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盛岡北ロータリークラブ

盛岡北RCと岩手女子高IAとの懇談会と「RCのきほんのき」

以前にも投稿したことがありますが、私が所属する盛岡北ロータリークラブは「インターアクトクラブ(IA)」という形で岩手女子高のJRCクラブさんと協力関係にあります。

ただ、詳細は存じないものの、私が入会した10年近く前の時点で、すでに相互の交流は希薄になっており、毎年12月の当クラブのクリスマス会に部員さんと顧問の先生をご招待して手話を用いた歌唱を披露いただくこと以外には、特段の関わりはない状態が続いています(今は、ウィルス禍のせいで、それも絶えています)。

私は3年ほど前に2年間だけIA等の担当委員長を務めましたが、そうした経緯や私自身の多忙さもあり、名ばかりの状態が続きました。

ただ、何もしないのもどうかということで(ある年の会長さんから、活性化を促されていたこともあり)、一度、IAにアンケート調査を行うと共に、その結果を踏まえて会員5名ほどで岩手女子高にお邪魔し懇談会を行ったことがあります。

その際にIA(高校生)向けに作成、配布したレジュメを、折角なので本ブログでも載せることにしました。

うわべだけの綺麗事は好みませんので、「どうしてロータリーには金持ちが多いのか」「バブル崩壊で人数が減った」など、敢えて「本音トーク」的なものも書いていますが、反面、ロータリーの本部?から「こいつは問題児だから懲らしめろ」などというお達しが出ないか、少し不安に思わないこともありません(笑?)。

当日は、敢えてレジュメの棒読みはせず、「宮澤賢治の思想とロータリー運動との関係」について話をしたのですが、それよりも、当方の会長さんが紹介した海外留学支援の説明の方が好評を博していました。

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(目次)
第1 ロータリーとは何か、どのような活動をしているか
第2 盛岡北ロータリークラブの活動や実情など
第3 インターアクトクラブとは何か、どのような活動をしているか
第4 岩手女子高JRCクラブの「インターアクトクラブ」としてのあり方など

※ 本レジュメには、ロータリーなどの「公式見解」ではない個人的な見解が多数含まれていますので、取扱にはご注意ください。

第1 ロータリー(RC)とは何か、どのような活動をしているか
 1 RCの発祥と発展など

1905年に米国シカゴ(ミシガン湖畔の大都市)で執務するポール・ハリス氏(弁護士)が、仕事上の付き合いのある友人同士の相互交流(親睦グループ)として計4人で結成したのが発祥。

その後、1920年代頃から「単なる親睦ではなく、団体または構成員個人として社会への奉仕を実践すべき」と掲げたことが契機になって賛同者が増えて戦前戦後の米国の躍進なども相俟って世界中に広がり、現在は200カ国以上の国々に3万以上のクラブが存在し、120万人以上の会員が所属している。

 2 国際RC(世界全体)や各地RCの活動や実情

RCは、会員内部の懇親や相互扶助(クラブ奉仕)のほか、対外的な活動として、地域社会や青少年、国際社会などへの奉仕を理念に掲げ、その一貫として様々な活動を行っている。

典型的な例では、地域の若者(高校生など)の海外留学を支援(費用補助)したり海外の有為な若者の留学を支援するなどの活動を行うほか「大がかりではないが地域の美観・景観などを良くするための小規模な設備」などの設置(北上河畔の花壇など)といったものを行っている。

国際RCが世界的に行っている取り組みとしては、かつて深刻な難病として数十年前の日本をはじめ世界中に蔓延していた「ポリオ(小児麻痺)」の撲滅のための活動などが行われている。

 3 日本のRCの活動や実情(どうしてロータリーは「お金持ち」が多いのか)

もともとRCは事業活動を行う者同士の親睦を目的として始まったが、日本で最初にRCの結成を提唱したのが三井物産(日本を代表する総合商社の一つ)の経営者(米山梅吉氏)であり、地域を代表する大物経営者(要するに、お金持ち)を中心に広がったことに基づく。

そのため、現在も日本のRCは、企業経営者や高度専門家(医師等)、地域内の大企業の幹部社員など、いわゆる地元の名士さんが会員となっていることが多く、一般庶民(私を含む)から見れば、敷居の高さを感じる面がないとは言えない。

