北奥法律事務所

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盛岡北RC

盛岡北RC幹事卓話と小規模RCの運営に関する持続可能性

7月から1年間、盛岡北ロータリークラブの幹事を拝命しており、本日、幹事の立場で卓話を担当しました。

私は、RCやJCなどにありがちな美辞麗句を威風堂々と演説する能力が微塵もありませんので、何を話せば良いのやらと困りましたが、先日、入会以来はじめて予算書や決算書をまともに拝見する機会があり、色々と問題点があるように感じたので、

~当クラブの不都合な真実と、これからの運営の話をしよう~

という不穏なタイトルで、会員の皆さんに心底嫌がられそうな話(要するに、現在のクラブの収支分析と改善点の指摘など)をしました。

聞き手に歓迎されないような内容も含まれているせいか、開会時には私の姿がなく、幹事席に熊のぬいぐるみが置いているかも・・と思いましたが、卓話自体は無事に終えることができました。

残念ながら、実践につながる見込みは期待薄ですが・・

大規模クラブなどの方には無用の話ですが、現在の地方のRCは、30~40人規模のクラブが非常に多いようであり、お時間のあるロータリアンの方は、当クラブにMU(訪問)に来ていただければ、多少とも参考にしていただける面があったかもしれません。

私は人前で即興の話をするのが苦手で、必ずレジュメを用意していますが、写真のニボジローのように?爆盛で膨れあがってしまい、RC卓話では半分も話せずに終わってしまうのが通例です。

二郎系のような病みつき力は無理でも、何か良好な後味を持ち帰っていただけるようなお話ができれば良いのですが。

オクラホマの若者が蝦夷の夢をみるとき

先日の盛岡北RCの例会は、米国オクラホマ州からの短期留学生(17~18歳の男女約10名)の歓迎会を兼ねるもので、盛岡西北RCと合同で、ホテル大観で行われました。

私は例会だけでお暇しましたが、直後には有志の方々により着付けとさんさ踊り体験指導がなされたとのことで、その他の盛り沢山のRC歓迎行事と併せて、留学生の方々は満足して帰途につくものと思われます。
岩手県盛岡市 米の高校生「さんさ踊り」を体験 (tvi.jp)

ただ、折角なら「どうしてオクラホマの若者が、盛岡(岩手)に来る理由があるのか」について、RC関係者の方々から一言頂戴できれば、なお良かったのではないかと思いました。

日本人なかんずく岩手人にとって、オクラホマは全く馴染みのないない場所ですが、米国大陸の「へそ」にあたる、ど真ん中やや下の位置(南はテキサス)で、ロッキー山脈西側の大平原(グレートプレーンズ)を構成する諸州の一つであり、誤解を恐れずに言えば、地形的にはウクライナによく似ていると言って良いかと思います。

この地は、かつてインディアンと呼ばれた先住民(ネイティブ・アメリカン。以下「NA」)の本拠地の一つであり、東海岸で英国移民(アングロサクソン)により建国された米国が版図を西側に急拡大していた1700年代に、利権を主張する他の西欧国家との抗争の勝利という形をとって米国に編入されています。

が、実際の統治ないし社会運営を巡っては、移民(侵略者)たる白人と先住民たるNAとの間で激しい抗争があり、最終的にNA側が敗北し、1800年代頃には、多くのNAが故郷を追われると共に、白人による入植や、それに伴う農園労働力たる黒人奴隷の大量移住が行われ、現在の人種構成に至っていると言われています。

ここまでご覧になって、それってどこかで聞いた話に似ている・・と感じませんか?

そう。

古代において列島の西から興り弥生人=大陸由来民を中心に形成されたヤマト王権が、縄文の暮らしを色濃く残す東のエミシの部族集団(日高見国)を制圧していった光景を。

アテルイ、安倍氏、奥州藤原氏、九戸戦役、戊辰戦争などに彩られた岩手の歴史を。

北海道(アイヌ)を含む北日本の人々が辿った長い長い物語を。

それが脳裏に浮かばなかった岩手ケンミンの貴方は岩手人を名乗る資格が危ういので、イチから郷土史を勉強し直して下さい。

このように、帝国(異民族征服・統合国家)としての米国などの建国史は、その観点からは、日本の建国史とさほど変わりありません(その点はロシア等も同様でしょう)。

そして、蝦夷≒縄文人であれ、米国のNAであれ、有史以後の被征服民の多くが、遠い遠い昔、世界各地を横断した古モンゴロイドと呼ばれる人々の末裔であることも、よく知られている話です。

だからこそ思うのです。

社会経済上、直接にはほとんど何のつながりも持っていないだろうオクラホマの若い短期留学生達を、岩手・宮城のRCが長年に亘り世話することになったのには、何らかの見えざる力が働いていないだろうか。

歴史の中に忘れ去られ、取り残された蝦夷≒縄文=古モンゴロイド=NAの血が、声が、双方の出逢いを促したのではないか。

ホテル大観にいらしていたオクラホマの若者達は多くが白人でしたが、黒人の方が1名、NA由来か東洋移民系かは不明ですが、いわゆる黄色人種(モンゴロイド)の血が入っているのではと感じる方も1~2名ほど?いました。

