北奥法律事務所

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浅羽通明

インターネットを通じて著名人からブログにコメントを頂戴した件

2年前、事務所Webサイトの仕様変更(http→httpsの切替)を依頼した際、副作用?で、検索で相応に登場していたブログの記事がWeb上で全く検索されなくなり、Web世界の彼方に消えてしまうという悲しい出来事がありました。

自称・代表作であるJCIクリードと日本国憲法の関係を書いた記事など、検索上位に表示される投稿が幾つかあったため、しばらくは枕を涙で濡らす日々を送りました。

で、せめてもの悪あがきとして、昨年、昔書いた記事を読み返した際、誰か見てくれればと思ってツィッター上に掲載するセコい作業をこっそり行ったことがあります。

すると、宮崎監督と庵野監督の作品思想の違いについて論じた記事で引用した、ある著名人の方(浅羽通明氏)からツィッター上でコメントをいただいたので、大変仰天しました(1年以上前の出来事で、当時、FBには載せたのですが、ブログに掲載するのを失念していました)。

同世代の方で、若い頃、思想・哲学など「知の世界」に憧れを抱いたことがある方なら、浅羽通明氏の「ニセ学生マニュアル」三部作などをご覧になったこともあるかもしれません。

私は学生時代にこの本に強い影響を受け、今も、歪な自我を抱えた者だからこそ社会に役立てる「何か」もあると信じて、町弁のはしくれとして田舎の片隅で地を這うような悪戦苦闘の日々を送っています。

面識等はもちろんありませんが、私にとっては知の世界に触れる機会を与えていただくと共に、学生時代に道を違えずに済んだ、或いは真っ当な路線に辿り着く原動力を頂戴した恩人のような方だと思っており、それだけに

「長生きはしてみるものだ、たまにはいいこともある」

と、天に感謝した次第です。

先日も、浅羽氏が執筆された「『君たちはどう生きるか』集中講義」を拝読し、マルクス思想をテーマとする点では「人新世の資本論」と共通するものの、総論ばかりで有意な各論(実践論)が伴わないと感じた後者よりも遙かに具体的・実践的で面白い(マルクス思想は革命=権力闘争の思想と実践が伴わなければならず、そのことに正面からきちんと触れている)と、改めて浅羽氏の「読ませる力」に圧倒されました。

また、浅羽氏が現代の様々な社会事象に鋭い分析・解釈を示した新たな書籍を世に送り出して下さる日を、心より楽しみにしています。

 

宮崎監督(個の解放)と庵野監督(暴走そして社会への収斂)という「平成の風景」

11月に「シン・ゴジラ」がテレビ放送していたので、1年3ヶ月前に映画館で拝見して以来、久しぶりにチラ見すると共に、映画の鑑賞時に書いた文章を読み返しましたが、今回感じたのは、こうした「大組織に属する人々が巨大な災禍を克服するため力を合わせて闘う物語」は、宮崎監督なら絶対に作らないだろうな、という点でした。

映画評論できるほどの力はありませんが、ジブリ作品は個人が組織などの巨大な力からどれほど自由に生きることができるかがテーマになっているとの印象を受ける作品が多いと感じますし、それは、宮崎監督が「あの戦争」に象徴される滅私奉公(全体主義)を嫌悪・敵視していることが背景にあるのだろうと思います。

これに対し、エヴァンゲリオンも、シン・ゴジラも(「トップをねらえ」も?)、異端児たちが組織の中で自分だけが発揮できる力を生かして巨大な災厄を克服することが重視され、その過程の中で、厄介な自我を抱えた個人が内省を深める面はあるにせよ、組織から個人が解放されることはテーマにはなっていないように思われます(「ナディア」は見たことがないので分かりません)。

陳腐な言い方をすれば、昭和=個性が組織にすり潰されていた右倣えの時代の終わりに個人の解放を説いたのが宮崎監督で、平成=組織から多少は自由になったけれど、「こんなに変な私」の価値が皆に理解されたわけでもなく、かえって身の置き場を無くした時代の中で、「私だけが発揮できる力」を社会に還元して居場所を作る道を示したのが庵野監督、という見方もできるのかもしれません。

そういう意味では、庵野作品のテーマは、平成前期に「ニセ学生マニュアル」や小林よしのり氏との関わりなどで注目された浅羽通明氏の言説に近接するような気もします(当時は大学生でしたので、浅羽氏の本はよく読んでいました)。

それが時代の関心事だったなどと雑な括りをするのは愚かなのでしょうが、ともあれ個人が社会に収斂される物語へのニーズはまだ続くのか、また、次の時代に人々が必要とするテーマはどのようなものか(例えば、「そんな私が現実社会の仕組みや人々の意識を変えていく物語」が、メジャー作品として取り上げられることもあるのだろうか)、などという不毛な問いに縋ろうとするメンタリティが、まだ自分にも残っているのかもしれません。