北奥法律事務所

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行政事件

加除式書籍の追録執筆は続くよどこまでも

平成18年に、新日本法規出版社から日弁連廃棄物部会(のメインの先生)に「廃棄物処理法の各条文に関する網羅的解説を掲載した加除式書籍を出版したい」とのお話があり、平成15年に加入した私も執筆陣に加えていただき、措置命令の条文などの解説を担当したことがあります。
http://www.sn-hoki.co.jp/shop/product/book/detail_0572_8_0.html?hb=1

加除式書籍は改訂が必要になれば追録を作成しなければならないのですが、廃棄物処理法の性質上、法改正などが頻繁にあり、私が担当した箇所も、2年に1回くらいの頻度で作業の指示がなされています。

で、昨年12月に平成29年改正の追録の要請があり、年末が提出期限だったのですが、今年の年末年始は本業等に加えて私事で厄介事が勃発したこともあり、正月明けになってようやく、一晩で仕上げて提出しました。

今回の追録は重要な新設条文がある一方、それに対する解説書の類は手元に何もありませんので、開き直って、ネットであれこれ調べて大胆な仮説?を交えつつ、無理矢理仕上げたというのが正直なところです。

代表の先生方と出版社との協定で、最初に気持ち程度の報酬を頂戴したあとは、追録の原稿料は一切無しという日々を送らせていただいておりますが、そんなことにもめげずに、本年最初の一首。

新年の最初の徹夜はタダ仕事 今年の計も推して知るべし

と愚痴半分の戯言をFBにも投稿したところ、日弁連の医療観察法の解説書籍などを刊行されているO先生から「委員会活動で執筆したものは、印税=原稿料も含めて全て日弁連の収入になり、執筆者には(実費支給を別とすれば)一円も来ないので、最初の原稿料が入るだけ恵まれているよ」とのコメントをいただきました。

そのようにせざるを得ない合理的な事情(活動費や大勢の合宿など実費類が多いとか、出版元の経費リスクなど)があるのでしょうが、それだけ伺うと、日弁連から「中村修二教授もびっくりのブラック弁連」に改称した方がよいのではというか、いつか裁判する人が出てくるかもなどと、余計なことを考えてしまいます。

まあ、我々の書籍もそうですが、法律書籍の出版は自身の勉強を兼ねてという色合いが非常に強く、研鑽と発表の機会が与えられただけで感謝すべきというほかないという感じはあります。

追録の作業も直近の重要な改正を否応なくフォローできるというメリットは大きく、そうした意味では有り難いお話なのですが、困ったことに私自身が住民・業者・行政いずれの立場でも、未だに本格的な廃棄物紛争の訴訟等を受任したことがなく、せっかく勉強したことを仕事で活かす機会に恵まれていません(自宅建設用に購入した土地から廃棄物の不法埋設が発覚し関係者に責任追及した事案があり、その際は相応に役立ちましたが・・)。

まあ、東京から遠く離れた岩手で「何でも屋のしがない田舎の町弁」として仕事しているせいか、それとも岩手は廃棄物を巡る民事紛争などがほとんどない恵まれた土地柄だからなのか?、その辺は分かりませんが、まだ勉強が足りないから「そうした仕事」にも巡り会わない(選ばれない)のかもしれないと謙虚に受け止め、今後も廃棄物部会の活動を含めて精進していければと思います。

ケージ監禁死事件と「里ジジババ」が子供達を救う日

私は購読中の判例雑誌に掲載された判例等の要旨を法令ごとに分類しエクセルに入力する作業を10年近く続けているのですが、判例タイムズにこの事件(幼児をペット用ケージに閉じ込めて死亡させた監禁致死等で起訴)の判決が載っているのを見つけました
http://www.sankei.com/affairs/news/160225/afr1602250029-n1.html

要旨ですが、両親A1とA2が次男Vを疎んじて外出時等にラビットケージに閉じ込めるなどしていたところ、Vが夜間に叫んだためA1がVにタオルを咥えさせて両端を後頭部で結び窒息死させ、荒川(or富士樹海。発見できず)に遺棄した監禁致死・死体遺棄で起訴された事案であり、AらはVの死亡を装って保険金・生活保護費を詐取したとして、懲役2年が確定済みとなっています。

Aらは監禁と死亡との因果関係や共謀を争いましたが(監禁とタオル結束を分け、A1は監禁+傷害致死、A2は監禁のみと主張)、裁判所はケージへの監禁とタオル結束が相まってVが死亡したと認定し、結束行為はAらの共謀による監禁の一環と評価して両名とも監禁致死が成立するとし、A1を懲役9年・A2を同4年としています(殺害行為の関与の有無などで差が出たもの)。

このような「親(保護者)の資質や生活環境に照らし子の養育などを健全に行うのが難しいと予測される家庭」については親権剥奪(子の保護)などの強制的な措置がありますが、当然ながら滅多に行われるものではなく、結局、悲劇の未然防止としても十分に機能しているとは言いがたい面はあるかと思います。

そこで、日常的な方策として、地域の行政機関の委託により地域の良識ある第三者に対し、当該家庭(幼児等を養育している家庭)に一定の関わりを持たせる制度・慣行(平時はカウンセリング等の支援、緊急時には監視や通報など)を構築してもよいのではと思っていますが、そのような議論が盛り上がらないことを残念に感じています。

