北奥法律事務所

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2015年

今も日本と世界に問い続ける「原敬」の足跡と思想

昨日は盛岡出身の戦前の大政治家・原敬の命日ということで、菩提寺や生家跡の記念館で追悼行事がなされたとのニュースがありました。
http://news.ibc.co.jp/item_25696.html
http://news.ibc.co.jp/item_25691.html

盛岡北RCの例会でも、地域史などに圧倒的な博識を誇る岩渕真幸さん(岩手日報の関連会社の社長さん)から、原敬の暗殺事件を巡るメディアの対応などをテーマに、当時の社会や報道のあり方などに関する卓話がありました。

途中、話が高度というかマニアックすぎて、日本史には多少の心得がある私でも追いつけない展開になりましたが(余談ながら、前回の「街もりおか」の投稿の際も思ったのですが、盛岡で生まれ育った人はマニアックな話を好む方が多いような気がします)、それはさておき、今の社会を考える上でも興味深い話を多々拝聴できました。

特に印象に残ったのは、「原敬を暗殺した少年は、無期懲役の判決を受けたが(求刑は死刑)、昭和天皇即位等の恩赦により10年強で出獄した。その際、軍国主義の影響か反政友会政治の風潮かは分からないが、暗殺者を美化するような報道が多くあった。そのことは、その後の戦前日本で広がった、浜口首相暗殺未遂事件や5.15事件・2.26事件などのテロリズムの素地になっており、マスコミ関係者などは特に教訓としなければならない」という下りです。

「大物政治家を暗殺した人間が美化される」という話を聞いて、現代日本人がすぐに思い浮かぶのは、韓国や中国における安重根事件の美化という話ではないかと思います。

安重根の「動機」や伊藤博文統監の統治政策について、軽々に論評できる立場ではありませんが、少なくとも、「手段」を美化する思想は、暴力(武力)を紛争解決の主たる手段として放棄したはずの現代世界では、およそ容認されないものだと思います。

それだけに、仮に、中韓の「美化」が手段の美化にまで突き進んでしまうのであれば、それらの国々が戦前日本が辿ったような危うい道になりかねない(ひいては、それが日本にも負の影響を及ぼしかねない)のだという認識は持ってよいのだと思いますし、そうであればこそ、「嫌韓・嫌中」の類ではなく、彼らとの間で「日本には複雑な感情があるが、貴方のことは信頼する」という内実のある関係を、各人が地道に築く努力をすべきなのだろうと思います。

私が司法修習中に大変お世話になったクラスメートで、弁護士業の傍ら世界を股に掛けた市民ランナーとして活躍されている大阪の先生が、韓国のランナー仲間の方と親交を深めている様子をFB上で拝見しており、我々東北人も、こうした営みを学んでいかなければと思っています。

ところで、wikiで原敬について読んでいたところ、原内閣が重点的に取り組んだ政策が、①高等教育の拡充(早慶中央をはじめとする私立大の認可など)、②全国的な鉄道網の拡充、③産業・貿易の拡充、④国防の拡充(対英米協調を前提)と書いてあったのですが、昨日のRCの例会で配布された月刊誌のメイン記事に、これとよく似た話が述べられており、大変驚かされました。

すなわち、今月の「ロータリーの友」の冒頭記事は、途上国の貧困対策への造詣が深く、近著「なぜ貧しい国はなくらならいのか」が日経新聞でも取り上げられていた、大塚啓二郎教授の講演録になっていたのですが、大塚教授は、低所得国に早急な機械化を進めると非熟練労働者を活かす道がなくなり、かえって失業や貧困を悪化させるとした上で、中所得国に伸展させるために政府が果たすべき役割について、①教育支援、②インフラ投資、③銀行など資本部門への投資、④知的資本への投資と模倣(成果の普及)による経済波及という4点を挙げていました。

このうち①と②はほぼ重なり、③も言わんとするところは概ね同じと言ってよいでしょう。民間金融を通じた地方の産業・貿易の拡充として捉えると、現代日本の「地方創生」「稼ぐインフラ」などの話と繋がってきそうです。

そして、④も、当時が軍事力を紛争解決の主たる手段とする帝国主義の時代であるのに対し、現代はそれに代えてグローバル人材が一体化する世界市場で大競争をしながら戦争以外の方法(統一ルールの解釈適用や交渉)で利害対立を闘う時代になっていることに照らせば、時代が違うので焦点を当てる分野が違うだけで、言わんとするところ(国際競争・紛争を勝ち抜く手段の強化)は同じと見ることができると思います。

何より、大正期の日本は、ちょうど低所得国から中所得国への移行期ないし発展期にあったと言ってよく、その点でも、原敬の政策や光と影(政友会の利権誘導政治、藩閥勢力との抗争など)などを踏まえながら大塚教授の講義を考えてみるというのも、深みのある物の見方ができるのではないかと感じました(というわけで、盛岡圏の方でRCに関心のある方は、ぜひ当クラブにご入会下さい)。

ところで、岩渕さんの卓話の冒頭では、「原敬は、現在の盛岡市民にとっては、あまり語られることの少ない、馴染みの薄い存在になってきており、残念である」と述べられていました。

