北奥法律事務所

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09月

感動は小さな一歩から

今年の夏休みの際に、東京スカイツリーの展望台に初めて登りました。

眺望は見事なものでしたが、高所からの風景を楽しむという点では、私には登山の方が性に合っているような気がします。

“汗かかぬ空木塔より空木岳”

というのが、率直な印象でしょうか。

修習生時代(卒業試験後の休暇)にペルーのナスカの地上絵に行ったことがあり、その際も、セスナ機で空中から様々な地上絵を眺めるより、地上の観測塔から小さな地上絵や様々な直線を眺める方が心に残りましたので、感動は、自身の努力や身体感覚に合致するものでなければ、成立しにくいのかもしれません。

まだ中央アルプスに足を踏み入れる機会には恵まれていませんが、最近、登山への意欲(執着)も復活してきたので、受験生時代に計画だけで終わってしまった「木曽駒から空木岳の縦走ルート」の再検討を考えたいと思います。

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余談ながら、展望台(最上層)にバッタが来ており、よくぞ登ってきたと誉めたくなりました。

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安倍首相談話と小沢氏談話から学ぶ、法の支配と民主主義

安倍首相の「戦後70年談話」を巡っては色々と議論もあるようですが、内容についての論評はさておき、文章としての読み応えや読みやすさ、一読了解性という点では、過去の2首相談話よりも遥かに秀逸だと思いますし、それは首相個々の資質の差というより、現在と当時の日本の置かれた状況の違いによる面が大きいのだろうと思っています。

他方、ネット上で流れていた小沢一郎氏の「70年談話」も拝見しましたが、安倍首相の談話に引けを取らず、読み応えのある文章だと思いました。また、双方を読み比べてみると、互いの政治理念の差(ひいては、民主政治のあり方や統治機構に関する憲法観の違い)が見えてくる面があるという点でも、興味深いと感じました。
http://blogos.com/article/128288/

なお、安倍首相談話については、仙台の小松亀一先生のHPに、村山首相・小泉首相の談話と共に掲載されているのが参考になりますので、ご紹介します。
http://www.trkm.co.jp/syumi/15081501.htm

双方の違いとして私が感じたことを少し具体的に述べると、小沢氏の談話では、大日本帝国が草の根の民主主義を軽視し庶民を残酷に取り扱っていた(大戦直前の混乱はその帰結である)ということが強調されており、これは、満州事変以後に大日本帝国が道を誤ったという観点を強調しているように見える安倍首相の談話では、ほとんど指摘されていない視点だと思います。

韓国が「植民地支配を謝罪しろ」と言い続けることに抵抗感を感じる方も多いと思いますし、そのことを安易に批判するつもりもないのですが、帝国内に重いヒエラルキーがあり、朝鮮人であれ日本人であれ、ピラミッドの下の方に属する人にとっては非常に抑圧的な体制があったことは、理解、認識が必要なのだろうと思います。

また、小沢氏が、現在の課題について、「内実ある民主政治の定着」を強調しているのに対し、安倍首相談話が「今後の課題」を列挙した後半部分では、その点(民主主義)はほとんど強調されていません。むしろ、憲法学を勉強した人間からは、「民主主義と緊張関係を持つ原理」としてすぐにピンと来る「法の支配(自由主義)」の言葉が重要なタームとして登場し、女性の人権や自由主義経済体制など、自由主義と親和性のある話題が主に取り上げられているように感じます。

ですので、アンチ安倍首相の人が批判的に談話を解釈すれば、「自由や平和、福祉を強調するが、民主主義(その実現の過程における、民主的な意思決定)を強調していない。これは、国権主義・官僚主義的な政治思想が背後に潜んでいるからではないのか」という見方も出来るのかもしれません。

少なくとも、法の支配=自由主義は、多数決を排斥してでも国の力で一定のルールを守る・守らせるという点で、官僚主義的な側面があることは確かだと思います。また、国権主義云々が、安保法案などを巡って安倍首相が批判されるキーワードであることは、しばしば語られるところだと思います。

裏を返せば、アンチ小沢氏の人が批判的に同氏の談話を解釈すれば、「法の支配=自由主義に関する話題が一切出てこない、金権問題で司法と対決し失脚した小沢氏(ひいては田中角栄系)らしい談話だ」などという見方も出来るのかもしれません。

私は、大学で憲法の勉強を最初に始めたとき、その年に司法試験に合格された大先輩の方から、「憲法学、なかんずく統治機構の本質は、自由主義(法の支配)と民主主義という、相対立する2つの基本原理の対立と調和である。主要な論点では必ずこの問題が出てくるので、常に意識するように」ということを強調されました。

もちろん、どちらの理念を重視するかは、個人の思想良心(主権者としての政治的決断)の問題であり、双方の理念にヒエラルキーを付けるのが憲法学の発想でないことは、申すまでもありません。

安倍首相と小沢氏の双方の談話を読み比べることで、ご自身が、現在、自由主義と民主主義のどちらに重きを置いて社会と向き合っているか考えてみるのも、意義があるのではないかと思います。

また、民主党全盛の当時を含め、小沢氏の主張を見ていると、三権分立の中でも議会の影響力を優先(優位)に考える発想の強い方(「国権の最高機関」に関する統括権能機関説。憲法41条参照)と認識しており、三権を同格に考える通説的見解(政治的美称説)とは一線を画しています。

