北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

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2015年

平成26年の業務実績①全体、中小企業法務、債務整理・倒産

当事務所では、数年前から、毎年1回、前年度の業務実績の概要をブログで公表しています。昨年(平成26年)の業務実績は、顧問先には1月頃にお送りしたのですが、多忙等を言い訳に、ブログに掲載するのが遅れてしまいました。

長文ということもあり、今回は、3回に分けて掲載します。分類については、当事務所HPの「取扱業務」に基づいています。

(1) 全体的な傾向など

平成26年も、①交通事故(主に被害者側からの賠償請求)、②離婚相続など家族・親族間の紛争、③企業・団体の商取引や内部事務に関する紛争の3点が、受任業務の中心を占めました。特に、家族・親族間の紛争や権利関係の処理に関する業務が増加傾向にあります。

反面、本年も債務整理・倒産等の業務は、全国的な傾向と同様、数年前と比べて大幅に減少しています。

(2) 企業・団体の業務や経営上の法的問題に関する支援

食品製造委託取引を受注した企業Xが、発注者だと認識するY1社に代金請求したところ、Y1が「発注者はY1ではなく(XにY1社を紹介後、事業停止となった)Y2社だ」と主張してきたため、Y1が発注者(債務者)だと主張して支払を求めた事件で、無事に当方の主張が認められ、Y1から支払を受けたという例がありました。

複数の企業が発注側に介在する場合には、「誰が代金債務を負担するか(誰が発注者か)を巡る争い(支払責任をなすりつけ合う紛争)」は頻繁に生じますので、そのような取引に関与される際は、責任の所在を明らかにさせるよう、強くご留意いただきたいところです。

また、経営者が交替した法人で新経営陣が旧経営者に不正行為があると主張して訴えた事件で、旧経営者の依頼で役員欄に押印(名義貸し)した法人とは無関係の方が巻き添え的に提訴され、ご依頼を受けた事件があり、事実経過や相手方の主張の問題点を詳細に主張したところ、相手方(原告)が当方に責任がないことを認めて和解で終了したという事件もありました。

当方の主張が認められたとはいえ、名義貸しは多くのリスクを伴いますので、名義貸しの要請を受けた場合には、極力、拒否いただき、一定の形が不可避といことであれば、後難を避けるための適切な措置を講ずるなど(弁護士に相談いただくべきでしょう)、ご留意願います。

その他、特殊な工事の代金請求に関する紛争(当方は受注者側。相手方が、当方の責任で工事が頓挫したと主張し支払拒否しているため、責任の所在が争われているもの)、採用後ほどなく退職した元従業員の方が申し立てた労働審判(企業側代理人として担当)、協同組合の内部で問題を起こした組合員の処分の当否を巡る訴訟(組合側代理人として担当)などを手掛けています。

中小企業庁が行っている「下請かけこみ寺」事業に基づき、小規模な下請業者の方から発注者の支払拒否や取引中止への対応などの相談を受けることもありました。

(3) 債務整理と再建支援

倒産件数が激減している社会情勢に伴い、自己破産、個人再生、任意整理とも受任件数は僅かなものとなっていますが、企業倒産に関しては、かつて多数を占めた建設業界に代わって、福祉やITなど広義のサービス業に携わる企業の方からご依頼がありました。

個人の債務整理については、昨年同様、「完済後の過払金請求」のご相談が若干あったほか、かつての「多数の高利業者から数百万円の借入がある多重債務事案」に代わり、債務額・件数は多くはないものの、生活保護ないしそれに準じる低所得の方や、住宅ローンの支払が諸事情で頓挫し破産等を余儀なくされた方からのご依頼が増加傾向にあります。

破産管財人を担当した方で、多数の農地等を有するものの市場性が乏しく売却に困難を来したり(様々な手法をとることで、一定の農地を売却できたこともあります)、保険契約などで名義貸し(実際の保険料を親族が支払っている事案)が関係する例(原則として名義人の財産として換価対象となりますので、ご家族の名義でご自身が保険料を支払って契約をなさっている方はご留意下さい)などがありました。

管財手続が終了した後の会社の権利関係の処理(放棄された不動産の売買など)に従事することも何度かありました。

(以下、次号)

街もりおかへの投稿(ドラマ「火怨」考)と「記事のバラ売り」

2年前(平成25年)の6月に、肴町の若大将ことSさんの依頼で、「街もりおか」という雑誌に寄稿させていただいたことがあります。聞くところでは、若い投稿者と読者を増やしたいとの編集長さんの方針で、Sさんが盛岡JCの関係者に声を掛けており、現在もJC関係者が必ず?一人は投稿し続けているのだそうです。

私は、小説やエッセイなどを読む習慣がなく、購読している日経新聞すら積ん読→数ヶ月をまとめて処理という日々になっていますので、残念ながら同誌を購読できる状況にはないのですが、JC関係者など知り合いの方が投稿された際には、それだけでも読んでみたいと思っています。

可能であれば、「街もりおか」も、ネット上に記事のタイトルと出だしの文章を載せて、閲覧料を支払えば、希望する記事を読むことができるような仕組みを作っていただきたいものです。新聞も有料で記事を配信していることを思えば、特段、珍しいものでもないでしょう。

特に、地元向けのタウン誌については「知り合いの書いたものなら読みたい。少額の対価なら問題なし」という層はそれなりにいるはずで、商売としても、成り立つのではないかと思います。

Sさんはパソコンやシステム関係の超人というのが私の認識ですので、ぜひ、その点についてのご尽力をお願いしたいところです。

というわけで、2年前に載せた文章を再掲しましたので、当時は見ていないという方は、ご覧いただければ幸いです。

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盛岡には、地元在住の作家さんが運営なさっている「街もりおか」という雑誌があるのですが、先日、ひょんなことから寄稿依頼を受けました。

下記に引用したネット記事のとおり、読書好きの中高年層が読み手の、硬派?なタウン誌とのことで、市内のいわゆる教養人の方々が、盛岡をテーマとして様々な寄稿をなさっているようです。
http://morioka.keizai.biz/headline/187/

引用記事によれば、新聞や全戸無償配布誌のように世間に広く流布しているわけでもないようですので「折角なので、書いたものをブログ等に載せてもよいですか」と尋ねたところ、「宣伝になるならOK」と快諾をいただきました。

というわけで、刊行されたばかりの「街もりおか」6月号に、下記の記事が掲載されていますので、私の駄文はさておき、市内でお買い求めの上、他の方々の投稿をぜひご覧になっていただければと思います。

ところで、私の投稿ですが、読む人によっては、「街もりおか」の発行人であり、盛岡を代表する作家でもある高橋克彦氏(大河ドラマ2作品の原作者)に対し挑戦的な物言いをしているように読めないこともありません。この辺は、強大な力を持った方に無謀な戦いを挑むのが二戸人のDNAということで、ご了承いただきたいところです。

