北奥法律事務所

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岩手・北東北など

閉伊!閉伊!閉伊!今こそ起こせよムーヴメント

三陸方面の記事を見ているうちに、突如、替え歌を思いついたので、思わず載せることとしました。

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閉伊! 閉伊! 閉伊! 今こそ起こせよムーヴメント

がっつり津波を被りもしたけど
ミライ見てるから 被災地イメージ捨てるよ

自分が動き出さなきゃ 
何も変わらない街で
何かを叫んで歪みを壊せ!

Wow WowWar WowWar tonight
Wow WowWar WowWar forever・・

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昨年に宮古振興局の相談担当を終えた後、本年度は沿岸に仕事で赴く機会を全く得ておらず、また、何らかの関わりやお役に立つ機会を持つことができればと願っています。

ともあれ、空腹の方は、宮古の瓶ドン定食をどうぞ(写真は、昨年5月に宮古市内の飲食店でいただいた際のものです)。

   

岩手のご家庭・子供達が「二月の勝者」を視る意義と函館へのお誘い

東京の小学生の中学受験を描いた人気漫画「二月の勝者」がドラマ化され、先週から放送がはじまりました

1年前に、函館ラ・サール中学校に子息を通学させている保護者の方の依頼で、引用の記事をブログに載せたことがあります

岩手の大半のご家庭にとって、お受験は異世界なのかもしれませんが、敢えてそこに叩き込む素養がある(と思いたい)お子さんがいらっしゃる方は、こうした世界にチャレンジなさってもよいのではと思います。

岩手の場合、大学付属中などもありますが、男児に関しては、函館ラ・サール中学も選択肢として考えていただければ幸いです。

今年も、10月30日(土)に盛岡で説明会があるそうです。

数年前この学校に進学した後、本作で描かれる(であろう)何人かのお子さん達のように、入学前は夢ですらなかったであろう栄冠を目指して、今も努力を続けている少年を知っています。

それに続いてくれる子が、岩手からも、より多く誕生してくれればと願っています。

小岩井農場にて「盛岡と雫石」「会津と郡山」の物語や異同を考える

先日、小岩井農場の園外売店に立ち寄り、添付(末尾)のかき氷風飲料?を頂戴しました。

上下段で異なる着色ですが、下層は草原の緑、上層は空の青さ、氷菓は夏の入道を描いたのかもしれません。

高原の盛夏の涼は白い雲

ところで、小岩井農場は言わずとしれた三菱財閥(岩崎家=土佐)が開発した農場ですが、三名の創始者のうち「小」の小野義眞(鉄道経営者)が土佐、「井」の井上勝(鉄道庁長官)が長州の出身であり、明治藩閥政府の影響を強く受けた企業という面があります。

雫石の「ほぼ隣」の盛岡は、戦火こそ遭わなかったものの、会津(や仙台、長岡)と並ぶ戊辰戦争の敗戦国の代表格であり、市内に武家屋敷が全く残っていないのも、白石転封=亡国が原因と言われます。

ですので、盛岡には、時勢の勝者らによる小岩井農場の開発の光景を複雑な思いで眺めていた人々もいたかもしれません。

そのように考えると、盛岡と小岩井=雫石の関係は、会津と郡山との関係に似ているように感じます。

私は平成21年に4時間だけ郡山観光をしたことがあり、その際、都市の創設・発展の礎となった安積疎水の開発を巡る物語を展示・顕彰した「開成館」に立ち寄りました。

当時、本ブログで述べたとおり、そこでは安積疎水(郡山)の核心人物として大久保利通などを大々的に顕彰しており、これが会津の隣町なのだろうかと、不思議に感じざるを得ませんでした。

言い換えれば、郡山は、安積疎水と巨大水田開発という一大事業を通じた新政府のカネと力により創出された街であり、それまで「不毛の地」と呼ばれていた点も含めて、上記の経緯で創設された小岩井農場によく似ています。

そして、盛岡と会津若松も、共に転換期の敗者となり、勝者=新政権に大開発が施された地域に隣接する近世からの都市という点で、よく似ているように思われます。

ただ、郡山が福島最大級の都市に成長したのに比べ、雫石は当時も今も小さな街のままという点だけは大きく異なります。

想像するに、安積開発が郡山のまちづくりそのものであったのに対し(その点で、釜石に似ています)、小岩井農場は雫石の街から離れた企業の独立地帯で、共に発展するような連動性は乏しかったのかもしれません。

ともあれ、「盛岡と雫石」「会津と郡山」という二つの地域の物語や異同を考えてみるのも、色々と新たな発見があるかもしれません。

少なくとも、開成館の展示担当者が熱く語っていた「開拓者魂」は、雫石の方々がぜひご覧になって良いのではと思いました。

  

 

