北奥法律事務所

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盛岡青年会議所

さんさ踊りを楽しむ人々と、里から消えてゆく者の今昔

盛岡市は1日から4日まで「さんさ踊り」が絶賛開催中ですが、当家は、地域に背を向けて生きる残念家族のせいか?何年も前から単なる平日と化しています。

ただ、10年以上前、盛岡青年会議所の会員(さんさ担当委員会のヒラ委員)として、一日だけパレードに参加したことがあります。

といっても、踊りも太鼓もできませんので、JCの山車の曳き手の一人として加わっただけですが、それでも雰囲気に圧倒され、大変楽しかったことを覚えています。

JC入会直後には(修習生のときは参加したくてもできなかったので)

これで今日から俺も、さんさメンバーだ!

といきり立って専用のオレンジ色の浴衣セットを購入したのですが、その年の7月に重大事件の受任でかかりきりになったのをはじめ、練習に参加する余裕もチラ見で習得するセンスもなく、9年も在籍したのに上記のたった1回だけ、袖を通すに止まりました。

それでもゼロ回よりは遙かにマシで、おかげさまで、ささやかながら心残りせずに卒業できましたが。

この浴衣セット、恥ずかしながら、現在も当事務所のロッカーの片隅に埋もれています。

卒業するとき、もったいないので欲しい後輩がいれば、売却・・・もとい贈与したいと思ったのですが、そうした話ができる方もなく、残念ながら上記の有様が続いており、どうしたものやらというのが正直なところです。

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ところで、先日、市内中心部で長年に亘りデザイナーズブランド衣料の販売に従事されていた方(盛岡市民の多くが、あれか!と分かるファッションビルの経営者だった方)から、刀折れ矢尽きたとして後始末のご依頼を受け、先般、一苦労の末に法的手続を行いました。

経営者の方に倒産に至る経緯の概略を伺いましたが、震災やウイルス禍などもさることながら、某地銀の勧めで多額の借入をしてビルを建てた矢先にイオンの進出で大ダメージを受け、それが命取りになったとのことでした。

私は市内中心部の著名物販店の破産申立をお引き受けしたこともありますが、このような話は、震災前に倒産事件や破産管財人を多数お引き受けしていた頃によく聞いた話です。

さんさのパレードの中で、沢山の人員を擁し、ひときわ大きな存在感をもって参加している団体としてイオンチームがありますが、上記のような話に多く接してきた身としては、イオンに限らず地元の大企業の方や学生さん達が参加者の中心になっている(反面、地元の小規模事業者などの参加は多くない?)さんさの光景に、複雑な印象を受けてしまう面もあります。

上記の社長さんは「儲かっていたときは借りてくれと頼んできたのに経営が傾いた途端に貸し剥がしのような対応や罵声を延々浴びせてきた地元銀行の担当者に、非常に悔しい思いをさせられた」と仰っていましたが、その銀行さんもパレードの主力団体の一つとして参加・活躍されています。

三ツ石神社の鬼の姿は見えなくなったかもしれませんが、今も街の片隅には様々な悲しみや怨嗟の声がどこかに吸い込まれ、やがて、パレードを楽しむ皆さんに復讐するかのように、幽鬼を呼び寄せることもあるのかもしれません。

・・・などという不穏な話はさておき、皆さんは、今のうちに祭りにいらして楽しんでいただければと思います。

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私は、さんさ踊りの由来とされる「三ツ石神社の鬼の物語」とは、弥生人がこの地に進出した際、先住民たる縄文人(蝦夷の祖先たる山の民)と衝突した物語が原型なのでは?と想像しています。

そのように考えれば、現在のさんさを取り巻く光景も、ある意味、先住民が人里から排除され移住者に取って代わられていった残念な歴史の繰り返しが含まれているのかもしれません。

などとFBで書いたところ、地元の方から、時代が違う、三ツ石神社の手形はサイズが大きすぎるから、薬品を塗ったものか、昔々この地に辿り着いたロシア=北方大陸系住民じゃないかとのコメントを頂戴しました。

Webでチラ見した限りでも、この点はきちんとした調査等がなされていないようでもあり、ぜひ本格的な識者による調査研究を期待したいものです。

岩手県知事マニフェスト検証大会のレクイエム

旧ブログ投稿の再掲シリーズの最後に、平成25年に、岩手県知事マニフェスト検証大会について掲載した記事を微修正の上、再掲しました。

来年は岩手県知事選挙とのことで、恐らくは、すでに報道された有力県議さんと達増知事の一騎打ちになり、事実上「小沢氏勢力vs自民系」の最終?決戦としての意味合いも持つように思われます。

