北奥法律事務所

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岩手・北東北など

遠野の水光園から二戸の水光苑への追憶とお尋ね

前回も投稿したGW中の遠野巡りの際、観光名所の一つ、たかむろ水光園に行きました。
https://www.tono-suikouen.jp/
https://tonojikan.jp/kanko/suikoen.php

昭和期に作られた人口池ですが、崖上の浄水場から大量の水が滝となって流れ込み、十分に風光明媚な場所と言えるでしょう。

ところで、水光園に関しては、二戸ゆかりの方々にぜひ伺いたいことがあります。

40年前の二戸をご存知の方ならお分かりかと思いますが、現在の二戸ロイヤルパレスが存在している(先般閉鎖されたそうですが)場所には、当時、「水光苑」と呼ばれた宴会施設がありました。

二戸RC(ロータリークラブ)の例会場などで利用されていたせいか、幼少期の私は何度かお邪魔しており、もし現在も存続していれば、昭和レトロ感満載として見直されていたと思える、味わいのある作りだったような記憶が微かにあります。

この二戸の水光苑ですが、その名のとおり敷地に大きな池があったような気がするのですが、幼少期の微かな記憶のため勘違いの可能性が高く、全く自信がありません。

また、たかむろ水光園が開設された時期は、二戸の水光苑の最盛期とさほど離れていないはずで、双方の接点があるのかも不明です(なお、水光園(苑)で検索すると、全国に幾つかの施設があることが分かりますが、互いの関係性は無さそうです)。

もし、在りし日の水光苑の姿をご存知の方がおられましたら、コメントを頂戴できれば幸いです。

ともあれ、たかむろ水光園の庭園施設自体は、現在はさほど注目されることもないせいか、寂れ感が目立っており、上部の温浴施設の収益でどうにか維持されているのだろうという印象は否めません。

イベントや映画撮影などで活用できそうな古民家群があり、少し傷んでいる雰囲気が、かえって味わいを醸し出しているので、どうにか活かしていただきたいものです。

 

薄く延ばした卵とじの「ひっつみ」が世に出る日を求めて

半年ほど前にFB投稿した記事の掲載も、ようやく最後です。この日(半年前のある日)は、昼に裁判所に所用があり、近くの北ホテルのレストラン窯で「ひっつみ定食」を美味しくいただきました。

ただ、大事なことなので何度でも言いますが、私の実家では「卵とじ」のひっつみを長年、愛食してきましたので、市内等のどこにも卵とじのひっつみを提供して下さるお店がない光景は、とても残念に思っています。

盛岡の方々は卵とじに馴染みがないのかもしれませんが(津軽の貝焼き味噌のように、卵とじは青森の文化かもしれません)、ひっつみは卵とじをした方が何倍も美味しいので、市内の飲食店関係者の皆さんにおかれては、プラス100円等で「卵とじサービス」を前向きにご検討いただければ幸いです。

あと、欲を言えば、キノコも椎茸ではなくナラタケ(二戸等ではカックイ。盛岡ではボリと呼ぶそうですが、カックイの方が音がいいと思います)にしていただければ、なお有り難いです(ナラタケ+鶏肉の組み合わせは、ひっつみ・蕎麦・雑煮など、どれにも抜群に相性が良いです)。

関連して、昔々に書いたこちらの記事もご覧いただければ幸いです。
「ひっつみ」に関する照会とお願い | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

***

以上のFB投稿に、地元の先輩でもある二戸の著名人Kさんから「うちも昔は卵とじのひっつみだった(が、今は、見かけなくなった)」とのコメントをいただきました。

苦節四十数年、私の実家以外で、卵とじのひっつみを食べたことがあるという方に初めてお目にかかり、感動するばかりでした(笑)。やはり、二戸には、そのような食文化があるのかもしれません。

