北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

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司法改革

北風~他業界にも吹き荒れますように?~そして、フェアユースの本質としての多様性と尊厳

ここしばらく多忙等を理由にブログの更新ができず、ご無沙汰しております。おかげさまで、今年も超低空飛行ながら何とか年を越すことができそうです。

今日も今日とて兼業主夫業に負われる日々のため深夜に事務所に帰り寝袋で朝まで寝てしまうことも珍しくないのですが、午前4時前後に自宅に戻る日もあり、この時期は深夜に降り積もった雪が月明かりや道端の光で誰もいない街を明るく照らす光景を目にすることもあります。

そんなときは槇原敬之氏の「北風~君にとどきますように~」の歌詞が思い浮かんだりもしますが、「誰のせいでこんなに遅くまで仕事してるんだ」などと色気のない八つ当たり根性に囚われているせいか、毎度ながら自虐替え歌の歌詞ばかりが涌いて出てくる有様です。

まあ、おかげさまで当事務所もどうにか年越しだけはできそうですし、我が業界も今は混迷の真っ只中ですが、もうしばらくすれば多少は落ち着くのではと期待したいところですので、あまり愚痴っぽいことばかり書くのもどうかとは思います。

ともあれ、来年も、当事務所にとっても依頼主の方々にとっても、

もう裁判はしないなんて 言わないよ絶対~♪

といった感じで問題解決のため訴訟制度など(弁護士の活用)を前向きに考えていただけるよう、研鑽に努めていきたいと思います。

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いま君がこの雪に気付いてないなら
人並みに眠れて恨めしい 心から思った

深夜のカップ麺じゃ 根気も続かないような夜
事務所のソファの寝袋で 恵まれた過去なつかしむよ
今は滅入る話ばかりで 思い当たるのは
北緯40度の岩手には東京にいない貧乏神

昔よりひどく売上落ちてる
帳簿をそっと開けて僕は言葉なくす

北風が吹きすさぶ 町弁業界
毎晩文書作るのに 収入は凍えている
いま君がこの光景に覚悟がないなら
弁護士目指すのやめとけ 心から思った

どれだけたくさん仕事に 囲まれていても
なぜか働いてないような額しか預金が増えなくて
だから無理に首を縦に振っていたけれど
きっと同業者みんな 「おかしいだろ、これ」と言いたいはず

事務所を開いたその時から
法律の意味さえ 変わってしまう?

贅沢や出費がかさむ 話題のたびに
かっこ悪いくらい 何も話せなくなるよ
明日もし 飲みに行こうと誘いが来たなら
小さく「無理」だと言っても 君に聞こえない

北風で書類の山も雪に沈む
出番なく錆びついた 企業法務 忘れていく
いま君がこの業界に夢を見てるなら
誰より早く教えたい 心から思った

北風が深夜の街を白く包む
歩車道は雪原となり 孤独な帰路を癒やしている
明け方に この雪が積もったままなら
起きるの無理だと言っても 君に聞こえない

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ところで、替え歌は元ネタの作詞者の方の著作権(著作者人格権、著作財産権)との抵触の問題があり、我が国の法制ではいわゆるフェアユース規定が設けられていないため、替え歌の公表などは、現時点では違法とされてもやむを得ないと説明する業界人の方も少なくありません(というか、たぶんそれが主流なのだと思います。著作権に関する実務に関わる機会に恵まれませんので勉強しておらず、何となくですが)。

この点(違法性ないし損害の有無)は、以前に他の方の替え歌を載せたときにも書きましたが、基本的に原著作権者(作詞者等)の合理的意思解釈の問題だと思っており、利用(公表)の内容や態様が、作詞者側の収益等に関する正当な期待を害するか、作詞者の制作者(創造者)としての尊厳(同一性保持権)に照らして合理的意思(許容認識)の範囲内と言えるかを、諸般の事情をもとに総合的に判断すべきことだと考えています。

ただ、替え歌に関してしばしば伝えられる「風刺の文化」(原著作物の風刺というより社会風刺の手段として、人口に膾炙した存在たる人気楽曲の歌詞を拝借し、自分なりの創造を加えて何らかのメッセージを相当な態様で伝えようとする行為)については、原著作権者の狭義の意思だけで説明し尽くせない公的な要素も視野に入れるべきではないかと思われ、それは、「人の知的創造という営みに敬意を表し尊重・保護する」ものとしての著作権の本質に内在する事柄(原著作物の内在的制約?)ではないかと考えます。

