北奥法律事務所

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短歌・川柳など

旗揚げの聖地で勝ちどきを願って

昨年末の話です。

私は駆け出しのイソ弁時代、大田区北部に住んでおり、自転車で行ける範囲の距離に洗足池がありましたが、諸事に追われ赴くことができずに終わってしまいました。

というわけで、20年前に行き損ねた近所の名所にようやく訪れて一句

洗足池 ボクの専属どこへやら
風と雲 鏡に映す 先祖供養

洗足池には、源義家にゆかりがある八幡神社がありました。昨年は「武衛」が流行語になりましたが、佐藤浩市氏は「炎立つ」で源義家を演じていました。

旗揚げは今も昔も千束で

千束は、源平合戦の華の一つ、宇治川の先陣争いと深い繋がりがあるのだそうです。

年の瀬に勝ちどき願う池の月

今も昔も老いも若きも、何かと戦わなければならない社会ですが、お互い己にだけは負けないよう頑張っていきたいものです。

まぼろしの稚児と持て余されたビアガーデン 

先日、久しぶりに滝沢総合公園にお邪魔しました。で、二度と戻らない様々な過去に思いを巡らし一首。

この街の裏見の滝がうつすのは
稚児のまほろば 夏のまぼろし

その後、滝沢市役所の向かいに数年前に建築された官民複合施設で少しばかり涼んでいきました。

施設の2階には、持て余され放置されている感じの空間がありますが、この時期ならビアガーデンに活用しても良いのではと思いました。

その日は滝沢市議選の投開票日でしたが、眼前の市役所を酒肴代わりに市民が市政や暮らしを語り合う・・などという光景があっても良いのではないでしょうか。

向かいで残業する職員には有り難くない光景かもしれませんが、職員自身の憩いの場になるかもですし。

市議選には昔々仕事でお世話になった方も出馬されており、翌日の記事で無事に当選されていたことが分かりました。またお会いできる機会があるか分かりませんが、ご健闘とご活躍をお祈りしています。

 

学園祭に頑張る人々の今昔と、幾年経てもやる気の無い奴に付ける薬

2週間ほど前の話ですが、今年もやむを得ず恒例の函館出張に赴きました。

今回は五稜郭電停前に昔から建っているホテルに宿泊しましたが、朝食の食べ過ぎで、昼に会場で札幌イケ麺を食べられなくなり一句

動員で法華のホッケもフライング

それはさておき、訪問先では学園祭が開催されており、とある事情で生徒さん達の様々な演奏パフォーマンスを拝見しました。

35年前には同じ壇上で学ラン姿で「女子高に向かって走るぅ~」などと歌っていた御仁がいましたが、長じて激動の人生となり、その隣で演奏の真似?をしていた御仁の一人は、海外で長年スーパードクターとして活躍されているそうです。

今回、壇上で頑張っていた皆さんにも、ぜひ将来のご活躍を祈念したいものです。

同級生などが駆けつけて盛り上げていたものの、土曜で雨天だったからかもしれませんが、体育館内の聴衆は多いとは言えず、もう少し集客に智慧を用いてよいのではと思いました(日曜は、校内の別ステージで行い、観客も増えて大賑わいしてましたが)。

例えば、市内の女子高生などにゲスト出演で2~3曲歌って貰えれば(ツインボーカルとかも含め)、恵まれない全校生徒が集まって来るでしょうし、ゲスト出演する女性の仲間(同級生など)も応援で沢山やってきてくれそうな気もします。

昔、この学園祭では大がかりな女装コンテストなるものをやっていました。

それを行う必要があるとは思いませんが、どうせやるのなら、かつて一世を風靡した「シャズナ」のように、女の子に好評を博するような本格的な女装を容姿秀麗な生徒さんに施し歌って貰うのも良いかもしれません。