ともあれ、ぜひKさんの影響力で二戸や盛岡などの飲食店の方々に勧めていただければとお願いしました。

また、ひっつみは巨大な鍋に、ひっつみを可能な限り薄くのばし、グツグツした状態でひっつみを投入

→その後、グツグツ鍋に卵とじを投入

→共に極薄のひっつみと卵とじのハーモニーを、鶏肉等のダシの利いたツユで味わい至福のひととき、

というのが王道と認識しています。

というわけで、ウイルス禍明けにでも、Kさん?の仕切りで、パークホテルか馬淵川公園?等で

「南東北の芋煮に負けるな!北東北にはこれがある!」

とでも題して、自分たちで大鍋にひっつみ(と溶き卵)を入れて食べる一大パーティを開催いただき、それを皮切り?に、二戸の古くて新しい名物として売り出していただけないかと、願わずにはいられません。

岩手弁護士会もオリジナルゆるキャラを作って欲しいの巻

折角の憲法記念日ですが、最近になってようやく、半年前にFBで掲載した文章をブログに転載できる余裕が若干できたということで、今回も、その一環の投稿です。

本日、FBには真面目な投稿をしましたので、関心のある方は、そちらもご覧いただければ幸いです(後日、ブログにも転載予定)。

【虚構新報いわて支部ほのぼのニュース】

先日、岩手弁護士会の非公認地下組織「第二広報委員会(通称・コホニ)」が、同弁護士会のオリジナルキャラクターを制作、発表したことが分かった。

キャラクターの名は「脛皮なもみん」。

岩手版のナマハゲとして知られる、県北沿岸の「ナモミ」と大船渡市吉浜地区の「スネカ」にヒントを得たもので、「なもみん」という可愛げな名前とは裏腹に、ナモミとスネカを組み合わせたような奇怪で恐ろしい形相をしており、一般的なゆるキャラとは全く異なる印象を与えるものとなっている。

委員会が発表したキャラ設定によれば、

キャッチフレーズは、「怖いぜ!裁判!泣かずについて来な!」。

尊敬するキャラは、名古屋のオレパンダー。

右手に定番の出刃包丁、左手には両皿天秤を持ち、正義の女神像(テミス像)を借用したものとなっている。

特技はマッサージ。20年ほど前まで、若い女性に「手相みてあげる、ボク若いんだよ」などと言っては手を握り揉もうとする悪癖があったものの、現在は封印されたとのこと。

コホニのオボナイ事務局長は、次のように、キャラクター制作の意義を語ります。

「ここ数年、弁護士会などがオリジナルキャラを発表する例が増えていますが、いずれも、世間のゆるキャラの真似というか、「僕たちニコニコ寄り添い隊」みたいな優しさを強調するものばかりですよね。もちろん、その目的が弁護士の敷居を低くしたい、というものであることは百も承知です。

でも、我々の仕事の本質は闘争であり、依頼する方々も弁護士が相手の理不尽な主張と厳しく闘うことを期待しているんですから、ゆるキャラばかりを強調するのは、依頼して下さる方々の気持ち、ひいては我々の仕事の本質に悖るのではないでしょうか。

だからこそ、敢えて、裁判の厳しさ、怖さを前面に打ち出すキャラクターを掲げるべきだと考えたのです。「まつろわぬ地」岩手の弁護士会だから、全国的な傾向とは逆張り路線で行くべきだ、と思った面もありますが。

ただ、怖いキャラだけだと全国の皆さんから抗議を受けそうな気もするので、相棒として、癒やし系の「蝦夷ちゃん(仮称)」の制作も検討しています。

ともあれ、目標は、今一番人気になっている大分の「ふくろん」の打倒・・・もとい、ふくろんのツィッターで引用していただくことです!」

元ネタは、下記の各サイトをどうぞ。

「ふくろん」の記事
なぜ法曹界で「ふくろん」が人気なのか? 大分県弁護士会の「ゆるキャラ」に独占インタビュー – 弁護士ドットコム (bengo4.com)