震災後、公約の検証(を通じた県政への民意の適切な反映や緊張感確保)という理想論を掲げる(旗を振る)方が全くいなくなり、数年に亘り「小沢氏勢力に飽きたか否か」だけが県政の実質的な争点になっているようにも見える光景に、大変残念に感じています。

当時は盛岡JCに親分肌の方がいて「俺は(主権者意識向上の活動を目的とした)任意団体を作りたい」と仰っていたので、できれば私も参画し、兵隊として汗をかきたいと思っていましたが、残念ながら、そうした話が結実することはなく、その方との接点も全く無くなってしまいました。

あまりにも多くのことが過ぎゆき、私も無残な老骨の一人に成り果ててしまったのかもしれませんが、かつて若者だった人々が曲がりなりにも掲げていた夢を、今どきなりの方法で次の世代にも引き継いでいただければと願っています。

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今回は、主として岩手県民の方、かつては一世を風靡した「マニフェスト選挙」に関心がある(あった)方、並びに盛岡JCの会員の方に向けて書いた投稿です。

皆さんは、10年以上前、「岩手県知事マニフェスト検証大会」というイベントが行われていたことをご存知でしょうか。

これは、平成19年に始まったイベントなのですが、当時、知事として三期目であった増田寛也氏が退任するにあたり、4年前の選挙の際に発表し県民の信を問うたマニフェスト(政権公約)について、その達成度を自己検証して県民に報告する場を設けたいとの意向が知事から盛岡JC側に伝えられて始まったものだそうです。

増田氏はマニフェスト選挙の先駆者とされており、知事人生の集大成として、このイベントを行うべくJCに動員をかけたというのが一つの実情なのかもしれません。

が、少なくとも当時の私は、小林正啓先生も引用の講演で指摘されるように、「地域住民の主権者意識の向上(国民主権原理の実質化)につながる地道な活動に寄与するのが、田舎のしがない弁護士の責任ではないか」と感じて、末端のスタッフとして、後記のアンケート調査など、若干のお手伝いをしてきました(なお、実働の大半は盛岡JCですが、公式の主催者はJCの岩手ブロック協議会=岩手のJCの連合体です)。

このイベントは、後任の達増知事の1期目の半ばである平成21年にも実施され、23年にも実施予定で準備を終えていたのですが、開催日直前に震災に見舞われ、中止の憂き目に遭っています。

2年おきに行っているのは、知事の任期は4年ですので、任期満了時である4年後に実施して達成度を県民に明らかにすることで、次の選挙での投票の判断材料とするというのが4年ごとの検証の目的であり、さらに、任期半ばの2年目にも中間検証を行い、残り半分の任期における県政向上に資することを目的としています。

検証大会の内容ですが、従前は、県知事による自己検証と行政分野をご専門とする県立大の先生による第三者検証の各講演のほか、知事やその年の盛岡JCの理事長さんを含めた識者によるパネルディスカッション、さらには、JCが県民に行った岩手県政に関するアンケート結果の発表も行ったことがあります。

アンケートについては、過去3回とも私が原案を作成しており、平成21年と23年には、長大な分析レポートも作成してJCのサイトで発表しています。

といっても、誰の注目も集めることなく、ケジメないし自己満足の類で終わっていますが。

アンケートは、盛岡JCだけでなく県内のJC全部の協力を得て、最盛期には1600通強の回答を集めました。

これは、県内紙や行政のアンケートにも引けをとらない回答数ですので、その集計結果等は、岩手県政を考える上で、大いに参考になるものだということは、特に強く述べておきたいと今も思っています。

ちなみに、ある年の大会で、私がアンケート分析の発表をした直後にパネルディスカッションになったのですが、冒頭で感想を聞かれた某知事が、ご自身の癇に障る内容でも含まれていたのか、アンケート結果について冷淡な感じのコメントをなさったことがありました(私の見る限り、集計結果も分析内容もそのような内容ではなかったのですが)。

その際は、パネリストである理事長さんから知事に「多くのJC会員が苦心して集めたアンケート結果に敬意を表しないとは何事だ」などと気概を見せていただければなぁと思ったりしたのも、懐かしい思い出です。

ところで、さきほどから書いているように、私は平成19年、21年、23年の3回に亘り、マニフェスト検証大会を担当する委員会に所属して、設営やアンケート調査に関わってきました。