去年はウイルス禍のため生徒・家族のみの入場となり文句を言っていた輩もいたそうなので、そうした努力・交渉の経験も積んで、将来に活かしてよいのではと思いました。

***

そもそも、今回の出張は、諸事情により特製手ぬぐいとカモ○の玉子と南部煎餅の販売に従事するのが目的となっていました。

私は適性を欠く仕事には無能力なので、他の皆さんのご尽力を拝見していただけですが。

ただ、当方の同級生の親御さんだと仰るご婦人から突如ご挨拶され、

あなたが書いた文章が、PTA誌の同種投稿の中で一番面白かった、ウチの子にも読めと言ったのよ、

と仰っていただいたので、言論の自由に限らず何かと恵まれない日々を送る身には、それだけでも行った甲斐がありました。

梅雨明け直前ですが、暑さの影響もあり、隣のブースでは秋田名物のアイスが大行列で飛ぶようにババ売れ・・もとい、バカ売れしていました。

岩手の商品群は、結局、

カモ○の玉子は紅白セットだから合格祈願!

などというお母さん達の力業と全国各地の来訪者の応援購入(バーター)のお陰で、食べ物だけは、どうにか売り切ったそうです。

岩手も、花巻のグルグル巻ソフトは無理かもしれませんが、可能なら、来年は県内各地で流行っている何とかジェラートを仕入れるなど、「冷やし系」で勝負した方が良いかもしれません。

ただ、ママアイスも冷夏の年に大変な目に遭った話もあるのだそうで、商売は運次第なのでしょうが。

他の全国各地のブースは、色々と宣伝文句を書いてブースに貼っていたので、かもめの玉子や南部煎餅も、

お子さんへの差入に最適!
テストのご褒美はコレだ!
ホワイトチョコに包まれるゥ~

などと書いてアピールすれば良いのではと思いました。

ただ、

義務自習時間中のお供に!

と張り出したら、寮からクレームを受け、ヘラヘラ顔で詫びを入れる羽目になるかもですが。

数年前に来た際は一日中牛タンを焼いており、今年は取りやめになりましたが、南東北の方々もジュース販売に(仕入れすぎで?)苦心していたようで、来年は「その場で飲食できる系」が復活するのかもしれません。

ともあれ、従事された皆様はお疲れさまでした。来る度に今回が最後と同行者には伝えていますが、どうなることやらです。

大船観音と円覚寺にて菩薩のご縁を祈願するの記

半年前の話で恐縮ですが、仕事で神奈川県に出張でき(日帰りですが)、折角の機会ということで前後の時間に近隣の寺院を見に行きました。年末年始にも鎌倉に日帰りで行きましたが、大河ドラマ効果?か、神奈川へのご縁が続いています。
マチ弁が鎌倉来たりてエセ歌人(前編) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

まずは、東海道線からもよく見える大船観音にて、21年ぶりの機会を大観音に感謝しつつ更なる御利益を祈願して一首

大船に乗ったつもりで気がつけば 菩薩足りぬと南無阿弥陀仏

観音様というのは「世を観て」救う存在だそうですが、当方も社会の様々な問題の解決に関わりつつ、今なお修行僧というのが実情のようです。

幾とせも世を観て聞いて働けど なお苦しめと今も悶える

大船観音は、昭和初期に世相浄化と観音思想の普及を目的に着工されたものの、ほどなく中断され、大戦後の昭和30年代に再開・落慶され、戦没者の鎮魂と世界平和を祈って建立されたという経緯を辿ったようです。