ところで、この「街もりおか」ですが、ネットで少し検索した限りでは、雑誌自体のHPは設けられておらず、過去の記事などを閲覧することは困難のように見えます。

私は、数年前、日本の法曹界の黎明期の偉人であり、中央大学の創設者の一人でもある菊池武夫氏(盛岡市加賀野出身)に関する投稿を「街もりおか」で読んだことがあります。

このような記事は、例えば、ネットで冒頭部分を表示しさらに読みたい人が少額の購読料(10円とか50円とか)をネット上で簡単に支払って読むことができる、といった形で運営していただければ、読み手にも作り手にも持続可能なのではないかと思いました。

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~弁護士業務から歴史ドラマを考える~

先日、BSプレミアムで「火怨・北の英雄アテルイ伝」が放送されており、以前に原作を拝読して心揺さぶられた身としては、見逃すわけにはいかないとの思いで視聴した。が、壮大な戦闘シーンだけでなく、ストーリーの骨格部分でも原作とは大きな変更があり、不満の残る脚本となっていた。

私が最も疑問に感じたのは、「静かな暮らしを守る善良な蝦夷達」と「それを虐げる朝廷の官人や征服欲剥き出しの桓武帝」という単純な善と悪の対決の構図に描かれていること、何より、坂上田村麻呂が桓武帝の征服欲の手先として、その命令を遂行する道具になり果てたような人物像となっていた点である。

一般的な評価は言うに及ばず、原作でも、もう一人の主役というべき大人物に描かれていたと記憶するだけに、特に残念に感じた。

私には蝦夷征服の真実の姿を語るだけの能力はないが、「強欲で邪悪な朝廷勢力に主権を奪われ、搾取、虐待された可哀想な蝦夷」という単純な構図が歴史の姿であるかのように示されると、そこには違和感を拭えない。

逆に、当時の社会経済の変動の中で、奥州の大半が大和朝廷の統治を受け入れる何らかの合理的な事情が生じていたのかもしれないし、その状況を生かして現地勢力に介入し支持を獲得した賢明な官人や、大和勢力と交渉し生き抜いた蝦夷も存在したのではないかと思われる。

そうした人々の姿を表現せず単純な善悪の構図で気の毒な被征服民ばかりを描くのは、かえって蝦夷への冒涜になるではないか、また、桓武帝にも朝廷の権力闘争など様々な事情があり、それらを捨象し身勝手な悪の権化のように描いたのでは、滅ぼされた側も浮かばれないのではないかなどと、反発心すら抱いてしまうのである。

人や社会は、やむにやまれぬ事情の積み重ねで善行と悪行をモザイク状に繰り返しながら彷徨う存在であり、実在の人物や歴史を題材とする作品は、その重みを意識して表現していただきたいと感じている。

この点、私は弁護士をしており、職業柄、相手方が理不尽な行為や悪行に及んでいるので当方(依頼主)が救済されるべきだと主張したり、相手方やその代理人たる弁護士から同様の主張を受けることが日常茶飯事である。

しかし、善行も悪行も人生の断片を切り取った一局面に過ぎず、その点をわきまえず相手方を非難する主張にばかり終始したのでは、ジャッジ(裁判官等)の理解を得ることはできない。

関係当事者を巡る様々な事情を調査、俯瞰し、この場面に関しては当方に理があるのだと主張したり、双方に正義(尊重すべき利益)があり、やむなく対決するような紛争では、各人の正義を理解し穏当な着地点を見出せるかを考えて解決策を検討することが、強く要求されている。

歴史ドラマも弁護士業務も、実在の人物について公正な視点で具体的な事実を描くことにより特定のメッセージを発信するという点では、相通じるところがあり、良質な作品に接することで我々の業務にも活かしていければと願っている。

ところで、盛岡は、私の故郷である二戸地方の主(九戸政実公)と北東北の覇権を争った人々が作った都であり、盛岡市民には、戦国の終焉を視野に入れた壮大な都市誕生の物語として、九戸戦役への正しい知識、理解を持っていただきたいと感じている。

それと共に、敗亡の地に生まれ育ち、勝者の都で暮らしている身としては、政実公を美しく描くだけでなく、騙し討ちをしてまで滅ぼした側にも、やむを得ない事情や正義、苦渋の決断があったこと、そして、戦の後には何らかの価値が創出され、勝者も敗者も、それぞれの立場でより良い社会を築くために努力してきたであろう姿もまた、描いていただきたいと思わずにはいられない。

そのことが、現代を生きる二戸人と盛岡人とが、先人の思いを継承しつつ、互いに力を合わせて社会に新たな価値を創出していく原動力になると信じるからである。

盛岡市長選と公約及び施政の検証

2ヶ月前の話で恐縮ですが、8月に盛岡市長選(と市議選)があり、現職の谷藤市長が4選を決めました。

対立候補として出馬された内舘茂さんは、私が盛岡JCに入会した際に元の理事長(当時は「顧問」)としてJCの活動を支えておられましたので、私も新入会員の一人として大変お世話になりました。

それだけに、誠実で温厚なお人柄はよく存じ上げており、政治的・政策的な支持云々の話はさておき、ご健闘を祈念しておりましたので、残念な結果ではありましたが、政治活動であれ企業経営その他の活動であれ、ご経験をご自身や地域のより良い未来に繋げていただければと思っています。

ところで、どちらが当選なさるにせよ、市長選に先だって、現職(谷藤市長)の初当選から現在までの3期の市政を検証し、有意な投票材料として市民に広く伝えるような試みがなされるべきだと思っていました(市長選だけでなく、市議選も同様です)。が、そのような話を聞いたことがなく、その点は残念に感じています。

ちなみに、私がJCに在籍していた一時期(平成19~21年)には、岩手県知事マニフェスト検証大会というものがあり(23年は震災で頓挫)、色々と難点はあったのですが、それでも、萌芽として育てる価値があったはずで、その後に継続せず消滅してしまったのは、残念に思います。

他方、私の知る限り、盛岡市は言うに及ばず、岩手県内の市町村の首長選や議会選挙において、公約検証等のイベントがあったという話は聞いたことがありません。

民主党政権の頓挫あたりから、マニ検大会自体が全国的に廃れて死滅したのかと思っていたのですが、ネットで検索したところ、山口県宇部市福岡県福津市で地元のJCの主催により行われているとの記事が出てきました。

サイト内で紹介されている「大会の議事」によれば、盛岡JCが過去に行ったもののような「ご本人と学者さんだけの発表会」と異なり、市民検証なるものも行われたとあり、どのような規模かは存じませんが、好ましく感じました。日本JCは、憲法云々の大きな話をするのも結構ですが、こうした各論レベルの積み重ねや各地JCへの勧奨を大事にしていただければと思っています。

