北奥法律事務所

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司法制度改革

養子制度から見た空家大国の近未来と震災

先ほど、日本国内に大量の空家が発生して深刻な社会問題になるはずだと述べた藻谷浩介氏の対談記事を拝見しましたが、私も、「遠方の被相続人(両親やきょうだい、叔父等)の死去等により、相続人が廃墟化した空家の対処(解体など)を余儀なくされたり、相続放棄等により第三者がその必要に迫られる事案」のご相談等を多く受けてきましたので、それが今後ますます増えるだろうということも含め、記事には共感できる面があります。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51118

ところで、「人口減少で家を継ぐ人が減って空家が増える」という点については、昔の日本(特に、多産が奨励された大戦前後の時代)なら、養子縁組で家を継ぐ(いわば空家化を防ぐ)ことが多く行われていたようです。

そうした話は去年読んだ「きょうだいリスク」という朝日新書の本に詳しく書かれていたのですが、現代では、そうした風潮ないし社会慣行は廃れたのでしょうし(金持ちが税金対策で養子との話を日経新聞で見かける程度です)、私の知る限り「養子の慣行を再興して空家対策をしよう」などと呼びかけている人がいるなどという話は聞いたことがありません。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17778

私の存じている同世代の方々も、単身生活を続けている方もいればお子さんが3人という方も相応に多くあり、昔なら養子云々という話になったのではないか、どうして今はそうならないのか、それは社会にとって悪いことなのか良いことなのか、以前と比べて社会の仕組みや人々の意識などの何がどう変化し、それはどのように評価すべきなのだろうなどと、色々と考えさせられる面があります。

それもまた、現代が良くも悪くも地域や個々人のつながりを分断させる方向にばかり社会インフラの舵を切ってきたことの帰結なのかもしれませんが、養子以外の形も含めて、「跡継ぎ・墓守」などという精神的な負担感を軽減した方法で空家の管理や所有を相応の個人や法人に移譲させる仕組み(空家承継)を検討・試行する機運が高まってくれればと思います。

本日は「震災の日」ですが、数年前に沿岸被災地で多くの方から相談を受けていた頃、養子縁組が絡んだご相談(例えば、遠方在住の養子が弔慰金を受け取ったのに葬儀もお墓の面倒も見ないので憤慨しているといった類のもの)を受ける機会が多くあり、盛岡など内陸部の方からは養子絡みのお話を聞くことがほとんどなかったので、不思議に思ったことがあります。

かつては、沿岸の方が内陸に比べて多産多死(なので養子の必要が生じやすい)社会だったのか、震災のため、そうしたご相談がたまたま多く寄せられただけなのか(実は内陸にも養子は沢山いるのか)、分かりませんが、そうしたことも含めて、学者さんなどに幅広い視野をもって地域社会の実像を解き明かしていただき良質な対策につながってくれればと思っています。

余談ながら、住宅業界に限らず弁護士業界も15年ほど前に、藻谷氏が述べるような「供給を増やせば市場価値も上がるという、市場経済原理とは真逆の、謎の信念」を唱えて増員と法科大学院の導入等を推進(狂奔?)してきた方が多くいましたので、そうした観点からも、現場で様々な苦労や忍耐に直面せざるを得ない身としては、色々と考えさせられる対談だと思います。

まあ、えせ老骨が価値の暴落ばかり嘆いても仕方ありませんので、せめて、それをバネにして「若い人ばかりという現代日本とは真逆の人口構成になっている弁護士業界」が、上記の問題の対策に関する実働なども含め社会に良質な価値をもたらす原動力になってくれればと願わないこともありません。

今も昔も凡百の身には辛いよの法曹界にドロップキック~♪

旧ブログに投稿(平成25年6月)した文章の再掲です。

昔から、個人的な趣味として、気に入った曲をもとに業界など身近なネタを用いた替え歌を作るのが好きで、2年ほど前にも「妖怪ウォッチ」の歌を題材に、「べんごしの せいなのね そうなのね!」などと書いたりしたことがあるのですが(事務局長のクレームにより、残念ながらブログ掲載は断念)、下記の替え歌については旧ブログの掲載時に許可が下りましたので、再掲も大丈夫かと思います。

「平成10年バージョン」は、裁判官・検察官はともかく、弁護士や司法修習生にとってはあまりにも遠い昔の話になってしまいましたが、「平成25年バージョン」は、3年を経た今でも業界的に好転の兆しが見えそうにありません。