しかし、これは世界共通のこと(RCが前提としていること)では全くなく、海外では、ごく普通の企業のごく普通の立場の従業者が、男女を問わず会員として多く参加する例も多いそうであり、日本のRCのあり方が「当たり前」と考えるのは正しいことではない。

そうしたことも含めて、RCのあり方は次世代に託されている面がある。

第2 盛岡北ロータリークラブの活動や実情など
 1 盛岡北RCの発祥と現状など

盛岡では、1939年(昭和14年)に盛岡ロータリークラブが結成され、1958年(昭和33年)に盛岡RCの一部会員が脱退(分裂?)するなどの形で盛岡北RCが結成された。

その後も、数十年間は、盛岡RCや盛岡北RCから分かれる形で新たなRCが幾つか結成され、現在、市内(盛岡広域圏内)で計8個のRCが存在している。

なお、喧嘩別れ等の話は特には聞いておらず、親睦団体という性質上、1個の大規模団体よりは、親しい仲間が個別に結成する複数のRCが地域内に並立する方が望ましいとの考え方がとられたものと思われる(ちなみに、東京に3つの弁護士会が存在するのは会長選挙を巡って昔々に喧嘩別れしたからと言われている)。

盛岡北RCは最盛期(平成元年頃?)には80名以上?の会員がいたものの、現在(5年ほど前頃から)は36名前後(40名弱)の会員数に止まっている。

これは全国的な傾向であり、30年前は、バブル経済などの影響で地域の有力・著名企業の経営者や役員などがこぞって加入したものの、バブル崩壊後にそれらが撤退したため、本気でRCが好きな人達(とバブル崩壊後も会費支払が可能だった人達)が残ったという面は強い。

ともあれ、盛岡北RCでは、より多くの会員の加入を望んでいる状態である。なお、現在の会員は各種の事業を営む会社の経営者や幹部社員、専門職(医師など)が多い状態である。

 2 盛岡北RCの「奉仕活動」について

盛岡北RCでは平成18年頃から令和元年頃まで、盛岡市のこども科学館の近くにあった原野(市有地)を借りて「どんぐりの森」と称する植樹・整備事業を行った。

これは、「盛岡は市内に緑が少なく、子供達が地域で自然に触れあう機会が乏しいので、そのきっかけ作りにしたい」などという理念のもと行われた事業であった。

「どんぐりの森」は令和元年頃に終了し市に返還され、一部が現在も活用されている。

第3 インターアクトクラブとは何か、どのような活動をしているか
 1 インターアクトクラブとは何か、インターアクトとローターアクト

RCでは、「ロータリーの理念(社会奉仕など)を若い世代に伝え、理解を得ると共に将来のRC或いは社会全般の担い手として育成する」ことを目的に、各地RCに、若年者を構成員とする関連団体を設置することを推奨している。

インターアクトクラブは、そのうち12~18歳まで(中高生)を対象とするもので、他に18~30歳までを対象とする「ローターアクトクラブ(の制度)」も存在する。

ローターアクトは、将来のRC会員候補になりうる社会人との親睦を深めることが目的とされやすいが、インターアクトクラブは「奉仕活動を目的とする活動を行っている生徒(学校のクラブ等)の支援」を目的に結成されることが多いようである。

 2 岩手女子高インターアクトクラブについて(掲載は割愛)

 3 日本各地(及び、岩手・宮城地区)のインターアクトクラブの活動など

回覧資料のとおり、①子供やお年寄り、留学生などとの交流・支援事業(RC側も設営等で協力)、②各種の募金活動(同?)、③その他、地域内の様々な慈善活動(同?)、などが行われている(ようである)。

 4 ライラ(RYLA)について

ライラは、RCの各地区(盛岡の場合、岩手・宮城のRC全部で構成される地区)ごとに年1回の頻度で行う「インターアクトクラブ及びローターアクトクラブのための1泊2日の研修大会」であり、岩手又は宮城県内の研修施設を借りて行っている。講演を聴いてグループ討論などをすることなどを内容とし、交流行事(身体を動かすもの。スポーツ的な?)も行われるようである。

岩手・宮城のRC内に、「IA・RAに特に力を入れているクラブ」が幾つかあり、そうしたクラブが中心となって運営がなされている(ようである)。

第4 岩手女子高JRCクラブの「インターアクトクラブ」としてのあり方など

既述のとおり、インターアクトクラブには、ロータリークラブという資源を生かした様々な活動を行う可能性がありうるところではあるが、現時点でそれがなされていると言えるとは必ずしも言い難い。

