北奥法律事務所

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会社破産

さんさ踊りを楽しむ人々と、里から消えてゆく者の今昔

盛岡市は1日から4日まで「さんさ踊り」が絶賛開催中ですが、当家は、地域に背を向けて生きる残念家族のせいか?何年も前から単なる平日と化しています。

ただ、10年以上前、盛岡青年会議所の会員(さんさ担当委員会のヒラ委員)として、一日だけパレードに参加したことがあります。

といっても、踊りも太鼓もできませんので、JCの山車の曳き手の一人として加わっただけですが、それでも雰囲気に圧倒され、大変楽しかったことを覚えています。

JC入会直後には(修習生のときは参加したくてもできなかったので)

これで今日から俺も、さんさメンバーだ!

といきり立って専用のオレンジ色の浴衣セットを購入したのですが、その年の7月に重大事件の受任でかかりきりになったのをはじめ、練習に参加する余裕もチラ見で習得するセンスもなく、9年も在籍したのに上記のたった1回だけ、袖を通すに止まりました。

それでもゼロ回よりは遙かにマシで、おかげさまで、ささやかながら心残りせずに卒業できましたが。

この浴衣セット、恥ずかしながら、現在も当事務所のロッカーの片隅に埋もれています。

卒業するとき、もったいないので欲しい後輩がいれば、売却・・・もとい贈与したいと思ったのですが、そうした話ができる方もなく、残念ながら上記の有様が続いており、どうしたものやらというのが正直なところです。

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ところで、先日、市内中心部で長年に亘りデザイナーズブランド衣料の販売に従事されていた方(盛岡市民の多くが、あれか!と分かるファッションビルの経営者だった方)から、刀折れ矢尽きたとして後始末のご依頼を受け、先般、一苦労の末に法的手続を行いました。

経営者の方に倒産に至る経緯の概略を伺いましたが、震災やウイルス禍などもさることながら、某地銀の勧めで多額の借入をしてビルを建てた矢先にイオンの進出で大ダメージを受け、それが命取りになったとのことでした。

私は市内中心部の著名物販店の破産申立をお引き受けしたこともありますが、このような話は、震災前に倒産事件や破産管財人を多数お引き受けしていた頃によく聞いた話です。

さんさのパレードの中で、沢山の人員を擁し、ひときわ大きな存在感をもって参加している団体としてイオンチームがありますが、上記のような話に多く接してきた身としては、イオンに限らず地元の大企業の方や学生さん達が参加者の中心になっている(反面、地元の小規模事業者などの参加は多くない?)さんさの光景に、複雑な印象を受けてしまう面もあります。

上記の社長さんは「儲かっていたときは借りてくれと頼んできたのに経営が傾いた途端に貸し剥がしのような対応や罵声を延々浴びせてきた地元銀行の担当者に、非常に悔しい思いをさせられた」と仰っていましたが、その銀行さんもパレードの主力団体の一つとして参加・活躍されています。

三ツ石神社の鬼の姿は見えなくなったかもしれませんが、今も街の片隅には様々な悲しみや怨嗟の声がどこかに吸い込まれ、やがて、パレードを楽しむ皆さんに復讐するかのように、幽鬼を呼び寄せることもあるのかもしれません。

・・・などという不穏な話はさておき、皆さんは、今のうちに祭りにいらして楽しんでいただければと思います。

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私は、さんさ踊りの由来とされる「三ツ石神社の鬼の物語」とは、弥生人がこの地に進出した際、先住民たる縄文人(蝦夷の祖先たる山の民)と衝突した物語が原型なのでは?と想像しています。

そのように考えれば、現在のさんさを取り巻く光景も、ある意味、先住民が人里から排除され移住者に取って代わられていった残念な歴史の繰り返しが含まれているのかもしれません。

