされた箇所がありますが、敢えて原文のまま載せました。

学園祭に赴いた際、他の生徒さんのお母さん(面識のない方)から「貴方の文章が一番面白かった」などとお褒めいただいたので、中学受験や寮のある中学高校にお子さんを送り出すことに興味のある方、これから本格的な育児(お子さんの勉強等の世話)を始める方々などには、参考にしていただければ幸いです。

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【本学園そして君自身が生き残るため、我々は何をすべきか】

今回は、支部長退任にあたり、卒業生や新入生・在校生及び保護者の方々に本年度の盛岡支部長として御礼等のご挨拶を行うことが投稿の趣旨・目的と認識しています。

もとより、この1年間、多くの方々に支部活動を支えていただき、改めて御礼申し上げますが、本稿では通り一遍のご挨拶に代えて、勝手ながら制限字数も無視して、表題のテーマについて述べさせていただきます。

私は本校を平成4年に卒業しましたが、当時と現在では1学年が半分になった生徒数をはじめ、様々な点で違いが大きい、端的に言えば、数だけでなく比率の点でも、いわゆる難関校、とりわけ東大など最上位の大学に進学する生徒が減少したことは否めません。過去の本誌を見ても、そのことに言及し奮起を求める投稿が時折寄せられていたと思います。

そうした大学に進学したわけでもない私が偉そうなことを述べるつもりはありませんが、手元にある同窓生名簿を見ると、私の学年の理系クラスの頁には進学先がA大学医学部やらB医科大やらが延々と並ぶ偉容或いは異様な光景が広がり(我々文系クラスはピンキリでしたが)、かくいう私も、難関校に進学した同級生の背中を学んだことが後に活きたと思っていますので、子供にも優秀な同級生の背中を学べる機会を提供するのが親の務めだと、ぢっと手を見ながら赤字仕事に明け暮れているところです。

それはさておき、「当時との違い」の原因について様々な見解が表明されていますが、私は最大の要因は総体としての少子化もさることながら、北海道の札幌一極集中=地方の衰退や貧困の進行・激化だと推測します。

私の時代、北海道の公立校は「地区外2%」のルールがあったのだそうで、道内にライバル私立校もない当時は、札幌・旭川以外の「北海道の田舎」の優秀な子供は悉く本校に集結し、多くが難関校に進む光景を見てきました。本校の名声の原動力は、自宅生もさることながら、そうした道内の田舎の英才を吸収できた点にあるでしょう。

これに対し現在は当時と比べ札幌への一極集中が進み、地方都市に赴任する高学歴・高所得者層も家族は札幌在住、という方が珍しくないはずです。

主要都市圏以外の地方圏の経済的疲弊も著しく、子弟を本校に進学させることができる所得者層もかなり減少したと思われます(岩手でも強く生じていますが、北海道では特に顕著と推察します)。そして、札幌の競合私立校の出現により、北海道の南端である本校の道内からの集客環境は、ますます厳しいものとなりました。

ちなみに、当時の岩手からは、たまたま盛岡に赴任されていた「全国を渡り歩く転勤族(高学歴・所得者層)の子弟」が本校に入学し、難関校に進学していました。現在、転勤族も家族は東京等に暮らして単身赴任したり全国転勤(支社)自体が減っているはずです。

このように、本校は大都市圏はもとより地方の他の進学校と比べても外部環境の悪化が著しく、現在の教職員の方々や生徒さん達がどれほど頑張っても、長期的には存続の不安を抱えていると評しても過言ではないと思われます。

では、我々は緩やかな滅びの道を迎えるしかないのか。以下、私なりに考えてきたことを述べます。

当家に限らず、都市集住や職住近接の必要等から狭いマンション暮らしを余儀なくされる多くの共働き世帯にとって、子供が若いうちから自立し、家が広くなり家事の負担も軽減する本校という選択肢は、学費等の調達さえ可能なら十分に魅力のあるものです。

と同時に、今や、高密度労働を要求される者同士の夫婦(いわゆるパワーカップル)が圧倒的に増えた現代では、都市部を中心に、本校のサービスを必要とする世帯はむしろ激増したと言えるでしょう。