彼らが故郷の複雑な歴史を正しく学んだ上で、人種を巡る米国の厄介な問題を克服し、人類共通の福利のため力を合わせていける光景を願っています。

そうであればこそ、岩手の人々にも、彼らの姿から蝦夷の末裔としての誇りを、そして、自分達のあるべき道を考えていただければと思います。

もとより、私は「被征服民(蝦夷・NA)ばかり同情し、征服者(弥生人・白人)を非難したい」のではありません。前回の投稿(岩手県立病院物語)でも触れたとおり、科学的・合理的知見が伝播したことで、健康や富に限らず不合理・抑圧的な陋習から人々が解放された面はあるはずですし、何より、双方の文化・思想が交わることで新たに社会に生み出された価値あるものが数多あるずだと確信しています。

であればこそ、歴史とその功罪、失われたものと生み出されたものの双方を適切に学び、自身の現場での役割へと昇華させる努力が各人に求められているのであり、異なる人種・文化・社会が激しく衝突した歴史を共有する岩手とオクラホマの人々は、互いの経験を知ることで、各人の実践に活かせる面が多々あるのではと考えます。

そうした話が岩手の人々とオクラホマの若者達との間で語られる光景を夢見つつ、大観の玄関で飲湯しながら「温泉入りたかった・・」と捨て台詞を残して、終わりなき日常に戻っていった次第です。

RC卓話とウクライナからのメッセージ

昨日は、盛岡北RCの卓話担当でした。

3日前(日曜)に岩手・宮城の全RCの大会があり、開催ホテルでは通常どおりの数百人規模の立食懇親会があったので、

スーパーなんとかの人がいて、巨大クラスター発生

なんてことになれば、例会当日に一斉発症
→例会中止に止まらず、各地RCでアビ叫喚
→後世で「ロータリー・クラスター(略称RCC)」と称される

という展開を密かに期待・・・もとい、危惧していたのですが、無用の心配だったようで、皆さん無事に参加されていました。

今回は、どのようなテーマを取り上げたらよいか悩んだ挙げ句、色々なネタをレジュメに書いて用意したのですが、結局、用意した話題の5分の1もお話しできずに終わってしまいました。

当クラブでは「ドタキャンが出たので卓話やって」という連絡が年に1~2回来るので、今回、消化不良となったネタは、再度、取り上げさせていただこうかと思っています。

レジュメの目次は、こんな感じです。

第1 改めて自己紹介
第2 これまでの卓話一覧
第3 法律相談きほんのき
第4 顧問契約・顧問弁護士について
第5 プラスチック災禍と「貴方は何かしますか」
第6 RC・当クラブについて思うこと

ところで、RCの地区大会では、民族楽器を用いて日本で歌手活動をされているウクライナの女性の方のミニコンサートがありました。

ウクライナ語の歌詞は全く分かりませんでしたが、第二の国歌と呼ばれる曲などを熱唱される姿の先に、これまで報道され、今も生じ続けている幾つもの残酷な光景が浮かんできて、胸が熱くならずにはいられませんでした。

この歌手の方は、チェルノブイリの間近にある都市(引用のドラマの舞台となった都市と思われます)のご出身とのことで、このドラマもご覧になれば、なおのこと、この方やウクライナの背負った苦難と闘いの歴史が、理解いただけるのかもしれません。
https://www.star-ch.jp/drama/chernobyl/

盛岡北RCと岩手女子高IAとの懇談会と「RCのきほんのき」

以前にも投稿したことがありますが、私が所属する盛岡北ロータリークラブは「インターアクトクラブ(IA)」という形で岩手女子高のJRCクラブさんと協力関係にあります。

ただ、詳細は存じないものの、私が入会した10年近く前の時点で、すでに相互の交流は希薄になっており、毎年12月の当クラブのクリスマス会に部員さんと顧問の先生をご招待して手話を用いた歌唱を披露いただくこと以外には、特段の関わりはない状態が続いています(今は、ウィルス禍のせいで、それも絶えています)。

私は3年ほど前に2年間だけIA等の担当委員長を務めましたが、そうした経緯や私自身の多忙さもあり、名ばかりの状態が続きました。

ただ、何もしないのもどうかということで(ある年の会長さんから、活性化を促されていたこともあり)、一度、IAにアンケート調査を行うと共に、その結果を踏まえて会員5名ほどで岩手女子高にお邪魔し懇談会を行ったことがあります。

その際にIA(高校生)向けに作成、配布したレジュメを、折角なので本ブログでも載せることにしました。

うわべだけの綺麗事は好みませんので、「どうしてロータリーには金持ちが多いのか」「バブル崩壊で人数が減った」など、敢えて「本音トーク」的なものも書いていますが、反面、ロータリーの本部?から「こいつは問題児だから懲らしめろ」などというお達しが出ないか、少し不安に思わないこともありません(笑?)。