最終年である今年も、2期目の達増県政の中間年として、平成21年と同様に検証大会が行われなければならない年であり、私自身はそれを最後の置き土産として卒業するつもりでいたのですが、どういうわけか、今年はこのイベントを行わないことになったそうです。

その原因が奈辺にあるのか、達増知事からクレームでも来たのか(たぶん違うでしょう)、もはやマニフェスト選挙が流行らないということで、JCの上層部の方々がやる気をなくしたのか、単に、当時を知る人が私を除き誰もいなくなってしまったというオチか、はたまた何らかの特殊事情でも生じたのか、万年下っ端会員の私には、真相は分かりません。

が、少なくとも、2年後の知事の任期満了の際には、公約の検証に関する何らかの事業を行っていただきたいことを、私を含むこの事業に携わってきた少なからぬ方々からの遺言として、JC関係者の方々に述べておきたいと思っています。

(2013年2月22日)

中央大学の志(こころざし)と「Think Global, Act Central」

今回も旧ブログに平成19年に投稿したものの再掲です。当時は、まだ盛岡青年会議所に入会して3年目ほどの身であり、何もかもが懐かしい思い出です。

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先日、盛岡JCのメンバー(OB含む)のうち中央大学出身者の方だけで集まりがあり、私も参加してきました。

集まりといっても10人弱程度の人数でしたが、盛岡JCで理事長など重要役職を担ってきた方が少なくなく、今にも幽霊会員になりそうな怠け者の私とは大違いというか、中央大学の面目躍如といった感がありました。

で、その中で、ある大物OBの方が、

「自分が盛岡JCの運営をしていた十数年前、『Think Global,Act Local』という言葉を盛んに提唱したが、『Local』というのは『Central』(中央)の対義語で、田舎・辺境という意味があってよくない。

その後に興った地方分権の流れからは、『Act Regional』と言っていれば、先駆的なものとして評価されたのではないか」

と仰っていました。

ただ、「Regional」というのは、地域・地方といったこと(地理的概念)を意味する言葉のようですので、地球全体のことを学んだ上で、そのことを、どのような観点・姿勢でもって地域に活かそうとしているのかまでは伝わってきません。

そこで、地球全体のことを学んだ上で、自分達の地域から新しい物事を起こして地球全体をよりよく変えていく起爆剤にしようという気概を抱くのなら、「Regional」ではなく、自らが新たな時代の中心たらんとする「Act Central」とでも称するのが適切ではないかと思いました。

そもそも英語として成り立っているか分かりませんが、意訳?すれば、

地球全体のことを考え、我こそが社会の中心たらんと全力を尽くせ

といったところでしょうか。

秦の始皇帝や清朝、或いは明治維新を引き合いに出すまでもなく、歴史の変革は、辺境の民が中央の文明と辺境の知恵、或いは外国の新たな潮流などを学ぶことによって、新たに作り出されることが少なくありません。

地方のリーダーとして生きる人達には、『Think Global , Act Central(from your region)』とでも標榜し、大都市圏に隙あらば新たな時代の中心に取って代わらんとする野心や気概を持っていただきたいものです。

中央大学とひっかけた洒落の類じゃないか、という話はさておくとして・・・(笑?)

(2007年4月6日掲載の内容を微修正)

 

盛岡市長選に関するJCアンケートと問われるべきこと

先日、facebook上で「盛岡JC(青年会議所)が盛岡市長選の公開討論会(本年8月予定)の準備として市政に関するアンケート調査を行っている」との投稿が流れていました。

この「盛岡JCが行う政治絡みのアンケート調査」は、私の認識違いでなければ、平成19年に盛岡JC(JC岩手ブロック)が増田寛也知事の要請に応えて「マニフェスト検証大会」を行った際、担当委員長さんの発案で始まったものですが、私も委員会の下っ端としてアンケートの作成に関わっており、後年には分析レポートまで作成したこともありました。

今回のアンケートは、回答者の属性に関する質問のほか、「重要だと思う政策課題を多数の選択肢から選ぶ」質問と自身の見解を問う個別の質問が2つという構成になっていますが、平成19年のアンケートの形式もほぼ同様であり、色々と懐かしさを禁じ得ません。

というわけで、折角なので、アンケート調査に回答することにしました。で、最後まで書いたところで、当時は無かった「1万円ギフトカードプレゼント」という告知を見つけたので、「ひょっとして俺もあたるかも、いや、こんなに立派なこと(自称)を書いたんだから、きっと当たるに違いない」とネジの外れた感覚に浸りつつ住所氏名も書いて送信ボタンを送りました。

が、そのあと、アンケート案内のページを見たところ・・

「アンケート調査期間 4月1日~4月30日」

と書いてあるではありませんか。

まさか、5月以後に送信した奴はギフトカードの(集計も)対象外??