弁護士会ゆるキャラ一覧。東北・北海道はまだ未了のようです。ガンライザーが泣くぞ。
512_06.pdf (nichibenren.or.jp)

吉浜のスネカ。
ユネスコ無形文化遺産「吉浜のスネカ」 – 大船渡市ホームページ (city.ofunato.iwate.jp)

ナモミ。どうして、こちらは無形文化財の選出から漏れたのでしょう?
今年も縁起ものの「なもみ」が動きだした! | たびこふれ (tabicoffret.com)

みんな大好き、オレパンダー。
やっぱりキレイな缶バッジUCANBADGE:オレパンダーに会いに行こう! (u-canbadge.com)

 

閉伊!閉伊!閉伊!今こそ起こせよムーヴメント

三陸方面の記事を見ているうちに、突如、替え歌を思いついたので、思わず載せることとしました。

***

閉伊! 閉伊! 閉伊! 今こそ起こせよムーヴメント

がっつり津波を被りもしたけど
ミライ見てるから 被災地イメージ捨てるよ

自分が動き出さなきゃ 
何も変わらない街で
何かを叫んで歪みを壊せ!

Wow WowWar WowWar tonight
Wow WowWar WowWar forever・・

***

昨年に宮古振興局の相談担当を終えた後、本年度は沿岸に仕事で赴く機会を全く得ておらず、また、何らかの関わりやお役に立つ機会を持つことができればと願っています。

ともあれ、空腹の方は、宮古の瓶ドン定食をどうぞ(写真は、昨年5月に宮古市内の飲食店でいただいた際のものです)。

   

岩手のご家庭・子供達が「二月の勝者」を視る意義と函館へのお誘い

東京の小学生の中学受験を描いた人気漫画「二月の勝者」がドラマ化され、先週から放送がはじまりました

1年前に、函館ラ・サール中学校に子息を通学させている保護者の方の依頼で、引用の記事をブログに載せたことがあります

岩手の大半のご家庭にとって、お受験は異世界なのかもしれませんが、敢えてそこに叩き込む素養がある(と思いたい)お子さんがいらっしゃる方は、こうした世界にチャレンジなさってもよいのではと思います。

岩手の場合、大学付属中などもありますが、男児に関しては、函館ラ・サール中学も選択肢として考えていただければ幸いです。

今年も、10月30日(土)に盛岡で説明会があるそうです。

数年前この学校に進学した後、本作で描かれる(であろう)何人かのお子さん達のように、入学前は夢ですらなかったであろう栄冠を目指して、今も努力を続けている少年を知っています。

それに続いてくれる子が、岩手からも、より多く誕生してくれればと願っています。

小岩井農場にて「盛岡と雫石」「会津と郡山」の物語や異同を考える

先日、小岩井農場の園外売店に立ち寄り、添付(末尾)のかき氷風飲料?を頂戴しました。

上下段で異なる着色ですが、下層は草原の緑、上層は空の青さ、氷菓は夏の入道を描いたのかもしれません。

高原の盛夏の涼は白い雲

ところで、小岩井農場は言わずとしれた三菱財閥(岩崎家=土佐)が開発した農場ですが、三名の創始者のうち「小」の小野義眞(鉄道経営者)が土佐、「井」の井上勝(鉄道庁長官)が長州の出身であり、明治藩閥政府の影響を強く受けた企業という面があります。

雫石の「ほぼ隣」の盛岡は、戦火こそ遭わなかったものの、会津(や仙台、長岡)と並ぶ戊辰戦争の敗戦国の代表格であり、市内に武家屋敷が全く残っていないのも、白石転封=亡国が原因と言われます。