もちろん、それは親のニーズだけでなく、狭い自宅で家庭の不和のリスクを抱えながら暮らすよりは、親から自立し本校の特異な環境に飛び込む方が成長に繋がるお子さんも、相応にいるのだろうと思います。

私の時代に東京などから来た子はほとんどいませんでしたが、その光景が様変わりしたのは、単に本校が中学受験に参入したからというだけに止まらず、その点が影響しているのではと推察します。

また、以上とは逆の話になりますが、岩手では盛岡圏以外に住む子が盛岡の学校に進学する場合、自宅からの通学が困難で、下宿の費用負担は本校の寮費を超えることも珍しくないと聞いており、本来は盛岡圏以外の世帯の方が本校のニーズがあり、現に、高校進学後に本校を知って後悔した方もいると聞いたことがあります。

しかし、近年の岩手からの入学者が盛岡市民ばかりという光景が示すとおり、その需要層に届くような広報・宣伝がなされているとの話を聞いたことがありません。

学校をはじめ関係者の方々におかれては、地元小中学校へのパンフ配布の類に限らず、以上に述べた本校への需要がある様々な世帯・親子の心に突き刺さる具体的な宣伝活動をお願いしたいですし、OBや保護者などにも協力を求めていただければ幸いです。

岩手から本校中学に進学する子がほとんどないように、岩手では中学受験は今も「遙か遠くの私の知らない世界」ですが、岩手でも「二月の勝者」の光景に意義や価値を感じる方が、「生まれた場所の違いで、その後の人生に大きなハンデを子供が負うことになるかもしれない」と人知れず思っているかもしれません。

北東北でも本格的な中学受験を経験したい層にとって、本校中学は事実上、唯一の選択肢と言えるでしょうし、本校はそうした世帯に中学受験の世界の光景と併せて強く存在をPRしていただければと思います。

例えば、北東北でも、進研ゼミなどを片手に悪鬼の如く小学生と格闘する親御さんは、中学受験の有無にかかわらず多数おられるでしょうが、教材等で「寮制学校特集」などの形で本校を取り上げて貰い、その上で、保護者やOBの豊富な体験談・成功体験を詳細にまとめたサイトを紹介し誘導する、といった取組はあってよいはずです。

綺麗事ばかり述べるのではなく、寮生活の現実と厳しさ、親子に期待される事前の訓練や入寮後のあり方等、ある程度、踏み込んで伝える方が、受験を検討する方々の支持が得られるのではと思います。

昨年から今年にかけて、本校・寮内で深刻な問題が複数生じたとも聞いています。実現の形は様々あれど、本校は勉強で身を立てる志を持つ者が来るべき学校であり、勉強以外の事柄が生活の中心になるべきではありません。

教職員の方々は授業をはじめ生徒がその志を実現するためのお仕事に尽力されているのでしょうから、前提部分は利用者たる本人と保護者の側で適切な事前準備や支援を行っていただきたいです。

逸脱行動の大半は、本校・寮の高ストレスな環境や本人の未熟さ以上に本人が心の奥底に何らかの問題を抱えている点に原因があり、その問題は家庭など生育環境を通じて形成されるのが通例と認識しています。

保護者自身が「学校が躾をしてくれる」などと甘えや期待を抱くことなく、お子さんとの関わりを通じてそのことに向き合っていただければと思います。

昔と異なり、地域社会や自身の両親などからさほど育児の支援を受けられないことが多い我々の世代は、自身の未熟さも含め、様々な課題を抱えながらお子さんを送り出さざるを得なかったとは思いますが、今だから・ご自身だからできる各人の方法と熱意で、お子さんの心を支えていただくようお願いいたします。

中学であれ高校であれ、本校に「第二志望」で入学された方は、少なからずおられると拝察します。かくいう私も第一志望の大学に合格できませんでしたが、諸々の努力の末、当時の中央大生としては早い時期に司法試験に合格し身を立てることができました。

