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象徴天皇制

安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第3回)

安倍首相の国葬について、各種前例との異同や天皇制との関係性という観点から事象の本質と課題を検討した論考の第3回目であり、今回は、主として戦後日本のスキーム(象徴天皇制や現行憲法に基づく「権威と権力の分立」)との関係性について述べます。

4 現代日本で国葬が行いにくい(盛り上がらない)固有の原因

ともあれ、今回の国葬は粛々と行われ、当日は故人を慕う多くの人々の参集もあったようですが、国民全体として見れば、国葬への社会的支持は乏しく、「盛り上がらない国葬」「自民党や支持者・関係者の人々だけの国葬」という面は否めなかったと思います。

ただ、吉田首相の国葬の実施状況を巡るWeb記事によれば、吉田首相の国葬もさほど盛り上がらず、尻すぼみに終わった(ので、その後、国葬が慣行として行われない状態が延々続いた)のだそうです。

そのため、現在の日本社会では、国葬という儀式そのものが、国民の支持を受けることが難しいのではないかと感じる面があります。

その原因は、国葬という手続が、性質上、被葬者を何らかの形で権威化する(死後も国家・社会を支えるものとしての権威ある存在、批判を避けるべき存在として祀る)ことを目的とすることに由来しているように感じます。

そのため、そのような儀式(国葬)は、現代日本(戦後日本)では、国家を代表する者・国家が掲げる価値観などの体現者だと国家・国民が認めることができる者(存在)=国葬を通じてその者を「権威ある=一般国民とは身分が違う特別な存在」と位置づけるのが許される唯一の存在である、天皇(及びそれに準ずる皇族)にしか認められるべきではないという国民感情が、社会の底流にあるのではないか。

これが、安倍首相であれ吉田首相であれ、現代日本で国葬が盛り上がらない根本的な理由ではないか、というのが私の見解です。

言い換えれば、誰であれ天皇と特別な皇族以外の者を「国葬」という形で祭る=権威化するのを、現行憲法・社会は想定していないのかもしれません。

***

そもそも、象徴天皇制とは、天皇に一切の権力を認めない代わり国民統合のための権威としての役割・機能を徹底的に認めるものと言えます。裏を返せば、権力機関たる三権の長などには権威者(批判を許さない存在)としての役割を認めず、権威の機能は天皇に独占させることが予定されています。

権威者たる天皇は、権力を持たないからこそ国家運営(権力行使)に携わることがなく、それゆえ国家運営の失敗に責任を取ることがありません(天皇の無答責)。

国家機構の一部門という観点からは、この無答責(退位など、責任をとる制度がないこと)こそが、他の国家部門と比べた天皇の最大の特色と言ってよいと思われます(裁判官にも強力な身分保障がありますが、定年と熾烈な能力審査のほか、再任審査も一応あります)。

戦前=明治憲法でも天皇の無答責が定められていましたが、それは、天皇が神聖=無謬=誤るはずのない存在との前提に立っていたからで、前提自体はひっくり返りましたが(憲法学では、8月革命などと呼びます)、無答責という結論自体は全く変わりません。

そして、理屈(前提)のひっくり返りこそあれ、戦前も戦後も、国家運営に失敗があれば、天皇はその責任を負わず、権力機構の運営者≒政治家が負う(べきとされている)点は同じと言えます。

言い換えれば、日本の政治家には権威がないからこそ責任を迅速に取らせることが可能であり、戦前・前後問わず日本の首相の大半が短命なのは、「権威がないので地位の継続性の担保が弱く、世間の不満に伴う責任を取らされやすい=地位を追われやすい」ことが根底にあると思います。

ともあれ、戦後日本の国家体制は、天皇から一切の権力を剥奪した上で権威の頂点(拮抗する権威者がいないという点では唯一無二の権威)とし、それと対をなすように、権力を行使する国家組織(立法・行政・司法の三権=議会とお役所)は、国民に対する権威(威光・信頼)という点で、天皇に遠く及びません。

司法(裁判官)は、政治部門に比べて一定の信頼はされているでしょうが、それと同時、或いはそれ以上に、畏怖・嫌悪されている面があります。

司法には一定の権威が認められていますが、その権威は、情ではなく理屈を基盤とし、「この理屈(裁判官の判断)が通じない奴、言うこと聞かぬ奴は黙って従え」という高圧的な面(エリート支配の負の側面)も見え隠れするため、「国民との感情的な信頼関係・共感(天皇家が「国民の本家」のようなイエ意識)」を存立の基盤とする天皇の権威とは、かなり性質が異なるように思います。

もちろん、今の社会で最高裁長官その他の司法関係者を国葬したいなどと言い出す人は誰もいないでしょう。

結局、象徴天皇制を基礎とする現在の社会体制が盤石なものとして永続する限り、「この国では国葬とは天皇に行われるべきものだ。それ以外の人間の特別扱いは不要だ」という天皇のもとの平等思想が国民の総意として今後も存続し、よほどの事情がない限り、国葬をやろうとする人は出て来ないのではと思われます。

(井沢元彦氏の「逆説の日本史」でも、天皇が平等化推進体としての役割を果たしてきたとの視点が述べられており、これは日本の社会思想史ではよく語られていることだと認識しています)。

(以下、次号)

 

安倍首相の国葬を巡る「天皇制の終わりと権威分立社会の始まり」(第1回)

安倍首相の国葬に関し、主に天皇制との関係で感じたことを幾つか述べます。長文になりましたので、全4回に分けて掲載しますが、骨子は

Ⅰ 今回は過去に国葬の対象とされた典型・類型に当てはまらないやや特殊な例であり、前例や国葬の趣旨・目的という点からは違和感を持つものである。

Ⅱ それにもかかわらず、国葬という形式で葬儀が行われたのは、岸田首相らの思惑もさることながら、国葬の本来の対象者(元首など)の社会的影響力の低下が影響しているのではないか。

