北奥法律事務所

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弁護士業務・業界関係など

裕福ではない司法試験受験生を支え続けた、真法会と法学書院の過去と現在

2~3ヶ月前の話ですが、ある若い弁護士さんからお話を伺った際、「自分は、受験生時代に受験新報(法学書院が刊行する、司法試験受験生のための勉強雑誌)の誌上答練に大変お世話になった」と突然仰ったので、非常に驚きました。

私が学生時代に所属していた中央大学真法会という団体は、私が合格した年までは司法試験の模試(答案練習会。毎年10~3月)を数十年に亘り自前で行っていたほか、受験新報の原稿作成などにも関わっています。

昭和から平成初期、司法試験がまだ牧歌的と言われていた時代、とりわけ裕福ではない(高額な予備校代などを捻出できない)人にとっては、安価で受講できる真法答練は貴重な存在で、そのような体験談は、当時、何人かの業界の大先輩から伺ったことがありますし、他ならぬ私自身が、真法会のおかげで(東京での生活費等を一応別とすれば)ごく限られた経済的負担で司法試験に合格できたことは間違いありません。

答練は、私が運営に関わった(室員として合格までタダで答練を受講できた代わりに、お礼奉公で散々コキ使われた)平成9年度で終了してしまいましたが、受験新報には現在も真法会関係者が様々な形で関わっていると聞いており、答練の精神やノウハウ等は、受験新報誌上で行われている誌上答練に受け継がれていると言われています。

冒頭の若手の先生は、決して裕福なご家庭の出身ではなく、相応に苦学されたこともあったのだそうで、それだけに、誌上答練のお世話になって合格されたというお話を伺い、私自身がその方のお手伝いをしたわけではないものの、答練の設営や採点などに明け暮れていた合格直後の半年間を思い出し、あの文化や精神が、今も多少なりとも続いて、本当に役に立つべき人の役に立っているのだと、感銘を受けるところがありました。

とりわけ、その先生とは、まだほとんど対決等の経験はないものの、その先生の登録後間もない頃から「この新人は、すごい優秀だ」というコメントを複数の方から聞いていただけに、若い頃、大先輩の方から「真法答練のおかげでこの業界に来ることができた」と伺ったときのことが思い起こされるようにも感じ、自分も初心に返るきっかけを与えられたように思いました。

普段、若い世代の方々と接する機会が全くない恥ずかしい身の上ですが、たまにはこうした機会を持つことの有り難みを感じた次第です。

JR福知山線事故の刑事裁判で議論されなかった重大論点と、就労者の尊厳のいま

先日、H17に発生したJR福知山線の車両転覆事故に伴う大惨事について歴代社長が検察審査会により強制起訴され無罪となった最高裁決定(最決H29.6.12)が、判例タイムズ1457号に掲載されているのを見ました。

判決(決定)によれば、刑事裁判では、社長らが本件現場(カーブ地点)に自動停止装置を設置(指示)しなかったことが過失(業務上過失致死傷罪の成立を基礎づける注意義務違反)と言えるかが問われ、最高裁は、社長らには事前に指示すべき義務(刑事責任を問うだけの過失)はなかったと判断しています。

ただ、私はこの事件に不勉強でよく存じませんが、この事故に関する報道が盛んになされていた当時、JR西が運転士ら従業員に対し、日勤教育などと称する心身の健康を害するような抑圧行為を組織的に行っており、本件運転士も本件運転時にそれにより強いストレスを抱えていた(ので無理に遅れを取り戻そうとした)ことが、大幅な速度超過の原因だと言われていたような記憶があります。

決定文や判タ解説を見る限り、その問題が刑事裁判で問われていたようには見えないのですが、どうなんでしょうか。

少しだけWeb検索したところ、本件事故とは別にJRの従業員さん達が日勤教育について慰謝料等を請求した訴訟の記事が出ていましたが、本件で日勤教育などの就労環境上の問題が事故原因として争点となった訴訟等があるのかは見つかりませんでした。

もともと当然に有罪と言える事案ではなく、だからこそ事故の原因となった会社内の様々な問題を社会に問うべき面の大きい裁判だったのでしょうから(被告人の負担云々の議論は措くとして)、どうせなら「運転士の心身不調(による操作ミス)を誘発した(それを阻止すべき義務を怠った)関係者の過失」(体調等を管理すべき直接の上司などのほか、運転士の不調の原因となった悪習?に帰責性のある立場の方々の過失責任)も、民事を含め何らかの形で裁判所の審査の対象としてもよかったのではと思わないでもありません。

この件に限らず「モーレツ企業での末端従業員に対する過酷待遇(組織的なパワハラ行為?)」というのは、社会問題を生じさせた一部の企業を典型に、かつて日本社会で少なからず見られた光景かとは思いますが、そうであればこそ、こうした風習が個人の尊厳への重大な侵害になりうるものであることを裁判所が明確に宣言する機会があればよかったのではと感じています。

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ところで、少し前、伝聞ではありますが、次のような話を聞いたことがあります。

「盛岡市内のA先生の事務所では、職員が、ほとんど毎日、昼の時間に裁判所と弁護士会(サンビル)に赴くことになっている。これは、弁護士会や裁判所に設置されているポスト(書類入れ)に交付書類がないか確認するためというものだが、現在は急いで(その日のうちに)取りに行くべき書類がポストに挿入されることは滅多になく(そもそもポストが空の日の方も多い)、何のために行くのか疑問を感じつつも仕方なく往復している。なお、先生(弁護士)は、裁判所や弁護士会に行っても、自ら書類を取ることはない。」

私自身は、それを聞いて「なんて無意味で不合理なことをさせているのだろう、それって日勤教育とか身分制社会などと言われても仕方ないのでは?」と思わざるを得ませんでした。

ちなみに、当事務所では必要やむを得ない事情がない限り、職員に弁護士会や裁判所に書類を取りに(出しに)行くよう指示するということはしていません。事務所がこの2つの施設から遠い(自転車で10分、歩くと20分以上?)ということもあり、基本的に、私がこれらに行くときに、ついでにポストに寄って取っており、職員に出動を頼むのは、ごく希です(裁判所は私が頻繁に行くのでほとんどありませんが、弁護士会はあまり行く機会がなく、急ぎの用事があるときなどにお願いしています)。

もちろん「そんな無意味なことに時間を使う暇があれば、事務所内にもっとやるべき(やって欲しい)ことがある」という、ごく当たり前?の発想に基づくものですし、私も職員も皆、細々した仕事で相応に一杯一杯で、「しなくてもよい仕事(と称する無駄な行為)」に時間を浪費する暇(させる余裕)はありません。

