北奥法律事務所

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07月

沖縄放浪記(那覇出張と「残念な小話」)

岩手で弁護士をしていると一生に一度もあり得ないような話ですが、昨年、岩手に本社のある会社さんから、沖縄の企業との紛争に関するご依頼があり、半年ほど那覇地裁に係属する訴訟を手掛けてきました。で、先日の月曜に当事者の尋問があり、仙台空港便が1日1本しかない関係で、日曜に仙台空港から那覇に行き、火曜に帰ってきました。

初めての沖縄だというのに、直前まで尋問事項づくりに追われ、何も計画のないまま出発したものの、やはり勿体ないということで、時間の許す限り、色々と歩いてきました。

歴史ネタを中心に、考えたこと、書きたいことは山ほどありますが、仕事が山積していることもありますので、先に「残念な話シリーズ」だけ書きます。

①往路機内で、ひめゆりの塔が空港から割と近いことを知り、もともと沖縄に初めて行く本土人は、ひめゆりの塔と平和祈念公園に行かなきゃ駄目だろうと思っていた手前もあって、急遽、レンタカーを借りて出発。

が、空港着が3時、レンタカー出発が4時と出遅れた上、アウトレットの大渋滞のため通常より大幅に遅れ、5時過ぎ到着=ひめゆり平和祈念資料館の入館締切時刻に間に合わず。

②おまけに、レンタカー営業所行きのバス内に記録一式等が入った旅行用バックを危うく忘れそうになる。

③ひめゆりの塔→魂魄の塔→平和祈念公園のあと沖縄本島南部の絶景№1スポットと称されるニライカナイ橋に向かうも、なぜか下から上に向かって走ることになり、「絶景」を背にして橋の下部ばかり眺めて走行していた上、登り切った時点でレンタカーの返却時間に到底間に合わない感じになり、絶景の展望場所(引用サイト参照)まで歩くのを泣く泣く諦め、絶景を一切見ることなく終了。
http://sumalove.jp/8137/

余談ながら、この橋のすぐ近くに沖縄刑務所があり、しかも現在の那覇地裁の建物は、旧・沖縄刑務所の移転跡地に建てられたものとのこと(我が国の裁判所等は、大抵は城の近くに作られるので、首里城から遠く離れた場所に官庁街が作られていることに、遺跡保護や景観等の事情がありうるにせよ、少し意外感)。

④沖縄に誰も知り合いがいないので、1日目も2日目も夜はさびしく一人居酒屋(尋問当事者である当方関係者は、他の空港からの前夜着の日帰りでお付き合いいただけず)。

国際通り近くに宿泊したせいか、酒場放浪記に出てくる「おひとりさま向けの、お店の人と雑談できそうなカウンター形式の小料理屋」が見つからず、大勢の団体客の隅っこで本を片手にポツンと食べる(2日目は中国系アジア人家族客ばかりの「琉球舞踊の観覧付き料理店」に紛れ込んでしまい、外国で旅行してるような感覚でした)。

仙台空港行きの電車内で、「事前に、沖縄弁護士会に『震災直後から支援活動に携わった岩手の弁護士の有り難い体験談を聞いて、一緒に酒飲みに付き合ってくれる奇特な人この指止まれ』とFAXすれば、若手の1人2人くらい釣れたのかも」と後悔するも、時すでに遅し。

⑤月曜の尋問後、裁判官から和解協議の申入があり予定時間より大幅に遅れて終了。さすがに「観光しますんで協議には応じません」とは言えず。沖縄弁護士会館に寄り道するなど道草を食ったこともあり、首里城本体を見るのが精一杯で、識名園はおろか、玉陵も時間切れで行けず(玉陵は、先に終了だと気付いていれば、先回りして間に合ったと思うと悔やまれる)。

⑥旅行会社からTギャラリア(旅行者向け高級ブランド免税店)の1000円割引券を貰っていたのに、その日に限って忘れる(それを理由に、見るだけショッピングで終了)。ホテルの朝食も寝過ごすなど、毎度ながら金券類の無駄が甚だしい。

