北奥法律事務所

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被災地支援

震災無料相談制度の終了(あと1日)と「駆け込み利用」に関するお知らせ

岩手では一般の県民にも最後まで知名度がありませんでしたが、「震災当時、岩手県民など(被災三県民及び隣接被災地民)であった方」なら誰でも利用できる無料相談制度が、明日(3月31日)、終了となります。

ただ、この制度、31日までに申込を行っていただければ、来所自体は4月末まででもOKとなっています。

というわけで「実は相談したかった」という岩手県民などの方がおられれば、31日の営業時間内にお電話いただければと思いますので、一応お知らせいたします。

まあ、こんなことを書いても、当事務所に電話が殺到することは微塵もなかろうかとは思いますが。

なお、限られた資産・収入しか有しない方のための無料相談制度(扶助相談等)は今後も従前同様の内容でご利用が可能ですので、該当する方は、ご遠慮なくお申し出ください。

本来は半年以上前から泉佐野市のように?「無料相談終わっちゃうよ、今のうちにおでんせ大キャンペーン」を行いたかったのですが、昨年前半頃から首が廻らない状態が延々と続き、残念ながら、何もできずに今日を迎えてしまいました。

当事務所(に相談いただいた方々)も、導入時から現在まで長年に亘りこの制度に大変お世話になり、導入や延長にご尽力いただいた皆様には、改めて感謝申し上げるところです。

震災相談制度などについては色々と述べたいこともありますが、またの機会にということで、本日は一旦ここまでとさせていただきます。

以上、当事務所からのお知らせでした。

 

多浪が田老に集うとき、そして二つの「たろう」の誇りと救い

大阪大学や東京大学に「多浪の会」なるサークルが結成され、「多浪」の方々の単なる交流だけでなく、全国の同じ境遇の方を支援する情報提供などにも取り組みたいなどと述べられた記事が掲載されていました。
https://www.j-cast.com/2017/07/28304395.html?p=all

折角なので、岩手県宮古市(田老地区)は、「多浪の聖地(或いは故郷)」を標榜し、この方々の全国大会などを行って欲しいとの誘致活動をなさるべきではないかと思います。

参加者の方々には、震災時に巨大津波に飲み込まれてしまった「防潮堤の長城」に全員で並び、多浪を乗り越える力強い人生の誓いを叫んでいただくと共に、たろう観光ホテルの最上階で「あの映像」を見て「どんな高い人生の津波にも打ち砕かれない多浪の誇り」を新たにしていただくのも良いのではないかと思います。

また、当然のことながら、東大や阪大など優秀な方々の集団であることは間違いないのですから、地元側は田老地区のまちづくりや活性化、全国や世界とのつながりの支援なども含む長期的な関係形成を彼らにお願いすべきではと思います。

それこそ「多浪」が「田老」を助ける中で双方の誇りが取り戻されるという点で、「救いに至る道」とも言えるのかもしれません。

特定のイベントを揶揄したいわけではありませんが、震災から何年も経て、政治家やマスコミなどの「形だけ・かけ声だおれの復興エール」ばかりが目に付く一方で、現実に沿岸被災地と全国・世界の様々な方々が共同した取組をしているなどという報道などに接する機会が減っているだけに、こうした「多少のユニークさも含めて、多くの人々の関心を引きつけ、現地に行きたいと思えるイベント(風化対策)」が求められているのではなどと思わないこともありません。

ちなみに、私は司法試験では2浪していますが、多くの先輩方に「そんなのひよっ子だ」と笑われてしまいそうです。

龍が棲む町の宿命と「相続放置」に関する過疎地の現実

先日、岩泉町の社会福祉協議会が実施する法律相談事業に弁護士会から派遣されて担当してきました。

平成28年8月の「異常な進路を辿った挙げ句に岩手県の一部と北海道の十勝地方を襲った台風10号」によって岩泉町は甚大な被害を受けましたが、私自身は数年ほど岩泉方面に行く機会がなく、台風以来はじめての訪問となりました。

10時から12時まで3件のご相談があり、テーマは賃貸借や成年後見など様々でしたが、いずれの事案も相続が絡んでいる一方、相談者の方も高齢のため、ご自身での対処が難しいと見られるものもありました。

高齢者から込み入った事案の相談を受けた場合、残念ながら、様々な論点や幾つかの作業を必要とする旨を繰り返し説明しても、聞き手=相談者が高齢のため自身で作業をこなせないことはもちろん、当方の説明を理解できているかすら心許ないのが通例で、お一人で相談せず、ご家族や支援者と一緒にいらして下さいと説明するほかありません。

医療であれば、(例外があるにせよ)ご自身が当を得た説明ができなくとも、目視であれ諸検査であれ身体を診て病気を確認し、それに対し手術や投薬などの対処ができる=ご本人はそれを受け入れていればよいということが多い(と思われる)のに対し、弁護士への相談事項は、より高度で内実のあるコミュニケーションが構築できないと話を進めることができないものが通例です。