ですので、「だったら、その先生(事務所)に無用で不合理な仕事を命じるのを改めよ(やりがいのある仕事を命じて欲しい)などと、団交申立など(ついでに記者会見も)をなさってはどうか」と戯言?の一つも言いたくなったのですが、そのあと、「あっ」と思い返したことがありました。

私が司法修習生のときにお世話になったB先生の事務所でも、その事務所の職員(事務員)さんが同じようなことを仰っていた(なさっていた)ことを思い出したのです。

ちなみに、B先生は県内の著名企業の顧問などをなさっている大ベテランのせいか、当時はさほど忙しく仕事をなさっているようには見受けられず、事務員さんも日中はかなり暇を持て余している感じがあり(私も雑談のお相手をするのが大変だった・・という記憶が微かにあります)、上記の「毎日のお使い」を嫌々しているという印象は全くありませんでした。

ただ、私がお世話になっている間は、その事務員さんに代わりに行ってくれる?と言われたことは時々あり、私も(修習生としてさほど起案などを命じられていなかったという負い目?もあって)無為徒食の日々を過ごすくらいなら、その程度のことはしなくてはと思って、昼食のついでもあり、ある意味、喜々として引き受けていたような気もします(他にも個人的な理由があったかもしれませんが・・)。

ですので、完全な想像になりますが、ひょっとしたら、盛岡のベテランの方々(A先生もB先生も、私が修習生になる前から長年仕事をなさっている大ベテランの方々です)には「事務職員に、昼になると裁判所や弁護士会に書類の提出や受取のお使いをさせる文化」が、かなり以前(数十年前)からあったのかもしれません。

そして、A先生は、(少なくとも先生や事務所の主観では)それを今も続けているだけに過ぎない(殊更に、無駄な仕事を強要して就労者の尊厳を害しているという認識は持っていない)のかもしれません。さらに言えば、もしかしたら、冒頭の話に登場したA先生の職員さんも、さほど仕事を抱えているわけでもなく、その「毎日の昼のお使い」があることが事務所で就労する上での存在意義になっている面もある、などという話もあるかもしれません。

そうであれば、「そんなの日勤教育じゃないか」などと一方的に非難することができるのか、という話につながってきそうな気もします。

ただ、「就労対策の一環として、本来は必要がない軽作業をさせている」といった類の話なのであれば、その方が障害を持っているなど相応にやむを得ない事情があれば致し方ないのかもしれませんが、そうでなければ、最近流行りの生産性云々の話を持ち出すまでもなく、「就労者の尊厳」という観点から、そのような光景は決して望ましいものではないのであって、労使双方が真摯に「各人のあるべき仕事のあり方(仕事の創出のあり方)」を考え、実践を積み上げることが求められていると思います。

本当は、そうしたことなども地元の先生方などとお話できる機会があればと思わないでもありませんが、諸々の理由で夢のまた夢、ということになりそうです。

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~最終話~

恐らく次期日弁連会長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第4話(懇談会編)です。

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前置きが大変長くなりましたが、ようやく懇談会当日の話になります。

過去にも、日弁連会長選の立候補者の方(とりわけ、主流派候補の方)が「告示前の事実上の選挙運動のため全国行脚し各地弁護士会で懇談会を開く件」には、昔お世話になった方(東京で執務する方)から来てくれと言われて何度か参加したことがあります。

今回も、それらと同じく出席者の簡単な自己紹介の後、山岸先生(候補者)が所信表明し、それらを踏まえて質疑応答という形になりました。

自由と正義(ここ数年)の写真を見ていた頃から、この山岸先生は、本当にビジネス弁護士2000に載っている山岸先生と同一人物なのか?と思ってはいましたが、やはり百聞は一見にしかずというか、かつて岩手弁護士会にいらした歴代の会長さん達(当時は候補)と同じく、日弁連の正義や良識を体現していると評すべき誠実さや重みを感じる面はありました。

で、進行役をつとめた岩手会(二弁出身)のY先生から「懇親会(飲み会)に行かない奴はここで当てるから何か述べよ」とのお達しがあり、欠席回答していた私も発言せよということになりました。

さすがにα社事件の話をここでするわけにもいかず「質問ネタ」を何も考えていなかった(既出の話題に即した気の利いた質問も思いつかなかった)ため、一瞬、頭が真っ白にはなりましたが、それまで他の方からあまり言及がなかった震災をネタにしつつ、他の出席者なら絶対に言わないだろう不都合な真実ほど偉い人の前では敢えて言いたいという私のこだわりから、次のようなことを述べました。

「我々、盛岡を中心とする岩手(内陸)の弁護士は、震災以来、何度も何度も、片道2~3時間以上をかけて沿岸被災地に赴き法律相談をはじめとする被災者支援に従事してきました。

震災直後には、東京や阪神などの多くの弁護士さんが現地支援に駆けつけて下さったので、その方々をお連れして避難所に押しかけ相談などを行ったことも何度かありますし、その後は、沿岸各地に設置された相談所の担当として、現地の数名の先生方の補完として1ヶ月に1回などの頻度で被災地への出張を続けてきました。

このようなことを述べると、我々が、毎回、多数の被災者から相談や事件を要請され、具体的な救済や支援の仕事に追われているのだろうと思われるかもしれませんが、残念ながら、そのような事実はありません。

個人差の大きい話でしょうが、私の場合、2~3時間かけて沿岸の相談所に赴いたものの誰も来所者がなく、丸一日、持参したPCで事件の起案や判例学習の内職に終始し空しく帰宅した、などという経験は、過去何年も、そして今も、山ほど余儀なくされています。

もちろん「被災地には本当に困っている人はいないんだ、相談所も無駄な存在だ、被災地なんかもう行きたくない」などと言いたいのではありません。運営サイドの方々を軽々に批判したいのでもありません。

私は個別の事案や相談の対応を通じて、被災地に限らず過疎地などには、弁護士のサービスを必要とする方が多数いるのを知っています。例えば、高齢で心身に様々な問題が生じている一方、不動産をはじめ相応の財産があり、その権利関係や家庭に複雑な法的問題があるなど、弁護士の支援が望ましいケースはそれなりに見てきました。

しかし、そうした方の多くが、相談所であれ個々の事務所であれ、弁護士のもとにアクセスしているわけではなく、或いは、アクセスしたとしても、ご本人のコミュニケーション能力に問題がありすぎて、ご本人と我々だけでは、適切な対応ができないという例もあります。

要は、我々弁護士と法的サービスを必要としている人々をつなぐ役割の方が、圧倒的に不足しているのです。或いは、そもそも、そのような「つなぐ」仕事をする立場にあったり能力を有する方が、ニーズを持った人々と現実につながりをさほど持っていないという面もあるのかもしれません。