⑦最終日も寝坊して玉陵や識名園に行けず、県立博物館(兼美術館)の常設展示だけ見て帰る。ちなみに、ここの建物は、何となく最高裁に似ています。

⑧登山したわけでもないのに、足に結構マメが出来た。

とまあ、沢山の宿題が残った沖縄行きでしたので、受任事件を解決させた上で、次は何とか頑張って旅行者として訪れたいと願っています。

JCIクリードと日本国憲法の不思議な関係と、JCにこそ求められる憲法学

2年前、JC(青年会議所)の例会の際に必ず唱和している「JCIクリード」という綱領的なものが、日本国憲法の理念ないし構造と酷似していることを述べた投稿を、旧HPに掲載したことがあります。

現在、集団的自衛権に関する法案を巡って政争や反対運動が激化していますが、憲法改正を悲願の目標にしている安倍首相が長期政権化した場合、経済に一定の成果が生じた(とされた)時点で、ご自身が希望する改憲論議を拡げていこうという気持ちは強いと思われます。

日本JCは、以前から自民党以上に復古調・民族主義的な憲法改正案を掲げており、今後、そうした動きに同調した運動を各地JCに実施するよう求めてくることは十分考えられることだと思います(今年は、「国史」という言葉ないし概念を強調する活動をなさっているのだそうで、肯否云々の評価はさておき、その点も、その一環なのでしょう)。

もちろん、JCの会員マジョリティは、日本国憲法との関係では穏健(良くも悪くも無関心)な立場の方が圧倒的で、日本JCの議論を主導しているのは上記の国家観・憲法観を持つごく一部の方なのだろうとは思います(その意味では、これと反対方向のベクトルを持つ日弁連によく似た面があります)。

それだけに、JC会員の方々が、憲法の基本的な考え方、実務を含む過去に積み上げられた憲法学の一般的、平均的な物の見方を学ぶ機会を、もっと持っていただきたいと、JC在籍中にそうした営みに関わる機会に恵まれなかった身としては、残念に感じています。

というわけで、2年前(平成25年)に掲載した文章を再掲することにしましたので、当時ご覧になっていないJC関係者などの方は、お目通しいただければ幸いです(最後に少し加筆しています)。

*********

JC(青年会議所)には、「JCIクリード」という綱領的なものがあり、毎月1回の例会の場などで、全員で唱和することになっています。JC関係者には申すまでもないことですが、ご存じでない方は、全国各地のJCのWebサイトなどをご覧になれば、全文が載っています。

ご参考までに、福生JCのサイトが分かりやすいので、紹介します(同サイトに表示されている訳文は、JC手帳に載っているものです)。

この「JCIクリード」ですが、弁護士に限らず法についてそれなりに勉強した人間が読むと、日本国憲法の基本原理とよく似通っていると感じるはずです。今回は、この点について、少し書いてみたいと思います。

順番とは異なりますが、最初に「That government should be of laws rather than of man」という箇所をご覧下さい。

手帳(公式の訳)には「政治は人によって左右されず法によって運営さるべき」とありますが、日本国憲法の理念(基本原理)の一つに、これと同じような言葉が用いられています。

同業の方には申すまでもありませんが、今回は、そうでない方(主にJC関係者などでこの文章をご覧いただいている方)向けに書いていますので、少し丁寧に書きますと、その理念を「法の支配」と呼んでいます(76条、81条等)。

「法の支配」とは、憲法学上は、国家は個人の正しい権利を保障する正義の法に基づき運営されなければならず、法律上の根拠に基づかない恣意的な人の支配はもちろん、国会が多数決を濫用して人権を抑圧するような法律を制定した場合も無効にすべきという理念であり、憲法学ひいては法律学全体を勉強する際に、最初に勉強しなければならないことの一つです。

