北奥法律事務所

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2014年

議員定数(総数)の削減と立法府の役割

先日の総選挙では、前回の総選挙に先だって解散を決めた野田前首相が、議員定数の削減を与野党の共通課題として安倍総裁も同意したのにそれを反故にして解散をしたとして、厳しく批判する一幕がありました。

私も、現在の国会の様子を拝見する限りでは、削減に反対する立場ではないのですが、前提として、国会議員とはどのようなことをすべき仕事であるか(どのような人が選ばれ、何をすべきか)についての議論(意見ないし認識の集約)が必要ではないかと思っています。

この点、国会議員が、「官僚が準備する法案の承認と税金(利権)の分捕り合戦をするだけの仕事だ」というのであれば、少数で十分だとか、素人や業界代表だけでも足りるので報酬も減らせ(タダでもよい)ということになるのかもしれません(言い換えれば、数を減らせ、報酬を減らせという主張は、そうした政治システムと結びつきやすいとの意識が必要だと思います)。

しかし、議員のあり方をそれでよしとするのは、民主政治という観点からは、いささか寂しい主張のように感じます。

他方、民主党政権が試みた?ように、議員一人一人を行政府にドシドシ送り込んで行政の活動に密着させ、様々な分野で影響力を行使させるべきという考え方に立つのなら、人数もそれなりに必要だとか、人材確保の見地も含め、報酬もそれに相応しい額にすべきということになると思います。

また、その場合には、「威風堂々中身無し」という形容があてはまるような方が無為な神輿になったり、独りよがりな方が無用の混乱を現場に生じさせるといったことがないよう、その役割を任せるに相応しい人材を議員に当選させるべきで、一定の能力・資格などを立候補等の要件とすべきだとか、政策の立案・執行に関する力量がなければおよそ務まらないような業務を日常的に個々の議員に課すような仕組みをつくるとか、そうした人が選ばれやすい選挙制度・選出風土にすべきだということになるのだと思います。

もちろん、そのような考え方は、突き詰めれば官僚制度のあり方(高級官僚は政治任用=現在の公務員は政治任用の対象にならない限りは出世できないという方式)、ひいては公務員制度全体の設計に影響が出る話でしょうから、そのことも視野に入れた議論が必要になるのだと思います。

結局、そうした話は、この国に相応しい民主政治(民と官との関係)のあり方についての認識ないし議論に関わることであり、そうした大きな視点での議論が、ここ数年の政治の光景を踏まえて行われるべきではないかと思っています。ただ、私の知る限り、このような観点から生産的な議論や提言などを聞く機会には恵まれず、その点は残念に思っています。

「投票したい人に投票する権利」から考える選挙区制度

先日の総選挙では、投票率の低迷が全国的に指摘されていましたが、岩手県内では山田町の投票率が前回との比較で突出して低下したという趣旨の記事が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20141216_3

これは、山田町が鈴木俊一氏(岩手2区)の親子二代に亘る地元であり、定数不均衡の是正のため今回から岩手3区に編入された関係で、町内の同氏の支持者の方の多くが投票の意欲を無くしたためであることは間違いないと思います(抗議目的の無効票も相当にあるかもしれません。無効票のデータも見てみたいのですが、報道されておらず残念です)。

このように、「選挙区内の住民の多くが、区外の候補者に投票したいと思っているのに、選挙制度の関係で投票できない状態」というケースは、上記のように区割り編成がなされる場合はもちろん、政党などの都合で候補者自身が選挙区の移動をする場合にも起こり得ます。

また、選挙民の立場からすれば、例えば、「自分はA党の支持者だが、自分の選挙区内のA党の候補者として出馬しているB氏は、国政を託するに足りない人だと思うのでB氏には投票したくない、どうせなら隣の選挙区のA党の候補者のC氏に投票したいのに」というケースは、多々あると思いますし、小規模政党の支持者の方だと、支持する政党が選挙区に候補者を立てることができないという問題もあると思います。

そうした意味では、小選挙区制は、選挙権者の「投票したい人に投票する権利(利益ないし自由)」という意味では、強い制約のある制度だと言えます。

それ以外でも、岩手に関しては、盛岡市と合併した玉山区が、定数不均衡の関係で岩手2区のままの状態が続いている(当面は1区にはなりそうにない)という問題もあり、地方自治(合併した自治体や広域圏の一体性)に対する悪影響も指摘されるべきだと思います。