私が9年間在籍した青年会議所を振り替えると、盛岡JCは新渡戸稲造(の武士道)が大好きで、1年か2年に1回、新渡戸博士をテーマとする例会をやっていましたが、原敬や米内光政など先人政治家をテーマとして取り上げた例会などが行われたとの記憶が全くありません。

戊辰の敗戦国出身で決して裕福な育ちではなく、紆余曲折を経た若年期から巧みな知謀と大物の引き立てにより身を興し、「欧米に伍していける強い国家」を構築する各種基盤の構築に邁進し、それを支える新たな権力基盤の構築にも絶大な手腕を発揮した点など、原敬は、「東の大久保利通」と言っても過言ではない、傑出した大政治家だったことは間違いないのだと思います。

だからこそ、両者が、絶頂期かつ志半ばの状態で暗殺により歩みを中断させられたことは、織田信長しかりというか、この国の社会に不思議な力が働いているのかもしれないと感じずにはいられないところがありますし、余計に、前記の「テロリズム礼賛の思想」を根絶することの必要性を感じます。

それだけに、地元で人気がない?(素人受けせず、通好みの存在になっている)点も、大久保利通に似ているのかもしれない、そうした意味では、対立したわけではないものの、同時代人で人気者の新渡戸博士は、いわば盛岡の西郷隆盛のようなものかもしれない、などと苦笑せずにはいられないところがあります。

皆さんも、「古くて新しい原敬という存在」に、よりよい形で接する機会を持っていただければ幸いです。

街もりおかと「わが町を愛する壮年経済人」たちのモノローグ

10月13日のブログで、2年前にタウン誌「街もりおか」に投稿させていただいた文章などを掲載しました。
街もりおかへの投稿(ドラマ「火怨」考)と「記事のバラ売り」

その件で、先日、同誌の「盛岡JC投稿グループ」元締めのSさんに、他の面々の投稿をデジタルで見ることができないのかと頼んだところ、気前よく?これまでのJC執筆陣(約25名)の投稿をPDFファイルで頂戴したので、さきほど、一気に拝読しました。

執筆陣の皆さんは、私と同じく「テーマは盛岡、あとは自由」とSさんから指示を受けて執筆したと思いますが、本当に多種多様で、皆さんの個性や人柄がよく表現されており、大変興味深く拝見できました。

個人的には、和菓子職人のNさんの投稿に掲載されていた、亡くなられたお父さんの言葉(技術は年月をかけて積み重ねるもの、焦らなくともよい、それより志が大切だ、どんな和菓子を作りたいか目標を持って続けることだ)が、同じ職人同士として心に残りました。

それは恐らく、私もNさんと同じく、先達から手取り足取りの指導を受けておらず、現場で足掻きながら、職業人(法律実務家)としての志を心の拠り所にして研鑽をしてきた面が強いので、JC在籍時のNさんの姿勢をよく知っていることも相俟って、特にそのように感じたのだろうと思います。

また、JCで仲良くなったものの、お仕事に関するお話を伺う機会に恵まれなかった方が、各人の本業に関する専門知識を上手に披瀝しつつ盛岡の風土や文化などを論じている文章も、非常に読み応えがありましたし、お名前等は存じているものの、ほとんどご挨拶する機会に恵まれなかった方に関するエピソードなども、その方の顔立ちや若干ながらも在籍時に接した足跡などを思い起こし、そういうことだったのか的なささやかな感動を得ることができたと思います。

申すまでもないことなのでしょうけど、顔や人となりを存じている方の書いた文章は、書き手に対する一定の知識があればこそ、行間の光景が色々と見えてきて、味わい深く楽しめる面があります。

また、書き手が、執筆時に概ね盛岡JCを卒業して間もない40歳前半の方という共通項があるせいか、全員が同じテーマを与えられつつ、各人の辿った道や過去の人生でこだわりを持って取り組んできたこと、職業等を通じて積み重ねた矜持などといったものを踏まえた個性と才知あふれる投稿が満載で、個々の話題は全く異なる内容ばかりなのに、「盛岡」という地理的な概念を超えた、共通するメンタリティが投稿群から浮かび上がっているという点でも、印象に残りました。

旧司法試験時代の格言?で「優秀な答案は、問題文を読まなくとも答案から適切に再現できる」というものを聞いたことがありますが、今回拝見したエッセイ群は、「盛岡というテーマで、各人の前半生を振り返り、地域人又は職業人としての矜持やこだわりについて述べて下さい」という設問に対する論文集という面もあるように思われ、こうした営みが今後も続くと共に、JCの後輩方をはじめ、他の方々にまとまった形で知っていただく機会があってよいのではと感じました。

また、盛岡育ちの方と他の県内出身者の方、東京等の出身の方とでは、投稿の傾向が異なる(三者の内部=同じ共通項を持つ方同士では、割と書きぶりが似る傾向がある)点なども、興味深く感じました。

ところで、10月13日の投稿では、「街もりおか」(のようなタウン誌)に掲載された各文章を、「これだけは読みたい」という層のため、ネット上でバラ売りしていただければという趣旨のことを書きましたが、面識等のある方々のこうしたエッセイ集を読むと、改めてその意を強くせずにはいられません。