JCが過去に行ってきた討論会の方式が聴衆にとって不満が残るものであるという話は、私だけが述べていることではなく、今回の市長選の討論会をご覧になった盛岡JCのOBの方のブログでもご指摘がありました(私もJCでお世話になった方で、大変発信力のある方です)。

現役会員の皆さんにおかれては、従前の討論会の設営のみで良しとするのでなく、市長選・市議選が終わった現在でも一向に構わないと思いますので、こうした営みを考えていただければと思います。

また、ここでは盛岡市長選のみ取り上げましたが、現職の無投票3選で終了した岩手県知事選についても、同様のことが当てはまることは、申すまでもありません。

残念な勇者たちと社会の責務

先日、某行政機関が設営した無料相談行事の担当として従事してきました。

この種の相談会では常に経験することなのですが、今回も、次のような相談者の方が幾人かおられ、傭兵稼業というべき弁護士としては、残念に感じてしまいます。

自分の要望に相手が応じてくれず、困っている。ただ、自分では相手に言いたくない(ので、弁護士から申入をして欲しい)。といっても、(相談者の説明に基づく見立てとして)相手方は、弁護士(たる私)が言えば、すぐに従うような御仁でもない。でも、裁判等はやりたく(頼みたく)ない。」

このようなご相談は、いわば、RPGの主人公が武器屋や傭兵斡旋所にやってきて「町を荒らし人々を苦しめるドラゴンを倒したい。でも、武器も買いたくないし傭兵を頼みたくもない。まして、自分が死地に赴くなんて真っ平御免。そこで、貴方がドラゴンに洞窟の奥深くで眠ってろと言えば、ドラゴンは従うのではないかと僕は思うんだけど、どうですか。」と言っているようなものというほかありません。

町弁の多くが経験していることでしょうが、行政機関が開催する無料相談では、そうした勇者たちにお会いすることがとても多く、残念に感じています。

数年前、法教育というものが流行って、今は下火になっているように感じますが、上記の文脈で言えば、「国民各人が、暴れるドラゴンと対峙した場合に、戦士や魔法使いを従えてドラゴンを倒す(悔い改めさせる)ことができる、本物の勇者になるための教育」こそが、本当の法教育(主権者教育)というべきだと思っています。

しかし、当時も今も、そうした話はあまり聞くことはなく、その点は残念に感じます(冒頭の「残念な相談者」は高齢の方が多いので、「教育」を持ち出すのが適切かという問題はあるかもしれませんが)。

人は戦いを止めることはできないし、人であるがゆえに、理不尽に直面したのであれば、闘うことを止めるべきでもない。しかし、殺し合うこと、「暴力」という手段の利用は止めなければならない。

だからこそ、代替(殺戮の時代に戻らないための装置)として、法(武器)と弁護士(傭兵)、そして闘う場(裁判)があるわけですが、今も、そうした認識が国民的に共有されているかと言えば、そうでもないと感じており、そうした認識を広く共有いただくと共に、各人がより良く闘うための土台作りについて様々な方にご尽力いただければと思っています。

以前、日弁連が、「僕達って、いつもニコニコ、とっても親しみやすいんだよね~あはは~」ムード全開のCMを流して、業界内で酷評されたことがありましたが、私の経験ないし感覚として、世間様は、弁護士は傭兵だと思っている(傭兵として役に立つ範囲で必要としている)というのが率直な印象です(だからこそ、我々への依頼は、「立てる」とか「雇う」などと、供給サイドとしてはあまり嬉しくない言葉で形容されることが多いのだと思います)。

どうせCMなどをするのなら、「真っ当な闘い(の補佐というサービス)を必要としているが、勇気などの不足から闘いに踏み出せないでいる消費者(国民)」に、「良質な傭兵」としての弁護士が、闘う気持ちを鼓舞するようなCMをこそ、流していただきたいと思っています。

その上で、個々の弁護士が、傭兵(戦士)としての個性や特色を各人の方法でPRし、消費者が、自身のニーズに適合する選択と適切な闘争をするという文化が形成されていけばよいのではと思います。

(追記 10.20)
冒頭の相談者の方のような発言を改めて振り返ると、そこには、裁判等(法的闘争)を忌避する「ケガレ思想」のようなものがあるのではと感じたり、「弁護士が申入をすれば、相手方はすぐ従うんじゃないか」といった下りは、一種の言霊信仰(自分で行う申入には(すでに不奏功になっているので)言霊の力はないが、弁護士にはそうした力があるのはないかとの思想)があるのではと感じたりもします。

そのように考えると、日弁連の「ニコニコCM」も、そうした「日本人の残念?な法意識」という現実を見据えた対策という面もあるのかもしれませんし(実際に企画された方に、そこまで深謀遠慮があるかどうかは分かりませんが)、上記に述べたことも、そうしたことまで視野に入れないと、何をやっても奏功しないということも、あるのかもしれません。

紛争の残念な相手方等をマスメディアで見かけることについて

先日、県内向けの某番組を見ていたところ、数年前に携わった訴訟で相手方となった男性が「その分野の専門家」という肩書で出演しているのを見かけました。

事案の内容は言えませんが、その男性は、当方が訴えた裁判の被告で、代理人を依頼せず本人が出廷して当方の訴えを争う姿勢を示していたところ、裁判所の勧めもあり、当方依頼主が早期解決を優先させて大幅に譲歩した和解をしたという事案で、依頼主からは、人格や振る舞いに問題がある方だ(いわゆるモラハラ系)との説明を受けていました。

で、訴訟の場でも、慰謝料を支払わないとか他の支払項目についても収入がないと主張して法律上定められた債務を実務上の相場観から大幅に減額させるなど、自分の要求のほとんどを認めさせたにもかかわらず、和解条項などの最後の詰めの際に私や裁判官に対し散々に悪態を付いていたことが強く印象に残りました。

ちなみに、私の約15年の弁護士歴の記憶では、法廷で露骨に悪態を付いたのは、この御仁と某探偵業者、東京高裁で有罪判決直後に暴れ出した某被告人の方の3名だけです。

さすがに、番組での他の出演者とのやりとりの際は普通に振る舞っておられましたが、時折、当時、ラウンドテーブル法廷で散々悪態を付いたときの目とあまり変わっていないように感じるところもありました。

もちろん、その方とも当方依頼主とも訴訟終了後は接点がなく、予断で物事を述べるつもりもありませんので、むしろ、男性が様々な方と関わりを持ち、ご自身の問題と向き合って謙虚な振る舞いを身につけているとのことでしたら、そうあって欲しいと思っています。

この件に限らず、田舎のしがない町弁をしていると、ごく稀にですが、地元レベルで著名な方の私的領域に関わったり、事件の当事者の方などを後日に地元の著名人としてメディア等でお見かけすることがあります。