学業優先など、時間の確保に困難が伴うことはやむを得ないところではあるが、ぜひ、この機会・資源を生かして「関わってよかった、自分ひいては社会のためになることができた」と思える何かに繋げていただければ幸いである。(以上)

 

ウイルス禍におけるRC運営や会員交流に関する意見~盛岡北RC卓話~

先日、盛岡北RCの卓話を担当する予定でしたが、ウイルス禍に伴う休会のため、やむなく以下の文章を会報に寄稿すると共に、折角なのでブログでも一部修正の上、掲載することにしました。

目新しい内容はありませんが、RC関係者の方々の参考にしていただき、他クラブの工夫例をご教示いただいたり、何らかの意見交換などができれば幸いです。

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【ウイルス禍による休会下における会運営や会員交流について】

1 はじめに

2月第1週の卓話担当の小保内です。今月は「平和と紛争予防・紛争解決月間」だそうで、国際奉仕委員長という立場で担当を拝命しています。

ですので、本来なら、海外RCの活動、はたまた国際的な法的紛争や解決に関する話(日産元会長事件とか、ハーグ条約に関する子の奪い合い訴訟とか)を取り上げる方が望ましいのかもしれませんが、外国語が関わる仕事はほぼ行っておらず、自分の経験としてお話できませんし、RCの海外交流などにも何ら関与したこともありませんので、それらを取り上げるのは止めておきます。

1年前に個人的な計画があり、本来はこれをネタにしたかったのですが、ご承知のとおり渡航不能となる憂き目に遭いました。風の噂では、他にも豪華客船に乗り損なった会員さんがおられた?と伺っています。

というわけで、今回は話題を変え、休会が延々と続く現在の状況下における会員交流や会運営、会報のあり方などについて、私見を述べたいと思います。

2 SNSなどの活用・活性化のお願い

ロータリークラブは「会員同士が現に交流し『友人(この地で研鑽を積み活躍する人生の先輩・後輩)としての信頼と相互扶助の関係』を形成できてナンボ」だと思います。

言い換えれば、そうした交流と関係の形成ができないのなら、会員として在籍する意味も必要もありません。

そのため、例会すら実施できない現状が危機的なものであることは申すまでもありませんが、現在のところ、当クラブであれ市内の他クラブであれ、代替の交流手段の発案・実践の光景を見かけることがなく、その点は大変残念に感じています。

現下の情勢では、Webを通じたコミュニケーションを活用せざるを得ないのですから、まずは、SNSなどの活用を試みるべきだと思います。

私の知る限り、当会ではHP(Webサイト)とは別に、facebookとLINEの双方に専用グループ(当会の会員・関係者のみが投稿できるもの)が設けられています。

FBは3~4年前に私が開設しましたが、1~2年前にYさんが開設したLINEの方が登録者数・投稿とも圧倒的で、FBは開店休業状態(新規登録も放置)になっています。

LINEも、若干の事務連絡と新年おめでとうメールの類を別とすれば、時折、Yさんが痺れを切らして下ネタを投下し、Hさんが「コラY!」と返答する程度で、さほど活用されているわけではありません。

できれば、皆さん全員にFB・LINEに登録し、当会グループに加入いただいた上で、下ネタに限らず、簡易な挨拶や写真だけの掲載であれ、本格的な近況報告であれ雑談の類であれ、皆さんが和んだり楽しんだり、盛り上がることができるような話題を、次々に投稿していただければと思っています。

なお、LINEは長文投稿に適さず過去の投稿がその後の雑多な投稿にかき消されやすいので、投稿の保存を重視するならFBグループに投稿いただいた方がよいと思います。

もちろん、RC会員として、ご自身が現下の状況で実践されている「ご自身なりの奉仕」を発言していただくことも、あるべきことだと思います。

ベテラン勢には「Webなんて分からんよ」という方もおられるかもしれませんが、ご家族・従業員さんに登録作業を行っていただければ、先日のAさんのように、加入直後に会員から歓迎メールが来たりします。

また、グループだけでなく、FBの個人フィードでの投稿も、リアルな交流の代替手段として、各自に活発に行っていただければと思っています。

私の投稿は、クセが強すぎるせいか?皆さんからなかなかコメントをいただけませんが、随時お待ちしているところです(笑)。

3 会報のあり方について(自己紹介、近況報告など)