ともあれ、観音像自体は、半身のみ地面から生えてきたような特異な容姿をしており、

戦災の涙を吸うた白筍が 平和願いて生え聳えたり

と形容するに相応しいのかもしれません。

***

その後、出張仕事を無事済ませ、北鎌倉の名刹に辿り着いて一句。

良き人に縁が来ればと円覚寺

国宝・円覚寺舎利殿は入口が閉じられ、普段は近づけないようです。全容を知りたい方は横浜市中心部の歴史博物館へどうぞ。

次に、北条時宗の廟所とされる佛日庵を訪ねました。円覚寺は、北条時宗が南宋の高僧・無学祖元を招聘し、創建した寺院です。

かつて外国の侵略から国を護った執権は、いま、同じ苦難に立ち向かう異国の人々に次のような一句を告げているかもしれません。

国難のときは気丈に胸を張り

敷地内には、夢窓疎石の作庭を今に伝えるのどかな光景なども広がっていました。

次世代に春を託して梅の花

・・・これが梅かどうかは私には分かりませんが(近くの建物で梅は咲き始めてました)

丘の上には国宝とされる梵鐘があり、表面には「国泰民安」なる碑文が刻まれているそうです。

「国民を二つに割るとはケシカラン。安泰を逆さまにしており、日本国民への呪詛だ!」などと言い出す人もいたりするのでしょうか?

(以下、次号)

 

鎌倉長谷寺にて、カトリック的仏教とプロテスタント的仏教の歴史と異同に思いを馳せる

鎌倉編のおまけに、長谷寺に赴いた際に考えたことについて書きます。

鎌倉長谷寺は紫陽花の名所として有名であり、どうして文化財指定を受けていないのだろうと感じる、巨大な十一面観音像が本尊となっています。

御仏も鎌倉殿に馳せ参じ
競えど殺さぬ世を導けり

長谷寺の創建時期は不明(伝承では天平期)ですが、一般的理解では鎌倉期から幕府関係者を中心とする時の権力者・有力者の庇護のもとで発展した寺院であり、奈良・平安仏教などと共に、広義の「鎮護国家系仏教」と言えるでしょう。

建物や敷地内には多くの日本の寺院と同様に様々な種類の仏像・地蔵像などが多数入り乱れ、いかにも多神教的な印象を受けます。

ただ、有力者の庇護を受けた寺院に様々な「ランキング」化された仏像などが並べられるのは、それが、貴人(支配階級)の序列社会の光景に馴染む面があるからなのかもしれません。

カネ主たる有力者にとっては、色々な仏様から多様な御利益を受けたいとのニーズもさることながら、偉い仏が沢山いて序列化されている光景を眷属(配下・庶民)に見せて「それが当たり前」とすること(権威化)で、自分達=支配階級の序列社会への服属心を高める効果(ひいては自身の安心感)を期待できたでしょうから。

そう考えると、仏達の序列社会的な表現を伴う鎮護国家系仏教はカトリックに、阿弥陀仏とか妙法蓮華経など特定の如来等を唯一神化する一向宗や日蓮宗などは、プロテスタントに似ているように感じます。

日本のキリシタンも、渡来したのはカトリックですが、この文脈からは、プロテスタント的なものと位置づけられるでしょう。

一向宗などの「プロテスタント的仏教」は一神教的で拝む対象も限られ、排他的傾向がある(あった)のに対し、それ以外(以前)の「カトリック的仏教」の方が多様で寛容な傾向があるようにも感じますが、それは、既存の権威秩序を尊重することが条件である(そのような意味で保守的である)と言えるのかもしれません。

だからこそ、プロテスタント的仏教には、既存秩序を転覆する革命志向的な側面があり、それが一向一揆や同時期の法華宗、キリシタンの弾圧は、弾圧側の担い手たる武家勢力が基本的には旧教(カトリック的仏教)の庇護者であることに照らしても、日本版の宗教戦争にあたるようにも思われます。

日本では新教側が米国のような独立国を作ることはできず、武力闘争としては旧教側が勝利したものの、旧教側も比叡山焼討をはじめ固有武力や政治への制度的な影響力を失い、幕府に庇護された一定の利権を別とすれば、政教分離に近い光景が出現しました。