*********

私が司法試験受験生であった時代(平成9年まで)は、Mr.Childrenの全盛期でもありましたので、ごくありふれた同時代人の一人として、よく聴いていました。

当時から、たまに替え歌を作りたくなる悪癖があり、修習生の頃には、《everybody goes ~秩序のない現代にドロップキック~》をもとに、法曹界を皮肉った替え歌を作ってみたこともありました。

ただ、それから15年を経て、法曹界とりわけ弁護士業界と修習生の光景は大きく変わり、もっと別の歌詞が付されるべき状況になってしまいました。

というわけで、また、現在の状況に即した新たな替え歌を衝動的に作ってみた次第です。

もちろん、平成10年バージョンも平成25年バージョンも、今も昔も何かとしんどい法曹界をお気楽に笑い飛ばして生き抜きましょうとの観点で、巷間あふれる情報をもとにジョークとして作成しているものに過ぎません。

特定の主義主張を流布するものでも個人・団体を批判・誹謗する意図のものでもありませんので(私自身、単純なアンチ司法改革派では全然ありません)、ご不快の段は純然たる誤解に基づくものとして、ご容赦下さい。

あと、修習生として、法曹三者のありのまま?の姿を垣間見させていただいた平成10年当時はまだしも、現在は、検察官や刑事部の裁判官の方々とは、私生活は言うに及ばず職業上の接点も非常に少ないのが実情なので、さほど気の利いた歌詞が思い浮かばないのが正直なところです。

そうしたこともあり、(特定の主義主張等の目的ではなく)純粋にジョークとしての質の向上という観点から、歌詞(言い回し)の改善・改良をご提案いただければ大歓迎です。

なお、括弧部分はバックコーラスです。

《平成10年バージョン》

複雑に混ん絡がった事件だ
記録の山で ガンバレ 裁判官
法律と判例と良識を武器に
あなたが支える 法の支配

そして you
晩飯も官舎で一人 インスタントフード食べてんだ
ガンバリ屋さん 報われないけど

任検して3年 エースになる chance
地道な調べの甲斐もあって
被疑者の前で上機嫌なポーズ
でも 決裁じゃ 次席にまた叱られて

oh you
それでも夢見てる ムービースター
世間知らずの 自惚れ屋さん
相変わらず 信じてる

everybody goes everybody fights
安息の場のない法曹界に ドロップキック
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる

愛する自由と正義の為に
良かれと思う事はやってきた
悪人のミカタと 周囲に呼ばれても
結構 マジで弁護した この18年間

でも you
被疑者は 釈放後すぐに サイハンジャー
で、逮捕されりゃ 毎度 困ったちゃん
「親に頼んで 弁償してきて」

everybody goes everybody fights
羞恥心のない 当事者に水平チョップ
everybody knows everybody wants そして Yes Yes Yes Yes
必死で 生きてる

Ah 修習生を見て人は こう言う
「あいつらは気楽な 税金ドロボー」
その通りでございます!(多少はガンバってるけど)

everybody goes everybody fights
人を狂わす司法試験に ドロップキック
everybody knows everybody wants
明るい未来って何だっけ?

everybody goes everybody fights
救い難い法曹界に 水平チョップ
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる 必死で生きてる

《平成25年バージョン》

複雑で悲惨な 刑事の事件だ
衆人環視で ガンバレ 裁判官
庶民の視点、感覚、言葉も武器に
あなたが支える 身近な司法

でも you
偏屈なおっちゃんが一人、裁判員で 評議荒らしてんだ
ガンバリ屋さん 報われてますか?

任検して10年 特捜に行く chance
強硬な調べの甲斐もあって?
次席の前で上機嫌なポーズ
でも 法廷じゃ 調書は皆、却下されて

oh you
それでも夢見てる ムービースター
世相知らずの 自惚れ屋さん
相変わらず 信じてる

everybody goes everybody fights
模範解答のない法曹界に ドロップキック
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる

愛する自由と正義の為に
良かれと思う事はやってきた
口先ばかりと 身内にも言われても
市民の人権には尽くしてきた この60余年間

でも you
ベテランは 経営できず オーリョージャー
で、若手は 仕事すらない
誰も来ない相談会 行ってる

everybody goes everybody fights
会員に冷たい? 日弁連に水平チョップ
everybody knows everybody wants そして Yes Yes Yes Yes
必死で 生きてる

