北奥法律事務所

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立法部門(国会・地方議会)

国会を少数精鋭の府に~歳出削減と定数不均衡の一挙解決策としての間接選挙制~

国会も地方議会も、議員数が多すぎるとか、国会議員の報酬などが(労働ないし人物の質に比して)高すぎるなどという議論がある一方、小選挙区制では一人一票の原則(投票価値の平等)を守るには、相応の議員数が必要だと言われています。

その是正策として、近時は中選挙区の復活論も耳にしますが、もっと抜本的な解決策を考えてもよいのではと思います。

例えば、盛岡選挙区では10人前後の選挙人を有権者が選び、当選した選挙人達(全国で2000人程度の規模)の互選で数十人~100人以内程度の議員を選ぶという方法(間接選挙型の国会議員選挙)はどうでしょう。

選挙人は基本的に議員の選出を行うだけの仕事とし、さほどの負担がないことから実費等を除けば原則として無給とします。

国会で討議を行うのは「議員」のみですので、「選挙人」のため新たに施設を作る必要もありません(投票=議員選挙はしかるべき場所で実施すれば足りるでしょう)。

これなら、①選挙人なら若者など就労中の者も立候補が容易、②選挙人を全国で2000人規模とすれば人口比で調整可能なので、定数(人口比)問題も一挙解決、③有給の議員数を大幅に減らすので、税負担も減り、人材の少数精鋭化にも資する、と考えます。

また、選挙人に選ばれる国会議員は、現在の金額に匹敵する相応の報酬を支払う代わりに原則として議員活動に専念させる(兼業禁止・許可制)ことで良いと思います。

現行制度は、大物歌手のような特別な経歴・知名度を有する若者しか立候補できないとか、逆に国民代表として相応しいと思えない残念な行状が露見している方でも有力政党の所属であるというだけで選出されてしまうバランスの悪さが否めません。

国民全体から「誰を代表にすべきか」の判断のみを託された2000人?程度の選挙人が、各人の見識や所属政党などに応じて国会議員を選ぶなら、知名度が極端に有利になることなく、能力や識見などを備えた御仁が選出される可能性は高まるように思われます。

また、選挙人は、選ぶだけでなく、個々の議員の解任権も持つ(その議員に投票した面々が過半数での解任権を有する)ものとすれば、国民の多くが望むであろう、任期中に重大な不祥事等を行った議員へのリコール制度を、間接選挙人の投票による議員の交代という形で、さほど高額な費用をかけずに実現できるでしょうし、国会議員側はもちろん選挙人自身も緊張感をもって仕事ができそうな気がします。

このような制度をとる以上、選挙人による議員選抜(間接選挙)は、秘密投票ではなく国民全員に投票行動が判明する公開(顕名)投票とします。

選挙人が選ぶ国会議員(専業議員)の出身地域は必ずしも人口比にこだわらなくとも良く、都市と地方・東西のバランスを確保すべきとの原則を定めた上で、基本的には選挙人の判断に委ねて良いと考えます。

人口比に応じて選ばれる選挙人が各人の判断で国会議員を選ぶ以上、「代表者の選出に関する国民一人一人の投票価値の平等」は担保されているとの認識に基づくものです。

このように考えれば、一人一票の原則を守りつつ国会議員の大幅減員による税金削減と質の確保の双方を実現できると思われるのですが、どうでしょう。

同様の試みは、国会だけでなく地方議会(県議会・市町村議会)でも行ってよいのではと考えます。例えば、間接選挙を前提に、専業議員は「地方自治のプロ」として辣腕を振るう力のある数人程度に大幅に絞り込み、その代わり、選任時に期待された実績が出せないと、選挙人の判断で相応の期間で任期終了・解任するなどの形で緊張感のある議会運営をさせてよいのではと思われます。

それこそ、地方自治法14条などを改正し、条例で独自の機関設計が一定程度できる制度ないし特区を設けてもよいのではないでしょうか。

現行法制度を詳細に検討した上で述べているわけではありませんが、案外、憲法改正をしなくとも公選法その他の改正で実現できそうな気もしますので、選挙制度の専門家などに試案として考えていただければと思っています。

 

ガーシー議員問題で関係者に責任を取らせたい人が希望する法律案について、憲法適合性を論ぜよ

NHK党のガーシー議員問題については、いよいよ参議院で謝罪文読み上げ等を求める懲罰決議がされ、恐らくは不履行→除名決議という展開が濃厚になっています。
ガーシー議員の処分 3番目に重い「議場での陳謝」で決定 参院 | NHK | 参院選

この問題を巡っては「除名だけでは不十分だ、歳費を返納等させるべきだ」「NHK党や、投票した者の責任も問われるべきだ」という声がマスコミやWeb上を賑わせていますが、「ここまでやれば再発防止に繋がるのでは」と思わせるような具体的な提案(制裁案?)は拝見していません。