相談の対象が「問題の解決」という性質上、「依頼するか、説明された内容をもとに自分で対処するか」の選択から始まり(もちろん、相談内容や当事者の置かれた状況によりどちらが相応しいかは異なります)、受任業務の多くも、僅かな例外(過払裁判の一部など)を除き、弁護士と依頼者が様々な作業や意思疎通を重ねなければ解決できない事案が少なくありません。

とりわけ初動段階では、弁護士が「これこれの準備をして下さい(それを済ませていただけないと私=法律家が従事する前提を欠きます)」と幾つかの作業をお願いせざるを得ないことが多くあります。

主に、事実関係の説明やご自身の手持ち資料の整理、関係者の内部協議などになりますが、そうしたものについて高齢者の方がお一人で対処することは困難ですので、込み入った事案では、ご家族や相当な支援者のご協力が得られないと、先に進めるのが難しいと言わざるを得ません。

率直なところ、岩手に戻って十数年、高齢の方がお一人で込み入ったご相談を持ち込んできて、そうした残念なやりとりを余儀なくされることが非常に多いというのが実情です。

で、今回のご相談では、例えば、「不動産の貸主が借主の賃料不払等を理由に不動産の明渡を求めたいが、借主は既に亡くなっており、借主側の相続関係も不明である」といったものがあり、その場合には、前提として契約関係の明確化(内容確認)や所有関係など(不動産登記事項証明書)を行いつつ、本題というべき借主側の相続人調査などを行わなければならず、それらの一つ一つをとっても、様々な事務作業が必要となります。

土地の賃貸借であれば、そうした前提をクリアできた上で、最後に建物撤去という悩ましい問題があり、事案に応じたリスクやコストに関し依頼者との間で見通しや覚悟などの共通認識を得た上でなければ、弁護士としては軽々に依頼を受けられない面があります。

残念ながら「借主たる80代くらいの高齢者ご本人」お一人のみでは、そうした面倒な話に対処いただくことは困難で、一通り説明しても「何となくわかったけど、自分一人では何もできない、しない、それでおしまい」という、茶飲み話レベルの展開にしかならず、互いの時間の無駄と言わざるを得ません。

その件でも、同種の説明をして、町内で同様の企画(無料相談会)があれば、お子さんなどに同行していただくか、私への相談を希望されるなら、ご一緒に盛岡にいらして下さいと伝えるのが精一杯でしたが、お子さんは遠方に勤務しているので同行は難しいなどと言われてしまうと、私も何と言葉をかけてよいのやらという感じになってしまいます。

最近は、この種の「本題(賃貸借など)に加えて、前提として相続が絡み、かなり面倒な作業が必要になる可能性が高い(ので、誰もが嫌がって放置し先送りされ、次の世代が結局は迷惑する可能性が高い)事案」が非常に増えているとの印象は否めません。

そのため、建物登記の義務化(放置への不利益処分)、相続時に一定の期間内に遺産分割などがなされなければ暫定的に法定相続分登記の義務づけ(又は職権での実施)、それらの履行が困難な方のための支援などが必要だと感じています。

現状では、相続物件に絡んで利害関係のある第三者に面倒な負担が強いられる一方、その解決に対処した者に報いる面が薄く、放置した場合のペナルティもほとんどないため、とりわけ高齢者が権利義務の主体となっている事案では、先送りばかりが常態化しており、何らかの制度的な手当が急務だと思います。

そうした意味では、今回の相談は社会福祉協議会を通じて行われたものでしたから、相談者が拒否するのでない限り、担当職員が立ち会うなどして、今後の動線を支援する取組をすべきでは(それが、職員自身の今後のためでもあるのでは)と思わざるを得ませんでした。

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相談会が終わった後、帰路につく前に、大川地区の名所である「大川七滝」を見ていくことにしました。

大川七滝は、大川が階段状に傾斜している場所であり、メジャーな知名度はありませんが、それなりに見応えがあり周辺の雰囲気も良いので、一度は訪れる価値のある場所と言ってよいでしょう。

私自身は、4~5年ほど前に龍泉洞を訪れた帰りに大川七滝に立ち寄り、さらに奥の山深い道を進んで「北上高地の秘境」と言われる櫃取湿原の入口を通過して(日没のため湿原には行けませんでした)、区界高原から盛岡に戻るという休日を過ごしたことがあり、今回も七滝だけでもチラ見していこうと思い、会場となった複合福祉施設を北進しました。

すると、なんということでしょう。

ちょうど七滝のすぐ手前で道路が台風禍の土砂崩れでズタズタに寸断され、現在も復旧未了のままになっていたのです。

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そこで、仕方なく少し戻って小さな橋を渡り迂回路を進み、どうにか七滝自体には辿り着くことができました。

私が今回に通った道路で寸断されていたのはこの場所だけでしたが、周辺の細い道にも寸断されたままの状態になっている箇所が多くみられ、1年近くを経た今も台風禍の復旧は十分でないこと、また、川から10m以上の橋に瓦礫が散乱している光景から、当日の岩泉町内にどれほど激しい濁流が押し寄せたのかということが、多少なりとも感じる面はありました。

とりわけ、七滝の手前の道が寸断されたというのは、蛇行する川や七滝の姿が竜の化身のようなものだと考えると、「特別な場所に気軽に来ることができると思うな」と天に告げられているような印象も受けました。

そんなわけで台風禍に翻弄される「龍のまち」岩泉を思って一首。

大川におおかぜ来たりて龍となり 人の非力を現代(いま)に知らしむ

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岩泉の台風禍は、小本川沿いの福祉施設の被害があったとはいえ震災に比べれば人的被害が多くなかったせいか、人々の記憶から風化しつつある面は否めないのかもしれませんが、それだけに、土木工事だけでなく上記のような住民が必要としている人的サポートの拡充も含め、過疎地の復興へのご尽力を願ってやみません。

人からコンクリートへ、被災地から刑務所へ?