ですので、盛岡には、時勢の勝者らによる小岩井農場の開発の光景を複雑な思いで眺めていた人々もいたかもしれません。

そのように考えると、盛岡と小岩井=雫石の関係は、会津と郡山との関係に似ているように感じます。

私は平成21年に4時間だけ郡山観光をしたことがあり、その際、都市の創設・発展の礎となった安積疎水の開発を巡る物語を展示・顕彰した「開成館」に立ち寄りました。

当時、本ブログで述べたとおり、そこでは安積疎水(郡山)の核心人物として大久保利通などを大々的に顕彰しており、これが会津の隣町なのだろうかと、不思議に感じざるを得ませんでした。

言い換えれば、郡山は、安積疎水と巨大水田開発という一大事業を通じた新政府のカネと力により創出された街であり、それまで「不毛の地」と呼ばれていた点も含めて、上記の経緯で創設された小岩井農場によく似ています。

そして、盛岡と会津若松も、共に転換期の敗者となり、勝者=新政権に大開発が施された地域に隣接する近世からの都市という点で、よく似ているように思われます。

ただ、郡山が福島最大級の都市に成長したのに比べ、雫石は当時も今も小さな街のままという点だけは大きく異なります。

想像するに、安積開発が郡山のまちづくりそのものであったのに対し(その点で、釜石に似ています)、小岩井農場は雫石の街から離れた企業の独立地帯で、共に発展するような連動性は乏しかったのかもしれません。

ともあれ、「盛岡と雫石」「会津と郡山」という二つの地域の物語や異同を考えてみるのも、色々と新たな発見があるかもしれません。

少なくとも、開成館の展示担当者が熱く語っていた「開拓者魂」は、雫石の方々がぜひご覧になって良いのではと思いました。

  

 

いわて奥座敷の華街道と、忘れられたもう一つの災禍

今年のGWは昨年に引き続き、ウイルス禍の影響で旅行もできず、近隣を少し廻っただけで終わりました。

昨年は沢内~湯田方面に出かけたのですが、その際の投稿をまだ掲載していませんでしたので、掲載することとしました。

*****

昨年のGWの際の話で恐縮ですが、連休すべて家に籠もるのは納得できぬということで、県内でも人口密度の低そうな沢内村方面に向かって、人知れぬ花々を愛でに行くことにしました。

で、有名どころも問題なさそうならついでに・・と思って雫石川園地に立ち寄ったところ、一連の影響で駐車場は相応に空いており、三密とやらにはならずに済むということで、こっそり拝見してきました。

人それぞれの判断でしょうが、渋滞疲れと人混みの思い出ばかりの展勝地よりも、こちらの桜の方が私の好みに合っているような気がします。

できれば午前の早い時間に来たかったのですが、諸事情により毎度ながらの午後出発で、カメラ映えという点では少し残念です。

雫石園地が展勝地より優れている点は、すぐ隣に「奥御所湖(勝手に命名)の融雪に沈む新緑の大湿原の光景」や岩手山~秋田駒の大パノラマが広がるなど、「おまけ」が沢山ついてくるところだと思います。

 

その後、雫石の山道を抜けて町境を越え、最初の目的地である某カタクリ群生地に向かいました。

西和賀まつりの中止で入れないかな、と思っていたところ、突如、入口前に駐車する車両からアウトドアな方々が下りてきて駐車場のロープを外したので、驚いてお話を伺ったところ、視察に来た管理者の方で、少人数だけなら立入を認めることにしたとのことで、運良く見学できました。

というわけで一句。

寝坊して得るものもあり花街道

その後、メインの目的地である一本桜とカタクリ畑で有名な某所に到着したところ、やはり駐車場は閉鎖で、入口にはロープが張っていました。

といっても、周囲に誰もいない状況下で数台の車両が路駐しており、恐らく中に入っているんだろうな、どうせ敷地内も人もほとんどおらず、具体的な支障は何もないんだろうから、こちらも遠慮なく・・と思ったところ、突如、自粛警察に内通する副将の裏切りに遭い、やむなく断念。