過去のものは筆者の個別承諾が課題になるかもしれませんが(ネット上の再掲・配信等に関する権利もタウン誌側に帰属するか云々の法律上の論点はさておき)、今どき、昔の知り合いなどをネット検索することは珍しくないと思われ(反対尋問のネタ目的で検索をする弁護士も珍しくありませんが)、タイトルなどが表示されたページを発見して「あの人が、こんな投稿を出してるのか」と驚き、少額の閲覧料を支払ってでも見てみたいというニーズは、相応にあるのではと思います(黒歴史だから後に残すなという執筆者もいるかもしれませんけど)。

また、「街もりおか」は郷土の偉人や埋もれた各種文芸・文化資産などを取り上げた投稿など、学術的価値のある投稿も多く含まれていると思います。可能なら、記事群を体系化するなど「アーカイブス化」して閲覧できるようになれば、なお良いのではと思っています。

ともあれ、そうした作業はすぐにできるものではないそうですので、また1、2年後にでも、JC陣の原稿を同じような形で拝見できればと思いますし、それこそ、少額でも課金して、「地元の茶菓子が報酬」の執筆陣はさておき、将来のアーカイブス構築の原資にでもしていただければと感じています。

ロータリーとリーダーシップ

盛岡北ロータリークラブは毎週水曜日が例会となっており、私はほぼ毎週参加していますが、一度だけ弁護士会の行事と重なったため欠席したことがあります、

その翌週に届いた会報を見たところ「温泉ソムリエ」という若い女性の方が卓話にいらしていたことを知り、よりによってこんなときにと、悲しさを禁じ得ませんでした(笑)。

それはさておき、翌週の例会では、本年度の岩手・宮城地区のガバナー(地区の全RCを代表する立場の方。岩手と宮城で1年交替になっています)である菅原裕典氏の公式訪問がありました。
http://www.ri-d2520.com/governor_message.html

で、先に到着していた菅原ガバナーが入口で各会員に挨拶(名刺交換)をなさっていたのですが、私がご挨拶したところ、開口一番、「小保内さんですね。このクラブで一番若い会員だと聞いています」と仰ったので、大変驚きました。その上、卓話(講演)の際も、私の名前と最近入会したことを挙げて、こうした若い世代にロータリーへの関心や入会意欲を高めて欲しいと仰っていたので、二度びっくりしました。

菅原ガバナーは、所属されている業界では仙台で最大手クラスの企業を一代で築き上げた方だと人づてに聞きましたが、JC在籍時にも時々体験した、「強烈なリーダーシップや気配りの力を持った方が、グイグイと人の心を掴んでいく光景」を直に見せられたような気がして、勉強になりました。

菅原ガバナーによれば、国歌斉唱などをピアノの生演奏(会員の女性の方)で行っているのは、地区内では当クラブと仙台RCだけとのことで、入会半年程度の私が申すのも何ですが、大変居心地のよいクラブでもありますので、盛岡広域圏でRCへの入会を検討されている方は、ぜひ当クラブにお越しいただければ幸いです。

マイノリティとして生きていくということ

ここ1年ほど、LGBT(各種の性的マイノリティ)がメディアに取り上げられる機会が非常に増えたように思います。

3年ほど前、性的マイノリティの方に関する事件を取り扱ったことがあり、その際、依頼主の背景に関する理解を深めるべきと考えて、以下の本を読んだことがあります。併せて、次の投稿をしており。再掲することにしました。

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先日、上川あや「変えてゆく勇気」という岩波新書の本を読みました。

筆者は性同一性障害(MtF)の方であり、まだ、この障害がほとんど社会に認知されていなかった時代に生まれ育ち、様々な辛酸をくぐり抜けた後、区議会議員に立候補して当選し(現在も現職)、性同一性障害性別取扱特例法(特定の条件を満たせば、戸籍上の性別を変更=人格に適合させることができる法律)の制定運動にも携わった方です。

性同一性障害については、人格の一種であって障害と位置づけるのは適切ではないとの見方もあると思われ、本書でも、トランスジェンダーなどの言葉が紹介されており、この障害(人格)について勉強する上で、入門書として大いに参考になります。

ところで、私自身は、性に関しては典型的なマジョリティですが、ささやかな障害(左耳の聴力が皆無で左側からの会話が困難)があるほか、人格に関しては衆と交わることができない変わり者の典型という面があり、様々な場面で、自分がマイノリティだなぁと感じて生きているように思います。

本書は、性同一性障害のような重い問題を背負っていなくとも、何らかの生きにくさを抱えマイノリティ意識を感じて生活している方にとっても大いに共感できる本であり、多くの方にご一読をお勧めしたいと思いました。

また、本書は、性同一性障害性別取扱特例法の制定に関するロビー活動(立法支援運動)を詳しく取り上げているため、何らかの法(法律、条例等)を作るための運動をしたいという方にとっても、大いに参考になるように思われます。