Ah 修習生を見て人は こう言う
「あいつらは不憫な 時代の犠牲者」
同情するなら 金をくれ
(給費に戻せ/就職させろ/任官(検)増やせ/需要をよこせ)

everybody goes everybody fights
ちくはぐな司法改革に ドロップキック
everybody knows everybody wants
明るい未来って何だっけ?

everybody goes everybody fights
光が照ってない法曹界に 水平チョップ
everybody knows everybody wants でも No No No No
皆 病んでる 必死で生きてる

なお、申すまでもなく、私自身は二次的著作物としての権利云々を主張するつもりは毛頭ありませんが、原著作物の権利者に保護されるべき法的権利・利益を侵害することのないよう、個人的な楽しみの範囲でご覧下さい(この投稿自体、当落線上でしょうか?著作権法は仕事で関わることがほとんどないので偉そうなことは言えませんが、営利性の無いものは、権利者の合理的意思解釈の範疇(の構成要素としての社会通念)に入るかどうかで決まるとは思いますが・・)

いっそ、本物に歌っていただき(後ろで法服を着た人やバッジを付けた人達が踊ったりして)、この歌詞のコンセプトに即したオムニバス形式の映画(或いは、プロモーションビデオ)でも作っていただければと、妄念逞しうしないこともありません。

損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~前置編②

「弁護士費用保険が変える弁護士業界の近未来」に関する投稿の第2回です。今回も、前置き部分(業界の現状説明)なので、業界関係者は読み飛ばしていただいてよいと思います。

2 前置き②弁護士報酬を低額化することの困難さ

弁護士の年間供給数を巡って何年も議論が繰り返されていますが、「弁護士が増えても需要が増えない」と増員反対派の方が主張する根拠として一番強調しているのは、弁護士への委任費用が高額であり、それを負担できる方は限られているから、多少の紛争や相談ごとはあっても、弁護士に依頼しない形で処理・解決を図らざるを得ない方が多く(断念を含め)、社会(国民)の弁護士の利用頻度は、限られたものとならざるを得ない(「二割司法」は克服すべきだとしても、五割以上まで司法が社会生活上のプレゼンスを持つのは費用面で無理)という点ではないかと思います。

また、所得や資産が大きくない方は、法テラスの立替制度を利用でき、かつ、法テラスの報酬基準は弁護士会の報酬会規等よりも低いことが多いのですが、それでも少額とは言えない額ですし、毎月の返済が原則ですので、利用者自身の負担が小さいわけではありません。

他方、受任者側にとっては、多くの手間と労力を要する事案であれば、それに見合う費用なのかという問題に直面せざるを得ず、結局、法テラス案件は、低コスト経営ができている弁護士や、事務局に事務処理の多くを任せることができる事件(事案が単純で定型処理が可能なもの)、或いは低賃金で優秀な職員を擁する事務所などでない限り、他に収入源がないと、持続可能性に不安を感じる部分があることは確かです。

刑事に限らず(刑事以上に)多くの民事手続が「精密司法」(大雑把に言えば、ロクに勉強せずイージーな仕事をしていると、裁判所に色々と難癖を付けられて裁判手続を進めて貰えなかったり、相手方の争い方などにより論点が次々に増えて事務作業が嵩んでいく)という面があります。

もちろん、さほど手間を要しない仕事も無いわけではありませんが(典型は、争いのない競売手続などの特別代理人)、そうしたものは、遥か昔から低コスト(低報酬)化されています。

また、特需期の個人の債務整理のように、ある程度は定型化が可能な業務が一度に大量受注できる事態になれば、事務局を習熟させることで多くの業務を任せることができ、その結果、低コスト化を実現できます。

ただ、債務整理も「よく聞いてみると、意外な問題が潜んでいた」というケースも相応にありますので、それに適切に対応するのであれば(それが弁護士として当たり前ですが)、一人の弁護士が何人も事務員を採用し丸投げするなどということはあり得ず、価格破壊といっても限度があります(尤も、東京などではそうしたモンダイ弁護士も存在し(今も?)、仕事を丸投げして安易に高額報酬を貪っていたなどと言われています)。

ともあれ、上記の理由から、弁護士業務の多くが「短期決戦(お手軽勝利)が難しいオーダーメイド戦争(に従事する傭兵)」という性格を持たざるを得ないため、多大な手間を要する受任業務が中心となる現在の司法制度では、弁護士の受任費用を低額化させるには、かなりの困難が伴います。