いわて奥座敷の華街道と、忘れられたもう一つの災禍

今年のGWは昨年に引き続き、ウイルス禍の影響で旅行もできず、近隣を少し廻っただけで終わりました。

昨年は沢内~湯田方面に出かけたのですが、その際の投稿をまだ掲載していませんでしたので、掲載することとしました。

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昨年のGWの際の話で恐縮ですが、連休すべて家に籠もるのは納得できぬということで、県内でも人口密度の低そうな沢内村方面に向かって、人知れぬ花々を愛でに行くことにしました。

で、有名どころも問題なさそうならついでに・・と思って雫石川園地に立ち寄ったところ、一連の影響で駐車場は相応に空いており、三密とやらにはならずに済むということで、こっそり拝見してきました。

人それぞれの判断でしょうが、渋滞疲れと人混みの思い出ばかりの展勝地よりも、こちらの桜の方が私の好みに合っているような気がします。

できれば午前の早い時間に来たかったのですが、諸事情により毎度ながらの午後出発で、カメラ映えという点では少し残念です。

雫石園地が展勝地より優れている点は、すぐ隣に「奥御所湖(勝手に命名)の融雪に沈む新緑の大湿原の光景」や岩手山~秋田駒の大パノラマが広がるなど、「おまけ」が沢山ついてくるところだと思います。

 

その後、雫石の山道を抜けて町境を越え、最初の目的地である某カタクリ群生地に向かいました。

西和賀まつりの中止で入れないかな、と思っていたところ、突如、入口前に駐車する車両からアウトドアな方々が下りてきて駐車場のロープを外したので、驚いてお話を伺ったところ、視察に来た管理者の方で、少人数だけなら立入を認めることにしたとのことで、運良く見学できました。

というわけで一句。

寝坊して得るものもあり花街道

その後、メインの目的地である一本桜とカタクリ畑で有名な某所に到着したところ、やはり駐車場は閉鎖で、入口にはロープが張っていました。

といっても、周囲に誰もいない状況下で数台の車両が路駐しており、恐らく中に入っているんだろうな、どうせ敷地内も人もほとんどおらず、具体的な支障は何もないんだろうから、こちらも遠慮なく・・と思ったところ、突如、自粛警察に内通する副将の裏切りに遭い、やむなく断念。

後世には、「安ヶ平の変」と語り継がれることでしょう。

で、仕方なく南下したところ、弁天島近くに、どこまでも続くよの桜並木を見つけたので、今回はそれでよしとしました。

地元のささやかな名勝・弁天橋からは、マイナー名所巡りという今回の目的に相応しい、特徴的な奇岩が見えました。

次いで、ほど近くにある水芭蕉群生地に向かいました。水芭蕉は残念ながら終了していましたが、桜に慰めてもらいました。

 

そこから少し南下すると、小岩井の一本桜にも負けていない、町の天然記念物の美しいシダレザクラがありました。隣では地元の方々が楽しそうに集会をなさっており、羨ましく感じました。

その後、すぐ南にある「七ツ釜」というプチ名勝を目指したのですが、どこにあるのか分からないまま無念の通過。皆さんもマイナー-名所探訪の際は、地図等のご準備を忘れずに。

というわけで、せめて貯砂ダムに・・と思ったところ、入口には閉鎖中の文字が。ここも自粛かよ・・とウンザリして向かったところ、ウイルスではなく雪解け水に埋もれてました。

駐車場に戻ると、眼前には陽光を浴び、しずかでのどかな錦秋湖の春が広がっていました。

しかし、その足元(湖畔)には、膨大なプラスチックゴミが。

 

これらもいずれ、マイクロプラスチックなどの形で、ウイルスとは別に、我々に恐るべき災禍をもたらすことになると言われています。

世間は今、ウイルス禍で手一杯とは思いますが、つい先日まで、現代社会は、こうした問題に直面していることを盛んに議論し、今もその問題が続いていることにに変わりはない(持ち帰りの使い捨てプラ容器などが溢れ、深刻化するリスクすらある)のだということを、決して忘れてはいけません。

ともあれ、今回は雫石から西和賀町(沢内・湯田)にかけて、制約のもとで、ささやかな旅を敢行しましたが、このエリア(奥羽山脈のうち岩手県の中央部の東麓一帯)を指す言葉(地名)があるのか存じません。

鶯宿温泉などが「盛岡の奥座敷」と言われるのに倣い、このエリア(雫石~西和賀エリア)を暫定的に「いわて奥座敷」と命名することにしましたが、本来であれば地域固有の地名などを用いて、かつ、「雫石・西和賀地区」などという味気ない名称ではなく、粋で雅な言葉を使って形容していただければと思っています。

リアスマリンNEO第2章のハッピーエンド?

