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岩手県知事選

岩手県立病院の跡地群での医療系廃棄物の大量埋設問題に関する県民への問題提起

前回も投稿しましたが、私が受任中の事件に関連して県民の皆さんに知っていただきたい問題がありますので、お時間のある方はご一読下さい。

具体的には、約50年ほど前、県内各地の旧県立病院に当時、医療系廃棄物が大量?に埋設され、現在も大半の跡地で未調査・未解決(放置されたまま)と思われる、という問題です。

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私が受任している事件は、数十年前にK町中心部で操業していた旧県立病院が、当時、住民からの借地である敷地内に膨大な病院廃棄物を埋設した件で、約3年前に判明した後も、県側(医療局)が撤去や費用負担などを事実上全面拒否したため、やむなく提訴に至ったものです。

訴訟では、出土時まで放置したことへの県の責任も論点となっていますが、同種事件は平成20年前後に少なくとも3箇所の旧県立病院で発覚しており、本件は、いわば4件目(但し、借地案件では唯一)となります。

これまで、県庁(医療局)は他の3件では全て県費で埋設物撤去や費用支払をしており、本件に限って対応を拒否しているのは、他の案件が県の所有地だった(ので売買時に瑕疵担保責任を負う)のに対し、本件は借地なので瑕疵担保責任がないから埋設行為に法的責任がない、との主張に基づくものです。

埋設行為は廃棄物処理法の制定前(旧清掃法)で、県は「当時は埋設しても清掃法違反でないから原状回復義務がない(埋めて放置しても貸主に対し責任は生じない)」と主張しており、そのこと(清掃法違反の当否や公法と私法の区別など)も大きな争点となっています。

当方=貸主から土地を買い受けた者(地元自治体)は「撤去だけで数千万円を要する膨大な廃棄物を埋設した借主は当時であっても民法上の原状回復責任を負うはずだ、自分の土地(県有地)に埋設したときは撤去するのに、借地なら放置しても良いというのは非常識だ」などと主張し、大きく3つの法的構成に基づき撤去費用等の支払を県庁に求めています。

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以上が前置きで、ここからが本題なのですが、本件で埋設行為が行われたとみられる昭和20~40年代前半頃の時点で、岩手県には現在と同じく20箇所以上の県立病院があったようです。

現時点で、埋設問題が発覚したのが本件を含む4件(うち1件は小規模?で、他の3件は億規模の諸費用を要した事案)ですが、果たして、二十数箇所の旧病院のうち、埋設問題があるのは「この4件だけ」と言えるでしょうか?

ほかならぬ県庁自身が「当時は、敷地内に埋設するのが当然だ(その結果、数千万円の撤去費用を要する結果を借地に生じさせ3年前に発覚するまで放置し続けても、知ったことか)」と主張しているのに、です。

実際、近年も一関や山田町の県立病院跡地で、県の負担で土壌汚染対策工事がなされているようです(K病院だけが、借地だからという理由で負担拒否の姿勢が続いています)。

オガール紫波の岡崎さんは、本件で訴訟提起した際の私の投稿をご覧になり、「県知事選の争点にしても良い問題だ」と仰っていました。

これは、本件裁判の当否などという(誤解を恐れずに言えば)小さな話ではなく、二十数カ所の旧県立病院の跡地の大半で、森友学園もビックリの医療系廃棄物の大規模埋設問題が未解決となっている可能性はないか、その危険を放置して次の世代に押しつけてよいのか(むしろ、それを適切に対処した上で土地の価値を高める開発をすべきだ)、と提起されたものと認識しています。

とりわけ、この問題が本格的に発覚した(他の大事件が判明した)平成20年代半ばの時点で県庁が全件の埋設調査などに取り組んでいれば、本件で撤去費用以外に生じた多くの損害の発生が回避できたはずで、そのことは訴訟で問題提起し、裁判所も関心を示しています。

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私はこの裁判の期日のたび、地元記者達の囲み取材を受けており、これまで何度かその話を記者達に伝え、他の旧県立病院跡地群の実情がどうなっているか、調べたり記事で問題提起いただけないかとお願いしました。

が、残念ながら、今のところ、その問題が取り上げられた報道を見たことがありません。県議会の記事などで取り上げられているのも見たことがなく、残念に感じています(本件に触れたNHKの特集番組の制作者の方は問題意識を共有いただいたものの、番組で取り上げられるには至りませんでした)。

本日の期日で提出した当方の書面では、他の病院跡地への対応がどうなっているか回答して欲しいと県に要請しており、そのことは自身の選挙区に旧病院跡地を抱えている県議や県民の方々にも関心を持っていただければと思っています。