この件では加害両親は被害児に生活上の問題行動(奇行)があったと主張しており、量刑上の考慮はともかく、彼らには対処できないような発達障害があったのかもしれませんので、そうした点でも「親だけで育てることができない子を地域が健全な態様で引き取る」仕組みが必要だと思います。

このような極端な事例ではないにせよ、日々、残念な相談を多く受けているしながい田舎の町弁の一人として、かつては多少は存在したはずなのに今はほとんど見かけない地域の共助(弱者保護等を目的とするソフトな相互扶助と相互監視)の再構築が、社会の喫緊の課題の一つではないかと感じています。

近時、児童虐待の対策として、里親制度の構築が取り上げられているようですが、里親(第三者)のもとで生活させる=実親の養育を全面否定せざるを得ないのは極めて例外的な場合でしょうから、そうした極端な例だけでなく、実親が様々なハンディを負っている場合に地域内に良質な里ジジ・里ババ・里オジ・里オバが登場して色々とフォローできるような仕組み・慣行があればと思います。

本件や大阪の2児放置餓死事件に限らず、「自分達だけでは子を育てる力がない残念な環境・境遇或いは能力・資質のもとにある親たち」は多く存在するでしょうから、子供達がそうした親などの犠牲にならないよう、公的な介入や第三者の関与・支援の機会を拡大することが急務ではと強く感じます。

AKB商法の拡大生産者責任

AKB48のCDを「総選挙の投票券」目当てに大量購入した関係者が、CDを持て余して山中に数百枚も不法投棄して摘発されたという事件が報道されていました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20171017-OYT1T50037.html?from=ytop_main5

こうしたCDの大量廃棄やそのなれの果てとしての不法投棄は、AKB商法なるものが脚光を浴びるようになった頃から予測・危惧されていた事件ではないかと思いますが、環境法学では世界的な共通認識として、昔から「物を生産し流通させる者は、社会内で廃棄等による過剰・不当な負担・負荷が生じないよう適切な対処をとるべき義務(拡大生産者責任)」があるとされています。

残念ながら、我国の廃棄物処理法制では、それを具現化する規定が未整備なので「ボロ儲けした音楽業界の連中に廃棄費用を負担させるべき」と当然に言えるわけではありませんが、本来の用途(音楽鑑賞)を逸脱した大量購入・大量廃棄を必然的に招く商法に対しては、不法投棄の対処費用の負担だけでなく過剰販売そのものを禁圧する制度が必要ではと思っています。

日弁連廃棄物部会では、製品の無償引取(によるリサイクル)義務を製造者に課すよう求めており、販売禁止が無理なら速やかにその種の制度を導入して、メーカーにまとめて引き取っていただきたいものです。

また、AKBのCDに関しては、販売時にリサイクル料金を上乗せして購入者に支払わせるくらいの措置が必要ではと思わないでもありません。

投票券自体の販売はどうこう言うつもりはありませんが、そうした販売方法の規制についてメディアなどで提唱する方を拝見したことがないのは残念です。

少なくとも、処理施設での焼却であれ不法投棄の原状回復費用の貸倒(実行者からの回収不能)であれ、それらは税金の負担になるわけですから、環境面の負荷も含め、そうした事態を招来する行為は「華々しくもなんともない醜い営みだ」と抗議する声を上げていただきたいと思わざるを得ません。

日弁連廃棄物部会も、原発汚染廃棄物ばかりに取り組むのでなく、こうした点でも世間の目を引くような提言とかしてもよいのではと思ったりもしますが、万年実質ヒラ部会員の身には、望むべくもありません。

学童保育が地域で果たしうる役割

以前にも投稿したことがありますが、先日、私が運営に少しだけ関わっている盛岡市内の学童保育所の責任者の方の指示で、県内の多くの学童保育所が加入している「岩手県学童保育連絡協議会」の総会に参加し、当方施設の実情や県連協への要望などについて5分ほど簡単な報告をしてきました。

要望といっても、県連協の最大の課題とさている「学童支援に関する県内自治体間の格差」(北上や久慈などは相当の予算措置が講じられて立派な施設が作られている一方、児童センターを重視する盛岡が学童に冷淡だとされていることなど)をその場で述べても意味がありませんので、当方施設が昨年に経験した出来事(NPO法人化)に関する経過や意義のほか、私個人の経験を踏まえて学童保育一般に求めることなどを簡単に述べました。

率直なところ、その場で私に求められている内容が何なのか最後まで考えがまとまらず、しどろもどろで全く堂々としていない拙い報告でしたが、

マンション暮らしの住民をはじめ、現代の地域社会が互いの繋がりの乏しい関係になっている状況の中、子ども達が地域の良質な大人達から影響を受けて育つ機会が損なわれていること、

それゆえ、地域の子らの生活の場所の提供者たる学童保育所には本来的な役割だけでなく、地域の人々の結節点などという形で潜在的に大きな可能性、果たしうる役割があること、

だからこそ、その意義や価値を多くの方に伝達いただくと共に無理のない形で地域社会との良質な繋がりを深めていただきたいこと

などをお伝えしました。

とりわけ、現代の社会は、バラバラになった地域のコミュニティの再構築や地域住民に対する公的サービスの提供のあり方に関する再編成=「官から民へ(お役人や税金に依存しない住民の自律的・自治的な地域社会の再形成)が重要な課題になっていることは言うまでもありません。