そうした経験を持つ生徒諸君も、本校・寮で嫌な思いをすることは多々あるとは思いますが、勉強の雪辱は勉強で果たすとの気持ちで、優秀な他生徒の背中に学び、人間関係の諍いの類に囚われることなく死に物狂いで努力して下さい。

最後に、これまで学校の外周などを歩く機会が何度かありましたが、多くのゴミが散乱しているのを残念に感じました。とりわけ、不織布マスクなどプラスチック製のゴミは、雨水を通じて街中から河川に流入し、ほどなく様々な形で海洋生物に危害を加え、やがて後世の人類に深刻な影響を及ぼすことは、すでに誰もが知っているはずです。

フェンスに散らばる多くのプラゴミが放置されているのを見ていると、その向こうで生徒諸君が部活に邁進する姿に心から応援したいという気持ちは起きません。

私は少し前から、商品購入等を通じて受け取った小さなビニール袋を捨てずに持ち歩き、付近で見かけたプラゴミをビニール越しに掴んで(これなら他人のマスクでも拾えます)裏返して結び自宅や職場のゴミ箱に捨てることを、ささやかながら続けています。単なる自己満足ですが、何もしない傍観者よりはマシでしょう。

今も、体育の授業や部活の一環で、学校の外周などを生徒が走ることが多くあると思います。可能なら、走行のついでに各人がビニール袋を持ち、ゴミも拾っていただければ、汗をかく気持ちよさも格段に上がるのではないでしょうか。

願わくば、勉学や部活の精励と共に、皆さんがそうした形で「美しい学校、美しい函館」を取り戻すことにも尽力いただければと、出身者の一人として遠い岩手から願っています。

長文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

もう一つの「寮生はどう生きるか」の物語と、黄昏の中で止まった時間

先日、函館ラ・サール学園の保護者向けの通信誌に寄稿する機会があり、思うところあって、私の昔話、それも、華やかな自慢の類とは真逆の、苦い思い出話を敢えて書くことにしました。

といっても、通信誌では、字数の制約もさることながら、言葉をかなり選んで書かなければならないでしょうから、踏み込んだ記載は避けて、かなりぼかした内容にしています。

ただ、現在も、何らかの形で寮生活に不適合を起こすなどして、気の滅入る暮らしを余儀なくされている生徒さんは一定程度いるのでしょうし、お子さんにそうした問題が生じた親御さん達も、辛い思いを余儀なくされているのだろうとお察しします。

私の経験やその後に辿った道は、そうした方々に何らかの参考になるかもしれないと思い、敢えて、具体的な事実関係を書くことにしました。

ちなみに、通信誌に寄稿したタイトルは、次のとおりです。

【落ち込むこともあったけど、盛岡支部はまだ元気です。たぶん。】

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33年前、私は100人部屋にいました。
何かと美化されやすいこの空間が、希薄な人間関係の中で育った私は苦手でした。

自習室(2室。当時は計7室くらいありました)は40人ほどで、1年次の最後に室内(生徒達)で行った「何でも投票」があり、十数個の質問の中にあった「面白くない人」ランキングで、私は2位でした。

こんな投票(アンケート)を2室の人達が行った理由は、今も分かりません。
当時の私への評価自体には、異議はありませんが。

自習室の私の目の前には、爽やかという言葉のエッセンスを抽出して具現化すれば、こんな若者が造形されるのだろうと感じた、美しい心と容貌の持ち主のA君が座っていました。入寮当日に打ち解け、100人部屋時代は一番の仲良しだったと思います。

入寮から半年以上を経て4人部屋に移行する時期になりました。

この学校では、「メンバー決め」は原則として生徒の自主性(自助努力)に委ねられています。

号令が下された直後に、私とA君、次いで、飄々或いは泰然自若としたB君が組むことになりましたが、あと1人が決まりません。

やがて、顔役の同級生から、少し離れたエリア(他の自習室)で暮らすC君が、仲間を作れず困っているので入れてやって欲しいと頼まれ、3人とも快諾しました。

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4人部屋の生活が始まり、最初は4人とも関係は良好で、消灯時間後も深夜まで談笑する日々が続きました。
が、間もなく、C君は何かにつけて、私1人を執拗に非難するようになりました。