休会中の会報の編成に関する議論は存じませんが、この間の会報は、従前の編成(会長挨拶、卓話、幹事報告など)の踏襲ではなく、何某か、例会での交流の代替手段としての活用を考えていただくべきだと思います。

例えば、ここ1~2年に入会された新入会員などに自己紹介いただいたり、既存会員も本業の成果であれ意外な趣味などの類であれ、様々な近況報告をいただくのが望ましいと思いますし、「過去の大物会員の列伝記事(昔話)の連載」も検討されてよいと思います。

現状ではスマイルボックスが不能になっていますので、これに代わる投稿を事務局にメール(DM)したり、会員で割当を決めて、「今回の会報ではスマイル投稿をすること」といった形でもよいのではと思います(大サービスで、スマイルゼロ円で投稿OKとしていただければ有り難いです・・と言ってみたりして)。

ちなみに「小保内って誰?」という新入会員の方は、当事務所のHPをご覧ください。

4 ズーム例会、スキー例会など

皆さんも、ズーム会議は相応に経験されていると思います(私はズーム飲み会は経験がありません)。直ちに「ズーム夜例会(宴会)」を行うかはさておき、何らかの形で例会など(会運営)に活かせればと考えます。

例えば、各人が事前に食事を済ませることを前提に、午後1時から1時半まで30分程度のズーム例会を行い、会長挨拶のあと、事前に割当を決めて5人前後が近況を報告し、簡易な質疑応答(雑談)を行って終了という方法も検討されてよいと思います。

先日、たまたま同じ日に家族で安比に行っていた、という複数の会員さんをFBで拝見したことがあります。大人数の参集は現状では無理でも、例えば「スキーができる人は、家族を連れてこの日に安比に来て下さい。昼食は(予約等が無理でも)可能な人は○○エリアに来て、挨拶だけでもやりましょう。可能なら、若干でも一緒に滑りましょう」といった試み(スキー例会?)も検討されてよいと思います。

例会という形式をとるかはともかく、現下の状況でも、適切な工夫を前提に、可能な限り会員交流の「あの手この手」が図られることが望ましいと思います。

5 代替措置と例会復活後について

先般の役員会で、休会長期化による伴う会費還元の手法として、夜例会の復活時に全額クラブ負担(自己負担なし)で行う方法を提案しました。一部返還も検討されているようですが、会費は会員の交流の原資というのが基本でしょうから、皆さんからも知恵を拝借できればと思います。

また、ウイルス禍と別の話として、ここ1~2年、当クラブに長年多大な貢献をいただいた方の退会や逝去が相次ぎましたが、クラブとしての「お別れの会」がほとんどできていないことを大変残念に感じています。

今後は、ベテラン会員や転勤族の方が「引退」的な形で退会される場合には、前後の夜例会を「お別れ会」を兼ねるものとし、引退のスピーチや会員による別れの挨拶をするような形をとるのが望ましいのではと思っています(転勤族の方は送別会がなされることもありますが、それはそれとして、例会の場でもお別れ会はあってよいと思います)。

また、逝去された方についても、同じように繋がりの深い方々に簡易なスピーチをしていただくなど、クラブとしての「お別れの会」があってよいのではと思いました。

ちなみに、私はN先生が亡くなられた際に、当ブログにN先生の追悼記事を掲載させていただきました。関心のある方は検索してご覧ください。

以上、大変な長文になり恐縮ですが、参考にしていただければ幸いです。

西谷巌先生のご逝去に寄せて

先日、盛岡北RCの会員である西谷巌先生が急逝されたとのことで、通夜に伺いました。

西谷先生は苫小牧のご出身で(ご本人から聞きました)、北大医学部に進学し北大などで活躍された後、岩手医大の産婦人科の教授を長くお務めになり、定年後も盛岡の主要病院の院長などを歴任され、御年88歳となった現在も、滝沢市内の中規模病院で診療等に従事なさるなど、年齢を感じさせない若さで精力的に活動されていました。

亡くなられる10日ほど前も、いつもどおり当クラブ(盛岡北RC)の夜例会に参加され、その際も色々と話をさせていただきましたので、急なご病気によるものと聞いていますが、ただただ残念でなりません。