私が関わっている学童保育所で、地域社会と有意義な関わりを持つ先進的な試みがなされているなどという事情を聞いているわけではありませんので、私の願望を述べたものに過ぎませんが、学童に限らず、そうした事柄への貢献も視野に入れた幅広い活動を様々な方に考えていただければと思っています。

最後の福祉弁護人とドタバタ劇

先日受任した被疑者国選事件が、自宅に障害のあるお子さん(成人)が一人残されているとか、猫がいるものの面倒を見る人がいないとか、本題(被疑事実)とは関係のないところで色々と問題があり、保健所・医療施設・動物愛護団体など様々な関係先の方々と延々と電話でやりとりする等の作業に追われました。

幸い、猫やお子さんの保護に関する実働は関係機関に担っていただき、猫も残念な展開にならずに済んでおり、「猫の餌をやってきてくれ」などという国選の著名ジョークのような有様には至っていませんが、先日は迷路のような道路の先にあるご本人の自宅を訪ねて内部の残念な状況を五感で思い知るという出来事もありました。

最近は、後見絡みの受任が増えているほか、ご家族の障害などの問題を抱えた高齢の方からの財産管理などに関するご依頼(地域包括支援センターを介したもの)もあり、次第に「最後の福祉弁護人」といった感じになってきています。

10年以上前は、ヤミ金などの従事者と不毛な怒鳴り合いに勤しむ「最後のクレサラ弁護人」だったこともありますが、時代の流れを感じざるを得ません。

で、保健所のAさんや医療施設のBさんとのやりとりの一コマから。

A:お子さんが所持金がなく困っている。解決のため、被疑者に○○を聞いて貰えないか。
私:昨日も接見に行ったばかりなので、何とか他の方法で対応できませんかね・・
B:無理です。これがどうにかならないと、お子さんが食べていけません。
私:仕方ないですね・・今夜も行きますよ。

~で、接見して○○を聞いてきた次の日~

A:何とかなりました。○○の点が分からなくとも、大丈夫でした!
私:そうですか。昨日のうちに仰っていただきたかったですが、良かったですね・・
(こうした話の連続で急ぎの重い仕事が延々遅れており、内心ピギャー)

で、心の余裕がなくなるとロクなことが起きないというか、11時の法廷を勘違いして10時半に裁判所に行き、到着後に愕然としながら無為に30分を過ごす羽目になりましたとさ・・

どんとはれ。

ともあれ、この件では、当事者(特にお子さん)が悩ましい問題を抱えた状態が今も続いており、現在、関係者に検討・準備いただいているものを含め、様々な福祉的支援が必要であることは間違いありません。

現在生じている幾つかの看過すべきでない問題を解消するには一定の経費を要しますが、この件では特殊な手法を用いれば一定の費用回収ができることも間違いないと思われるものの、現在の法制度では簡単にできることではないことも確かです。

この場では具体的に書けなくてすいませんが、そうした問題について担保的な手法により最後に回収する目処を付けた上で、行政などが介入し問題の除去を図るという仕組みがあってもよいのではと残念に感じています。

政治家・公務員の責任追及制度に見る「国と自治体の格差」と是正への道

住民訴訟で自治体の首長に巨額賠償が課された場合(例えば、豊洲市場問題で都民が石原知事に対し「都の損失を補填せよ」と訴えて勝訴した場合をイメージして下さい)において、近年、地方議会が「首長の過失の程度は重くないのに、巨額の損失を肩代わりさせられるのは気の毒だ」として免責(自治体の首長に対する賠償請求権の放棄)の議決をすることが増えているとされ、平成24年には一定の場合に放棄を容認した最高裁判決なども出されています。

そうした事情を踏まえ、政府が地方議会による免責の議決に一定の歯止めをかける制度を設けるとの報道が出ていますが、政府=国が住民訴訟を強化する制度を推進する光景自体は私も特に異論ありませんし、至極まっとうなもののように見える一方、妙な滑稽感を抱く面があります。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170309-OYT1T50058.html?from=ytop_top

というのは、民が官に対し公金の使途の是正を求める制度について勉強している方ならご存知だと思いますが、自治体による公金濫用(公用財産の毀損)に対しては住民が首長など関係者の賠償責任を問う制度(住民訴訟)はあるものの、国による公金濫用等に対しては、そのような制度(国民訴訟)は我国には設けられていません(外国はどうなんでしょうね)。

いわば、石原知事や当時の東京都の担当者などは豊洲問題で訴えられるリスクを負っているのに対し、例えば、森友学園事件で「埋設廃棄物の撤去費用8億円の見積が虚偽と判明し、公有財産を不当に廉価に売却したものであることが確定した上、そのことについて安倍首相や麻生財務相、担当のお役人さんなどに任務懈怠責任が認められる場合」でも、国民が賠償責任の追及を求めて提訴することはできません。

ですので、このような報道には「安全な場所に身を置く者(国関係者)が、自分がリスクを取らない状態を続けつつ、危険な場所に身を置く者(自治体関係者)にばかり、「ちゃんとやれ」と言い続けている」ようなアンフェアな印象を感じる面があるのです。

