北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

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2016年

奨学金に関する残念な相談事例と改善策

奨学金制度については、近時、利用者たる若者が高額な借入金(学費)の返済を継続することができず、過酷な負担を強いられている方も一定数あるとして、日弁連などが制度の改善などを求めています。

さきほど、制度の運用に従事する支援機構の理事長の方への取材記事(上の双方)が載せられていましたので、過去に相談を受けたことなども思い返しながら拝見しました。

5年ほど前、「奨学金が200万円、他の借入が200万円(高利融資なし)」という20代の方の相談を受けたことがあり、破産又は再生をお勧めしたのですが、「奨学金は父が連帯保証をしており、父に督促等が生じる事態は絶対に嫌」ということで、あれこれお話したものの、残念ながら任意整理も含めて受任に至らなかったということがありました。

その際は、連帯保証絡みの通例として「(お父さんも含めた債務整理という事案でなければ)奨学金はお父さんが機構に返済しつつ、ご自分でお父さんに返済するという方法で、解決してはどうか」といったことなど(或いは、その上で機構にもリスケジュールなどを提案すること)を説明したのではないかと思いますが、とにかく、お父さんとトラブルになることを非常に忌避しており、奨学金に関しイレギュラーな事態が生じることをひどく恐れている様子が感じられました。

奨学金制度について軽々に批判するつもりはありませんが、他にも、自分は進学後すぐに中退してしまったが、親に無理を言って連帯保証人になって貰ったので、どうしても自力で返済しなければならない(ので債務整理的な解決は望まない)と仰る方のお話を聞いたこともあり、若い世代に残念な負荷が生じる例が一定程度あることは確かなのだろうと思います。

そして、それらの事案から感じられるのは、様々な事情があるにせよ、親御さんから学費の面倒を見て貰うことができず、奨学金の連帯保証という形ですら絶対に迷惑はかけられないと感じ、結果として自身が強い負荷を引き受けている若い世代が一定程度いるという事実であり、軽々に親御さんを批判するのは適切でないにせよ、家族内の「自助」が適切に機能していない面があることは、間違いないはずです。

連帯保証の当否という問題(親族ではない良質な民間事業者による低利の連帯保証制度の導入とか、住宅ローン特則類似の制度の導入なども視野に入れて)もさることながら、貸手責任(機構側)や融資金の利用者責任(学校側)という観点(審査等の強化や問題事案での返金や債務カットなど)も含めて、借主たる若者にばかりしわ寄せをさせないような適正な融資及び債権管理などの仕組みが検討されるべきではないかと感じました。

記事の末尾にあるように、奨学金制度に助けられて人生を切り開き、制度に強く感謝している方も沢山おられるでしょうから、それだけに運用の杜撰さ?で生じる弊害を除去するための仕組みについても真剣に考えていただきたいところだと思います。

時折、独居状態など日常的には身寄りのない質素な生活をしていた高齢の方が、ご自身の有意義な目的に使うこともないまま、数十年以上に亘って預金を続けていたであろう高額な金融資産を遺して亡くなられ、近親者などの間で紛争などが生じるケースについて相談を受けたり受任することがあり、中には被相続人と何の接点も無かったり義絶状態にあるような方のところに高額な相続財産が転がり込んでくる例も拝見することがあります。

そうした事案を拝見するたび、我が国にも不合理な形での冨の偏在が相応にあり、果たしてそのままでよいのかと思わずにはいられない面があります。

余談ながら、ちょうど、日銀が「民間銀行が日銀に預入する場合は手数料を取る」というマイナス金利政策が報道されていましたが、上記のような「遊休資産」を抱える銀行の多くが、有意義な形で預金を生かすことをしていないのであれば、良質な形でリスクに挑んだり、そうした営みを通じて善良な若い世代に適切な資金が行き渡るような流れができてくれるのであれば、望ましいことではないかと思いました。

久方ぶりの知財相談と田舎の顧問弁護士の未来像

先日、ある顧問先から商標権侵害に関する問題のご相談を受けました。さほど紛糾した問題ではなく一応の方針が出ている案件で、確認のための照会ということでしたので、私なりに検討した結果をお知らせして一旦終了となりました。

地域の大企業などに接点の乏しい田舎のしがない町弁をしていると、東京時代は相応にお話をいただいていた「企業法務」的なご相談にはめっきりご縁が薄くなってしまいますが、知財関係はその代表格のようなもので、商標権に関するご相談なんて最後に受けたのは一体何年前だろう?という感もあります。

もちろん、だからといってご相談に対応できないという訳ではありません。過去の経験もさることながら、商標であれ特許であれ著作権であれ、基礎的な勉強は多少はしていますので、常に「模範解答の即答」ができるわけではないにせよ、若干のお時間をいただければ、実務水準としては概ね問題ないレベルの回答ができることが多いだろうと自負しています。

私の場合、購読している判例雑誌について、地道な勉強の習慣として要旨のデータベース作りをしていますし、知財に限らず様々な分野の本を購入して積ん読状態になっていますので、判例を少し勉強した程度の分野のご相談を受けると、勉強したことをようやく生かせるとか、数年前に購入した本達の出番がようやく来たということで、机に本を山積みにして喜々として調べるという面もあります。