がーん(?)

というわけで、悔しまぎれに、設問4、5で書いたことを載せましたので、候補者の方々とお話しする機会のある方は、ぜひ、質問等の参考にしていただければ幸いです。

【盛岡の魅力とは】

古代から近世まで、時には中央政権の広域支配の拠点、時には衝突の舞台となり、近代は政府要人を輩出するなど、北日本固有の精神(続縄文文化)と中央政権の国策(弥生)が交わる最前線ないし結節点としての色合い(二面性)とそれに起因する成果を生じさせた歴史を持っていること

【盛岡市長立候予定者に聞きたいことは】

明治期から戦前頃まで、原敬や新渡戸稲造、旧制盛岡中学関係者をはじめ盛岡出身又は縁のある多くの人材が政・官・財・学・文の各界で活躍し勇名を轟かせましたが、戦後から現在まで、そのような話を聞くことは少なくなり、文化・スポーツ等では一定の著名人を輩出しているものの、とりわけ政官財の世界では盛岡出身者の際だった活躍を聞くことがあまりありません。

そのことに対して、時代の違いと理解するほかないのか、市長として、日本や世界で活躍できる人材の育成や支援について特に検討されていることがあるか、現に活躍されている方々と現在の市民(とりわけ若年世代)との架橋や市民への還元のあり方なども含め、ご自身のお考えをお知らせ下さい。

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と書いて送信・投稿した後になって「こうした、何とでも言える主尋問型の質問よりも、意地の悪い反対尋問型の質問を考えた方がよかったのかも」と少し思ったりもしましたが、どうなんでしょうね・・

 

JCIクリードと日本国憲法の不思議な関係と、JCにこそ求められる憲法学

2年前、JC(青年会議所)の例会の際に必ず唱和している「JCIクリード」という綱領的なものが、日本国憲法の理念ないし構造と酷似していることを述べた投稿を、旧HPに掲載したことがあります。

現在、集団的自衛権に関する法案を巡って政争や反対運動が激化していますが、憲法改正を悲願の目標にしている安倍首相が長期政権化した場合、経済に一定の成果が生じた(とされた)時点で、ご自身が希望する改憲論議を拡げていこうという気持ちは強いと思われます。

日本JCは、以前から自民党以上に復古調・民族主義的な憲法改正案を掲げており、今後、そうした動きに同調した運動を各地JCに実施するよう求めてくることは十分考えられることだと思います(今年は、「国史」という言葉ないし概念を強調する活動をなさっているのだそうで、肯否云々の評価はさておき、その点も、その一環なのでしょう)。

もちろん、JCの会員マジョリティは、日本国憲法との関係では穏健(良くも悪くも無関心)な立場の方が圧倒的で、日本JCの議論を主導しているのは上記の国家観・憲法観を持つごく一部の方なのだろうとは思います(その意味では、これと反対方向のベクトルを持つ日弁連によく似た面があります)。

それだけに、JC会員の方々が、憲法の基本的な考え方、実務を含む過去に積み上げられた憲法学の一般的、平均的な物の見方を学ぶ機会を、もっと持っていただきたいと、JC在籍中にそうした営みに関わる機会に恵まれなかった身としては、残念に感じています。

というわけで、2年前(平成25年)に掲載した文章を再掲することにしましたので、当時ご覧になっていないJC関係者などの方は、お目通しいただければ幸いです(最後に少し加筆しています)。

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JC(青年会議所)には、「JCIクリード」という綱領的なものがあり、毎月1回の例会の場などで、全員で唱和することになっています。JC関係者には申すまでもないことですが、ご存じでない方は、全国各地のJCのWebサイトなどをご覧になれば、全文が載っています。

ご参考までに、福生JCのサイトが分かりやすいので、紹介します(同サイトに表示されている訳文は、JC手帳に載っているものです)。

この「JCIクリード」ですが、弁護士に限らず法についてそれなりに勉強した人間が読むと、日本国憲法の基本原理とよく似通っていると感じるはずです。今回は、この点について、少し書いてみたいと思います。

順番とは異なりますが、最初に「That government should be of laws rather than of man」という箇所をご覧下さい。

手帳(公式の訳)には「政治は人によって左右されず法によって運営さるべき」とありますが、日本国憲法の理念(基本原理)の一つに、これと同じような言葉が用いられています。