もちろん、そうした制度に消極的な見解の方からは、濫訴防止など法技術的な様々なご主張をなさるのではと思いますが、根本的には、この国の地方と中央(国家)の関係がどのようなものとして統治機構が構築されているのかという問題に行き着くのではと思わないこともありません。

ちなみに、日弁連は10年以上前から、そうした公金是正訴訟制度の導入を求めていますが、およそ世間の話題になった記憶もありません。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2005_41.pdf

いっそ、石原知事であれ他の知事さんや市町村長さんなどが「俺たちばっかリスクを負うのは嫌だ」と世間に向かって導入の声を上げていただくとか、日弁連も、本気で導入したい気持ちがあるなら、そうした「敵の敵」と連帯する努力をするとか、考えてもよいのでは?などと野次馬的に思ったりもします。

それこそ、野党系知事の雄?というべき達増知事は、前任者と異なり全国では全く知名度がないのではと残念に思いますが、「レガシー」として?そうした運動も考えていただきたいものです。

ともあれ、お人好しの身としては、国のお偉いさんの方々も住民訴訟制度を強化、拡充することを通じて最終的に国民訴訟の導入への機運の醸成(国任せではなく国民自身の力で導入を成し遂げる努力をすること)をはじめとする内実ある国民主権の実現に繋げたいという遠大なお気持ちがあるのだと善解したいものです。

あなたの街の森友学園事件(後編)~全国に潜在する「購入した土地に潜み、いつか誰かが気づく埋設廃棄物」というババ抜き問題と対処策~

森友学園問題を通じて廃棄物処理法制のあり方を考える投稿の後編です。

この事件では一連の報道などを通じて様々な問題が世間に明らかになりましたが、仮に、これらの問題が露見しないまま校舎が建設され、その後、同学園が経営に行き詰まって倒産し、土地が競売となった場合を考えてみて下さい。

森友学園(競売の申立を受けた所有者)が「実は、この土地の地中に大量の埋設物があり撤去に本来は8億円も要するのに、1億円程度の工事しか実施しませんでした。今も7億円を要する廃棄物があります」などと裁判所の執行官(競売手続の主宰者)に申告すると思いますか?

また、旧所有者たる国の担当者が、その競売手続を聞きつけて、「その土地にはかつて大量の廃棄物が埋設されていた。森友はそれを全量撤去したか疑わしいので、きちんと調査して欲しい」などと執行官に通報すると思いますか?

そんなことが期待できるのなら、彼らは売買の際に原状回復をしているはずでしょう。特に後者(国の通報)については、当時の担当者の責任問題に直結する話ですので、自主的な対応が期待できるはずもありません。

かくして、競売手続では埋設の事実が露見しないまま、「不法投棄などの問題がない当たり前の土地の値段」で売却され、買受人が購入後に建物の建設のため土地を掘ってみたところ、あぁぁ、という事態が生じる可能性が十分にあるのです。

私は、昨年まで約2年半ほど、そのような展開を辿り、深刻な紛争に至った事件に携わっていました。

具体的には、10年以上前に大量の廃棄物が埋設された土地を事情を知らずに購入して撤去を余儀なくされたXが、その廃棄物を土地に埋めたと目される旧所有者Yらに賠償請求した訴訟を、X代理人として従事しました。

その件では、10年以上前に対象土地の所有者であったYが既存建物を解体し、Yが土地をAに売却→AがBに転売→Bが倒産して土地が競売→不動産業者Cが競落してXがCから購入→自宅の建築工事を開始したところ、最初に着手した地盤改良工事の際に地中の埋設が発覚→工事業者が調査し、Y側の埋設の疑いが濃厚と判明、という経過を辿りました。

廃棄物処理法の一般原則もさることながら、Xは自宅建築のための土地購入である上、地盤の問題などもありましたので、確認された埋設物(地中2.0~2.5m程度に埋められていました)の全量撤去を余儀なくされ、多額の工事費の負担を負う羽目になりました。

その後の調査で、Y社が建物の撤去を委託した地元の解体業者(既に倒産)が土地に不法投棄しYはそのことを知らずにAに売却したのではないかと推測され(知っていたら大問題ですが)、AもBも埋設の事実を知らず、当然ながら競売記録にも埋設の事実は表示されていませんでした。

以上を前提に、当方(X側)は、「本件埋設物はYが委託した解体業者が解体工事の際に埋設(不法投棄)したものである、Yは、解体業者に不法投棄をさせない監督義務(民法716条)を負っていたのに、それを果たさなかったのだから、不法投棄のためXが負った被害に対し、賠償責任を負う」と主張しました。

なお、埋設からは10年以上も経ていますが、被害者Xに発覚したのは最近ですので、時効(被害及び加害者を知ったときから3年)には該当せず、その点は争点にもなっていません。

Yは「当該埋設物はYの建物ではない(それ以前の所有者が埋設したものだ)」とか「仮にY建物の解体物を業者が埋設したのだとしても自分に賠償責任はない」、「X(が依頼した業者)が見積もった費用も過大だ」などと主張して徹底抗戦したため、様々な事情もあって裁判は長期化し、立証のため苦心惨憺の目に遭いましたが、裁判所から「まずまずの勝訴的和解」の勧告を受けてYも応諾し決着しました。

この件では、不法投棄の原因者(実行者)と目される者が倒産していましたが、委託者Yが大手企業でしたので「責任を負うべき者の全員が倒産し賠償金を回収できない」事態に陥ることは回避できました。