また、県立病院だけでなく、県内で昭和20年代~40年代前半頃に操業していた別の大規模な病院でも、同種の土壌汚染が発見された例があります。

そして「数十年前に借地上に大規模事業所が設けられ、人体に危険を及ぼすリスクのある物質を扱っていた」例は、病院に限らず岩手に限らず幾らでもありうると思います。

「廃掃法制定前(清掃法の時代)なら、借地には、どんな危険なゴミでも、どれほど膨大な量でも捨て放題(埋設者の責任は一切問えない)」との主張が罷り通るのでは、膨大な撤去費用という貧乏くじを引かされる現在の所有者は浄化を諦めて放置せざるを得ないでしょうし、本件のように何らかの事情で税金の負担により浄化せざるを得なくなった場合も、納税者=住民・国民等は納得できないはずです。

私は訴状などで「自ら汚染した者が法の不備を理由に責任を免れ、率先して大地の浄化に尽力する者が酷い目に遭う社会は絶対に間違っている。何より、県庁自身が、その気持ちで県境不法投棄事件の解決に取り組んでいたはずだ」と書きました。

この気持ちを、裁判所は言うに及ばず、県庁の方々も共有いただけることを願って、被害者(請求者)側代理人の立場で今後もできることに努めていきたいと思います。

 

岩手県知事選への黄川田氏参戦で「旧小沢氏勢力のラグナロク」実現なるか

9月8日実施の岩手県知事選に関し、及川もと県議(自公側候補)の応援演説に、もと民主党議員の黄川田徹氏が駆けつけて、達増知事批判を激しく述べ、達増氏陣営(立民関係者)が狼狽していた、という趣旨の記事を見つけました。
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201908/20190823_31029.html

私は今年の6月、次回知事選について「黄川田議員が立候補し、これを支援する階猛議員と自公勢力が手を組めば、達増知事と接戦が期待できるのでは(その上、後日に岩手1区で階氏vs達増氏の第2ラウンドもあり得るのでは)」と投稿したことがあります。

私のFBでこの投稿を紹介した際は残念ながらほとんど反応いただけませんでしたが、期せずして「達増知事vs黄川田氏」の構図が出来上がったということで、「見応えある権力闘争の見学愛好家」としては少し嬉しくなる面はあります。

ただ、候補者の人望や資質云々への評価などはさておき、黄川田氏が及川氏陣営に与したという程度では達増知事の優勢は変わらないだろうというのが、一般的な選挙予測になるのではと思われます。

現時点で階議員のスタンスが判然としない状況下では、すでに引退なさった黄川田氏の支援による影響は、今後の展開にもよるかもしれませんが、良くて?3~5万票程度とみるのが現実的かもしれません。

この点、過去2回(前々回とその前)の得票数だけを現在の人口に均し単純化して見れば、「達増知事(旧民主など)vs自公勢力」の基礎票は「40万人:15万人」くらいの比率になるものと思われます。

そして、黄川田氏(や平野前議員)の支援による票の変動を仮に5万人規模と見積もれば、「35万:20万」となります。

その上で、仮に、階氏が及川氏に与することがあれば、接戦の期待も高まって、全県でさらに(少なくとも)5万票ほどが移動するのではと見込まれ、これにより「30万:25万」となります。

ここまで来れば、あとは無党派層の動向や候補者個人の底力次第で勝負が決まるのではと思われ、そうした選挙戦こそが望ましいと考えている私としては、両陣営に充実した議論がなされると共に、そうした展開になることを、密かに期待しています。

なお、岩手日報の記事では、階氏は「達増知事の要請があれば応援する」と述べたとありましたが、「生みの親」である達増知事からすれば「立場が逆だろう、どうして真っ先に駆けつけないのか」と立腹しそうな気もしますので、このコメント自体が達増知事陣営と距離を置くサインなのではと思わないでもありませんでした。

余談ながら、私が岩手県庁から受任している「サケ刺網訴訟」と称される某重大事件(知事にお会いしたことはありませんが・・)は、現在のところ年末に控訴審が結審し年度末に判決言渡の見込みとなっています。

大事なことなので何度でも言いますが、この事件は、あまりにも作業量が膨大になりすぎて、負ければもちろん全面勝訴でも(少しだけ伺っている県の報酬規定では)当事務所はじまって以来の超大赤字事件と見込まれるため、個人的には、「規定を変更してでも?より高額な報酬を払っていただける方」に投票したいのが本音です。