当日は、敢えてレジュメの棒読みはせず、「宮澤賢治の思想とロータリー運動との関係」について話をしたのですが、それよりも、当方の会長さんが紹介した海外留学支援の説明の方が好評を博していました。

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(目次)
第1 ロータリーとは何か、どのような活動をしているか
第2 盛岡北ロータリークラブの活動や実情など
第3 インターアクトクラブとは何か、どのような活動をしているか
第4 岩手女子高JRCクラブの「インターアクトクラブ」としてのあり方など

※ 本レジュメには、ロータリーなどの「公式見解」ではない個人的な見解が多数含まれていますので、取扱にはご注意ください。

第1 ロータリー(RC)とは何か、どのような活動をしているか
 1 RCの発祥と発展など

1905年に米国シカゴ(ミシガン湖畔の大都市)で執務するポール・ハリス氏(弁護士)が、仕事上の付き合いのある友人同士の相互交流(親睦グループ)として計4人で結成したのが発祥。

その後、1920年代頃から「単なる親睦ではなく、団体または構成員個人として社会への奉仕を実践すべき」と掲げたことが契機になって賛同者が増えて戦前戦後の米国の躍進なども相俟って世界中に広がり、現在は200カ国以上の国々に3万以上のクラブが存在し、120万人以上の会員が所属している。

 2 国際RC(世界全体)や各地RCの活動や実情

RCは、会員内部の懇親や相互扶助(クラブ奉仕)のほか、対外的な活動として、地域社会や青少年、国際社会などへの奉仕を理念に掲げ、その一貫として様々な活動を行っている。

典型的な例では、地域の若者(高校生など)の海外留学を支援(費用補助)したり海外の有為な若者の留学を支援するなどの活動を行うほか「大がかりではないが地域の美観・景観などを良くするための小規模な設備」などの設置(北上河畔の花壇など)といったものを行っている。

国際RCが世界的に行っている取り組みとしては、かつて深刻な難病として数十年前の日本をはじめ世界中に蔓延していた「ポリオ(小児麻痺)」の撲滅のための活動などが行われている。

 3 日本のRCの活動や実情(どうしてロータリーは「お金持ち」が多いのか)

もともとRCは事業活動を行う者同士の親睦を目的として始まったが、日本で最初にRCの結成を提唱したのが三井物産(日本を代表する総合商社の一つ)の経営者(米山梅吉氏)であり、地域を代表する大物経営者(要するに、お金持ち)を中心に広がったことに基づく。

そのため、現在も日本のRCは、企業経営者や高度専門家(医師等)、地域内の大企業の幹部社員など、いわゆる地元の名士さんが会員となっていることが多く、一般庶民(私を含む)から見れば、敷居の高さを感じる面がないとは言えない。

しかし、これは世界共通のこと(RCが前提としていること)では全くなく、海外では、ごく普通の企業のごく普通の立場の従業者が、男女を問わず会員として多く参加する例も多いそうであり、日本のRCのあり方が「当たり前」と考えるのは正しいことではない。

そうしたことも含めて、RCのあり方は次世代に託されている面がある。

第2 盛岡北ロータリークラブの活動や実情など
 1 盛岡北RCの発祥と現状など

盛岡では、1939年(昭和14年)に盛岡ロータリークラブが結成され、1958年(昭和33年)に盛岡RCの一部会員が脱退(分裂?)するなどの形で盛岡北RCが結成された。

その後も、数十年間は、盛岡RCや盛岡北RCから分かれる形で新たなRCが幾つか結成され、現在、市内(盛岡広域圏内)で計8個のRCが存在している。

なお、喧嘩別れ等の話は特には聞いておらず、親睦団体という性質上、1個の大規模団体よりは、親しい仲間が個別に結成する複数のRCが地域内に並立する方が望ましいとの考え方がとられたものと思われる(ちなみに、東京に3つの弁護士会が存在するのは会長選挙を巡って昔々に喧嘩別れしたからと言われている)。

盛岡北RCは最盛期(平成元年頃?)には80名以上?の会員がいたものの、現在(5年ほど前頃から)は36名前後(40名弱)の会員数に止まっている。

これは全国的な傾向であり、30年前は、バブル経済などの影響で地域の有力・著名企業の経営者や役員などがこぞって加入したものの、バブル崩壊後にそれらが撤退したため、本気でRCが好きな人達(とバブル崩壊後も会費支払が可能だった人達)が残ったという面は強い。

ともあれ、盛岡北RCでは、より多くの会員の加入を望んでいる状態である。なお、現在の会員は各種の事業を営む会社の経営者や幹部社員、専門職(医師など)が多い状態である。

