北奥法律事務所

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釜石

元祖「美人すぎる歌人」が名付けた美しき洞内滝と、鉄のまちの今昔

しばらく急ぎの起案が山積しブログの更新ができませんでしたが、少し一息ついたので久しぶりに掲載することにしました。

先日、上記と同じ理由で住田町の滝観洞などを見に行きました。滝観洞は19年前に釜石の峠道を越えて訪れたことがあるのですが、現在は釜石道(仙人峠道路)により遠野市街からあっという間にアクセスできました。

滝観洞は「天の岩戸の滝」という美しい洞内滝(日本には観光可能な洞内滝がほとんどなく、日本で最も見応えのある洞内滝と呼んで差し支えないと思います)を目的地(メインスポット)とする洞窟で、他に大きな見所はありませんが、滝までは相当な距離があり、往復で30分~1時間弱を要するものとなっています。

天の岩戸の滝は、戦前の著名な歌人であり明治末~大正期を代表する美人の一人とも称された、歌人・柳原白蓮により命名されたものだそうです。

近年では、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で平成を代表する美人女優の一人・仲間由紀恵氏が準主役として好演を博したと思いますが、その不遇の生い立ちや当時の時代状況に照らして数奇でドラマチックな人生を送ったことなどを踏まえると、白蓮は、どのような思いを込めてこの美しい洞内滝に名前を授けたのか、色々と考えさせられます。

白蓮は、命名にあたり「神代よりかくしおきけむ滝つ瀬の世にあらはるるときこそ来つれ」との歌を詠んだそうですが、或いは、身分の高い家柄の縁者として生まれた女性が様々なものに縛られていた時代に翻弄されつつも自分の気持ちに素直に生きようとした自身の姿を、戦後になって世に出でたこの滝に重ね合わせる面もあったのかもしれません。

というわけで、そんなことを思いつつ一首。

秘められし情が溢れて岩穿ち 人も驚く滝あらはるる

白蓮は啄木とは接点がなかったようですが、もし啄木が長命できれば、当時の人々がもっと自由に、自分の気持ちに沿って生きることができるための何らかの共闘が見られたのかもしれず、その点は少し残念に思いました。

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日本では、ここ以外で観光地化された洞内滝は、浜松市の竜ヶ岩洞(6年前に行きました)くらいではないかと思います。浜松の滝は割と簡単に行けたとの記憶ですが、こちらは、入口で貸与されたヘルメットを被り、ひたすら屈んで向かわなければなりません。そのため、肥満の方には、

滝観洞メタボの君は灰蓮洞

と言わざるを得ないように思われますので、ご注意ください。

滝観洞を拝見したあとは、釜石の鉄の歴史館に行きました。館内は製鉄そのものの歴史や社会での役割などを伝えるコーナーと、橋野から新日鐵住金に至る釜石の鉄の歴史を伝えるコーナーの2つから成り立っており、とりわけ橋野鉄鉱山が世界遺産(の構成資産)に指定されたことで、その点が重点的に取り上げられていました。

屋上からは釜石湾が臨めますが、その光景を遮るように釜石大観音が大きな姿を見せており、大観音がちょうど釜石湾の中央に鎮座していることがよく分かるものとなっています。

釜石大観音の建立は、大戦末期の釜石湾大砲撃(米戦艦群の艦砲射撃と戦闘機の無差別殺戮)で、700人以上の住民等が犠牲になったことへの慰霊という面もあると聞いたことがあるような気がします。

私のような世代は、TV等のせいか大観音が動き出して並み居る米艦群に向かって強力な熱光線を放つ光景を想像してしまいますが、それはさておき、観音像の背中を見ていると平和への祈りの姿を感じることができそうな気もします。

釜石湾 見守り祈る観音像 戦艦倒す砲は無くとも

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その後、釜石市に新たに開設された商業施設に赴いて、ちょうど開催されていた「釜石よいさ」をチラ見しつつ一休みした後、鵜住居地区を経由し橋野に向かいました。

休憩場所で頂戴したパンフレットに鵜住居の根浜海岸の美しい姿が掲載されており、今もこの姿が残っているのかと期待して現地に向かったのですが、やはりというか、残念ながら津波で美しい砂浜は消失していました。

ちょうどワールドカップの競技場が出来上がっていましたが道路などの整備が追いついておらず、迷路のような状態になっていました。

ともあれ、気を取り直して橋野高炉跡に向かったのですが、到着した頃には同行者は全員車内で就寝しており、すでに午後6時近くにもなっていたので、やむなく私一人で駐車場から現地に向かうことにしました。