次に、「That earth’s great tresure lies in human personality」をご覧下さい。

手帳には「人間の個性はこの世の至宝」とありますが、日本国憲法では、個人の尊厳(13条。文言は「尊重」ですが、講学上は「尊厳」と表記)という言葉が用いられています。

憲法学上は、憲法に定める個々の人権保障の規定や統治機構のシステムはすべて、個々人の「人としての尊厳」を守ることを根本的な目的としており、個人(人間)の尊厳は日本国憲法の最高原理であると言われています。

次に、「That faith in God gives meaning and purpose to human life」をご覧下さい。

手帳には、「信仰は人生に意義と目的を与え」とありますが、日本国憲法も、信教の自由(20条)を定めるほか、これと隣接する個人の精神的な営みの自由を保障する権利として、思想良心の自由(19条)や表現の自由(21条)を定めており、これらは憲法上、特に保護されるべき自由ないし権利とされています。

次に、「That the brotherhood of man transcends the sovereignty of nations」をご覧下さい。

手帳には「人類の同胞愛は国家の主権を超越し」とありますが、日本国憲法が前文で非常に理想主義的な国際平和協調主義を謳い、その象徴的な規定として憲法9条を掲げていることは、よくご存知だと思います。

次に、「That economic justice can best be won by free men through free enterprise」をご覧下さい。

手帳には「正しい経済の発展は自由経済社会を通じて最もよく達成され」とあるところ、日本国憲法も、財産権の保障に関する規定(29条)などを通じ、資本主義を基調とする自由主義経済体制を規定しているとされています。

そして、ここまでの説明で概ねお分かりのとおり、これらの部分は、日本国憲法の中でも、重要な原理に関わる肝の部分であり、JC会員の方々は、JCIクリードを唱えながら、実はある意味、日本国憲法の勉強もしているのだと考えていただければと思っています。

ところで、クリードの最後の部分、「That service to humanity is the best work of life」についての説明を敢えて飛ばしました。

手帳では「人類への奉仕が人生最善の仕事である」と記載されていますが、私の理解の範囲では、このような趣旨のことを定めた規定は、日本国憲法には存在しません。

どうしてか、その理由は分かりますか。

日本国憲法は、個人の自由と尊厳を根本原理とし、それを政府が国際社会の力を借りて守っていくという観点から作られています。そのため、個人がどのように生きるべきかという一人一人の生き方の問題について、敢えて道標となる規定を設けず、各人の判断に委ねています。

これに対し、JCは社会のリーダーたらんとする方々の集まりですので、リーダーたる者は人類社会全体に奉仕する者でなければならないという理念を最後に置いて締め括っているのです。

そのような観点から最後の文言以外の箇所を見れば、それらは、リーダーの必須条件たる奉仕の精神を発揮するための前提条件に関する考えを述べたものと言うことができると思います。

ところで、どうして、JCIクリードと日本国憲法がこんなにも似通っているのか、その正確な理由は私には分かりませんが、両者の成立過程に思いを致すと、そこには共通の基盤らしき不思議な関係があるように見えます。

ご存知のとおり、日本国憲法は、日本国民が自力で元の政府を倒して作り上げたものではなく、大日本帝国軍が米国を主力とする連合国軍に滅ぼされた後、GHQが主導する形で策定され、大日本帝国憲法の改正手続をとって1946年に制定されたものです。

ですので、これを征服者たる米国の押しつけと見るか、日本国民が旧帝国軍が幅を利かせた旧政府にうんざりしてGHQの勧めに応じ自ら選び取ったと見るか、見解が分かれるところでしょうが、かなりの部分が米国に由来するということ自体は間違いないと思います。

他方、JCIクリードが最初に策定されたのは奇しくも日本国憲法の成立と同じ1946年、日本JCのサイトでは、米国人ビル・ブラウンフィールド氏が立案したと紹介されています。この方と、日本国憲法立案の主要人物とされるGHQのケーディス大佐は、接点があるかは全く分かりませんが、少なくとも概ね同年代と言ってよいと思います。