 2 盛岡北RCの「奉仕活動」について

盛岡北RCでは平成18年頃から令和元年頃まで、盛岡市のこども科学館の近くにあった原野(市有地)を借りて「どんぐりの森」と称する植樹・整備事業を行った。

これは、「盛岡は市内に緑が少なく、子供達が地域で自然に触れあう機会が乏しいので、そのきっかけ作りにしたい」などという理念のもと行われた事業であった。

「どんぐりの森」は令和元年頃に終了し市に返還され、一部が現在も活用されている。

第3 インターアクトクラブとは何か、どのような活動をしているか
 1 インターアクトクラブとは何か、インターアクトとローターアクト

RCでは、「ロータリーの理念(社会奉仕など)を若い世代に伝え、理解を得ると共に将来のRC或いは社会全般の担い手として育成する」ことを目的に、各地RCに、若年者を構成員とする関連団体を設置することを推奨している。

インターアクトクラブは、そのうち12~18歳まで(中高生)を対象とするもので、他に18~30歳までを対象とする「ローターアクトクラブ(の制度)」も存在する。

ローターアクトは、将来のRC会員候補になりうる社会人との親睦を深めることが目的とされやすいが、インターアクトクラブは「奉仕活動を目的とする活動を行っている生徒(学校のクラブ等)の支援」を目的に結成されることが多いようである。

 2 岩手女子高インターアクトクラブについて(掲載は割愛)

 3 日本各地(及び、岩手・宮城地区)のインターアクトクラブの活動など

回覧資料のとおり、①子供やお年寄り、留学生などとの交流・支援事業(RC側も設営等で協力)、②各種の募金活動(同?)、③その他、地域内の様々な慈善活動(同?)、などが行われている(ようである)。

 4 ライラ(RYLA)について

ライラは、RCの各地区(盛岡の場合、岩手・宮城のRC全部で構成される地区)ごとに年1回の頻度で行う「インターアクトクラブ及びローターアクトクラブのための1泊2日の研修大会」であり、岩手又は宮城県内の研修施設を借りて行っている。講演を聴いてグループ討論などをすることなどを内容とし、交流行事(身体を動かすもの。スポーツ的な?)も行われるようである。

岩手・宮城のRC内に、「IA・RAに特に力を入れているクラブ」が幾つかあり、そうしたクラブが中心となって運営がなされている(ようである)。

第4 岩手女子高JRCクラブの「インターアクトクラブ」としてのあり方など

既述のとおり、インターアクトクラブには、ロータリークラブという資源を生かした様々な活動を行う可能性がありうるところではあるが、現時点でそれがなされていると言えるとは必ずしも言い難い。

学業優先など、時間の確保に困難が伴うことはやむを得ないところではあるが、ぜひ、この機会・資源を生かして「関わってよかった、自分ひいては社会のためになることができた」と思える何かに繋げていただければ幸いである。(以上)

 

大きすぎる弁当とマイ保冷袋~某ルーペのCM風に~

新型ウイルス禍により、私が所属する盛岡北RCでも昨年から今年の前半にかけて例会の大半が休止となり、再開後は今も会場で食事ができず、延々と「弁当持ち帰り」が続いています。

感染予防対策の面からはやむを得ないのかもしれませんが、私は食事は温かいものをその場で頂戴したい(要するに弁当嫌い)上、持ち帰り云々の手間は増えるわ、夏場は立派な保冷袋と保冷剤が毎回付いてくるので、捨てるのも勿体ないし、他に再利用するのも困難ということで、ただただゲンナリさせられています。

盛岡北RCの例会は、ホテルメトロポリタンニューウィングの11階の大広間を20~25名で利用しているので、座席同士も十分な距離が保たれている上、ご年配の方が多いせいか、以前から、黙食気味(よく言えば、大人しい)の伝統があるため、黙食厳守で会場で食べさせて欲しい・・と思わないでもありません(昔、一度だけお邪魔した盛岡RCは、これと真逆の三密+喧噪の空間でした)。

が、現状では会食は無理との慎重なご判断に異を唱えるわけにもいかず、トホホと思いつつ、ここ3ヶ月ほどは毎回、弁当の持ち帰りをしてきました。

ただ、7月以後、品質保持のため毎回付いてくる保冷袋等(1回200円?)の無駄遣い(使い捨て)はどうにかならないのだろうかということで、某ルーペのCMを拝借して、思うところを少し述べることにします。

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ニューウィングの弁当は
大きすぎて事務所の電子レンジに入らな~い!

毎回もらう保冷袋と保冷剤も
溜まりすぎて置き場所がな~い!

でも、保冷袋はこうすればいいんです。
マジックでキュキュッと自分の名前を。

あとは、毎回、保冷剤と一緒に例会に持って行くだけ。
こうすれば、もう、袋も保冷剤も溜まりません。

ちょっと見ていて下さいね。

(お約束のシーンとキャアの一声)

凄い!この保冷袋、何回座っても大丈夫!
この強度、さすがメイド・イン・ジャパン!

~大歓声~

・・・で、弁当の方は?

中のプラ容器をハサミでチョキチョキすれば、
どうにか電子レンジに入りそうだと、
先日、食べ終わった後に思いました・・

凄いデカいぜ!
ニューウィングの例会用持ち帰り弁当!