私はC君が一年次に他の同級生から寮内で「いじめ未満」の被害を受けるのを垣間見たことがあり、人としての未熟さを色々と抱えた「面白くない人」の私が、人望のあるA君やB君と仲良く暮らす光景を、面白くないと感じていたのかもしれません。

C君の言動は、その種の経験に慣れた私には半ば平気なものでしたが、暖かい家族と暮らした優しいA君には、その光景が耐えられなかったようです。

ほどなくA君は3人だけの場で私やB君に愚痴を述べるようになり、仕舞いには自身の退寮希望まで仄めかすようになってしまいました。

私もB君も事態悪化を回避したく、A君を説得すると共にC君との調和に努めたつもりですが、状況はさらに深刻となり、我々3人で、C君と困難な協議をせざるを得なくなりました。

最初に切り出した瞬間以外は、誰が何を話したのか、覚えていないことも多いのですが、事実上のリーダー役となったA君が、君と一緒にやっていくのは難しいという趣旨のことをC君に述べたのだろうと思います。

結果、C君は「君達に迷惑はかけたくない」と言って下宿に移りました。

私の記憶では、我々3人がC君に退寮を求めたことはありません。
しかし、寮教諭に相談するなど「C君の退寮を避けるための方策」を何か講じたこともありませんでした。

今ならそうした幾つかの方法が思いつきますが、当時、そこまでの知恵がなかったか、私に当事者意識・責任感が欠けていたか、C君ひいてはA君の立場に立って考える姿勢が足りなかったか、全ては未熟さによるものとしか言いようがありません。

ともあれ、5月か6月の時点で、4人部屋は3人だけの部屋になりましたが、その後も部屋に笑顔が戻ることはありませんでした。

A君は、それ以来、その出来事に強い自責の念を抱くようになり、1~2ヶ月ほど鬱々とする生活を続けた後、寮生活の継続を望まず、自ら下宿に移っていきました。

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夕暮れに沈んだ暗い室内で退寮の意思を告げたA君が、そのとき何と言ったのか覚えていません。

ただ、私やB君の慰留を寂しそうな笑顔で断ったA君が、C君の件で責任を取りたいとの気持ちだったことは、間違いないと思います。

しばらくして、多少とも明るさを取り戻したA君は、下宿生同士でもあるC君と行動を共にすることもあったようです。

私が事態の打開にできた・したことは何もなく、力不足を彼らや親御さんに申し訳ないと思いつつ、他人事のように状況を眺めることしかできませんでした。

私自身は、その後、高校時代に誰かと一緒に出かけるなどした記憶が基本的にありません。大学時代も、そうした経験はほとんどありませんでした。

高校1年生の頃、私はA君と一緒に出かけたり二人だけで時間を過ごしたことが何度かあり、そのことは、私にとっては、他の友人・同級生と過ごした時間とは何かが違う、眩しさを含む思い出になっています。

もしかすると、それは、映画「影裏」の光景に、ほんの少し通じるものがあるかもしれません。

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残った私とB君は、2年次の後半は他の4人部屋で生じた不和のため行き場をなくしたD君を受け入れて欲しいと寮の先生に言われ、D君と3人で互いに干渉しない静かで淡々とした日々を過ごし、3年次には、新たな仲間を見つけたD君に代わり、B君のほか別の4人部屋から分かれたE君・F君と組みました。

北大医学部に現役合格したE君の勉強姿勢に強い感銘を受けることも多く、3年次には、この4人で一貫して良好な寮生活を過ごすことができました。

私は、入学直後から理系科目で断崖を乗り越えることができなかった影響もあり、大学入試では、この学校への進学を活かし切ったと言えるだけの十分な成果を出すことはできませんでした。

しかし、E君やB君(旭川医大現役合格)の背中から学んだことが、その後の司法試験で、当時の実力に照らし分不相応なスピードでの合格という形で、顕著に生きたことは間違いありません。

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それから30年を経た今、田舎のしがない町弁の宿命として多数の赤字仕事に追われる日々を送っていますが、採算が取れなくとも人々の力になる真っ当な仕事をすることが、あの光景への、自分なりの贖罪かもしれないと思うことはあります。