後世には、「安ヶ平の変」と語り継がれることでしょう。

で、仕方なく南下したところ、弁天島近くに、どこまでも続くよの桜並木を見つけたので、今回はそれでよしとしました。

地元のささやかな名勝・弁天橋からは、マイナー名所巡りという今回の目的に相応しい、特徴的な奇岩が見えました。

次いで、ほど近くにある水芭蕉群生地に向かいました。水芭蕉は残念ながら終了していましたが、桜に慰めてもらいました。

 

そこから少し南下すると、小岩井の一本桜にも負けていない、町の天然記念物の美しいシダレザクラがありました。隣では地元の方々が楽しそうに集会をなさっており、羨ましく感じました。

その後、すぐ南にある「七ツ釜」というプチ名勝を目指したのですが、どこにあるのか分からないまま無念の通過。皆さんもマイナー-名所探訪の際は、地図等のご準備を忘れずに。

というわけで、せめて貯砂ダムに・・と思ったところ、入口には閉鎖中の文字が。ここも自粛かよ・・とウンザリして向かったところ、ウイルスではなく雪解け水に埋もれてました。

駐車場に戻ると、眼前には陽光を浴び、しずかでのどかな錦秋湖の春が広がっていました。

しかし、その足元(湖畔)には、膨大なプラスチックゴミが。

 

これらもいずれ、マイクロプラスチックなどの形で、ウイルスとは別に、我々に恐るべき災禍をもたらすことになると言われています。

世間は今、ウイルス禍で手一杯とは思いますが、つい先日まで、現代社会は、こうした問題に直面していることを盛んに議論し、今もその問題が続いていることにに変わりはない(持ち帰りの使い捨てプラ容器などが溢れ、深刻化するリスクすらある)のだということを、決して忘れてはいけません。

ともあれ、今回は雫石から西和賀町(沢内・湯田)にかけて、制約のもとで、ささやかな旅を敢行しましたが、このエリア(奥羽山脈のうち岩手県の中央部の東麓一帯)を指す言葉(地名)があるのか存じません。

鶯宿温泉などが「盛岡の奥座敷」と言われるのに倣い、このエリア(雫石~西和賀エリア)を暫定的に「いわて奥座敷」と命名することにしましたが、本来であれば地域固有の地名などを用いて、かつ、「雫石・西和賀地区」などという味気ない名称ではなく、粋で雅な言葉を使って形容していただければと思っています。

リアスマリンNEO第2章のハッピーエンド?

今から13年前に、岩手の北限?のタラと海の平和を守るために1年ほど闘い、3年前には岩手のサケの平和を守るために2年以上も闘った、自称・リアスマリンNEOこと小保内です。

13年前は県境の海岸で依頼者の方からとってもとっても美味しいウニの瓶を頂戴したのですが、3年前は依頼者が県庁(形式的には、お目にかかったこともない某知事)だったせいか?、どんなにどんなに頑張っても、三陸の海の幸をいただくなどという僥倖には恵まれず、知事はもちろん、サケ産業の関係者から感謝の言葉を頂戴することすらありませんでした(県庁のご担当からは沢山の感謝の言葉をいただきましたが)。

で、時給換算で当方史上最大の大赤字仕事・・ということもあり(特例で相応の増額はしていただきました)、

やっぱり岩手を守るヒーローって、報われないんだ。
俺も今日からアニに倣ってテント一人旅に出かけるか、アラタ・・

などと枕を涙で濡らす日々を送っていました。

すると、天が不憫に思ったのか、先日、岩手の神様ならぬクリスマスにお越しになるはずの方から季節外れ?の来訪があり、ご覧のとおり、

三陸産のサケの切り身と最上級イクラたっぷりセット

を頂戴し、家族で美味しくいただきました。

いやぁ、子供の頃は、実家でカチコチになった小さな塩引きの切り身はたまに食卓に出ていましたが、こんな大きく肉厚な切り身をいただいたのは初めてです。

まして、今や高級食材にはなかなか手が届かない身には、これほど美味しいイクラをいただいた経験があったか、ちょっと思い出せません。

というわけで、これにて自称・リアスマリンNEO、第二章サケ刺網編、無事、大団円にて終幕。

そして、次の出番は7年後・・・かも(to be continued?)

