北奥法律事務所

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ロースクール

司法試験(憲法)の問題漏洩事件の雑感と余談

先日、司法試験の試験委員を長年つとめる法科大学院の教授の方が、あろうことか自身が中心となって考案した試験問題や模範解答を教え子の女子学生に伝え、さらに答案作成の指導までしていたという報道がありました。

このような「試験委員(特に、大学教授)による漏洩リスク」は、私が合格した時代を含め現在の司法試験制度には不可避と言わざるを得ない問題ですが、それだけに、絶対のタブーを犯したものとして民事上はもちろん、刑事上も厳しい対応が予測されます。

このニュースを巡っては、現在の法科大学院制度(特に、旧試験時代には受験界では聞いたこともないような大学を多数巻き込んだ粗製濫造の状態やそうした実情に起因する司法予算の「浪費」など)に批判的な考えを持つ同業の方々からは、現在、ロースクールが直面している生き残り競争が、こうした不祥事の背景にあるのではとの指摘もなされています。

報道では、教授の女子学生への一方的な恋愛感情(片思い?)が原因で、他の学生には漏洩等はしていないということですので、「法科大学院の生き残り」まで射程に入る話ではないかもしれませんが、少なくとも、制度の問題として、「試験の問題作成者等に法科大学院の教授が加入する」というスタイルは、そうした態様の事件も招くリスクを内在していることは確かだと思います。

ところで、私がこのニュースを見たときに最初に受けた印象(というか驚き)は、現在の憲法の司法試験委員の方に、個人的に存じている(お世話になった)方が二人、入っておられるという点でした。

一人は現職の司法研修所の教官の方(裁判官)で、司法研修所の同期の方であり、もう一人の方は、私が東京時代に就職した事務所に在籍されていた弁護士の方で、私の就職時に入れ替わりで独立された先生です(後者の先生も、現在は分かりませんが、数年前に研修所の教官をなさっていたはずです)。

今更申すのも何ですが、お二人とも、(前者の方は卒業以来、後者の先生も10年近くお会いしていませんが)法律家としての実力も人格的なことについても、本当に素晴らしい方々で、当時から、将来はぜひ研修所の教官になっていただきたいと思っていましたので(私に限らず、共通の知り合いの方々は、皆そのように思っているはずです)、そうした方々が教官や試験委員として重責を担っておられることに、とても嬉しく感じる面があります。

私自身は、しがない田舎の町弁として小さく生きていくのみですが、それでも、若い頃にお世話になった素晴らしい方々が、その実力や識見に相応しい道のりを進んでいかれる姿を拝見していると、自分なりにできることがないかと考える意欲というか、励みになるような気はします。

他方、問題の教授の方は、私が受験生だった時代(平成9年頃)には著名ではなく、今回の報道で初めてお名前を知りました。恐らく、受験生向けのものを含め、講義を受けたこともないと思いますし、論文等を拝見した記憶もありません。

事件そのものについて、部外者の立場でどうこう申すのは差し控えたいと思いますが、少なくとも、司法試験の制度のあり方(実務のディテールを含め)を巡る議論にこの件が結びついてくることは確かだと思います。

もちろん、設問作成にあたり、各科目の学会等を代表する教授の方々に近時の重要論点に関するご意見を伺うのは必要不可欠だと思いますが、設問は実務家委員のみで作成し、教授の方(類型的に受験生と接する機会のある者)には委員であっても採点開始まで開示しないという選択肢も、今後は議論されるのではないかと思われます。

「古き良き中央大」を作り上げたものとロースクールの現在

先日、中央大の学員時報(OB向け新聞)が届いたのですが、「戦前の法曹界は中央よりも明治の方が多くの人材を輩出していた。それが逆転した(中央が東大よりも司法試験合格者数が多い時代が一定期間続いた)大きな原因は、学費が安かったからだ」と仰る、当時を経験された大物OB(弁護士)の方の投稿が載っていました(裏付けは調べていませんので、本当に明治大の方が合格者数が多い時代があったのかは存じません)。

また、投稿から察するに、当時の中央大は戦略的に(司法試験合格者増を狙って)学費を安くしたのではなく、たまたま戦争で建物が焼けずに済んだ(明治等は焼けて建て直しのため学費が高くなったそうです)という話ではないかと思われます。

実際、私が入学した頃まで、中央大の大学当局は司法試験受験生の面倒なんてほとんど見ておらず、見ていたのは「OB支援付き受験サークル」とでもいうべき各研究室でした(大学が本腰を入れるようになったのは、平成5~10年前後からというのが一般的な見方だと思います)。

あと、戦争で失業した若い優秀な軍人さん(陸士・海兵等出身者)が東大等への進学をGHQに制限されたことも大きい(失業した高級将校が学費の安い中央に殺到した)という話も書かれていましたが、その点は、鹿児島ラ・サールが超進学校となった経緯に関する噂話(公職追放された東大等の先生を受け入れてスパルタ教育?をしたとか)と似ていると感じました。

ちなみに、私は函館ラ・サール(地方では平凡なレベルの進学校)の出身なので姉妹校などと畏れ多くて言えませんが、高校時代に上記のような話を聞いたことがあり、ラ・サール会は函館の方に先に学校を作りたかったのに軍に反対されて出来なかったので、そうなっていれば函館の方が超進学校になったんじゃないかなどと、負け惜しみ?じみた話も聞きましたが、それだと私は入れなかったので、鹿児島に出来てくれて助かったと思ったりしたものです。

そういえば、私が東京時代にお仕えした先生(中央OB)も、海軍経理学校(中曽根首相の出身校)のご出身だと聞かされていました。

で、冒頭の投稿をされていた大先生は、そうした話に続けて「中央が多摩に移転したのは間違いだった、優秀な学者さんを集めて都心への再移転を目指すべき」と締めくくっておられるのですが、その当否はさておき、冒頭の話に加え、あまりにも学費が高いと批判されているロースクール制度のことを考えれば、「中央ロースクールは学費を他大学の数分の1にして(大学に金がないので)学者さんは3流ばかりになっても仕方がないから安さに惹かれて集まってくる(選抜される)優秀な学生さんの自主学習で、司法試験合格者数1位を取り戻そう」と締めくくった方が、文章の筋道が立つのではと思われます。

ただ、さすがに、そのように書くと「大人の事情」に抵触するでしょうから、そのことを意識されたのかそうでないのかは分かりませんが、上記のような締めくくり方になったのかなと思ったりもしたのでした。

余談ながら、私自身は中央大の真法会答練制度という、努力と運と適性さえあれば、ほとんど金をかけずに合格できるシステム(とりわけ、室員は合格後は修習開始まで奴隷と化す?のと引き換えに一貫して無料で受講できました)の恩恵に与った最後の世代です(当時は予備校の全盛期で、すでに現役大学生には知名度不足となっていた真法答練は平成10年に終了を余儀なくされました)。

そのせいか「司法試験に合格するために多額の学費を投じなければならない(しかも講義が試験勉強にはあまり直結していないらしい?)」システムに変貌してしまったという話を聞くと、余計に、搾取じみたもの(何らかの不正義)を感じずにはいられないところがあります。

今も若い方々には大したことはできていませんが、せめて相手方代理人などで対峙し、残念な主張立証を感じたときなどは、徹底的に法論理を駆使してトラウマになるくらい完膚無きまでにやっつけて、ではなくて(そんな力量もありませんし)、懇切丁寧に私なりの法律論を説明してOJT的な学びの機会を持っていただこうという姿勢で、反論書面などを書くように心がけているつもりです。