ちなみに、ケーディス大佐は、wiki情報によればハーバード大法科大学院を卒業したエリート弁護士だそうですが、ブラウンフィールド氏については、炭坑実業家だと記載したサイトを発見したものの、その人物像はよく分かりません。

ともあれ、両者とも米国で同じ時代を生き、当時の米国の理想主義を強く育んでいたという事情が、双方の類似性の大きな原因となっているのではないかと私は考えています。

JCは様々な目標や課題などを掲げている団体ですが、日本国民たるJC会員の方々にとっては、それらの目標、課題に取り組む際に、上記で述べたJCIクリードや日本国憲法の原理、さらには両者の複雑な関係にも思いを致していただければと思っています。

以下、今回の再掲にあたり加筆した部分です。

ところで、日本JCも憲法改正案を公表していますが、その内容を見ると、上記で解説した「JCIクリードとよく似た、日本国憲法の特徴的な部分」の幾つかについては、相当に改変ないし後退している印象を受けます。

特に、改正案は現行憲法と比べて民族主義、国家主義(国家主権?)的な面を強調し現行憲法の国際協調主義や自然権思想(人権は国家が付与するものではなく人に当然に備わっているという考え方)が大きく後退しているため、その点は、JCIクリードとも異なる思想と言うべきでしょう。

改正案(JC憲法案)を策定した日本JCの方々が、JCIクリードの破棄や改訂も求めて運動されているのかは存じませんが、そうした両者の関係性などについて、ご認識・ご意見を伺う機会があればとは思います。

ちなみに、「JC 憲法改正」などと検索すると、憲法意識の向上(改憲世論の高揚?)を目的とした運動に対する批判なども見つけることができます(引用したのは、いわゆる「市民派」の方のサイトのようにお見受けしますので、思想的にも真っ向対立という感じはありますが)。

余談ながら、JCも日弁連も、名実ともノンポリの方が中核をなす強制加入団体であるのに(JC会員の多くが、様々な人間関係などから半ば強引に入会に至ることは、笑い話ではありますが、必ず語られることです)、一部の人が団体の名前で先鋭化した活動をし、残りの大多数が関心を示さず放置、放任している(先鋭化している面々も、会員マジョリティと広く誠実な対話をして支持を得ようとする努力をあまり感じず、宣伝的な広報ばかり見かける)という点で、よく似た印象を受けます。

私自身は、大多数の国民(フツーのJC会員や弁護士を含め)は、党派的な主義主張を伴う極端な言説・現状変更ではなく、日常面の不具合を少しずつ改善するような穏健な議論・方法論を好んでいると思いますし、弁護士会もJCも、そうした中間派・ノンポリ層というべき大多数の国民のための憲法学、憲法論をこそ興すべきではないかと思っています。

残念ながら、そのような観点での有志による具体的な活動はほとんど(全く?)見られず、「憲法」を冠した小集団は、いずれも特定の党派的な主張を好む方々が、ご自身の見解を披瀝するための集まりになっているに止まっていると感じています。

本来であれば、異なる思想の持ち主と対話し、実務的、事務的な制度、慣行を中心に、穏健な方法での現状の改善を図る地道な営みが行われるべきではないか(それこそが、日本国憲法やJCIの理念、理想ではないのか)と思いますが、そのような光景を見かけることはほとんどありません。

法律実務家の集まりである弁護士会にも、様々な職業人の集まりであるJCにも、そうした各論的な地道な取り組みや意識の喚起を期待したいところですが、この種の問題に力不足の私には、高望みなのでしょうか。

私としては、JCIクリード(JCIの理想)は、米国で生まれたキリスト教の理想主義に基づく普遍的な人権思想に基づくもので、「それを組織の象徴として受容し掲げながら、それでもなお(或いは、そうであるがゆえに)民族主義的な思想信条を標榜せずにはいられないという矛盾」を抱えているように見える日本JCの姿こそ、とても人間的というか、日本ひいては戦後世界の姿を凝縮したような面があると思います。

