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自民党政権

「今の政局は鎌倉末期だ」と仰る学者さんの1年半前に同じ呟きをした男と「憲法改正と共に自民党政権が崩壊する日」

法律業界の「Web上№1有名人」というべき岡口基一裁判官のFBフィードで、さきほど今年の7月6日付で歴史学者の方が、先般の都議選の結果を受けて「自民大敗の光景は、鎌倉末期の有様のようだ」と論じた記事が紹介されているを拝見しました。

私は、安倍政権が世間の強い支持を受けていた昨年2月の時点でこれと似たようなブログ記事を書いており、紹介するならこちらも取り上げていただければ・・などと、しみったれたことを少しだけ思いました。

ちなみに、その記事では「専制型の政権運営は既得権の剥奪には役立つことは確かで、そうした事情が現在の「総理・総裁の権限強化」を支えているのでしょうが、一部の者への優遇が鮮明になるなど不公平感が目立つようなら、鎌倉幕府の滅亡がまさにそのようなものであったように、専制が崩壊して一気に混乱に陥るリスクも内包していると思います。」などということも書いていました。

その時点では、加計学園どころか森友学園も全く報道されていなかったようですので(少し調べたところ、H28.6の新聞記事が発端らしいです)、別に予言者を気取るつもりはありませんが(一般論を書いているに過ぎませんし、現在までに生じた事態や世間に判明した事実も単なる「疑惑」やそれに起因する政争云々に止まると言うべきだと思いますし)、読み返すと、しみじみと感じるところはあります。

個人的には、ネット記事に表示された学者さんのコメントよりも私の記事の方が、今後の政治システムのあり方について少しばかり踏み込んだ検討をしているのではなどと自画自賛したい気持ちも無いわけではありませんが、それはさておき、こうした政治状況を踏まえ、改めて、何かの参考にしていただければ幸いです。

その記事では、自民党(幕府)の失策で基本的な支持層(御家人)に深刻な被害や惨状が生じて大量離反を招くような事情はまだ見受けられない、と書いており、1年半を経た現在も、その点は概ね同じ認識ですが、敢えて言えば、介護や育児などの分野に関しては過酷な生活を余儀なくされる人々が当時よりもさらに増えているのではと思われます。

そうした方々には、自民党の支持基盤にあたる穏健保守層(無党派層も含め)も相当にいるでしょうから、個人への過度の負担に伴う「家庭や親族関係の崩壊」が進み、それが、自民党政権が自助(個々の家庭・親族内での解決)を偏重し公助や共助を軽視(未整備)したからだと見なされるような事態でも生じれば、御家人の離反に類する事態もありうるかもしれません。

少なくとも、弁護士業界のように?既存の制度や成功の方程式に限界を感じ、自分を取り巻く状況の将来に不安感を抱いた結果、新たな模索に乗り出す人にチャンスを与えたいという程度なら、非常に多くの方が感じていることは間違いないと思います(そうした方々が、都議選の小池氏躍進の原動力になったのでしょう)。

ただ、記事で書いた「新たな勢力・体制」が現時点で誰かと言われれば、出現したと言えるのかも含め、まだ見えてきません。重要な検討課題として載せた「選挙・議会・政治家」の抜本的改革を訴える人も、まだ現れていないと思います。

現在の安倍政権の人気低下で、これまで「反安倍」を標榜していた方々が勢いづいているようですが、石破氏を筆頭に「首相候補として追い風を感じている御仁」が誰もいないと感じる現状では、相応の権力基盤を形成している安倍首相の時代はまだもう少し続きそうに感じますし、仮に安倍首相が早期退陣したとしても、自民党政権自体は当面は続く(とって代わるだけの政治勢力がない)ことは確かだろうと思います。

そのような点に限らず、記事で書いた「自民党は、戦後に日本が直面した政治体制に最も適合した政治勢力ではないか(だから適者生存で繁栄したのだ)」という観点からすれば、自民党政治を本気で打ち破りたいのなら、政治体制(統治機構ひいてはそれを取り巻く国際環境)そのものを変化させる必要があるのではないか、そのためには、第一歩として統治機構の変革を憲法改正により行うこと(それに対する大衆の広範な支持)こそが、自民党政権を終焉させる手段なのではないかと思います。

