北奥法律事務所

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民事訴訟

現状では少額しか認容されない長期困難訴訟(セクハラその他)に関する抜本的改善策(弁護士費用保険、短期審判+費用負担命令など)について

プロスポーツ選手(ガールズ競輪)の養成指導者がセクハラ行為をしたとの理由で提訴された訴訟で、450万円の請求に対し、指導者による一定のモラハラ行為が認定され賠償が命じられたものの、認容額が11万円であったとの報道を拝見しました(無料公開された限度でのみ)。

記事の事案そのもの(認容額や認定事実の当否)については具体的なことを何も存じませんので意見を述べる考えはありません。

が、事案から離れた一般論として述べると、11万円の認容額のために膨大な苦労と精神的負担を余儀なくされる訴訟を起こしたいと思う人はいませんし、弁護士も通常は受任できません。

この事件の審理状況などは存じませんが、熾烈な主張立証の応酬と複数の尋問を含むフルコース訴訟なら、弁護士費用保険(日弁連LAC)のタイムチャージ換算で50万円でも大赤字、100万円でトントンになるかどうかというレベルだと思います(当事務所の経費換算では)。

そして、裁判所が現在決めているこの認容額。これらの事情は、この種の相談を受ける都度、すべて私が相談者に説明している事柄であり、そのせいか、私はこの種の相談は時折受けているものの、訴訟を受任したことは一度もありません。

この訴訟の原告代理人がどれだけの費用をいただいているかは存じませんが、ご本人等が富裕層で認容額に関係なくタイムチャージどおり支払ってくれるなどという有り難いお話でなければ、恐らく(私も法テラス系など少なからぬ事件で経験しているように)限られた費用で大赤字に耐えて尽力されたものと思われます(事務所経費の負担があまりない低コスト弁護士さんもいますので、一概に言えないことですが)。

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もちろん、コミュニケーションのトラブルは、往々にして「どっちもどっち(お互いさま)」の要素が絡んでいることが珍しくなく、認容額が少額となっているのも、裁判所がそうした認識に立っていることの表れで、そのこと自体は多少やむを得ない面があると思います。

ただ、「自分は強い辱めを受けた、このままでは終われない、相手に一矢報いたい」という気持ちを抱えて生きることを余儀なくされた人達にとっては、こうした形で「今の社会では諦めるしかないんですよ」と扱われてしまうと、社会に希望を失い、やがて様々な形で社会に復讐することもあるのかもしれません。

そうしたリスクを抱えて人々の不満を抑圧する現在の社会を続けるか、敢えて不満と向き合い決着の場を支援する社会に切り替えるか、我々の選択が求められていると言えます。

結論として、軽微又は本人の非が大きい無理筋事案はさておき、現在の社会通念に照らして看過すべきでない、法廷に持ち込むべき価値のある事案については、弁護士費用保険などを強化して、本人の負担を大幅に軽減する形で真っ当な価格で弁護士に依頼できる仕組みを作るべきだと思います。

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例えば、モラハラ問題に限らず、解雇などを含む業務上のトラブルに関する紛争を対象とする弁護士費用保険を作り、保険料は所得に応じて年間数百円+α程度を源泉徴収しつつ、企業や自治体などが補助を出したり特約で保険料を上乗せすれば、タイムチャージの限度額を超えた対応も得られる(自己負担がなくて済む)、といった制度があれば、依頼する弁護士の費用負担は劇的に解消されるでしょう。

被保険者を同居家族とすれば、学校でのトラブルなども対象にできるかもしれませんし、自治体の援助内容次第で、住民獲得競争などにも影響するのかもしれません。

ただ、モラハラ申告などは交通事故と比べて無理筋相談が頻発せざるを得ないので、保険適用の可否を判断する事前審査が必要であり、その点も含めて保険会社や弁護士業界との協議が必要になると思います。現実には、事前審査で却下される例が多数生じるでしょうから、そこが事実上の第1審になるのかもしれませんが。

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また、弁護士費用以前の問題として、「もともと少額しか認容されない訴訟に膨大な手間や高額な経費が必要となること自体が間違っている=早期・簡易の紛争解決を可能とする仕組みを整備すべきでは、という点があります。

この点は、冒頭で述べた「フルコース訴訟」という展開になる前に、例えば、現在の労働審判のように、早ければ第1回又は第2回期日で裁判官が暫定的な心証を示して和解勧告し、なるべくその内容で和解を成立させる(尋問用陳述書や尋問など膨大な作業を当事者に強いるのを避ける)ことができれば、日弁連LACの基準(タイムチャージ30時間)の範囲内で大半の訴訟を決着できるはずです。