新教側も、あたかも敗戦後の日本のように、武力(主権)放棄と引き替えに宗教活動の自由を得て、江戸期には戦国期以上に発展したと言えるでしょう。

それらの光景は、基本的にカトリック国であるものの革命時に政教分離が極端に進んだフランスに、似ているようにも見えます(当時、暴力的な教会弾圧もあったのだそうで、宗教利権への反発を含んだ日本の廃仏毀釈や中国の文革に近い面があるかもしれません)。

他方で、かつてプロテスタント的仏教の人々が抱いたであろう「革命の夢」は、我が国では地下深く(人々の抑圧された深層)に眠り、ごく稀に、例えば、オウム真理教のような形で露出することになったのかもしれませんが。

現代日本人が仏像群を拝見しながら宗教心をかき立てることは難しいかとは思いますが、こうした形で社会のありようを考える機会として活かしていただければと思います。

マチ弁が鎌倉来たりてエセ歌人(後編)

昨年末の鎌倉来訪に関する記事の後編です。

源氏山を東側から下山し、寿福寺に立ち寄った後、しばらく南下して鶴岡八幡宮に着きました。

鶴岡八幡宮は今回の主要目的地ということで、宝物殿を含め、可能な範囲で神社内を色々と拝見しました(が、話題の大河館は2時間待ちで諦め、国宝館は休館中で残念でした)。

鎌倉の象徴であり武家の守り神とも称されるこの神社は、源頼義により創建され頼朝の手で現在の姿となったもので、蝦夷の末裔たる東北人にとって仇敵の神殿という面があることも、忘れてはいけません。

と同時に、源氏(河内源氏)宗家はこの地で無惨な最期を迎えたわけで、そのこともまた、この神社の業の深さを感じさせるものと言えます。

ともあれ、千年前に時代に翻弄された人々の鎮魂を祈って一句

しめなわに禍福あざなす鶴ヶ岡

また、源実朝が落命した八幡宮の階段にて、山形県鶴岡市で先日生じた雪害事故も脳裏をよぎって一句。

この坂はまさかの雪が仇となり


その後、私にとっては今回の主要目的地にあたる「頼朝と義時の墓所」(法華堂跡)に行きました。

事前に勉強せず行きましたので、最初に上った頼朝の墓の区画に義時の墓もあるのかと右往左往しましたが、ほどなく、双方は別の場所に設けられており、それぞれ別の階段から上る必要があることが分かりました。

鬱蒼とした頼朝の墓(江戸期に整備されたもの)に比べて義時の墓所(跡地)の方が広々としており、また、頼朝は狭い区画に一人だけの墓となっているのに対し、義時の墓所の奥は三浦一族の供養墓があり、区画上部にも大江広元らの供養墓があるなど様々な施設で賑わっており、ここでも「頼朝のドス黒い孤独」を感じざるをえませんでした。

ともあれ、大河ドラマの様々な場面を思いつつ、鎮魂の丘にて義時が義和に囁く一句

その時は義を以て為し報い待て

***

その後、丘を下りて、鎌倉幕府の終焉の地に向かいました。

北条氏の天下は頼朝の死と義時の権力闘争(勝利)から始まり、東勝寺での高時一族の自刃にて終わる。もって盛者必衰の理をあらはす。

近時の研究(中公新書・亀田俊和「観応の擾乱」など)によれば、鎌倉幕府の倒壊(主要武士群からの支持喪失)は、土地利権をはじめとする武士同士の紛争を解決する役割(訴訟処理機能)を幕府=鎌倉政権が果たしていない(ので政権担当能力がない)と評価された点が大きかったのだそうです。