そうであればこそ、JCの方々には、この矛盾と向き合い、苦しみながら、世界の人々が「個人の普遍的な尊厳と民族の矜持」(JC宣言に倣って個人の自立性と社会の公共性、と言い換えてもよいと思いますが)の双方を生き生きと協和させることができる姿を社会に示していただければと願っています。

日弁連人権擁護大会と不法投棄事件のいま

現在、今年の10月に千葉県で開催される、日弁連の人権擁護大会・第3分科会の実行委員をつとめており、その関係で、先日、久々に東京に行ってきました。

日弁連の人権大会は、年1回、特定の都道府県を会場にして行っているもので、平成22年に盛岡で開催された際には、不法投棄対策をテーマとする分科会が行われ、私も実行委員会の事務局次長という肩書で、色々とお手伝いをしたことがあります(当事務所サイトの「公益活動」欄に付記しています)。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2010/2010_3.html

今年の第3分科会も、「放射能とたたかう~健康被害・汚染水・汚染廃棄物~」と題して、公害対策環境保全委員会の3つの部会の方々を中心に準備が行われており、表題のとおり、福島第一原発の事故に伴う諸問題のうち、千葉県でも比較的関心が高い論点とされている、健康面、汚染水対策、汚染廃棄物対策に焦点を絞って取り上げるものとされています。
http://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/organization/event/gyoji_jinken2015.html

私は、東北弁連枠の任期切れに伴い委員の資格を失ったものの、廃棄物部会の関係者ということで、実行委員会には加えていただいています。

とはいうものの、部会から離れて久しいことや原発関連については岩手では盛り上がりに欠けることなど諸般の理由で、恥ずかしながらあまり参加することができない状態が続いてました。

ただ、先日の会合では、従前の部会の取り組みが、「放射性物質汚染対処特措法」をはじめとする現在の汚染廃棄物(一定量以上の放射性物質が付着した廃棄物)の処理スキームの問題点の指摘が中心となっていたのに対し、それ以外の問題、例えば汚染廃棄物の不法投棄等事案の問題や対策などについても提言すべきではないかという話題が出ました。

具体的には、滋賀県高島市などで発覚した「汚染廃棄物(多量の放射性物質が付着し再利用不可能な木くず)の不法投棄事件」の解決(未然防止を含め)のあり方などにも触れるべきではないかということです。

それであれば、平成22年の人権大会の成果(不法投棄等対策)を生かした形で提言等できる点が多々あるのではないかと思われ、そのような趣旨の発言をしたところ、飛んで火にいるといった体で、そのまま、基調報告書の該当部分を作成して提出せよと言われてしまいました。

私自身、今回の人権大会が廃棄物問題を含むものであるのに平成22年大会の内容を振り返る面が希薄ではないかと、その限りでは今回の取り組みに残念な印象を受けていたこともあったので、私の担当箇所では、平成22年の決議や基調報告書を紹介して、当時の議論を知らない(又は忘れた)方に再発見を促すような文章にしたいと思っています。

また、高島市事件に関する滋賀県の報告書を拝見しましたが、汚染廃棄物の特殊性として、同県内の処理施設が受入(中間処理等)を拒否しており、県が費用負担して行政代執行による撤去をしたくても、県から中間処理を受託する業者がいないので、代執行すらできない状況にある、という点が触れられており、広域的に汚染廃棄物が不法投棄等された場合の弊害の一つとして、特に留意されてよいのではと感じました。

ともあれ、10月1日は私も参加予定のつもりでいますので、千葉や東京の方に限らず、この種の問題に関心のある方々には、奮ってご参加いただければ幸いです。

早慶戦vs北東北トリコロール三国志

先日、野球の早慶戦に関して作成されたポスターが、鮮やかな赤と青の組合せ、構成の巧さや印象的なキャッチコピーなどを巡って、FBをはじめネット上で大いに話題になっていました。
http://www.asahi.com/articles/ASH5X552PH5XUTQP024.html
http://full-count.jp/2015/06/04/post12180/