・・・それはそれとして、ご承知のとおり、ある意味とても残念な訴訟を横目に、現在の「岩手のサケ産業」は、不漁(海洋環境の激変等に起因するサケの未帰還)による総敗北というべき状況にあり、本来は、内部で争いをしている場合ではありません。

そうした真面目?な話についても、訴訟に従事した者として、いつの日か差し支えのない範囲で何か書ければと思っています。

函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」

函館ラ・サール中学に子弟が通学する保護者の方から「学校側に宣伝の努力が足りず、このままでは、盛岡の入試説明会(中学・高校共通)の来場者がゼロになりかねないので宣伝せよ」とのお達しを受けたので、勝手ながら以下のとおり告知させていただきます。

すいませんが宣伝目的(拡散希望)の投稿ですので、賛同いただける方はFacebookやTwitter等でご紹介いただければ幸いです。

また、私は断片的にしか拝見していませんが、こちらの「女性ユーチューバーの方(札幌のタレントさん?)の潜入・赤裸々インタビュー」が、現在の様子を知る上では大いに参考になるそうです。

以下、蛇足ながら関係者のはしくれとして多少述べさせていただきます。

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我が国では、数十年前から「大都会の子は、学業で身を立てたいなら中学受験し(今や東京では小学生の4人に1人と言われます)、地方の子は、公立中(か国立大付属中)→学力に応じた地元の公立高に入る」というのが当たり前の光景となり、これが現在まで延々と続いています。

関西圏は、主要三都に限らず、奈良など隣接県も私立中進学が珍しくないと聞いていますので、双方の境目は曖昧なのかもしれませんが、東北と関東では、この二つの社会の断絶が際立っており、あたかも二つの国家が併存しているようにすら見えます。

当然、その二つの社会の分断は、「現在の高偏差値大学の入学者は著名な私立中高一貫校の卒業生ばかりだ」という類の言説を取り上げるまでもなく、それぞれの社会の出身者の人生に強い影響を生じさせやすいであろうことは、相応に強く予測されるところです。

もちろん、田舎(地方)の家庭は、中学受験の光景を「子供は伸び伸び遊ばせてあげればいいのに勉強漬けの生活を強要され気の毒だ」と否定的に評価するのが通例でしょうし、私自身それが間違いだとは思いません。

また、素質のある子が幼少時に伸び伸びと暮らした後、公立中で猛勉強し盛岡一高などに進学して自身の志を実現していく光景も、大いに価値のあるものと認識しています。

ただ、曲がりなりにも「お受験」を経験した家庭としては、親子(主に母子)が圧倒的な努力を重ねて栄冠を勝ち取っていく(勝ち取ろうとする)経験を得ることは、常に言えるわけでないとしても、双方(とりわけ子)が、その後「努力を重ねて自身の希望を実現する人生を歩んでいく」上で、非常に貴重な経験になりうるということは、強調しても良いのではと感じています。

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ビッグコミックスピリッツに連載され、本年夏にドラマ化予定だった(今冬に放送?)「二月の勝者」という人気漫画は、「中学受験とは父親の経済力と母親の狂気だ」の一言から始まります。

のんびりと過ごしたい、ゲームを好きなだけ遊びたい子に、母親が通信教材を片手に悪鬼の如く勉強を強いる光景には、時に目を背けたくなるときもありますが、そうした関門を突き抜けることで、努力する習慣を身につけて学業で身を立てる力を得ていく子もいるということ、また、そうした経験を通じ子供のうちから学業での成功体験を得ることの価値は、地方に住む方々も、理解いただいてよいのではと思われます。