が、きっと、どなたが当選しても「規定はこうなってます」とご担当にニコニコ言われておしまい、という展開になってしまうのでしょうね・・

黄川田もと議員の知事選出馬で生じる旧小沢氏勢力のラグナロクと、三陸の中心で「防潮堤をぶっ壊す」と叫ぶ誰か

次回の岩手県知事選挙が告示まで3ヶ月を切ったものの、報道によれば達増知事を含め現時点で誰も出馬表明をしておらず、どうなることやらという記事を散見します。

青森県では現職が5選されたとのことで、まあ岩手も同じ展開になるのだろうとは思いますが、達増知事が初当選時に「原則2期」と仰っていたことや、この12年間、震災対応などで尽力されたことは窺われるものの、最近の報道などを見る限り、知事をさらに続けたいとの強い意欲(まだ途上の政策があるなどという発言)を拝見する機会がなく、或いは達増知事自身も辞めたい(国政に戻りたい)のではと感じる面もあります。

達増知事以外に泡沫候補しか出ない選挙なら、不要(無投票4選でも仕方がない)なのでしょうが、それでは民主政治が機能していないとの批判もあるでしょうから、私はいっそ、先日に参院選擁立の断念が決まったばかりの黄川田徹・もと衆院議員に知事選に出馬いただいた方がよいのではと思っています。

政治から引退なさるにはまだ年齢的にも早いでしょうし、今、達増知事以外で、知事選への出馬が現実的に可能で(期待でき)、かつ知事として一定以上の県民の支持(得票)を受けることができる方(知名度や相応の実績が認知されている方)といえば、黄川田氏以外にはいないのではと思われます。

それ以上に、黄川田氏が出馬した場合、達増知事が対決を選ぶのか、敢えて対決を回避し衆院選を選ぶのか(岩手一区なのか、それ以外なのか)、その点は、非常に興味深く感じます。

達増知事が「元祖・小沢チルドレン」であること、黄川田氏が小沢氏と袂を分かった状態にあることは、県民なら誰でも知っていることでしょうから、達増知事としては、以前に小沢氏から離反し自民党に接近した平野達男参院議員を「裏切りの政治」などと批判したように、闘争心を剥き出しにして対決に臨む、という展開になるかもしれません。

その場合、自前の候補者擁立に失敗した自民党岩手県連にとっても、黄川田氏は「達増知事に勝てるかも知れない唯一の候補」であり、黄川田氏が出馬したときは、自主投票などの名目をとりつつ、事実上、黄川田氏の支援勢力に廻る可能性が高いのではと思われます。

もちろん、黄川田氏の盟友的存在であり、黄川田氏が出馬するときは選挙の要となる階猛議員は、細野議員を意識してか「圧倒的与党としての自民党には絶対に行かない。自分なりの方法で非自民勢力の糾合を目指す」と掲げていますので、自民党岩手県連が黄川田氏を表立って支援するなどというのは迷惑千万でしょう。

他方で、圧倒的な集票力を持つ達増知事に黄川田氏が勝つためには、やはり自民党勢力の基礎票を手に入れることが必要です。

例えば、自民党側が表向きは「我々は候補を擁立できず自主投票に追い込まれました」と静かにしつつ、裏側では打倒・達増知事の実現のため、階氏・黄川田氏に平身低頭・三顧の礼を取り、自分達の姿を表に出さずに基礎票はしっかりと固め、無党派層向けに「震災で家族を失う悲劇に耐えて復興支援に長年従事した黄川田氏が知事になって陣頭指揮を執り内陸(県央・県南)と沿岸・県北の格差解消に努めることこそ、岩手が真に一つになる道だ」などとキャンペーンを張ることができれば、達増知事に勝つことも夢ではないと思います。

他方、そこまでの態勢を黄川田氏側が整えることができれば、賢明な達増知事は、敢えて、黄川田氏との対決を避けるかもしれません。

さすがに、黄川田氏・階氏陣営が露骨に自民党側と手を組む光景が現出してしまうと、達増知事も後には引けないでしょうが、少なくとも最初の時点では自民党の姿は絶対に出さないでしょうから、もし達増知事の本音が「衆院に戻りたい(そして、小沢氏の引退時には勢力の禅譲を受けたい)」というのであれば、かえって、黄川田氏の出馬を渡りに船として、衆院選の準備を始めるのかもしれません。

その場合、達増知事の向かう道は、恐らくは岩手1区でしょうし、達増知事としても「最も落とし前を付けるべき相手(旧小沢氏勢力仲間)」は、自身の後継である(はずの)階議員でしょうから、そうした展開になれば、お二人の宿命の対決が、ついに実現することになります。