当然、守秘義務が強く及ぶエリアですので、具体的なことを書くことは一切ありませんが、地元メディアで時折見かける著名人男性に関し、知人女性との不倫絡みの話を伺ったこともあり、そうした方の記事を見ると、どうしても、女性の方が、その男性との交際で非常に苦しんだという話を伺ったのを思い出さずにはいられないことがあります。

県民が100万人以上もいるとはいえ東京時代と比べると色々な意味で狭さを感じることが多く、私自身も自分が気付かないところで「目」に晒されているのかもしれないという気持ちで、襟を正していければと思います。

会社の後継経営者の選定問題に端を発する兄弟一族間の支配権紛争

先日、盛岡北ロータリークラブの卓話(ミニ講義)を担当することになり、標記のテーマで、同族企業内で数年間に亘り多数の訴訟闘争が起きた実際の事案についてご紹介しました(もちろん、守秘義務の範囲内ですが)。

卓話後にクラブ広報に載せる原稿も作成して欲しいとのご指示があったので下記の文章を作成したのですが、ご了解をいただき、こちらにも掲載させていただきます。

今回は、20分しか時間がないこともあり、駆け足の事案紹介だけで終わってしまいましたが、もともと、10年近く前に岩手大学で講師を務めた際の講義のため作成したものであり、1~2時間程度をいただければ、紛争の内容に関する本格的なお話もできるかと思います。

県内の中小企業さんの経営者団体などで、こうした話を聞いてみたいという方がおられれば、一声お掛けいただければ幸いです。

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今回は「父が創業した会社を引き継いだ兄弟が、互いに協力して大規模な企業を育て上げたものの、どちらの子を後継者とするかに端を発して不和になり、従業員取締役の支持を得て主導権を握った弟側が兄側を経営陣から追放したため泥沼の紛争が生じ、多数の訴訟が起きた事例」をご紹介しました。

本稿では、当日の卓話を踏まえつつ、お伝えできなかったことなどを含めて記載します。

当日は、次の項立てで、私が平成13年頃に東京で従事した事件の内容を抽象化してお伝えしましたので(それでも、事案説明だけで数頁になります)、欠席された方でレジュメをご覧になりたい方がおられれば、私までご連絡下さい。

第0 株式会社などの支配権確保や意思決定に関する基本的ルール
第1 事案の概要
第2 会社の支配権の当否を巡る裁判(会社法上の訴訟)
第3 経営から放逐された側から放逐した側に対する賠償請求
第4 関連して生じた紛争について
第5 教訓ないし内部紛争の予防に関する視点

紙面の都合上、事案の詳細(若干の脚色等をしています)は省略しますが、要するに、特殊な製品を取り扱う甲社をはじめ企業グループ4社(従業員数百名規模)を作り上げた兄X1(社長)と弟Y1(専務)は、対等に経営する見地から同一比率で株式を保有し(但し、X1・Y1のほか、甲社の株式の一部を乙社が持ち、乙社の株式の一部を丙社が持つなどしています)、両者の合意がないと企業グループ全体を経営できない仕組みを作ってきました。

両名は、昭和62年に、互いの子X2・Y2を中核企業の甲社に入社させ、数年内に取締役、その後に二人とも代表取締役としてX1・Y1と交代する旨を合意しました。

そして、社長もY1に交代し、X2・Y2も入社しましたが、数年後、甲乙各社の従業員取締役がY1支持の姿勢を示したため、Y1は約束を反故にして、平成9年頃から甲社・乙社の株主総会でX1とX2の取締役再任を拒否し、X側を甲社らの経営から追放してしまいます。

これに対し、X側は、合意違反を理由に、株主総会決議の取消等やY1に対する巨額の損害賠償を求める訴訟を提起すると共に、対抗措置として、株式持ち合いの根幹に位置する丁社の取締役会で、特殊な手法によりY1を解任する決議をしました。これに対し、Y1はその決議が無効だと主張しX側に訴訟提起しています。

また、これに関連して、Y側が、乙社が有する甲社の株式をY1の知人に譲渡する出来事があり、X側が、当該譲渡は無効だなどと主張する訴訟や株主代表訴訟も起こしました。

レジュメで省略した訴訟や仮処分なども含め、10件以上の泥沼の訴訟闘争を数年間に亘り繰り広げたのです。

この事件では、結局、X側が起こした訴訟は全て退けられ、丁社に関してX側が行った決議も法律違反だとして無効となり、Y側の全面勝訴という展開になりました。

中心となる訴訟の最中には、XY間で企業分割などの協議も行われたものの不調に終わり、私が関与していた期間(平成15年頃まで)は、従前の株式の持ち合い状態のまま、従業員サイドの支持を受けたY1がX側を排除して甲社らの経営権を保持する状態が一貫して続いていました。

そのため、X2は甲社グループとは別に、一部の元役員の方と共に同種企業を他に設立し、現在も活動を続けています。

他方、Y2はY1の社長職を承継せず平成15年頃には経営陣から姿を消し、現在は別の方が社長となっています。

正確な理由は分かりませんが(訴訟内では、Y側の方針として同族経営を止めたいとの発言はありました)、XY双方とも自身の子に経営を託すことができない事態になったわけです。

精緻な持ち合い構造を作っても泥沼の対立劇が生じることや、株主間合意だけによる経営権確保の限界、従業員取締役の支持が死命を制することになったことなど、企業経営に携わる方には学ぶところが大変多い事案です。本来は、裁判所の考え方を含め、2時間以上かけてお伝えすべき事柄ですので、もし、他団体の会合などで改めて話を聞きたいとのご要望がありましたら、お声をお掛けいただければ幸いです。

最後になりますが、こんな日に限って?メイクアップで出席された吉田瑞彦先生(盛岡西RC前会長。日頃より大変お世話になっております)から、机を叩いて「異議あり!」コールを受けたらどうしようと恐怖していましたが、暖かく見守っていただき、安堵しております(笑)。

 

稼げない町弁が地方の司法を変える?~裁判を活かす10の覚悟~

今年の7月頃、まちづくりに関する事業を手掛けている木下斉氏の「稼ぐまちが地方を変える」を読みました。

著者は、高校時代から早稲田商店街の活性化事業などに取り組んできた方で、その中で様々な利害対立の渦中に放り込まれて辛酸を嘗めた経験なども踏まえて、「地域の特性はもちろん全国的・世界的な「ピンホールマーケティング」までも視野に入れた魅力あるコンテンツを地域内に揃えることで、小さくとも確実に稼ぎながら地域に再投資し「公」を主導する企業を育てて、そのことを通じて地域づくりの取り組みを再構築すべきだ」という主張と、それを実現していく上での要諦に関する事柄が述べられています。

本書で取り上げられている「まちづくりを成功させる10の鉄則」は、零細事業者たる町弁の事務所経営にも当てはまる点が多く、色々と参考になります。顧客にとって「これ(問題の状況把握と解決の方法)は自分の生活に足らなかったもの」と思わせる強烈な個性(と熱意)が必要だと述べられている点などは、生存競争を迎えた町弁業界にこそ、向けられている言葉というべきでしょう。