同業の方には申すまでもありませんが、今回は、そうでない方(主にJC関係者などでこの文章をご覧いただいている方)向けに書いていますので、少し丁寧に書きますと、その理念を「法の支配」と呼んでいます(76条、81条等)。

「法の支配」とは、憲法学上は、国家は個人の正しい権利を保障する正義の法に基づき運営されなければならず、法律上の根拠に基づかない恣意的な人の支配はもちろん、国会が多数決を濫用して人権を抑圧するような法律を制定した場合も無効にすべきという理念であり、憲法学ひいては法律学全体を勉強する際に、最初に勉強しなければならないことの一つです。

次に、「That earth’s great tresure lies in human personality」をご覧下さい。

手帳には「人間の個性はこの世の至宝」とありますが、日本国憲法では、個人の尊厳(13条。文言は「尊重」ですが、講学上は「尊厳」と表記)という言葉が用いられています。

憲法学上は、憲法に定める個々の人権保障の規定や統治機構のシステムはすべて、個々人の「人としての尊厳」を守ることを根本的な目的としており、個人(人間)の尊厳は日本国憲法の最高原理であると言われています。

次に、「That faith in God gives meaning and purpose to human life」をご覧下さい。

手帳には、「信仰は人生に意義と目的を与え」とありますが、日本国憲法も、信教の自由(20条)を定めるほか、これと隣接する個人の精神的な営みの自由を保障する権利として、思想良心の自由(19条)や表現の自由(21条)を定めており、これらは憲法上、特に保護されるべき自由ないし権利とされています。

次に、「That the brotherhood of man transcends the sovereignty of nations」をご覧下さい。

手帳には「人類の同胞愛は国家の主権を超越し」とありますが、日本国憲法が前文で非常に理想主義的な国際平和協調主義を謳い、その象徴的な規定として憲法9条を掲げていることは、よくご存知だと思います。

次に、「That economic justice can best be won by free men through free enterprise」をご覧下さい。

手帳には「正しい経済の発展は自由経済社会を通じて最もよく達成され」とあるところ、日本国憲法も、財産権の保障に関する規定(29条)などを通じ、資本主義を基調とする自由主義経済体制を規定しているとされています。

そして、ここまでの説明で概ねお分かりのとおり、これらの部分は、日本国憲法の中でも、重要な原理に関わる肝の部分であり、JC会員の方々は、JCIクリードを唱えながら、実はある意味、日本国憲法の勉強もしているのだと考えていただければと思っています。

ところで、クリードの最後の部分、「That service to humanity is the best work of life」についての説明を敢えて飛ばしました。

手帳では「人類への奉仕が人生最善の仕事である」と記載されていますが、私の理解の範囲では、このような趣旨のことを定めた規定は、日本国憲法には存在しません。

どうしてか、その理由は分かりますか。

日本国憲法は、個人の自由と尊厳を根本原理とし、それを政府が国際社会の力を借りて守っていくという観点から作られています。そのため、個人がどのように生きるべきかという一人一人の生き方の問題について、敢えて道標となる規定を設けず、各人の判断に委ねています。

これに対し、JCは社会のリーダーたらんとする方々の集まりですので、リーダーたる者は人類社会全体に奉仕する者でなければならないという理念を最後に置いて締め括っているのです。

そのような観点から最後の文言以外の箇所を見れば、それらは、リーダーの必須条件たる奉仕の精神を発揮するための前提条件に関する考えを述べたものと言うことができると思います。

ところで、どうして、JCIクリードと日本国憲法がこんなにも似通っているのか、その正確な理由は私には分かりませんが、両者の成立過程に思いを致すと、そこには共通の基盤らしき不思議な関係があるように見えます。

ご存知のとおり、日本国憲法は、日本国民が自力で元の政府を倒して作り上げたものではなく、大日本帝国軍が米国を主力とする連合国軍に滅ぼされた後、GHQが主導する形で策定され、大日本帝国憲法の改正手続をとって1946年に制定されたものです。

ですので、これを征服者たる米国の押しつけと見るか、日本国民が旧帝国軍が幅を利かせた旧政府にうんざりしてGHQの勧めに応じ自ら選び取ったと見るか、見解が分かれるところでしょうが、かなりの部分が米国に由来するということ自体は間違いないと思います。

他方、JCIクリードが最初に策定されたのは奇しくも日本国憲法の成立と同じ1946年、日本JCのサイトでは、米国人ビル・ブラウンフィールド氏が立案したと紹介されています。この方と、日本国憲法立案の主要人物とされるGHQのケーディス大佐は、接点があるかは全く分かりませんが、少なくとも概ね同年代と言ってよいと思います。