すでに報道などで目にした方も多いでしょうが、現在、沿岸被災地の各地では防潮堤建設が大きく進んでおり、海岸線に沿って長大な壁に囲まれた状態になっている街も珍しくありません。

1月の法テラス気仙の担当日に大船渡で撮影した写真を末尾に貼り付けますが、率直に言って刑務所の壁を想起せざるを得ず、収容所群島などとマイナスな言葉ばかり浮かんでしまいます。

せめて、人目につくところは都会の打ちっ放しのコンクリート建物のようにデザイン性を意識した作りにしようなどと提言する方はおられなかったのでしょうか?

さすがに近年ではこうした防潮堤のあり方に批判の声が多く上がっていますが、今さら撤去しても誰が喜ぶのか、何が失われるのかを考えると、そのようなお気持ちがあるなら着工前にもっと声を上げていただきたかったと思わないでもありません。

言うなれば、

震災直後→人命を守るため防潮堤を作れ!→景観・自然破壊の懸念は少数派のため相手にされず

着工決定=大手建設業者ワー→財政悪化?福祉カット?

数年後、防潮堤の完成に目処が立つ=大手建設業者の仕事がなくなりそう・・

与党サイドの有力者「やっぱり防潮堤は景観破壊で良くない!」(今ココ?)

できて間もなく撤去工事=大手建設業者ワー→財政悪化?福祉カット?

作れと言った人の責任は問われないの?→たぶん・・(原資は国税だし政権交代の見込もないし着工決めたの民主党政権だし?住民訴訟ならぬ国民訴訟もないし)

なんて展開になったりするんでしょうかね・・・せめて、これを教訓に沿岸の自然景観などや政策決定過程や税金の使用に関する責任のあり方について議論が深まればと思いますが。

ちょうど、何かと話題の安倍首相夫人が防潮堤反対の発言をされている記事を拝見しましたが、昭恵夫人ご自身のお気持ちは真っ当なものだろうと思う反面(今に始まったことではなく以前からそうした発言はなさっていたようですし)、上記の理由から利権的なものに利用されてしまうのではないかなどと残念な印象を感じてしまう面もあります。
http://jp.reuters.com/article/idJP2017031201001189

この記事の昭恵夫人の写真は、例の件で心労が溜まっておられるのか、とても疲れ気味に感じられ、講演先が西和賀町というのも総選挙対策で関係者に頼まれてということなのかもしれませんが、ご自身の健康を第一にしていただければと思います。

ともあれ、今後、防潮堤問題については、撤去等を掲げる声が高まることが予測される反面、本日の岩手日報でも「防潮堤の整備が終われば建設業者の仕事は減るだろう」との国交省幹部の発言なるものが掲載されており、誰がどのような立場・動機から撤去等を求めているのか、見定める必要があるのではと思われます。

防潮堤を単純に悪者視するつもりはありませんが、人(特に若者)が海を見るとき、遠く離れた先に自分の可能性が広がっているように感じるのでは無いかと思いますが、壁に囲まれた暮らしをしていると、自分が閉じ込められ、限られた人生の選択肢しか与えられていないような閉塞感に囚われるのではないかと思います。

景観や自然破壊云々もさることながら、そうした形で「被災地はろくでもないところ(だからさっさと離れた方がよい)」というメッセージをこの光景が地域の若者や全世界に発信することにならないか危惧しますし、それだけに「地域住民が秀でたものとして愛し、世界の人が見に来たくなるような防潮堤のあり方」について、災害先進国?に相応しい叡智を結集していただきたいと思わずにはいられません。

ちなみに、岩手弁護士会・公害対策環境保全委員会は、防潮堤問題について何かせねばとは思いつつ諸般の理由から何もやっていないと言わざるを得ない状態ですが、仙台弁護士会では視察調査などを行っているそうです。

先般それに関する記事を頂戴したので、その種の問題に取り組んでいる県内の方などがご覧になりたいとのことでしたら、ご遠慮なくお申し出下さい。

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養子制度から見た空家大国の近未来と震災

先ほど、日本国内に大量の空家が発生して深刻な社会問題になるはずだと述べた藻谷浩介氏の対談記事を拝見しましたが、私も、「遠方の被相続人(両親やきょうだい、叔父等)の死去等により、相続人が廃墟化した空家の対処(解体など)を余儀なくされたり、相続放棄等により第三者がその必要に迫られる事案」のご相談等を多く受けてきましたので、それが今後ますます増えるだろうということも含め、記事には共感できる面があります。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51118