本書でも代表例として取り上げられている「オガール紫波」で一躍時の人となった岡崎正信さんは、私も「同時期に盛岡JCに所属していた多数の会員の一人」としてfacebook上で「友達」とさせていただいており、硬軟様々なメッセージ性の強い投稿を日常的になさっているので、興味深く拝見しているのですが、以前から、岡崎さんのFB投稿への木下氏のコメントなどを拝見して同氏の活動に関心を持っていたので、発売後、すぐに購入して一気に読みました。

また、同じくJC繋がりのFB友達で、私をFBに誘因した張本人でもある、肴町のプリンスことS・Mさんから、7月に木下氏の講演会を盛岡で行うとの告知をいただいたので、歌手のコンサートの類は全く行かない私も久々にミーハー根性が刺激され、拝聴してきました。

残念ながら、その際は、少し遅れたところ席がびっしりと埋まっていたので、一番奥の隅にポツンと座らざるを得ず、聴き取り等に難儀した面がややありましたが、それでも、色々と興味深いお話を伺うことができました。

9月に書いておりメモもほとんど取らなかったので勘違いしている面もあるでしょうが、「人口減少は結果としての現象に過ぎないのだから、地域経済の低迷など、原因を形成している個々の事象に目を向けて、それに応じた対策を取るべき」とか「行政の運営で一番大事なことは、破綻しない、させない(夕張市や、巨額赤字=維持の税負担を強いる公共施設を作った各自治体のような愚を犯すことを防止する)ための仕組みを構築することだ」といったお話があったように思います。

また、そうした問題を克服していくため、己の才覚と責任で稼ぐ力を持った民間の経営者やそうした方に理解を持った公務員の方が、地域内で存在感を発揮すべきだという趣旨のエールがあり、参加された方には公民様々な立場の方がおられたようですが、大変好評のまま閉幕したように見えました。

ただ、自治体が法の趣旨に反する違法ないし無益な公金使用をした場合には、住民は、違法行為に関与した者の責任を問うための法的手続(住民監査請求、住民訴訟)を取ることができるわけですが、裁判沙汰はさすがに専門外?のせいか、そこまでの言及はなかったように思います。

とりわけ、住民訴訟などは、従前は、いわゆる市民運動に従事する左派系の関係者の方が行うものが多く(あとは、私怨などが絡んだ本人訴訟も拝見したことがあります)、個人的な印象としては、行政が推進する特定の政策の当否を住民訴訟というツールを通じて争うというケースは、一部の環境系訴訟(脱ダム訴訟など)以外には、ほとんど見られないのではと思われます。

「まちづくり系の訴訟」の前例として私が存じているものを挙げるとすれば、大分県日田市で企画された競輪のサテライト施設の反対運動(住民側代理人の先生が執筆された著作によれば、左右の勢力を問わず地域の諸勢力が結束して取り組んだものだったようです)に絡んだ行政訴訟が挙げられるとは思いますが、これは、国(中央官庁)の許認可の当否が問われた事件で、自治体による公金支出(開発行為)の当否が問われた事件ではありません。

少なくとも、私は、住民側であれ行政側であれ、地方行政等に役立つことができる弁護士になりたいと思って、数年前から「判例地方自治」という自治体絡みの裁判例を集めた雑誌を購読しているのですが、そうした政策の当否を問う訴訟をほとんど見たことがなく、その点は残念に感じています。

木下氏らの活動の中に、自治体が巨額の税金(自費や国の補助金)を投じて豪華な施設を作ったものの、維持費すら稼ぎ出すことができず自治体に重い負の遺産になっているケースを取り上げて警鐘を鳴らす(「墓標」シリーズ)というものがありますが、そうした問題についても、本来であれば住民監査請求や訴訟等が行われて、自治体の政策判断の当否(裁量逸脱の是非)が問われるべきではなかったかと思われます(すでに監査請求等の期間を途過しているのかもしれませんが)。

少なくとも、一般論として裁量違反のハードルが非常に高いことは確かですが、裁判を通じて、事実認定を含めて的を得た形で裁量論争が深められ、それに対し裁判所が法の趣旨を踏まえて緻密な検討をし、真っ当な判示がなされれば、訴訟の結果がどうあれ、対象となった政策分野を巡る行政裁量のあり方について一石を投じる(そのことで、行政を変える契機とする)ことができると言ってよいのではと思われます。

私は行政裁量が問題となる訴訟にほとんど関わったことがないので、大したことは申せませんが、私が少しだけ勉強している環境訴訟は行政裁量の当否が争われやすい分野であり、北村喜宣先生の「環境法」や越智敏裕先生の「環境訴訟法」などで行政裁量の争い方や最高裁の考え方などを論じた部分などが参考になるはずです。

また、先ほど述べたように、これまで、住民訴訟等に従事するのは、特定の政治的傾向を有する一部の運動家の方に限られていたという現実があるように思われ、木下氏らの文脈に合致した意味での「まちづくりに絡む公費濫用の予防や是正に関わる訴訟」に取り組む弁護士(や支援者)というのは、ほとんど聞いたことがないように思います。

そうであればこそ、合格者激増という「稼げない時代」を迎えた町弁業界にとっては、行政裁量との硬軟様々な関わりという問題は、今後、手掛けていきたいと考える弁護士が増えてくる分野であることは確かで、とりわけ、行政庁の任期付職員になるなどして裁量のボーダーラインを肌で感じる機会に恵まれた方などは、任期後に町弁として復帰した際、こうした訴訟を手掛けたい(いわば、ヤメ検が大物刑事弁護人になるように?古巣を相手に裁量論争を挑みたい)と希望するのかもしれません。

さらに言えば、そうした営みが活性化されてくれば、包括外部監査制度や内部職員としての従事(事業開始・執行段階からの関与)をはじめ、弁護士が地方行政(ひいては国家行政も)の内部で手掛けることが法律上(制度趣旨の面から)期待されている分野が広がり、そうした営みを通じて、法の支配の理念に合致し、かつ「税金の無益な浪費をさせない(本当に活性化させることにだけ使わせる)」など経営マインドにも合致するような行政の構築にも繋げることができるのではと期待したいところです。

ところで、本書の末尾は、「まちを変える10の覚悟」というキャッチフレーズ(とミニ解説)で締めくくられていますが、ここで取り上げられている言葉は、我が業界の需給の当事者にも、大いに当てはまる面があるように思います。

そんなわけで、これを拝借して、「裁判・司法を本当に役立つものにするための10の覚悟」とでも題して、少し、考えたことを書いてみたいと思います。こちらはありふれたことしか書いていないかもしれませんし、ここで書いたような理想どおりにいかない現実もありますが、元ネタ(本書の該当部分)と対比して参考にしていただければ幸いです。