だからこそ、現在及び近未来の社会状況に適合する、最大多数の最大幸福を実現できる新しい選挙・議会・政治家の姿を構想し訴えて国民の支持を得られるかが、「新しい政権与党(になり得る勢力)」にとって基本的かつ最初のハードルではなるはずです。

これは、鎌倉末期になぞらえると後醍醐天皇の役回りと言えるでしょうし、だとすれば、そうした方には何度も弾圧(既存の左右など様々な有力者の攻撃)を受けながら立ち上がり続ける執念やしぶとさ、強運などが必要になるのだと思います。

そして、それが、各地の「自民などの既存勢力と局地戦を展開する地元民の支持を得た地域政党など(悪党こと楠木正成たち)」の支援を得て力を蓄え、最終的に「自民党の非主流派の有力者」がそれに賛同して大挙して寝返ったとき、体制転覆が現実のものとなるのではないかと思います。

皮肉めいた言い方をすれば、戦後体制(日本国憲法の統治システム)によってこそ繁栄した自民党こそが、口先では憲法改正を唱えつつ本当はそのようなことは考えず改憲論を一種のガス抜きとして利用し、戦後体制により生じた既得権の保護や調整を本質とする「真の護憲政党」というべきで、だからこそ、「護憲派」を標榜する方々(野党)は、自民党の補完勢力と言われてもやむを得ない面があるのだと思います。

だからこそ「自民党にとって(さらには今の野党群にとっても)都合の悪い憲法改正(選挙や議会、行政などのシステムの変革)」を打ち立てる知恵と熱意があるかどうかこそが、本質的な意味で野党(体制変革の担い手)と言えるかどうかのリトマス紙だと思いますし、自民党政権は、そうした憲法改正が行われるときにこそ、本当に崩壊・終焉するのだろうと思います。

個人的には、そうした勢力の萌芽がそう遠くないうちに生じるのではと感じており、そのような意味で、新しい時代の入口に近いところに来たと期待したいですし、無党派層をはじめ流動的な投票動向のある一般国民の多くが潜在的にその展開を求めているのではないかと思っています。

ただ、そうした展開に至らず徒に既存の政治が不信感を高めて政治の混乱が続いてしまうと、鎌倉末期から建武の新政や室町幕府を経ずに、いきなり応仁の乱になってしまうのではと危惧しないこともありません。

昨年、中公新書の「応仁の乱」が好評を博したの、そうした可能性を少なからぬ国民が危惧していることの現れなのかもしれず、今さらながら、同書を買って読みたくなりました。

自民党政権と鎌倉幕府の類似性を踏まえて日本国憲法の未来を論ぜよ

購読中の日経新聞が3ヶ月以上の積ん読状態になり、先日まで10月のものを読んでいました。10月19日の紙面には、安倍首相が党内の重鎮や若手の支持を集めてライバルを押さえ込み強固な政権基盤を形成しているという話の解説記事が出ていました。

最近は甘利経財相が突如失脚するという事態も起きましたが、こうした記事を気楽に読んでいると、今後の政権の担い手や政治の形はどうなるのだろうと、何となく考えてしまいます。

現在の社会について考える際、過去の歴史に学ぶというのは基本的な話ですが、戦後数十年の「自民党一党支配下の派閥政治→小選挙区制後の政権陥落と復活を通じた総裁・首相の権力強化」という流れについて、日本史の中で近いものがないかと考えると、鎌倉時代が割と近いのではと思いました。

鎌倉幕府の場合、成立時こそ源頼朝(源氏)の存在感が大きかったとはいえ、ほどなく有力御家人らの合議的な体制に移行し、激しい内部抗争に北条氏が勝ち残り、承久の乱と元寇を通じて得宗専制が確立するという流れを辿ったと一般的には言われています。

そのような流れが、派閥の抗争の上に短命首相の交代が繰り返されていた中選挙区時代から、有力派閥(経世会など)の影響力低下と党本部・内閣府の強化(総理・総裁の主導権)に至る現在の自民党政権の経過に多少とも通じる面があると感じました。

鎌倉幕府は大まかに言えば承久の乱までが御家人合議制で、その後は得宗専制への移行期になりますので、承久の乱と北条氏の勝利は民主党の政権交代と自民党復権に匹敵すると言えるかも知れません。