今から13年前に、岩手の北限?のタラと海の平和を守るために1年ほど闘い、3年前には岩手のサケの平和を守るために2年以上も闘った、自称・リアスマリンNEOこと小保内です。

13年前は県境の海岸で依頼者の方からとってもとっても美味しいウニの瓶を頂戴したのですが、3年前は依頼者が県庁(形式的には、お目にかかったこともない某知事)だったせいか?、どんなにどんなに頑張っても、三陸の海の幸をいただくなどという僥倖には恵まれず、知事はもちろん、サケ産業の関係者から感謝の言葉を頂戴することすらありませんでした(県庁のご担当からは沢山の感謝の言葉をいただきましたが)。

で、時給換算で当方史上最大の大赤字仕事・・ということもあり(特例で相応の増額はしていただきました)、

やっぱり岩手を守るヒーローって、報われないんだ。
俺も今日からアニに倣ってテント一人旅に出かけるか、アラタ・・

などと枕を涙で濡らす日々を送っていました。

すると、天が不憫に思ったのか、先日、岩手の神様ならぬクリスマスにお越しになるはずの方から季節外れ?の来訪があり、ご覧のとおり、

三陸産のサケの切り身と最上級イクラたっぷりセット

を頂戴し、家族で美味しくいただきました。

いやぁ、子供の頃は、実家でカチコチになった小さな塩引きの切り身はたまに食卓に出ていましたが、こんな大きく肉厚な切り身をいただいたのは初めてです。

まして、今や高級食材にはなかなか手が届かない身には、これほど美味しいイクラをいただいた経験があったか、ちょっと思い出せません。

というわけで、これにて自称・リアスマリンNEO、第二章サケ刺網編、無事、大団円にて終幕。

そして、次の出番は7年後・・・かも(to be continued?)

・・・それはそれとして、ご承知のとおり、ある意味とても残念な訴訟を横目に、現在の「岩手のサケ産業」は、不漁(海洋環境の激変等に起因するサケの未帰還)による総敗北というべき状況にあり、本来は、内部で争いをしている場合ではありません。

そうした真面目?な話についても、訴訟に従事した者として、いつの日か差し支えのない範囲で何か書ければと思っています。

函館ラ・サール中学・高校の入試説明会と「地方の子が中学受験や寮生活をする意義」

函館ラ・サール中学に子弟が通学する保護者の方から「学校側に宣伝の努力が足りず、このままでは、盛岡の入試説明会(中学・高校共通)の来場者がゼロになりかねないので宣伝せよ」とのお達しを受けたので、勝手ながら以下のとおり告知させていただきます。

すいませんが宣伝目的(拡散希望)の投稿ですので、賛同いただける方はFacebookやTwitter等でご紹介いただければ幸いです。

また、私は断片的にしか拝見していませんが、こちらの「女性ユーチューバーの方(札幌のタレントさん?)の潜入・赤裸々インタビュー」が、現在の様子を知る上では大いに参考になるそうです。

以下、蛇足ながら関係者のはしくれとして多少述べさせていただきます。

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我が国では、数十年前から「大都会の子は、学業で身を立てたいなら中学受験し(今や東京では小学生の4人に1人と言われます)、地方の子は、公立中(か国立大付属中)→学力に応じた地元の公立高に入る」というのが当たり前の光景となり、これが現在まで延々と続いています。

関西圏は、主要三都に限らず、奈良など隣接県も私立中進学が珍しくないと聞いていますので、双方の境目は曖昧なのかもしれませんが、東北と関東では、この二つの社会の断絶が際立っており、あたかも二つの国家が併存しているようにすら見えます。

当然、その二つの社会の分断は、「現在の高偏差値大学の入学者は著名な私立中高一貫校の卒業生ばかりだ」という類の言説を取り上げるまでもなく、それぞれの社会の出身者の人生に強い影響を生じさせやすいであろうことは、相応に強く予測されるところです。

もちろん、田舎(地方)の家庭は、中学受験の光景を「子供は伸び伸び遊ばせてあげればいいのに勉強漬けの生活を強要され気の毒だ」と否定的に評価するのが通例でしょうし、私自身それが間違いだとは思いません。

また、素質のある子が幼少時に伸び伸びと暮らした後、公立中で猛勉強し盛岡一高などに進学して自身の志を実現していく光景も、大いに価値のあるものと認識しています。

ただ、曲がりなりにも「お受験」を経験した家庭としては、親子(主に母子)が圧倒的な努力を重ねて栄冠を勝ち取っていく(勝ち取ろうとする)経験を得ることは、常に言えるわけでないとしても、双方(とりわけ子)が、その後「努力を重ねて自身の希望を実現する人生を歩んでいく」上で、非常に貴重な経験になりうるということは、強調しても良いのではと感じています。

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ビッグコミックスピリッツに連載され、本年夏にドラマ化予定だった(今冬に放送?)「二月の勝者」という人気漫画は、「中学受験とは父親の経済力と母親の狂気だ」の一言から始まります。