それこそ、巷間ささやかれる衆参同一選などという展開になれば、今年中にその展開がやってくることになるかもしれません。

黄川田氏であれ階議員であれ、達増知事にとって十分に闘い甲斐のある相手でしょうからし、達増知事自身、小沢氏の後継者としての認知を受けるためにも政敵を選挙で倒すことを希望しているでしょうから、見応えのある「岩手の小沢チルドレンたちの最終決戦(ラグナロク)第1章」とでも言うべき光景が出現するのではと期待したいですが、黄川田氏の知事選出馬という「最初の一手」がなければ、何も始まりません。

裏を返せば、仮に、階議員が「達増知事とだけは闘いたくない」と考えておられるのでしたら、このまま延々と知事を務めていただいた方が都合がいいわけで、黄川田氏擁立の意見には反対の急先鋒になるのでしょう。

しかし、衆院議員としては引退した黄川田氏が次回の総選挙で再出馬というのも無理がある話でしょうから、政治の舞台で他に黄川田氏に活躍の場を提供することが難しい(私には思い当たりません)以上、知事選こそ黄川田氏の登場の舞台として最も相応しいことは、階議員も十分に理解されているのではないでしょうか。

階議員の人柄からも、ご自身の保身を黄川田氏の活躍(花道)に優先させるような方ではないでしょうから、現在の岩手政界の沈黙は、黄川田氏の知事選擁立に向けた「嵐の前の静けさ」と期待したいところです。

それこそ、黄川田氏の出馬会見に同席した階議員が達増知事に向かって「知事としての仕事はもう十分なさいました。あとは、総選挙で私と決着を付けましょう」くらいのことを仰っていただければ、男気という表現が当てはまるか分かりませんが、ある意味、しびれるような気がします。

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ところで、達増知事であれ黄川田氏であれどなたであれ、次の岩手県知事になる方には、ぜひとも考えていただきたい政策があります。

先日、カラ相談こと誰もこない振興局相談の担当で宮古に赴いた際、山田町に向かう海沿いの道路をドライブして唖然としたのですが、宮古市南部の海沿いの道路に沿って、巨大防潮堤が長城のように完成しており、無機質なコンクリートの壁が延々と続く姿は、まさに収容所群島そのものという光景でした。

数年前、法テラス気仙(大船渡)の相談担当をしていた最後の時期にも、そうした刑務所のような光景を目にして残念に感じていたのですが、こちらの方が遙かにスケールが巨大で、こんな場所にいたくない、一刻も早く通り過ぎてしまいたいと思わずにいられませんでした。

かつて、そこには、のどかで相応に美しい海岸の風景があっただけに、なおのこと、悲しさが募りました。

もちろん、防潮堤は嫌がらせのため作られたのではなく、そこで多くの人命や財産などが失われたことの証でしょうし、そこに暮らしている方々(防潮堤の内側たる道路沿いに、幾つかの人家なども拝見しています)には、命の危険に脅えずに済む暮らしの方が遙かに大事なのでしょうから、安易に防潮堤を否定したいわけではありません。

しかし、この光景が未来永劫続くのだとすれば、それは、どう考えても恥じ入るべきというか、大地への冒涜であると共に、三陸の「海と人が交わる誇りある暮らし」を続けてきた先人や子孫にも申し訳がないのでは、と思わざるを得ませんでした。

何より、あんな空間で生活を余儀なくされる人々、とりわけ子供がかわいそうだと思わずにはいられません。

やはり、たとえ困難な道であっても、刑務所或いはベルリンの壁のような防潮堤に頼るのではなく、50年、100年かかっても、海沿いには基本的に居住せず、業務等のため(津波が来れば待避できる形で)海沿いを利用するとの前提で、高台移転などを実施し、その上で、醜悪な防潮堤は全てぶっ壊すことが、震災後の時代を生きる現代岩手人には求められているのでは?と思わざるを得ませんでした。

ですので、次の知事には、「いずれ必ず防潮堤をぶっ壊す、ぶっ壊しても大丈夫な三陸をつくる!」と叫んでいただきたいと願ってやみません。

そうしたことを含め、今、議論されるべき多くの論点があるはずなのに、我々現役世代の大人達を筆頭に、日々の仕事や生活に追われているのか遊び呆けているのか分かりませんが、問題とすべきことを問題とせず、誰かが何かやってくれるさといった風潮が蔓延しているのが今の岩手の実情なのでは、などと偉そうなことを呟いてみたりもします。