翻って現代はどうか。

この仕事をしていると、現在の司法制度の残念な部分を否応なしに感じさせられ、当事者の不満や失望を垣間見ることは多々あります。

高時の自刃跡とされる光景は、或いは、裁判所や司法関係者、ひいては立法のための努力をしない国民全体の近未来の姿なのかもしれません。

***

最後に鶴岡八幡宮の小町通り商店街に戻り、通り奥のカフェ・ミルクホールにて名物のプリンを頂戴しながら一服した後、ほどなく帰宅しました。

商店街には「神社のあとはジンジャーで」なるキャッチコピーを付した幟があり、どうせなら、寅さんの口上のように、こんな感じで言葉を並べた方が面白いと思いました。

神社のあとはジンジャーで
お寺で御法度ジントニック
天ぷらアタればテンプルへ
モスクで食べたやモクズガニ

そしてプリンはプリンシプル。

24年前、私が所属していた司法修習52期6組では、地元ご出身のTさんによる「魅惑の日帰り鎌倉ツアー」が開催されました。

Tさんは、数年前から研修所の刑事弁護教官として熱血指導に邁進されつつ、オウム真理教の末端著名信者を巡る刑事事件で無罪判決(実行者との共謀関係を否定)を勝ち取るなどの輝かしい活躍をなさっています。

かたや、当方は今や田舎の片隅で数多の名も無い赤字仕事に追われつつ事務所の運転資金に喘ぐ日々。まさに日暮れて道遠しというほかありません。

湘南の海が眩しく見えるのは、或いは、誰もが可能性に満ちあふれていたのかもしれない、あの日々への執着への裏返しなのかもしれません。

あたかも、この街がかつて武士の都であったように。

皆さんは鎌倉で、何を感じましたか?

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マチ弁が鎌倉来たりてエセ歌人(前編)

昨年末の話で恐縮ですが、大河ドラマで注目された鎌倉に帰省先から日帰りで行ってきました。

9時半頃に稲村ヶ崎の駐車場でパークアンドライドを利用し、最初に長谷駅で下車→鎌倉大仏と長谷寺(鎌倉長谷寺)に行きました。

私は司法修習生だった平成10年の夏に鎌倉に日帰り観光をしたことがあり、それ以来、24年ぶりに鎌倉大仏に来ましたが、街の雰囲気も含め、当時とあまり変化がなく古い街並みが保全されている様子に感心しました。

長谷寺は初めて来ましたが、多数の立派な仏像などを拝見しながら、仏教とキリスト教の異同などをあれこれ考えたので、この点は次回のブログに載せます。

その後、鎌倉駅に移動し、同行者の強い希望で西側の銭洗弁天に向かいました。駅から歩いて行ける距離ですが、相応に長い上り坂となっているため、運動不足で根性のない同行者は「タクシーで行きたかった」と不満顔を浮かべていました。

銭洗う前に銭取る弁財天
急坂で銭より手汗を洗う人
この道が嫌なら麓で芋洗え

その後、坂を上って源氏山公園に向かいました。

鎌倉の頂点たる源氏山公園の山頂には、鎌倉の創設者というべき源頼朝像が鎮座しています。

多くの武士達の力添えで偉業を成し遂げたにもかかわらず、ここには彼一人の銅像しかなく、その上、当時を偲ばせる構造物は何一つないため、かえって寒々しく、頼朝の悲哀を強調するような空間になっています。

引き替えに たったひとりの玉座かな
上に立つ者の孤独はドス黒く


源氏山の頼朝像は何年も前から一度は来てみたい場所でしたが、実際に来てみると、その空間ならではのものを感じることができるような気がします。

昨年の大河は北条家のホームドラマ(家族の物語)とも称されますが、その一方で、身内同士で疑い、憎み、殺し合い、そして血族が誰もいなくなった、頼朝すなわち河内源氏宗家の悲惨な家族の物語であることにも目を向けるべきかもしれません。

その後、源氏山を下山して鶴岡八幡宮に向かいました。

途中、実朝と政子が眠る、源氏山の麓の寿福寺に立ち寄り、修善寺の頼家にも思いを馳せつつ一首。

さむらいの魂喰らいて実る世に 寄る辺なき身の家いずこにか

以下、次回の後編に続きます。

今年の石割桜と、あの日の花びらを偲んで

全国の盛岡地裁ファンの皆様へお届けする、今週月曜の石割桜です。

昔は、遠方からの相手方代理人に「今日が期日で良かったですね」とお伝えするのがささやかな楽しみでしたが、今年はそのような機会がなく、この日は刑事事件の判決言渡でした。