今回も、顧問先からメールで関連資料や事情説明に関する書面の送信を受け、電話では簡単なご説明をした上で、文献や判例なども踏まえ、自身の勉強も兼ねて、ある程度、詳しい内容の文章を書いてお送りしました。

当事務所サイトでも表示している「月額3000円」(税別)の顧問先ですので、滅多にご相談を受ける機会もないとはいえ、さほど売上や収益のある業務ではありません(所定時間を超えると別料金をお願いするルールですが、単なる勉強時間について加算するのは難しいですし)。

それでも、こうした形で様々な分野を手掛けることができれば、田舎の町弁をしていると時折襲ってくる「取り残され感」から少しは解放されるような思いもあって、有り難く思っています。

岩手に戻って間もない頃には、盛岡市内の企業さんから著作権侵害に関する賠償問題について受任したこともあったのですが、知財については悲しいほどご縁が薄く、東京時代の独立直前の頃、商標や著作権絡みの訴状を書いたのが懐かしい思い出という有様です。

2、3年前までは日弁連の主導?で作った「弁護士知財ネット」にも加入していたのですが、ご相談等も全くない状態が続いたため、経費削減の必要から辞めてしまいました(倒産ネットは今も続けていますが)。

こうした有様と対照的に、ここ数年は、個人間(親族や知人など)の積年のドロドロした感情のぶつかり合いの果てに訴訟に至る事件のご依頼が多く、時に、当事者の強烈な負の感情やそこに至る残念な物語が私自身の身体にヘドロのように流れ込み、のたうち回るような思いに駆られながら書面を書くことも珍しくありません。

それだけに、感情的な対立が希薄で、相応の勉強を重ねれば一定の答えが出せるような「ライトな企業法務」のご相談に、清涼剤に接するような感じもあって、今後も「相談して良かった、また頼もう」と思っていただけるよう精進を重ねていきたいと思っています。

ところで、ネットで少し調べると、最近は当事務所と同様に月3000円程度の顧問契約を宣伝する法律事務所も増えているようです。当事務所に関しては、5年ほど前にこの方針を打ち出した際、当初は有り難いことに数件のご依頼をいただいたものの、ここ2、3年は新規のお話をいただけておらず、悲哀を託っているというのが正直なところです。

そもそも、顧問弁護士という存在ないし方式自体が、廃れゆく文化なのかもしれないと感じる面はありますが、メール・電話のみでのご相談を受け付けるのは顧問先のみというのが一般的でしょうし、冒頭のご相談をいただいた顧問先も、盛岡から遠く離れた自治体に所在する企業さんであり、来所せずに済ませるという点(ご担当の時間の節約など)でも、意義があると思います。

そうした「頻繁ではないが時折メールや電話で相談をしたい」という需要がある企業さんにとっては、それなりに利用価値のある方法だと思いますし、時に、聞かれたことだけでなく、事案に即して他の点も留意して下さいねとお伝えすることもあります(それだけに、顧問先の方々には、問題が起きてからご相談というだけでなく、返答や検討の有無に関わらず、現在携わっておられる業務に関する様々な情報・資料などを随時、ご提供いただければという気持ちもあります)。

それらのリスク対策やセカンドオピニオンなども含め、地方の小規模な企業・団体さんなどにも、弁護士の活用のあり方について前向きに考えていただきたいところですし、普及し始めた「少額の顧問契約」というスタイルは、それを支えるインフラとして、意義があるのではと感じています。

もちろん、私自身が、実力と磁力の双方を身につけることが先決というべきでしょうから、今は「ドロドロ系の事件」をご依頼いただいている方々に感謝し、のたうちまわりながら研鑽を積みたいと思います。

相続からはじめる「家族の物語」と遠野ICの残念な動線

先日は、以前のブログで告知した「相続対策セミナー」の1回目(大船渡会場)でした。事前に明治安田生命さんに問い合わせても参加予定人数を教えていただけなかったので、全然集まらなかったらどうしようとビクビクしていたのですが、数十名もの方にご参加いただき、大変ありがとうございました。

以前に記載した「きみまろネタ」を繰り出すかギリギリまで悩んだのですが、冒頭に少し軽口めいたことを述べても全く笑いが起きる気配がなく、やはり自分には笑いを取るセンスは無いのだろうと諦めました。

予想どおり後半はかなり端折ってしまい、冒頭で「早口で話さないように頑張ります」と述べていたのに全く達成できませんでしたが、レジュメで取り上げた項目そのものは、概ねすべてお伝えすることができました。

相続は、ご家庭の事情で対象となる論点が全く異なることから、敢えて各論よりも総論(相続で問題となる場面の整理や考え方の要諦)を強調し、それぞれのご家族・一族が、どのような物語を紡いできたのか、それは、特定の人(長男など)に承継されていくべきものか、むしろ解体・清算されるべきものか、そうしたコンセプトは全員に共有されているのか、といったことを考えていただきたいとお伝えしました。

アンケートによれば、ご高齢の参加者から基本用語の説明など基礎的な話をじっくり聞きたいとの要望が強かったとのことで、次回はそうした声に配慮した構成で考えていますが、技術的なこと以上に本セミナーが「家族・一族の物語」を改めて考えるきっかけになればと思っています。