あくまで和解勧告ですので、形式的には双方に拒否権を与えますが、裁判所は拒否した当事者に対し、その後の判決等までの審理のために拒否された側が要した弁護士費用の実額(タイムチャージ制を前提とすれば、膨大な額になります)の全部又は大半を負担させる制度を作れば、事実上、勧告拒否に対する極めて強力な抑止力になり、大半の事件が和解勧告で終了することになります。

この種の訴訟は、被害者(請求)側だけでなく加害者(被請求)側も相応の事情があれば(不当・過大請求とか過失と評価できるなど)、弁護士費用保険が利用できるようにすべきだと思いますが、双方とも現行LACの30時間制で運用すべきで、かつ、勧告を拒否した場合は原則として以後の保険利用を不可とすれば、加害者(被請求)側の不当拒否への抑止だけでなく、被害者(請求)側の過大請求への抑止力としても十分に機能するはずです。

もちろん、相手方(敗訴者)負担に慎重な対応をとるべき事案もあるかとは思いますが、大半の事案では適切な運用が図られ、少額事件で膨大な時間と労力を当事者が強いられる(受任弁護士も大赤字を余儀なくされる)ことが大幅に減ると思われます。

その上で、裁判所や行政などが認定基準や慰謝料その他のガイドラインなどを作成・公表すれば、現在の小規模交通事故の大半のように、短期・簡明な解決が大きく促進されると思います。

十数年前、弁護士費用の敗訴者負担制度に関する議論が盛り上がった際には、環境系訴訟など「大企業相手に困難な訴訟に挑む、勝てないが社会的に意義のある訴訟」に従事する方々の猛烈な反対で頓挫したと認識しています。

が、そのような特殊事案には適用しないとの前提で「普通の少額事案を早期・簡明に終わらせるため(勧告拒否へのペナルティ=受諾のインセンティブ)としての「勧告拒否者の弁護士費用負担制度」を考えて良いのではと思っています。

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なお、「そもそも11万円では被害者が報われない」との点については、日本の裁判所が言葉の暴力への対処に冷淡な態度を続けてきたことが根底にあり、非常に根深く難しい問題です。

何より、裁判官は物理的暴力はしませんが(だからこそ、物理的暴力=事故のケガ等には高い慰謝料を命じる)、真綿でジワジワと首を締めるような言葉の暴力は大好きですので(弁護士や検察官も)、言葉の暴力にカネを払えというのは裁判官(法律家)の自己否定につながりかねず、容易に解決できることではありません。

(皆、膨大な勉強を続けて激しい知的対決を要する高ストレスの厳しい世界で生きている方々ですので、知的怠惰を感じた相手に厳しい態度を示すのは職業病としてやむを得ない面はあります。法律家に限らず医師など高学歴系職業に共通の性癖でしょうが)

結局のところ、人間の尊厳とは何か、総論と各論の議論をそれぞれ深めた上で、最終的には法律や各種GLなどで慰謝料増額要素の基準を明確化して裁判所に働きかけていくほかないのかもしれませんし、それは政治=国民に求められる役割だとも言うべきでしょう。

本当は、弁政連岩手支部などでも、地元の県議さんや市議さん達などと、こうした議論(ひいては議会決議などに繋げる)ができればよいのですが、万年窓際会員の身には、雑談や宴会の段取りばかりの光景を黙って拝聴する程度のことしかできず、非力さを嘆くばかりです。

・・・あっ、これも「言葉の暴力」ですかね・・かくて人類は不毛なりき。

 

若手弁護士の尋問風景と反省の日々

少し前にあった民事訴訟の尋問の際、相手方代理人の当方依頼者に対する反対尋問で、若干驚かされた一幕がありました。

相手方代理人が、尋問の最後に、自身の依頼者が希望する和解案を述べた上で「貴方は受け入れるか」と言い出し、当方依頼者がそれに応じられないと返答すると「どうして受け入れないのか」と糾弾し始めたのです。

尋問は、自己の主張を基礎付ける事実や、相手方の主張の信用性を疑わせる事実を当事者の言葉や態度で語って貰うための場であって、尋問を受ける者に自己(質問者)の見解への同意を求めたり、証人が述べる意見が自分の意にそぐわない場合に自分の見解を前提にして証人の意見そのものを頭ごなしに糾弾することを認めるような場ではありません。

ですので、事案解明の性質上、やむを得ない場合を除き、証人に対立意見をぶつけるだけの尋問は異議の対象となり、裁判官に制止されます。当事者の主張が事実に反するとか不当だと考える場合には、その主張を支える事実の信用性を疑わせる事実関係を質問して認めさせるべきというのが、反対尋問のあるべき姿です。