本書では、立法を支援したキーマンとなる政治家として南野千恵子議員(元法務大臣)の尽力が紹介されているほか、議会での折衝などが紹介されており、当時の国会で強い影響力を持っていた、青木幹雄・自民党参院会長との面談のシーンは、その象徴的なものと思われます。

また、大前提として、どうしてその法を作りたいのか、そのことによって誰を(或いは自分を)、どのように救いたいのかといったことについて、切実な必要性や深い思索、それを実現しようとする強固な意思がなければ、これまでの社会通念を変えていくような法の創造などというものは到底できないし、できたとしても様々な苦闘や紆余曲折が必要になるのだということも、当事者ならではの言葉として伝わってくるものがあります。

JCなどに絡んで、「まちづくり」的なことに関わっている方から条例などについて尋ねられることもあったのですが、曲がりなりにも法の運用に携わる身としては、様々な方に、社会を活性化させる正しい法の創造に積極果敢に取り組んでいただきたいと思う反面、上記のような重みにも、よく思いを致していただければと思ったりもします。

保険金請求訴訟とモラルリスク

お世話になっている損保会社さんから、事故に伴う保険金請求の相談を受けている事案で、「故意による事故(自殺・自死など)の疑いがあるので、調査会社が調べた事実関係などを分析して、保険金請求の当否について意見書を提出して欲しい」と要請され、作成して提出したことがあります。

保険金請求を巡っては、被保険者・契約者・受取人などが意図的に保険金支払事由となる事故を生じさせた疑いがある事案(モラルリスク事案)の発生が避けられず、その主張立証責任に関する争いなども含めて、多数の判例等が生じています。

この点については、昨年に判例タイムズ1397号などに掲載された「保険金請求をめぐる諸問題(上・下)」が大いに参考になります。

この論考では、①傷害保険、②生命保険、③火災保険、④自動車保険の4類型について、最高裁判例などに基づく主張立証責任の構造が明らかにされた上で、多数の裁判例などをもとに、保険金請求の当否に関する考慮要素及びそれらに関する裁判所の考え方などが述べられ、現在のところ、基本文献と言ってよいのではないかと思います。

少し具体的に述べると、傷害保険については、偶然性など(偶然な外来の事故)について、保険金の請求者に主張立証責任があるとされ(但し、立証責任の軽減の問題はあります)、それ以外の保険類型では、請求者は保険事故の存在等を明らかにすれば良く、保険会社側が、故意重過失などの免責事由を主張立証しなければならないとされています。

傷害保険に関しては、自動車保険契約に付帯する人身傷害補償特約の保険金給付の当否を巡って問題となった裁判例が幾つか公表されています。

そして、「偶然性」や「故意・重過失」など、モラルリスク事案における保険金請求の当否に関する判断は、次の4項目を総合的に検討し判断すべきものとされています。

①事故の客観的状況(運転方法の異常性をはじめ事故態様などに偶発性を疑わせるだけの要素がどれだけ備わっているか、自殺の手段として合理性があるか、自殺以外の事故原因が指摘・説明できるか等)、

②被保険者等の動機、属性等(借金などの経済状態、疾病、精神状態、家庭状況など)、

③被保険者等の事故前後の言動等(事故直前の普段と異なる不審な行動や事故現場への不自然な接触、自殺等を仄めかす言動の有無等)、

④保険契約に関する事情(締結の経緯、時期や契約内容等にに関する不自然な事情の有無)

保険金を請求する側であれ、される側(保険会社)であれ、保険金請求の当否が問題となっている事案では、詳細な事実関係の調査がなされることを前提に、弁護士が過去の裁判例などを踏まえた適切な分析をすることで、よりよい解決を図ることができるケースが多数あるのではないかと思われます。

膨大な事実関係を丹念に検討するのが「地味で地道な仕事ぶりだけが取り柄?の町弁の持ち味」だと思っていますので、そうした事案に直面した方は、どちらの立場であれ当事務所にご相談いただければ幸いです。

 

弁護士の死神営業と泣いた赤鬼

最近になって、社会派ブロガーで有名な「ちきりん」さんのブログや著作を読むようになりました。

先日は、延命治療の技術進歩により「本人が必ずしも延命を望んでいないのに、誰もそれを止めることができない(勇気や制度がない)との事情から高額な医療費を(若い世代に)負担させ、何十年も延々と延命をするような例が、今後、続出して巨大な社会問題になるのではないか」という趣旨のことが述べられていました。

尊厳死を巡る問題については、法律業界でも古くから議論され、ネット上でも多数の論考などを見かけることができますが、私自身は関わった経験等がないこともあり率直に言って不勉強で、今のところ大したことを述べることはできません。

ただ、単純に、ちきりんさんのブログに即して感じたことだけを言えば「本人も望まず、社会的にも不要有害と言わざるを得ない長期延命治療を関係者に無用の負担等を生じさせない形で止めさせる制度」が必要なのだろうとは思います。

それは、言うなれば、医療技術上は長期延命が可能な方に対し、「死」を宣告する(延命治療の中止による死亡を法的に正当化する)ような手続であり、それが「誰しもが、やりたいとは思わない嫌な決断だが、社会通念上は必要とされる仕事」だというのであれば、それに従事(主導)すべき立場にあるのは、法律実務家というべきではないかと思います。