のんびりと過ごしたい、ゲームを好きなだけ遊びたい子に、母親が通信教材を片手に悪鬼の如く勉強を強いる光景には、時に目を背けたくなるときもありますが、そうした関門を突き抜けることで、努力する習慣を身につけて学業で身を立てる力を得ていく子もいるということ、また、そうした経験を通じ子供のうちから学業での成功体験を得ることの価値は、地方に住む方々も、理解いただいてよいのではと思われます。

地方在住者も、運動関係であれば、いわゆる「アスリート・エリート」のご一家などが親子一丸となって特定のスポーツに凄まじい努力を重ねる光景を見聞することがあります。それとの比較からも、「お受験」だけが特異というわけではなく、勉強分野で幼少の子と親が一丸となって努力すること(その経験を得るものとしての中学受験)は、少なくとも適性がある家族なら経験する価値は相応にあるのではと思われます。

要は、地方で育児に従事するご家庭も、「伸び伸び育てて、公立中→公立高へ」という地方では当然の(ごくノーマルな)生き方だけでなく、小学4~5年生頃から上記の「モーレツ体験」という選択肢も視野に入れ、あとは、お子さんの適性やご家庭の事情などに応じて、どちらにするか決めていただければよいのでは、少なくとも、後者に適性を有する子から地方在住というだけでその選択肢を奪うのは間違っているのではないかという点は、皆さんにも考えていただきたいところです。

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その上で、次のテーマとして「函館ラ・サールという選択肢」について少し述べたいと思います。

ご存知の方も一定数おられるかと思いますが、この学校は、函館在住の子は自宅から通学しますが、それ以外の地域の出身者は、ほとんど全員(中学は必須)が寮生活を送ります。

以前に投稿したこともありますが、中学3年間(及び高校入学者の1年間)は二段ベッドとロッカーが並ぶ大部屋での寝泊まりが必要になり、他の寮生と両立して生活するため社会性(一定の社交性)の鍛錬を余儀なくされるという点でも、特異な面があります(このような手法は、全国でも同校だけかもしれません)。

親から見れば何かと気の毒に感じる面はありますが、子にとっては相応に大過なく生活できており、「物事は案外なるようになるものだ」と感じる面があります。

また、中学生になれば、もはや身長に限らず自我のかなりの面で大人と大差ないレベルになってくる、そうであれば互いに一定の距離をとった方が、双方のため、とりわけ子にとっては自立心などの涵養の上で望ましいのではないかとも感じます。

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以前読んだ橘玲氏の「言ってはいけない」(新潮新書)で、親が子に影響を与えることができるのは幼少期の限られた期間だけで、その後は主として同世代から影響を受ける面が大きいと述べているのを見た記憶があります。それが正しいのであれば、函館ラ・サールで、全道・全国から集まる「学業で身を立てたい同級生達」から良好な影響を受けることができれば、本人のその後に強い威力を発揮するのかもしれません。

逆もまた然りで、多少存在するかもしれない残念な同級生に残念な影響を受けないよう願うばかりですが・・

余談ながら、この仕事をしていると、大人になっても長く同居する親子が残念な寄生関係に陥った結果、好ましくない事件が起きる例を拝見し、「この人達は何年も前から離れて暮らせば良かったのに」と感じることが多々あります。子が親と離れて暮らすことの意義や価値に、もっと光が当てられてもよいのかもしれません。

また、昔と今で生徒の出身地の比率に多少の違いがありますが(昔は道東など北海道の小都市や辺境の出身者が中心で今は東京などが多い)、全国の各地から子供達が集まってくる珍しい学校であることに変わりなく、その点=擬似的な上京体験という点でも、お子さんに得がたい体験をさせることができる面はあります。

そもそも、子を未熟なうちから外の世界に出して鍛錬させることは岩手でも昔から相応に存在した光景です。

明治=戊辰敗戦後の世で言えば、二戸出身の田中舘愛橘(日本物理諸科学の創設者の一人)は、若年時に親が自宅を売り払い一緒に上京してまで最先端の学問を習得させ、言わずと知れた原敬も、同時期に上京し司法省法学校などで研鑽し、その後の飛躍につなげています。

それら偉人に及ぶかはさておき、岩手の方々にも、函館ラ・サールという選択肢は、そうした先人が辿った道に通じるものがあるのかもしれないという視点を、持っていただければ幸いに思います。

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かくいう私も、30年以上前、盛岡一高と函館ラ・サール高校の双方に、どういうわけか(受験者の実感として双方とも間違いなく最下位ランクで)合格してしまい、一体どちらに進学すべきかという身の程を超えた悩みを抱えたことがあります。

その際、最後の決め手になったのは、一高にプールがあってラ・サールには無かったから・・・ではなく、また、運動できない「のび太」なので高校時代に男女交際できる自信はなかったから・・・でもなく、自分は将来、盛岡を拠点に、岩手の人と社会のため生きたいと思うのではないか、そうであれば今のうちに外の世界を見ておくべきだとの「うすうす感」があったことでした。