そんな岩手をぶっ壊す、と叫んでくれるリーダーの登場を待ち望むこともまた、無責任な他力本願の極みなのかもしれませんが。

独り立ちできぬ勝者なき岩手の政治と県民の課題

夏休みの関係で投稿が少し遅れましたが、先日、平野達男参院議員が岩手県知事選の出馬断念を表明するというニュースがありました。ご自身は、復興のあり方を争点としたかったのに、安保法案への賛否が投票動向を左右する事態になっていることが不本意だと表明する一方、報道によれば、自民党本部から、知事選と参院補選の双方の敗戦が危惧され政権に影響を及ぼす事態になるのを避けたいとの理由で、強い撤退要請があったとされています。

私は、平野氏が出馬表明した本年4月の時点で、「平野議員と達増知事の基礎票は拮抗しており、無党派層の動向で勝敗が決するのではないか」とブログで投稿したことがあり、無党派層の一人として、両候補の健全な政策論争を期待していただけに、残念でなりません。
→ 次の知事選(いわて夏の陣)と無党派層の決定的な影響力。

ただ、この4ヶ月弱の期間を見ると、平野氏が、挑戦者であり現職の達増知事よりも無党派層へのアピールを強く求められる立場のはずなのに、県内世論に伝播する方法で広く政策や政見を表明するような行動が全く見られない(要するに、存在感のない)状態が続いていたと思います。そのため、安保法案問題も相俟って、現状なら達増知事の勝利ではとの印象は私も受けていました。

とはいえ、岩手は沖縄と異なり、安保法案に関する国内世論が有権者の投票動向に決定的な影響力を及ぼすわけではありませんし、平野氏自身、安保法案や議論には関与していなかったのですから、県知事選を戦い抜きたいのであれば、県内世論の関心を喚起する論点、議論を次々に打ち出して、安保法案の動向に関係なく平野氏個人に投票したいという無党派・浮動層の開拓に努力すべきだったということに尽きると思います。

仮に、平野氏が、2年前の参院選の頃から、沿岸・内陸を問わず岩手の活性化のための様々な施策を独自に掲げ、無党派県民を巻き込み達増知事に議論を挑むような営みを地道に続けて、「平野党」を形成することができていれば、自民党本部から撤退要請がなされることもなく、あったとしても跳ね返すことができたのでしょう。

そうした観点からは、平野氏の知事選表明も、風だのみ、自民系の支援頼みという程度のものとの誹りや、政治家としての求心力、メッセージ性、或いはそれらの前提としての、千万人といえども我行かんという強い意志、知事として、岩手のため特定の事柄(政策その他の権力作用)を誰が何と言おうと実行したいという「政治家としての意地・執念」の不足という批判を免れないということになるのかもしれません。

選挙自体は、他に対抗馬も時間もないということで、達増知事の無投票再選が確実視されていますが、岩手の将来に関する色々な論点・実現のプランを、候補者等が多様な角度・立場から議論し、競い合い、それを県民が選択する機会が失われたという点では、民主主義(住民自治)の後退というほかなく、残念です。

達増知事にしても、無投票より選挙で民意の承認を得た方が、ご自身の政治的基盤の強化という点で遥かに価値があったはずで、現時点で勝利が有力視されていたという面から見ても、必ずしも今回の撤退劇の「勝者」と評することは出来ないと思います。

今回の撤退劇では、平野氏は政治家としての権威が地に落ちたと言わざるを得ないのでしょうし、自民党本部も、「撤退のごり押し」の印象を残し、岩手県民が中央政権への反感のDNAを有することに照らしても、選挙で負けるのに劣らないほど「敗者」のイメージを生じさせたと言ってよいと思います。

他方、達増知事も、小沢一郎氏の政治判断の追従者ないし信奉者というイメージの強い方ですし、県知事としても、特定の政治理念、政策を掲げて実現に邁進しているという印象が乏しく、震災絡みであれそれ以外であれ、県民世論や県当局が課題として取り上げた論点、政策を淡々と取り組んでいる方という感じがします。

例えば、初当選時に掲げた「いわて4分の計」は、当時の民主党が地方自治の単位(市町村)を大きくする政策を掲げていたことと関わりがあるのだと思いますが、震災後は聞くことがなくなりました。その後は、震災における「なりわいの再生」の強調に見られるように(漁業に関し、外資導入を指向して地元漁協と対立した宮城県と異なり、小規模漁協や零細漁業者の再興を重視しているのが典型ではないかと思われます)、小規模な地域・単位向けの政策へのウェイトが高くなっているように感じます。

そのため、達増知事にとって今回の選挙は、ご自身の政見や政策を再検討し、ポスト小沢氏時代に県政界をリードする政治家として、独自の政治理念、政策を県民にアピールし、求心力(権威性)を得る絶好の機会であったというべきで、ライバルを倒すというプロセスを経ない無投票再選が、その機会を奪ってしまう面は否めないと思います。