3 弁護士費用保険による上記の諸問題の解決

このような事情から、現在、普及している交通事故(自動車保険の特約)に限らず、社会・家庭生活や企業活動の多くの場面・紛争で適用されるような弁護士費用保険が普及すれば、医療保険と同様、高額な費用を薄く広く負担いただくことで、利用者自身の負担軽減による受任者が了解可能な報酬額での利用促進(Win-Win)が可能になります。

これにより、激増した「零細事務所を経営(又は勤務)する町弁」達に「食える仕事」を供給できることはもちろん、利用者にとっても、費用負担からの解放はもちろん、依頼する弁護士に、赤字仕事を嫌々というのではなく、ペイする仕事をやり甲斐を持って引き受けて貰うことが可能になり、良質なリーガルサービスの享受という意味でも、メリットが生じることになります。

少なくとも、現在の交通事故実務では、少額事案(物損のみの過失割合紛争が典型)を、「(大企業向けの先生方には笑われる額かもしれませんが)町弁としてはペイする単価」のタイムチャージ形式で受任することが通例ないし普及しており、私自身を含め、多くの弁護士が、かつてのように「大赤字となる少額の報酬でため息をつきながら仕事をする」ということは、ほとんど無くなっているのではないかと思います(その一方で、高額事案の受任件数も「パイの奪い合い」的な形で減っているわけですが)。

反面、損保会社によれば、現在の弁護士費用保険を巡っては一部に不正請求の疑いがある例がある(大規模な事務所ぐるみで行う例もある?)とのことで、後述のとおり、解決策の構築が待たれると共に、業界のあり方に激変を加える要因になるのではと思っています。

ですので、現在のところあまり大きな声を聞くことがないのですが、弁護士費用保険の発展・普及を一番望んでいるのは、ベテランであれ新人であれ、こうした伝統的な町弁スタイルをとっている弁護士達ではないかと思いますし、そのことは、診療所をはじめ一般の医療機関(お医者さん達)が現在の医療保険制度を支持し、医師会の政治力?(もちろん国民の支持を含め)でこれを維持していることとパラレルではないかと思います。

なお、現在の自動車保険に関する弁護士費用特約は、非常に大雑把な作りになっており、また、利用者の自己負担がないなど、医療保険とは立て付けが大きくことなり、その弊害も様々な形で噴出しており、早晩、一定の変容を余儀なくされると思います。

この点=現在の交通事故の弁護士費用特約を巡る諸論点と改善策も、書きたいことは山ほどありますが、今回は省略します。少なくとも、事案の性質に応じ一定の自己負担が必要となる設計の保険でなければ普及しないでしょうし、その場合には、保険給付の程度(勝訴の見込みの程度など)を審査する能力を有する第三者(弁護士等)が必要になるのではと考えています。

また、数年前に、丸山議員(弁護士)が広告塔をなさっていることで有名な「交通事故以外にも広く適用される弁護士費用保険」が、プリベント社という会社さんから発売されています。

私はこの保険の契約者の方から事件受任をした経験がないので、詳細(保険商品として適切に設計されているかなど)を存じないのですが、少なくとも、交通事故以外の紛争(特に、事故被害をはじめ、自身の努力のみでは防ぎにくい被害の賠償問題など)の代理人費用を給付する保険については、同社に限らず、速やかに同種の保険を普及させていただければと思っています。

(以下、次号)

損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~前置編①

弁護士業界の近未来(業界が変容する姿の予測)に関し、少し前に投稿した2つの文章の延長線で、次のような光景を考えてみました。

要約すると、「現在の弁護士供給数でも町弁業界が健全性を維持できるようにするには、弁護士費用保険の普及が必要不可欠だが、その場合、費用拠出者である保険会社(ひいては監督官庁)が、弁護士の業務態勢や経営面などに広範に関与(監視・監督)することが不可避である。また、その点で保険会社を補佐する「弁護士業界に精通した組織」が必要になるところ、それは日弁連とは異なる存在が担うことになる(現在のところ、弁護士ドットコムがその最有力候補になる)のではないか」というのが論旨となります。

また、長くなってしまったので、計6回に分けました。業界状況をご存知の方は、第3回(本題編)からご覧いただければ十分でしょうから、適宜、読み飛ばして下さい。

1 前置き①町弁業界の大競争時代(と零落?)