私にとって、西谷先生は、当クラブで最も親しくさせていただいた方の一人なのですが、それには2つの理由があると思っています。

私は函館ラ・サールの出身ですので、同級生には北大医学部に進学した方もおり(しかも、1年間、4人部屋で過ごした仲間でした)、そこに入学できる人というのが、どれほど凄まじい才覚を持ち圧倒的な努力を重ねているか、若干ながら体感として知っているつもりです。

私も、学力や業績などの程度は遙かに及びませんが、学問で身を立てた人間のはしくれであり、また、盛岡の出身ではない点でも共通点があることから、「先祖の代から盛岡で暮らし、代々或いは何十年もこの街で重責を担ったご一家の当主」の方が珍しくない当クラブでは、西谷先生にとっても地元出身ではない私に対し他の会員の方々とは違った親しみを感じていただいた面はあったかもしれません。

また、私は幼少期に大人に囲まれて育ち、同世代の面々より両親の周囲にいた大人の人達と一緒に過ごす方が居心地がよかったせいか、今もその感覚をひきずっており、同世代よりも親子ほども年の離れた方々の方が、なぜか親しくなりやすい傾向があります。

恐らく、私にとって父が人生のロールモデルではなかった(実家を出ていくほかない身であり、幼少期の父との人間関係も希薄だった)ため、その役割を担って下さる様々な大人との関わりに飢えがあったからだと思っており、私が西谷先生と親しくさせていただいたのも、何某かの「父性」を西谷先生に求めた面があったからなのかもしれないと感じています。

ともあれ「つい先日まで一緒に酒杯を交わして盛り上がった方」が急逝してしまう経験自体、私にとってほとんど初めてではないかとも思われ、まだ現実を受け入れることができないというのが正直なところです。

ところで、以前は、どこの小社会にも「組織のあるべき姿や理念を大所高所から論ずるご意見番的な御大」がおられましたが(岩手弁護士会なら、故・菅原瞳先生でしょうか)、西谷先生は、当クラブでは、その代表格のお一人だと認識しています。

西谷先生と重鎮論客の双璧をなし、私にとってはもう一人の「当クラブでの父親代わり」と言うべきSさんも、ご病気を理由に先般、RCを引退されてしまうなど、盛岡北RCにとっては「一つの時代が終わった」と評さざるを得ない状態が、ここ半年~1年ほど続いているように感じます。

そうした「父親世代のご意見番」の喪失(ひいてはRC全体の退潮)の中、当クラブがどうなってしまうのか(単なる親睦団体の類としてしか存続できないのか、それとも世界とつながる・世界に通じる高邁な理念なるものを自分達の不可欠な要素として保持・実践できるのか)、今の私には全く分かりません。

ただ、折り返し地点を過ぎてかなり経過しながら、相変わらず社会全体との関係では無為の日々を送る私に「それでいいのか?」と何らかの問いかけがなされているのかもしれないと、そのことには絶えず向き合っていきたいと感じています。

西谷先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

盛岡北RCからの卓話依頼(男女問題など)

次の水曜(18日)の盛岡北ロータリークラブの例会で、急遽、卓話を担当することになり、某会員の方の熱烈なご要望?により「男女の愛と不倫を巡る法律実務」をテーマとすることになりました。当クラブの方は申すに及ばず、市内等の他のRC会員の方におかれても、ご参加いただければ幸いです。

当日は、「あるRC会員の家族(架空)を巡って生じた、起きて欲しくない物語」などと題して、壮年のごきょうだいの各人に、離婚や不倫、交際などを巡ってトラブルが起きたという想定で、代表的な論点や裁判所の一般的な考え方などをご説明したいと思っています。

RCの卓話は実質20分強しかありませんので、当日は論点紹介に止まるでしょうが、1時間とか90分などのバージョンでお話することもできますので、セミナー?などのご要望などがあるようでしたら、ご遠慮なくお声掛け下さい。

ちなみに、前回は、県内でCMソングなどの制作やナレーター等に従事されている菅原直子さんの卓話を拝聴しました。ホームセンター「サンデー」のテーマソングを歌っている方なのだそうで、冒頭でご本人のナマ歌をご披露いただき、ささやかな感動を味わいました。