*******

すると、本日の例会で、市内の感染拡大等の事情がない限り、来月からは会場での食事が再開されるとの発表がありました。

ようやく弁当持ち帰りの日々から解放されることになったと安堵していますが、東京などでは、現在も、弁当持ち帰り形式で例会を行うRCその他の団体が多く存在するのではと思われます。

立派な保冷袋を弁当と一緒に貰って帰る全国のロータリアンなどの皆さんは、ケチでビンボー・・・もとい、SDなんとかの実践のため、マイ保冷袋の持参運動に参画いただければ幸いです。

マイ保冷袋と大きすぎる弁当はコチラ。

  

西谷巌先生のご逝去に寄せて

先日、盛岡北RCの会員である西谷巌先生が急逝されたとのことで、通夜に伺いました。

西谷先生は苫小牧のご出身で(ご本人から聞きました)、北大医学部に進学し北大などで活躍された後、岩手医大の産婦人科の教授を長くお務めになり、定年後も盛岡の主要病院の院長などを歴任され、御年88歳となった現在も、滝沢市内の中規模病院で診療等に従事なさるなど、年齢を感じさせない若さで精力的に活動されていました。

亡くなられる10日ほど前も、いつもどおり当クラブ(盛岡北RC)の夜例会に参加され、その際も色々と話をさせていただきましたので、急なご病気によるものと聞いていますが、ただただ残念でなりません。

私にとって、西谷先生は、当クラブで最も親しくさせていただいた方の一人なのですが、それには2つの理由があると思っています。

私は函館ラ・サールの出身ですので、同級生には北大医学部に進学した方もおり(しかも、1年間、4人部屋で過ごした仲間でした)、そこに入学できる人というのが、どれほど凄まじい才覚を持ち圧倒的な努力を重ねているか、若干ながら体感として知っているつもりです。

私も、学力や業績などの程度は遙かに及びませんが、学問で身を立てた人間のはしくれであり、また、盛岡の出身ではない点でも共通点があることから、「先祖の代から盛岡で暮らし、代々或いは何十年もこの街で重責を担ったご一家の当主」の方が珍しくない当クラブでは、西谷先生にとっても地元出身ではない私に対し他の会員の方々とは違った親しみを感じていただいた面はあったかもしれません。

また、私は幼少期に大人に囲まれて育ち、同世代の面々より両親の周囲にいた大人の人達と一緒に過ごす方が居心地がよかったせいか、今もその感覚をひきずっており、同世代よりも親子ほども年の離れた方々の方が、なぜか親しくなりやすい傾向があります。

恐らく、私にとって父が人生のロールモデルではなかった(実家を出ていくほかない身であり、幼少期の父との人間関係も希薄だった)ため、その役割を担って下さる様々な大人との関わりに飢えがあったからだと思っており、私が西谷先生と親しくさせていただいたのも、何某かの「父性」を西谷先生に求めた面があったからなのかもしれないと感じています。

ともあれ「つい先日まで一緒に酒杯を交わして盛り上がった方」が急逝してしまう経験自体、私にとってほとんど初めてではないかとも思われ、まだ現実を受け入れることができないというのが正直なところです。

ところで、以前は、どこの小社会にも「組織のあるべき姿や理念を大所高所から論ずるご意見番的な御大」がおられましたが(岩手弁護士会なら、故・菅原瞳先生でしょうか)、西谷先生は、当クラブでは、その代表格のお一人だと認識しています。

西谷先生と重鎮論客の双璧をなし、私にとってはもう一人の「当クラブでの父親代わり」と言うべきSさんも、ご病気を理由に先般、RCを引退されてしまうなど、盛岡北RCにとっては「一つの時代が終わった」と評さざるを得ない状態が、ここ半年~1年ほど続いているように感じます。

そうした「父親世代のご意見番」の喪失(ひいてはRC全体の退潮)の中、当クラブがどうなってしまうのか(単なる親睦団体の類としてしか存続できないのか、それとも世界とつながる・世界に通じる高邁な理念なるものを自分達の不可欠な要素として保持・実践できるのか)、今の私には全く分かりません。

ただ、折り返し地点を過ぎてかなり経過しながら、相変わらず社会全体との関係では無為の日々を送る私に「それでいいのか?」と何らかの問いかけがなされているのかもしれないと、そのことには絶えず向き合っていきたいと感じています。

西谷先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

企業倒産の実務と経営者保証ガイドライン(盛岡北RC卓話)

先日、盛岡北RCの卓話を担当したので、時勢も踏まえ、企業倒産の実務を取り上げることにしました。

金融機関以外にはほとんど負債のない事業者であれば、経営者保証ガイドラインにより破産よりも遙かに良好な解決を得やすいのですが、世間一般には知られていませんので、同GLに力点を置いた説明にしました。