これに対し、その事件とは別に何年も前に相談を受けた例で、競売で某建設業者が使用していた土地を取得した一般の方が落札後に地中の調査をしたところ地中に大量の建築廃棄物の埋設があるのが判明したという相談を受けたことがあり、その件では、実行者が倒産していることなどから、上記のように賠償請求をするのは困難ではないかとお伝えしたことがあります。

また、私自身が管財人を担当した土木工事関係の企業で、会社の敷地建物を他社に売却できたものの、敷地内にコンクリート類を埋設していたという話があり、幸い、管財業務中に元従業員の方からその申告を受け、相応の調査を行って買主にも説明し、相当な調整をして売却したということもあります(10年ほど前の話なので記憶が判然としませんが、撤去を実施するなどして売却したはずで、放置した状態で委ねてはいないはずです)。

このような事案は、何も岩手に限った話ではなく、全国に膨大な件数が存在するはずです。その原因は、すでに述べたとおり、廃棄物処理法がかつてザル法と呼ばれ、建設関係や危険物・有害物質などを取り扱う事業者が、自社所有地への埋設をはじめ、かつて多くの不法投棄・不適正処理を行ってきた(それを阻止するだけの法制度ないし実務体制が整備されていなかった)点にこそ求められると思います。

根源的には、大地の尊厳を守るという我国の美点というべき基本的な意識が国民や企業に共有されていなかったことが強調されるべきなのかもしれませんし、それだけに、日本の伝統云々を強調する教育を標榜する学校が、廃棄物の埋設を平然と放置していることは、彼らの本質を言い当てているのではと思わざるを得ません。

以上を踏まえて、冒頭に述べたとおり、仮に、森友学園が校庭?に埋もれた大量の廃棄物について、埋設の事実を伏せて他者に売却した場合とか、撤去しない状態を続けたまま倒産→埋設の事実を報告せずに競売が行われた場合などを想定すれば、その後の取得者が撤去等の負担を不当に強いられることは優に予測されますし、その際に埋設の原因を作出した譲渡人=国が責任を回避できるのかという問題もあります。

とりわけ、前回も述べたとおり廃棄物は処理施設で法の基準に基づき適正処理を行うべきことが廃棄物処理法制により厳しく定められていますので、適正処理を行うべきことを知りながら完遂せずに放置した者は根こそぎ、その責任が問われてもおかしくありません

現在、問題の小学校が大阪府の認可を受けることができるのかという論点が生じているようですが、教育内容云々という点もさることながら、廃棄物の適正処理をしていない場所を教育の場として用いて良いのかという観点から問題提起をしていただければと思っていますし、直近の報道では、そうした理由で不認可などの対応がなされる可能性が高まっているように思われます。

だからこそ、こうした特異な事件で世間が騒いでおしまい、ではなく、前回に述べたような様々な論点を適切に対処したり同様の事態を繰り返さないための法制度が構築されるべきで、その点に関する認識や議論が深まればと願っています。

あなたの街の森友学園事件(前編)~埋設廃棄物を含む土地を撤去費用を差し引いて購入した者が撤去せず放置した場合に生じる法的問題と対処策~

本日現在、様々な疑惑や法的問題が噴出し益々ややこしい展開になりそうな森友学園事件ですが、処理費用の見積の適正とか政治家の介入とか教育理念・手法の適否や教育基本法との抵触などといった問題はさておき、廃棄物の処理のあり方という点に関しては、昨年までこれに類似する事件に携わり、悪戦苦闘した経験のある者として、色々と考えさせられる面があります。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170216-00010000-bfj-soci

この事件の発端は、過去の様々な経緯で膨大?な廃棄物が埋設された土地を行政が取得し、そのまま放置していた点であり、廃棄物問題(環境問題)の観点からは、廃棄物が埋設されている土地を処理費用を買主が負担するとの前提で「本来の価格Aから、処理費用として見積もられた額Bを差し引いた金額C」をもって代金とすると合意して売却したのに、買主(森友学園)がこれを全部撤去(原状回復)せず一部(大半?)を放置したまま学校の建築を行ってしまったという点が、最大の問題だということができます。

この点について論点を整理するとすれば、次のようになるかと思います。

①廃棄物が埋設された土地を旧所有者(売主)が自ら適正処理することなく他者に売却して良いのか(代金から控除などという手法を採るくらいなら、その額を納付ないし適正な処理業者に支払わせ廃棄物の全面撤去を見届けてから売却すべきではなかったか)という問題

買主(新所有者)は適正処理をするとの前提で代金から処理費用を控除して購入したのに、直ちに処理をすることなく(売買時に負担すべき「代金」からの控除という観点からは、購入と同時に行うべきではないかと思われるのに)、除去をしないで土地を使用(校舎建築や校庭造成など)させてよいのか(そのような行為を規制=事前に廃棄物除去を義務づけなくてよいのか)という問題

③買主が本来の土地の評価額から控除対象とした「処理業者が作成した撤去費用の見積額」が適正なのかという問題

④仮に、買主が、このまま廃棄物の除去をしないまま倒産など「自ら廃棄物の除去をすることができない状態」に至った場合、土地に埋設された廃棄物は誰が、いつ、どのように除去するのか(費用を誰がどのように負担するのか、撤去はいつどのようにして実現されるのか)という問題