私は、こんな議員が誕生すること自体、国会(立法府)の様々な機能不全や政治不信が底流にあり、その解決(究極的には政治部門の憲法改正等?)こそが必要ではと思っているので、モンダイ議員個人の制裁にはさほど関心がないというのが正直なところです。

ただ、徹底した責任追及を求めるのであれば、どのような制度が考えうるのか・憲法上どこまで許されるか、という思考実験自体は関心が湧いたので、半ば戯言感覚で、次のような法律案?を考えてみました。

どうせなら、どこかのホンモノの政党で、真面目に検討いただいても良いかもしれません。

それ以前に、この御仁への投票のような「あらぬ方向」に陥らぬよう、真っ当な方法で庶民の政治不信を受け止め政治作用や諸制度の改善に活かしていく営みが、政治家にも国民にも求められているとは思いますが・・

【次年度司法試験・憲法予想問題集より】

国会への欠席を続けるG議員問題に対する国民の非難を受けて、国会に以下の内容を含む法律案が提出され、可決の見込みとなっている。以下の法律案に関する憲法上の問題について論じなさい。

(1) 各議院は、懲罰の対象となった議員を除名(憲法58条2項)する際、併せて、過去に支給した歳費の全部又は一部の返納を求めると共に、相当額の過料(秩序罰)の支払を命ずることができる。これらの金員には年利14.6%の延滞税を付すものとする。

(2) 対象議員が比例代表制により選出されているときは、前項の決議の際に、前項の支払を担保するため、選挙実施時の対象議員の所属政党及び選挙時の党代表者個人にも連帯支払責任を課すことができる。この場合、その履行がなければ今後の政党交付金から相殺できるものとする。

(3) 前項(比例代表)の場合には、各議院は第1項の決議にあたり、除名後に所属政党から繰上当選するのは不可とし、次回選挙まで欠員を続けるものとすることができる。

(4) 対象議員が除名決議に先立ち議員辞職した場合において、その議員が本条に定める処分を免れる目的で不相当な時期に辞職したと認めたときは、各議院は、対象議員及び政党などに対し、除名決議と同じ要件で本条に定めるものと同様の措置を講ずることができる。

(5) 各議院は、第1項の決議にあたり、選挙管理委員会に対し、対象議員を選出した選挙に関する各投票所での当該議員(選挙区)又は当該政党(比例代表)の得票率を公表すると共に、国に対し、特に得票率の高い地域には地方交付金の配分を減少させるなど、当該地域への施策に一定の考慮を行うよう求めることができる。

なお、本項については、附帯決議に「除名対象になることが当初から見込まれる候補者について投票した者の責任も問うべきだとの国民の強い声が寄せられたこと、他方、投票者を調査・特定し個人に不利益を課す制度が憲法では認められないことも踏まえ、許容される限界的な制度として、得票率の多い地域への一定の不利益措置を講ずるのが相当と判断したことに基づく」と記載されている。

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参考答案は、オボ塾刊行の「受験虚報」次回号に掲載予定・・・かも。

 

「今の政局は鎌倉末期だ」と仰る学者さんの1年半前に同じ呟きをした男と「憲法改正と共に自民党政権が崩壊する日」

法律業界の「Web上№1有名人」というべき岡口基一裁判官のFBフィードで、さきほど今年の7月6日付で歴史学者の方が、先般の都議選の結果を受けて「自民大敗の光景は、鎌倉末期の有様のようだ」と論じた記事が紹介されているを拝見しました。

私は、安倍政権が世間の強い支持を受けていた昨年2月の時点でこれと似たようなブログ記事を書いており、紹介するならこちらも取り上げていただければ・・などと、しみったれたことを少しだけ思いました。

ちなみに、その記事では「専制型の政権運営は既得権の剥奪には役立つことは確かで、そうした事情が現在の「総理・総裁の権限強化」を支えているのでしょうが、一部の者への優遇が鮮明になるなど不公平感が目立つようなら、鎌倉幕府の滅亡がまさにそのようなものであったように、専制が崩壊して一気に混乱に陥るリスクも内包していると思います。」などということも書いていました。

その時点では、加計学園どころか森友学園も全く報道されていなかったようですので(少し調べたところ、H28.6の新聞記事が発端らしいです)、別に予言者を気取るつもりはありませんが(一般論を書いているに過ぎませんし、現在までに生じた事態や世間に判明した事実も単なる「疑惑」やそれに起因する政争云々に止まると言うべきだと思いますし)、読み返すと、しみじみと感じるところはあります。

個人的には、ネット記事に表示された学者さんのコメントよりも私の記事の方が、今後の政治システムのあり方について少しばかり踏み込んだ検討をしているのではなどと自画自賛したい気持ちも無いわけではありませんが、それはさておき、こうした政治状況を踏まえ、改めて、何かの参考にしていただければ幸いです。