そんなわけで、19日の水沢や28日の盛岡も奮ってご参加いただければ幸いです。

ところで、往路はいつもの法テラス気仙と同様、宮守IC→小友町から峠道を下るルートで行きましたが、帰路はせっかく開通したばかりの遠野IC・宮守IC間を通ってみたいということで、住田町の国道の分岐路から滝観洞・仙人峠道路方面に進み、遠野バイパスから遠野ICに入りました。

遠野の街は1年ぶりくらいで、道路工事中に通過したときから違和感を感じていたのですが、遠野ICの出入口(国道との連絡路)は、遠野の道の駅(風の丘)の近くにあるものの市街地寄りにあり、市街地方面からの車両からすれば、「市街地→遠野IC入口→風の丘」という順序になっています。IC・風の丘間も隣接しているわけでなく、少し離れた位置になっています。

そのため、「高速に入る前に道の駅に寄って買い物等をしたい」という人は、IC入口を通過し、しばらく走行して風の丘に行き、再びICに戻ってこなければならないので、煩わしいという感覚が避けて通れません。

かくいう私も朝食なし昼飯抜き(車内サンドのみ)でセミナーをした後でもあり、風の丘で小腹を満たしてICに乗り込むつもりだったのですが、土壇場で行く気が失せ、空腹のまま高速で一気に盛岡に帰りました。

もとより、遠野市民(遠野IC利用者)の大半はICの西側(風の丘・宮守方面)ではなく東側(市街地)に居住しているので、今後、ICの利用時に風の丘に寄る人は非常に少なくなってしまうのでは(結果、これまで県内では道の駅の最優等生とも謳われた風の丘の営業成績にも大きく響いてしまうのでは?)との印象を強く抱かざるを得ませんでした。

もし、遠野ICの入口となる連絡道路(猿ヶ石川に架かる橋)を、風の丘の敷地脇に作ってさえいれば、このような展開にはならないのでは(それこそ、東名高速の富士川楽座SAのように、事実上、SAと道の駅の双方を兼ねる施設として大いに発展したのではないか)と強く感じました。
http://www.fujikawarakuza.co.jp/

地図によれば風の丘の対岸には人家や工場があるようですので、そうした点が原因なのかもしれませんが、遠野ICや連絡道路の位置選定について関係者でどのような議論が交わされたのかご存知の方がおられれば、ぜひご教示いただければと思っています。

今日(17日)も法テラス気仙の日曜相談の担当日となり大船渡に来ましたが、昼は「ラーメンパスポート」を利用したいと思って、市内にあるパチンコ店の建物内にあるラーメン店に行きました。

日曜なのに、パチンコ店の広い駐車場はほぼ満車状態といってよいほど埋まっており、食堂でも、いかにもという感じの寂しそうな眼差しの中高年男性を多く見かけました。

すでに5年近くを過ぎ、被災直後に陰口?のように言われた「義援金で云々」ということもないのでしょうが(建設・土木などの従事者で復興特需による給与を原資にという人ならいそうな気もしますが)、「日曜最大の繁盛店がパチンコ店」というのは、被災地に限らず高齢化等が進む過疎地一般にあてはまることなのかもしれません。

今日は末崎半島の方まで運転してきましたが、そうした光景も視野に入れると、「地域最大級の集合住宅」という様相を呈する災害公営住宅であれ防潮堤の巨壁群であれ、各種の大型の土木・建築工事が進んでいる沿岸一帯の風景についても、人々の精神的なつながりが薄れたり損なわれたりしている姿に光があてられないまま、ハコモノやカネばかりが投入されているような感じがしないこともなく、複雑な心境を禁じ得ない面はあります。

小規模弁護士会という「地域法務の大企業」と田舎の町弁の未来の働き方

半年ほど前から、著名ブロガーのちきりんさんのブログを読むようになり、その関係で著書も読んでみたいと思って、10月頃に「マーケット感覚を身につけよう」を読み、正月は、文庫本化された「未来の働き方を考えよう」を読みました。今回は後者について少し書いてみようと思います。

本書は、20代で大企業に就職するなど従前の社会で典型的な生き方を選んだ(そこに収まった)方も、40代でそれまでの経験などを踏まえて個としての可能性をより追求する新たな生き方(職業人生)にチャレンジすべきという趣旨のことを、まさにそうした生き方を辿ったご自身の経験や詳細な社会分析を踏まえて語った本です。

平成25年に出版された本ですが、内容は全く陳腐化しておらず、賛否両論ありそうな記載も幾つか見受けられますが、多くの方にとって学ぶところの多い一冊だと思います。

私自身40代に突入して間もない上、25歳で弁護士になり、15年以上、東京と岩手で町弁として生き、「公」はさておき「私」の部分では一定の達成感もある一方で、弁護士業界自体が大増員などで非常に混沌とした状況にあり、弁護士として生きていく場合でも従前と異なる新たな生き方が求められている(そうでなければ生き残れない)という点で本書がターゲットにしている層そのものと言え、そうした点でも大いに参考になりました。

また、本書では、近時の家電大手の凋落や過去に生じた幾つかの伝統的な重厚長大型の大企業の凋落などを例に、大企業に依存する生き方はリスクが大きくなりつつあるという点が強調されているのですが、そこで描かれている大企業像は、地方の弁護士にとって見れば、地元の弁護士会の姿と重なる面が大きいように思いました。