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①弁護士や裁判(司法)に頼らない

裁判(法的手続)という営みは、弁護士や裁判所だけが行う仕事ではない。依頼者・当事者自身に、紛争の正しい姿や重要な事実、救済・解決の必要性を、裁判所(や代理人たる弁護士等)に真摯に伝える姿勢が必要。そのような姿勢に欠けると、結局、司法の側から熱意ある支援は得られない。

まして、個々の「紛争」の解決に関し弁護士や裁判所が実際に果たせる役割はごく限られている。紛争の原因・背景にあって司法が救済の役割を果たすことができるわけではない、当事者やそれを取り巻く環境にある様々な人的・物的問題とも、紛争解決への取り組みを通じてご自身が正面から向き合う姿勢を持つべき。

②自ら「適正」な労働力や資金を出す

司法(弁護士等)により良い仕事をさせるには、その事案・業務に相応しい人的、物的コストを負担する姿勢が必要。当事者が適正なコストを負担しない場合ほど、裁判等の進行や結果が「尻すぼみ」の結果になりやすい。

③「活動」ではなく「事業」としてやる

裁判は、余技のような「活動」でないことはもちろん、単に「弁護士に料金を払ってサービスの提供と結果を待つだけの営み」ではない。紛争の当事者=主体は自分自身であり、自らの活きるか死ぬかの闘い、人生の重大な岐路という認識を持って主体的に取り組むべき紛争が幾らでもある。

④論理的に考える

裁判の当事者は、自身の価値観に基づくバイアスのかかった主張や自身に都合の良い結論(願望)ありきの発想に陥りがち。そうした方に限って、判断の依って立つ基盤を崩されると過度に弱気になる例もある。

自分の立場的な価値観ありきで物を考えず、紛争を取り巻く様々な事実経過や原理原則、事案の特殊性や関係者の適正な利害などを論理的かつバランスよく考える姿勢が、当事者にも求められる。

⑤リスクを負う覚悟を持つ

裁判などの闘争の渦中に身を置かず、リスクとリターンのないところで願望や不満ばかり述べても何も変わらない。裁判等をしなければ事態の好転は望めない事案で、かつそれが相応しいタイミングであるにもかかわらず、面談した弁護士に不満や願望を述べるばかりで前に進もうとしない(闘おうとしない)方は珍しくない。

⑥「みんな病」から脱却する

裁判闘争を嫌がり、話し合いで解決したい(すべきだ)と強く希望する方は少なくないが、そうしたケースに限って、「関係者みんなの話し合い」では何も進まない(進めることができない)状況に陥っていることが通例である。法の力を借りて実現すべき適正な要望(解決方法)があるなら、たった一人でも闘う姿勢を示し自ら智恵と汗をかくことで、紛争の適切な解決のあり方について、他の関係者にも認識を共有させることができる。

⑦「楽しさ」と利益の両立を

裁判は、正義と悪の対決ではなく、正義と正義(エゴとエゴ、自我と自我)の衝突と調整が基本であり、長期戦が通常。だからこそ、適正な利益を実現するための智恵や熱意だけでなく、質の高い裁判闘争を通じて争点が整理され、紛争が適切に解決されていく過程を楽しむ姿勢があった方が、結果として得るものが大きい。

⑧「知識を入れて、事案を練って、主張立証を絞る」

より良く裁判を闘うには、法律はもちろん、その紛争の解決に必要な様々な分野の知識、理解を得て、それを前提に、事案の内容を適切に分析し、その上で、贅肉だらけの冗長な訴訟活動をするのでなく、可能な限り必要最小限のポイントを突いた主張立証で、裁判官の支持(と相手の納得)を得るよう努力するのが基本。

⑨裁判で学んだことを、次の人生、社会に生かす姿勢を

裁判は人生の岐路になりうるし学ぶところも多いが、あくまで人生の一つの過程に過ぎない。現在の法制度の限界や改正のあるべき姿を世に伝えることも含め、そこで学んだことや解決によって得た利益を次の人生ひいては社会全体に生かす姿勢を持っていただきたい。

⑩10年後を見通せ

裁判と戦争はよく似ており、望外の(過大な)利益を得るなど勝ちすぎると、後で反作用が生じることが少なくないと言われ、そうした観点から、勝訴する側が敢えて譲歩した和解を希望するのも珍しくない。そうした解決方法に限らず、裁判が終局してから10年後に、ご自身やその他の関係者が、裁判で行われた議論や生じた結論に恥じることのない、何より、笑顔で暮らすことができるような将来を見据えて、裁判という闘いの場に臨んでいただきたい。

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最後になりますが、前記の木下氏講演会では、本書の購入者にはあまり有り難くない話?ですが、参加者に本書が1冊ずつ配布されていました。

私は、自分が読んだ本を持参してサインしていただきたかったのですが、愚かにも忘れてしまったので、やむなく、当日配布された本にサインしていただきました(ので、結果的に、本書が配布されて助かりました)。

というわけで、私の手元には本書が2冊あり、サインをいただいたものは有り難く事務所に鎮座させますので、私の手垢と折り目がついたもう1冊を欲しいという方がおられれば、ご遠慮なくご来所下さい。

琉球王国と北奥政権の栄光と挫折、そして再起するものたち

以前の日記でご紹介した、JCC出版部「絵で解る琉球王国~歴史と人物~」という本について、琉球と北奥という2つの地域について考えたことを交えて、お伝えしたいと思います。
http://www.jcc-okinawa.net/books/

7月の那覇出張の際、夜の食事場所に困って国際通りを彷徨った挙げ句に、店先で案内をしていた民族衣装姿の美人女性の姿に惹かれて?、「首里天楼」という琉球舞踊を観覧できるお店に入りました。
http://www.suitenrou.com/

引用した運営企業のサイトでお分かりのとおり、店内が琉球王国時代の出来事や人物を描いた壁画で埋め尽くされていたのですが、会計の際、この本がカウンターに置いてあり、「今、沖縄で一番売れている本」といった宣伝文句が述べられていたので、ホンマかいなと思いつつ、琉球王国について少し勉強して見たいということで、深く考えずに購入しました。

本書は、琉球王国の歴史や文化に関するトピックを、素人向けに解りやすく絵柄付きで解説した本ですが、よく見ると、出版元が、このお店(首里天楼)の経営企業となっており、冒頭部分や同社のサイトで、沖縄(琉球)の歴史と文化の意義を伝えていくことが自社の理念であり、飲食店経営も出版事業も当該目的の達成のため行っているものである、という趣旨のことが述べられていました。

これを読んで、北奥(北東北)地域も、沖縄と同じく中央政府と異なる独自の歴史、文化を育み、「蝦夷の末裔」としての誇りを持って生きるべき「クニ」でありながら、そのような姿勢で、人々の心に広く訴えるような親しみやすい手法(飲食店であれ、一般向け書籍の出版であれ)で事業展開をしている企業が、当地に果たしてどれだけ存在するのだろうかと、感じずにはいられないものがありました。