思いつきレベルですし上手く整理できていませんが、良質な知的創造物ほど、原型(元ネタ)の創造者に敬意を払いつつ様々な他者の手で良質なアレンジを施して新たな息吹(メッセージ性の幅の広がり)を与えられるべき性質を内在しており、そうした観点から「フェアユース」としての替え歌のあり方を考えてもよいのではないでしょうか。

私自身は、申すまでもなく「戯言として作ったものを折角なので誰かに聞いて欲しいから」という程度の動機で載せているに過ぎませんが(商業的利用どころか「こんな変なものを載せる弁護士はヤバそうだから仕事は頼みたくない」などと仰る方もそれなりにいそうでビクビクしており、匿名ブログを別に作って載せるべきかもしれませんが、そんな技術も余力もありません)、良質な具体例が社会内で多く示されていけば、フェアユース法制を巡る議論も深まるでしょうから、そうした観点も交えつつ「作詞者に敬意を示しながら替え歌(を通じた社会風刺)を健全に楽しむ文化」が形成されてくれればと願わないでもありません。

小規模弁護士会という「地域法務の大企業」と田舎の町弁の未来の働き方

半年ほど前から、著名ブロガーのちきりんさんのブログを読むようになり、その関係で著書も読んでみたいと思って、10月頃に「マーケット感覚を身につけよう」を読み、正月は、文庫本化された「未来の働き方を考えよう」を読みました。今回は後者について少し書いてみようと思います。

本書は、20代で大企業に就職するなど従前の社会で典型的な生き方を選んだ(そこに収まった)方も、40代でそれまでの経験などを踏まえて個としての可能性をより追求する新たな生き方(職業人生)にチャレンジすべきという趣旨のことを、まさにそうした生き方を辿ったご自身の経験や詳細な社会分析を踏まえて語った本です。

平成25年に出版された本ですが、内容は全く陳腐化しておらず、賛否両論ありそうな記載も幾つか見受けられますが、多くの方にとって学ぶところの多い一冊だと思います。

私自身40代に突入して間もない上、25歳で弁護士になり、15年以上、東京と岩手で町弁として生き、「公」はさておき「私」の部分では一定の達成感もある一方で、弁護士業界自体が大増員などで非常に混沌とした状況にあり、弁護士として生きていく場合でも従前と異なる新たな生き方が求められている(そうでなければ生き残れない)という点で本書がターゲットにしている層そのものと言え、そうした点でも大いに参考になりました。

また、本書では、近時の家電大手の凋落や過去に生じた幾つかの伝統的な重厚長大型の大企業の凋落などを例に、大企業に依存する生き方はリスクが大きくなりつつあるという点が強調されているのですが、そこで描かれている大企業像は、地方の弁護士にとって見れば、地元の弁護士会の姿と重なる面が大きいように思いました。

少し具体的に言うと、岩手(なかんずく盛岡)では、私を含む若い世代の弁護士が訴訟などの仕事を受任したいと思えば、独自に自分の事務所の宣伝をするよりも、弁護士会(盛岡の相談センター)で行っている法律相談を担当するのが最も近道である(それだけ弁護士会の相談には強力な顧客吸引力があり、委任希望のご依頼が集まってくる)という面があります。

私は平成17年から事務所のWebサイトを開設しており、平成20年頃までは他にサイトを開設する事務所は県内にはなく、盛岡市に限っては平成23年頃からようやく他の先生も開設をするようになったのですが、岩手はネットで弁護士を探すという文化については需給とも「周回遅れ」の面があるせいか、かつては債務整理以外の相談依頼を受けることはさほど多くはありませんでした。

近年そうした文化がようやく普及し始めたのかなと感じた矢先、債務整理の需要が激減した上、ここ1、2年は市内の有力な先生もWeb上で熱心に宣伝をなさっているせいか、数年前と比べてもHPルートでの依頼を受ける機会はかなり少なくなったように感じます。

これに対し、弁護士会の法律相談は後述のとおり10年前に比べて担当回数が半減しましたが、毎回、概ね満員となっています(震災前の時期は他県と同様に有料相談が廃れそうな様相も呈していましたが、震災無料相談が導入されたことで、劇的に息を吹き返しました)。

もちろん、私が担当日に弁護士会に行くのも事務所で相談を受けるのも「小保内が担当する相談」という点では何ら違いがなく、むしろ、必要に応じ書籍等を確認して回答し時間なども融通が利く当事務所での相談の方が、利用者にとっては利便性が高いことは確かだと思います(私に限らずですが)。

