北奥法律事務所

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過失相殺

自転車のヘルメット未着用に伴う過失相殺の相場観と各人の役割

本日のモーニングショーで、自転車のヘルメット着用の努力義務化が取り上げられており、交通事故に詳しいという弁護士さんの「過失相殺の可能性あり、最大で2割」とのフリップが表示され、玉川さんがそれに同調する形で、ヘルメットは義務化すべきだ!と高らかに仰っていました。

が、膨大な交通事故事案に従事してきた弁護士として、この「弁護士さんのコメント」が一人歩きすることに疑義を感じざるを得ません。

ヘルメットの着用は、要するに、被害者が事故に遭った際に自身に生じる被害を軽減するための措置であり、シートベルト着用に類するものと言えます。

この点、被害者がシートベルト不着用という事案は昔からあり(近時はほとんど聞かなくなりましたが)私が東京時代に経験した例も含め、多くの事案では過失割合を1割とし、特殊な事情があれば増減させるのが通例と認識しています(さきほどWeb検索しましたが、他の弁護士さん達も裁判例を引用するなどして同様の認識を示しています)。

シートベルトの着用は道路交通法上の義務であり、上記の議論も、当時から明確に義務化されていた運転席や助手席の不着用を前提とした議論で間違いないはずです。

よって、法律上の義務を遵守していなかった場合でさえ原則1割の過失相殺とされているのに、現時点で努力義務に止まるヘルメット不着用が、それ(1割)を超える過失相殺を裁判所が認めるはずもなく、一般的な自転車でごく通常の走行態様であったのなら、現時点ではゼロ割とする可能性も高いと思います(せいぜい5%ではないか、というのが私の感覚です)。

というわけで、この番組に便乗して加害者損保から過大な割合を主張された被害者の方は、ぜひ当事務所までご相談下さい(笑?)。

また、任意保険の被保険者であれば、2割(最大4割?)程度までなら、過失相殺部分は人身傷害補償保険で大半がカバーされるはずですので、その点もご留意・ご安心下さい。

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ただ、何年も前から通常とは異なる事故リスクが指摘され現にヘルメット着用が当然視されているツーリング等に用いるスポーツタイプの自転車や、転倒時の被害等が大きくなりやすい電気自動車なら、通常とは異なる防護義務(損害拡大防止義務)が認められるべきとして、1~2割の過失相殺もありうるとは思います。

そもそも、それらの自転車については、現時点で基本的に着用を義務化しても国民から不満の声はあがらないと思いますし。

私は現時点でヘルメット着用の必要性をほとんど感じておらず、少なくとも強制は望ましくないと感じている立場ですが(高齢等になれば必要と感じるのでしょう)、どうしても義務化させたいというのなら、自転車の類型や事故態様・年齢など様々な要素に即して現在の実情(事故リスクや着用の必要性)について実証的な議論を行った上で、国民の判断を求めていただきたいです。

でないと憲法訴訟になるでしょうし、それだけに、権力抑止的なスタンスの?玉川さんが義務ありきと声高に仰るのには少し残念な感じもします。

というわけで、法律が絡む話題を取り上げるときは、さりげなくでも構いませんので実情に即した丁寧な説明をしていただきたいなぁと思いますし、こうした番組展開を見ていると、「ジャニーズ会見の件をワイドショーが無視するのは間違いじゃないか(そちら=性被害問題を真剣に取り上げるべきでは)」という2nnの記事に共感せざるを得ないと思ってしまいます。

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以上の内容をFBで投稿したところ、他の方から「自転車の運転を免許制にして欲しい、危険運転を処罰して欲しい」とのコメントをいただきました。

自転車一律の免許制は難しいと思いますが、走行態様規制などに関しては、処罰云々はさておき、県や市で地域ごとのルールを条例で決めることが、ある程度、自由にできてよいのではと思われます。

有志の皆さんで議論いただき、今度の県市双方の首長選や県市議選などで候補者の方々に働きかけていただければ幸いです。

物損事故に関する賠償問題の実情と任意保険の義務化の必要性

半年前の話で恐縮ですが、モーニングショーで、「幹線道路を直進する車両と路外施設から進入した車両との衝突事故における賠償問題」を取り上げおり、この種の事柄は当方も日常的に取り扱っているため、興味深く拝見しました。

で、ドライブレコーダー搭載や弁護士費用特約の加入の必要性が強調されていましたが、見落とされている問題が二つあると思っています。

まず、この事故は加害者も任意保険に加入していたため確定した賠償額の支払が得られたようですが、現実には、加害者が任意保険に加入しておらず賠償金の回収が著しく困難になっている案件が少なくありません。

当方も、様々な手法を駆使して回収に至った案件もありますが、それが奏功せず関係者と困難な訴訟を闘うなどして非常に難儀し、1円の回収の目処すら立っていない案件もあるのが実情です。