伝統芸能舞踊付きの居酒屋なら、さんさであれ鬼剣舞であれ岩手でも幾らでもできそうですし(秋田では「なまはげ居酒屋」を都心などでやってますから、河童や座敷わらしが飛び入りしても良いでしょうし)、私自身は、以前から、「北東北の玄関」たる盛岡駅の付近に、そうした商業施設を作るべきではないかと思っています。

それこそ、三県の様々な郷土芸能などを集めて演目等を月替わりなどにすれば、毎月のように新幹線で訪れるリピーターも獲得できるかもしれませんし、郷土芸能に限定せず、「九戸政実武将隊のディナーショー」とかもあって良いと思います。いっそ、AKBに倣って、年末年始に月替わりの12チームの総選挙を行って、その結果をもとに入替をするなどというのも話題性があって良いと思います。

県内などで同種事業を営む(或いは、その志がある)方は、ぜひ、この会社さんにお話しを伺うなどして、岩手でも実践していただければと思っています。

ところで、本書を拝見して思ったのは、沖縄=縄文系の血が多く残っているというイメージが強いのですが、本書のイラストで載せられている歴代の琉球王の顔立ちが、必ずしも縄文系(彫りの深い濃い顔)ではなく、弥生系を思わせる平板な顔立ちの方も少なくないという点で、特に、琉球の基本原理というべき「万国清梁の鐘」を掲げた第一尚氏の尚泰久王や、第二尚氏の創始者・尚円王の絵は、弥生人そのものという感じがします。

そこで、自宅に戻ってからwikiなどで少し調べたところ、琉球王国の成立(第一尚氏による琉球統一)は1429年(足利義持~義教期)で、それに先立つ10世紀から12世紀頃(平安期)に農耕に従事する人々(弥生人)が沖縄に移住し、その後、ほどなく三山時代(3つの国家に分かれた時代)が生じ、琉球王国に統一されたという記載がありました。

それを読んで思ったのは、琉球(沖縄)に国家という概念をもたらし社会の規模(単位)を拡げたのは、平安期に九州から移住した弥生人たちで、その移住が無かったら、地元民というべき縄文系の琉球人は、北奥の蝦夷たちのように、国家を持たずに暮らしていたのかもしれない、言い換えれば、国家を作り組織(人々のまとまり)の単位を大きくしていく気質は、縄文系には乏しく弥生系にこそ富んでいるということなのかもしれないと思いました。

この本の登場人物達の肖像画は、出版企業の関係者の方が独自に描いたもののようで、その元ネタ(昔から伝わる肖像画など)があるのか分かりませんが、ざっと見た印象として、歴代の王族は弥生系のすっきりした顔立ちの方が多く、家臣の方が、沖縄っぽい縄文系の濃い顔立ちの方が多いような印象も受けました。

そうしたことも、弥生と縄文の関係や特質などを考える上で、参考になるかもしれません。

ところで、私が中学生くらいの頃、大河ドラマで、1年を半分に分けて、奥州藤原氏の興亡などを描いた「炎立つ」と、琉球王国が島津氏の侵攻を受けた時代を描いた「琉球の風」を連続して放送したことがありました。

恥ずかしながら、当時は沖縄に関心が薄く、受験期ということもあり、琉球の風はほとんど視なかったのですが、今にして思えば、どちらも、弥生人の子孫(の本流)が作った大和国家とは別の政体を我が国の辺境(但し、見方によっては東アジアの要というべき地)に作ったもので、しかも、北奥政権(安倍氏・清原氏から奥州藤原氏まで)も琉球王国も、土着勢力(縄文の血が濃い人々)と移住した弥生系人種とが混血ないし一体化する形で作られた勢力であること、双方とも、最初は勢力分立(安倍氏と清原氏、三山時代など)から始まり、やがて統一国家が形成されたことなど、類似点が多いことに気付かされます。

敢えて違いを言えば、奥州藤原氏の成立には大和政権が深く関わっているのに対し、琉球王国の成立には全く?関与していないこと、前者には他国との緊張関係は全くない(渤海やオホーツク方面との交易はあったようですが)のに対し、後者は中華帝国との強い関わり(大和政権との二重服属)が必要になった(反面、大和政権からの侵略には江戸幕府の成立まで無縁で済んだ)ことという点が、挙げられるかもしれません。

こうした違いを踏まえつつ、2つの政体が共に「大和政権に侵略される姿と時代に翻弄された人々の様々な想い」を描いたという点で、炎立つと琉球の風を同じ年に制作、放送した意義は大いにあったのだと想いますし、改めて、時間があれば琉球の風を視てみたいと思っています。

あと、余談ですが、私が訪れた那覇の居酒屋さんは、たかが2件とはいえ、いずれも日本酒が無く、泡盛や焼酎などしか提供していませんでした。私は、刺身などのお供には、日本酒(なるべく、端麗辛口の冷えた大吟醸。典型は南部美人です)が最適と感じており、その点は大いに残念に感じました。

ぜひ、岩手の酒造メーカーさん達も、「縄文つながり」などと称して積極的に沖縄に売り込んでいただければと思いますし、達増知事におかれても、ちょうど、知事さん同士が反自民路線?で共闘できる関係にもあるでしょうから、そうした観点も交えて、日本酒に限らず、首里城の修復に使用するための漆を浄法寺から調達して持参いただくなどして、岩手と沖縄の繋がりを深めるようご尽力いただければと思います。

海軍兵学校・陸軍士官学校の失敗と法曹界

以前の日記で触れた、半藤一利ほか「昭和陸海軍の失敗」(文春新書)について、紹介がてら取り上げます。

本書は、昭和史に関する著作で有名な半藤一利氏をはじめ、先の大戦(15年戦争)の研究者として著名な方や自衛隊の幹部を務めた方が、陸海の様々な旧軍指導者の人物像を掘り下げると共に、彼らが戦前や戦中の重用局面でどのような決断をして国家に何をもたらしたかを、対談形式で詳細に論じた本です。

私は少年時代は歴史マンガばかり読んでいた裏返しで、近現代史に疎い面があり、特に、大戦の経過についてはさほど知識がありませんので、色々と勉強になりました。

個人的に興味深く感じたのが、「昭和9年頃までは、海軍兵学校は毎年約130人を採用し、陸軍士官学校のそれは約370人だった」と書いてある部分(129頁)で、これを足すと500人となり、平成2年頃までの旧司法試験の合格者数と合致します(私が合格した平成9年は約750人と聞いています)。