ところで、「人口減少で家を継ぐ人が減って空家が増える」という点については、昔の日本(特に、多産が奨励された大戦前後の時代)なら、養子縁組で家を継ぐ(いわば空家化を防ぐ)ことが多く行われていたようです。

そうした話は去年読んだ「きょうだいリスク」という朝日新書の本に詳しく書かれていたのですが、現代では、そうした風潮ないし社会慣行は廃れたのでしょうし(金持ちが税金対策で養子との話を日経新聞で見かける程度です)、私の知る限り「養子の慣行を再興して空家対策をしよう」などと呼びかけている人がいるなどという話は聞いたことがありません。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17778

私の存じている同世代の方々も、単身生活を続けている方もいればお子さんが3人という方も相応に多くあり、昔なら養子云々という話になったのではないか、どうして今はそうならないのか、それは社会にとって悪いことなのか良いことなのか、以前と比べて社会の仕組みや人々の意識などの何がどう変化し、それはどのように評価すべきなのだろうなどと、色々と考えさせられる面があります。

それもまた、現代が良くも悪くも地域や個々人のつながりを分断させる方向にばかり社会インフラの舵を切ってきたことの帰結なのかもしれませんが、養子以外の形も含めて、「跡継ぎ・墓守」などという精神的な負担感を軽減した方法で空家の管理や所有を相応の個人や法人に移譲させる仕組み(空家承継)を検討・試行する機運が高まってくれればと思います。

本日は「震災の日」ですが、数年前に沿岸被災地で多くの方から相談を受けていた頃、養子縁組が絡んだご相談(例えば、遠方在住の養子が弔慰金を受け取ったのに葬儀もお墓の面倒も見ないので憤慨しているといった類のもの)を受ける機会が多くあり、盛岡など内陸部の方からは養子絡みのお話を聞くことがほとんどなかったので、不思議に思ったことがあります。

かつては、沿岸の方が内陸に比べて多産多死(なので養子の必要が生じやすい)社会だったのか、震災のため、そうしたご相談がたまたま多く寄せられただけなのか(実は内陸にも養子は沢山いるのか)、分かりませんが、そうしたことも含めて、学者さんなどに幅広い視野をもって地域社会の実像を解き明かしていただき良質な対策につながってくれればと思っています。

余談ながら、住宅業界に限らず弁護士業界も15年ほど前に、藻谷氏が述べるような「供給を増やせば市場価値も上がるという、市場経済原理とは真逆の、謎の信念」を唱えて増員と法科大学院の導入等を推進(狂奔?)してきた方が多くいましたので、そうした観点からも、現場で様々な苦労や忍耐に直面せざるを得ない身としては、色々と考えさせられる対談だと思います。

まあ、えせ老骨が価値の暴落ばかり嘆いても仕方ありませんので、せめて、それをバネにして「若い人ばかりという現代日本とは真逆の人口構成になっている弁護士業界」が、上記の問題の対策に関する実働なども含め社会に良質な価値をもたらす原動力になってくれればと願わないこともありません。

大雪事件と「善意発、無責任経由、破綻着」の列車

ほとんど知られていないことだと思いますが、大雪りばぁねっと事件の発端は、「自動車関連で国内有数の大企業たる某社が、山田町に被災地支援のためボイラーを無償提供したいと申し出たため、町当局が被災者・支援者向けの無料浴場の運営を思い立ち、当時、町内の不明者捜索などに熱心に活動していた大雪に白羽の矢を立てたこと(それに伴う巨額の建設資金や運営費用をノウハウ等のない大雪に任せ、岩手県も多額の補助金を了解したことが引き金となって次々に業務=補助金申請が拡大したこと)」と言って間違いないと思います。

もちろん「熱心に不明者捜索をしていたこと」と「浴場の建設や運営などの実務能力」は当然に結びつくものではありませんので、大雪に打診した山田町関係者の無策ないし無責任ぶりは大いに批判されるべきでしょう。

が、大雪事件によって不幸な目に遭った内部関係者を多少は存じている身としては、大雪側や山田町に限らず、支援者たる大企業も、ある意味、罪作りなことをしたものだ(相手が適切に対応できるかも見た上で、支援等を決めて欲しかった)と思わないでもありません。

悪く言えば「大企業の震災支援なる善意」が醜悪で残念な結論の端緒になったわけですが、そうした「善意発、無責任経由、破綻着の列車」という光景は「世帯主(受給者)が義援金・支援金を分配しなかったので不和になった家族」など、恐らく色々なところで見られた光景ではないかと思います。

支援が足りないとか行政或いは支援者に問題があるなどといった類の言説は、震災に限らず色々なところで目にしますが、そうした「大きな善意が無責任と破綻を生むサイクル(を再発させないこと)」についての調査研究は、ほとんど聞いたことがないように感じており、その点は残念に思います。

