北奥法律事務所

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花巻

あらえびすと利き酒の旅

先日、花巻の台温泉に宿泊に行きました。というわけで、とりあえず一首。

利き酒と「美味い!」が恋しくなったなら
おでんせ岩手、湯気香る宿

南部美人もあるよ(by田中要次氏)

宿では、南部美人をはじめ合計7種類の日本酒を1杯ずつ振る舞う利き酒セットが提供されていました。

酒自体の味の違いもさることながら、食べ物により個々の酒との相性が全く違うので、種類の豊富な利き酒セットは大変ありがたく、このようなスタイルは全国の温泉宿にもぜひ普及させていただければと思いました。

岩手に戻って20年近くになりますが、家族と県内の宿に宿泊するのは初めて、宿泊自体、JC入会直後からご無沙汰で、たぶん、15年以上ぶり。

これが田舎のしがない町弁の現実です。

県民割の終了?前に一度はと思って来ましたが、長期の深刻な家庭内債務を抱えていますので(婚費や養育費ではありません。念のため)、次はいつになることやらです。

そういうわけで、囲炉裏に落とした陶板焼のタマネギも、シャリシャリジャリジャリと、美味しくいただきました。ケチでビンボーって、そういうことさ。

まあ、美味しさも砂を噛む思いも経験する人生となったのかもしれませんが。

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帰路は雨天のため遠出を避け、野村胡堂・あらえびす記念館に立ち寄り、帰宅しました。

私が平成16年に当事務所の名称を決めたとき、もう一つの有力候補は

あらえびす法律事務所

でした。

が、諸々の理由のほか、野村胡堂作品を読んだことがなく、私にとっての必然さも薄いと感じ、採用することなく終わりました。

もし、あのとき岩手に戻らず東京で生きることにしたなら、偉大な先人にあやかり、都会で蝦夷精神を打ち立てるとのコンセプトで、この名称を掲げたかもしれません。

その場合、銭形平次などに親しんだ世代の都会の方々に広くご依頼いただけるなどということも、ありえたのかもしれませんね。事前に「捕物帖」を必死で読まなければならないでしょうが・・

記念館の展示自体は、故人の生涯や遺品などの解説が中心の真面目な内容ですが、できれば、ギネス級の長編といわれる著名な娯楽作品を世に送り出した方にふさわしい、遊び心ある設営もあって良いのではと思いました。

例えば、がらっパチが「親分、てぇへんだ!」と叫びかける形で、作品で取り上げられた事件を来場者に向かって説明し謎解きなどを促して、インチキなしで正解した人には何か特典が出るとか、何らかのエンタメ要素があれば良いかもしれません。

今どきの人々は、銭形平次そのものに馴染みがないので、モンキーパンチ氏の協力を得て、警部にも登場して貰ってよいのではと思いますし。

ともあれ、紫波エリアにお立ち寄りの方は、こちらにも足を運んでいただければ幸いです。

あと、花巻の羅須地人協会は、現在の状況ではウイルス禍は休業の理由にならないように思いますので、速やかに再開いただければ幸いです。

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余談ながら、本日の「盛岡どんぱ」なる大曲系ミニ花火大会がありました。

帰宅した直後に花火は終了し
事務所バガスカ 音だけドンパ

・・・と思ったら、30分後になって突如、再開し、遠くから若干は拝見できました。

賢治に献じる花のうた

今年は、桜の季節に遠方に赴くだけの余力がないとのことで、やむなく紫波の城山公園と花巻市周辺を少しだけ訪ねました。

最初に向かった城山公園では大渋滞に遭いましたが、ピーク日だけあって、十分に見応えがありました。ただ、この日は曇天気味だったので、「桜は晴天に限る派」の私としては、少し残念に思いました。

次に、4号線を南下して花巻に行き、花巻城址の桜を車内からチラ見した後、同行者の要求によりマルカン百貨店の大食堂で一休みし、その後、いわゆるイギリス海岸(北上河畔)付近に約10年ぶりくらいに行きました。

雪解けの季節ですので、当然ながら今回も「海岸」を見ることはできませんでしたが、隣接する公園や堤防に桜並木が整備されており、その点は見応えがあって幸いでした。そんなわけで、毎度の一首。

日高見のケルトの浜は見えねども 献じて偲ぶ桜ひとひら

余談ながら、先日読んだ松木武彦「縄文とケルト」(ちくま新書)では、縄文文化(遺跡群)とイギリス各地に点在するストーンヘンジなどの古代遺跡群で確認される古代ケルトの文化には共通する文化的・精神的な要素があるなどと書かれており、賢治のまなざしは、そうしたことも見据えていたのだろうかと考えてみるのもまた、良いのではないかと思います。

ところで、私が花巻に来た本当の目的は、花巻城址(鳥谷ヶ崎公園)の桜をきちんと見るというものでしたが、公園の駐車場がどこにあるのか分からず、周辺をウロウロしているうちに疲れてマルカンに向かってしまったという体たらくでした。

今調べたところ、この公園には(ある意味、信じがたいことに)専用の駐車場がないとのことで、要するに隣接するヨーカドーの駐車場を使って下さい(その代わり、タダ駐車はよろしくないので、帰りに何か買って帰って下さい)ということなのだろう、と思わずにはいられませんでした。