少し具体的に言うと、岩手(なかんずく盛岡)では、私を含む若い世代の弁護士が訴訟などの仕事を受任したいと思えば、独自に自分の事務所の宣伝をするよりも、弁護士会(盛岡の相談センター)で行っている法律相談を担当するのが最も近道である(それだけ弁護士会の相談には強力な顧客吸引力があり、委任希望のご依頼が集まってくる)という面があります。

私は平成17年から事務所のWebサイトを開設しており、平成20年頃までは他にサイトを開設する事務所は県内にはなく、盛岡市に限っては平成23年頃からようやく他の先生も開設をするようになったのですが、岩手はネットで弁護士を探すという文化については需給とも「周回遅れ」の面があるせいか、かつては債務整理以外の相談依頼を受けることはさほど多くはありませんでした。

近年そうした文化がようやく普及し始めたのかなと感じた矢先、債務整理の需要が激減した上、ここ1、2年は市内の有力な先生もWeb上で熱心に宣伝をなさっているせいか、数年前と比べてもHPルートでの依頼を受ける機会はかなり少なくなったように感じます。

これに対し、弁護士会の法律相談は後述のとおり10年前に比べて担当回数が半減しましたが、毎回、概ね満員となっています(震災前の時期は他県と同様に有料相談が廃れそうな様相も呈していましたが、震災無料相談が導入されたことで、劇的に息を吹き返しました)。

もちろん、私が担当日に弁護士会に行くのも事務所で相談を受けるのも「小保内が担当する相談」という点では何ら違いがなく、むしろ、必要に応じ書籍等を確認して回答し時間なども融通が利く当事務所での相談の方が、利用者にとっては利便性が高いことは確かだと思います(私に限らずですが)。

また、岩手弁護士会(盛岡)の相談センターは、盛岡市内の弁護士が交代制で担当しているため、数年前は概ね1ヶ月に1回、新人が急増した現在は2ヶ月に1回程度の頻度で担当しているのですが、相談者にとっては「当たりはずれ」のリスクは否めません。

現に、これまで依頼を受けた方から何度か、法テラスや弁護士会の相談で、年配の弁護士から酷い対応を受けたとか若い弁護士が要領を得ない説明を受け、私と話をして初めて得心できたというお話をいただいたことは何度かあります(かくいう私自身が、逆のように言われることもあったかもしれません。そこは、私の研鑽の問題を別とすれば、相性というほかありませんが)。

それでもなお、多くの方が個々の事務所にアクセスするよりも弁護士会の相談センターの門を叩く方を選ぶのは、個々の弁護士(法律事務所)よりも「相談や仕事を頼みにいく先」として県民・中小企業にとって圧倒的なブランド力があると認知されているからなのだと思います。

そのような光景に接していると、県民(利用者)の多くは、弁護士会が実施する相談事業を、あたかも田舎の県立病院のような「地域で圧倒的な規模を持つ一個の大病院(への通院)」のような感覚で捉えているのかもしれない、という印象を受けます。

また、そのように感じるだけに、激増による競争の深刻化と「利用者が自ら弁護士(受注者)を調べて選ぶ文化の未成熟」という2つの事象の組合せによる結果として、個々の弁護士(町弁)が、仕事の供給源たる「地域の大企業」としての弁護士会に対し、ますます依存度を深めていくのではないかと感じるところがあります。

とりわけ「若い弁護士が会務を一生懸命行うと、要職を歴任し豊富な人脈を有するベテランの先生から引き立てられ、様々な仕事・チャンスを紹介して貰える」ということは昔から言われていることで、そうした文化(ひいては弁護士会への依存)という傾向は、今後むしろ強まっていく面はあるのかもしれないと感じるところはあります。

恥ずかしながら、私の場合、東京時代から会務など(東京の場合、弁護士会とは別に派閥云々もありますが)への関わりが薄かった上、岩手に移転後は、債務整理特需の全盛期+家庭の事情で弁護士会の会合・飲み会に足が遠のいていたところ、いつの間にか、すっかり窓際族で定着してしまった感があり、最近は、私よりも何年も後に弁護士になった方が、遥かに「弁護士会の重鎮」として活躍されているようです。

もともとそうしたキャラではあるのですが、上記の事情から、事務所経営者としては、遅まきながら会務に積極的に関わらないと事務所の存立そのものも危ういかもしれないと、恐怖を感じるところはあります。

但し「弁護士の盛岡一極集中」という岩手の特殊性の裏返しとして、盛岡以外の他の地域で開業されている方はもともと弁護士会に仕事の供給を依存する必要が乏しく裁判所からダイレクトに受注する面も大きいので、以上に述べたことは盛岡=県庁所在地に限った現象というべきかもしれません。

ちなみに、本書98頁では「大組織に(幹部候補生として)就職することは、これだけ良いことずくめだったが、今やそのメリットは毀損されている」として、高給や安定、キャリア形成のチャンスなどが上記のメリットとして説明され、他方で「大企業を辞める人が重視する価値」として、様々な自由や「組織の序列、くだらない形式的な仕事」に人生を奪われないことなどが挙げられていますが、それらは、地方の弁護士における「一匹狼でいるより弁護士会に積極的に関わるメリット、敢えて関わらないメリット」と、重なるような気がします。