他にも、世界的な話(ヴェスビオ火山ケーブルカーの件)から県内ネタ(岩手川、ペコ&ペコなどベーシックな話から近時の「焼き冷麺」、ドンドンダウンなど)も交えつつ、コーポレートアイデンティティや商品ポリシーの重要性(それを確立している企業ほど良いCMをすぐに作れる)を伝える内容になっており、大変勉強になりました。

今も日本と世界に問い続ける「原敬」の足跡と思想

昨日は盛岡出身の戦前の大政治家・原敬の命日ということで、菩提寺や生家跡の記念館で追悼行事がなされたとのニュースがありました。
http://news.ibc.co.jp/item_25696.html
http://news.ibc.co.jp/item_25691.html

盛岡北RCの例会でも、地域史などに圧倒的な博識を誇る岩渕真幸さん(岩手日報の関連会社の社長さん)から、原敬の暗殺事件を巡るメディアの対応などをテーマに、当時の社会や報道のあり方などに関する卓話がありました。

途中、話が高度というかマニアックすぎて、日本史には多少の心得がある私でも追いつけない展開になりましたが(余談ながら、前回の「街もりおか」の投稿の際も思ったのですが、盛岡で生まれ育った人はマニアックな話を好む方が多いような気がします)、それはさておき、今の社会を考える上でも興味深い話を多々拝聴できました。

特に印象に残ったのは、「原敬を暗殺した少年は、無期懲役の判決を受けたが(求刑は死刑)、昭和天皇即位等の恩赦により10年強で出獄した。その際、軍国主義の影響か反政友会政治の風潮かは分からないが、暗殺者を美化するような報道が多くあった。そのことは、その後の戦前日本で広がった、浜口首相暗殺未遂事件や5.15事件・2.26事件などのテロリズムの素地になっており、マスコミ関係者などは特に教訓としなければならない」という下りです。

「大物政治家を暗殺した人間が美化される」という話を聞いて、現代日本人がすぐに思い浮かぶのは、韓国や中国における安重根事件の美化という話ではないかと思います。

安重根の「動機」や伊藤博文統監の統治政策について、軽々に論評できる立場ではありませんが、少なくとも、「手段」を美化する思想は、暴力(武力)を紛争解決の主たる手段として放棄したはずの現代世界では、およそ容認されないものだと思います。

それだけに、仮に、中韓の「美化」が手段の美化にまで突き進んでしまうのであれば、それらの国々が戦前日本が辿ったような危うい道になりかねない(ひいては、それが日本にも負の影響を及ぼしかねない)のだという認識は持ってよいのだと思いますし、そうであればこそ、「嫌韓・嫌中」の類ではなく、彼らとの間で「日本には複雑な感情があるが、貴方のことは信頼する」という内実のある関係を、各人が地道に築く努力をすべきなのだろうと思います。

私が司法修習中に大変お世話になったクラスメートで、弁護士業の傍ら世界を股に掛けた市民ランナーとして活躍されている大阪の先生が、韓国のランナー仲間の方と親交を深めている様子をFB上で拝見しており、我々東北人も、こうした営みを学んでいかなければと思っています。

ところで、wikiで原敬について読んでいたところ、原内閣が重点的に取り組んだ政策が、①高等教育の拡充(早慶中央をはじめとする私立大の認可など)、②全国的な鉄道網の拡充、③産業・貿易の拡充、④国防の拡充(対英米協調を前提)と書いてあったのですが、昨日のRCの例会で配布された月刊誌のメイン記事に、これとよく似た話が述べられており、大変驚かされました。

すなわち、今月の「ロータリーの友」の冒頭記事は、途上国の貧困対策への造詣が深く、近著「なぜ貧しい国はなくらならいのか」が日経新聞でも取り上げられていた、大塚啓二郎教授の講演録になっていたのですが、大塚教授は、低所得国に早急な機械化を進めると非熟練労働者を活かす道がなくなり、かえって失業や貧困を悪化させるとした上で、中所得国に伸展させるために政府が果たすべき役割について、①教育支援、②インフラ投資、③銀行など資本部門への投資、④知的資本への投資と模倣(成果の普及)による経済波及という4点を挙げていました。

このうち①と②はほぼ重なり、③も言わんとするところは概ね同じと言ってよいでしょう。民間金融を通じた地方の産業・貿易の拡充として捉えると、現代日本の「地方創生」「稼ぐインフラ」などの話と繋がってきそうです。