また、階氏などの民主党(岩手県連)勢力も、「平野氏を引きずり下ろした」などと言えるだけの役割を果たしたとは言えないでしょうし、ポスト小沢氏時代に向けて、選挙という達増知事側との分かりやすい関係修復の機会を失ったという点でも、勝者とは言い難いと思います。

敢えて言えば、平野氏が県知事選に出馬した場合に生じた参院補選について、階氏らが、もと生活党の畑氏(久慈出身)を強く推しており、他方で、小沢氏が、県南出身者を立てるべきと主張していた関係で、再度の対立劇を回避したという点では得るところはあったかもしれません。

しかし、平野氏撤退の原因とされる自民党の選挙予測からすれば、小沢氏勢力との軋轢を覚悟の上で、畑氏を担いで当選を実現させていた可能性も相当にあるように思われます。その場合、小沢氏の県内での影響力は、決定的と言ってよいほど低下する(それに代わって階氏らが県内政界の第一人者としての認知を受けた)のでしょうから、そうした機会を失ったという点でも、階氏らも勝者とは言い難いというべきでしょう。

このように、今回の平野議員の撤退劇は、勝者なき結末というに止まらず、平野議員は自民党本部から、達増知事や民主党は小沢氏から、独り立ちして闘う力があることを示すことができなかった、又はその機会を失ったという点で、「いわての政治」の未熟さを感じさせた面があるように思われます。

もとより、その根底には、県民が、広く県政のあり方を議論し、適切な指導者を押し立てて地域の新たな姿を切り開こうとする政治文化の不足があるというべきで、一部の政治指導者の方だけを非難するのが誤りであることは、申すまでもありません。その点では、自らの投票動向で知事を選び新たな政治潮流を作り出す機会を失った県内の無党派層こそ、己の力不足の必然的な帰結とはいえ、一番の敗者というべきなのだろうと思います。

裏を返せば、左右などの立場を問わず、従来の政治的、利権的な枠組みの維持(変革の拒否)=政治の沈滞を希望する守旧的な勢力こそが、今回の撤退劇の一番の勝者というべきなのかもしれません。

実際、撤退劇に伴う「無党派層のしらけムード」により、県議選や盛岡市長選などは投票率が大幅に低下すると予測され、そのこともまた、投票率の増加(無党派層の政治的プレゼンスの増大)を希望しない勢力にとっては、歓迎する事態ということになるのでしょう。

それらとの対比では、「琉球人の意地」を背負って闘っているように見える翁長知事を擁する沖縄県や、保守層出身でありながら地域のアイデンティティを強力に主張し国と闘うリーダーを出現させている沖縄県の政治文化(その根底にある経済力)を、羨ましく感じる面があります(もちろん、その背景に沖縄の苦難があることも看過すべきではありませんが)。

岩手ないし北東北でも、琉球人ならぬ「蝦夷の末裔」としてのアイデンティティを掲げて「政府からの自立と興隆」を打ち出そうとする指導者の登場や県民個々の尽力をはじめとする政治文化の醸成を願うばかりです。

その意味では、「補助金に頼らず商業施設の地道な利潤による公的施設の運営コストの捻出」を旗印にしているオガール紫波は、その萌芽と言えるのかもしれませんし、これと同じように、中央の政治力や資金力、権威ある大物に依存せず、自身の信念と用意周到な努力により新たな価値を創出する営みが、広く求められているのだろうと思います。

次の知事選(いわて夏の陣)と無党派層の決定的な影響力。

8月20日告示、9月6日投票の岩手県知事選は、ここ最近の下馬評のとおり、現職の達増知事と平野参院議員による事実上の一騎打ちという展開になりました(共産党系候補も出馬されるとは思いますが)。

小沢氏の民主離党直後に行われ、小沢氏系が「民主vs生活」の構図となった平成24年冬の衆院選に引き続く、ポスト小沢氏時代の宿命の対決編第2幕というべき選挙で、ある意味、大本命同士の対決と言っても良いのではと思います。

で、さすがに現時点でこの選挙の当落予測をしているマスコミ(地元紙)はないと思いますし、私も軽々に物を申すつもりはないのですが、平成25年の参院選の際に、過去の国政選挙などの投票動向をプチ分析したことがあり、その結果をもとに考えると、両者の基礎票が概ね拮抗しており、無党派層の投票動向で結果が決まると言ってよいのではないかと強く感じました。

そして、そのこと(自分達の投票が結果を左右するということ)は、棄権率も高い無党派層に投票を呼びかけるという観点からも、広く認知されてよいのではないかと思い、記載内容に色々とご批判もあろうかとは思いますが、議論喚起の趣旨で、投稿させていただきました。