卓話で用いた事例とレジュメの目次を掲載しますので、事業者の方などは参考にしていただければ幸いです。

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小問1 

岩手県内で物販業(一般向けの生活用品の販売等)を営むA社の代表取締役Bは、長年に亘りA社の営業不振が続き、日々の運転資金の支払も銀行借入や各種債務の延滞などをしなければ困難な状況に陥り、現状では営業の継続は不可能と考えた。A社は、銀行3社(岩銀、北銀、みずほ銀)に計1億円(岩5000万円、北3000万円、み2000万円)、取引先20社に未払買掛金計2000万円(最大500万円、最小10万円)、未払公租公課(税金、社保料など)4庁・計500万円の債務があり、賃金も2ヶ月分・従業員10名計400万円が未払となっている。

他方、現時点の資産は、手持ち現金が50万円、未収売掛金が10箇所計300万円、商品在庫などが多数(定価どおりに販売できれば1000万円以上だが、販売目処の立たない老朽在庫も多い)となっている。

Bは、銀行3社(1億)と取引先も4社ほど(800万円)、連帯保証している。

A及びBの債務問題を解決するため現実的に可能な法的手続は何か、法的手続の概要や、受任弁護士が特に検討・対応すべき課題などを説明しなさい。

小問2

岩手県内で飲食店を営むC社の代表取締役Dは、先般から社会で生じた問題により数ヶ月売上の急減が続き、手持ち資金に余裕があるうちに、経営継続を断念することとした。Cの債務は、金融機関2社に計5000万円(東銀3000万円、公庫2000万円。D保証付き)のほかは、20万円以下の小口の買掛が数件あるのみである。他方、Cの営業資産は限られたものしかないが、現在300万円の現預金がある。Dは預金300万円のほか、数年前から住宅ローン返済中の自宅があり、Dは近々転職し給与収入で住宅ローンの支払を続けたい希望である。

C及びDにとって最も賢明な「店じまい」を実現するための法的手段は何か。また、実現にあたって特に検討すべき点を説明しなさい。

【目次】

第1 様々な債務を抱えながら資金枯渇した企業の倒産処理
1 企業の債務整理・倒産処理に関する法的制度
2 個人の債務整理・倒産処理に関する法的制度(参考)
3 東日本大震災で被害を受けた企業等を対象とする特例的な救済手続
4 新型ウイルス禍に伴う支援制度の紹介例や弁護士会等の取組み等

第2 小問1 多額・多様な債務を負う一方、現預金が足りない企業の場合
1 A社の手続の選択と初動対応
2 破産手続(申立後)の一般的な流れ
3 Bの手続

第3 小問2 ほぼ金融機関の債務だけの小規模事業者が早期撤退する場合
1 C及びDの置かれた状況と方針選択
2 経営者保証GLスキームに基づく会社債務の整理(換価・弁済)
3 経営者保証GLスキームに基づく保証債務の整理

第4 結語
かつてのように「生命保険で支払う」などは絶対にしない・させない

********

以上の内容について、ご自身(の所属団体など)で話を聞いてみたいという方がおられれば、ご遠慮なくお声がけください。

おらほのホープ?とトホホのロータリー聖地巡礼

7月にロータリークラブ岩手・宮城地区の会報に当クラブの「ホープ」という名目?で、私の紹介記事を載せていただきました。なお、写真が8年前の撮影であることは口が裂けても言えません。

いつも厳しくご指導いただいている吉田前会長は本当は「いつも例会に遅れて来る困った奴だ」と書きたかったかもしれませんが、ぐっと堪えていただき?記事では過分なお言葉を賜りました。

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だからというわけではありませんが、今年の夏は、とある事情で静岡県長泉町にある「クレマチスの丘」に行くことになったので、同じ町内にある、ロータリーの日本における創設者を顕彰した「米山梅吉記念館」にも立ち寄ることにしました。

で、やけに広い駐車場に入り、今まさに全国のロータリアンに「聖地巡礼しましたよ。羨ましいでしょう!」と高らかに自慢しようと入口に向かったところ・・・

なんということでしょう。

まさかのお盆休館(それも、かなり長い)で、やむなく、敷地内にあった「ポール・ハリス(RC創設者)の記念樹」と隣の「こども図書館」(こちらは開館してました)だけチラ見して、その場を後にしました。

しかし、このご時世、普通の平日に、全国から暇なおじいちゃん・・・もとい、真面目な会員さんが大型バスに乗って大量にやってくるということも滅多にないのでは、それよりも盆正月に静岡東部を旅行するロータリアンが、折角だからと立ち寄りたいニーズはそれなりにあるはずで、そうしたニーズに応えるため、盆正月も「人員を減らすなど経費をかけずに簡易な形態で開館する」ことが望ましいのでは(少なくとも、閑散期の平日に開館するよりもマシでは?)と思わざるを得ません。