また、岩手弁護士会(盛岡)の相談センターは、盛岡市内の弁護士が交代制で担当しているため、数年前は概ね1ヶ月に1回、新人が急増した現在は2ヶ月に1回程度の頻度で担当しているのですが、相談者にとっては「当たりはずれ」のリスクは否めません。

現に、これまで依頼を受けた方から何度か、法テラスや弁護士会の相談で、年配の弁護士から酷い対応を受けたとか若い弁護士が要領を得ない説明を受け、私と話をして初めて得心できたというお話をいただいたことは何度かあります(かくいう私自身が、逆のように言われることもあったかもしれません。そこは、私の研鑽の問題を別とすれば、相性というほかありませんが)。

それでもなお、多くの方が個々の事務所にアクセスするよりも弁護士会の相談センターの門を叩く方を選ぶのは、個々の弁護士(法律事務所)よりも「相談や仕事を頼みにいく先」として県民・中小企業にとって圧倒的なブランド力があると認知されているからなのだと思います。

そのような光景に接していると、県民(利用者)の多くは、弁護士会が実施する相談事業を、あたかも田舎の県立病院のような「地域で圧倒的な規模を持つ一個の大病院(への通院)」のような感覚で捉えているのかもしれない、という印象を受けます。

また、そのように感じるだけに、激増による競争の深刻化と「利用者が自ら弁護士(受注者)を調べて選ぶ文化の未成熟」という2つの事象の組合せによる結果として、個々の弁護士(町弁)が、仕事の供給源たる「地域の大企業」としての弁護士会に対し、ますます依存度を深めていくのではないかと感じるところがあります。

とりわけ「若い弁護士が会務を一生懸命行うと、要職を歴任し豊富な人脈を有するベテランの先生から引き立てられ、様々な仕事・チャンスを紹介して貰える」ということは昔から言われていることで、そうした文化(ひいては弁護士会への依存)という傾向は、今後むしろ強まっていく面はあるのかもしれないと感じるところはあります。

恥ずかしながら、私の場合、東京時代から会務など(東京の場合、弁護士会とは別に派閥云々もありますが)への関わりが薄かった上、岩手に移転後は、債務整理特需の全盛期+家庭の事情で弁護士会の会合・飲み会に足が遠のいていたところ、いつの間にか、すっかり窓際族で定着してしまった感があり、最近は、私よりも何年も後に弁護士になった方が、遥かに「弁護士会の重鎮」として活躍されているようです。

もともとそうしたキャラではあるのですが、上記の事情から、事務所経営者としては、遅まきながら会務に積極的に関わらないと事務所の存立そのものも危ういかもしれないと、恐怖を感じるところはあります。

但し「弁護士の盛岡一極集中」という岩手の特殊性の裏返しとして、盛岡以外の他の地域で開業されている方はもともと弁護士会に仕事の供給を依存する必要が乏しく裁判所からダイレクトに受注する面も大きいので、以上に述べたことは盛岡=県庁所在地に限った現象というべきかもしれません。

ちなみに、本書98頁では「大組織に(幹部候補生として)就職することは、これだけ良いことずくめだったが、今やそのメリットは毀損されている」として、高給や安定、キャリア形成のチャンスなどが上記のメリットとして説明され、他方で「大企業を辞める人が重視する価値」として、様々な自由や「組織の序列、くだらない形式的な仕事」に人生を奪われないことなどが挙げられていますが、それらは、地方の弁護士における「一匹狼でいるより弁護士会に積極的に関わるメリット、敢えて関わらないメリット」と、重なるような気がします。

ちきりんさんのブログでは「大企業に依存する社会・人生」の減退ないし終焉・脱却(とこれに伴う個の復権)が現在の社会のトレンドになっているということが繰り返し強調されているのですが、地方の弁護士会は「周回遅れ業界」に相応しく?これまでは「個」が中心ないし基本であったものが、かえって弁護士会が地域の大企業(受注と供給の受け皿)としての性質をますます強めている(個々の弁護士の依存の度合いが深まる)かもしれない感じ、それを前提に、組織での出世に微塵も向いていない私が何に活路を求めていくべきか、悩んでいるというのが正直なところです。

基本的には、もはや後戻りは困難として弁護士会に依存しない形での仕事の獲得に力を入れたいのですが、地方の弁護士業界の「市場化」はまだまだ文化としては未成熟との感は否めず、そういう意味では周回遅れの宿命を負った業界で、伝統的な手法に依存せざるを得ない面は強く感じます。