この事件を法的に処理するための幾つかの裁判手続などは現在も続いており、私も、行きがかり上やむを得ずお引き受けした超不採算仕事に今も追われています。

この事件では行政の対応が色々と批判されたものの、結局、住民訴訟(役所の関係者などに賠償を求める訴訟)が生じませんでした。補助金が絡む(ので、実質的な費用負担が国民に転嫁されている面がある)せいもあったかもしれませんが、震災による混乱と劣悪な条件の中で生じた出来事で、自治体関係者を責めるのは忍びない(何より、自治体関係者自身が不正利益を得たわけではない)という心情が強かったからなのかもしれません。

ただ、生じた結果の酷さに照らせば、「時と場合によって、役所はこんな酷い税金の使い方(使わせ方)をするものであること」を銘記し、裁量の縮小や活動の見える化、支援者を含む様々な第三者の関与(監視監督)などの仕組みを整えたり、運用を活性化させる(そのことにより、岡田氏のような巨額の税金等を預かる資格のない人間にカネや権限を与えて暴走するのを阻止する)必要があるのではと思います。

先日も、大雪事件のせいで人生を暗転させられた女性関係者の尋問があり、そうしたことを改めて感じました。

「義・支援金が家庭を壊す光景」と養育費不払問題の完全解決策としての「給与分割」提唱の辞

先日、弁政連岩手支部の企画で、年に1回ほど行っている岩手の県議会議員さん方と地元弁護士らとの懇談会に参加してきました。

今年は、例年どおり、震災絡み(被災者・被災地が直面する各種の法律問題)がメインテーマとなったほか、法テラス特例法の延長問題、成年後見制度への行政支援の強化(市町村申立やいわゆる市民後見人の育成など)、離婚等に伴い女性・子供が直面している法律問題の紹介(を通じた議会への支援要請)といったことが取り上げられました。

2年ほど前から釜石の「日弁連ひまわり事務所」に赴任している加藤先生から、被災地の弁護士に多く寄せられている相談・依頼の例に関する紹介があったのですが、その中で、「義援金・支援金の受領に関し、直接の受給者=世帯主が受領金を独占するなどして家族内で不和・紛争が生じている」との紹介がありました。

この問題は、私が震災直後の時期(2年ほど)に最も多く相談を受けた類型で、「いっそ不当利得返還請求訴訟をしたらどうですか(弁護士への依頼が費用対効果的に問題があるなら、本人訴訟用の書面作成くらいならやりますよ)」と説明していたこともあっただけに(残念ながら、結局ご依頼は一度もありませんでしたが)、懐かしく感じて、私も珍しく挙手して補足発言をさせていただきました。

改めて感じたのは、この問題は、誤解を恐れずに言えば「以前から不和の種があった不穏な家庭に役所が不公平な態様でお金を渡すことで、油を蒔いて点火させ、その家庭を役所がぶっ壊した」と言っても過言ではないのではということであり、だからこそ、行政は受給者に広くアンケート調査をして「貰って有り難かった人・家庭」もいれば、「そんなカネが配られたことで、かえって悲惨な事態になった人・家庭」もいるのではないかという現実を、きちんと把握、総括し、そうした「現金給付政策」の当否ないしあり方について検討すべき責任があるのではないかと考えます。

ご承知のとおり、現在の給付制度のあり方(世帯主給付)に対しては、世帯主ではなく個人単位にすべき(世帯主給付にしたいなら全員の同意書を要請し、それが得られなければ個人給付にするとか、世帯主を窓口にするにせよ給付の利益は各人が有する旨を制度で明示するなど)といったことを、日弁連など?が提言しています。

そうしたことの当否を明らかにする意味でも、今こそ(すでに時を失した感はありますが)、被災地住民を対象とする大規模調査が行われるべきではないかと声を大にして述べたいです。

ちなみに、今年の2月の弁政連懇談会について触れたブログでも、この件について取り上げていますので、関心のある方はぜひご覧ください。

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ところで、県議さんとの懇談の際、S先生から養育費の不払問題について詳細な報告がなされていたのですが、それを聞いているうちに、いっそ給与についても、年金分割のように「義務者を介さない受給者への直接給付制度(給与分割制度)」を作るべきでは?と思いました。

すなわち、義務者の勤務先が、「養育費の権利者(親権者又は子の名義)」の口座に直接に支払う制度を作れば、給与の全額を受領した義務者による不払という問題は根本的に解決されることになります。

こんな簡単で抜本的なことを誰も言い出さなかったのだろうかと不思議に思ってネット検索してみても、その種の提言を見つけることはできず、FBで少し聞いてみたところ、給与分割ではないものの、日弁連が「国による養育費の立替(と不払者への国からの求償)」の制度を提言していたとの紹介を受けました(私も過去に読んだ記憶があり、すっかり忘れていました)。

ただ、日弁連意見書の理念に反対する考えはないのですが、「立替制度」だと財源をはじめ導入に必要な作業・工程が多そうですので、給与分割方式の方が手っ取り早く導入できそうな気がします。

さらに言えば、国の立替方式は、実質的には国が育児費用を給付する性質を帯びることから、「子を育てるのは誰か」という家族観ひいては憲法観の問題に関わりそうで、その点でも、議論百出=導入できたとしても時間がかかるのではと感じます(議論そのものは盛んになるべきだと思ってますが)。