その上で、現在の「習近平の中国」の強大化やこれに伴う日本との摩擦は、あたかも現代の元寇のようなものと考えれば、中国への脅威への対抗のための結束や政治の安定のニーズという国民意識が安倍首相の支持率を相当部分を支えていることに鑑みても、類似性を感じる面があります。

そう考えた上で、「その後」がどうなるかを鎌倉幕府になぞらえて考えると、色々と興味深い点が出てくるのではないかと思います。

教科書的に言えば、鎌倉幕府は元寇の負担で生じた御家人の窮乏について、幕府が賢明な対応をとることができなかったので、御家人の支持を失い統制力が弱まった挙げ句、後醍醐天皇の倒幕軍に足利尊氏・新田義貞らが呼応し裏切ったので滅亡したと言われてます。

元寇は要するに国家防衛戦争ですが、軍役とこれに伴う出費を幕府が丸ごと負担するのではなく地域の封建領主である御家人各自の負担とされたので、御家人が生活に窮乏し借金が増大し、一旦は徳政令=借金の強制免除がなされたものの、その後は金融業者から追加借入ができなくなり?さらに窮乏したと言われることが多いと思います。

破産免責の実務に携わる者から見れば「一旦は借金免除を受けた者が、ほどなく追加借入をせずにはいられなくなる事態」は滅多に生じるものではないとの認識ですので、当時の御家人達(幕府を奉ずる武士)に追加借入を必要とするだけの事情があったのか、その点は興味深く感じますが、よく分かりません。現代も免責から7~10年もすれば追加借入をする方も出てきますので、中長期の視点では鎌倉末期と同じ問題が生じうるかもしれませんが。

ともあれ、近い将来そうした類の光景=自民党政権の混乱と滅亡という事態が現代でも生じるのか、そうであれば、どのような事態が生じた際に自民党政権が衰退するのか、また、その前提として、自民党の支持層が政府の政策とその前提となる事象により大きく窮乏するような事態が生じるのか、あるとすれば、どのような事態か、色々と想像を巡らせるのも面白いかもしれません。

財政上の理由で従前の支持層に手厚くしていた分野(公共工事=建設業界、福祉・医療=医療業界など)への税金配分や年金等の大幅減ということなら、近い未来に相応に生じそうな気もしますが、その際に時の総理が改革の必要性を説いてその判断を支持する層を新たな支持者として取り込むのであれば、政権転覆という事態は生じそうにありません。

元寇のように「政府が自らの責任・負担で行うのが望ましい分野」について、政府の支持層に無理な自己負担を強いて困窮させた挙げ句、杜撰な対策で混乱が生じて支持層をさらに追い詰めるという事態があれば、無為無策の責任が問われて転覆まで行き着くような気がしますが、現在それにあたる分野があるかと言われると、すぐには思いつきません。

ただ、自民党政治が、御恩と奉公に類する「戦後の経済成長で生じた正(プラスの資産)の分配」を基本として成り立ってきたことは確かでしょうから、今後に本格化すると言われる「負の分配」=既得権の剥奪や社会各層への負担・不利益の分配への説得・強制に耐えるような政治体制に刷新できなければ、政権の維持に脆弱さを抱えることは確かだと思います。

実際、小泉首相が専制政治家として公共事業削減などを断行したのに比べると、民主党政権前夜(第一次安倍政権~麻生政権)までは、専制色が乏しく合議的な色合いの強い政権だったように感じますし、そのことも、政権陥落に影響したのかもしれません。

民主党政権も公共事業削減や財政再建など様々な負の分配に取り組んだような気がするのですが、総理(党代表)が権力を掌握できず合議制のような様相を呈したことが、テーマ(負の分配)に耐えうる政治体制でない(要するに未熟である)と国民に審判されたのではという感じもします。

少なくとも、専制型の政権運営は、既得権の剥奪には役立つことは確かで、そうした事情が現在の「総理・総裁の権限強化」を支えているのでしょうが、一部の者への優遇が鮮明になるなど不公平感が目立つようなら、鎌倉幕府の滅亡がまさにそのようなものであったように、専制が崩壊して一気に混乱に陥るリスクも内包していると思います。

その場合、現体制を転覆させて新体制(建武の新政?)を作るための旗印となる理念や制度はどのようなものか、運動の象徴になる存在(後醍醐天皇)やそれを補佐する「現体制では疎外された存在」(楠木正成ら「悪党」)は誰か、転覆後の混乱に勝ち残って次の体制を担う存在(足利幕府)は誰・どのようなものになるのかといったことも考えてみたくなります。