もちろん、未熟な高校生同士の話ですし、C君やA君に対しては、誰かが一方的に悪いという構図は存在しないと思っていますが、C君やA君の親御さんに対しては、あのような事態になってしまい力不足で申し訳ありませんでしたとお詫びしたい気持ちを今も持ち続けています。

どうしてこんな昔話をダラダラ書くのか、だから、お前は「面白くない人」と言われるんだろうと、お叱りを受けるかもしれません。

今も昔も、この学校・寮で暮らす子供達は、多くの不安やストレスを抱えながら生きています。中学生なら、尚更だと思います。

私も、何か彼らの力になることができればとは思いつつ、希薄な人間関係に安住してきた報いなのか、意義のある役割は何一つ果たすことができていません。

ただ、人には歴史があります。

ここに書いていない事柄を含め、本校・寮で、決して楽しいとは言えない経験もしたのは、貴方だけではないこと、そして、そんな経験でも、いつか前向きに生かせるときが来るのではと伝えることで、私にも皆さんの役に立つことがあるかもしれません。

困難な問題を抱えた生徒さん達に対し、直に力になることはできないかもしれませんが、口先だけの励ましに代えて私の経験談をお伝えした次第です。

当事務所のブログには、他にも、ご迷惑にならない範囲?で本校や函館のことを書いています。気が向いた方は、そちらもご覧いただければ幸いです。

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ちなみに、今回のタイトルは、本校ご出身の作家さんの作品にちなんだもので、私の手元にも1冊ありますが、まだ読めていません。そろそろと思ってはいますが・・

函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」

函館ラ・サール中学に子弟が通学する保護者の方から「学校側に宣伝の努力が足りず、このままでは、盛岡の入試説明会(中学・高校共通)の来場者がゼロになりかねないので宣伝せよ」とのお達しを受けたので、勝手ながら以下のとおり告知させていただきます。

すいませんが宣伝目的(拡散希望)の投稿ですので、賛同いただける方はFacebookやTwitter等でご紹介いただければ幸いです。

また、私は断片的にしか拝見していませんが、こちらの「女性ユーチューバーの方(札幌のタレントさん?)の潜入・赤裸々インタビュー」が、現在の様子を知る上では大いに参考になるそうです。

以下、蛇足ながら関係者のはしくれとして多少述べさせていただきます。

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我が国では、数十年前から「大都会の子は、学業で身を立てたいなら中学受験し(今や東京では小学生の4人に1人と言われます)、地方の子は、公立中(か国立大付属中)→学力に応じた地元の公立高に入る」というのが当たり前の光景となり、これが現在まで延々と続いています。

関西圏は、主要三都に限らず、奈良など隣接県も私立中進学が珍しくないと聞いていますので、双方の境目は曖昧なのかもしれませんが、東北と関東では、この二つの社会の断絶が際立っており、あたかも二つの国家が併存しているようにすら見えます。

当然、その二つの社会の分断は、「現在の高偏差値大学の入学者は著名な私立中高一貫校の卒業生ばかりだ」という類の言説を取り上げるまでもなく、それぞれの社会の出身者の人生に強い影響を生じさせやすいであろうことは、相応に強く予測されるところです。

もちろん、田舎(地方)の家庭は、中学受験の光景を「子供は伸び伸び遊ばせてあげればいいのに勉強漬けの生活を強要され気の毒だ」と否定的に評価するのが通例でしょうし、私自身それが間違いだとは思いません。

また、素質のある子が幼少時に伸び伸びと暮らした後、公立中で猛勉強し盛岡一高などに進学して自身の志を実現していく光景も、大いに価値のあるものと認識しています。

ただ、曲がりなりにも「お受験」を経験した家庭としては、親子(主に母子)が圧倒的な努力を重ねて栄冠を勝ち取っていく(勝ち取ろうとする)経験を得ることは、常に言えるわけでないとしても、双方(とりわけ子)が、その後「努力を重ねて自身の希望を実現する人生を歩んでいく」上で、非常に貴重な経験になりうるということは、強調しても良いのではと感じています。