私が考える「養育費等の支払のための給与分割制度」は次のようなものです。

①まず、子のいる夫婦の協議離婚については、親権者の指定をするのと同様に、原則として養育費の合意が必要とし(紛糾すれば調停・訴訟により解決)、合意した額を、家庭裁判所の認証(これがないと不相当な額になるため。なお、認証作業は裁判所から指定された弁護士が行う等できるものとすれば業界的にはグッド)のもと、離婚届に記載する(調停離婚等ならその届出時に調書等を添えて養育費の額も役所に申告する)

②その届出を受けた役所が、マイナンバー制度を通じて?義務者の勤務先に通知→勤務先は、義務者の給与から養育費相当額を天引して権利者の指定口座に直接に送金する(但し、分割は義務ではなく、権利者の同意があれば直接送金や供託等の処理も可能とする)、

婚姻費用についても、同意又は審判に基づき定めた額を対象とする給与分割を実施できるものとする(役所に届出→マイナンバー等(社会保険等)を通じて?勤務先への通知)。

これにより養育費等の不払問題は根底から解決するでしょうから、日弁連(子ども関連委員会?)がこれを提唱しないのは怠慢の極みでは?と思わないでもありません。

マイナンバー制度の導入に伴って、離婚等に伴う給与や退職金の分割制度もやろうと思えば確実にできるのではないかと思っているのですが、マイナンバーそのものに否定的?な日弁連に旗振りを期待するのは無理なのかもしれません。

ただ、この制度が実現すれば、高金利引下げと同様にまた一つ弁護士の仕事分野(養育費債権回収)が無くなるわけで、町弁の皆さんますます貧困~♪(ラップ調に)と思わないでもありません。

なお、こうした制度に反対する方(養育費の支払確保の必要を前提としつつ給与分割という方法自体に反対する方)がどのような反論をするかと想定した場合、その根拠として、①給与天引制度が作られると、離婚や別居の事実を無関係の第三者(職場関係者)に知られることになる(情報漏れ等を含むプライバシー問題)と、②天引制度を通じて特定人(養育費等の義務者)の諸情報(勤務先から離婚等の事実・養育費等の額まで)を国が一元的に把握・管理することへの不安(ソフトな情報管理・監視社会への恐怖)の2点が挙げられるのではないかと思っています。

①については、天引ありきでなく、権利者が同意すれば(或いは義務者の申立に正当な理由があるとして裁判所の許可を得ることができれば)天引をせずに自主支払とすることができる(のでプライバシーOK)とした上で、不払等の不誠実事由があれば権利者はいつでも天引の導入を役所に要請できる(申立も簡易な手続でOK)とすれば、きちんと履行する真面目な義務者に不利益を課さずに済む(不誠実な義務者に即時の措置を打てる)ので、それで対処可能と考えます。

これに対し、②については、まさに価値判断の問題で、そうした管理社会的な流れを危惧する(ので住基ネットやマイナンバー等に反対する)方の心情も理解できるだけに、悩ましいところだと思います。

ただ、なんと言っても、「自分では権利主張(確保手段を講じること)が困難な子供の権利・利益を守ること」こそが大鉄則であることは明らかでしょうから、それを前提に、ドラスティックな制度の弊害の緩和なども考えながら、世論の喚起や理解を得る努力を図っていくべきなのでは(少なくとも、当然に支払われるべきものに執行の諸負担を負わせるのは絶対に間違っている)というのが、とりあえずの結論です。

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ところで、今回のブログで取り上げた二つのテーマ(義・支援金の内部紛争と養育費等)は、一見すると無関係のように見えますが、家庭の内部紛争という点では同じです(前者は行政から支給されるもの、後者は家庭内の扶養義務者が支払うべきものという違いはありますが)。

日弁連などは、ともすれば公権力に対し社会的弱者に救済のための公金を拠出せよということばかり強調しがちですが、財政難云々で税金から巨額の拠出を求めることのハードルの高さ(時に不適切さ)が強調される昨今では、それ以上に、「税金に頼らずとも「民」の内部で解決できる仕組み」や民間=家庭の内部の意識等の質を高める仕組み、ひいては法やその担い手(弁護士)がそのことに、どのように関わっていくか(役立つか)という視点を中心に、制度のあり方を考えていただくことも必要ではないかと感じています。

そもそも、「国にあれしてくれ、これしてくれ」とばかり主張するに過ぎないのなら、およそ国民主権の精神に反する(国に何かをしてくれと求めるよりも、自分が国・社会・周囲の人々のため何ができるか、すべきかを考え実践するのが主権者のあるべき姿ではないのか)と思いますし。

余談ながら、今回の弁政連の「県議さん達との懇親会(宴会)」も前回と同様、当家は家族の都合が第一ということで、私は帰宅せざるを得ませんでした。

まあ、当方の営業実績は昨年の今頃と同じく試練の真っ只中ですので、金持ちでもないのに交際費を拠出しなくて済んだと思わないでもありませんが、「私の祖父は県議だったんですよ~」と親近感をアピールして県議さん達を相手にヘコヘコと営業活動に勤しむ・・などという野望?はいつになることやらです。

