北奥法律事務所

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穢れ思想

残念な勇者たちと社会の責務

先日、某行政機関が設営した無料相談行事の担当として従事してきました。

この種の相談会では常に経験することなのですが、今回も、次のような相談者の方が幾人かおられ、傭兵稼業というべき弁護士としては、残念に感じてしまいます。

自分の要望に相手が応じてくれず、困っている。ただ、自分では相手に言いたくない(ので、弁護士から申入をして欲しい)。といっても、(相談者の説明に基づく見立てとして)相手方は、弁護士(たる私)が言えば、すぐに従うような御仁でもない。でも、裁判等はやりたく(頼みたく)ない。」

このようなご相談は、いわば、RPGの主人公が武器屋や傭兵斡旋所にやってきて「町を荒らし人々を苦しめるドラゴンを倒したい。でも、武器も買いたくないし傭兵を頼みたくもない。まして、自分が死地に赴くなんて真っ平御免。そこで、貴方がドラゴンに洞窟の奥深くで眠ってろと言えば、ドラゴンは従うのではないかと僕は思うんだけど、どうですか。」と言っているようなものというほかありません。

町弁の多くが経験していることでしょうが、行政機関が開催する無料相談では、そうした勇者たちにお会いすることがとても多く、残念に感じています。

数年前、法教育というものが流行って、今は下火になっているように感じますが、上記の文脈で言えば、「国民各人が、暴れるドラゴンと対峙した場合に、戦士や魔法使いを従えてドラゴンを倒す(悔い改めさせる)ことができる、本物の勇者になるための教育」こそが、本当の法教育(主権者教育)というべきだと思っています。

しかし、当時も今も、そうした話はあまり聞くことはなく、その点は残念に感じます(冒頭の「残念な相談者」は高齢の方が多いので、「教育」を持ち出すのが適切かという問題はあるかもしれませんが)。

人は戦いを止めることはできないし、人であるがゆえに、理不尽に直面したのであれば、闘うことを止めるべきでもない。しかし、殺し合うこと、「暴力」という手段の利用は止めなければならない。

だからこそ、代替(殺戮の時代に戻らないための装置)として、法(武器)と弁護士(傭兵)、そして闘う場(裁判)があるわけですが、今も、そうした認識が国民的に共有されているかと言えば、そうでもないと感じており、そうした認識を広く共有いただくと共に、各人がより良く闘うための土台作りについて様々な方にご尽力いただければと思っています。

以前、日弁連が、「僕達って、いつもニコニコ、とっても親しみやすいんだよね~あはは~」ムード全開のCMを流して、業界内で酷評されたことがありましたが、私の経験ないし感覚として、世間様は、弁護士は傭兵だと思っている(傭兵として役に立つ範囲で必要としている)というのが率直な印象です(だからこそ、我々への依頼は、「立てる」とか「雇う」などと、供給サイドとしてはあまり嬉しくない言葉で形容されることが多いのだと思います)。

どうせCMなどをするのなら、「真っ当な闘い(の補佐というサービス)を必要としているが、勇気などの不足から闘いに踏み出せないでいる消費者(国民)」に、「良質な傭兵」としての弁護士が、闘う気持ちを鼓舞するようなCMをこそ、流していただきたいと思っています。

その上で、個々の弁護士が、傭兵(戦士)としての個性や特色を各人の方法でPRし、消費者が、自身のニーズに適合する選択と適切な闘争をするという文化が形成されていけばよいのではと思います。

(追記 10.20)
冒頭の相談者の方のような発言を改めて振り返ると、そこには、裁判等(法的闘争)を忌避する「ケガレ思想」のようなものがあるのではと感じたり、「弁護士が申入をすれば、相手方はすぐ従うんじゃないか」といった下りは、一種の言霊信仰(自分で行う申入には(すでに不奏功になっているので)言霊の力はないが、弁護士にはそうした力があるのはないかとの思想)があるのではと感じたりもします。

そのように考えると、日弁連の「ニコニコCM」も、そうした「日本人の残念?な法意識」という現実を見据えた対策という面もあるのかもしれませんし(実際に企画された方に、そこまで深謀遠慮があるかどうかは分かりませんが)、上記に述べたことも、そうしたことまで視野に入れないと、何をやっても奏功しないということも、あるのかもしれません。