酷い例えだとお叱りを受けるかもしれませんが、延命治療の中止判断(決定)は、それに従事する者に慎重な姿勢と重い決断を伴う「死の宣告」にあたるという点で、死刑判決と似たような面があり、後者が法律家(裁判官)が行うとされている以上、前者についても、法律家こそが担うべきだと言ってよいのではないかと思います(ちなみに、「執行」は、適切な方法で医療関係者に行っていただくことは、当然です)。

もちろん、そのような制度を作るのであれば、「必要」が生じた場合に、関係者の(本人の事前届、近親者、医療従事者や検察官など)の申請に基づいて、何らかの「審査会」的なものが設けられ、そこで延命治療の中止の当否について判断することが想定されます。

当然、そこでは、単純に本人の同意があるから中止だとか、近親者の同意がないからダメだなどというのではなく、ご本人の人生経歴や治療経過など、中止の当否を巡って斟酌すべき様々な要素を適切な事実調査を踏まえて判断するという形になるのではないかと思います。

このような「様々な事実の調査・整理を含む、諸要素の総合的な価値判断」は、法律実務家が得意とするところですし、「死」という判断の重さに照らしても、一般の方が軽々に従事できるものでもありません(その点は、重大事案における裁判員裁判の当否を巡る議論も参考になるかもしれません)。

もちろん、利害関係者などによる不服申立(最終的には裁判所の司法判断を含む)もあってしかるべきだと思います。

なお、費用については、なるべく自己負担が望ましいので、審査制度の利用額を定めた上で、延命治療の長期化を希望しない方が事前に予納するとか、何らかの保険制度に組み込むなどの方法が適切だと思います(最後の綱は、法テラスでしょうか)。

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で、どうして今こんな話を延々と書いてきたかというと、そのような制度が社会に必要とされているのであれば、給源たる弁護士業界(なかんずく日弁連)が、制度設計をした上で制度の導入に向けて積極的に提言・運動してもよいのではと思うのですが、私の知る限り、そんな話は聞いたことがありません(単に不勉強で存じないだけかもしれませんが。なお、法案への反対意見の類なら日弁連HPなどで拝見できます)。

変な話かもしれませんが、仮に、そのような「審査会」が設置される場合、医師であれ、他の何らかの資格商売であれ、或いはお役人(公的機関)であれ、弁護士以外にも、「自分にそれを担わせて欲しい」といった「ライバル」が出現することは予測されますし、TPPなどを引き合いにするまでもなく、新たな制度を構築する場合は、なるべく早期に制度設計を巡る議論に参加、主導しないと「置いてけぼり」となることは、容易に想像できることだと思います。

ただ、逆の見方として、この制度が、死という人間にとって最も忌避したいはずの事態をダイレクトにもたらす意思決定であり、しかも、重大犯罪者ではなく、全うに生きてきた方のための手続という性質上「究極のケガレ仕事」と言えなくもなく、そのような制度を導入すべきだ(しかも、自分に担わせて欲しい)などと言い出せば、「お前は死神か。おぞましい奴だ」などという批判を世間から受けてしまうのかもしれません。

そうした意味では、この仕事は、ちきりんさんの見立てからすれば、社会的必要性が認知されれば膨大な需要を生じさせる可能性がある一方で、「貧困に喘ぐ町弁業界を一挙に救済する、素晴らしいブルーオーシャンだ!」などと無邪気にはしゃぐ話になるはずもなく、色々な意味で、弁護士(法律家)という職業の悩ましさ、本質に迫る話ではないかと感じる面はあります。

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ところで、法律家が「死」に関わるのは、重大犯罪の刑事事件だけではありません。相続は言うに及びませんが、それ以上に、「企業のお葬式」としての倒産事件には、申立代理人であれ破産管財人であれ、多くの町弁が日常的に関わっています。

裏を返せば、ほとんど弁護士を利用される機会がない小規模な会社さんなどにとっては、弁護士と関わるのは倒産のときだけという面が無きにしもあらずで、そうした方から見れば、我々は、「企業が死を余儀なくされるときだけ関わる連中で、必要かもしれないが、嫌悪・忌避すべき死神のような存在」ということになるのかもしれません。

恥ずかしながら、私の場合、中小・零細企業向けの仕事をもっと沢山お引き受けしたいとの希望がありつつ、人脈の無さなどの悲哀から、東京時代とは比較の対象にならないほど、そうした機会を得ることができていないので、せめてもの営業活動?ということで、企業経営者の方々が集まる団体さんに参加することもあるのですが、遺憾ながら、何度出席しても、あまり親しい関係などを築くことができずにいます。

人付き合いや「他愛のない和やかな会話」が苦手な私のキャラの問題も大きいのでしょうが、接する方々の雰囲気を見ていると、弁護士という存在が「敷居が高い」という形容よりも、忌避すべき存在として意識されているように感じないこともなく、ある種の悲哀を感じる面はあります。