まあ、上記の発言は、「でも、そのせいで実家の商売は潰れかけたので、政治は御法度というのが家訓なんですけどね」というオチがありますので、県議さん達に話しても嫌な顔をされるだけでしょうけど・・

法テラス気仙の落日?と「被災地」無料相談事業の行方(後編)

前回の続きですが、今回は、「法テラスの無料相談事業」に力点を置いて書いてみようと思います。

法テラス気仙での相談はすべて無料ですが、岩手の多くの方がご存知のとおり、無料相談ができるのは法テラスだけではなく、岩手県内では当事務所をはじめ法テラスと契約している県内の全ての弁護士(法律事務所)が、原則30分の無料相談に対応しています。

法テラスは、本来は「低所得者などの支援のための公的機関(税金で運営する組織)」なので、無料相談等には一定の所得制限があるのですが、被災3県や青森県八戸市など幾つかの沿岸被災地域では、震災後に制定された法テラス特例法により、震災当時にこれら対象地域の居住者であった方なら、資力等を問わず、また対象事項を問わず(刑事を除く)、無料相談を受けることができるようになっています。

ちなみに、先般の熊本大地震でも、すでに同様の特例法が定められたと聞いています。

この制度は平成27年に延長され、現在は平成30年3月までとなっているのですが、この制度が再延長されるのかどうかも、被災県で活動する弁護士にとっては大きな関心事となっています。

ただ、確かな筋から伺ったところでは再延長の見込みは絶望的で、残念ながら平成30年で終了することが確実視されているようです。

この制度が導入される直前には、弁護士会(盛岡)の相談センター(有料)ですら閑古鳥が泣きそうな状況になっていましたし(これは、他の都道府県でも同様の現象と聞いています)、当事務所に来所いただく相談者の方々にとっても、無料で相談できるということで気軽にご利用いただいている面もあろうかと思います。

ですので、この制度が廃止された場合は、既に全国各地で生じている光景のように、有料に戻す=相談者が激減するリスクを負うか、完全無料(自腹)とするなど事務所の経営(存続)リスクを覚悟するか、選択を迫られることになりますが、いずれにせよ、町弁の事務所経営上は大きな打撃になることは間違いありません。

個人的には、いっそ発想を転換して法テラス無料相談(無条件30分)の制度を全国的に導入してはと思わないでもありませんが、その場合、現在とは比較にならぬ膨大な財源が必要になり、かつ、それを捻出する政治力を弁護士業界が有していないことも間違いないでしょう。

或いは、日弁連が法科大学院(LS)と決別し、LSへの国からの補助金を撤廃させ無料相談の財源に廻せとの運動をしてはいかがかと思ったりもしますが、「LSへの補助金のせいで司法修習生の給費制度が廃止されたので、補助金を撤廃するのなら給費制をこそ復活させるべき」と仰る方も少なくないようですので、遠からず、「国から弁護士業界に流れてくるお金(パイ)」の争奪を巡り醜い争いが生じたり、それに伴う業界の衰亡などという現象も生じることがあるのかもしれません。

そうした意味でも保険制度による費用問題の解決が何年も前から求められていたというべきなのですが、それを怠ってきたツケを、我が業界は今後ますます負っていくことになりそうで、ため息ばかりが増す有様です。

(写真は4月の担当日の際に撮影したものです)

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法テラス気仙の落日?と「被災地」無料相談事業の行方(前編)

平成24年頃から月1回の頻度で法テラス気仙(大船渡市)に通っていますが、今年になってから私の担当日には相談件数が一挙に減り、3月から7月まで、5回連続でゼロ件(6月に受任事件の関係者に私から頼んで来ていただいたものが1度あっただけ)、8月は当日に飛び込み1件のみという惨状が続きました。

片道2時間ほどかけ、丸一日潰して(拘束されて)通っていますので、相談者ゼロ件が延々と続くと、さすがに厭戦気分というか、担当から抜けられるものなら抜けたいという気持ちを抱かざるを得ません。

私に限らず、沿岸に開設された2つの法テラス事務所(気仙、大槌)とも、最近は弁護士への相談件数が大幅に減ってきたとの話を伝聞ですが聞いており、下手をすると今年度末には法テラス気仙が廃止されるのではないかという噂も聞いたことがあります。

ただ、司法書士さん(週1回の担当)への相談状況がどのようになっているかは聞いたことがなく、ひょっとしたら土地の区画整理・自治体買収などに伴う相続登記の関係などで閑古鳥の弁護士と異なり大盛況になっているのではと想像しないこともありません。

そうであれば、すぐにでも弁護士相談=原則週4回を減らして、司法書士の相談日を増やした方がよいと思いますが、司法書士さんの担当日の来客状況などを伺ったことがないので、よく分かりません(先日、某先生のFBで、今日は来客なしと仰っていたのを拝見したので、弁護士と同じような現象が生じているのかもしれません。弁護士と異なり?高台移転や区画整理などで登記手続などの需要は多いのではと思いますが・・)