それは、地域の人間関係がすでに壊れていることが、大きな原因なのだろうと思っています。だから、本当にサービスを必要とする方々が、様々な形で取り残され、問題が先送りされ、ますます悪化している。

そうであればこそ、人のつながりの回復、地域内の相互扶助の営みの再構築を図ることこそ、日弁連の役割として考えていただきたいのです。

具体的には、当事者と我々とをつなぐ役割を持った組織や団体などとの連携の強化があげられるでしょうし、救済や解決を要する事案と対処による解決の実例について、支援者であれご家族など国民一般であれ、周知する努力も必要なのかもしれません。

また、そのような「つなぐ」業務あるいは作業に適切な対価が支払われず、つなぐ役割を担うことにインセンティブがないという問題もあると思います。これは介護職や保育士さんなどの報酬問題に似ている面があり、弁護士法72条との関係も視野に入れつつ、利用者サイドの適正な費用負担(財源としては、例えば、棚ぼた的な相続財産の活用なども含め)や保険制度なども含めた検討と改善の努力をお願いしたいところです。

ここ数年、弁護士が余っているとかペイする仕事が得られないという話題が業界では盛んに言われています。

今のままでは、少なくとも我々地方の町弁の世界は、ある意味、そのとおりでしょう。しかし、実際にニーズのある、役に立つことができる事案を適切に我々のもとに辿り着かせ、弁護士であれ支援者であれ適切な対価を確保し内実ある仕事ができる仕組みを整えることができれば、言い換えれば、すでに壊れてしまった地域の相互扶助を、弁護士が大きな役割を果たすことを主要な要素に据えて再構築することができれば、様相は一変するはずです。

それは、最近残念な話題が相次ぐ「ひきこもり問題」のように、都会でも、そして全国中に存在している普遍的な問題だと思います。

申すまでもなく、そのことは、この場にいる誰もが分かっていることで、日弁連にとっては長年の課題のはずです。そうであればこそ、皆さんには今、改めてそのことを考えていただければと思っています。」

実際はここまで長々ではなく、3分の1程度に要約?していますが、舌足らずの分も含めて下記のことを述べたものであることは、山岸先生をはじめ同行された大物弁護士さん達には十分ご理解いただけたと思います。

そして、山岸先生からは、司法アクセスの改善は重要なテーマの一つだが、今日はよい話を聞くことができたとの前向きなコメントをいただきました。言葉の一つ一つを覚えているわけではありませんが、声のトーンがそれまでの発言よりも少しうわずっていて、それは、型どおりの挨拶ではなく本気で感じるところがあったというニュアンスを伴っているように感じました。

もちろん、多数の会員(弁護士)との意見交換の場ですので、それ以上、私が山岸先生達とやりとりすることはありませんでしたが、意見交換を終えて、ひっそりと場を後にしようとしていた私のもとに山岸先生がいらして「君の話を聞くことができて良かった」とお声がけいただきました。

一瞬、内心色々な考えが駆け巡ったあと「平成12年頃に先生が手がけておられたα社事件を覚えておられますか。私は相手方代理人の事務所に勤務して、その事件を拝見していました」とだけ述べました。

山岸先生も、α社事件のことはしっかりと覚えていらして、私も自分が起案していましたと面と向かって述べるのは憚られましたので、それ以上何も申さず、本日はありがとうございました、もしお役に立てることがありましたら、ご遠慮なくお声がけください、とだけ述べて辞去しました。

その後に行われた懇親会(飲み会)に参加しなかった(事前に欠席を伝えた)のは、やはり、委任状もなく、会ったことすらないが、それでも、自分はB氏のために闘った代理人である、そして、自分の中ではα社事件は今も終わることができていない、そんな中、相手方のボス格である山岸先生と一緒に酒を飲むなんてできないという気持ちからでした。

ですが、さきほどのやりとりで、ようやく、私にとってのα社事件を終えることができたと思いました。

山岸先生から手をさしのべられて握手したとき、何か肩の荷が下りたような、胸のつかえがとれたような実感がありました。

もちろん、ボスからほとんど説明を受けることなく東京を去った身ですので、できることなら、山岸先生に差し支えない範囲でこっそり事件の顛末を聞いてみたいとの欲がなかったわけではありませんが、懇親会はそのような場でありませんし、所詮、下っ端の一兵卒ですので、書面だけで想像を巡らせるのも私らしいことだと思っています。

ただ、何年かに一度、憑かれたようにα社についてネット検索することがあり、B氏はご自身で立ち上げた同種の企業を育て上げ、業界で相応に活躍されている一方、α社は当時以上に発展している様子が窺われるものの、当時から引退が視野に入っていたはずのA氏の息子さんが、何度見てもWeb上で表示された役員欄に入っていない(社長もA氏の退任後は別の方が長年つとめている)のを、半ば不思議な気持ちで眺めてきました。

実は、α社事件で私が関わった最後の頃にα社側から提出された書面では、α社では今後は実子や親族による経営支配を解消したい、そのための準備等をしているのだという主張がなされたこともあり、或いは、そのことが関係しているのかもしれませんが、実情は何も分かりません。もちろん、B氏側のα社側への持株関係が今どうなっているかも、全く分かりません。

当時の私は、敗訴的和解はやむを得ないのだろうとしても、創業者の子弟であり有力な後継候補として一時期は職務に精励していた(であろう)B氏の尊厳に配慮した、適切な和解(持株関係の解消や適正な譲渡対価の支払など)がなされるべきではないかと思っていましたし、それが間違っているとは今も思っていません。

ただ、あれだけの大きな紛争には、私に窺い知ることができない、偉そうなことを言うべきでない諸相があるのだろうと思いますし、結局のところ自分は「何か、一矢報いたかった」だけなのだろうとも思っています。

今回の私のありふれた発言と山岸先生のお返事が、「一矢報いた」などと評価できるものではないことは自分自身が一番よく分かっていますが、それでも、被災地ないし岩手の実情を何らかの形で訴えて日弁連の活動につなげる糧にしていただくことが、私にできるせめてもの、或いは、私に相応しい「一矢」なのだろうと思っています。

選挙のことは何も分かりませんが、山岸先生のますますのご活躍と、日弁連が掲げる人権擁護などへのご尽力を祈念しつつ、18年を経てこうした場が私に与えられたことに、心から感謝したいと思っています。

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(6.13 追記)

この投稿をした後、昨日になってS先生(今回の懇談会をお声がけいただいた方)から「投稿を見て、改めて山岸先生の賛同者(呼びかけ人)に加わって欲しいが、引き受けて貰えないか」とのメールを頂戴しました。