ちなみに、ケーディス大佐は、wiki情報によればハーバード大法科大学院を卒業したエリート弁護士だそうですが、ブラウンフィールド氏については、炭坑実業家だと記載したサイトを発見したものの、その人物像はよく分かりません。

ともあれ、両者とも米国で同じ時代を生き、当時の米国の理想主義を強く育んでいたという事情が、双方の類似性の大きな原因となっているのではないかと私は考えています。

JCは様々な目標や課題などを掲げている団体ですが、日本国民たるJC会員の方々にとっては、それらの目標、課題に取り組む際に、上記で述べたJCIクリードや日本国憲法の原理、さらには両者の複雑な関係にも思いを致していただければと思っています。

以下、今回の再掲にあたり加筆した部分です。

ところで、日本JCも憲法改正案を公表していますが、その内容を見ると、上記で解説した「JCIクリードとよく似た、日本国憲法の特徴的な部分」の幾つかについては、相当に改変ないし後退している印象を受けます。

特に、改正案は現行憲法と比べて民族主義、国家主義(国家主権?)的な面を強調し現行憲法の国際協調主義や自然権思想(人権は国家が付与するものではなく人に当然に備わっているという考え方)が大きく後退しているため、その点は、JCIクリードとも異なる思想と言うべきでしょう。

改正案(JC憲法案)を策定した日本JCの方々が、JCIクリードの破棄や改訂も求めて運動されているのかは存じませんが、そうした両者の関係性などについて、ご認識・ご意見を伺う機会があればとは思います。

ちなみに、「JC 憲法改正」などと検索すると、憲法意識の向上(改憲世論の高揚?)を目的とした運動に対する批判なども見つけることができます(引用したのは、いわゆる「市民派」の方のサイトのようにお見受けしますので、思想的にも真っ向対立という感じはありますが)。

余談ながら、JCも日弁連も、名実ともノンポリの方が中核をなす強制加入団体であるのに(JC会員の多くが、様々な人間関係などから半ば強引に入会に至ることは、笑い話ではありますが、必ず語られることです)、一部の人が団体の名前で先鋭化した活動をし、残りの大多数が関心を示さず放置、放任している(先鋭化している面々も、会員マジョリティと広く誠実な対話をして支持を得ようとする努力をあまり感じず、宣伝的な広報ばかり見かける)という点で、よく似た印象を受けます。

私自身は、大多数の国民(フツーのJC会員や弁護士を含め)は、党派的な主義主張を伴う極端な言説・現状変更ではなく、日常面の不具合を少しずつ改善するような穏健な議論・方法論を好んでいると思いますし、弁護士会もJCも、そうした中間派・ノンポリ層というべき大多数の国民のための憲法学、憲法論をこそ興すべきではないかと思っています。

残念ながら、そのような観点での有志による具体的な活動はほとんど(全く?)見られず、「憲法」を冠した小集団は、いずれも特定の党派的な主張を好む方々が、ご自身の見解を披瀝するための集まりになっているに止まっていると感じています。

本来であれば、異なる思想の持ち主と対話し、実務的、事務的な制度、慣行を中心に、穏健な方法での現状の改善を図る地道な営みが行われるべきではないか(それこそが、日本国憲法やJCIの理念、理想ではないのか)と思いますが、そのような光景を見かけることはほとんどありません。

法律実務家の集まりである弁護士会にも、様々な職業人の集まりであるJCにも、そうした各論的な地道な取り組みや意識の喚起を期待したいところですが、この種の問題に力不足の私には、高望みなのでしょうか。

私としては、JCIクリード(JCIの理想)は、米国で生まれたキリスト教の理想主義に基づく普遍的な人権思想に基づくもので、「それを組織の象徴として受容し掲げながら、それでもなお(或いは、そうであるがゆえに)民族主義的な思想信条を標榜せずにはいられないという矛盾」を抱えているように見える日本JCの姿こそ、とても人間的というか、日本ひいては戦後世界の姿を凝縮したような面があると思います。

そうであればこそ、JCの方々には、この矛盾と向き合い、苦しみながら、世界の人々が「個人の普遍的な尊厳と民族の矜持」(JC宣言に倣って個人の自立性と社会の公共性、と言い換えてもよいと思いますが)の双方を生き生きと協和させることができる姿を社会に示していただければと願っています。