自身の高校時代に未熟さゆえに悔いる点は山ほどありますが、その判断自体については、私自身の問題として後悔する点は何一つありません(反面、一高には今も「最下位レベルで拾っていただいたかもしれないのに、すいません」という申し訳ない思いで一杯で、一高OBばかりの盛岡の社会では、いつも肩身の狭い思いをしています)。

皆さんも、私のようなケースに限らず「うちは子供に家業を継いで欲しい」などの事情のある方もおられるかと思いますが、そうした大人になれば岩手で人生を送る可能性の高い方ほど、若年時に外の空気を吸っておくことに、意味や価値があるのではと感じます。

また、函館ラ・サール中学にご子息を通学させる方の中には「若い頃から、外の空気を吸って、世界全体に目を向けることを考えて欲しい」という理由で送り出す方も少なくないようです(それが奏功して、お子さんも海外留学などの希望を持っておられるという話を聞いたことがあります)。

私が入学した当時は、科目全般なかんずく数学や理科が「田舎の公立中で教えている内容」との難度差があまりにも大きく(断崖絶壁のような落差でした)、私自身はそれに嵌まって入学直後から落伍してしまい、文系分野では若干の持ち直しはあったものの、全体的にパッとしない成績のまま高校を終えました。

ただ、一緒に寮生活(とりわけ、2、3年次の4人部屋)で過ごした仲間が、圧倒的かつ規則正しい勉強生活を続け、その結果、難関大(医学部・医科大)に現役合格していく光景をよく見ており、その背中を見続けていたことが、司法試験に(当時としては、あまりにも運良く)大卒2年目で合格できた、大きな原動力になりました。

もし、皆さんのお子さん・お孫さんも「地元の公立高もいいけど、敢えて、そんな環境に放り込んでみたい」とお考えになるのでしたら、函館ラ・サールという選択肢も考えていただければ幸いです。

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もちろん、私立中の寮生活ですので一定の経済的負担はありますが、カトリック系の学校だからか?昔(私の時代)から同校の学費や寮費はさほど高額でなく、三食・風呂・洗濯などが完備されていることも含め、東京の大学に通学し生活する学費などに比べると、金額はかなり低い(良心的)と思われます(反面、寮の食事に関しては・・以下、自粛)。

facebook等ではゴルフや会食など華やかな暮らしをなさっている方々の姿も拝見することがありますが、そうした皆さんが、若干でも、若い世代の学業のためにお金を投資していただければと思っています。

皆さんの子弟に、私たちの新たな仲間に加わっていただける日を心待ちにしつつ、最後までご覧いただいた方に御礼申し上げます。

いない会いたいあの桜

今年のGWは可能であれば鳥海山・酒田方面に足を運んでみたかったのですが、ご承知の事情のため適わず、せめてものということで、約10年ぶりに、為内の一本桜を訪ねました。

で、遙か昔に失ったのかもしれない何かを偲んで一首

あのひとがいない 
いつかは会いたくて 
今年も咲いてまた独り散る

毎度ながら、午後出発の悲しさで、肝心の正面からの写真は逆光で見栄えがよくないのが残念です。裏側から撮影した写真はサイズオーバーで投稿できず、FBの方に掲載しています。

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清貧がもたらした?岩手の初優勝と、今さらながら思うあれこれ

4月には疑惑の初優勝とか避難すると逆に危険だとかWeb上で囁かれ、「自分だけは第一号になりたくない」と皆が思っていた岩手県民ですが、三日天下で終わるとの予想に反し、今も判明ゼロの状態が続いています。

田舎の県の感染のはじまりは、①1~2月に中国の観光客が置いて行った(北海道等)、②豪華客船の帰宅乗客、③2~3月の欧米など旅行の帰国者のいずれかと理解していますので、詰まるところ、岩手は外貨獲得もできず贅沢旅行等ができる金持ちもほとんどいない、ブータンもびっくりの貧乏県であることを改めて天下に示したと見るほかありません。

反面、そのせいで都会の皆さんよりは感染の恐怖を感じずに暮らせる面はあるわけで、今も昔も岩手の平和は貧乏の賜物ということになるのかもしれません。

ともあれ、そのせいか分かりませんが、首相マスクは今も来ていません。

私は10年以上前に購入した給食当番マスクを4月から愛用していましたが、同居家族より「恥ずかしくて一緒に歩けない」とのクレームがあり、やむなく同人より供給された通販布マスクを主に使用しています。

今更ではありますが、首相も、現物配布ではなく、布マスク購入費用を一人あたり限度額を定めて後日支給(或いは確定申告時に全額控除など)、という形をとれば、余計な中間経費をかけずに各自が3月中に直ちに購入し入手すると共に国内の草の根の民需喚起につながり、望ましかったのではと思いました。