以下、上記の理由を述べますが、まず、平成23年9月の知事選における達増知事の得票率は68%となっており、対立候補である高橋博之氏)の得票率は25%となっています。

この選挙の当時、民主党の内紛が始まっていたものの、小沢氏はまだ民主党に在籍し、県内の小沢氏系勢力は未分裂の状態でした。そのため、高橋氏(県議)は、自身が所属する地元勢力「地域政党いわて」と自民党岩手県連の支持を受けて闘いましたが、知名度不足のほか、高橋氏自身が割とリベラルっぽいスタンスのためか、自民党支持者の支持を集めることができず、民主党=非自公・非共産勢力が概ね一丸の状態のまま対決を余儀なくされたので、震災直後の厭戦ムードも相俟って達増知事が大勝し、高橋氏は上記の得票率に止まったのではないかと思われます。

次に、平野氏については、民主党を離党して挑んだ2年前の平成25年の参院選での得票率を見ると、概ね40%になっています(民主党在籍時の平成19年選挙では達増知事と同じく6割の得票)。ただ、今回の知事選では自公勢力の全面支援が見込まれるところ、この参院選での自公系候補(田中真一氏)の得票率は26%なので、これを足せば66%となり、上記の達増知事の得票率と同程度となります。

そのため、各選挙での政治情勢の違いがあるとはいえ、達増知事・平野氏の両勢力の過去の得票率は、ほぼ拮抗すると言ってよいのではと思います。

ところで、平成25年の参院選では、平成24年冬の衆院選まで一丸であった小沢氏系勢力の得票が、「平野氏:関根敏伸氏(生活党候補):吉田晴美氏(民主党候補)」に三分割され、その得票率は、概ね60:25:15となっています。現在の報道では、民主党岩手県連は平野氏を敵視しており、達増知事の支援に廻る層が相当に出ると見られますが、その場合でも、平成25年の参院選の得票状況が再現されるのであれば、平野氏が勝利することになります。

もちろん、平成25年の参院選の生活党候補の方と達増知事とでは、旧小沢氏系勢力の内部はもちろん無党派層や自公など保守系勢力からの得票能力にも大きな差があるでしょうから、単純に平成25年参院選と同じ得票状況になるはずがありません。

平成25年の参院選については、下記に引用のとおり直後に簡単な分析記事を書いており、その中では、平野氏が得た40%の得票のうち、概ね15%程度が浮動票(無党派層の支持が流れ込んだもの)と判断したのですが、平野氏と達増知事では、現時点でどちらか一方のみが無党派層の支持を集めているという印象は受けません。
→ 参院選・岩手選挙区結果を過去の投票結果と比較したプチ分析(H25.7.22再掲)

そうした観点も踏まえると、大まかな感覚的判断としては、平野氏(保守系地域政党+自公系)も達増知事(小沢氏系+現民主の相当部分)も、概ね4:4の基礎票を持ち、残り2割のうち1割弱が共産系の予測票で、1割強が「平野氏か達増知事のどちらかに投票する無党派浮動層」ということになるのではないかと感じています。

それは、言い換えれば、次の知事選は、その無党派層の投票動向で選挙結果が決まるということでもあります。

これまでの岩手県知事選は、過去2回の達増知事は言うに及ばず、当時、政界の華であった小沢氏の支援のもと圧倒的な強さで登場し3期を務めた増田前知事、そして、それ以前(プレ小沢氏時代)は県政の中心であった自民党が擁立した方々が知事を歴任しており、昔々(二戸出身の農民知事こと国分謙吉翁が官僚出身者に勝利したとされる初代知事選)はいざ知らず、現在の岩手県民にとっては、選挙前から結果が見えていた知事選しか経験したことがありません。

そうした意味で、今回の知事選は、少なくとも現時点では、結果の予測が難しい=浮動層(無党派層)が実質的な選択権を持った、初めて(又は数十年ぶりの)知事選だと言えるのではないかと思います。

この貴重な機会を岩手県民が生かすことができなければ、とても残念なことだと思いますし、それゆえに、今回の知事選を、政策の選択であれリーダーシップの選択であれ、大いに実りのある選挙にしていただきたいと願わずにはいられません。

そのような意味では、候補者や支援勢力の方々は言うに及ばず、マスコミやJCなど「選挙の意義を高めるための活動をしている方々」、ひいては無党派層の一般県民も含め、今こそ自分達の出番だという意識で、活動していただければと思っています。