なお、前提として、このような問題を考える上では、その廃棄物がどのような原因で誰により埋設されたのか(誰の廃棄物なのか)という点も明らかにすべきですが、この点は、報道によれば、もとは民家などが建っていた土地を空港騒音対策の一環として買収した土地とのことで、買収時まで対象地を利用していた民間人(民家や工場など)が、何らかの事情で排出した物ではないかと推察されます。
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni3?utm_term=.xj9Jra03m#.lv7RJDweV

或いは、買収の際に、騒音のため活用できない土地だと軽信して当時の所有者(元売主)側で埋設したのかもしれませんし購入側(行政)の委託で買収地の建造物の撤去などを受注した解体業者などが不法投棄したという可能性も考えられます。売主側で撤去する前提で買収がなされたのなら、売主から受注した解体業者が不法投棄したと考えられ、私の経験した事件との比較では、この可能性が最も高いのではと思わないこともありません。

ともあれ、廃棄物処理法では、産業廃棄物(事業活動に伴い生じる廃棄物の大半)であれ一般廃棄物(その他の廃棄物)であれ、廃棄物はすべて法定の基準に基づき処理されるべきものであって、それをせず許可された処分場でもない一般の土地の地下に埋設するのは基本的に不法投棄に他なりませんので、本来は、その状態が「生活環境の保全上の支障(廃棄物処理法19条の4、同5など)」が生じているものとして、一刻も早くその状態を是正(原状回復)する措置が講じられるべきです。

そのような観点からすれば、

①土地所有者たる国が、今回の森友学園への売却にあたり、自ら埋設廃棄物の撤去をせず、又は、買主側で撤去するというのであれば、「買主が全量撤去を終える(適正な原状回復をする)ことを条件とする売却」などという措置を講じることなく、漫然と「撤去工事費用相当額を代金から控除して、実際に撤去するかどうかは買主の対応に委ねた」ことは、廃棄物処理法の理念に悖るというべきですし、

②買主(森友学園)が、撤去工事を自ら行うことを条件に代金の値引を受けて購入したのであれば、特段の事情がない限り、直ちに撤去工事を行った上で土地を利用するとの前提で購入したものと見るべきで、それをせずに廃棄物が埋設された(それどころか埋め戻した?)状態で土地を利用しようなどというのは、廃棄物処理法の理念に悖るというべきですし、

③現在の売主・買主の責任を問う以前に、廃棄物の埋設を行った張本人や、そのことに監督責任がある者は、特段の事情がない限り、その廃棄物を撤去すべき責任があるというべきで、本来は、土地所有者たる国や、廃棄物処理に対する監督責任のある行政(大阪府など)が、その点に関する事実関係を明らかにして現時点でも何らかの形で投棄行為者の責任を問うたり自主撤去などの任意の対応が得られないか検討、交渉することができないか検討することが、廃棄物処理法の理念(ひいては措置命令など諸規定)から求められているというべきだと思います。

特に、③については、行為者(本来の加害者)などに責任を問うことができなければ、売主=国=税金の負担で撤去(又は今回のように撤去費用を控除した売却)せざるを得ないのですから、なおのこと、この問題を軽視、放置するのは適切ではありません。

また、仮に、森友学園が学校不認可などの事情で倒産に至った場合、地中の廃棄物を誰がどのように除去するのか(してくれるのか)という問題が生じますが、その点(所有者の倒産後の所有地に埋設等された廃棄物の撤去等の確保という問題)についても、現行の廃棄物処理法は十分な制度を設けているわけではありません。

だからこそ、世論には、政治家の関与云々とか処理費用の見積の適正などの不正の有無、森友学園の教育手法の問題などといった点に限らず、「廃棄物まみれの土地を、どのように適正に原状回復するか、その費用は誰がどのように負担するのが適切なのか」、さらには、「こうした問題を再発させないため、廃棄物処理法をどのように改善すべきなのか」という問題についても、真剣に考えていただきたいと思います。

上記に即して言えば、

①自己の所有地に廃棄物が埋設されていることを知った者は、土地の売却時に、少なくとも売得金の限度で当該廃棄物を撤去すべき義務を負い、それを優先的に実施する(買主にさせる)ことなく売却できないものとする。

②廃棄物が埋設等されている土地を購入しようとする者は当該廃棄物を除去して原状回復した上でなければ、土地を利用することができない。除去に要する費用については代金からの控除を求める(そのような意味で売主負担とする)ことができるが、除去費用が土地の対価を上回る場合は、一定の条件のもと、廃棄物処理センター(廃棄物処理法15条の5)などが運営する基金制度から相当な支援を受けることができるものとする。

③廃棄物の埋設などを行った者は、原状回復に関する私法上及び廃棄物処理法上の責任を永久に負うものとし、売買時に瑕疵担保責任の免除などの合意(豊洲新市場でも話題になってますが)をしても特段の事情がない限り無効とする。但し、埋設等の際にこれを正当化せざるを得ない特段の事情があれば、内容に応じて減免することができる。

④廃棄物行政と法務局が連携し、土地に埋設された廃棄物等についての情報を収集して登記事項に掲載し、除去がなされない限り埋設情報を抹消してはならないものとする。なお、所有者等が埋設情報を把握した場合は、所定の方法で行政に申告すべき義務を負う。