ちきりんさんのブログでは「大企業に依存する社会・人生」の減退ないし終焉・脱却(とこれに伴う個の復権)が現在の社会のトレンドになっているということが繰り返し強調されているのですが、地方の弁護士会は「周回遅れ業界」に相応しく?これまでは「個」が中心ないし基本であったものが、かえって弁護士会が地域の大企業(受注と供給の受け皿)としての性質をますます強めている(個々の弁護士の依存の度合いが深まる)かもしれない感じ、それを前提に、組織での出世に微塵も向いていない私が何に活路を求めていくべきか、悩んでいるというのが正直なところです。

基本的には、もはや後戻りは困難として弁護士会に依存しない形での仕事の獲得に力を入れたいのですが、地方の弁護士業界の「市場化」はまだまだ文化としては未成熟との感は否めず、そういう意味では周回遅れの宿命を負った業界で、伝統的な手法に依存せざるを得ない面は強く感じます。

もともと、我が国は、「平家、海軍、国際派」は出世できず、「源氏、陸軍、国内(内務)派」が主流を占める社会とされ、異質な他者(国外)と自由に幅広く接するよりも、同質的な身内を秩序で固めていく方が好ましいとされてきた組織ないし社会の文化があります(岩手弁護士会に関しても、そうした傾向を感じる面は率直に言ってあります)。

ちきりんさんは前者そのものといった感がありますが、私は、キャラは地味(後者)なのに生き方や志向は前者派という感は否めず、そうした「生き方の分裂」が生じているせいか、どこに行っても集団内の路線(多数派)との関係で不適合が生じたり「場の空気」に馴染めず内部で厄介者扱いされてしまう面があるように思います。

現代の急激な社会の変化の中で、そうした日本の風潮が多少でも変わるか、それとも、やっぱり「平家」は社会の閉塞感が高まっているときに一時的にもてはやされても短期間で退潮していくのか、また、変容の源とされる情報通信技術(コミュニケーション技術)の変革(IT革命)が日本社会の中で本当に「革命」と言えるか、それとも単なるクーデター=体制内権力者の交替の手段に止まるのかという視点も交えながら、弁護士会ひいては遠からず大変容を余儀なくされるであろう弁護士業界と向き合っていきたいと思っています。

掛川城と静岡の「明日に架ける橋」たち

今年の正月は静岡県中西部に足を伸ばしました。まずは、島田市にある「世界で最も長い木造橋」とされる蓬莱橋に行きました。

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個人差はあるでしょうが、片道10~15分程度で、終点(橋の向こう側)に小さな祠があり、広大な大井川や遠方に見える富士などの眺望もよく、気軽に散策できる場所としても、訪れてよいところだと思います。

島田市は、岩手県民には震災後、放射線風評被害に負けずに真っ先に「三陸の被災廃棄物の広域処理に手を挙げた自治体」として覚えている方も少なくないと思いますが、私の知る限りでは、その後、島田市が県内ニュースなどに登場したとの記憶がありません。

同市が受入を表明した理由が、日本茶の一大産地たる同市にとって岩手が上得意という事情があったと報道されていましたので、今後も、相互交流や両県での各種物産品の販売、共同企画商品の開発と全国展開など、折角のご縁を豊かにしていく営みがもっとなされればと思っています。

次に、掛川城に行きました。こちらは、今川氏の統治時代に大物重臣の一人(朝比奈氏)が居城として築いたのが発祥とのことですが、言わずと知れた、山内一豊が「初めて本格大名に出世した城」として著名であり、現在の城郭も、(対徳川氏の防御目的で)一豊公により拡張・整備されたものとされています。

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そのため、「大河バカ」の私が「巧妙が辻」のテーマ曲を口笛で吹きながら散策していたことは、申すまでもありません。

現在の城は、江戸末期に地震で倒壊した後、現代になって地元の熱意で再建されたとのことで、東北で言えば、片倉景綱が統治した白石城に似ているのかもしれません。

数年前に浜松に行ったときには、浜松城が年末休業になっていたのですが、こちらは有り難いことに年末年始も休まず営業されているとのことで、入口にはご年配?の忍者まで出勤されており、南アジア系?の外国人ご家族ともフレンドリーにカタコト英語で会話をなさっていました。

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残念ながら二の丸美術館だけは休館でしたが、他の施設はすべて拝観可能とのことで、二の丸の御殿(藩の政庁)や城郭の一部「竹の丸」に地元の豪商が明治期に建築した邸宅跡を拝見し、二の丸茶屋で一服いただいて帰りました。

竹の丸の邸宅は、明治の廃城の際に地元の豪商が土地を取得し建築したとのことで、盛岡でいえば徳清倉庫さんのお屋敷に通じるものがあるかもしれません。ただ、外観ないし雰囲気については、青森県平川市の盛美園(「借り暮らしのアリエッティ」の屋敷のモデルになった館)に少し似ているような気がします。

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邸宅は「竹の丸」だけに本丸(天守)の直下にあり、徳清倉庫さんも、どうせなら城から離れた場所ではなく下ノ橋の袂あたりに建てていただければ、今頃は「盛岡城址の定番周遊コース」になっていたのにと、少し残念に思いました。