昔、正月シーズンに浜松城や長篠の設楽原歴史資料館を訪れたときも同じ感想を抱きましたが、多くの関係者の方に考えていただきたいものです。

ともあれ、クレマチスの丘では、象徴的な存在というべき彫刻美術館や井上靖文学館、ベルナール・ビュフェの美術館、写真美術館などを廻りました。

今は小説を(司馬遼作品を除き)ほとんど読まない私ですが、学生時代に井上作品は多少は読んでおり、それらを出鱈目に組み合わせて

しろばんば風林火山の氷壁は淀の甍を巡る衆星

などと軽口を叩きつつ昔を懐かしんだりもしました。

彫刻美術館には隣に高級レストランがあり、軽口ついでに

一事がヴァンジの美術館 隣はサンジのレストランかな

と、つまらぬことを呟きながら彫刻と庭園を満喫した後、三島の楽寿園に立ち寄って、小旅行を終えました。

後日、この話をfacebookに載せたところ、紫波のご出身の方から、米山梅吉が紫波の彦部開拓にも尽力したとのお話をいただきました。

三井報恩会の彦部開拓は昔に新聞で読んだ記憶がありますが、米山梅吉の関与は存じておらず、三井財閥の事業なので言われてみれば納得ですが、そうした点から物事の繋がりを考えてみるのも興味深いと思いました。

任意団体(権利能力なき社団)が自治体から借りて管理する緑地で生じた事故における法律問題~盛岡北RC卓話から~

私が所属する盛岡北ロータリークラブでは、各会員が年1回、20分ほどの卓話(スピーチ)を担当することとなっており、先日がその担当日でした。

ちょうど、その少し前の役員会で、当クラブが盛岡市から土地を借りて植樹し管理している「どんぐりの森」について話題になったため、万が一のリスクもありますよ、と余計なこと?を言ってみたくなり、以下のとおり「どんぐりの森で大事故が発生した場合のクラブや関係者の賠償責任如何」という設問を作成して、簡単ながら解説しました。

奥入瀬渓流国賠訴訟判決のアレンジという面もありますが、権利能力なき社団たる任意団体で賠償問題が生じた場合に広くあてはまる法的論点について取り上げた面もあり、それなりに参照価値があるかもしれません。

盛岡西北クラブの某大物ロータリアンの方に倣って「似たような話を皆さんのクラブの事業バージョンで聞いてみたい方は、卓話に呼んで下さい」と宣伝してみたい気もしないこともありませんが、「そんな縁起でもない話はイヤだ」とお叱りをうけるのが関の山かもしれません。

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盛岡北RC(以下「当クラブ」という。)が管理している「どんぐりの森」で、次の事態が生じた場合に、被害者は当クラブやその関係者(役員や一般会員など)或いは盛岡市などに賠償請求をはじめとする法的責任を追及したいと考えている。誰がどのような責任を負うか、説明しなさい。

(1) 近所の高校生Aが、当クラブに断りなく敷地内でバーベキューを始めたところ、Aの火の不始末により森が燃え上がり隣接するBの自宅に延焼して全焼し、逃げ遅れたBが死亡した。そのため遺族Cが賠償請求を希望している。

(2) 近所の小学生Dが、当クラブに断りなく「森」を散策中、植栽されていた木(遊歩道状に設置された通路に面するもの)が突如、倒れてDに衝突し、Dは脳挫傷など重大な傷害を負い、治療の終了後(症状固定後)も常時介護を要する全身麻痺(自賠責保険における後遺障害1級相当)などの障害が残存した。

事故後の調査でその立木の根本が遅くとも半年以上前から腐っており、強風や地震など一定の外力が加わるなどすれば倒木のおそれがあったことが判明したが、そのことを調査、指摘するという作業は当クラブ内ではなされていなかった。

(3) 当クラブが「森」の入口に設置している看板が、「100年に一度の大型台風」と報道された異常な強風のため杭から外れて近所のE社の事務所に衝突し、E社の建物を損壊したほか、相当の期間、E社の営業を困難にさせる被害を生じさせた。被害発生後の調査では、特に杭の腐食などの問題は確認されなかった。

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(レジュメの項目)

第1 ロータリークラブが管理する施設で賠償問題が生じた場合の法的主体(誰が義務を負うか)について
 1 ロータリークラブという団体の法的性格と賠償問題が生じた場合の権利義務の主体
 (1) 団体の法的性格
 (2) 団体の債務に関する構成員個人の責任
 (3) 団体の責任者、問題を起こした担当者などの賠償責任
 2 民事上の賠償以外の法的責任(刑事責任)

第2 小問(1) 失火と延焼に関する賠償問題
 1 A及びその親権者のB・Cに対する賠償責任
 2 当クラブのB・Cに対する賠償責任
 3 当クラブの会員個人(会長、担当委員長、一般会員など)のB・Cへの賠償責任
 4 盛岡市のB・Cに対する賠償責任
 5 B・Cの損害について

第3 小問(2) 施設内の立木に起因する被害に関する賠償問題
 1 当クラブのD(及び親権者)に対する賠償責任
 2 会員個人の責任、盛岡市の責任
 3 Dらの損害

第4 小問(3) 施設内の設備に起因する被害に関する賠償問題

第5 まとめ(予防策とおまけ)