著名な児童文学作品(童話)で、「泣いた赤鬼」という物語がありますが、弁護士は、「人々を守る仕事をする(かつ、守りたいと思っている)一方、人々からは忌避されやすい面がある」という意味で、この作品の主人公である赤鬼に、よく似ているのかもしれません。

そのように考えると、以前にも取り上げた「日弁連ニコニコCM」は、赤鬼が、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」という立て札を書き、家の前に立てておくようなものだと感じてしまいます。
日弁連CM問題と、今こそアピールすべき弁護士像を考える

さすがに、同業の先生に「青鬼よろしく筋の悪い裁判を私が面識がある企業の方々に起こして下さい。そうすれば、私はその裁判に勝って、自分が良い鬼だと知ってもらい、仲良くしてもらうことができます。」などと、お馬鹿な頼みをするわけにもいきませんが、さりとて、私が赤鬼くんのような看板を立ててもそれが奏功するとも到底思えず、どうしたものやらと嘆くほかなしというのが、お恥ずかしい現実のようです。

補助金の支出を巡る地元自治体の光景と田舎の町弁の意地

進行中の仕事なのであまり具体的なことは書けませんが、奇縁により、2、3年前に県内等を震撼させた「震災絡みの補助金の巨額不正使用などが問題となった事件」に1年半ほど前から関わっています。

私が担当しているのは事件全体の中では脇役というべき方なのですが、後始末の民事訴訟などでは要に位置する方なので、山のような訴訟手続が必要になっています。勉強にはなるのですが、経済的には「事務所を潰す気か」と天に吠えたい気持ちを抱えつつ、毎度泣きそうになりながら関わっています。

その事件では、舞台となったA町などの補助金の支出のあり方に大いに問題があると巷間では言われており、私も同様に感じるのですが、誰も住民訴訟等を起こす人がなく、訴訟上は不問に付された状態が続いています。

先日、訴訟関係者が集まった場でも、どなたがとは言えませんが、出席者の方々が「この点が置き去りにされてるよね」という趣旨のことを仰っており、改めて、その点は残念に思いました。

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で、どうして今こんな話を書いたかというと、A町ではなく以前からお世話になっている県内のB町(仮称)さんから、先日、上記とは全然関係のない件で補助金の支出に関するご相談を受けました。

そこで、事務所の書籍などで、補助金(地方自治法232条の2)の支出の適否に関する判断基準などをまとめた文献などを調べて、ご相談の件のお返事をしたのですが、読めば読むほど、B町さんの件(問題ないと思われる例)よりも、A町事件の方を考えずにはいられないという感じがしてしまいました。

ちなみに、自治体(地方公共団体)による補助金の支出は、「公益上の必要」の存在が必要とされていますが、具体的な判断基準は法律では定められておらず、裁判所の解釈に委ねられており、同条や地方自治を取り巻く諸制度、憲法89条の趣旨なども勘案して、判断することになります。

仮に、住民が「その支出は違法(地自法232条の2違反)だ」と主張して、支出を行った首長などや支出を受けた関係者などに賠償等の請求をしたい(自治体にさせたい)場合には、同法242の2第1項4号に基づく住民訴訟(や前提としての住民監査請求)を行い、「自治体は、支出に関与・容認した首長等や、受領した団体側に、賠償等請求せよ」という趣旨の請求をすることになります。

そして、これに対し、訴訟の被告となった側は、①当該補助金の支出は地自法232条の2に反しない、②仮に違反したのだとしても、故意や過失がない、などと、反論し、それらの主張の当否が問われることになります。

で、本題というべき、法232条の2違反の当否ですが、補助金の支出の判断については、様々な行政目的を斟酌した政策的な考慮が求められるため、社会通念上不合理な点がある場合や特に不公正な点がある場合でない限り、これを尊重することが必要で、そのような観点から首長などの裁量権の逸脱・濫用があると認められる場合に限って、違法になるとされています(最判H17.10.28等)。

その上で、「公益上の必要」に関する具体的な判断基準(要素)については、判例分析をした書籍によれば、

①補助金の目的、趣旨、効用、経緯
②補助の対象となる事業の目的、性質、状況
③当該自治体の財政の規模、状況、
④議会の対応、地方財政に係る諸規定の事情

などを総合的に判断するとされています。

例えば、支出目的が適正であるか、当該補助が当該「公益」の目的達成のため適切かつ有効な手段と言えるか、受給者たる団体や金額、使途等が、「公益」との関係で、社会通念に照らし、適切な支給先・使途と言えるか、支出手続や事後の検査体制、流用のリスクなどといったことが、具体的事情や政治的な事柄を含む事案の経緯なども勘案して、問われることになります。

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余談ながら、A町事件は、県内等を震撼させた大事件であるにもかかわらず岩手の弁護士さんがほとんど関わっていません(少なくとも、民事事件で関与しているのは、現在は私だけです)。

あまり具体的なことは書けませんが(事件が終わった後に、守秘義務などの範囲で、少し書いてみたいとは思っていますが)、その事件では、東京方面を中心に非常に多くの弁護士さんが関わっており、訴訟期日では、東京などの弁護士さん達に囲まれつつ仕事をしているという状態になっています(蛇足ながら、ほとんどの先生が、私ほどではないにせよ?経済的に割に合わない仕事をしている面があるように見えます)。