といった制度を設けるべきではないかと思います。

少なくとも、現行法上は、土地の性状(汚染や埋設物等の有無)の公示制度(所有者への調査義務などを含め)がありませんので、土地を購入する者は、購入した土地が不法投棄や汚染等の問題があるかどうか必ずしも知ることはできませんし、取得した土地に埋設等が発覚した場合に、所有者に原状回復を義務づける制度も十分ではありません。

だからこそ、本来なら率先して撤去をすべき国自身が、このように廃棄物の埋設(不法投棄)を継続させたまま他者に土地を譲渡して撤去の有無を無責任的に(売主側が責任を持つことなく)委ねてしまうという出鱈目な事態がまかり通ってしまい、国政の混乱と共に怪しげな出来事や税金や政治資源の浪費などを招いています。

廃棄物処理法は、かつて「ザル法の典型」と呼ばれ、平成以後は全国で頻発した大規模不法投棄事件なども踏まえて強化の一途を辿りましたが、現在も様々な「法の隙間ないし狭間」が存在しています。

だからこそ皆さんにも廃棄物処理法制や実務のあり方に関心を深めていただきたいと思わざるを得ません。

また、森友学園の一連の問題が現時点で露見せず、後日に埋設が発覚した場合を考えると、さらに厄介な問題が生じる可能性があります。そして、そのような問題(人知れず廃棄物の不適切な埋設=不法投棄が潜在している土地)は、実は、我が国には現在、潜在的には大量に存在しているのです(先日の築地市場を巡る報道も、そうした現実を示すものでしょう)

そのことは、私が現に扱った事件などを踏まえて次回に触れますので、次回もぜひご覧下さい。

生活保護を巡る需給双方の「なめんな」と解決策

先日、神奈川県小田原市の生活保護の担当職員らが、「保護なめんな」などの文字をプリントしたジャンパーを着用して職務に従事していたことを取り上げたニュースが流れていました。
http://www.asahi.com/articles/ASK1K551JK1KULOB026.html

その件のことは存じませんが、10年近く前に盛岡市の広報広聴課で無料相談を担当していた際、同課に生活保護受給者と思われる興奮状態の方が押しかけて、生活保護に関する不満?を激しく述べて「ここから飛び降りて死んでやる」などと叫び、それを職員の方が宥めるという事態(所要30分程度)を垣間見たことがあります(確か、保護費を使い果たして生活できないという類の話で、毎月の金額への不満なども話していたような記憶があります。また、昔の話ですし狭義の守秘義務の問題でもありませんので、役所名の表示も許容範囲とさせて下さい)。

ちなみに、当時の相談場所は、現在のそれ(別室)と異なり職員の机と隣り合わせの遮音性の著しく低いブースでしたので、目には入りませんでしたが声は丸聞こえでした。

職員の方々と個人的な面識等がなかったこともあり、悩んだ末にしゃしゃり出るのを差し控えてお任せした方が良いと判断し、ブース内で終了まで静観した後(昼休みの出来事だったと思いますが、途中から相談時間になったかどうかは覚えていません)、あとで職員の方に「警察に通報しなくて良かったのですか」と伺ったところ、1万円前後の額?(自腹)を渡して帰って貰った、警察を呼ぶよりその方が賢明との説明があり、恐らく、そのような話は決して珍しいものではない(同一人かはさておき)との印象を受けました。

冒頭の記事の中にも受給関係者による職員の被害が発端とありますし、上記のような出来事があった盛岡市でも、何らかの問題が存在ないし発生するということもあるかもしれません。

反社会勢力による産廃の不法投棄が頻発していた時代には行政の担当者を守るために警察と連携せよといった話があったかとは思いますし、この種の問題は関係者(官民双方)の「心のケア」に関する対策も避けて通れないと思いますが、現在の「行政対象暴力に対する(岩手県内等の)実務の実情」はどうなっているのでしょう。

残念ながら、そうした事柄に関与するどころか生活保護一般に関わる機会も滅多に得られていませんので偉そうなことは言えませんが、例えば、申請に対する審査などの部門と不正調査などの部門を切り離して、前者は各種の福祉関係者と連携して「より良質な他の選択の模索」も含めた親身な対応を行うと共に、後者は警察など各種の調査機関と連携して厳格な調査や対処の充実を図るなどとするのであれば、後者(不正問題)を理由に前者が過度に拒否的な対応をとるなどという事態を防ぐことが多少はできるのでは?などと思わないでもありません。

もちろん、障害者などの「働きたくとも働けない人」にとっては、人間の尊厳の最後の砦としての相応の保護は必要でしょうし、「働こうと思えば働ける人」にとっては、尊厳の拠り所としての労働の場を、その人の実情に合わせた形で適切に提供するなどの工夫が必要でしょうから、メンタル面なども含め、そうした視野のもと各種支援組織の総合的・ワンストップ的な対応ができる仕組みの構築やそうした観点での関係者の尽力こそが、一番必要なことではないかと思います。

また、上記の盛岡市のケース(で私が聞いた話)のように、「職員が自腹を切ってその場をやり過ごす」などという話はあってよいことでなく(不当負担を強いるのは反作用として何らかの不正の温床になりかねません)、相当な理由がある場合の臨時給付の制度を設けるのか、モラルハザードを許さないため警察等を通じて次の給付日までは何らかの保護施設に収容するような制度を設けるのか、選択肢はどうあれ、現場に不当な負担を生じさせないためのきちんとした議論がなされるべきだと思います。