懇談会の少し前にもS先生から同様のご依頼を受けていたのですが、今回記載した理由からその際は辞退申し上げていました。しかし、本文記載のとおり、懇談会を経て、私にはお断りする理由がなくなりましたので、せっかくお声がけいただいたこともあり、謹んで了解させていただきました。

また、S先生への返事を書き終わって送信する直前に山岸先生からも「仲間に勧められて君のブログを読んだよ。改めて、ハコモノの整備だけでない司法アクセスの質の向上について取り組んでいくので、ぜひ見ていて欲しい」とのお電話をいただき、ただただ恐縮したというのが正直なところです。

というわけで、今後、山岸先生の陣営が公表される「賛同者一覧」に私の名前も表示されるのかもしれませんが、上記の経過に基づくものであり、今回の一連の投稿は「賛同者」云々に関係なく本文記載のとおり私自身のこととして記載したものですので、その点はご理解のほどお願いいたします。

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(7.4 追記)

私も最近知ったのですが、次回の選挙では、山岸先生のほか、日弁連事務総長などをつとめた仙台弁護士会の荒中先生(東北では知名度の高い会務の大物先生と理解しています)も出馬なさるのだそうです。

さらに、日弁連などの役職を歴任された東京の別な大物先生の出馬も確実視されているほか、つい最近、事情通の先生に伺ったところでは、他にも出馬を検討している方々が複数おられるのだそうです。

そうなると、次回は従前の「日弁連の枢要役員を歴任した主流派候補vsその種の役職歴のない非主流派の泡沫候補」という構図ではなく、主流派同士?(少なくとも大物同士)の三つどもえ又はバトルロイヤルという、かつて日弁連会長選挙が経験したことのない?大変な状況が出現しているのかもしれません。

どうして、次回に限って?そのような展開が生じたのか全く存じませんが、せっかく本命級の方々同士の対決になるのでしたら、日弁連のあり方や様々な論点について各陣営・先生がたとも質の高い議論を交わしていただき、今後につなげていただければと願っています。

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第3話~

恐らく次期日弁連会長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第3話(山岸先生へのこだわり編)です。

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ところで、既述のとおり私はこの事件では一度も出廷したことがなく、当然ながら、当時、山岸先生たちにお会いしたこともありません。

ただ、まだ法律事務所のHPなどもほとんど無い時代、敵方の弁護士さん達の人となりを知りたいと思っていたところ、日経BP社が平成11年に刊行した「ビジネス弁護士2000」という本に、森綜所属の有力弁護士として山岸先生たちの写真や説明文が載っていました。

山岸先生以外の「森綜ドリームチーム」の方々は、皆さん東大出身らしく?無愛想であったり優等生的な雰囲気の写真で、見ていてあまり気にもなりませんでした。

ところが、山岸先生に関しては、割と若い写真(40歳前後?)で口元に不敵な笑みを浮かべ強い自信や自負が感じられる表情であり、私は敵方の一兵卒という立場だったせいか、「この先生は他の先生達と違って人を喰わんばかりの憎々しいほどニヤリとした表情をしている」と、なぜか記憶に残りました。

この本は今も所持していますので、若い頃の憎々しい?山岸先生を見たいという奇特な方は、ご遠慮なく当事務所までご来所ください。

私はこの写真を見て、その事件で生じた圧倒的な勝敗の差もあって「俺達は天下の森綜だ、貴様のような小物が俺達に勝てるなどと身の程知らずなことを思うなよ」と傲然と言い放たれているように思いましたし、そうした傲然さこそ、かの久保利先生を筆頭にガチンコ企業紛争最強伝説などと称される森綜らしい姿だと感じる面もありました。

α社事件の起案に追われていた頃、私が大変お世話になった業界人としては非常に優れた先生(私と違って、ご本人がその気なら森綜に就職しパートナーになることも間違いなくできた方)から、「森綜と一度闘ったことがあるが、時には、勝つためにえげつないやり方をとってくることがある」と言われたことがあり、そのことで余計に予断偏見が入った面があるかもしれません。

だからこそ、当時の私は、この山岸先生の写真を拝見しつつ、負けっぱなしでたまるか、絶対に一矢報いてやるとの気持ちで?深夜土日の事務所で一人さびしく牛丼や立ち食い蕎麦を喰らいながら、報われない起案に延々と明け暮れていた次第です。

その顛末は前回に述べたとおりですが、それから10年以上を経て、すっかり「大がかりな企業法務にはご縁のない田舎のしがない町弁」になり果てた私の前に届いた日弁連機関誌「自由と正義」で、山岸先生のお名前や顔写真をお見かけする機会が増えました。

そこに表示され、言葉を紡いでいる山岸先生は、あの「ビジネス弁護士2000」に写っていた「優秀だが傲然として少し感じの悪そうなビジネス弁護士」ではなく、人権擁護などの日弁連の典型的な会務活動に熱心に従事されている「真面目で誠実そうな、いかにも日弁連的な大物弁護士」の姿でした。

しかし、私はα社事件の敗北感と「ビジネス弁護士2000」の写真のイメージが強すぎ、「自由と正義」に写った姿はこの先生の本当の姿なのか、何か裏があるのではなどという猜疑心?から自由になることができませんでした。

だからこそ、19年の時を経てS先生から「懇談会に来て欲しい」と言われた瞬間、「ついに山岸先生のご尊顔を拝する機会に恵まれた。この人は聖人君子のような人権擁護の担い手なのか、B氏を非情に追放したα社事件のように?えげつない勝利でも平気で分捕ろうとする強欲な方なのか、どっちが本当か見極めてやりたい」との考えが頭をよぎりました。

α社事件に関わったことで何年経っても捨てられずにいた胸のつかえも含め、それが、今回の山岸先生の懇談会に参加した、私の真の?目的だったのです。

(以下、次号)

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第2話~

恐らく次期日弁連長に選出されるであろう山岸良太弁護士と駆け出し時代の私が間接的に対決していたことに触れた話の第2話(私の関わり編)です。

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平成12年の春、就職後間もない私が夜に一人で事務所の記録庫を漁っていると(と書くと聞こえが悪いですが、ボスが手がけている事件を自主的に勉強したいとの目的です。たぶん・・)、おおっ、天下の森綜が相手の事件があるのか、しかもガチンコ支配権紛争だ、と興奮したのを今も覚えています。

もちろん自分が後日関わることになるとは微塵も思っておらず、ミーハー感覚で記録をチラ見しただけでしたが、半年ほど経過して、その事件の係属紛争の一つで、1審でB氏が敗訴した事件(相手はA氏ではなくα社。代理人も森綜ではなくα社の顧問弁護士さん)の控訴趣意書を私に起案せよとのお達しがボスからありました。