盛岡青年会議所の卒業に寄せて

JC(青年会議所)は入会資格を40歳までとしているため、盛岡JCの12月の例会は、必ず年限に達した会員の卒業式として行われています。

平成17年入会の私もついに年限に達し、7日の例会にて卒業させていただくことになりました。

私は、主として仕事と家庭の都合により3年目(平成19年)頃から本格的な参加が困難になり、一部の行事だけに顔を出す程度の関わりしかできませんでした。

例外として、平成19年に出会った岩手県知事マニフェスト検証大会だけは、私らしさを発揮でき、JCも私を求めていると思うことができる唯一の機会だと思って、平成21年、23年の際にも相当にエネルギーを投入して関与しましたが、そんな身を嘲笑うかのように、23年は開催目前に震災が発生して中止となり、その後、マニフェスト現象の廃れに伴い、行事自体が立ち消えとなってしまいました。

入会時に一番お世話になった方は、その年の終わりに信じられない話で退会を余儀なくされ、その後も、同期で特に親しくなった方に限って入会早々に継続困難な事情が生じ退会や休眠をしてしまったり、大いにお世話になった方にありえないはずの不幸が生じたこともありました。

今も、どうしてこんな出来事ばかり起きたのか、参加環境の問題に限らず、どうして自分とJCとの間には引力ではなく引き離す力ばかりが働くのか、不思議でしょうがないと思わずにはいられません。

まあ、引き離す力ばかり働くという面では、弁護士会も似たようなものと感じており(こちらは親しくなった方に不幸が起きたわけではありませんが)、恐らく、そのような星を持って生まれてきた人間なのでしょう(高校入試のときの呪いなのだろうかと思わないでもありませんが)。

ともあれ、今さら愚痴を言っても仕方のない話で、すべて自分の責任として受け止めるほかありません。

卒業式では、僭越ながら私も卒業生の一人としてスピーチをさせていただきましたが、緊張等で言えなかったことが4点あり、そのうち3点について、他に述べる機会もありませんので、勝手ながらここで述べたいと思います。

ここからは、盛岡JC関係者向けの内容になりますので、他の関係の方は、基本的にスルーしていただければと思います。

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一つは、現役会員の方にお伝えしたかった、清水先輩(元盛岡JC理事長)の言葉です。

私が、まだ幽霊会員にはほど遠かった平成18年当時、私は、新入会員の勧誘等を担当する委員会(拡大委員会)の幹事をしていましたが、担当副理事長が清水さんで、同窓の先輩ということもあり、色々とお話を伺う機会がありました。

そのとき、清水さんがよく話していた言葉で、頭から離れずに覚えているのが、「JCに沢山参加できる者は、参加したくても参加できずにいる人の気持ちをよく考えて欲しい」というものでした。

当時の私は、幽霊化するつもりなど毛頭なく、「私のような余所者が、その土地の人間になるのに3代かかるのを、1代で達成できるのがJC」などと嘯き、休眠して全然参加しようとしない同じ委員会の方に、自分達がこんなに時間を犠牲にして頑張っているのにと不満すら持っていました。

しかし、それから1年も経たずに幽霊化に陥り、一部の行事等だけ辛うじて申し訳なさそうに出てくる身になり果てると、上記の言葉が肌身に浸みてきます。

JCは、参加できる人を中心に動かしている組織なので、諸行事の戦力として参加できず、かつ、行事の設営に直接役立つ特殊技能も持ち合わせていなければ、JC以外の場(生い立ちや仕事等)で中心戦力の方々と人間関係を築いていることもない私のような身では、どうしても、次第に居場所がなくなってしまうことは避けられません。

それだけに、たまに参加した行事で何人かの方から暖かく声をかけていただけると、とても救われた気持ちになり、またいずれ復活したいとの気持ちを持ち続けることができたのではないかと思います(といっても、結局は一部の行事だけ辛うじて出てくる中途半端な状態を解消することはできませんでしたが)。

私の知る限り、参加環境に恵まれない人間に暖かい態度で接する文化がある団体は、JC以外には存じません。

そうした意味でも、この文化は絶やさずに大切にしていただきたいと思っています。

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第2点は、私から1期あと(平成18年)に入会した方々への感謝です。

もともと、平成16年に東京を引き払う以前から同業の先達にJCを勧められていたこともあり、JC関係者に誰一人として知人等のないまま、強い意欲を持って入会し、当時は強い期待をかけていただいた私でしたが、結局は、その期待に応えることができませんでした。

JCでの責任を果たせなくなった私に代わり、本来なら私がその責任を果たすべき時期に、その役割を担う一番の中心となったのは、私が拡大委員会の不肖の幹事としてお会いした、本年度の浦田理事長をはじめとする平成18年に入会した方々でした。