人身被害には「せめてもの填補」として人身傷害補償特約がありますが、物損に関しては(自身の保険料増額等を覚悟して)ご自身の車両保険を利用するのでない限り、加害者に回収可能な財産等がなければ、いわゆる「泣き寝入り」になるほかありませんし、それを突き止める手段も、現行法では相当な制約があります(これに関して、現在、塗炭の苦労を強いられているのですが、その件はまたの機会に)。

結論として、自動車(という重大な危険物)を利用する者には、全て任意保険の加入を義務化する立法措置が必要だと思っています。

近年の選挙でも「中身があるのか無いのかよく分からない福祉・ウィルス云々対策」以上に、そうした具体的な被害の回復を抜本的に解決する立法論こそが語られるべきではと思っていますが、そのような議論を全く聞くことがなく、残念です。

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もう一つ、この事例では、様々な交渉の末に「進入車9:直進車1」で決着したとのことですが、番組では「この態様で被害者に過失あるのか?」というものとなっており、裁判所の現在の判断傾向そのものの当否が議論の対象になるのだろうかと一瞬期待しました。

かくいう私自身が、被害者から相談を受けた際、そのように言われることが日常茶飯事だからです。

が、玉川さんが「自分が事故に遭った際、「動いている車同士の事故は(追突などの類型を除き)100:0にはならないと言われた(これは業界で必ず言われる定型文句であり、私も毎回言っています)」と述べたあとは、誰も「被害者がかわいそうだ、裁判所が間違っている、ゼロでいいんじゃないか」などと熱弁を振るう方は誰もいませんでした。

(こうしたときこそ一茂氏の暴走に期待したかったのですが、他局ドラマ好き好き発言だけで終わってしまいました)

交通事故実務における過失割合は、裁判所が公表している基準本が実務を支配しており、これに該当する事故類型はすべてそれに従うことになっていますが、今回の事故のように、「動いている車同士の事故」でも被害者に本当に過失があるのか?と感じる事故は相応にあり、立法論による改善(幹線道路などを走行する直進車の優位性の明文化など?)を含めて、国民的な議論があればと思っています。

本当は、刑事事件より、こうした類型の方が裁判員裁判に馴染むのではとも思わないでもありません(司法委員なる方もおられますが、どこまで実効性があるのかよく分かりません)。

交通事故の保険義務化に関しては、以前に自転車の保険義務化について投稿したことがあり、参考にしていただければ幸いです。

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補足ですが、私の経験上は、任意保険に未加入の方の大半が、年齢層を問わず低所得の方です(だからこそ、岩手には多い)。

そのため、任意保険の義務化は、低所得者等に一定の条件を付して任意保険の加入費を助成等する制度などが不可欠だと思っており、可能なら、ふるさと納税などを財源として導入する自治体があれば、「事故に遭っても余所よりも被害回復がされやすい、暮らしやすい町」としてアピールできるのでは、と思っています。

そういう意味では、国政(法律による義務化)だけでなく地方自治体の施策の問題でもあると思います。

「田舎は自動車が不可欠」と言われるからこそ、自動車保険に加入するのが容易でない方々も含め、万一の際に全員が適切に責任を取ることができるような仕組みを構築することが、地方の社会には求められていると考えます。

ところで、この話を半年前にFBで投稿したところ、同業の先生から「自己破産の依頼者には、生命保険や医療保険は解約を促し、自動車の任意保険は絶対加入すること(無保険で事故を起こすと再度の破産が必要になるが免責されない可能性があること)を促している」とのコメントをいただきました。

非常に重要なアドバイスですが、恥ずかしながら当方の定型的な注意事項書には盛り込んでおらず、さっそく参考にさせていただこうと思いました。

ただ、従前に保険加入をしていない方だと、弁護士が言ったから加入するのかという問題はあり、いっそ、裁判所が免責加入を強力に勧告したり(加入を同廃の事実上の要件とするとか)、立法?で自動車保有者には加入を免責の要件とすることも検討されるべきなのかもしれません。

 

交通事故の裁判で被害者が加害者に謝罪の認識を尋ねるのは異議の対象になるのか?

交通事故に基づく損害賠償請求の裁判に関する当事者双方の尋問の際のことについて、狭義の法律論とは違ったところで、少し考えさせられたことがありましたので、そのことについて書きたいと思います。

その件は、交差点内の直進車(当方=原告)と右折車(先方=被告)の事故で、先方には人身被害がなく当方は神経症状を中心に大怪我を負ったため、当方が訴訟提起したという事案です。

この種の事故態様の過失割合は「2:8」が原則(基本割合)ですが、特殊な事情から当方は過失ゼロ(0:10)だと主張していました。

そして、私の主張立証の賜物かどうかはさておき、裁判官からも幸いに同様の和解勧告を受けていたのですが、先方(被告代理人ないし被告側損保)が基本割合でないとイヤだと拒否したため、判決のため尋問を行うこととなったものです。