同じく今更ながら、ご自身の優雅な紅茶タイムの映像を流すよりは、3月頃の時点で、首相や麻生副総理などがカンパして、宮城県CMで話題になった某女優さんが自宅で公私に亘り颯爽と活躍する映像を作成し、

「三密やめて、壇蜜しよう」

などと配信していただければ良かったのではと思いました。

同じく今更ながら、先般、舌禍騒動を起こした菊丸こと岡村隆史氏も、長年のご活躍で相応の資産をお持ちなのでしたら、対象業界の従事者や困窮問題を抱えた女性を支援する団体などに、支援金等に用いる目的の寄付をした上で世間にも呼びかけるなど、謝って終わりではない何らかの行動を起こしていただければ、大河視聴者も余計なことを考えずにドラマを楽しむことができ、良かったのではと思いました。

まあ、今更の話ばかりしても致し方ありませんが、マスクが今更とどいても、また10年以上塩漬けになりそうなので、今更な話ばかり思い浮かぶのかもしれません。

ともあれ、無事に首相マスクが届いたときには、小柳ルミ子氏の「今さらジロー」の替え歌でも歌って皆さんと「今さら感」を共有できれば・・などと、下らないことを考えてしまいます。

盛岡を舞台とした映画を制作する方々の光景と、その影裏で?盛岡出身の偉人の物語の映画化を目指す男

先日の盛岡北RCの例会は、当クラブきっての顔の広さ(社交力の凄さ)を誇るTさんのご紹介で、大友啓史監督とタッグを組み同監督の映画作品などのプロデューサーを務めておられる五十嵐真志さんという方(引用サイトの運営企業の役員さん)がゲストとして卓話をして下さいました。

主として、来年上映予定の芥川賞作品「影裏」(綾野剛・松田龍平の共演作品。沼田真佑原作)の制作過程や作り手の方針などに関する説明があり、若干のマル秘話のほか、市内各地のロケや大友監督の作品にかける思いなどを説明されていました。

昨年頃、盛岡の方が近所でロケが行われていたのを発見したとfacebookで投稿されていたのを拝見していますが、ロケ地の写真などもプロジェクターで紹介されていました。

で、スピーチの最後に、この映画は大企業のみがスポンサーとなっていた過去の大友作品と異なり協賛を広く募っており、とりわけ「オール岩手ロケで、岩手の作品として世に送り出したい」とのコンセプトから、盛岡をはじめ岩手県内の企業さんに対応可能な金額で協賛者になって欲しいとの呼びかけがありました。

基本となるコースは、相応の規模の企業や資産家の方でないと気軽にイエスと言える額ではないようですが、エンドロール等に出るだけでなく自社商品に「影裏」の文言を用いて販売等することも了解するほか(すでに県内の某著名酒造メーカーが特製日本酒を販売する方向で準備中とのこと)、大友監督との対談などの特典も付いてくるのだそうです。

そんな額は無理という方でも、多少無理をすればどうにか賄える程度?の協賛口があり、詳細は忘れましたが、そちらもエンドロールで名前が出るほか試写会招待などの特典もあると聞いたような気がします。

というわけで、同作品を応援したいとか、商品展開も含めた宣伝に乗り出したいという方は、ぜひ、五十嵐さんまでお問い合わせ下さい、というか、連絡先知らんぞという方は、名刺をいただきましたので、ご遠慮なく私にお申し出下さい。

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・・と、ここまで、どうして頼まれたわけでもないのに、協賛などの類にはご縁のない「運転資金の調達に日々追われる田舎町弁」の私がこんなことを書いているかというと、そこには一つ、重大な下心がありました。

皆さんお忘れかもしれませんが、3年ほど前「太平洋戦争下のシンガポールに二戸生まれで盛岡出身の変人学者さん(田中舘秀三・後の東北帝大教授)が突如現れ、世界遺産・シンガポール植物園と大英帝国が有する東南アジアの貴重な学術資産群を陥落に伴う戦火や略奪から守った物語(あらすじ案)」を本ブログで延々と連載し、いつか映画化を目指したい!などと恥も外聞もなく途方もないことを書いたことがありました。

もちろん、戦時下に重要な役割を果たした同郷の方を顕彰したいというだけの気持ちからのことでしたが、その後は、何をすることもなく(一度、本格的な研究者らしき方からDMをいただき大変驚いたことはあります)、無為のまま現在に至っていました。

そこで「このあらすじ案を大友監督に渡して映画化して下さい」などと馬鹿なことを申すつもりはありませんが、沼田氏であれどなたであれ、五十嵐さんの人脈に連なる方で、この秀三先生の物語に関心を持っていただける方がいれば、それをとっかかりに、本物の小説家による新たな小説完成→いつかは大友作品へ、という野望もありうるのでは・・との儚い夢を抱かないではありませんでした。