また、竹の丸と二の丸との間にステンドグラス美術館があり、折角なので立ち寄ってきました。

館内の解説によれば、作品自体はヴィクトリア王朝期のイギリスで作られて英国国教会に設置されたものが中心とのことですが、1960~70年代の英国で、「反王朝文化」の風潮が起きて国教会の多くが閉鎖され、協会内のステンドグラスの多くも無惨に破壊される中、たまたま日本に収集家がいるとの話があって、その方が多数を買い集めて保存されていたものを公開しているのだそうです。

館内はさほど広くはありませんが、教会に飾られていた同一サイズのステンドグラス群が聖堂のような雰囲気で並んでいる様は、かえって上品で荘厳な印象を与え、心地よい空間を演出しているように感じます。

ところで、「1960~70年代のイギリス」は、現代欧州史は不勉強なのでさほど知識はないものの、ビートルズを生んだイギリスであり、サッチャー時代の前史=英国病と後日に非難された時代であり、王朝時代への反感や国教会の衰退などという点からしても、それまで社会で抑圧されていた労働者達(の利害を代表する労働党)が、保守党(の支持者たる富裕層)に代わって社会の主役に躍り出た時代でもあるのだと思います。

だからこそ、そうした社会の光と影がステンドグラスの向こう側に垣間見えるようにも感じますし、そんな時代の荒波に晒された文化財を日本の愛好家が保護して現代に価値を繋いだということにも、大いに意義があるように感じます。

館内の解説では、ヴィクトリア王朝文化は日本の浮世絵等の影響を受けており、その原因は幕末~明治の混乱期に日本の美術品が大量に国外流出したことによるのだと記載されており、そうした「洋の東西でそれぞれ生じた美術品の受難と伝播の交錯」も、歴史や文化の深さを感じさせるものがありました。

最後に立ち寄った「二の丸茶屋」では良心価格で抹茶と和菓子をいただき(城の拝観と竹の丸や茶屋がセット券になっていました)、ちょうど休憩が欲しくなるミニ周遊の最後ということもあり、大変ありがたく思いました(茶菓子は、地元の和菓子屋さんのものを使っているそうです)。

盛岡城址には、このようなサービスを提供する庭園等を備えた施設等はない(そもそも、和菓子と抹茶を気軽に堪能できる店舗自体が城跡公園の周辺にない)ように思われ、改めて残念に感じます。

例えば、建替中の教育会館や亀ヶ池などの周辺に、そうした施設ないし店舗を設置してはいかがかと思うのですが、どうでしょうか。

掛川城周辺は、民家や公共施設なども、掛川城の景観を壊さないよう、多くの建築物が、瓦屋根や白い壁のような外観にするなど、非常に配慮された街並みを形成しており、その点もとても心地よく感じました。

盛岡は、城の建築物はおろか武家屋敷などが全く残っておらず、その原因は、南部氏が戊辰の敗戦で転封の憂き目に遭い、その際に家臣団が根こそぎ移転し家屋敷を売り払ったからだという話を聞いたことがあります。そうした「旧支配層たる公権力の喪失」は、一方で、民間活力の勃興や明治期の人材輩出に繋がった面もあるかもしれませんが、他方で街全体の香気を損なってしまったような印象もあります。

盛岡の人々も、「盛岡ブランド宣言」などと称するのであれば、公園の名称改変などという子供騙しの話ではなく、一人一人が「南部の殿様」になったつもりで、城を取り囲む風景について都市規模に相応しい歴史と現代の双方の美と用途を備えた都市計画を練り、ハードとソフトの双方を100年かけてでも作っていく努力こそが必要というべきではないかと思いますし、それが、「主権者」たる地域住民のあるべき姿ではないかと思います。

掛川城は、山内氏の性質上、ご夫婦で裸一貫から事業を興す方にとっては何かと御利益がありそうな気もしますし、そうでない方にとっても、様々な思索の源泉となる場所として、一度は訪れてよいところではないかと思います。

 

相続対策セミナーで「中高年のアイドル」を目指す弁護士?

明治安田生命さんのご依頼で、1月中~下旬に県内3箇所(盛岡、水沢、大船渡)にて「相続(争族)対策セミナー」を実施させていただくことになりました。

ここ最近、相続対策(納税や他の相続人への代償金の原資づくり)として、生命保険の活用が注目されており、そのような観点から、「保険が必要となる前提場面としての争族紛争などを知っていただく」という見地から、地元の町弁の私に白羽の矢を立てていただいたようです。

同社にあまり商売っ気がないのか大して期待されていないのか?ネット上では広告なさっていないようなので(営業の方々にお任せしているそうです)、テコ入れも兼ねて?今更ながら、末尾で予定などを告知することにしました。関心のある方は、同社盛岡支社をはじめ開催場所の営業所までお問い合せいただければ幸いです。

恥ずかしながら、私は大勢の方の前で話をするのは苦手なので、毎度ながらレジュメの棒読みのような講義になるかもしれませんが、奮ってご参加いただければ幸いです。

ところで、テーマの性質上、主に中高年の方がおいでになると思いますが、妻と会ったばかりの頃に「綾小路きみまろに似ている」と執拗に言われたことがあります。

そこで、いっそ、それをネタにして「オボマロ」などと称して仮装し「あれから40年、あの頃はあんなに小さかった我が子の手は、今や、相続はまだかまだかと崖の端まで伸びてきて・・」とか、「東京で暮らす子供からの電話は、オレオレに金を取られてないかという話ばかり」などと漫談してみたい誘惑に駆られないこともありません。