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ビッグコミックスピリッツに連載され、本年夏にドラマ化予定だった(今冬に放送?)「二月の勝者」という人気漫画は、「中学受験とは父親の経済力と母親の狂気だ」の一言から始まります。

のんびりと過ごしたい、ゲームを好きなだけ遊びたい子に、母親が通信教材を片手に悪鬼の如く勉強を強いる光景には、時に目を背けたくなるときもありますが、そうした関門を突き抜けることで、努力する習慣を身につけて学業で身を立てる力を得ていく子もいるということ、また、そうした経験を通じ子供のうちから学業での成功体験を得ることの価値は、地方に住む方々も、理解いただいてよいのではと思われます。

地方在住者も、運動関係であれば、いわゆる「アスリート・エリート」のご一家などが親子一丸となって特定のスポーツに凄まじい努力を重ねる光景を見聞することがあります。それとの比較からも、「お受験」だけが特異というわけではなく、勉強分野で幼少の子と親が一丸となって努力すること(その経験を得るものとしての中学受験)は、少なくとも適性がある家族なら経験する価値は相応にあるのではと思われます。

要は、地方で育児に従事するご家庭も、「伸び伸び育てて、公立中→公立高へ」という地方では当然の(ごくノーマルな)生き方だけでなく、小学4~5年生頃から上記の「モーレツ体験」という選択肢も視野に入れ、あとは、お子さんの適性やご家庭の事情などに応じて、どちらにするか決めていただければよいのでは、少なくとも、後者に適性を有する子から地方在住というだけでその選択肢を奪うのは間違っているのではないかという点は、皆さんにも考えていただきたいところです。

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その上で、次のテーマとして「函館ラ・サールという選択肢」について少し述べたいと思います。

ご存知の方も一定数おられるかと思いますが、この学校は、函館在住の子は自宅から通学しますが、それ以外の地域の出身者は、ほとんど全員(中学は必須)が寮生活を送ります。

以前に投稿したこともありますが、中学3年間(及び高校入学者の1年間)は二段ベッドとロッカーが並ぶ大部屋での寝泊まりが必要になり、他の寮生と両立して生活するため社会性(一定の社交性)の鍛錬を余儀なくされるという点でも、特異な面があります(このような手法は、全国でも同校だけかもしれません)。

親から見れば何かと気の毒に感じる面はありますが、子にとっては相応に大過なく生活できており、「物事は案外なるようになるものだ」と感じる面があります。

また、中学生になれば、もはや身長に限らず自我のかなりの面で大人と大差ないレベルになってくる、そうであれば互いに一定の距離をとった方が、双方のため、とりわけ子にとっては自立心などの涵養の上で望ましいのではないかとも感じます。

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以前読んだ橘玲氏の「言ってはいけない」(新潮新書)で、親が子に影響を与えることができるのは幼少期の限られた期間だけで、その後は主として同世代から影響を受ける面が大きいと述べているのを見た記憶があります。それが正しいのであれば、函館ラ・サールで、全道・全国から集まる「学業で身を立てたい同級生達」から良好な影響を受けることができれば、本人のその後に強い威力を発揮するのかもしれません。

逆もまた然りで、多少存在するかもしれない残念な同級生に残念な影響を受けないよう願うばかりですが・・

余談ながら、この仕事をしていると、大人になっても長く同居する親子が残念な寄生関係に陥った結果、好ましくない事件が起きる例を拝見し、「この人達は何年も前から離れて暮らせば良かったのに」と感じることが多々あります。子が親と離れて暮らすことの意義や価値に、もっと光が当てられてもよいのかもしれません。

また、昔と今で生徒の出身地の比率に多少の違いがありますが(昔は道東など北海道の小都市や辺境の出身者が中心で今は東京などが多い)、全国の各地から子供達が集まってくる珍しい学校であることに変わりなく、その点=擬似的な上京体験という点でも、お子さんに得がたい体験をさせることができる面はあります。