ただ、現代でこれにあたるものが誰か・何かと言われれば、すぐに「これだ」と言えるものがあるか、私もピンと来ません。

在野で強烈な個性を持つ専制指向型のリーダーと言えば、誰しも引退?した橋下市長を思い浮かべるでしょうが、安倍首相と意気投合しているようにも見える橋下前市長が「後醍醐天皇」のようになるのかと言われれば、違和感を覚える方の方が多いと思います。

ただ、安倍首相や自民党が希望する改憲案が、安全保障(9条)と人権保障(個人主義)の修正を指向すると一般的には考えられているのに対し、橋下氏が指向する改憲論は大阪都構想に見られるように統治機構制度に向けられており、9条や人権規定に手を加えたがっているという印象は、私の感覚の範囲では、あまり受けません。

これに対し、自民党の改憲案は、私もきちんと勉強したわけではありませんが、国会・議院内閣制の分野については、さしたる改正を求めていないように思われ、少なくとも、現在の立法・行政の枠組みの大幅な変革を企図していないことは確かだと思いますから、安部首相ないし自民党の改憲案と橋下氏らの改憲?案は、関心のある分野が大きく異なっていると思います。

その上で、国会などを巡る現在のあり方に国民が満足しているかと言えば、現在の選挙や国会ひいては様々な議会や議員の制度(選挙と議会のシステム=立法府や代表民主制の全般)に不満や不信感・閉塞感を抱いている国民の割合は非常に多く、憲法も含めて「政治家」に関する制度を変えて欲しいというニーズは十分に高いのではないかと感じています。

現在、ちきりんさんのブログで勧められていた「フェルドマン博士の日本経済最新講義」を読んでいるのですが、同書でも、選挙制度改革は、現在の日本社会が改革を必要としていながら安倍政権の取り組みが最も手薄になっている分野だと厳しく批判されています。

現在の小選挙区制では従前以上に自民党の万年与党という流れが定着しそうなことや訴訟が繰り返されて「煮詰まった」状態にある定数是正の問題なども視野に入れれば、立法府(選挙・議会・政治家)の大改革は、程なく近未来の大きなテーマとして意識されるのではないか、だからこそ、それに率先して取り組む勢力があれば、アドバンテージを取ることができるのではないか(橋下氏はそれを見越して準備しているのではないか?)と感じています。

ちなみに、フェルドマン博士は、株主総会(資本多数決主義)に倣って「人口比で議決権を配分する制度を導入すべきだ」と提言していますが、私自身は、そのような制度は「生身の人間」たる議員の政治的意思決定権に関する平等の建前を重視する日本の国民感情に馴染まないので、議員を二段階に分け、1段目議員を大増員・廉価報酬とし、2段目議員を1段目議員の互選による少数精鋭(狭義の国会議員)とする間接選挙型の仕組みにすればよいとのではと考えています(この点は後日にまた書くつもりです)。

ともあれ、自民党政権が戦後の政治システム(現在の代表民主制)に非常に馴染んでいる政治権力だからこそ、そのあり方を大きく改変する提言をする政治勢力が国民から一定の支持を受けるようであれば、そのときが鎌倉幕府の滅亡ならぬ自民党政権の終焉に繋がるのではないかと妄想しているところです。

日本社会は、昔から源氏・陸軍・国内派(縄張り重視の封建的集団主義)と平家・海軍・国際派(市場経済・競争重視の個人主義)の路線対立があり、これまでの自民党政権が前者の面が強かった一方で、近時は後者的な性格を強めつつあることも、来るべき動乱?の前兆のような気もしないでもありません。

余談ながら、地方の弁護士業界もこれまでは前者の典型のような面がありましたが、急速に後者の面が強まっている感もあり、そうした身近な世界で生じている激動との関係も考えながら、遠くの他人はさておき我が身は滅ぼすことなく社会の成り行きを見て行ければと願っています。

それはさておき、鎌倉幕府の滅亡について大河ドラマで取り上げられたのは「太平記」だけだろうと思いますが、NHKも視聴率に臆せず蛮勇を奮ってまた取り上げていただきたいものです。