これについて、ふと思ったのですが、

①赤と青に白を加えれば、フランスの国旗(トリコロール)になる。

②二戸地域は、北東北3県(の境目にある二戸や3県の周辺地域)を「トリコロールエリア」と称して、振興目的の雑誌を刊行している。

③他方で、増田県政の初期には、道州制論議なども絡んで3県の連携なども話題になったが、流行の廃れか県境不法投棄事件の影響?か、その後は連携気運が冷え込んだまま、現在に至っている。

④北東北3県は、地理的・歴史的な事情もさることながら、人口減少や自殺(自死)問題など共通の地域課題も多く、相互の連携ないしそれを前提とした一体となった地域づくり、アピールが必要なエリアである。

というわけで、北東北3県も、早慶戦ポスターの真似をして、二者対決ならぬ三つ巴の対決を演出して、共同して対外的なPRをしても良いのではと思いました。

その場合も、「トリコロール」ではピンと来ませんので、「北東北三国志」などと対決色をイメージさせるようなキャッチコピーを作ってはいかがかと思います。

また、3県の色の配分を決めなければなりませんが、青は「青森」でしょうし、秋田は「秋→紅葉」のイメージで赤でしょうから(県旗も赤色ですし、佐竹家の華やかなイメージがありますし)、残った白が岩手ということになりそうです。実際、岩手は3県の中でも一番、地味なイメージがありますので(ブランド力ランキングでも3県で一番下ですし)、白がお似合いというべきかもしれません。

余談ながら、前記の「トリコロール」という雑誌も、少し調べただけですが、北東北3県で色の配分をしているのか、よく分かりませんでした。イメージ戦略という点からは、なるべくカラーをはっきりさせて売り出すべきではと思います。

で、ポスターないし対決ごとのキャッチコピーですが、さしあたり、早慶戦ポスターを真っ正面から真似ると、チアリーダー対決編では、こんな感じになるでしょうか。

「のぞみん以来パッとしないわね、秋田さん」
「学歴自慢で炎上がお似合いよ、岩手さん」

青森は?というと、秋田が近いこともあり、いわゆる美人県のイメージは間違いないと思うのですが、著名人だと藤川優里市議しか思いつかず、若い女性タレントさんのイメージがあまりありません。ネット検索で、新山千春さんがいることを思い出しましたが、ケンミンショーで見かける以外に存じておらず、すいませんが、ネタとして思いつく話がありません。

あと、念のため付記しますが、上記はネット上で流布されているニュースをネタにしたジョークの類であり、他意はありませんので、当事者(まかさご覧になるとは思いませんが)及びファンの方々はご不快な思いをなさらないよう、ご寛容とご容赦のほどお願いします。

他にも、子供同士が自県の妖怪ネタ(座敷わらし、なまはげ等)をネタにして張り合うパターンも、妖怪ウォッチ全盛の現在、受けが良いのではと思います。妖怪自身が登場して早慶戦ポスターを真似れば、こんな感じでしょうか。

なまはげ「太平洋側のこども達の泣き叫ぶ声が、イチバンのごちそうだよ」
河童+座敷わらし「おどかす以前に日本海の大雪に埋もれないよう、ご自愛するのである」

河童+座敷わらしは、パッカー大佐と「ぼっこ」を採用してもよいでしょうし、余勢を駆って、「鉄神ガンライザーvs超神ネイガーvs跳神ラッセイバー」というヴァージョンを考えてもよいと思います。

あとは、知事に武将風の格好をしていただき、

「津軽(弘前)と南部(八戸)の内乱を煽動し、青森を弱体化させるのじゃ」
「岩手こそ、伊達(県南)を唆して南部(盛岡)を挟み撃ちじゃ」

といったパターンも考えられますでしょうか。早慶戦ポスターの真似にこだわるのなら、

青森県知事「トラウマになるまでホラ吹いてやる、岩手のことを」
岩手県知事「思うぞんぶんホラ吹かせてもらうよ、青森の空に」

といったところかもしれませんが、さすがに悪ノリ的で、無理がありますね。

あと、3県で全国トップを占める産物などがあれば、それをネタにすることも良いのではと思いますが、「3県で全国1位~3位を占める産物」というのも、あまり聞いたことがないように思います。

