北奥法律事務所

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投票価値

政治過程の憲法不適合に関する官と民の役割と責任

平成25年7月に実施された参議院通常選挙に関する選挙無効訴訟の最高裁判決(最大判H26.11.26判時2242-23)が、直近の判例時報に掲載されていました。

参院選に関しては、平成22年7月に実施された参院選(議員定数配分規定が最大1:5.00)に関し投票価値の平等違反等が問われた最高裁判決(最大判H24.10.17)で、その選挙当時、本件定数配分規定の下で選挙区間の投票価値の不均衡は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたが、本件選挙までの間に本件定数配分規定を改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えるとは言えない=配分規定が違憲とまでは言えない=違憲状態だが裁量違反なく違憲でない、とされています。

そして、当該判決を承けて、平成24年に公選法が改正されており、その改正法のもとで平成25年の参院選が行われたものの、議員定数配分は最大1:4.77の格差となっており、改めて、この論点に取り組んでいる弁護士の方々が、選挙無効を求めて提訴したものです。

最高裁は、今回も、違憲問題が生じる著しい不平等状態にあるものの、本件選挙までに定数配分改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるとは言えぬ=本条違反に至らずとして、原告の請求を棄却(違憲違法・事情判決とした2審を変更)しています。

但し、都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行方式を改めるなど、仕組みを見直す立法措置が必要だと指摘し、できるだけ速やかに、そのことを内容とする具体的な改正を行うなどして違憲状態を解消すべきだと述べており、国会がこれに応じずに違憲状態を放置した場合には、次回(平成28年)の参院選に対する訴訟では、より厳しい判断が予想されると言えます。

判文や解説をきちんと読み込んだ訳ではありませんが、平成24年最判との違いとして、平成24年は違憲を主張する反対意見が3名だったのに対し、今回は反対意見が4名となっています。また、4名のうち1名(山本裁判官)は、1票の格差は2割未満でなければ許容されない(0.8を下回れば違憲)とし、0.8を下回る選挙区から選出された議員はすべて身分を失わせるべきという徹底した投票価値平等論に立っていることが、特筆すべき点として挙げられます。

この山本裁判官ですが、経歴(出身)をネットで確認したところ、前内閣法制局長官で、最高裁判事の就任時の記者会見で、当時の安倍内閣が推進していた集団的自衛権に関する議論に関し、現在の憲法の解釈の限界を超えると発言して注目を浴びた方であることが分かりました(当然、そのニュースは私も見ていましたが、お名前はすっかり忘れていました)。

もちろん、当時の議論・定義を前提にした発言でしょうから、その後に行われた閣議決定に対する見解を述べたものではないということになるでしょうし、さすがに最高裁判事の就任後は、山本判事がその後の集団的自衛権を巡る閣議決定などのシーンで存在感を示すことは無かったと思います。

とはいえ、国会の存立の基本というべき選挙制度に関する訴訟で厳しい判断を示されているのを見ると、「政のあり方(国会が憲法の基本原則に従うべき身の正し方)」について、強い信念をお持ちなのだろうと感じられます。

ちなみに、反対意見4名のうち残りの3名(大橋・鬼丸・木内の3判事)は、いずれも弁護士出身で、「違憲・違法を宣言すべきだが事情判決の法理により選挙は無効としない」との判断を示しています。政治的な対立を含みやすい論点で最高裁判事の票が割れる場合には、弁護士出身の判事が「少数派寄りの憲法の理想重視の少数意見」に立つことが珍しくないのですが、ある意味、(議員と同じく憲法の尊重擁護義務を負う)行政官の頂点というべき内閣法制局長官の経験者が、弁護士出身判事達よりも厳しく、憲法(国家権力のあり方を定めた法)の解釈について、最も先鋭的と言える意見を示している光景には、官の矜持とでも言うべき、大いに示唆に富むものを感じずにはいられません。

以前に、最高裁判事の経験者の方の著作で、実際の合議では、表に出せないような生々しい議論が交わされることもあるという趣旨の記載を読んだ記憶がありますが、前回よりも反対意見が1票増えていることも含め、こうした経歴の方に最も厳しい反対意見を表明させていること自体が、最高裁自身の、組織としての何らかの意思を示すものではないかと感じたのは、私だけではないのではと思われます。

ところで、山本判事は安倍内閣により任命されており、当時は、集団的自衛権の閣議決定を目指す安倍首相が、山本氏を最高裁に厄介払いしたなどと評する報道もあったような記憶もありますが、私個人の漠たる感覚としては、恐らくそれは一面的な見方というべきで、現下の社会情勢を踏まえて、山本氏の良さは現在の政治過程の中枢(法制局)よりも一歩離れた場所(最高裁)の方が生きるという「高度な政治判断」があったのではないかと思いたいところです。

ですので、山本判事の先鋭的な反対意見についても、単純に「政治(国会)と官(最高裁)の対立」と捉えるのも正しい理解ではなく、「官の最高峰まで上り詰めた人が、現在の国会議員の選出の仕組みは憲法の理念に反し、選挙無効=一部の議員の地位を剥奪すべきだとまで言っている。だからこそ、民(政治家はもちろん、国民全体)がそのバトンを受け止めて、選挙制度改革の気運を高めるべき」という、国民的な議論や運動(選挙制度改革を旗印にした政治勢力の登場などを含め)が求められていると言うべきではないかと考えます。

残念ながら、現在もなお、選挙制度改革を巡る議論等が国内で盛んに行われているとは到底言えず、このままでは、従前と同じく小手先だけの改正のみが行われ、平成28年の選挙では今度は反対意見がもう1、2名増えるだけ、といった展開になるのではと危惧されます。

集団的自衛権に関しては、選挙制度改革に比べれば、まだ議論のある方だとは思いますが、相変わらず、異なる政治的立場の持ち主が自分の価値観に基づく主張を繰り広げているだけの、価値観を異にする者同士の対話のない示威行動的な運動に止まっている感も否めません。

また、上記の観点からは、一票の価値の問題も、憲法9条に絡んだ問題も、根底の部分では相通じる面があるのに、それぞれに携わっている方々同士に何の連携も見られないという点も、憲法を深く考える上では、とても残念に感じます。

私自身は、異なる政治的価値観を有する者同士が、時に議論を交わし、時に妥協を重ねながら、平和的な手段・手続によって高次の政治的価値を実現していくべきだというのが、そうした社会を実現できなかった戦前の反省の上に立つ、日本国憲法の理念だと理解していますし、投票価値(政治的意思決定に対する終局的な影響力)の平等は、そうした社会を支える基本的な原則(インフラ)だと思いますので、そうした観点から、双方の論点を有機的に結びつけるような方向で、議論が深まればと思っています。

定数配分では往々にして有利な結果を享受している地方の立場からすると、定数不均衡問題では、ともすれば、現状肯定の発想に陥りやすいのではないかと思いますが、「国民一人一人の政治に対する影響力という価値が軽視されている表れなのだ」という視点に立ち、悪しきアファーマティブアクションとして断ち切るべき、地方の声を届けるのは別の手段によるべしとの姿勢も必要ではないかと思います。

なお、冒頭の訴訟は定数不均衡問題に取り組む2つの訴訟グループ(元祖派と升永弁護士派)のうち前者を当事者とするものですが、その主力メンバーとして携わっておられる方の中に、私が東京で勤務していた事務所に、私と入れ替わりで入所された先生がおられます。岩手県内に「定数不均衡問題に取り組んでいる弁護士さんから講演を聴きたい」との奇特?な方がおられれば、私までご一報いただければ、お役に立てることもあるかも知れません。