そして、④も、当時が軍事力を紛争解決の主たる手段とする帝国主義の時代であるのに対し、現代はそれに代えてグローバル人材が一体化する世界市場で大競争をしながら戦争以外の方法(統一ルールの解釈適用や交渉)で利害対立を闘う時代になっていることに照らせば、時代が違うので焦点を当てる分野が違うだけで、言わんとするところ(国際競争・紛争を勝ち抜く手段の強化)は同じと見ることができると思います。

何より、大正期の日本は、ちょうど低所得国から中所得国への移行期ないし発展期にあったと言ってよく、その点でも、原敬の政策や光と影(政友会の利権誘導政治、藩閥勢力との抗争など)などを踏まえながら大塚教授の講義を考えてみるというのも、深みのある物の見方ができるのではないかと感じました(というわけで、盛岡圏の方でRCに関心のある方は、ぜひ当クラブにご入会下さい)。

ところで、岩渕さんの卓話の冒頭では、「原敬は、現在の盛岡市民にとっては、あまり語られることの少ない、馴染みの薄い存在になってきており、残念である」と述べられていました。

私が9年間在籍した青年会議所を振り替えると、盛岡JCは新渡戸稲造(の武士道)が大好きで、1年か2年に1回、新渡戸博士をテーマとする例会をやっていましたが、原敬や米内光政など先人政治家をテーマとして取り上げた例会などが行われたとの記憶が全くありません。

戊辰の敗戦国出身で決して裕福な育ちではなく、紆余曲折を経た若年期から巧みな知謀と大物の引き立てにより身を興し、「欧米に伍していける強い国家」を構築する各種基盤の構築に邁進し、それを支える新たな権力基盤の構築にも絶大な手腕を発揮した点など、原敬は、「東の大久保利通」と言っても過言ではない、傑出した大政治家だったことは間違いないのだと思います。

だからこそ、両者が、絶頂期かつ志半ばの状態で暗殺により歩みを中断させられたことは、織田信長しかりというか、この国の社会に不思議な力が働いているのかもしれないと感じずにはいられないところがありますし、余計に、前記の「テロリズム礼賛の思想」を根絶することの必要性を感じます。

それだけに、地元で人気がない?(素人受けせず、通好みの存在になっている)点も、大久保利通に似ているのかもしれない、そうした意味では、対立したわけではないものの、同時代人で人気者の新渡戸博士は、いわば盛岡の西郷隆盛のようなものかもしれない、などと苦笑せずにはいられないところがあります。

皆さんも、「古くて新しい原敬という存在」に、よりよい形で接する機会を持っていただければ幸いです。

ロータリーとリーダーシップ

盛岡北ロータリークラブは毎週水曜日が例会となっており、私はほぼ毎週参加していますが、一度だけ弁護士会の行事と重なったため欠席したことがあります、

その翌週に届いた会報を見たところ「温泉ソムリエ」という若い女性の方が卓話にいらしていたことを知り、よりによってこんなときにと、悲しさを禁じ得ませんでした(笑)。

それはさておき、翌週の例会では、本年度の岩手・宮城地区のガバナー(地区の全RCを代表する立場の方。岩手と宮城で1年交替になっています)である菅原裕典氏の公式訪問がありました。
http://www.ri-d2520.com/governor_message.html

で、先に到着していた菅原ガバナーが入口で各会員に挨拶(名刺交換)をなさっていたのですが、私がご挨拶したところ、開口一番、「小保内さんですね。このクラブで一番若い会員だと聞いています」と仰ったので、大変驚きました。その上、卓話(講演)の際も、私の名前と最近入会したことを挙げて、こうした若い世代にロータリーへの関心や入会意欲を高めて欲しいと仰っていたので、二度びっくりしました。

菅原ガバナーは、所属されている業界では仙台で最大手クラスの企業を一代で築き上げた方だと人づてに聞きましたが、JC在籍時にも時々体験した、「強烈なリーダーシップや気配りの力を持った方が、グイグイと人の心を掴んでいく光景」を直に見せられたような気がして、勉強になりました。

菅原ガバナーによれば、国歌斉唱などをピアノの生演奏(会員の女性の方)で行っているのは、地区内では当クラブと仙台RCだけとのことで、入会半年程度の私が申すのも何ですが、大変居心地のよいクラブでもありますので、盛岡広域圏でRCへの入会を検討されている方は、ぜひ当クラブにお越しいただければ幸いです。