ただ、笑いを取るだけの力量はありませんし、講義では、過去に扱った紛争なども例に出して(もちろん守秘義務の範囲内で)、それなりに生々しい話もお伝えするかもしれませんので、ただでさえ似合わない毒舌トークなんぞ試みても、参加者の方に「帰れ!」と言われてしまいそうです。

それはさておき、こうした機会を生かして、レジュメを持ち帰るだけでなく、有益な話が記憶に残るよう、関心をもってテーマを拝聴いただけるような話芸を磨くことができればと思っています。

また、レジュメがA4版で25頁以上という「大作」になってしまったので、後日に今後の宣伝を兼ねて、項立ての中身についても少し投稿したいと思っています(自分で言うのも何ですが、このレジュメを貰いにいらっしゃるだけでも意義があるかもしれません)。

そのまま肉付けすれば、ちょっとした書籍が出来上がりそうなので、出版企画を持ちかけて下さる方がおられば大歓迎なのですが、泡と消える淡い期待で終わってしまいそうです(笑)。

【テーマないし項立て(予定)】

① 相続に直面するにあたって考えておくべきこと
② どのような場合に「争族」になりやすいのか
③  「争族」対策と、節税・納税策(生命保険)との関係
④  紛糾しやすい典型例と、個々の財産に関する一般的な取扱い
⑤ 生前の準備~遺言を中心に~
⑥ 相続の際に問題になりやすい幾つかの事柄と対処
⑦ 弁護士の上手な活用法

【日時・場所】

1月14日 13時半~15時 大船渡
1月19日 10時半~12時 水沢
1月28日 10時半~12時 盛岡

大人も楽しむワンピース世界とホンモノ志向のちぐはぐ感

年末に、妻の実家への帰省に伴い、妻の提案で、東京タワーで行われている漫画「ワンピース」のテーマパーク(東京ワンピースタワー)に行きました。

私自身は大学の頃に少年ジャンプは卒業しておりワンピースは全く見ていなかったのですが、1年ほど前、家族に見せようかと思ってアニメ(ドレスローザ編のSOP作戦決行直前)を録画して見ていたところ、ドフラミンゴの悪辣ぶりが妙に気になり、少年時代に起きた社会の最上層からの転落と矜持や怨念という人物像に逆説的な人間らしさを感じる部分もあって、以来、恥ずかしながら、番組を録画して毎週深夜に見ています。

もともと、同作が、ジャンプの黄金時代が過ぎ去った後、「努力、友情、勝利」という旗印を背負ってきた作品だという話は聞いており、だからこそ、(のめり込まないよう)意識的に避けていたのですが、世界観の壮大さや個々の人物造詣の緻密さ、現実社会にも通じる論点を取り上げて閉塞感を吹き飛ばす爽快さなど、売れるのもよく分かるというか、大人も相応に楽しめる作品だと感心する面は強いです。

また、弁護士の仕事も、「本人の努力、依頼主との友情(共同作業と信頼関係)、事件での勝利」が求められるという点で、ジャンプの価値観そのものと言えなくもない性質があり、次から次へと敵(対処すべき仕事と厄介な論点ないし当事者)と相対しなければならないという点でも、ともすると、子供時代以上にジャンプ作品の当事者にシンパシーを感じてしまう部分はあります

そんな訳で、そこそこ事前知識のある中で「タワー」に行ってみると、大人の鑑賞に耐えうるホンモノ志向が強く表れているものもあれば、そうでないものもあって、ある意味、ちぐはぐ感が否めないところはありました。

良いと感じた点は何と言っても「ライブショー」で、麦わらの一味が、ある洞窟内で得体の知れない何かと闘うという設定になっているのですが、演じる役者さんの格好や人相などはもちろん、踊りの際の様々な仕草や手足の動かし方が、本物を彷彿とさせる面が多く、司会役の女性のアドリブの巧妙さなども含め、ショービジネスに本格的に携わっている方々が作り込んでいるのだろうと強く感じました。

折角ということで、メインである「麦わらの一味のショー」のほか、「ボン・クレーのニューカマーショー」も見てきたのですが、本物と見紛うほどの御仁が登場し、大人も子供も楽しませる工夫が随所に見られる一方で、その種のショー(いわゆる夜?の大人向けのもの)にありがちな痛々しさ(尊厳が損なわれている印象)はなく、そうしたことも含めて感心しました。

参加者も大いに盛り上がっており、例えば、前者のショーでは、多くの若い?女性から「サンジー!」などと黄色い声が盛んに飛び交っていました。

他方、昼食はビュッフェ形式の「サンジのレストラン」を利用したのですが、様々なメニューに作品の登場人物の名前などが付けられているものの、食事自体は値段相応の「テーマパークのありふれたバイキングそのもの」といった感じで、少なくとも大人の「ワンピースファン」が満足できるほどのものではありませんでした。