そして、私でよいのだろうかと思いつつ、多くの新人がそうであるように「巨大事務所を相手とする企業法務の大事件」にある種の憧れを抱いていた平凡な駆け出しイソ弁の一人として、その事件に関われることが嬉しくて、無我夢中で記録や文献を読み漁り、終電仕事を繰り返しながら、長文の控訴趣意書を作成しました。

ただ、その事件の特質(メインの受任者がボスではなく某先生であること等?)のためか、私は受任者(代理人)ではなく、ボス(及び代理人として書面に名を連ねる某先生達)のゴーストライター(起案代行)という立場であり、また、起案にあたりB氏からお話を伺うなどの機会はありませんでした。

当然のことながら、通常は、事務所の依頼者の方と直にお会いしお気持ちを伺ったり事実や証拠を確認した上で起案を始めますので、依頼者から説明を受けず「記録(と文献)だけで起案する」ことに疑問や不安を感じないこともありませんでしたが、私の内気さ(或いはボスの敷居の高さ)もさることながら特殊な事件という認識もあり、敢えて自分からボスに「B氏と会わせて下さい、某先生の事務所で行われる打ち合わせにも同行させて下さい、法廷も傍聴させて下さい」と求めることなく、純然たる「ただの起案屋さん」で終わってしまいました。

自分の名前が出ないこと自体は不満も何もありませんが、やはり、B氏との面談(打ち合わせへの同席など)を一度でもボスにお願いすべきだったのでは(起案担当者が依頼者と会わず肌感覚の心証もとれないというのは、いくら何でも間違っているのではないか)と感じざるを得ない面はありましたし、ボスはもちろん某先生も恐らくB氏も(たぶん、相手方たる山岸先生たちも)私=法廷に来ていない若いイソ弁が起案していることを分かっていたはずで、それだけに「貴方の顔が見たい(お前も出てこい)」という話が全くなかったことには、少し、さびしい面がありました。

その後、天王山というべき事件(もちろん、相手方は山岸先生たちです)の上告趣意書も任せていただいた(私が売り込んだのではなく、ボスから指示された)のですが、株主間契約の法的性質が中心争点であり、私が全く関与していない控訴審では「有効な合意だが当事者の合意から長期の期間が経過したので法的拘束力が失われた」との理由で敗訴していたため、そのような場当たり的な法律論が許されてなるものかとの思いで、東弁図書館などにあった株主間契約などの文献を徹底的に読み漁り、当時の書式(B5)で100頁超の上告受理申立理由書も作成しています。

今でこそ株主間契約は、企業経営に臨む方(とりわけ共同出資者間)の基本的な留意事項の一つですが、平成12~13年当時は、まだほとんど国内では表だった議論がなく、日本の文献ではほとんど触れていませんでした(そのせいか、1・2審の書面でも株主間契約の法的性質に関しさほど議論が行われていませんでした)。

反面、米国では幾つかの州で相応に議論や判例の集積があり、東京弁護士会の図書館にはそれに関する多数の書籍がありましたので、それらを徹底的に読み込み、文献の該当箇所を多数引用しながら「米国諸州では株主間契約に強い法的効力が認められており、米国会社法の影響下で成立した日本の株式会社法も同様の解釈がなされるべきだ」などと主張したため、今なら最高裁にクレームを受けるような長文書面ができあがったのでした(さすがに英文を読む力はなく翻訳書籍限定ですので、たかが知れた内容かもしれませんが)。

ともあれ、その事件をはじめ、全部で5~6件ほどの事件(平成13年頃から上級審又は1審で係属した主要な事件)の書面作成をことごとく私が担当することになり、山岸先生らの書面に「それは間違っている、こっちが正しい」と書き続けました。

今も、理屈で負けたとは思っていません。

しかし、皆さんのご想像どおり、結果は全敗でした。上告趣意書に至っては、業界人の誰もが経験することではありますが、最高裁は何も言わずに全部の事件とも三行半(受理しない)の一言で終わらせています。

理由は人によって様々な見方(私自身の力不足も当然含め)があるのでしょうが、根本的には、A氏がB氏を排除できた根本的な理由が、A氏側とB氏側の持株比率ではなく(その点はほぼ対等でした)、支配権の死命を決する役割を担ったのが、グループ本社の主要役員(平取締役)の方々の支持の有無であり、端的に言えば、その方々が一貫してA氏を支持し続けたことが、B氏の敗訴の根底にあるものだと感じられました。

その原因がどのようなものであるのか(B氏又はその父に責められるべき点があるのか、A氏が狡猾に幹部の方々を抱き込むなどという事実でもあったのか)、確証を得るだけの資料等がなく、私には全く分かりませんでした。

ただ、そうした事情が分かるようになってからは、この事件は、そこで勝負ありになっており、それ以上は、どのように理屈や制度をいじくり倒しても、本質的な部分で勝てない構図だ、と感じざるを得ないようになりました。

以前、医療ドラマで「大学病院には、出世コースから外れた若い医者に対し、成功が絶対的に無理=患者が死亡を余儀なくされる手術ばかり担当させる=それによる遺族対応なども押しつけることがあり、敗戦処理係と呼ばれて日陰者扱いされ、失意のまま病院を去っていく」などという話(登場人物)が描かれているのを見たことがありますが、客観的に見れば、当時の私も、敗戦処理係を担当していたのかもしれません(事実、私が関与するようになったのは、主戦場たる事件の控訴審で和解協議が決裂し、敗訴判決が出た後でした)。

もちろん、当時の私は、薄々そのような感覚を抱きつつも、そのような帰結は、父達の期待に応え、それまでの相応に輝かしい人生を捨ててα社に身を投じたB氏にとって、あまりにも酷ではないか、仮に、親世代の二人が合意した内容の拘束力に疑義を呈すべき面があったとしても、せめて、B氏には何らかの救い(一定の金銭給付であれ、それ以外であれ)がなされるべきではないかと感じ、相手方に何か一矢報いなければならない、そして、局地戦で強力な一勝を得て、それをテコに再度の和解協議の素地を作りたいという、「不本意ながら太平洋戦争に臨んだ良識派軍人」のような?思いで、必死に闘っていたつもりです。

しかし、私はその思いを遂げることが全くできないまま、α社事件で敗訴判決を重ねた上、失意のうちに?平成16年に東京を去ることになりました。

もちろん、岩手(盛岡)での開業は私が自分で敷いたレールの核心部分ですので、「すべてのモラトリアムが終わり、ついに人生の本番が始まる」という高揚感はありましたが、「自分は東京で他の人にはできない特別な何かを成し遂げて凱旋したのだ」などという達成感は微塵もありませんでした。