少なくとも、そうした工夫をすることなく現場の役人さんに過負担を強いた挙げ句、行政が自ら暴力(暴言)的になったとしても、社会の理解は得られないでしょうし。

乳幼児の虐待防止と育児家庭の一斉面談制度の提案

乳幼児の虐待殺人事件は昔から存在しているとは思いますが、最近は育児環境に不利な条件を抱えた方が増えているせいか、特に報道される機会が多くなっていると思いますし、とりわけ、下記に引用した事件のように、「若いシングルマザーが、ろくでなしの交際相手(内縁夫)に流される(人として呑み込まれてしまう)形で、男の主導のもとで虐待殺人が行われるケース」が増えているような感じがします。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161125-00000051-mai-soci

このような事件は、要するに「ろくでなし男」側が、自ら殺傷したり母親に子を殺すように仕向けているとしか思えませんが、少し前に読んだ、橘玲氏の「言ってはいけない」(新潮新書)で、未開部族や他の動物の習慣として、そうした話が取り上げられていました。

いわく、南米やオセアニアには、乳幼児のいる女性と結婚した男が女性に子を殺すよう要求する習慣のある未開部族があるとか、ハヌマンラングール(オナガザルの一種)のオスが子連れのメス集団(ハーレム)を乗っ取った際、真っ先に小猿達を殺戮する習慣があり、これは、授乳中のメスは交尾に応じず、小猿を殺すことでメスが再び発情期になり新たなオスの子を産めるようになるという、オスの繁殖戦略に基づく(そうした行動をとったサルが、結果として種を後世に残して繁殖した)というものだそうです。

実親による虐待事案も多くありますので、すべてをそれで説明するのは無理でしょうが、我が国でしばしば報道される「内縁夫などが絡むネグレクト殺」は、上記の話に似ているような印象を受けます。

乳幼児は自らがその命を守るための行動をとることはできないのですから、国家・社会が、刑法(殺人罪)などを設けてその防止の必要性を認めている以上、乳幼児の虐待殺の防止(安全確保に止めず、子自身の生活の質の向上を含め)のため、より実効性のある措置を講ずべき時期に来ているのではないかと強く感じます。

監視社会との批判もあるかもしれませんが、例えば、乳幼児期には行政等の第三者(委託された相当な企業・民間団体などを含む)が定期的に面談して安否などを確認するような制度(もちろん単なる監視・調査の制度ではなく、様々な相談などを通じて育児家庭を支援することを目的としたもの)を推進すべきではと思うのですが、そうした取り組みをしている自治体とか政治家などはいないのでしょうか?

国民・住民たる乳幼児の安全を守るのは国・自治体の責任だと法律等で明確に位置づけ、例えば、乳幼児を監護する者(親権者など)には、予め策定した要綱等に基づき行政が相当と認めた者(保健師、民生委員、相応のNPOなど?)と一定の頻度で安否確認などを目的とする面談を義務づける制度を設けるべきと思っています。

面談を通じて不穏な情報やその潜在的可能性のある事案では児相などに通報→早期に実情把握・調査や受け皿の確保などを行うとのイメージです(それを踏まえた児相や警察の実働強化などの整備は当然です)。

もちろん、ほとんどの家族にとっては相応の負担になりますから、頻度等は家族側の既存の監護体制等に応じて区分すればよいでしょうし、相応の財源が必要になりますが、それは「次世代を守るのは旧世代全体の役目」ということで、相続税の増税(基礎控除の縮小を含め)が一番ではと思っています(とりわけ、被相続人との関係が希薄なのに棚ぼた的に高額財産を取得する事案が近年では増えており、通常の相続よりも税率を大幅に上げてよいと思います)。

facebookでこうしたことを書いたところ、他の先生から地域保健師の制度があるとの指摘をいただきました。

保健師についてはほとんど存じておらず(そういえば盛岡市から健康指導を受けよと書かれてある通知を過去に受けたものの、多忙を言い訳に放置してしまったことはあります)、ネット検索したところ、こんな会社さんがあるのを見つけました。
http://www.hokenshi.com/job.html

各論は様々な方法・議論があるとは思いますが、「こどもファースト」の精神で制度の構築や運用を考えていただきたいものです。

(H30.6追記)
H30.6に発覚した目黒の虐待死事件(報道では妻の連れ子を再婚男性が虐待とありましたが、養親関係はあるのでしょうか)や岩手県北上市の実父育児放棄死事件を機に、この投稿を思い出して読み返すと共に、表現を微修正しましたが、当時と今とで実務に大きな伸展がないように思われます(引用したニュースも現在は閲覧不能とのことで、恐らく大阪や首都圏で生じた虐待殺事件ではと思いますが、要旨だけでも書いておくべきでした)。

実効性のある予防制度が構築されるまで、あと何人の子が虐待殺人の犠牲にならなければならないのかと、残念な思いを禁じ得ません。

なお、H29.12.13付で里親(里ジジ・里ババ)の強化(彼らの関与を通じた、ゆるやかな相互扶助と相互監視)について投稿しており、そちらも参照いただければ幸いです。