少し調べてみたところ、Web上で流れていた情報では(個人のサイト等ですので保証はできかねますが)、明治末期にはもっと多い人数を採用しており、昭和初期に一旦は上記の人数まで減ったものの、昭和15年頃からは、大戦の影響と思われますが、双方とも採用数が5倍以上に激増していったようです。

そのため、「平和な時代には500人程度しか採っていなかったのに、時代の変化により一気に採用数を増やした」という点で、ここ数年の司法試験の合格者の激増に似た面があると感じました。

もちろん、司法試験の方は、海兵・陸士ほどの激増にはなっていませんし、現在の合格者数など一連の司法改革が、大戦の敗亡の如き凄まじい負の影響を社会に及ぼすなどと安易に決めつけるつもりもないのですが、「先の大戦」と「司法改革(による対外的なものを含めた法律実務家の活動領域の拡大)」を比較する視点も含めて、何らかの意味で、参考になるところはあるのではと思います。

また、上記の「500人の合格者」の「130:370」という比率も、ちょうど、前者(130人)が、当時の裁判官及び検察官の新任採用者の人数と概ね同様と思われ、裏を返せば370人という数字は、500人時代における年間の弁護士の供給(新規登録)人数と概ね合致すると言えます。

このように考えると、日本の法曹界(官=裁判官・検察官と、民=弁護士)も、官界(個々の裁判官・検察官のほか裁判所や検察庁の組織全体を含む)を海兵(海軍)に、民界(個々の弁護士のほか弁護士会を含む)を陸士(陸軍)になぞらえて本書の言葉を見ると、興味深く感じる面が多々あるように感じます。

例えば、次のような言葉を、上記の観点で日本の法曹界に当てはめて考えてみると、どうでしょうか。

海軍は陸軍よりも所帯が小さい分、人間関係が濃密」(129頁)、「海軍は、内部ではやり合うが、外に向かっては庇い合う。一艦一家主義の体質がある」(170頁)

陸軍は、創設当初は、大山厳や児玉源太郎が大戦略を考えてくれたので、参謀は戦術に徹していればよく、陸士・陸大は、少壮参謀用に教育した戦術中心主義を、総力戦時代に突入した昭和に入っても変えなかったので、視野の狭い人材教育しかできなかった(将帥教育ができなかった)」(39~43頁)

「陸軍は兵站を軽視した」(44頁。兵站は、弁護士で言えば、事務所経営にあたるかもしれませんし、弁護士業界がそうしたもの(個々の会員への経営指導やマネジメントの質の向上)を軽視してきたことは確かだと思います)

「陸軍は、陸大教育でも「独断専行」を重視する」(168頁)、「石原莞爾や辻正信のようなアクの強い人物は、海軍からは出てこない」(同)

「陸軍は、悪行の告発合戦、責任のなすりつけ合い、目を覆いたくなるものがある。海軍は、他人の悪口を言わないサイレント・ネイビーだが、裏返せば組織等のあり方について活発な議論がない、そのことが海軍を肝心なときに機能しない組織にしてしまったと言えるのではないか」(169頁)

「(陸士で育った高級将校が)戦争を観念で考え、精神主義に陥った」(123頁。「戦争」を「憲法」に置き換えて、日弁連などの活動を考えたら、どうでしょう)

「陸軍と海軍はある意味、対照的な性格を持っている。徴兵制で広く兵を集める必要があった陸軍は、必然的に民主主義的な性質を持たざるを得ない(東条英機のように維新の敗戦国の出身者の多くが昭和陸軍の指揮官となったのがその到達点)。他方、海軍は、国際的で開かれた環境を舞台とし高度な技術を駆使する関係で、厳しい階級制に基づく一種の貴族主義的なカルチャーが根底にあった。その違いは、両者のルーツ(陸軍=奇兵隊=四民平等の軍隊、海軍=薩摩閥=身分制度による序列意識)に求められる。その結果、海軍は一般の国民から遊離した存在になり、国民全体の運命に無頓着になったと言われている。」(227~228頁)

ここ1、2年に読んだ本⑥~文化、地域、その他~

前回の投稿に引き続くプチ書評シリーズの第6回(一応の最終回)です。

【文化・芸術・宗教など】

●島田裕巳「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」幻冬舎新書
http://www.gentosha.co.jp/book/b5148.html

著者はオウム事件でバッシングを受けたこともある宗教学者の方ですが、その後は、一般向けに宗教の基礎を分かり易く解説する書籍を多数刊行されており、本書は、そのシリーズの「主要な仏教編」とでも言うべきものです。

私は、島田氏の文章が性に合っているのか、てっとりばやく宗教団体などを概観できる本が助かるというイージーな感覚なのか、他に「葬式は、要らない」も「日本の10大新宗教」も読んでおり、未読ですが神道関係の本も買ったような記憶です。

本書では、日本で最もメジャーな仏教の諸宗派を取り上げ、発祥や思想の違いなど教科書的な話に加え、各宗派ごとに葬式をはじめとする様々な儀式等の違いがあることやそれぞれの意味・由来など、主要仏教に関する基礎的な知識、理解を得るには、また、そうしたことを見据えつつ現代の宗教組織、或いは個々の寺院などの社会での意義、役割を考える上で、格好の一冊だと思います。

【岩手全般・その他の地域】

●小和田哲男「もっと知りたい 岩手県の歴史」洋泉社
http://www.yosensha.co.jp/book/b193538.html

岩手県の歴史に関するトピックについて、史跡、信仰、事件、人物、文化・生活の5類型に分けて話題を整理し取り上げた本で、一緒に書店に並んでいた「あなたの知らない 岩手県の歴史」(今、読んでます)と共に、衝動買いしてしまったものです。

このシリーズは、岩手県だけでなく様々な県をテーマにしているようですので、それぞれの県の書店で、自県に関するこのシリーズの本が販売しているのではないかと思われます。

個人的に一番印象に残ったのは、敗戦直後の食糧危機の際に米国から届けられて大規模な飢餓を防いだ援助物資(ララ物資)の提供を始めた人物(ララ運動の創設者)が、岩手(盛岡)の出身で、原敬の書生から中央大学に進み、新聞記者を経て大正期に渡米して戦中は強制収容所にも監禁されていた人物(浅野七之助氏)であり、その方に、同じく一戸町出身でサンフランシスコ長老教会の牧師をしていた方(川守田英二氏)が協力して運動が展開されたという話でした。

大戦と岩手人、という観点で見ると、主戦派(板垣征四郎や東条英機)、反対派(米内光政)とも、軍指導者の存在感が際だっていますが、敗戦後の貧困救済という場面でも重要な役割を果たした岩手人がいたことは、広く認識されるべきだと思います。

皆さんも、どのエピソードが心に残ったか、反芻しながらご覧になるのも良いのではと思います。

●JCC出版部「絵で解る琉球王国~歴史と人物~」
http://www.jcc-okinawa.net/books/

この本については書きたいことが多くなりましたので、稿を改めて取り上げます。