(以下、次号)

次期日弁連会長(たぶん)にボロ負けした若僧が、18年後に一矢報いた?話~第1話~

先日、次回の日弁連会長選挙に立候補を予定されている山岸良太弁護士が、選挙運動の一環として岩手弁護士会の会員を対象に行った懇談会に参加してきました。

山岸先生は第二東京弁護士会の会長をはじめ日弁連などの要職を歴任されてきた方で、いわゆる主流派と呼ばれる方々が擁立した候補であり、来年2月頃?の選挙に当選して、次期=令和2年及び3年度の日弁連会長をつとめる可能性が非常に高いと思われます(私に認識違いがあれば、ご指摘ください)。

ちなみに、日弁連会長選は、昔から主流派と非主流派の対立があり、次回の選挙も対立候補の方が出馬されるとのことですが、非主流派が勝ったのは、民主党政権の時期に「反主流旋風」を受けて宇都宮健児弁護士が当選された1回だけだと聞いており、あとは、主流派=長年、単位会(自身の所属会)や日弁連(本山)で重職を歴任されてきた方々から選出されるのが通例となっています。

で、役職に長年縁の無い岩手弁護士会きっての窓際族たる私が、なんでそんな行事に参加したのかと言えば、10年ほど前に私が破産管財人を手がけた県南の規模の大きい企業さんの申立代理人を担当されていたS先生(東京のビジネス弁護士さんで、選対の中心とのこと)から電話で呼出・・・もといお声がけいただき、その事件で大変勉強になった(スケールが大きく裁判所から過分な報酬もいただいた)こともあって、めんどくさいから行かない、では忘恩の輩になってしまいそうだ、というのが直接のきっかけなのですが、実は、もう一つ、隠された?理由がありました。

平成12年に東京で弁護士登録したばかりの私は、実は2~3年ほど、山岸先生率いる「天下の森綜合法律事務所の企業法務エース級チーム」の方々と、典型的な企業支配権紛争事案で対決したことがあります。

などと書いても誰も信じてくれないでしょうから、17年以上も前の話なので時効でご容赦下さいということで、差し支えのない?範囲で補足します。

あれこれ書いたところ、全4話の大作になってしまいましたが、昔話に興味はないよ、という方は今回の懇談会について触れた第4話まで飛ばしていただいてもよいかもしれません。

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時は平成10年頃、世界規模で業務展開し本社の従業員は数百人・グループ全体では数千人規模?を擁するα社で、経営の中心を担っていたA氏と、A氏のもとで後継候補として修行中であったB氏との間で不和が生じ、経営を掌握するA氏がB氏を会社から放逐するという事態が生じました。

自身の経営陣復帰(と将来の継承など)を希望するB氏は、企業法務で著名な某先生に依頼したのですが、私の勤務先のボスは某先生と盟友関係にあり、顧問格としてその事件に参画していました。

これに対し、A氏が自身を当事者とする紛争の代理人として依頼したのが、このようなガチガチの企業紛争の対決力では日本トップクラスとも呼ばれる森綜合法律事務所(現在は、もう少し長い名前になっています)であり、4名の弁護士さんが対応していましたが、その筆頭格(期が一番上)の方が、山岸良太先生でした。

ちなみに、4名の方とも、当時(現在も?)日経新聞が行うビジネス弁護士ランキングの類でトップクラスに入っている方々で、支配権紛争のエース級が集結したドリームチームと評しても過言ではありませんでした。

最終的に、10件以上?の訴訟等が生じるのですが、紛争の核心は、B氏の父とA氏が若い頃に約束した「α社を共同して経営する」旨の約束(株主間契約)であり、その中には互いの子を入社させ後継者とするような定めがあったため、B氏は、A氏によるB氏の放逐が合意違反だとして様々な法的救済を求め、会社法関係を中心に多様な訴訟が生じたのです。

(以下、次号)

はれのひ事件の背後にあるものと弁護士業界の現在

「はれのひ」の騒動(被害)について、着物ビジネス業界の実情に照らし出現は不可避だったという趣旨の投稿を拝見しましたが、以下の点などは、弁護士業界もよく似ているように感じます。
http://diamond.jp/articles/-/155406

・(裁判が)ほとんど一生に一度のセレモニー

・何度も利用するわけではないので、一般の方には(弁護士の)質の良し悪しや価格の相場などがわからない。

・業界環境の激変と競争激化により、(倒産や廃業が相次ぐとまでは言えないが)業界内の所得格差が拡がっており、脱落者の中には、費用の過大請求や預かり金の横領など暗黒面に墜ちる者もいる。

・赤字仕事で窮する「昔気質の業者」がいる一方で、新規参入者(経験年数の浅い世代)の中には、派手な宣伝活動の裏側で、業界の一部に昔からある「ぼったくり気質」を引き継いだり、(低料金戦略をとっているわけでもないのに)良識ある業界人が目を背けたくなるような仕事の仕方(受任に関する悪質な選別や丸投げ、極端に練度の低い仕事ぶりなど)を平気でする者もいる。

とまあ、そんなところですが、弁護士を「普段づかい」するかどうかはさておき、法(の根底にある健全な良識や社会的責任)に対する理解と、それを踏まえて解決されるべき様々な問題がご自身や周囲に多く存在していること、そして、深刻な状況になる前に相談し、賢明な事前準備などをしておくべき必要などは、皆さんにも認識いただければと思っています。

「日常的に弁護士を利用する庶民文化」は過去も全くありませんでしたが、弁護士以外のツール(親族、近隣や会社その他の善良な有力者などを通じて帰属社会の内部で問題を解決する仕組み)なら相応にあったでしょうし、それが今や大きく崩れてしまい、弁護士をはじめ第三者(外部者)の支援を要する状態にあることも確かだと思います。

また、かつては、弁護士の助力を必要とする問題自体が生じない(内部の保護や抑圧を通じて生じにくくする)仕組みが社会内に色々とありましたが、今はタガが外れたというか、法意識の向上による真っ当な権利行使だけでなく、家庭や地域など様々なコミュニティが崩壊した結果として、法律家が関与しないと問題を処理できない(コミュニティ崩壊がなければ、自分達で問題を解決できたり問題自体が生じなかったはずなのに、それができなくなった)ケースや事柄が非常に増えていると感じます。

そうした点でも、弁護士業界の本質的な意味での「身近さ」と「アクセスや業務などに関する質の向上」が強く問われているでしょうし、当事務所も、そのことを踏まえて努力を重ねたいと思います。