だから何だというわけではないのですが、この事件が世間の耳目を集めていた当時、地元で発生した大事件なのに、岩手の弁護士が関与しないのは残念なことだ、と思っていました。

それが、色々な偶然ないし行きがかり上、私が関わることになってしまったのですが、ある意味、(ご自分の迂闊さもあったとはいえ)とてつもない不運に巻き込まれてしまった依頼主(当事者ご本人)の心情と、私自身の、「とてつもなく不採算のリスクの高い仕事ではあるが、地元の町弁の意地?を示したい」との思いが重なる面もあり、ある程度の限界があるとはいえ、できる限りのことはやりたいと思っています。

不貞行為に関する慰謝料請求と会話記録

町弁をしていると不貞行為に関する慰謝料請求訴訟を受任することが何度もありますが、この種の訴訟は、相手方(被告)が否認すると被害者に不貞の内容などを立証しなければなりません。

中には、そうしたことを見越して、長期の不貞の事実が存在するのに、全面否認したり、直近のごく一部の不貞のみを認めて「その時点では夫婦が不和だったから破綻=免責だ」などと主張する不誠実な御仁も少なくないので、具体的な証拠などに基づいて不貞行為の詳細を主張立証せざるを得ないことも少なくありません。

この点、「不貞時の両者の会話記録」を入手できることがあり、時には数ヶ月間に亘る不貞状況の詳細について、膨大な労力(ページ数)を割いて、「二人の逢瀬の物語」を、会話から浮かび上がる当事者の心理描写なども交えて、熱く深く再現するという作業をすることが、何度かありました。

膨大な記録を読み込んで、ちょっとした記載についてネットで裏付けを調べたり、書かれていない関連事実についてもあれこれ調べたりしながら、男女のやりとりを分析しストーリーとして構築することになりますので、膨大な時間と労力を余儀なくされるため、我ながら「何で、こんな三文小説を書いているのだろう」と自分が馬鹿なことをしているように思う面もあります。

他方で、そうした作業を通じて、何らかの自分の暗い衝動を充足させているのだろうかと感じる向きもあり、或いは、道ならぬ情愛や性愛を求めざるを得ない人間の深淵に迫っているような錯覚?を感じる点もありますが、そのように思うこと自体が、ある種の防衛機制なのかもしれません。

所詮は権利義務に関わる事実を述べるものですから、基本的には淡々と事実を書き連ねるのが基本となりますが、その制約の中で、どれだけ人間の心の深淵に迫れるかなどと、事案の結論とは少し離れたところで馬鹿みたいな情熱を燃やすことが、たまにあります。

余談ながら、先日、「営利目的で性交渉に従事した者は、その業務の通常の態様に依っている限り、他方配偶者との関係で賠償義務なし」と判断して話題になった、いわゆる「枕営業判決」が判例タイムズに載っていたので判文を見たのですが(東地判H26.4.14判タ1411-312)、被告女性は本人訴訟で、本人は簡単な認否反論しかしてないようでした。

その一方で、原告側の主張に基づき裁判官が詳細な判断を示しており、議論された事柄の大半は、裁判官が原告代理人に求釈明して原告代理人が反論し、裁判官が判決でそれに再反論したという審理展開を辿ったようで、その点も興味深いと感じました。

平成26年の業務実績③家庭(離婚・親子・後見)、相続、行政、刑事ほか

前回に引き続き、平成26年の業務実績(従事ないし解決した紛争の概要)を簡単ながらまとめました。依頼先の弁護士を選定する際に参考にしていただければ幸いです。

(6) 家庭生活や親族関係、相続を巡る法的問題やトラブルの解決

相続分野では、死亡危急者遺言」(危篤時に第三者(証人)が作成し、後日に裁判所の確認を受ける制度)が作成され、被相続人の友人に多額の財産が遺贈されたという事案で、ご遺族から、遺言者の意思に反するとのご相談を受け、昨年から遺言無効等を求めていた訴訟について、当方の主張を認める旨の和解勧告があり、勝訴的和解が成立して終了したという例があります。

この件では遺言者(被相続人)の方に認知症がなく、遺言無効の主張が認められない可能性も否定できない事案でした(依頼者の方によれば、以前に他の弁護士に相談して勝訴は困難と断られたのだそうです)。

当職も、立証に課題があるとは感じつつ、事案固有の様々な事情から、遺言無効が認められるべきだと考えて、依頼主と共に膨大な作業時間を投入して様々な主張立証を展開したところ、全面勝訴に匹敵すると言ってよい、満足いく成果が得ることができました。

昨年は、相続放棄やご家族(妻子・両親・兄弟姉妹等)の死去等により相続人が不存在となった方について、利害関係者のご依頼で相続財産管理人の申立を行ったり、私自身が管理人に就任して権利関係の処理を行うという事案が幾つかありました。