が、さすがに、手ぶらで「あらすじ案」を渡しただけでは「なんだこの変な奴は」の一言でおしまいというか、少年ジャンプの編集者に駄作を持ち込み封も開けてもらえず突っ返されてトボトボ田舎に帰る哀れな高校生並みの話になるでしょうから、せめて、誰か協賛金のお力になって下さる方がおられれば、それを手土産に・・という他力本願なことを思いついた、というのが本投稿の率直な動機です。

というわけで、(私のことはさておき)大友監督作品のエンドロールに載りたい、いや、対談もしたい(かなりお金はかかるけど・・)という方がおられば、ご遠慮なく私までご連絡下さるようお願い申し上げます。

黄川田もと議員の知事選出馬で生じる旧小沢氏勢力のラグナロクと、三陸の中心で「防潮堤をぶっ壊す」と叫ぶ誰か

次回の岩手県知事選挙が告示まで3ヶ月を切ったものの、報道によれば達増知事を含め現時点で誰も出馬表明をしておらず、どうなることやらという記事を散見します。

青森県では現職が5選されたとのことで、まあ岩手も同じ展開になるのだろうとは思いますが、達増知事が初当選時に「原則2期」と仰っていたことや、この12年間、震災対応などで尽力されたことは窺われるものの、最近の報道などを見る限り、知事をさらに続けたいとの強い意欲(まだ途上の政策があるなどという発言)を拝見する機会がなく、或いは達増知事自身も辞めたい(国政に戻りたい)のではと感じる面もあります。

達増知事以外に泡沫候補しか出ない選挙なら、不要(無投票4選でも仕方がない)なのでしょうが、それでは民主政治が機能していないとの批判もあるでしょうから、私はいっそ、先日に参院選擁立の断念が決まったばかりの黄川田徹・もと衆院議員に知事選に出馬いただいた方がよいのではと思っています。

政治から引退なさるにはまだ年齢的にも早いでしょうし、今、達増知事以外で、知事選への出馬が現実的に可能で(期待でき)、かつ知事として一定以上の県民の支持(得票)を受けることができる方(知名度や相応の実績が認知されている方)といえば、黄川田氏以外にはいないのではと思われます。

それ以上に、黄川田氏が出馬した場合、達増知事が対決を選ぶのか、敢えて対決を回避し衆院選を選ぶのか(岩手一区なのか、それ以外なのか)、その点は、非常に興味深く感じます。

達増知事が「元祖・小沢チルドレン」であること、黄川田氏が小沢氏と袂を分かった状態にあることは、県民なら誰でも知っていることでしょうから、達増知事としては、以前に小沢氏から離反し自民党に接近した平野達男参院議員を「裏切りの政治」などと批判したように、闘争心を剥き出しにして対決に臨む、という展開になるかもしれません。

その場合、自前の候補者擁立に失敗した自民党岩手県連にとっても、黄川田氏は「達増知事に勝てるかも知れない唯一の候補」であり、黄川田氏が出馬したときは、自主投票などの名目をとりつつ、事実上、黄川田氏の支援勢力に廻る可能性が高いのではと思われます。

もちろん、黄川田氏の盟友的存在であり、黄川田氏が出馬するときは選挙の要となる階猛議員は、細野議員を意識してか「圧倒的与党としての自民党には絶対に行かない。自分なりの方法で非自民勢力の糾合を目指す」と掲げていますので、自民党岩手県連が黄川田氏を表立って支援するなどというのは迷惑千万でしょう。

他方で、圧倒的な集票力を持つ達増知事に黄川田氏が勝つためには、やはり自民党勢力の基礎票を手に入れることが必要です。

例えば、自民党側が表向きは「我々は候補を擁立できず自主投票に追い込まれました」と静かにしつつ、裏側では打倒・達増知事の実現のため、階氏・黄川田氏に平身低頭・三顧の礼を取り、自分達の姿を表に出さずに基礎票はしっかりと固め、無党派層向けに「震災で家族を失う悲劇に耐えて復興支援に長年従事した黄川田氏が知事になって陣頭指揮を執り内陸(県央・県南)と沿岸・県北の格差解消に努めることこそ、岩手が真に一つになる道だ」などとキャンペーンを張ることができれば、達増知事に勝つことも夢ではないと思います。

他方、そこまでの態勢を黄川田氏側が整えることができれば、賢明な達増知事は、敢えて、黄川田氏との対決を避けるかもしれません。

さすがに、黄川田氏・階氏陣営が露骨に自民党側と手を組む光景が現出してしまうと、達増知事も後には引けないでしょうが、少なくとも最初の時点では自民党の姿は絶対に出さないでしょうから、もし達増知事の本音が「衆院に戻りたい(そして、小沢氏の引退時には勢力の禅譲を受けたい)」というのであれば、かえって、黄川田氏の出馬を渡りに船として、衆院選の準備を始めるのかもしれません。