かくいう私も、何で田舎の町弁がこんな文章を書いているのかと訝しく感じる方もおられるかもしれませんが、こうした構図の選挙で無党派層の関心を高めることこそ、日本国憲法が定める国民主権や住民自治の質を高めることに繋がるもので、それに資する取り組みを何らかの形で行うのが地元の法律家の責任の一つではないかという思いで、この文章を書いているつもりです(盛岡JCで公開討論会などを担当する委員会に在籍した関係?で、野次馬感覚が染み付いたことも影響しているかもですが)。

ところで、一時代を築いた小沢氏の勢力の栄枯盛衰という観点から見れば、小沢氏陣営が分裂して保元の乱のように相争った平成24年の冬の衆院選は、「いわて冬の陣」と呼ぶに相応しいものでしたが、今回の知事選は、小沢氏直系の本丸であり、失礼を承知で申せば小沢氏系の最後の大物とも表現することもできそうな達増知事が、生き残りを賭けて元同胞である平野氏と頂上決戦とも言うべき対決に及ぶものですので、「いわて夏の陣」と評しても良いかもしれません。

現職知事が再選出馬する場合、その選挙は信任投票の色合いを帯びますが、達増知事の場合、スキャンダルの類はもちろん、とりたてて知事個人の失政と呼ぶべきものも思い当たらず(土下座事件で物議を醸した競馬場問題は前知事やそれ以前の時代のツケでしょうし、大雪事件など幾つかの補助金問題も広義の監督責任はさておき知事個人が関与したものではないのでしょう)、震災後の対応も概ね堅実になさっていると感じたり過去の圧倒的勝利を覚えている県民も多いでしょうから、そうしたことは、今回の選挙でも有利な要素として大いに働くのではないかと思います。

他方、知事個人が震災対応に関し、華々しい成果を挙げたりリーダーシップを発揮したなどという話もあまり聞かないように思われ(マンガ政策云々も、票に結びつくかは懐疑的です。「そばっち」も知名度がないと思いますし)、「震災復興」に取り残された被災者や、それとは逆に、開発促進を希望する自公系の地元関係者などからは、批判票を受けることもあるかもしれません(その点は、復興相であった平野氏も同様かもしれませんが)。

また、達増知事に関しては、小沢氏全盛期には敵対する政治勢力への辛辣な言動が多く見られたと思いますし、平野氏の出馬表明に対しても、裏切りの政治だなどと敵意を露わにする言動をされていましたので、そうした敵味方を強い言葉で峻別する姿勢が「控え目な人柄」とされている岩手県民にどのように評価されるのかという点も、興味を感じます。

また、民主党陣営のうち階議員などの勢力は、達増知事とは岩手1区の選挙で対決した過去もあり、どのような対応をされるのか、興味深いところです。この点、知事選の直前(8月下旬)に予定されている盛岡市長選では、階議員の有力支援者である内舘茂氏が立候補を表明し、現職の谷藤市長(無所属ですが、地盤的には自公系と言ってよいと思います)と対決することが予定されており、市長選の動向が大きな影響を及ぼすことは確かでしょう。

素直に考えれば、谷藤市長が自公系である以上、平野氏とは手を組めないという前提で、達増氏陣営の支援を見込んで達増知事の支援に廻るという可能性が高いと見るべきなのだろうとは思います。

ただ、仮に、市長選の直前頃に出るかも知れない知事選の事前予測で平野氏優位の報道がなされた場合、それが市長選に影響する可能性もありますので、達増知事と命運を共にするという選択は、内舘氏にも大きな賭けになり、最良の策と言えるのかは私には分かりません(敢えて中立を保つことで、市長の若返り等を期待する若手保守層の得票を期待し谷藤氏陣営の切り崩しを狙うという高等?戦術もあってよいのかもしれません)。

全くの余談ですが、もしも、市長選が知事選よりも後に来るのであれば、敢えて平野氏が当選してくれた方が、「知事選は自公系を勝たせたので、市長選は民主系を勝たせる」という無党派市民のバランス感覚(投票動向)を期待するという高等?な選挙戦略もあり得たかもしれません。

裏を返せば、達増知事にとっては、盛岡市長選でどちらが当選するのが自身の得票にとってプラスになるのか悩ましい面はあると思われ、そうした微妙な論点・判断も、達増氏・階氏(内舘氏)の両陣営の動向に影響を与えるのではないかと思われます。

上述の理由から、盛岡や一関、被災地などの無党派層の動向が選挙結果を左右すると思われるだけに、政策論争もさることながら、そうした選挙関係者の利害得失の面も含めて、本年の岩手・盛岡の大型選挙の様相を興味深く見守っていきたいと思っています。

ともあれ、今回も大変な長文になってしまいましたが、ご覧いただいた皆様には御礼申し上げます。