見ず知らずの遠方の弁護士に仕事を頼むリスクと専門性を謳う広告だけによる弁護士選びの怖さ

先般「岩手県内の交通事故の被害で東京のA弁護士に依頼しているが、加害者側損保の言いなりとしか思えないような納得できない対応を受けている」と仰る方の相談を受けました。

要するに、特定の損害の支払を損保側に全面拒否されており、受任弁護士がそれに応じて欲しいという話をしてきたが、それが正しいとは思えないので、私にセカンドオピニオンを聞きたいというものでした。

で、その件では特殊な事情が生じているものの、全面拒否は絶対におかしい、このような考え方をすれば、当方の希望額の全額となるかはともかく、相応の額が認められるべきではないか(それが実務一般の考え方に沿うと思われる)と説明しました。

相談者の方は、A弁護士がインターネットでは「交通事故が専門だ」と標榜していた(検索で上位に出てきた)ので頼むことにした(が、その論点に限らず、残念な対応があった)という趣旨のことを述べていました。

少し調べたところ、確かにそのような標榜をしているものの、かなり若い弁護士さんで、Webで確認できる経歴その他に照らしても、その御仁が業界人としての優位性を喧伝するほどの内実が伴っているのか疑問を感じざるを得ない面もありました。

以前にも、似たような話でブログ記事を書いたことがあり、詳細は書けませんが、色々な意味で今回はこの記事に近い話ではないかと感じると共に、我が業界は病院など他業界と比べても、情報開示・品質保証機能をはじめ色々な意味で制度も利用者の認識なども熟度が低く、ミスマッチや消費者被害的な光景が生じているのではないかと残念に感じました。

まあ、私自身が逆の立場であれこれ言われることのないよう努めるほかありませんが・・

最近、東京など遠方の弁護士に電話と郵便のやりとりのみで事件依頼をする方が珍しくないようですが、残念な展開に至ったという話を聞くこともありますし、容易に会いに行けない遠方の弁護士に依頼しなければならない事件は滅多にあるものではありません。

現状では、途中から代理人たる弁護士の仕事に不満を感じるようになったとしても、相当に業務が進行した時点で解任等を求めるのは様々なリスクがあることは確かです。

それだけに、誰に頼むにせよ、最低でも1回は面談して互いの人となりを把握したり、ご自身が特にこだわっている点をきちんと伝えて見通しの説明を受けたり、多少とも不安に感じる(しっくりこない)点があれば、何人かに面談して最も信頼できる(相性も合う)と感じた弁護士に依頼するなど、最初の段階から適切な工夫を考えていただきたいところです。

また、Webサイトやチラシなどで専門性(他の弁護士と比べた優位性)を謳う宣伝があれば、本当に、ご自身を担当する弁護士がその内実を伴っているのか、サイトの内容は言うに及ばず、最初の面談時などに色々と質問をするなどして、きちんと確認することが望ましいと思います。

これも田舎の町弁の生きる道

某大企業さんから有り難くお引き受けしている仕事が佳境に入り、土日も雪だるま状態の作業に延々と追われています。

ただ、「本来は争点Aだけ審理すれば足りるのが当社の方針です。それに規定ではこれしか払えません」という依頼主(組織)のせいか、「争点BCDEF(以下略)も審理せよ」と余計な?仕事を増やしたがる相手方のせいか、「BCDなども審理判断する(ので、負けたくなければ必要な主張立証をせよ)」と宣う裁判所のせいかはさておき、結果として、限られた費用で膨大な作業に追われ、負荷ばかりが増大しているような千本ノック的被害感情は否めません。

まあ、社会的意義などに照らし非常にやり甲斐のある事件なので、いつかはいいことがあるさと信じて?低賃金労働(時給計算)にもめげずに頑張ることにしています。

そういえば、その大企業の社長さん(直にお会いしたことはありません)が、昨年に、イクボス宣言なるものをなさったとの報道に接した記憶があります。

この言葉は「部下に無理な労働をさせず自身も私生活を充実させている上司」との意味だそうですが、何度聞いても音の響きが好きになれず、カタカナ嫌いということもあって、兼業主夫婦等支援責任者とでも言えばいいのにと下らないことばかり考えてしまいます。

それはさておき、高邁な理念も、兼業主夫労働にあくせく従事しつつ深夜に事務所に戻って大企業の受注業務にも勤しむ零細事業者のことまでは考慮の対象に含まれていないのかもしれません。そんなわけで、事務所で深夜に独り、あかちょうちん気分で一句。

下請の悲哀はイクボス知らん顔

戯言はさておき、当方に限らず、地方の町弁業界の景気は残念な状態が続き、限られた報酬で山のような作業を余儀なくされる依頼ばかりが増えているのが実情ではないかと思います。

収入面で試練の真っ只中にある業界に身を置きながら土日も深夜に事務所で作業をしていると、イクボス、何とかミクスの賃上げ、ワークライフバランス、プレ金などという言葉は、いずれも大企業(大組織)の人達のためだけのもの、そのしわ寄せを下請労働者が低賃金の長時間労働で担っているのが実情だ、などというニュースのコメントを身につまされるような思いで眺めることもありますが、腐らずに今夜も頑張ろうと思います。

田舎の町弁はアジアのお雇い外国人または山田長政たりうるか~シンガポール編③

シンガポール旅行ネタの3回目ですが、今回は名所レポートではなく旅行中に感じたことのうち、弁護士業界のことについて少しばかり書きます。次回は、ウォシュレットについて触れる予定です(まとめて載せるつもりでしたが、長文になったので2回に分けました)。

1日目午後のリバーサファリ観光の際はツアー参加者が当家だけだったため、ガイドさんと日本語で色々と話をしながら歩きました。

ノーラさんと名乗る華人系の50代くらいのお喋り好きな女性で、行きのバスの車内で、シンガポールの歴史とリー・クアンユー首相の功績、現在のシェンロン首相の施政と課題などを熱心に語っていました。なお「共働き先進国」たるシンガポールに相応しく?今回の旅行でも日本語ペラペラのツアーガイドさん達のほとんどが女性で、年齢層も若い方から60代くらいの方までバラバラでした。

15分くらい続いたノーラさんの講義に対し、私は「その話は中公新書の「物語シンガポールの歴史」で読みましたよ」と30回くらい言いたいのを堪え、その種の話に関心の薄い同行配偶者は愛想笑いで聞き流すという、需要と供給の若干のミスマッチを感じつつ、トランプ大統領はTPPを構築し中国の覇権拡大を阻止したい貴国にとっては大打撃ですよね、盟邦・台湾が戦場になる不安も噂されますが、どのように立ち向かうのでしょう、などと、あまり実のない雑談をしながら歩きました。