その場合、達増知事の向かう道は、恐らくは岩手1区でしょうし、達増知事としても「最も落とし前を付けるべき相手(旧小沢氏勢力仲間)」は、自身の後継である(はずの)階議員でしょうから、そうした展開になれば、お二人の宿命の対決が、ついに実現することになります。

それこそ、巷間ささやかれる衆参同一選などという展開になれば、今年中にその展開がやってくることになるかもしれません。

黄川田氏であれ階議員であれ、達増知事にとって十分に闘い甲斐のある相手でしょうからし、達増知事自身、小沢氏の後継者としての認知を受けるためにも政敵を選挙で倒すことを希望しているでしょうから、見応えのある「岩手の小沢チルドレンたちの最終決戦(ラグナロク)第1章」とでも言うべき光景が出現するのではと期待したいですが、黄川田氏の知事選出馬という「最初の一手」がなければ、何も始まりません。

裏を返せば、仮に、階議員が「達増知事とだけは闘いたくない」と考えておられるのでしたら、このまま延々と知事を務めていただいた方が都合がいいわけで、黄川田氏擁立の意見には反対の急先鋒になるのでしょう。

しかし、衆院議員としては引退した黄川田氏が次回の総選挙で再出馬というのも無理がある話でしょうから、政治の舞台で他に黄川田氏に活躍の場を提供することが難しい(私には思い当たりません)以上、知事選こそ黄川田氏の登場の舞台として最も相応しいことは、階議員も十分に理解されているのではないでしょうか。

階議員の人柄からも、ご自身の保身を黄川田氏の活躍(花道)に優先させるような方ではないでしょうから、現在の岩手政界の沈黙は、黄川田氏の知事選擁立に向けた「嵐の前の静けさ」と期待したいところです。

それこそ、黄川田氏の出馬会見に同席した階議員が達増知事に向かって「知事としての仕事はもう十分なさいました。あとは、総選挙で私と決着を付けましょう」くらいのことを仰っていただければ、男気という表現が当てはまるか分かりませんが、ある意味、しびれるような気がします。

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ところで、達増知事であれ黄川田氏であれどなたであれ、次の岩手県知事になる方には、ぜひとも考えていただきたい政策があります。

先日、カラ相談こと誰もこない振興局相談の担当で宮古に赴いた際、山田町に向かう海沿いの道路をドライブして唖然としたのですが、宮古市南部の海沿いの道路に沿って、巨大防潮堤が長城のように完成しており、無機質なコンクリートの壁が延々と続く姿は、まさに収容所群島そのものという光景でした。

数年前、法テラス気仙(大船渡)の相談担当をしていた最後の時期にも、そうした刑務所のような光景を目にして残念に感じていたのですが、こちらの方が遙かにスケールが巨大で、こんな場所にいたくない、一刻も早く通り過ぎてしまいたいと思わずにいられませんでした。

かつて、そこには、のどかで相応に美しい海岸の風景があっただけに、なおのこと、悲しさが募りました。

もちろん、防潮堤は嫌がらせのため作られたのではなく、そこで多くの人命や財産などが失われたことの証でしょうし、そこに暮らしている方々(防潮堤の内側たる道路沿いに、幾つかの人家なども拝見しています)には、命の危険に脅えずに済む暮らしの方が遙かに大事なのでしょうから、安易に防潮堤を否定したいわけではありません。

しかし、この光景が未来永劫続くのだとすれば、それは、どう考えても恥じ入るべきというか、大地への冒涜であると共に、三陸の「海と人が交わる誇りある暮らし」を続けてきた先人や子孫にも申し訳がないのでは、と思わざるを得ませんでした。

何より、あんな空間で生活を余儀なくされる人々、とりわけ子供がかわいそうだと思わずにはいられません。

やはり、たとえ困難な道であっても、刑務所或いはベルリンの壁のような防潮堤に頼るのではなく、50年、100年かかっても、海沿いには基本的に居住せず、業務等のため(津波が来れば待避できる形で)海沿いを利用するとの前提で、高台移転などを実施し、その上で、醜悪な防潮堤は全てぶっ壊すことが、震災後の時代を生きる現代岩手人には求められているのでは?と思わざるを得ませんでした。

ですので、次の知事には、「いずれ必ず防潮堤をぶっ壊す、ぶっ壊しても大丈夫な三陸をつくる!」と叫んでいただきたいと願ってやみません。

そうしたことを含め、今、議論されるべき多くの論点があるはずなのに、我々現役世代の大人達を筆頭に、日々の仕事や生活に追われているのか遊び呆けているのか分かりませんが、問題とすべきことを問題とせず、誰かが何かやってくれるさといった風潮が蔓延しているのが今の岩手の実情なのでは、などと偉そうなことを呟いてみたりもします。

そんな岩手をぶっ壊す、と叫んでくれるリーダーの登場を待ち望むこともまた、無責任な他力本願の極みなのかもしれませんが。