こうした、当否ないし支持の是非はどうあれ、「憲法学も視野に入れた政治哲学を感じさせる国会議員さん」は、残念ながら我が国には実に少ないように感じており、小沢氏の引退が視野に入ってきている現在、そうした「憲法=国家統治などのあり方を巡る視野の大きい議論」ができる人材を国政の場に送り出すことができているのかという点で、今こそ、国民に問題意識が広く共有されるべきではと感じています。

余談ながら、先日、オレオレ詐欺に従事する若者達の内幕などを論じた「老人喰い」という本を読んだのですが、小沢氏談話に登場する青年将校のテロと同一視するのは行き過ぎであるにせよ、主として貧困層出身の若者によるテロ行為という面で、通じるものがあるように感じました。
http://president.jp/articles/-/15501

岩手県知事選の顛末と安易になぞらえるつもりはありませんが、仮に、現在の自民党政権が、民主政の過程を軽視する側面があるのだとしたら、或いは、格調高い安倍首相談話をあざ笑うような事態が、水面下で進むということも危惧されるのかもしれません。

ダークツーリズムから学ぶ、いわての社会と歴史

社会の負の歴史に関する施設や現場の痕跡を訪ねる「ダークツーリズム」が注目を集めているとの記事が流れていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150901-00000038-mai-soci

数年前も「負の遺産ツアー」という言葉を聞いた記憶があり、その際も提案したのですが、岩手でも、「誰かの尻拭いのため、巨額の税金の負担を強いられた例」として、次のような企画が考えられます。

【岩手県・税金ダークツーリズムの旅・1泊2日案】

・朝に、二戸駅集合→県境不法投棄現場(両県で撤去費600億以上)を見学

・午後に、松尾鉱山へ移動→地下水の中和処理施設(稼働に毎年数億円)と廃墟を見学→八幡平泊。

・翌日、盛岡競馬場(存続のため330億を公費融資)へ移動→貴賓室でレースを堪能しながら心ゆくまで黒字化に貢献下さい。

各事件についてご存知でない方は、次のサイトなどをご参照下さい(主に、公費負担を明示しているサイトを選びました)。

・岩手青森県境不法投棄事件
http://www.town.takko.lg.jp/index.cfm/9,1024,70,219,html

・松尾鉱山問題(鉱毒水処理)
http://www.jogmec.go.jp/mp_control/matsuo_mine_001.html

・岩手競馬問題(巨額赤字と存廃)
http://www.city.morioka.iwate.jp/iwatekeiba/keiba/006661.html
http://blog.goo.ne.jp/umaichi_news/e/7b11d380daf37594f0d63a5253014c06

ただ、県境事件に関しては、すでに現地での撤去作業はほぼ終了しているようで、青森県HPを見ても、植樹などの話ばかりになっていますので、私が平成15年(着工前)や20年(工事の真っ最中)に見たような、これぞ不法投棄現場というような光景にはほど遠く、「集客」という点からは、時機遅れなのかもしれません。
http://www.pref.aomori.lg.jp/nature/kankyo/kenkyo-archive-toppage.html

当時は米国の例に倣って、不法投棄現場の一部を保存して「酷い状態」が博物館的に見学できるようにすることも提言されていたように記憶しているのですが、結局、遠隔地(二戸市街など)も含め、不法投棄の有様を視覚的に伝える施設等は作られておらず、その点は些か残念に思います。

また、「人命が失われた」という意味での負の遺産なら、震災(津波被害)がすぐに思い浮かびますが、まだ悲しみの癒えない沿岸は、「復興・インフラ」ツーリズムには相応しいですが、現時点で「ダーク」を冠するのは適切ではないのだろうと思います。尤も、3年以上経過しても更地状態が続いているエリアは、別の意味で、ダークなのかもしれませんが。

人命絡みでは、上方軍の謀略で城内の数千人が皆殺しにされたと伝えられる九戸城も立派な「ダークツーリズム」遺産かもしれませんが、さすがに、現在の風景から凄惨な光景を想像するのが難しいでしょうね・・(公園のように整備される前の鬱蒼とした時代なら、そうしたものもイメージできたかもしれませんが)

税金絡みの不祥事(ダークな事件)では、「大雪りばぁねっと事件」も記憶に新しいところですが、「御蔵の湯」が撤去され、当時を偲ばせるものもほとんど残っていないのではないかと思われます。

「負の遺産」は、人命系(戦争、天災、公害など)、人道系(強制労働・隔離など)、環境破壊系、税金系(税金が酷い使い方をされたり後始末のため巨額の公費負担を強いられたもの)などが挙げられると思います。

秋田の鉱山では強制徴用があったと聞いたことがありますが、岩手でもそのような話はあったか聞いたことがなく、上記の観点から、地域の歴史や社会を勉強することも意義があると思います。

また、こうして見ると、負の遺産が分かりやすい姿で後世に残ることは必ずしも多くはないように思われます。県境不法投棄のように、全てを残すことは難しいのでしょうから、地域の博物館などのリニューアルに際し、「負の遺産コーナー」的なものを作ったり、いっそテーマパークのような再現的なものを考えてみるのも意義があることではないかと思います。