などとFBで書いたところ、地元の方から、時代が違う、三ツ石神社の手形はサイズが大きすぎるから、薬品を塗ったものか、昔々この地に辿り着いたロシア=北方大陸系住民じゃないかとのコメントを頂戴しました。

Webでチラ見した限りでも、この点はきちんとした調査等がなされていないようでもあり、ぜひ本格的な識者による調査研究を期待したいものです。

まちの企業の盛衰と秋の空

近年、企業の管財事件を受任する機会はめっきり減ってしまいましたが、数年前は、論点や作業量が非常に多い事件を受任し、延々と様々な作業に追われ、何年もかけてようやく決着の目処が立つという案件を担当したことが何度かありました。

そのうちの一つで、県北方面の林業関係のA社さんの事件は、これまで取り扱った中でも1、2を争う面倒な管財事件で、配当財団の形成額が大きくないことなどから、報酬額はタイムチャージ換算で大幅な採算割れとなりました。

まあ、毎度ながら、勉強代だと溜息混じりに前向きに考えるようにしていますが。

A社さんは古くから県北のB町では著名企業として知られ、業界内では環境絡みで先進的な取り組みをしたことで県内などでも相応の知名度のある企業でした。

資金繰りなどで長期の苦難があり震災でも大きなダメージを受けたため、倒産のやむなきに至った事案でしたが、直近に一部の債権者との間で面倒なトラブルが生じていたほか、数年来の未処理の論点(しかも、申立書に記載されず後で判明したもの)が非常に多く、沢山の課題が丸ごと私(管財人)に山積みされる形となりました。

幸い、最大の課題であった企業施設(現地工場)の売却問題は、利害関係者である銀行なども含め多数の企業さんと様々な交渉を行った末、東京の会社さんに「従前の事業を承継しつつ設備投資をして発展させる」との方針で購入(落札)いただき、それに伴い元従業員の方々も再雇用を得ることができたと聞いています。

その後も、この事件では、原発ADRやら東京出張やら色々と作業に追われ、追加で現地確認の必要が生じて3年目の10月頃にもドライブがてらで行ってきましたが、その日は、晴れあり雨あり虹ありと、コロコロと天候が変わる秋の空でした。

A社は、先代のC氏が大きくした会社を息子のD氏が引き継ぎ、D氏が様々な悪戦苦闘をしたものの上手くいかなかったもので、終末期に色々と残念な話があり、その処理に私が追われました。

D氏の経営者としての未熟さが倒産の原因と考えるのか、先代のうちに破綻の芽が生じてD氏は割を食わされたと見るのか、一概に言えないと思いますが、私も「田舎の小規模な企業の社長の子」の一人として、A社の方々が辿ってきた様々な歴史や光景に想像を巡らさずにはいられませんでした。

そんなわけで、秋の空に物事の移ろいやすさとそれに翻弄される人々の姿を感じて一首。

ままならぬ人の世を知る秋の空 酸いも甘いも青の彼方に
ふるさとの誇る企業も常ならず 揺れる紅葉に風吠える森

この事件ではA社側がB町の中心部に所有する不動産を町が買い取ることとなり、役場の偉い立場の方が私と協議したいとのことで、来所されました。

これだけ苦労させられた事件ということもあり、いっそ、この事件を円滑に処理したことでどれだけ自分がB町に貢献したかをアピールし、将来の顧問契約を考えてくださいね、などと営業活動に勤しもうと思わないでもありませんでしたが、そんなときに限って前日が徹夜作業を余儀なくされて覇気がなく、淡々と相槌を打つ程度のやりとりに終わってしまいました。

田舎のしがない町弁が欲を出そうとしても、諸行無常の響きには勝てそうにありません。

企業倒産に関しては、年末に経営継続を断念される方が時折あり、昨年は急な要請で2日ほど徹夜作業を余儀なくされ数日で一気に破産申立を行ったこともありましたが、今年は現在のところ、そうしたご依頼はなく、静かな年末になるのかもしれません。