昨年の段階から1回あたりの相談件数がかなり減ってきたので、今年の相談担当の更新の際は辞退するか悩んだのですが、現時点で沿岸被災地の関係で従事している「弁護士としての支援活動」が他に特段なく、縁を切るのも忍びないということで無為に続けているのが恥ずかしい実情です。

気仙地区に関しては、訴訟等が必要な場合、地裁の管轄が一関市(盛岡地裁一関支部)になるため、私のように盛岡から出張してくる弁護士に相談するよりも、端的に一関で執務する弁護士さんの事務所に相談に行くという方も少なくないのかもしれません(統計情報などがあれば、ぜひ見てみたいものですが、恐らく誰も調査などはしていないのでしょうね・・)。

そうした話に限らず、いわゆるアウトリーチ問題(法テラス自身が沿岸の自治体や団体・企業などに働きかけ、担当弁護士を相談日に事務所に置いておくのでなく、ミニ講義+プチ相談に派遣するなどの事業をしなくてよいのかという類のもの。「役所」の典型たる法テラスには期待し難いかもしれませんが)を含め、「沿岸被災地の無料相談事業の低迷」は、様々な要因が複合的に関わっているのでしょうから、幅広い視野での総合的な検討が必要でしょうが、そうしたものもほとんどなされない(或いは、私のような現場の末端には伝わらない)まま終わってしまうのかもしれません。

と、ここまで書いて9月下旬の担当日のあとにでも載せようと思っていたところ、9月には過去最高?の5件(飛び込みを含む)のご相談があり、開設時に戻ったかのような感じがしました。

或いは、法テラス気仙を廃止をさせてなるものかという「見えざる力」が働いたのかもしれません。

(写真は4月の担当日の際に撮影したものです)

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地方の町弁が「事件に呼ばれる」ということ

尊属殺違憲判決事件は、大学ではじめて法律や裁判を勉強する学生が最初に教わる判例の一つであり、かつ講義を受けたときの衝撃を忘れ難く感じる事件の代表格でもあると思います。

その事件に従事された弁護人の方については、さきほど、下記の記事を拝見するまで全く存じなかったのですが、どうやら地方都市の一般的な町弁の方のようで、業界人的には、金字塔というか雲の上のような方だと思う一方、片田舎でしがない町弁をしている身には、それだけで親近感が沸いてしまいます。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/120200001/?P=1

私自身は、こうした業界で語り継がれる事件に関わることはないと思いますが、「特殊な事情から意気に感じるところがあり、限られた報酬で膨大な作業量を伴う大赤字仕事を手弁当感覚で従事する」経験をしていないわけではなく、本日、その典型のような事件(全国的に注目された、震災に絡む某事件から派生した民事訴訟。ちなみに「出会い」は有り難くないことに国選弁護人から始まってます)の1審判決がありました。

判決を受け取ったばかりなので深く読み込んでないのですが、主要な争点で当方の勝訴となっており、そのこと自体は感謝というほかないものの、相手方が控訴すれば、依頼主は控訴費用の負担が不可能と見込まれるため、手弁当=自己負担で控訴審(仙台高裁への新幹線代)に対応せざるを得ず、その点はトホホ感満載の状態です(東京と違って巨額の事件にはご縁がほとんどありませんので、1審勝訴の際は、いつも高裁の書記官に2審も陳述擬制=不出頭+初回から電話会議にして欲しいと愚痴を言ってます)。

控訴審で、当方の主張(要望)に基づく勝訴的和解ができればよいのですが、(尊属殺事件のように)万が一、2審逆転敗訴になったら大泣きですので、そうした展開にならないよう祈るばかりです。

ちなみに、尊属殺事件の引用記事の中に、「原則論で闘っても勝ち目は薄い、それより事案の特殊性にとことん言及すべきだ」という下りがありますが、私の受任事件も色々と特殊性のあるケースで、そうしたことに言及しつつ常識的な解決のあり方を強調する主張を尽くしており、その点が(判決での言及の有無はさておき)結論に影響したのではと思わないでもありません。

正直、敗訴の可能性も覚悟しており、本音を言えば「ここで負けたら、ようやくこの事件から解放される・・」との気持ちもあったのですが、お前はまだ修行が足らん、もっと精進せよと仰る影が、背中に立っているのかもしれません。

この事件は、最初の段階で、昨年まで当事務所に在籍していた辻先生が少しだけ関わっており、そうしたことも含め、世の中には見えない力が確実に働いているというか、多くの弁護士が時折感じる「この事件に呼ばれた」感を、抱かずにはいられないところがあります。

ちなみに、尊属殺事件を担当された大貫先生に関心のある方は、こちらの記事もご覧になってよいのではと思われます。
http://ameblo.jp/spacelaw/entry-10907208061.html

私も、ある意味、この事件で一番の犠牲になったとも言える依頼主の尊厳ないし意地が多少とも回復できるような解決を実現し、その上で「私ごと忘れてしまいなさい」と言えるような終局を迎えることができるよう、もう一踏ん張り、二踏ん張りしなければと思っています。