そうした理由から、私自身は、反対尋問では、敵対証人(相手方本人)を厳しい口調で糾弾するのではなく、ニコニコと紳士的な態度で質問しながら、ご自分に都合の悪い(争点に関する自己の主張の信用性を自ら否定する)事実だけははっきりと述べて(認めて)いただく(或いは、都合の悪い質問に対する見苦しい悪あがきを裁判官に見ていただく)、というのが理想的な形だと思っています(だからこそ、質問そのものの質が問われるわけですが)。

ともあれ、私は、これまでの経験から、筋の悪い尋問に対しては、代理人が異議を連発するよりも裁判官の指揮に委ねた方が賢明と考えており、あまり異議を述べる方ではないのですが、さすがに今回は酷いと思って上記の糾弾を始めた時点で異議を述べ、裁判官もそんな尋問は駄目だと相手方代理人を制止しました。

結局、その事件は和解はせず判決を受ける方向で事前に協議していたこともあり、先方の要求には応じるつもりがないことだけは依頼者の口から語っていただき、それ以上の尋問はご容赦願いました。

もちろん、このようなやりとりは、尋問としては何の意義も見出せません(相手方代理人は、自分の提案を当方依頼者が承諾しないこと自体から、裁判官の当方への心証が悪くなるとでも考えたのでしょうか?)。

もともと、異議の対象となる尋問は、それ自体が、裁判官の心証を悪くするだけの逆効果にしかならないものであることが多く、そのような面も見越して敢えて異議を出さずに様子見とすることもありますし、さほど見かけるわけでもありません。

一般的に、尋問で異議をしなければならない(用心をすべき)のは、タチの悪い相手方代理人が、誤導尋問(誤った事実等を前提に証人を混乱・勘違いさせ、証人自身にとって本意ではない言葉を言わせようする、アンフェアな尋問)をする場合で、海千山千のベテラン弁護士の中には、そのような意地悪をする人もいるため、相手方代理人がそうした方のときは、割と注意するようにはしています。

ただ、今回は私よりもかなり若い(経験年数の少ない)代理人で、これまで若い代理人が相対したときには、尋問のルールは概ね遵守する人が多かった上、尋問の内容自体がある意味、あまりにも大胆な破り方という面もあって、いささか呆気にとられ、迅速に異議を出し損ねてしまいました。

その場では、あまり相手方代理人を責めずに穏当(気弱?)な対応で済ませてしまったのですが、後で考えたら、相手方代理人が尋問に名を借りて、当方依頼者に事件の決着方法そのものについて見解を問うたり意見を求めたりするのは、私(当方依頼者の代理人たる弁護士)を介さずに当事者本人と交渉しようとするもので、弁護士職務基本規程52条違反なのではないか?と思わざるを得ません(しかも、それを代理人の面前で行おうとするのですから、呆気にとられてしまう面があります)。

ですので、「和解案に応じないのか」という質問の時点で、「貴方がやろうとしていることは、尋問として不相当なばかりか懲戒請求ものだ、そのことを分かって質問しているのか」と相手方代理人に抗議して、質問自体を止めさせるべきだったと反省せざるを得ないというのが正直なところです(まあ、今回は結論がはっきりしていたからという面が大きかったのですが)。

また、少し前に携わった別の事件でも、別の若い代理人が、支払能力が問題となっている関係当事者(私の依頼者ではない方)に対し、「貴方は支払うと言っているが、どうやって支払うのか、支払原資(送金主)や調達時期を具体的に答えよ」と執拗に尋問するのを目にしたことがありました。

その事件では、事案の性質上、そのような尋問が出てくるのもやむを得ないと思いつつも、事件の争点に関する事実を尋ねる質問ではなく、そうした質問は財産開示手続ですべきもので、私のように尋問のルールに従順でありたいと思う小心者には躊躇されるなぁと感じるところがありました(反面、その件は、その方に支払能力があれば一挙に解決するため、判決を待たずに財産開示を簡易に求める制度があれば、私も気兼ねなく上記のような追及ができるのにとは思いましたが)。

以前は、変な尋問をするのはベテランの一部という思い込みがあったのですが、司法改革云々の影響か否はさておき、若い弁護士の尋問にも、およそ予想もしていない形態の、異議の対象とすべき尋問が飛び出してくる可能性があるということで、気をつけなければと思った次第です。

私は尋問に苦手意識が強く、今も尋問のたびに反省するような日々ですが、尋問の力が伸びないと書面作成の力も伸びず、一方だけで法律家として大成することはあり得ませんので、老若関係なく、他の弁護士の尋問も教師又は反面教師にしながら、今後も地道に研鑽を続けたいと思います。