その記事では、自民党(幕府)の失策で基本的な支持層(御家人)に深刻な被害や惨状が生じて大量離反を招くような事情はまだ見受けられない、と書いており、1年半を経た現在も、その点は概ね同じ認識ですが、敢えて言えば、介護や育児などの分野に関しては過酷な生活を余儀なくされる人々が当時よりもさらに増えているのではと思われます。

そうした方々には、自民党の支持基盤にあたる穏健保守層(無党派層も含め)も相当にいるでしょうから、個人への過度の負担に伴う「家庭や親族関係の崩壊」が進み、それが、自民党政権が自助(個々の家庭・親族内での解決)を偏重し公助や共助を軽視(未整備)したからだと見なされるような事態でも生じれば、御家人の離反に類する事態もありうるかもしれません。

少なくとも、弁護士業界のように?既存の制度や成功の方程式に限界を感じ、自分を取り巻く状況の将来に不安感を抱いた結果、新たな模索に乗り出す人にチャンスを与えたいという程度なら、非常に多くの方が感じていることは間違いないと思います(そうした方々が、都議選の小池氏躍進の原動力になったのでしょう)。

ただ、記事で書いた「新たな勢力・体制」が現時点で誰かと言われれば、出現したと言えるのかも含め、まだ見えてきません。重要な検討課題として載せた「選挙・議会・政治家」の抜本的改革を訴える人も、まだ現れていないと思います。

現在の安倍政権の人気低下で、これまで「反安倍」を標榜していた方々が勢いづいているようですが、石破氏を筆頭に「首相候補として追い風を感じている御仁」が誰もいないと感じる現状では、相応の権力基盤を形成している安倍首相の時代はまだもう少し続きそうに感じますし、仮に安倍首相が早期退陣したとしても、自民党政権自体は当面は続く(とって代わるだけの政治勢力がない)ことは確かだろうと思います。

そのような点に限らず、記事で書いた「自民党は、戦後に日本が直面した政治体制に最も適合した政治勢力ではないか(だから適者生存で繁栄したのだ)」という観点からすれば、自民党政治を本気で打ち破りたいのなら、政治体制(統治機構ひいてはそれを取り巻く国際環境)そのものを変化させる必要があるのではないか、そのためには、第一歩として統治機構の変革を憲法改正により行うこと(それに対する大衆の広範な支持)こそが、自民党政権を終焉させる手段なのではないかと思います。

だからこそ、現在及び近未来の社会状況に適合する、最大多数の最大幸福を実現できる新しい選挙・議会・政治家の姿を構想し訴えて国民の支持を得られるかが、「新しい政権与党(になり得る勢力)」にとって基本的かつ最初のハードルではなるはずです。

これは、鎌倉末期になぞらえると後醍醐天皇の役回りと言えるでしょうし、だとすれば、そうした方には何度も弾圧(既存の左右など様々な有力者の攻撃)を受けながら立ち上がり続ける執念やしぶとさ、強運などが必要になるのだと思います。

そして、それが、各地の「自民などの既存勢力と局地戦を展開する地元民の支持を得た地域政党など(悪党こと楠木正成たち)」の支援を得て力を蓄え、最終的に「自民党の非主流派の有力者」がそれに賛同して大挙して寝返ったとき、体制転覆が現実のものとなるのではないかと思います。

皮肉めいた言い方をすれば、戦後体制(日本国憲法の統治システム)によってこそ繁栄した自民党こそが、口先では憲法改正を唱えつつ本当はそのようなことは考えず改憲論を一種のガス抜きとして利用し、戦後体制により生じた既得権の保護や調整を本質とする「真の護憲政党」というべきで、だからこそ、「護憲派」を標榜する方々(野党)は、自民党の補完勢力と言われてもやむを得ない面があるのだと思います。

だからこそ「自民党にとって(さらには今の野党群にとっても)都合の悪い憲法改正(選挙や議会、行政などのシステムの変革)」を打ち立てる知恵と熱意があるかどうかこそが、本質的な意味で野党(体制変革の担い手)と言えるかどうかのリトマス紙だと思いますし、自民党政権は、そうした憲法改正が行われるときにこそ、本当に崩壊・終焉するのだろうと思います。

個人的には、そうした勢力の萌芽がそう遠くないうちに生じるのではと感じており、そのような意味で、新しい時代の入口に近いところに来たと期待したいですし、無党派層をはじめ流動的な投票動向のある一般国民の多くが潜在的にその展開を求めているのではないかと思っています。

ただ、そうした展開に至らず徒に既存の政治が不信感を高めて政治の混乱が続いてしまうと、鎌倉末期から建武の新政や室町幕府を経ずに、いきなり応仁の乱になってしまうのではと危惧しないこともありません。

昨年、中公新書の「応仁の乱」が好評を博したの、そうした可能性を少なからぬ国民が危惧していることの現れなのかもしれず、今さらながら、同書を買って読みたくなりました。