以前に「無縁社会」などと呼ばれ、現在もその状態が解消されていない中、法的手続を通じて相続財産の処理をせざるを得ないケースは増えていくと思われますが、なるべく生前に相続や財産管理のあるべき姿について、遺言などを通じ適切に意思を表明していただくのが、紛争やトラブル発生の防止のため望ましい面がありますので、ご留意いただければと思います。

また、遺言に関し、自筆遺言証書の文言などに問題があり、あるべき対処(遺言の解釈など)についてご相談を受けたことが複数あり、中には、相続人間で訴訟を行っている例もあります。

お一人で遺言を作成するのは、内容が明確(財産全部を特定の相続人一人に相続させるようなもの)であればまだしも、解釈による紛争のリスクが否定できませんので、公正証書遺言に依っていただくか、どうしても自筆を希望される場合には、文言の当否についてご相談いただくなどの対処をご検討いただきたいと考えます。

離婚やこれに関連する紛争(離婚時までの婚姻費用面会交流離婚後の養育費のほか、破綻の原因となった不貞行為を巡る賠償問題など)についても、法テラスの無料相談制度(震災当時、岩手県などに在住の方は、資力などに関係なく一律ご利用できるもの)などを通じて多数のご相談を受けており、訴訟や家裁の調停等を受任した例も少なくありません。

昨年は、夫婦間の子の引渡を巡る紛争(母が子を連れて別居した直後に、父が子を連れ戻した挙げ句、母との接触を拒否したため、母が父に対し、子の引渡と引渡までの面会交流を求めたもの)を受任しており、逆の立場で受任した事件もあります。

子を巡る紛争は、面会交流を含めて、近時は著しく増加しており、裁判所は、子の福祉のための環境のあり方を重視しますので、お子さんのことを深く考えて柔軟な対応が求められることも多いと感じています。

成年後見に関しても、裁判所の委託で後見人に選任されている例が複数あります。

(7) 行政との訴訟、刑事事件、その他の業務

行政を当事者とする紛争では、長年に亘って区画整理の問題を抱えていた事業者の方から、区画整理の一環として自治体が行った行政処分に対する取消請求訴訟や執行停止申立を行った例があります。

刑事弁護については、幾つかの国選事件のほか、若干の私選弁護(相当期間内で終了しタイムチャージ形式で清算するもの)が幾つかありました。詳細は伏せますが、ある団体について業務上横領罪で起訴された方が嫌疑を否認し、有罪の当否が激しく争われた事件を担当した例もあります。

その他の業務としては、昨年に引き続き、被災者支援の一環として、弁護士会の被災地向け相談事業に参加するなどしています。大船渡の法テラス気仙に月1回の頻度で通っているほか、原発事故に起因する賠償問題なども扱いますので、必要に応じお問い合わせ下さい。

平成26年の業務実績②交通事故等(賠償)、生活上の問題(消費者・契約)

前回に引き続き、平成26年の業務実績(従事ないし解決した紛争の概要)を簡単ながらまとめました(全3回)。依頼先の弁護士を選定する際に参考にしていただければ幸いです。

(4) 事故等による被害の賠償等の請求や防御に関する支援

本年も、交通事故の被害者側での受任事件が多数あり、そのほとんどの方が、ご自身が加入する任意保険の弁護士費用特約により費用負担なく利用されています。

取扱う事例も、物損のみで過失割合(事故態様を巡る事実関係)が争点となる事案から死亡事故や高位の後遺障害が生じて多様かつ多額の損害の算定が論点となっている例まで、幅広く取り扱っています。

今も激しい医学論争が続いている「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」の発症の有無などが争点となった事例を取り扱う機会もありました。その件は、本年3月まで在籍した辻弁護士が、依頼主(被害者)の主治医から詳細に事情を伺うなどして詳細な主張立証を行いました。

残念ながら、当該論点のハードルの高さ(主要な裁判所で大半は退けられています)もあり、和解協議段階で裁判所から難色を示されたものの、単なる頚椎捻挫事案とは異なるとの判断を前提に、一定の加算を受けることができましたので、そうした形で立証努力が考慮されました。

現在のところ、弁護士費用特約は保険料も低廉で、ご自身が被害を受けたときに弁護士への依頼の円滑さを確保する点で絶大な力を発揮しますので、必ず、この特約が付された任意保険に加入いただくよう、お願いいたします。

(5) 個人(消費者)が交わす契約や社会生活を巡る法的問題の解決

賃貸借(主として貸主側)、不動産売買学校生活(生徒側)に関する紛争などを取り扱う機会がありました。消費者側代理人として勧誘業者からの接触等の拒否を申し入れるなど、紛争に至る以前の対処についてご相談を受けることもあります。また、後述(次回)の震災無料相談制度を通じ、多数の方々にご来所いただき、日常的に生活上の様々なトラブルに関するご相談に応じています。

本格訴訟としては、自宅建築目的で購入した土地で過去の所有者による不法投棄が判明し、証拠上、投棄の実行者又は責任者と思われる企業に賠償請求した事案を取り扱っており、相手企業側が強く争っているため、依頼主とも協力しながら投棄行為の立証のため様々な資料を提出すると共に、廃棄物処理法の知見なども生かして徹底的に闘っています(現在も訴訟が続いています)。

(以下、次号)