北奥法律事務所

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動物の尊厳

万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(前編)

先日、訳あって10年以上?ぶりに岩手日報の投稿欄(日報論壇)に投稿メールを送ったところ、数日後(11月8日)に無事に掲載されました。

ただ、本文は私の作成文章がほとんどそのまま掲載されているものの、私が投稿フォームから送信したタイトル(「万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から」)が全面書き換えになっており、この言葉(万物の尊厳)が今回の投稿のキーワードでしたので、その点は少し残念でした。

私は、日報論壇の投稿フォームには常に自作のタイトルを付けて送信しているのですが、どういうわけか毎度、全面的に書き換えられてしまいます。

字数の都合もあるかとは思いますが、表題は投稿の趣旨や読み手への訴求力など色々なことを考えた上で決めていますので、いっそ日報論壇の投稿フォーム自体にタイトル欄を設けて字数も告知していただければ有り難いと感じているところです。

ともあれ、今回は私が送信した内容をそのまま掲載し、次回に投稿の経緯について少し触れることにします。

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安倍首相は憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正を切望しており、今後は国会発議などの実現に強い働きかけを行うものと予想されます。

私自身は、自衛「権」はまだしも国家組織の一部門としての自衛隊を憲法に明記するのが適切か、また、初めての改正が自衛隊の明文化というのは社会に無用の誤解などを招くのではと感じており、現時点で賛成する考えはありません。

但し、制定から70年以上を経た今、改めて憲法のあり方を巡り様々な議論がなされるべきであること自体は間違いありません。

日本国憲法は大戦の惨禍を踏まえ、誰もが不当な抑圧の被害を受けたり加害者に陥ることの無いよう人間の個人としての尊厳が保たれるべきだと13条で掲げており、これが憲法の究極的な目的と考えられています。

現在、人格や文化の多様性の尊重が様々な場面で叫ばれていますが、それらも憲法の掲げる価値を実現する営みの一つと言えるでしょう。

ただ、「人間」だけの尊厳を掲げるのは、果たして日本人に相応しいことなのでしょうか。私達は日本列島を取り巻く様々な自然の恵みと脅威に感謝と畏れを抱きながら暮らしてきたのであり、今も自然ひいては万物に見えざる力を感じ、それを大切にして生きているのだと思います。

他方、力を持ちすぎた人類の活動により国内はもちろん世界中でかけがえのない自然が損なわれる一方、時には復讐の刃が人々に襲いかかる光景も目にしています。

岩手や北東北には太古からこの地で自然と共に生きた縄文人や蝦夷の血が色濃く受け継がれ、先人の文学作品などにもそうした思想が表現されてきました。

日本国憲法は国家のあり方や国民との関係を語るのみで、人にあらざる存在について何ら語っていませんが、そうであればこそ、人に限らず自然ひいては万物の尊厳も憲法に掲げるべきと私達が声を上げていくことは、大いに意義があるのではないでしょうか。

主権や統治機構、人権などの定めに限らず、日本人とは何者で、どこから来て、どこに行くべきかを語ることもまた憲法そして私達に託された使命であり、太古から現代そして未来圏までの複雑で多様な営みを見据えた憲法論の深化を願っています。

人が関わる生き物の尊厳ともう一つの憲法改正論

震災に伴う原発事故の際は、多くの動物が現地に置き去りにされ飢餓など残酷な態様で命を奪われたという報道が当時からありましたが、さきほども、そうした事情で飼っていた牛達を悲惨な目に遭わせてしまい辛い思いをしたという方のニュースが出ていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170313-00000023-mai-soci

申すまでもなく非難されるべきは原発事故を防ぐことができなかった人(ひいては原発の電力に依存する大都市をはじめとする現代社会そのもの)ですので、自分だけが過酷な現場を一方的に押しつけられたというべきこの酪農家の方を非難するつもりは微塵もありません。

ただ、人間には生きるため必要やむを得ない殺生を超えて他の生物を苦しめる権利などはないのですから、同じような避難云々の事態が生じたときのため、こうした事態を防ぐための措置を今のうちから講じておくべきだと思います。

例えば、搬送や安楽死など社会通念上の適切な措置を講じることができない場合は、ライオンなどはともかく、家畜などを解き放っても違法でない(生命尊重の見地から推奨ないし義務づける)ことを明示する規定を作ってよいのではと思いますが、どうなんでしょう。

動物愛護法にそのような定めがあるのか条文をチラ見した限りでは分かりませんでしたが、そのような考え方は同法2条が定める動物愛護の基本原則が要請するところでしょうし、とりわけ、野生動物ならまだしも「家畜」と呼ばれる生き物は人間が自分達の都合のため動物の様々な自由を奪い便益を享受しているのですから、「人と共に生きる存在」としての尊厳を最後まで守るべき責任があることは明らかだと思います。

この種の記事を見ていると、数年前に大阪で起きた「親が育児放棄して室内に放置され凄惨な飢餓の末に死亡した気の毒な子供達の事件」を引き合いに出すまでもなく、いずれ多くの人間が同じ目に遭うのではと感じざるを得ません。

日本国憲法は人間の個人としての尊厳を最高原理としていますが(13条)、万物に神が宿るとの思想を持ち、自然に畏怖と感謝を持って生きてきたのが日本人のメンタリティだと思いますので、人間だけでなく万物の尊厳を守るという理念のもとで社会のあるべき姿を問い直し、再構築していただきたいと願っています。