そもそも、子を未熟なうちから外の世界に出して鍛錬させることは岩手でも昔から相応に存在した光景です。

明治=戊辰敗戦後の世で言えば、二戸出身の田中舘愛橘(日本物理諸科学の創設者の一人)は、若年時に親が自宅を売り払い一緒に上京してまで最先端の学問を習得させ、言わずと知れた原敬も、同時期に上京し司法省法学校などで研鑽し、その後の飛躍につなげています。

それら偉人に及ぶかはさておき、岩手の方々にも、函館ラ・サールという選択肢は、そうした先人が辿った道に通じるものがあるのかもしれないという視点を、持っていただければ幸いに思います。

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かくいう私も、30年以上前、盛岡一高と函館ラ・サール高校の双方に、どういうわけか(受験者の実感として双方とも間違いなく最下位ランクで)合格してしまい、一体どちらに進学すべきかという身の程を超えた悩みを抱えたことがあります。

その際、最後の決め手になったのは、一高にプールがあってラ・サールには無かったから・・・ではなく、また、運動できない「のび太」なので高校時代に男女交際できる自信はなかったから・・・でもなく、自分は将来、盛岡を拠点に、岩手の人と社会のため生きたいと思うのではないか、そうであれば今のうちに外の世界を見ておくべきだとの「うすうす感」があったことでした。

自身の高校時代に未熟さゆえに悔いる点は山ほどありますが、その判断自体については、私自身の問題として後悔する点は何一つありません(反面、一高には今も「最下位レベルで拾っていただいたかもしれないのに、すいません」という申し訳ない思いで一杯で、一高OBばかりの盛岡の社会では、いつも肩身の狭い思いをしています)。

皆さんも、私のようなケースに限らず「うちは子供に家業を継いで欲しい」などの事情のある方もおられるかと思いますが、そうした大人になれば岩手で人生を送る可能性の高い方ほど、若年時に外の空気を吸っておくことに、意味や価値があるのではと感じます。

また、函館ラ・サール中学にご子息を通学させる方の中には「若い頃から、外の空気を吸って、世界全体に目を向けることを考えて欲しい」という理由で送り出す方も少なくないようです(それが奏功して、お子さんも海外留学などの希望を持っておられるという話を聞いたことがあります)。

私が入学した当時は、科目全般なかんずく数学や理科が「田舎の公立中で教えている内容」との難度差があまりにも大きく(断崖絶壁のような落差でした)、私自身はそれに嵌まって入学直後から落伍してしまい、文系分野では若干の持ち直しはあったものの、全体的にパッとしない成績のまま高校を終えました。

ただ、一緒に寮生活(とりわけ、2、3年次の4人部屋)で過ごした仲間が、圧倒的かつ規則正しい勉強生活を続け、その結果、難関大(医学部・医科大)に現役合格していく光景をよく見ており、その背中を見続けていたことが、司法試験に(当時としては、あまりにも運良く)大卒2年目で合格できた、大きな原動力になりました。

もし、皆さんのお子さん・お孫さんも「地元の公立高もいいけど、敢えて、そんな環境に放り込んでみたい」とお考えになるのでしたら、函館ラ・サールという選択肢も考えていただければ幸いです。

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もちろん、私立中の寮生活ですので一定の経済的負担はありますが、カトリック系の学校だからか?昔(私の時代)から同校の学費や寮費はさほど高額でなく、三食・風呂・洗濯などが完備されていることも含め、東京の大学に通学し生活する学費などに比べると、金額はかなり低い(良心的)と思われます(反面、寮の食事に関しては・・以下、自粛)。

facebook等ではゴルフや会食など華やかな暮らしをなさっている方々の姿も拝見することがありますが、そうした皆さんが、若干でも、若い世代の学業のためにお金を投資していただければと思っています。

皆さんの子弟に、私たちの新たな仲間に加わっていただける日を心待ちにしつつ、最後までご覧いただいた方に御礼申し上げます。

R04.8追記

本年、一度、寮の食事をいただく機会がありましたが、私の時代=30年前と比べて、寮の食事はかなり質が向上したのでは?と感じる面はありましたので、念のため付記しておきます(そのとき限りなのか否かは存じませんが・・)。