約20年前まで、我が国の司法試験合格者の数は、年間500人に絞られていましたが、司法制度改革により、約10年前に1000人になり、数年前に2000人まで増えました。その中で裁判官・検察官となる(採用される)方は今も昔も年間150人(~200人弱)程度に絞られていますので、弁護士の年間供給数は、昔なら350人、今では1850人程度(昔の5倍以上)ということになります。

ただ、町弁業界の不況のため、(企業や役所などに就職する方はさておき)新人弁護士の一般的な路線=既存の弁護士の事務所(大半は零細企業規模)に就職することが困難である(新人全員を受け入れるだけの勤務弁護士≒従業員としての求人がない)ことなどから、新人の就職難やこれに伴う業界全体の混乱を回避する見地から、当面、1500人に減員することになりました。

ちなみに、業界の「不況」については、債務整理特需(俗にいう過払バブル。実需としての性格はありますので、バブルという表現は適切ではなく、特需と表現するのが正しいです)の終焉に加え、裁判所の統計によれば訴訟手続全般の新受件数も低落傾向にあること、企業倒産も史上有数の減少傾向が続いていることなどが要因(内訳)となっており、田舎の町弁の一人である私の実感も、概ねこれに沿うものとなっています。

他方、町弁が暇を持て余しているかといえば、必ずしもそうではなく、家事事件(主に、法テラス経由)を中心に、業界人の感覚では、業務量に比して報酬が大きくない、言い換えれば、相応の報酬はいただくものの、次から次へと細々した事務処理が必要になるため、時給換算で赤字計算になる仕事が多くなっている(それでも、仕事を選り好みする贅沢ができないので、研鑽の機会も兼ねて、受任して処理していかざるを得ない)のではないかと思います。

建設業の倒産が多かった時代(小泉内閣の頃)に私が管財人として携わった事件の記録(代表者の陳述書)に、破産に至る経緯として「不況なので採算割れする仕事も次々に受注し、ますます経営が悪化した」などと書いてあるのをよく見かけましたが、今や我が業界が、その様相を呈しつつあるのではと感じるところがあります。

もちろん、今は、町弁業界でも多人数のパートナー形式など僅かな経費負担で事務所経営をする若い弁護士さんも多く、私のようにイソ弁もいないのに一人で町弁2人分の運転資金を抱えるなどという人間は少数でしょうが、全体として、町弁(特に、若い世代)の所得水準が大幅に低下していることは間違いないと思います。

そんなわけで、私も、何年も前から、事務所の存続のため、若干でも経費を負担いただけるパートナーの加入を切望しているのですが、運の悪さか人徳の無さか、そうした出逢いに恵まれず、現在に至っています。平成20年前後には、新人を容易に雇用できるだけの売上があったので、その頃に良い出会いがあれば、今頃はパートナーに昇格して支えていただくという道もあったのでしょうが、様々な理由から人材獲得の努力をせず運を天に任せてしまいましたので、幸運の女神に後ろ髪はないというほかないのでしょう。なお、その頃の収益は、税金と住宅ローンの前倒し返済に消えました。

(以下、次号)

司法革命の前夜?

最近、「弁護士の急増に需要が追いついておらず、弁護士の収入が大幅に低下している。かつては羨むような年収があったのに、今や憐れむような額しか得ていない」という記事をネット上でよく見かけますが、業界人にとっては、何年も前から公知の事実です。

この話は、この1、2年で一般の方々にも知られるようになってきたと思われますが、私自身、当事務所の運転資金の負担が軽くない上、ここ数年は作業量に比して利益率の低い仕事が増える一方で、残念ながらその例に漏れません。幸い、どうにか食べていけるだけの収入はいただいているほか、過去の蓄えもありますので、横領等の問題には直面しなくて済んでいますが。

このことは、以前にも触れたとおり、債務整理特需の後は町弁の実需が大幅に減ることが優に予測されるのに、弁護士の供給増を推進した方々が、それを見越した需要喚起や新業態進出などの実効的な対策(特に、相当の収益性を図ることができる仕事の確保や創出に関する対策)を取ろうとせず、業界側(弁護士会や個々の弁護士等)も同様の努力を怠ったことが主たる要因だと思います。

ともあれ、現在の町弁の収入が10年~数年前と比べて劇的に低下し、残念ながら同世代の給与所得者一般よりも大幅に少ない方も相当に生じてきていることは間違いないと思われます(反面、私がなりたての頃に存在した「若い町弁の過労問題」とは無縁の方も多く生じているのだろうとは思いますが)。