あまりマイナスなことを書くのは差し控えたいのですが、例えば、普通のポタージュやミネストローネを、いくら黄色や赤色だからといって、「黄猿の~」「赤犬の~」などと命名するのは、かえって興醒めというか、こじつけ感が丸出し過ぎて本物への冒涜ではと思わないでもありません。

せっかく、サンジが作品中は著名なレストランの大物シェフの片腕を務めていたという設定があるのですから、上記のような「子供(ご家族)向け」のバイキングとは別に、作品で出てくるレストラン(バラティエ)を模すなどした本格的な料理を提供する店舗も考えて良いのではと思いました。

とりわけ、上記の「黄色い声を上げている女性陣」は、恐らくはディズニーにも湯水の如くお金を使うような購買力が高い(その種のものに出費を厭わない)層なのでしょうし、いっそ、ショーに対抗して、サンジに似た風貌の人を集めて髪もカツラ等で対応し質の高い料理をテーブルに給仕するサービスなども提供すれば、一人あたり単価で数千円以上の値段でも世界中から殺到する層が十分いるのではと思われます(それこそ、ナミやロビンの格好をして入店したいという層すらいそうな気がします)。

さほど作品世界を知っているわけでないので、作品中で、その「高級レストラン」に相応しいメニューが取り上げられているのか知らないのですが、そうであるなら、いっそ、名だたる若手シェフ(それこそ、作品のファンのような方々)に作品世界をイメージしたメニュー開発を依頼して、東京タワーの近くの本物のレストランに協力依頼して特別メニューを出すといった試みもあってよいのではと思いました。デザートも、相応のパティシエに依頼して、皿に作品の絵柄を表現するような一品を出せば、より好評を博するのではないでしょうか。

あと、物産店舗(ショップ)についても、ローの帽子とか海軍大将衣裳などと称するモノが売っていたのですが、これも、本物志向の強い人からすれば、買わないだろうなぁという印象は受けました。

決して安い帽子ではなかったのですが、その「(普通の)子ども向け商品」とは別に、その5倍から10倍かけて、高級ブランド店でも取り扱うようなものを敢えて加えた方が、「なりきりたい大人」には受けるのではと思いました。

ちょうど、ショーで前に座っていた女性が、エースの帽子とそっくりなものを被っており、てっきり売店で購入したのかと思ったのですが、それらしいものが見あたらなかったので、手作りなのか似たものを他で入手したのか、単なる私の勘違いかは分かりませんが、子供以上に大人(外国人を含む)の集客を多く見かけたこともあり、出費を惜しまない本物志向のニーズは相応にあるのではと感じました。

ワンピース自体は、ディズニーに負けない強力なコンテンツとして世界で勝負できるように思われるだけに、本物志向でレベルの高いショーと、それと反対方向の印象が否めないレストランやショップの落差のようなものを感じ、後者のグレードを軽視しない(ように見える)ディズニーに見習った方がよいのでは?(それこそが「花の都・大東京」の役割と責任なのでは?)というのが、とりあえずの感想といったところです。

アニメの方は、ようやくルフィーとドフラミンゴの対決が決着するところまで来ましたが、ワンピースの世界の様々な問題や矛盾に伴う負の部分を一手に引き受けて「暴力による非人道的な解決の万能性」を主張する存在であるドフラミンゴを見ていると、現実世界の「イスラム国(IS)」などに重なる面が大きいように思われます。

それだけに、混沌をもたらした世界の矛盾の象徴というべき西欧列強による爆撃などでは本当の解決が実現するはずもなく、非人道性の核にある矛盾を根元から洗い流すような営みが広まって欲しいですし、そのことに貢献することこそが、中東などに迷惑をかけた過去がなく、他方で圧倒的な強者達に挑んだ経歴がある「地味でイケてないルフィー」というべき日本の役割として、求められているのだろうと思います。

平成28年の年頭のご挨拶

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年末は28日で通常営業を終了し、4日まで年末年始休業となります。個人的には、溜まった日経新聞の閲読や判例雑誌の学習(DB作り)、事務所の書類整理に充てたいところですが、今回も家族の実家への帰省などであっという間に過ぎていきました。

昨年は、ここ数年の潮流である弁護士業界の大増員や高金利問題の終焉に伴う倒産・債務整理分野の需要減などの影響が本格化し、当事務所も厳しい荒波に揉まれました。

幸い、昨年も、家事(離婚や相続など親族間の紛争や広義の家族又は親族関係の法律問題)や交通事故をはじめとする賠償請求の分野を中心に、他の分野も含め多くのご依頼をいただき、現在も相応に忙しくさせていただいておりますが、事案の性質や依頼主のご予算などから利益率の低い仕事や不採算のものも多く、事務所経営者としては難しい判断を迫られる日々が続いているというのが率直な実情です。

弁護士業界を巡って生じたここ10年の時代の激変の中で、当事務所ないし私のあり方についても色々と考えていかなければならない点は生じていますが、時代の激変というマクロ視点と「一人一人の速度が異なる(特に、岩手は周回遅れと最先端の双方が混在している)」という幅広いミクロ視点の双方を見据えつつ、「地域社会やこの地を愛する人々のため、今、何が法律実務家に求められているか、何ができるか、すべきか」を基本に、皆様に必要とされ、ご期待に応えることができる事務所を今後も目指して、地道に努力し続けたいと思います。

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