「3県で全国トップ独占」というと、自殺率や人口減少などという暗い話題をイメージしてしまいますが、後者はまだしも前者はコピーに使うのは賛否両論ある(よほど巧く作らないとバッシングの嵐になる、反面、巧く作れば自殺防止キャンペーンとしても生かせる)ということになりそうです。

早慶戦ポスターをそのまま拝借すれば、こんな感じでしょうか。

「岩手に勝つだけのワースト脱出など、したくない(秋田)」
「三県そろって皆が幸せな国になってこそ、意味がある(岩手、青森)」

特産品に関してはリンゴ(青森)も米(秋田)も1県が他を圧倒していますし、桜も世間的には青森(弘前)、秋田(角館)、岩手(北上)で順位が固定されており、対決形式としては盛り上がらないのかもしれません。

ただ、こうして幾つか見てみると、青森・秋田に比べると、岩手には自慢できるような1番がどれほどあるのか、心許なくなってきます。

すぐに思い浮かぶのは漆ですが、ネタの地味さもさることながら、他の2県では生産自体を聞いたことがありません。あと、岩手が生産量1位と言えば、アワビとワカメとホップくらいでしょうか。

これらも、「原料供給のみで、加工品として全国区のネタ(ブランド商品)が乏しい」という残念な実情のせいか、お国自慢のネタとしてはあまり盛り上がらないようにも思われ、そのことも、「地味な岩手」を象徴する事象というべきなのかもしれません(企業チックに言えば、下請ばかりで自社の有力PB商品がない会社、という感じに見えます)。白だけに、「オシラサマがお似合いよ」、とかチアリーダーに言われてしまいそうですが、逆転の発想で、「地味っぷり日本一」とでも叫んで売り出すのも、岩手の賢明な選択なのかもしれません。

私はケンミンショーが好きで、ビデオに撮って(お約束シーンに限らず全編をじっくり見る転勤ドラマ以外は)早送りで飛ばしながら見ているのですが、同じ「3県」でも、北関東3県は県民やタレントさん同士が元気に張り合うシーンがよく登場し、ある意味、羨ましく感じています(この3県は、平均寿命でも東海地方や沖縄と並んで上位に来るようで、塩分とアルコール取りすぎ三兄弟というべき北東北3県にとっては学ぶべきところが多そうです)。

「北奥」法律事務所の看板を掲げる身としては、ぜひ北東北3県の交流・連携を盛んにしていただきたいところであり、北関東3県などを見習い、互いに連携して盛り上げる努力を行っていただきたいものです。

少なくとも、

「我が県(県民)の繁栄(生活)しか、考えてない」
というのでは、全国の方々に、

「それは視野せまい」と笑われることでしょう。

盛岡市(岩手県)は、ウルシ(国際電波科学連合)の総会を誘致すべき

先月の日経新聞「私の履歴書」は、前・京大総長で現・理化学研究所の理事長である松本紘氏が執筆されていたのですが、6月20日の記事で、ウルシ(URSI。国際電波科学連合)という団体の会長を務めていたという話が取り上げられていました。

このウルシ(国際電波科学連合)という団体は、電磁波の研究者による国際的な学術団体とのことですが、エレクトロニクスや電波天文学、医療用電磁気学など、電磁波ないし電波に関する様々な領域を扱う団体で、宇宙研究とも関わりが深いのだそうです(そもそも、松本氏ご自身が我が国の宇宙科学の第1人者のようです)。