Ⅲ さらに言えば、現皇室(ひいては天皇制も?)の終焉の可能性を人々が感じているから、それに代わる権威を求める国家・国民の不安感や依存心が、安倍首相の国葬(国家の威光を用いた顕彰)へと人々・支持者を駆り立てた面もあるのではないか

Ⅳ 今後も、国家統合の象徴としての天皇制の存続への不安・懸念から、有力な首相などを天皇(国民統合の象徴)の代替として権威化しようとする試み(大統領制の議論など?)が生じるかもしれない。

というものです。以下、次の項立てにより詳細を述べます。

1 安倍首相の国葬を巡る論点の整理(第1回)
2 国葬とは何か、何のために行われてきたのか(第1回)
3 国葬を実施してきた類型と、安倍首相の国葬理由の違和感(第2回)
4 現代日本で国葬が行いにくい(盛り上がらない)固有の原因(第3回)
5 それでも今回、国葬が大過なく実施できた、もう一つの理由(第4回)
6 天皇制(権威・権力分立社会)の終わりの始まりか、再構築の入口か(第4回)

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1 安倍首相の国葬を巡る論点の整理

今回の国葬に関する論点は、大まかに言えば、次のように理解しています。

①安倍首相への評価(国葬に値するか。政権一般の評価のほか統一教会との関係性を含む)や規模(カネ)の相当性

②法的な正当性や根拠があるか(閣議決定だけで可能か等。人権云々を含む)

③国体=天皇制との関係を含む、現代日本で国葬という儀式を行うこと自体の意味・当否・あり方

開催前は、①の議論は盛んにあり、②も訴訟を起こす方がいるなどしたため一定の議論がありましたが(各地の弁護士会で表明された国葬への反対声明も、これを理由としています)、最も肝心というべきはずの③は、当時も今もあまり語られていません。

①は、詰まるところ価値観と多数決の問題でしょうし、それに対する評価は岸田内閣の存続や次回の総選挙の結果などの形で問われるでしょう。

②は、一般的な法律家の感覚からは、内閣府設置法は根拠にならないというべきだと思いますが、国民世論を動かす論点にはなりませんでした(所詮、議院内閣制ですし)。

③に関して、7月頃、反対派の学者さんが国葬自体が民主主義に反するなどと述べるものを見たことがあります。そこでは批判の理由として、山本元帥の国葬のように、戦前の皇族以外の著名人(権力者など)の国葬が政府の世論形成に活用(濫用?)されたことが挙げられていました。

しかし、米国など大統領制の国々では大統領=国家元首が亡くなると国葬が行われているほか、西洋諸国の中には、ごく普通の一般人でも、国の歴史の中で重大又は象徴的な役割を果たしたと認めれ国葬がなされる例もありますので、中身の検討もせずに、儀式としての国葬それ自体が民主主義に反するなどと言えるはずもありません。

そのように思っているうちに色々と考えが浮かんできたのが本稿のきっかけであり、以下では、その「中身」をテーマとして検討していきます。

2 国葬とは何か、何のために行われてきたのか

国葬とは、

国家を代表する者や国家が掲げる価値観などを体現する人物と国家・国民が認めた人間が亡くなった場合に、その者を追悼・顕彰することで、その者が存命中に体現した価値観を承継するよう国民に促し、ひいては国民統合や国家継続の糧としようとする儀式

だと認識しています。

先般のエリザベス女王は言うに及ばず、天皇の葬儀(大喪の礼)もいわゆる国葬にあたることは異論がないと思います。

そもそも、現代日本(戦後憲法下の社会)では、天皇は国家・国民の統合の象徴という価値を体現した存在とされています。

これ=統合の象徴としての機能は、戦後になって始まったものというより、古代から天皇が担っていた役割の核心部分であり、千数百年もの長きに亘り国家・国民に支持されてきた、強固な基盤を持った役割と言えるでしょう。

大喪の礼は、亡くなった天皇への厳粛な追悼を通じて、「象徴としての価値・役割に敬意を表し、各人に色々と意見や事情はあっても最後は天皇のもとで国民がまとまることができる社会(象徴天皇制)を後世の日本人も継承して欲しい」というメッセージが込められていると理解しています。

象徴天皇制が圧倒的に支持されている現行日本で大喪の礼(という形式で行われる国葬)に異論を唱える人はほとんどいないでしょうし、そのことは、大喪の礼が担う意味が以上のようなものであり、それを大多数の日本人が得心していることに基づくものと思われます。

他方、大日本帝国下の山本元帥や元老などについては、国家中枢が「陛下の股肱の臣であり国家運営の礎」と認定した御仁を臣下の鏡=国家目標の体現者として顕彰することを通じて、その御仁が推進し、又は否応なく担わされた政策(富国強兵であれ対米英戦争であれ)を今後も推奨する目的で、国葬が行われたように見受けられます。

国民=臣下全体がこれを範とし追従・実践させることが目的であり、だからこそ、敗色濃厚の戦時下で、山本元帥の死が、戦争継続のため利用されたと言えます(元老らに関しては、政策推進よりも単純に国家の功労への顕彰の意味合いが強いでしょうが)。

言い換えれば、国家体制の如何にかかわらず、国葬は、国家が掲げる価値観の体現者(求道者)であり代表者として国家・国民に広く認められ、かつ、その者の追悼を通じ、その者が掲げていた(であろう)価値観を、後世の国民も範として実践して欲しいと国家中枢・国民多数が感じる者に対してなされるべきものです。

そうでなければ、国家組織や国民の支持・共感が得られず、儀式として失敗に終わるはずです。

(以下、次号)