現地は霧に覆われ、誰一人おらず、静寂な雰囲気に包まれていました。

日が暮れて遺跡も霧に眠るとき熊も狸も車中うたた寝

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その後、笛吹峠を越えて遠野市街を経由して盛岡に戻りましたが、峠の周辺は完全に霧に覆われており、少し前に見た「肘折峠」という不可思議な夢で描かれていた幽界につながる世界を彷彿とさせるものがありました。

ともあれ、皆さんも滝観洞(住田)や釜石エリアを訪れて様々な非日常を体験していただければと思います。

震災から半年後(H23.8)の被災地相談~釜石編~

震災の年(5年前)に沿岸被災地に赴き無料相談に従事した件に関する投稿(旧ブログ)の最後として、平成23年8月に釜石で従事した「多士業連携相談」に関する件を再掲します。

他にも、陸前高田の学校や山田町の公共施設などに赴いたり、秋頃?から陸前高田の高台に弁護士会が設置した臨時相談所の担当などにも従事しましたが、今となっては良くも悪くも懐かしい思い出になってしまいました。

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多士業なんでも相談会と政策災害

この日、釜石市内で行われた「被災者向けの専門家合同相談会」に参加してきました。これは、被災者支援の一環として、県内の各士業や金融、FP(フィナンシャルプランナー)などの業界団体が連携し、複数業種に跨る相談に対応する「ワンストップ相談事業」として7月頃から開始した相談会です。

私は東京時代(8年ほど前)に、東京の士業が連携して行っていた「10士業よろず相談会」に参加したことがあり、ワンストップ型相談の有意性を感じていましたので、ぜひ参加したいということで行ってきた次第です。

実際、会場でも、相続関連の相談の方に関して、最初に担当した私が対象となるご家族の相続スキームや各種留意事項などを説明し、その後、司法書士の方が相続登記の手続等を説明し受任態勢を整え、最後に税理士の方が相続税などについて説明等するという流れを辿ったケースがありました(紛争性のないご相談だったので、私の出番はさしてありませんでしたが)。

ただ、東京の10士業相談の際は、一人の相談者に相談内容に応じて複数の士業が相対して相談に応じる形をとり、相談事項に応じて各士業がそれぞれ質問・説明などを適宜行っていたのに対し、今回は、別々に相談に応じる形になっているので、相談者の方にとっては二度手間になったものもあるかもしれません。

反面、直ちに受任を前提とした相談になる場合などは、受任をする士業者が一人で対応した方が賢明になることもあり、その辺は設営者等に工夫が求められるところかとは思います。

結局、これまでの例と同様、周知不足か供給過多か、最初の3組ほど(1時間)程度で相談者は打ち止めになり、あとは時間を持て余して他の先生と雑談するなどしているうちに終わってしまいました。

岩手に戻った頃は、どの相談会に参加しても定員一杯というのが当たり前でしたが、現在は完全にその逆になっています。今年は震災の影響もあり相談会の種類も量も飛躍的に増えているように感じますが、いずれの企画も効果的な集客の工夫をしていると感じたことはなく、このまま漫然と参加し続けて良いのか、疑問を感じないわけではありません。

相談会の場所が被災を免れた釜石駅付近であったため、帰りの際は釜石市の中心部から警察署まで行き、若干ながら被災状況を視察しました。4月3日以来4ヶ月ぶりの釜石でしたが、中心商店街が多少片づいてきたほかは復旧という言葉にはほど遠く、瓦礫やスクラップ状態の車両などが多く散乱していました。

往路では国道396号ルートを通ったので、帰路は東和から高速道路で盛岡に戻ることにしましたが、恐れていたとおり、盛岡南IC出口で「被災証明書渋滞」の長蛇の列に遭いました。その上、私の前方で渋滞待ちの車両が追突事故を起こし、当事者が車外に出て警察官らとやりとりしていました。

ETCを活用せず人力の書類確認を強いるなどという、大渋滞の発生が容易に見込まれる無料化政策さえ採られなければ、この人達も追突事故を起こしたり被害に遭うこともなかったんだろうな・・と思わずにはいられませんでした。

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最後のネタは、菅内閣が震災対策?として導入した「被災県の高速無料化」のことを指していますが、今思い出しても、どうしてETCを使用させずに人力の書類確認を強いるなどという方法を採用したのか、本当に不思議です。

大渋滞→導入者(菅内閣)への失望の声という展開が容易に予測されたはずなのにその程度のことも分からなかったというのか、それとも菅内閣の倒閣作業の一貫としてわざと諫言せずに行わせていたのか、今も訳が分からないと感じてしまいます。

同様に「多士業相談」も、その後は沿岸であれ内陸であれ県内ではほとんど行われておらず、その点も残念に感じます。