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事故で賠償問題が生じた場合の対策ですので、当然ながら損害保険(賠償責任保険)への加入が望ましいという「まとめ」になるため、我ながら損保会社の回し者じゃないかなどと思ってしまいます。

反面、それならそれで、いっそ損保各社におかれては「我が社の保険商品の販売促進のため、その商品の出番になるような事例を作ってミニ講義をして欲しい」とのご依頼があれば、大歓迎という気持ちもないわけではありません。

が、よくよく考えると多くの会社さんが「交通事故などの賠償請求の相手方(当方が被害者代理人)」になっているため、残念ながら利益相反のため断念、という感じになってしまいそうです。

女子高の夏のみやげは

半年前の話ですが、岩手女子高に少しだけお邪魔してきました。

もちろん不審者の類ではなく、岩手女子高が私の所属する盛岡北ロータリークラブの「インターアクトクラブ」になっており(相互交流の協定のようなもの)、私が担当委員長を拝命している関係で、会長さんから「学園祭の招待状が来たので付き合え」とお達しを受け、伺った次第です。

といっても、当クラブのため特別に作成した招待状ではなく同校と何らかの繋がりのある方々に向けて広く配布したもので、お邪魔した際も、引率があるわけではなく学園祭を自由にご覧下さいね、という形でしたので、インターアクトクラブの運営主体である「JRCクラブ」さんの活動発表に関する部屋を拝見し、お茶コーナーの1杯無料券をいただいたあとは、ほどなくお暇させていただきました。

私は、現在では女子高はもちろん学校の類に立ち入ることはほとんどありませんが、東京の勤務時代(H12~13頃)、東京弁護士会の有志が行っていた「中学・高校に出張して学校の授業で模擬裁判を行う(設営・指導する)企画」に加わり、何度か都内の高校にお邪魔したことがあります。

もともと元締め役の方が盛岡修習の先輩であったため、折角のご縁ということで加わっただけなのですが、男子校出身者ですので「こんな機会でもきゃ女子高には行けないよ」という勧誘に屈した?面も(激しく)あったかもしれません。

それはさてき、その際は、その元締め先生が作成されたシナリオをもとに、弁護人や検察官を担当する生徒さんとシナリオに記載された尋問事項をどのようにアレンジし被告人役に話して貰うか(追い詰めるか)を話し合ったり、新シナリオ作成チームに参加して議論や作業をしたこともあり、色々と懐かしい思い出となっています。

岩手に戻ってからは、私の多忙さや出不精などのため岩手弁護士会のその種の企画に加わる(誘われる)こともなく、高校にお邪魔したのは約15年ぶりのことでした。といっても、学園祭の様子を少し拝見しただけですので、「訪問」というほどのことでもありませんが・・

ロータリーの「インターアクトクラブ」という制度は、社会奉仕活動を目的とした特定の学校(中学・高校)の活動を特定のロータリークラブが支援し交流する(そのことによりロータリーとして青少年奉仕を行う)ことを目的ないし理念としているようですが、当クラブに関しては、年末のクリスマス会(例会場であるホテルニューウィングでの会食)に招待し、出し物(歌など)を披露いただくという程度の関わりに止まっているように思われ、そのままでよいのかと残念に思うところはあります。

現在の若年者は、核家族化などの影響で、昔に比べて地域の様々な大人達と接して様々な考え方などを学ぶ機会が乏しくなっており、そのことが、若年層が犠牲になる一部の残念な事件や社会現象の背景にあると考えます。

ロータリー会員の大半は、地域内の相応の規模の企業を長年に亘り真面目に経営してきた方々ですので、1年に1回程度(せいぜい1~2時間程度)でも、生徒さんが有志を募り各人の希望に応じて会員企業などを訪問し様々な仕事の有り様や背中を学ぶ機会があってもよいのでは、と思わないでもありません。

岩手女子高の生徒さんは看護や介護の道に進む方が多いとのことで、弁護士の話を聞きたいという人はほとんどいないでしょうが(何年も前に、法律実務家を目指しているという盛岡一高の生徒さんから、授業の一貫として職場訪問の要請を受けたことはあります)、4年後?には、高校で「現代社会」に代えて「公共」なる必修科目を設けるそうなので、法律や裁判の実情などについて実務家の話を聞いて学ぶ機会があってもよいのでは、などと思わないでもありません。

まあ、私自身にその準備のため汗をかけと言われると、日々の仕事等に追われて・・というのが恥ずかしい現実ではありますが。

ところで、その日の訪問は往路は概ね好天だったので事務所から自転車で赴いたのですが(予報も一日晴天)、見学中にどしゃ降りとなり、やむなく、会長さんと15分ほど玄関で時間つぶしをしたものの、止む気配がないということで、仕方なく雨天のまま自転車で帰宅しました。

で、お約束どおりというか、帰宅直後に雨が止んで晴天となりましたが、私の精進が足りないのでバケツの水でも被って出直しなさいとの見えざる力が働いたのかもしれません。そんなわけで一句。

女子高の夏のみやげは どしゃぶり刑

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