もともと、我が国は、「平家、海軍、国際派」は出世できず、「源氏、陸軍、国内(内務)派」が主流を占める社会とされ、異質な他者(国外)と自由に幅広く接するよりも、同質的な身内を秩序で固めていく方が好ましいとされてきた組織ないし社会の文化があります(岩手弁護士会に関しても、そうした傾向を感じる面は率直に言ってあります)。

ちきりんさんは前者そのものといった感がありますが、私は、キャラは地味(後者)なのに生き方や志向は前者派という感は否めず、そうした「生き方の分裂」が生じているせいか、どこに行っても集団内の路線(多数派)との関係で不適合が生じたり「場の空気」に馴染めず内部で厄介者扱いされてしまう面があるように思います。

現代の急激な社会の変化の中で、そうした日本の風潮が多少でも変わるか、それとも、やっぱり「平家」は社会の閉塞感が高まっているときに一時的にもてはやされても短期間で退潮していくのか、また、変容の源とされる情報通信技術(コミュニケーション技術)の変革(IT革命)が日本社会の中で本当に「革命」と言えるか、それとも単なるクーデター=体制内権力者の交替の手段に止まるのかという視点も交えながら、弁護士会ひいては遠からず大変容を余儀なくされるであろう弁護士業界と向き合っていきたいと思っています。

北東北は、「日本で最も弁護士が生きづらい地域」になったか

大阪の先生のブログ記事で、北東北三県(と福島)が、「昨年(25年)と5年前(21年)とで地裁が受理した事件数(誤解を恐れずに言えば「弁護士の仕事」)が全国で最も減っており、5年前の1/3~1/4のレベルまで落ち込んでいる」という統計情報が紹介されていました。
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2014/07/03.html

この数字は、地元の人間(弁護士)としても、それなりに得心がいく数字です。もちろん、平成21年当時の特異な状況(過払訴訟特需というべき状況)の終焉が最大の要因だと思いますが、それ以外の民事訴訟(地裁管轄事件)が増えていないことも確かで(急減というのは言い過ぎの感があり、やや減という程度の表現が正しいかもしれません)、他方で弁護士の数は増えていますので、受任件数という点では、それなりに減っていると思います。

また、地裁事件以上に、倒産系(自己破産、管財、再生ほか。個人と企業の双方とも・特に後者)の方が、極端な急減になっていると感じます。これは全国的な話でもありますが、岩手の場合、平成20年前後における倒産事件の「最大母体」であった建設系の会社さん達が復興特需で劇的に回復されているため、全国以上に件数が減っているという面があると思います。

そんな訳で、当時の膨大な需要に対応するため人的・物的体制を整えていた(というか整備を余儀なくされた)当事務所の場合、その代償として、私一人で稼がなければならない運転資金の額が、地元の同世代の弁護士では恐らくトップクラスとなってしまい、震災を境に収益状況が極端な右肩下がりになり、現在は資金繰りに追われる日々という感は否めません。

ただ、当時は不思議なほどご縁が薄かった家事関係(夫婦、男女、親子、後見、相続など)の仕事が増えていますので(時給ベースで採算割れの仕事も多いですが)、それで何とか事務所(雇用)を維持しているという感じです。

それにしても、北東北三県は、統計上、「日本で一番人口減少が激しく、かつ日本で一番、自殺の多い地域」という不名誉な地位を拝受して久しく、言い換えれば、「日本で一番、生きるのが辛く(辛いと目され)、人々や社会に見捨てられる現実に直面している地域」ということになるのではないかと思います。

そうした社会の大きなうねりが、地裁事件の減少という面でも、日本で最も激しい落ち込みを示すという形で反映されていることを感じざるを得ませんし、そのことと、平成20年以前、北東北が長年に亘って「日本有数(最悪?)の弁護士過疎地域」と呼ばれていたことも併せて考えると、目眩がするというか、我々田舎の町弁も、極端に必要とされたり不要になったりと、社会状況の変動の激しさに翻弄されているという思いを禁じざるを得ません。

地元の弁護士会も、日弁連がなさっている様々な運動に関する下請作業も結構ですが、このような、北東北(や原発被害地・福島)が、日本で最も「弁護士が生きるのが辛い場所」になっているのかもしれないという現実から目を背けることなく、自分達の面前で起きている現象に対する健全な解決の実現という事柄に、もっとエネルギーを注いでいただければと思っています。

最近では「稼ぐインフラ」が地元で話題になっているので、弁護士会(の協同組合?)が特産品販売その他で稼いで会員に還元するなんて美味しい話もあってよいかもしれませんが、もともと商売っ気のない方々でしょうし、震災応援消費の時機も逸し、他力本願的な期待はすべきでないのでしょうね・・