先日、日経新聞で、全共闘運動をしていた団塊世代が先鋭化せずに企業社会に溶け込んだことについて、その世代の学者の方が、当時の日本が豊か(高度成長期)で、学生運動をしていた面々がアルバイトを始めると、びっくりする金額が貰えたので、統制色の強い学生運動ではなく自由で経済的にも恵まれた世界を選んだのだと述べているのを見つけました。

記事では、「いま、デモをするアラブや欧州の若者を見ていると、若いときの自分たちと重なる。働いても人生が良くならないと思うと過激になる。私達は(経済成長の時代に育ったので)そうはならなかった。全体として幸運な世代だった」と締め括られていました

それとの対比で言えば、私が弁護士になった平成10年代前半は、町弁が経済的に恵まれており、私自身、正直に申せば、若いうちから(私の金銭感覚で)「びっくりする金額を頂戴した」ことも多少はありましたが、残念ながら、現在の若手は、そうした機会に恵まれず、働いても人生が良くならないと感じる弁護士が急増しているのではないかと思います。

現在のところ、若い弁護士さん達が「過激」な行動に出ているのを見たことがないのですが、そう遠くないうちに、高額な弁護士会費の減額や、会費の使い道とされる、「弁護士会の人権擁護運動」(それに従事する弁護士会事務局の人件費などを含め)の縮減を求める声が、若い世代から本格的に生じてくるのではと感じる弁護士は少なくないでしょう。私の知る限りでも、仕事に結びつかない会務に若い世代が集まらないという話をよく聞くことがあります。

この点、弁護士会の内輪もめで終わる話なら、業界外の方にはあまり興味のない話ということになるかもしれませんが、弁護士業界を超えた社会全体に波及する形で、自分の待遇に不満を持つ若い世代が「過激行動」を起こすか否かについては、関心を持ってもよいのではと思います。

上記の日経の記事で発言されていた先生は、団塊世代の10歳上の「学生運動のセクトの指導者世代」は、軍隊のような上意下達で、禁欲的かつ原理主義だと仰っていました。ただ、「若く貧しい弁護士を惹きつける原理主義」なるものが、今の業界に存在するかと言われれば、ピンと来ません。

むしろ、私(50期代)よりも10~20期くらい上の世代の方々の中に、私のようなノンポリからすれば一種の原理主義ではと感じるような、「弁護士会の人権活動」に熱心・禁欲的に取り組む方が多いように思います。また、私の同世代や少し若い世代の方にも、そうしたものに熱心に取り組んでいる方は何人かは存じています。

これに対し、若い世代の多数派は、そうした方に同調・依存するより、「カネにならない人権活動に熱心に取り組むことができるのは、裏を返せば、本業で働かなくても弁護士を続けていける(生活できる)何らかの利権に浴しているのではないか。そうした利権を剥奪・破壊して、自分の側にカネが廻るようにしたい」と希望していくかもしれないと感じるところはあります。

少なくとも、私のように、今や零細事務所の運転資金に汲々として、「人権運動」に手を出す余裕もない身からすれば、そうしたものに精力的に取り組むことができる方は、私が直面している金銭的な負担とは縁遠い世界を生きることができているのでしょうから、その点は羨ましく感じるところはあります。運転資金の負担がない代わりに生活費レベルの売上すら事欠くような若手にも、同じような感覚が生じるのは避けがたいところはあるでしょう。

ただ、仮に、そうした「いわゆる人権運動に取り組む弁護士さん達の背後にある利権的なものへのバッシング」のようなものが生じたとしても、それを具体的にどのように実現するかと問われれば、私も全く智恵が浮かびません。せいぜい、立法的・政治的手段くらいですが、それは司法の主たる出番ではないですし、その気運も高いとは言えないでしょう。

また、弁護士業務の特質として、現時点でペイしない仕事が、時代の流れや技術革新等により、突如として金脈の様相を呈することもあり得ることで、債務整理特需こそ、かつてサラ金対応が「ブル弁」の方々に忌避されていたことに照らせば、その典型と言えるでしょう(ただ、債務整理特需の特質として、高利金融の被害救済などに熱心に取り組んでいた方々は、その母体(左派系勢力との結びつきが強いこと)が影響しているのかどうかは分かりませんが、筆頭格である宇都宮先生をはじめ、誰一人として「大企業化」路線を取ろうとせず、そうした人権運動とは無縁の方々が、宣伝路線を突っ走り、「過払大手」などと称される現在の光景を築いたという異様な様相を呈しましたが)。