地方在住者も、運動関係であれば、いわゆる「アスリート・エリート」のご一家などが親子一丸となって特定のスポーツに凄まじい努力を重ねる光景を見聞することがあります。それとの比較からも、「お受験」だけが特異というわけではなく、勉強分野で幼少の子と親が一丸となって努力すること(その経験を得るものとしての中学受験)は、少なくとも適性がある家族なら経験する価値は相応にあるのではと思われます。

要は、地方で育児に従事するご家庭も、「伸び伸び育てて、公立中→公立高へ」という地方では当然の(ごくノーマルな)生き方だけでなく、小学4~5年生頃から上記の「モーレツ体験」という選択肢も視野に入れ、あとは、お子さんの適性やご家庭の事情などに応じて、どちらにするか決めていただければよいのでは、少なくとも、後者に適性を有する子から地方在住というだけでその選択肢を奪うのは間違っているのではないかという点は、皆さんにも考えていただきたいところです。

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その上で、次のテーマとして「函館ラ・サールという選択肢」について少し述べたいと思います。

ご存知の方も一定数おられるかと思いますが、この学校は、函館在住の子は自宅から通学しますが、それ以外の地域の出身者は、ほとんど全員(中学は必須)が寮生活を送ります。

以前に投稿したこともありますが、中学3年間(及び高校入学者の1年間)は二段ベッドとロッカーが並ぶ大部屋での寝泊まりが必要になり、他の寮生と両立して生活するため社会性(一定の社交性)の鍛錬を余儀なくされるという点でも、特異な面があります(このような手法は、全国でも同校だけかもしれません)。

親から見れば何かと気の毒に感じる面はありますが、子にとっては相応に大過なく生活できており、「物事は案外なるようになるものだ」と感じる面があります。

また、中学生になれば、もはや身長に限らず自我のかなりの面で大人と大差ないレベルになってくる、そうであれば互いに一定の距離をとった方が、双方のため、とりわけ子にとっては自立心などの涵養の上で望ましいのではないかとも感じます。

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以前読んだ橘玲氏の「言ってはいけない」(新潮新書)で、親が子に影響を与えることができるのは幼少期の限られた期間だけで、その後は主として同世代から影響を受ける面が大きいと述べているのを見た記憶があります。それが正しいのであれば、函館ラ・サールで、全道・全国から集まる「学業で身を立てたい同級生達」から良好な影響を受けることができれば、本人のその後に強い威力を発揮するのかもしれません。

逆もまた然りで、多少存在するかもしれない残念な同級生に残念な影響を受けないよう願うばかりですが・・

余談ながら、この仕事をしていると、大人になっても長く同居する親子が残念な寄生関係に陥った結果、好ましくない事件が起きる例を拝見し、「この人達は何年も前から離れて暮らせば良かったのに」と感じることが多々あります。子が親と離れて暮らすことの意義や価値に、もっと光が当てられてもよいのかもしれません。

また、昔と今で生徒の出身地の比率に多少の違いがありますが(昔は道東など北海道の小都市や辺境の出身者が中心で今は東京などが多い)、全国の各地から子供達が集まってくる珍しい学校であることに変わりなく、その点=擬似的な上京体験という点でも、お子さんに得がたい体験をさせることができる面はあります。

そもそも、子を未熟なうちから外の世界に出して鍛錬させることは岩手でも昔から相応に存在した光景です。

明治=戊辰敗戦後の世で言えば、二戸出身の田中舘愛橘(日本物理諸科学の創設者の一人)は、若年時に親が自宅を売り払い一緒に上京してまで最先端の学問を習得させ、言わずと知れた原敬も、同時期に上京し司法省法学校などで研鑽し、その後の飛躍につなげています。

それら偉人に及ぶかはさておき、岩手の方々にも、函館ラ・サールという選択肢は、そうした先人が辿った道に通じるものがあるのかもしれないという視点を、持っていただければ幸いに思います。