今週、司法研修所の同級生だった方のFB投稿などを通じて、同級生の方がお二人、亡くなられたとのお知らせに接しました。

遠方のご葬儀などに伺うことはできませんが、この桜の散りゆく花びらを、ご冥福のお祈りと共に捧げたいと思います。

これをFBに投稿した日は雨天でしたが、他の方から、散った花びらが雨で裏側の岩に付着し風情があったとのコメントをいただきました。

ぜひ、次の一句を添えていただければと思いました。

散りてなお桜を偲ぶ巖かな

帰ってきた宮古の法律相談と早春のエセ歌人

今年から宮古市役所の無料法律相談の担当(の一人)になり、先日の木曜が初日でした。

盛岡の河川敷などが満開近くになったので、宮古はすでにピークを過ぎたのかと思いきや、メインの長沢川堤は大半が蕾状態で、満開まであと10日は要しそうでした。

念のため浄土ヶ浜の近くまで赴いたところ、そこそこ桜が咲いていたのがせめてもの救いでした。

帰路は雨天でしたが、岩手に限らず、この国では、それまで晴天続き(で花粉地獄)だったのが、桜が咲き出した途端に曇天や悪天候になることが多いような気がします(翌日の盛岡はその最たるものでした)。

或いは、他の山川草木が、桜に嫉妬しているのかもしれません。

花咲くと空に雲湧き乱るるは 我も愛でよと雨風の声

震災後、数年前まで何度も赴き、毎回ガラガラで内職ばかりしていた県庁(宮古振興局)震災相談と異なり、市役所は満員御礼(予約)になっていました。

当時、何人かの方に、市役所への「満員後はこっちに廻して要請」をはじめ、宣伝努力をしないと制度の意味がないじゃないかとお伝えしたことがありますが、宮古の先生の1人からレスポンスがあっただけで、ほとんど善処が得られなかったことを懐かしく思いました。

長沢川堤の入口の道路では、接触事故を起こした車両同士が離れた位置で互いに誰かに電話をしており、ほどなくパトカーが到着していました。

市役所では受任相当の案件がなかったので(無料相談あるある)、この方々に名刺を渡して「じゃんけんで勝った方(或いは、被害者かつ弁護士費用特約に加入している方)が依頼して下さいね」と営業活動したい衝動に少しだけかられましたが、遺憾ながら自粛しました。

戦勝祈願の聖地・洗足池にて一句

昨年末に東京に数時間だけ赴く機会があり、東急目黒線方面に所用があったので、ついでに、20年前に住んでいたエリアから自転車で行ける距離にあったものの、行き損ねていた洗足池に立ち寄りました。

というわけで、長年行ってみたかった近所の名所にようやく訪れ、余計なことも考えつつ一句

洗足池 ボクの専属どこへやら
風と雲 鏡に映す 先祖供養

洗足池には、源義家にゆかりがある千束八幡神社がありました。昨年は大河ドラマの関係で「武衛」が流行語になりましたが、佐藤浩市氏は「炎立つ」で源義家を演じていました。

旗揚げは今も昔も千束で

敷地内の神社の説明によれば、千束は、源平合戦の華の一つ、宇治川の先陣争い(名馬・池月と磨墨の物語)と深い繋がりがあるのだそうです(引用した、個人の方?のブログを参照)。
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/ikeduki-douzou/
https://www.yoritomo-japan.com/ikegami/senzoku-ikeduki.htm

年の瀬に勝ちどき願う池の月

ともあれ、来年もその先も、私も家族も、それぞれの闘いに全力を尽くしていきたいものです。写真をご覧になりたい方は、FBをどうぞ。