岩手でも、若い先生が震災絡みなど幾つかの分野でボランティア的な会務に熱心に携わっており、そうした光景を見ても、「人権活動」を若手が敵視するような流れが俄に生じることは考えにくいというべきなのでしょう。

そう考えていくと、結局、「分けるパイが増えずに人数だけが膨れあがった」町弁業界では、明治維新のような「上級武士(確たる社会的・経済的基盤を持つベテラン・中堅の方々)の特権やその根底にある幕藩体制(弁護士会ないし業界のシステム、慣行)に不満を持つ貧困下級志士(そうした基盤へのパイプに接点のない若い弁護士)が、下克上を狙って体制の転覆を図る」という事態は実現されず、上級武士の利権?に上手に入り込むことができた人や隙間産業に活路を見出した方だけが生き残り、その他は、(江戸に集まった田舎の次男三男が安価な労働力として使い捨てられたと言われるように)、死屍累々の山ということになるのかもしれません。

この点、明治維新の出発点(旗印)は、下級武士の不満ではなく、対外的な国家の危機(に起因する尊皇攘夷運動)であり、下級武士の不満はエンジンではなくガソリンのような位置づけになると思います。そのように考えると、まだ、現在の司法業界には、本当の意味での黒船(体制の抜本的変革を促すような危機意識を煽る存在)は出現していないと感じますし、尊皇論(抜本的変革を正当化する理論)や雄藩(新たな体制、理念の受け皿となる力量や影響力を持つ社会的存在)に当たるものも見あたりません。

もちろん、これまでの弁護士は殿様商売でサービス意識が足りないといった批判をする方は多く見かけますが、それは、現在の体制(司法=紛争解決・処理の制度)自体の抜本的変革を促す言説ではないので、「革命の論理」にはなりません(いわば、これまでの幕府・上級武士には奢りがあるので謙虚にせよ(外様・下級武士の意見も聞け)というレベルのもので、幕藩体制そのものを否定する論理ではないでしょう)。

そうではなく、現在のベテラン・中堅の多くが有する「現在の司法制度に関する知識やノウハウ(いわば、幕藩体制を支える知識やノウハウ)」を不要・無力化してしまうような、新しい司法制度(裁判所等の紛争解決のあり方、弁護士の関わり方)の導入を説得的に提唱する人物が登場し、かつ、それが、新時代に相応しい司法として社会の支持を受けることがあれば、そのときが本当の司法革命となり、その際は、現在の状況に不満のある若手は、自分達が時代の主役になれると信じて、諸手をあげてそれに殺到することでしょう。その際、一部では凄惨な光景も生じるかもしれませんが。

「ガソリン」が蓄積されつつある現在、そうした「革命の錦の御旗」ひいてはそうしたものを掲げて、ガソリンを利用して大きな物事を成し遂げようとする人物が登場するのか、それとも、会費減額のようなクーデターのレベルに止まる運動で終わり、むしろ業界がエネルギーの行き場を失い沈滞や混迷を深めるのか、私には全く分かりません。

或いは、「司法の国」の食えない民衆(若手弁護士)が異国に渡り(政治部門などに進出し)、異国の軍隊を率いて祖国を攻撃する(国民全体の利益になるか否かに関係なく、司法界の既得権益層に不利になる報復的な法改正などを行う)という展開もあり得るのかも知れません。

ただ、少なくとも、現在の弁護士会の「人権活動」の幾つかは、同じ結論を支持する政治的立場の方々はともかく、無党派層を含む国民のマジョリティにとって、ゼロではないにせよ、さほど社会的価値を認められていないように感じており、そうしたものを見る限り、若手の不満のはけ口が、そうしたものに向かったり、弁護士業界に関しては、そのことが何らかの内部抗争の素地になることが、あり得ないことではないと思っています。

個人的には、現在、様々な形でうごめいている憲法改正等を巡る動きや日本国の人口減少、或いはアジア諸国の隆盛・勃興などが、それ(司法革命など)と関係してくるのだろうか、もしするのであれば、その結論の当否はさておき現象自体は興味深いなどと感じるのですが、ともあれ、私自身は何とか業界人として生きながらえて、そうした光景を見守っていきたいと願っています。