ですので、この方々には、今も頭が上がらないという気持ちを強く持っています。と同時に、その方々に限らず、その後にJCで活躍された皆さんには、羨望や嫉妬ではなく、感謝とお詫びの気持ちしかありません。

反面、そのような気持ちのまま、卒業することを余儀なくされましたので、本当は、卒業式に登壇する資格もないのですが、卒業式を迎えることができなかった大恩ある先輩へのけじめとして、恥を忍んで参加させていただいたというのが、正直なところです。

ただ、拡大委員会で親しくなれた新入会員の方々がJCの中心メンバーとなり、その活躍ぶりを嬉しく感じることができる面があったからこそ、辛うじて卒業式まで心が折れずに済んだのではと思われ、その意味で、あのとき、幹事を拝命できて本当に良かったと思っています。

ところで、私にとって、「後から来たのに追い越され」という経験をしたのは、このときが初めてではありません。

平成9年に司法試験に合格した際の体験記でも書いたことですが、卒業2年目という、当時の中央大生としては比較的早い時期に合格できた大きな理由の一つが、その前の年(私にとっては卒業1年目)に、同じ受験サークルに加入していた2人の後輩が在学4年で合格したことでした。

もちろん、薫陶という意味でなら、多くの先輩方に多大な薫陶を受けましたが、運悪く合格が遅れた方も含め、自分にとっては雲の上の方々でしたので、何を聞いても自分には縁遠い人の話という実感がありました。

2人の後輩は、私よりも才能に恵まれた人達だということはよく知っており、現役合格そのものには全く驚きませんでしたが、一番、心に刻まれたのは、自分は彼らがまだ法律のことを何も知らないときの姿を知っている、その彼らが、私よりも物凄い質量の勉強をして先に合格していく姿を間近で見て、自分は彼らよりも遥かに才能が劣るのに、彼らがこなした勉強量すらこなしていない、それでは嘆く資格すらないではないか、ということでした。

そして、それ以来、1年間、本当に死に物狂いで勉強したところ、不思議な運と勢いが生じ、十分な学力も備わっていなかったのに合格してしまいました(反面、分不相応な合格者として苦労と心労を背負う羽目になりましたが)。

翻ってJCですが、残念ながら、今回は、私も1期下の方々の勇姿に背中を学んでJC運動に邁進する、という流れには進めませんでしたが、地域社会に生きる右でも左でもないノンポリ的な法律実務家として、JC的な理念のもと、地域のためにできること、すべきことは幾らでもあるとは思っており、その際、この方々の姿が、自分にとっては大きな指標、目標になると思っています。

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3点目は、企業人という立場からのものです。

先日、同じく元理事長である金子先輩から、「小保内は青年経済人として頑張ったのだから、JCの事業への関わりに悔いが残ったとしても、恥じることはない」とのお言葉をいただきました。

実際、「弁護士として盛岡に事務所を構え、岩手(ひいては北東北)の人々の役に立つこと」が、私の前半生の目的ないし存在意義そのものでしたので、この10年間、様々な方が困難を解決していくためのお手伝いを地道に続け、曲がりなりにも大過なく事務所を維持できたことは、今も心からホッとしています。

また、当事務所は弁護士1人で支えている雇用の数も岩手では最も多い部類に属しており、その点は、5年程前までの岩手に厳然と存在した弁護士過疎や債務整理特需による受注過多という特殊事情があったとはいえ、ささやかながら誇りとするところです。

現在、数年前とは町弁業界を取り巻く状況が大きく変動し、この体制を来年も維持できるか正念場を迎えていますが、JCに十分な関与できなかった分、せめて弁護士そして企業人としては、多少の悪あがきも含め、自分を支えて下さる方々に恥じることのない生き方をしなければと思っています。

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卒業式の懇親会で、卒業生の面々が、JCの思い出を川柳にして詠むという一幕がありました。

残念ながら、私にはあの場で詠むに相応しい言葉が思いつかず、他の方のお力を借りてお茶を濁すような対応をしてしまいましたが、色々と言葉が湧き上がってくることも抑えられませんでした。

そんなわけで、洒落の類かどうかはさておき、幾つか思い浮かんだ言葉を紡いで、私なりの卒業のご挨拶とさせていただきます。

卒業の前日もまた事務所泊
月明かり悔い残してか光る頬
閑かなる骨身に浸み入る皆の声
寒空に逝く兵は道半ば
果たされぬ夢が脳裏をかけ廻る