九戸城址を筆頭に城址大好き人間ですので、数年前に花巻支部に出頭した際も鳥谷ヶ崎公園に行こうとしたものの駐車場が分からず諦めて帰ったことがあり、次回の出頭の際には時間を確保して、上記のパターンで必ず公園に行こう(でも、やっぱり桜の時期に行きたかった・・)と思いを新たにした次第です。

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天母山と賢治の魂

例年、正月には妻の実家がある遠方の某県に帰省し、義父の車両を拝借して自動車で行動可能な圏内に小旅行をするのが通例になっています。今回は平成24年に富士宮市の天母山公園を訪ねた件に触れたいと思います。

富士宮市の北部(富士山麓)に「天母山(あんもやま)公園」という地元民の憩いスポットがあります。公園自体は丘の上にある桜が植樹された広場と遊具群といった一般的な公園なのですが、この公園に隣接して「天母山法華道場」なる法華宗の一流派の寺院があり、溶岩が固まったゴツゴツした石で作った仏像や灯籠、狛犬?などが並んでいます。

写真を添付できないのが残念ですが、溶岩石で出来た石灯籠などは一見すると、おどろおどろしい風情があり、それだけを見ると恐怖寺院のような印象です(関心のある方は「天母山」で検索して写真をご覧下さい)。

無論、他の庭園や寺院の建物は至って普通・簡素なもので幽霊屋敷の類ではありませんが、溶岩石の石灯籠などはオバケ屋敷を作りたい方には参考価値が大きいと思われます。

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天母山の山頂付近に、奇石博物館という奇石や鉱物をテーマとするユニークな私設博物館があります。館内では様々な鉱物のほか糞の化石などが展示、販売されているのですが、「石っこ賢さん」こと宮沢賢治の業績を展示するコーナーがあり、賢治が採取した岩手県内の鉱物も多く展示されています。
http://www.kiseki-jp.com/

岩手県民なら「下の畑に居ります」は聞き飽きた?セリフですが、ここでは同じような看板に「イギリス海岸に石を採りに行ってます」と専門的な言葉で書かれたものが掲示されています。賢治ファンに限らず、岩手人には一見の価値があると思います。

ところで、冒頭の「天母山法華道場」について検索したところ、国柱会という法華宗の在家宗徒団体が、明治期に建立したという記事が出てきたのですが、この国柱会という団体(宗教・政治結社)は石原完爾ら国粋主義のエリート陸軍軍人に影響を与えたことのほか、宮沢賢治が会員となっていたことで有名です。

ちなみに、「天母山」という地名(山名?)も、もともと富士宮市にあった地名ではなく、法華宗の教義(国立戒壇=祭政一致国家思想)が関わっているようです。ウィキペディア等であれこれ調べていくと、法華宗の教義の中に国立戒壇の聖地(祭政一致国家の総本山とでも言う意味?)を富士山麓の天母山に建立すべきだという説があるようで(通説ではないようですが)、これが、この山の命名に関係していると推測されます。

天母山公園の成り立ちを説明するサイト(公的なものではない)を見ると、創価学会が周辺地を買い占めていたものの、ある時期にそれを断念?して、市に寄付したと記しているものがありました。

創価学会は国立戒壇思想を巡って過去に批判(他勢力からの攻撃)を受け、国立戒壇思想を放棄したという類の記事も見受けられるため、もしかすると、創価学会はその思想に基づき一旦は天母山周辺の土地の買収を図ったが途中でその思想を放棄し、その証として買収地を市に寄付したということなのかもしれません。

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もちろん、実際の(現在の)天母山公園の周辺には宗教論争の類を感じさせる光景は微塵もなく、丘の上に植樹された桜や遊具が並んでいる、ごくありふれた公園の様相を呈しています。

また、奇石博物館は法華宗とは何の関係もなく、別の経緯でこの場所に建設されており(館員の方に「天母山」の由来をお尋ねした際も、まったく不明とのことでした)、賢治が取り上げられていたのも賢治が鉱物の専門家であったことによるもので、宗教的な事柄とは何の関係もありません(奇石博物館自体、何らの宗教色も見受けられません)。

ただ、天母山という富士宮市でも対外的知名度の高くはないスポットの中に「法華宗(国柱会)」と「鉱物」という賢治が短い生涯の中で大きく関わりを持った事柄に縁のある施設が複数存在していることについては、岩手人としては感慨深いものを抱かずにはいられません。

或いは、天母山には「世界全体の平和と幸福(軍国主義者が悪用する以前の本来の意味での「八紘一宇」)」を求めた賢治の魂の一部が眠っているのかもしれません。

富士宮市と言えば、多くの日本人には焼きそばと白糸の滝等の著名な観光スポットが連想されるのでしょうが、ガイドブックでは触れられない意外なところに深い話が潜んでいるということで、関心をお持ちの方は、ぜひ訪ねていただいたり、これを機に、岩手と富士宮市との交流を図っていただければと思っています。

蛇足ですが、天母山のことを最初に妻に聞いた際「昔、天母という鉱物が採れたから、そこに博物館を作ったのか?」と思ったので、館員の方に質問したところ、「何を言っているのか?」と怪訝な反応されました。

そのため帰宅後に検索したところ「天母」と「雲母」を取り違えていたことが判明し、天母の由来を知りたくて色々と調べたところ上記の話が分かってきたという次第です。

ただ、wikiや個人の方が開設したサイトなどが元ネタになっており、正確性には多少のリスクがあるかもしれませんので、その点はご留意下さい。

(今回の投稿はH24に旧HPに掲載したものの再掲です)