で、私が「リー首相はもとは弁護士ですよね、私も同様なんですよ。英語は喋れませんが」と話したところ、ノーラさんもリー首相の経歴のことは知っていて、それに付け加えて、「我国にも弁護士は沢山いて、食えないから数を減らせとか、近隣諸国に出稼ぎせざるを得ないという話になっている」と述べていました。

私は「日本も全く同じ状態なんですよ。だから、日本の弁護士は法的インフラ整備が未了の東南アジア諸国などにドシドシ進出して、法整備や実務構築のための仕事をすべきだと思っています。ただ、日弁連は無為無策にしか見えない上、我々の最大の難点は英語能力の不足であり、語学面で(アジア進出の競争相手として)アドバンテージのあるシンガポールの弁護士さんが羨ましくて仕方がないです」と答えました。

さすがに、それ以上、そのテーマで話が深まることはありませんでしたが、そうしたことを考えながら、ガイドさん達のような通訳さえ確保できれば、私のような日本の町弁が、現地の社会・文化を研究しつつ、日本社会が培った法文化を上手に東南アジア諸国に普及させる手伝いをすることもできるのではないか、その場合、アジアの先進国仲間というべきシンガポールの弁護士の協力も得て、両国などの制度を比較・改良しつつ輸入国に適合する制度を構築することもできるのではないか、などと思いました。

とりわけ、いわゆるインバウンド(来日外国人の急増)を通じアジアなどの方が日本の諸制度に関心を抱くようになってくれれば、日本の法制(社会運営システム)も取り入れよう→それに長けた人材に来て貰おう、という機運を高めることもできないわけではないと思います(そのためには、「コト消費」の質を高める努力を日本側が行うことも必要でしょうが)。

また、現在は「膨張する中国」との間で様々な分野での非軍事的対決が必要になっているところ、「インフラとしての法制度の輸出」という場面で、社会運営に関して概ね共通の価値観を持っているはずの日・台・韓・星(シンガポール)のアジア4先進国が協力して輸出事業に取り組めば、「非民主的な専制国家」たる中国と対抗していく(それを通じて、究極的には、香港をはじめ中国内で同じ価値観を共有する勢力の伸長に期待する)ということも考えてよいのかもしれません。

などと書くと「シンガポールなんて一党独裁の明るい北朝鮮じゃないか、どこが民主国家なんだ」と言われそうですが、過去については同国の特殊性に依るもので、現在は移行期にあると考えてもよいのでは(そうであればこそ同国の穏健的な民主政治の進展に日本は役割を発揮すべきでは)と考えます。

ちなみに、日弁連の機関誌「自由と正義」2015年7月号には、東南アジアに赴任し活躍する若い企業法務系の弁護士さん達のレポートが載せられており、シンガポールのレポートを担当された方(坂巻智香弁護士)が、同国で活動する日本法弁護士の実情を報告すると共に、同国内に滞在・永住する3万人以上の邦人について、個人としての多様な法的ニーズがありながら、それを満たすインフラ(現地邦人向けのリーガルサービスの担い手)が整備されていないと報告していました。

また、日本の法テラスのような無料相談・援助制度(組織)もないため坂巻弁護士が有志を募り現地邦人向けの無料相談を試行したところ、相談者より「このような法的支援は絶対に必要だと声を大にして言いたい」と告げられたとのことであり、対外輸出云々もさることながら、現地邦人支援のための実務整備という点でも、日弁連ひいては実働部隊となる町弁達の出番が急務ではないかと思いますし、それは同国だけに限った話でないことは考えるまでもないことだと思います。

私も、海外在住の県内ご出身の方が当事務所HPをもとにメールでアクセスされ、相談を受けたことがありますが、込み入った話だと「これ以上は面談しながら多くの資料などを拝見したやりとりでないと適切な説明ができない、まずは、貴国に滞在する日本人弁護士に相談してみて下さい、それでどうしても話が進まなければ、その際の相談結果を踏まえて、もう一度、アクセスして下さい」とお伝えした(せざるを得なかった)ことがありました。

ご承知のとおり、近年ではクレサラ問題がほぼ収束し、現在では都会から過疎地まで弁護士がやってきて「過払などのハイエナ化」しているような有様ですので、日弁連は、国内の過疎地よりも(それ以上に)海外で「日本人弁護士による、日本の法的サービスを必要とする方」のための支援制度の構築(人を派遣すればよいとか法律事務所=ハコモノを作ればよいなどという話でなく、制度の整備や運用などを含む)こそ早急に取り組むべきではと思いますが、私の知る限り、そうした動きを聞くことがほとんどありません。

在外者向けサービスは、インバウンド(日本への来訪・滞在外国人のための法的サービス)と共に、今の日弁連が早急に取り組むべきことの一つではないかと思いますし、各地弁護士会もそうしたものに声を上げていくべきではと思いますが、どうなんでしょうね(などと余計なことを言っているから、10年以上経っても、誰からも岩手弁護士会の役員をやれとすら言われないのかも知れませんが・・)

私は最初から人生の選択肢を盛岡での開業一本に絞っていたわけではなく、高校1年のときは欧州の片田舎でひっそりと暮らしたいと思っており、東京のイソ弁時代にも、自分が特別に必要とされるような出逢いがあれば東京などに骨を埋めてもよいと思っていました。

結局、人徳不足かそうした出逢いもなく、自分で決めたレールどおり淡々と岩手に戻ってきたものの、このまま盛岡で一生を終えるのが自分の生き方として納得できるのかという気持ちが無くなったわけではありません。

もはや渉外弁護士を目指すだけの研鑽の余力も意欲もありませんが、語学能力がなくとも現地の法と実務の整備のため役立てるような社会(いわば、現地側が「お雇い外国人」として日本の普通の町弁を必要とするような社会)が到来してくれるのなら、10年ほどその地に移り住み、「大東亜の本当の平和」を目指した先人の思いを引き継いで汗をかくことができれば、などと夢想する気持ちを少し感じつつ、パンダの姿を眺めていました。

ただ、供給過多と言われながら需給双方に改善の見込が乏しい現在の町弁業界が、国内で不要になり食えないので海外に活路を見出そうとする光景は、お雇い外国人というより、太平の時代が到来したため東南アジアで傭兵となる道に救いを求めた江戸初期の戦国浪人達になぞらえた方が賢明かもしれません(弁護士も、傭兵の類に変わりありませんし)。

それならそれで山田長政(アユタヤ王国の重臣に上り詰めた当時の出世頭)のように現地で大活躍できればよいのでしょうが、長政自身の最期と浪人達の末路のような死屍累々の山にならないことを願いたいものです。

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