で、先に原告本人の尋問を行い、休憩を挟んで被告本人の尋問を行ったのですが、主尋問や尋問までの休憩時間などの際、被告から原告に対しお詫びの言葉(挨拶)をするやりとりが全くなかった(休憩中も被告は自身の代理人と談笑し続けていた)ので、それでいいのだろうか、何か被害者の気持ちが置き去りにされていないだろうかという気持ちが涌き上がり、最後に、「改めて原告に詫びる考えはないのですか」と質問しました。

原告から「被告と会ったのは事故の10日後の双方立会の実況見分の場のみで、その後に接触はない(謝罪等は受けていない)」と聞いたこと、被告自身の主尋問の様子でも殊更に原告に敵意を持っているわけではなく自身の不注意のみを淡々と述べているに止まっていた(そのため過失相殺の主張も加害者本人でなく損保側の方針に過ぎないと感じられた)ことも、そうした質問をすべきではと感じた理由の一つでした。

すると、被告代理人が、間髪入れずに「意見を求める質問だからダメだ」と猛然と異議を述べてきました(尋問のルールを知らない方は民事訴訟規則115条を参照)。

私が「現在の謝罪姿勢の有無も慰謝料の斟酌事由にはなるでしょう」と実務家としては今イチな反論を述べると「そんなことはない」などと強烈に抵抗し、こちらも納得いかないので代理人同士はギャーギャー言い合う非常に険悪な雰囲気になったのですが、裁判官が「言いたくなければ言わなくてもいい」と答えたところ、ごく一般的な(悪く言えば通り一遍の)お詫びの言葉があり、私もそれ以上の質問はせず、そこで終了となりました。

結局、結審後に当方が退席する際も被告が当方を呼び止めて挨拶するということはなく、1年半以上を経て再会した加害者が被害者に対しお詫びの言葉を向けるというやりとりは、その一言だけとなりました。

被告代理人が猛然と異議を述べてきた理由は、被告側が過失相殺を主張しているため、「本人が詫びる=当方の無過失を認めたことになる」というイメージがあったのかもしれません(それとも、単純に異議が好きだとか、私個人に含むところがあったのか等、他の理由の有無は分かりません)。

ただ、被告がその場で原告に対し通り一遍のお詫びの言葉を述べたからといって、そのことで過失の有無や程度が定まるわけではなく、争点との関係では、自分で言うのもなんですが、慰謝料額も含めて判決の結果には影響しない、ほとんど意味の無い質問だと思います(だからこそ、相手方代理人はこの種の尋問は放置するのが通例でしょう)。

それでも質問せずにはいられないと思ったのは、1年半以上を経て久しぶりに会った加害者が、長期の入通院などの相応に深刻な損害を与えた被害者に対し、一言のお詫びもする場のないまま法廷(参集の機会)が終わって良いのか、それは、裁判云々以前に人として間違っているのではないか?という気持ちが昂ぶったからでした。

もちろん、私も殊更に被告を糾弾したかったわけではなく、たとえ通り一遍のものでもお詫びの言葉があれば、それだけで被害者としては救われた気持ちになるのではないか(そうした質問を被告や原告の代理人が行って謝罪の場を設けるのは、地味ながらも一種の修復的司法の営みというべきではないのか)という考えに基づくものです。

とりわけ、少なくとも刑事法廷であれば、(通常は被害者が在廷していませんが)加害者=被告人が被害者への謝罪を述べるでしょうから、なおのこと被害者が在廷する場で加害者が一切のお詫びを述べないというのは異様としか思えません(私が加害者代理人なら主尋問の最後に謝罪の認識を簡潔に求める質問をすると思います)。

だからこそ、「謝る気持ちはないのですか(その気持ちがあれば、簡単でも構わないので一言述べて欲しい)」という質問に被告代理人が最初から強硬に拒否的態度を示してきたことに、私としては、加害者代理人が加害者本人に謝るなと言いたいのか?それって人として間違っていないか?と、思わざるを得ませんでした。

もちろん、そうした事柄で糾弾ありきの執拗な質問になった場合は異議の対象になることは当然だと思いますが、私の質問がそのようなものでなかったことは前述のとおりです。

被告代理人としては、ご自身の立場・職責を全うしたということになるのかもしれませんが、東京の修業時代に加害者代理人(某共済の顧問事務所)として多くの事案に携わっていた際、尊敬する先輩に「被害者救済と適正な損害算定のあるべき姿を踏まえて、よりよい負け方をするのが加害者代理人の仕事の仕方だ」と教えられて育った身としては、本件のような「当事者同士は敵対的・感情的な姿勢は示しておらず損保の立場などからこじれたタイプの事件」で被告代理人から上記のような対応があったことに、いささか残念な思いを禁じ得ませんでした。

ともあれ、華々しい法廷技術は優れた弁護士さんに及ばないかもしれませんが、今後も、代理人としての職責をわきまえつつ、そうした地味なところで当事者や事件のあるべき解決の姿について気遣いのできる実務家でありたいと思っています。

ちなみに、その裁判(1審)では尋問後も被告側が和解案を拒否して判決となり、和解案と同じく当方の過失をゼロとし認容額も和解勧告より若干の上乗せになっていました。