このように、「ウルシ」と「宇宙学」の2つを聞くと、二戸人としては、沸き立つような感情を抑えることができません。

すなわち、「ウルシ」は、偶然だとは思いますが、「漆」に通じるところ、二戸(浄法寺)が漆の日本一の産地であることは地元民は当然知っている(べき)事柄です。この点は関係者のご尽力もあり、その知名度は確実に上がってきていると思います。

そして、「宇宙」「電磁波研究」ですが、このブログでも何度か取り上げたとおり、我が国の物理学の創業者の一人である田中舘愛橘博士は、二戸の出身であり、とりわけ、宇宙学・地震学や後進の育成などで多大な功績を残したとされています。

例えば、松本氏のこの日の記事には、日本最初の文化勲章受章者である長岡半太郎博士(戦前の宇宙研究の第一人者)がウルシの副会長を10年間務めたとありますが、長岡博士は(wikiによれば)若い頃は愛橘博士のもとで学んだのだそうです。また、愛橘博士のwiki情報にも電磁気学の研究が取り上げられており、何らかの形で愛橘博士もウルシとも関わりを持っていたのではないかと思われます。

このように、二戸は、「ウルシ(漆)」と「宇宙学・電磁波研究」の双方に、大きな関わりがあるわけで、このような街が、ウルシ(国際電波科学連合)と何の繋がりも持たないのであれば、地元民(出身者)の素朴な感情としては、恥ずべきことだと言っても過言ではありません。

とはいうものの、さすがに、国際的な学術団体の世界会議(総会)を、二戸市が誘致できる力があるはずもありません(少し調べたところ、京都で開催されたことはあるのだそうで、松本氏が京大出身であることも影響しているのでしょう)。

これに対し、隣県の宮城(仙台)では、先般、国連防災世界会議という世界的な会合を誘致して成功を収めており、ウルシの総会の規模などはまったく分かりませんが、多分、仙台であれば、誘致先としては何の問題もないのだろうと思います。長岡博士は東北帝大の創設にも関わっているそうで、その点でも繋がりがありそうです。

しかし、二戸人ないし岩手県民としては、可能なら盛岡での誘致を目指して活動していただきたいところです。ウルシには10もの分科会があるそうですから、被災地(沿岸)なども含め、主会場と10の分科会を両県で分散させる形の開催も提案してよいのではと思います。

とりわけ、岩手・宮城は長年に亘りILCの誘致活動をしているわけですから、電磁波とILCにどこまで学問的な繋がりがあるかは分かりませんが、「宇宙つながり」或いは世界中の宇宙研究に取り組む科学者を誘致することの前哨戦という点で、両県が協力して取り組む意義が大いにあると思います。

さらに言えば、松本氏の連載によれば、宇宙に関する電磁波の実践的研究の一環として、「宇宙太陽光発電」というものが研究、計画されているのだそうで、これが実用可能になれば、原発や火力に代わる有力な電力調達の手段になるのかもしれず、脱原発という福島も絡めた形(被災地3県の連携開催)でも、話を膨らませることができるのかもしれません。

松本氏の記事によれば、ウルシの総会は、内部のプレゼンと投票により決定し、日本は(当時)米国に次ぐ票数を有しているのだそうです。二戸市も、大がかりな話は県庁などにお願いするにしても、例えば、浄法寺漆器を多数調達して、松本氏をはじめ、世界中のウルシの役員さんに贈答することから初めても良いのでは?などと思わないでもありません(当家でも愛用している夫婦椀や箸くらいなら、FIFAと違って?ワイロというほどの額でもないと思いますが・・)。

また、岩手県知事選・盛岡市長選の候補者(や支援者)の方々におかれては、ウルシの総会誘致を公約の一つに取り上げることも検討なさってはいかがでしょうか。

かくいう私も、亡父の命令で、二戸市の「田中舘愛橘会」の名ばかり会員になっているのですが(盛岡でいう、タマちゃんならぬ原敬を想う会のようなものです)、愛橘会の方々にとっても、活動内容(目標)の一つとして考えていただければと思っています。