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かくいう私も、30年以上前、盛岡一高と函館ラ・サール高校の双方に、どういうわけか(受験者の実感として双方とも間違いなく最下位ランクで)合格してしまい、一体どちらに進学すべきかという身の程を超えた悩みを抱えたことがあります。

その際、最後の決め手になったのは、一高にプールがあってラ・サールには無かったから・・・ではなく、また、運動できない「のび太」なので高校時代に男女交際できる自信はなかったから・・・でもなく、自分は将来、盛岡を拠点に、岩手の人と社会のため生きたいと思うのではないか、そうであれば今のうちに外の世界を見ておくべきだとの「うすうす感」があったことでした。

自身の高校時代に未熟さゆえに悔いる点は山ほどありますが、その判断自体については、私自身の問題として後悔する点は何一つありません(反面、一高には今も「最下位レベルで拾っていただいたかもしれないのに、すいません」という申し訳ない思いで一杯で、一高OBばかりの盛岡の社会では、いつも肩身の狭い思いをしています)。

皆さんも、私のようなケースに限らず「うちは子供に家業を継いで欲しい」などの事情のある方もおられるかと思いますが、そうした大人になれば岩手で人生を送る可能性の高い方ほど、若年時に外の空気を吸っておくことに、意味や価値があるのではと感じます。

また、函館ラ・サール中学にご子息を通学させる方の中には「若い頃から、外の空気を吸って、世界全体に目を向けることを考えて欲しい」という理由で送り出す方も少なくないようです(それが奏功して、お子さんも海外留学などの希望を持っておられるという話を聞いたことがあります)。

私が入学した当時は、科目全般なかんずく数学や理科が「田舎の公立中で教えている内容」との難度差があまりにも大きく(断崖絶壁のような落差でした)、私自身はそれに嵌まって入学直後から落伍してしまい、文系分野では若干の持ち直しはあったものの、全体的にパッとしない成績のまま高校を終えました。

ただ、一緒に寮生活(とりわけ、2、3年次の4人部屋)で過ごした仲間が、圧倒的かつ規則正しい勉強生活を続け、その結果、難関大(医学部・医科大)に現役合格していく光景をよく見ており、その背中を見続けていたことが、司法試験に(当時としては、あまりにも運良く)大卒2年目で合格できた、大きな原動力になりました。

もし、皆さんのお子さん・お孫さんも「地元の公立高もいいけど、敢えて、そんな環境に放り込んでみたい」とお考えになるのでしたら、函館ラ・サールという選択肢も考えていただければ幸いです。

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もちろん、私立中の寮生活ですので一定の経済的負担はありますが、カトリック系の学校だからか?昔(私の時代)から同校の学費や寮費はさほど高額でなく、三食・風呂・洗濯などが完備されていることも含め、東京の大学に通学し生活する学費などに比べると、金額はかなり低い(良心的)と思われます(反面、寮の食事に関しては・・以下、自粛)。

facebook等ではゴルフや会食など華やかな暮らしをなさっている方々の姿も拝見することがありますが、そうした皆さんが、若干でも、若い世代の学業のためにお金を投資していただければと思っています。

皆さんの子弟に、私たちの新たな仲間に加わっていただける日を心待ちにしつつ、最後までご覧いただいた方に御礼申し上げます。

いない会いたいあの桜

今年のGWは可能であれば鳥海山・酒田方面に足を運んでみたかったのですが、ご承知の事情のため適わず、せめてものということで、約10年ぶりに、為内の一本桜を訪ねました。

で、遙か昔に失ったのかもしれない何かを偲んで一首

あのひとがいない 
いつかは会いたくて 
今年も咲いてまた独り散る

毎度ながら、午後出発の悲しさで、肝心の正面からの写真は逆光で見栄えがよくないのが残念です。裏側から撮影した写真はサイズオーバーで投稿できず、FBの方に掲載しています。

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