そもそも、小選挙区制は、①中選挙区制では同一政党(特に与党)から複数の候補者が出馬し、各人が地元民や支援団体などの利益誘導にばかり熱心になりやすい=腐敗リスクがある②有力な二大政党(自民党に代替しうる政治勢力)が出現すれば、55年体制で延々と続いた自民党の万年与党時代が打破され政権交代が可能な政治体制になる(中選挙区のままでは、自民党以外の政治勢力が政権を取るのは無理だ)、といった理由で推進されたものと理解しています。

ただ、②二大政党については、民主党の凋落後は、当面は野党に統合などを推進できる強力な指導者も見あたらず、今回の選挙結果や前後の政治情勢などを見る限りでは、自民党が分裂するような強烈な出来事(今のところ、憲法改正と権力闘争が連動するような事態くらいしか思いつきませんが)でもない限り、今後の選挙でも、当選議員数の程度の差はあれ、自公の万年与党化への逆戻りは避けられないようにも見えます。

また、①ハコモノ行政による財政悪化が盛んに言われる現在の政治状況下で、「中選挙区制に起因する利権誘導政治」なるものがどれほど生じるのかピンと来ない面がありますし、ここ十数年に政治資金・汚職絡みで問題となった事件については、地元(の利益団体)への利益誘導とは異なる次元の話が多いように思われ、腐敗リスクは、現在の社会では、中選挙区制(同一選挙区に同一政党の複数候補者が生じる制度)を否定する理由としては弱いのではないかという感じがします。

むしろ、冒頭に記載した、選挙権者の「自分が投票したい人に投票する自由」という観点からは、全国規模で好きな人をというのは行き過ぎだとしても、例えば、岩手のように4人前後の定数になっている県については、県を1個の選挙区にした方が、自分が県の代表者として国政に送り出したい人を厳選して投票することができるようになると思います。

そもそも、特定政党の強固な支持者の方であれば、「支持政党の擁立候補」であれば、どんな方であれ無条件・問答無用で投票するということになるのかもしれませんし、無党派でも「風(そのときの各政党などへの世論の勢い)」で投票行動を決める方であれば、同様に、気に入った政党の擁立候補であれば、候補者の資質その他を吟味することなく、とりあえずその候補者に投票するということになるのかもしれません。

しかし、(私のように)広義の無党派であると共に、候補者間の「国政の権力行使の従事に相応しい力量、見識を備えている程度(将来性を含め)」を投票行動の最終的な決定要素として重視したいという人間にとっては、むしろ、基本的な価値観を同じくする同一の政党から多数の候補者が出現して欲しい、その中でリーダーとして特に託したいと思える人に投票したいという希望があるはずで、そうした需要に応える選挙制度が導入できないか、議論してもよいのではと思います。

特に、昔と違って日常的に中・広域移動をする人が増え、「盛岡に住んでいても仕事の関係などで他圏(の候補者)の方が親しみがある」といった方も少なくないはずですし、人口減少やネットを含むメディアないしコミュニケーションツールの発達などを視野に入れれば、どちらかと言えば選挙区の単位を大きくする方向に考えてよいと思われます。

とりわけ、冒頭の山田町民のように「地元のセンセイに入れたい」という人にとっては、地元から候補者が引き離される事態を避けたいという面からも、選挙区の単位が大きなものになった方が、「自分が入れたい人に入れる」という希望を満たすことができるのではないかと思います。

その場合、大雑把な感覚ですが、従前の中選挙区に戻すのではなく、もう少し大きい単位(岩手くらいの人口規模なら県単位か隣接県を含む道州単位、首都圏等なら複数の特別区や市の単位)で考えてよいと思われ、1選挙区に4~10名程度の定数を割り振る選挙制度であれば、その需要を満たすと共に、選挙制度の合理的な運営、定数不均衡の是正、投票率の向上といった、選挙制度に関する他の幾つかの要請にも、概ね応えることができるのではないかと思います。

なお、このような選挙制度をとった場合に、「A党の候補者BCDEの4人のうち、Bばかりに票が集中した場合、全体としてA党候補者の得票が多いのに、個人としての得票が少ないCDEの3名が共倒れになる」という問題が生じ得ます。

このような2番手以下が共倒れになるリスクについては、例えば、投票用紙に「票を入れたB氏が必要以上の票を得た場合に、B氏ないしA党が、C氏ら2番手以下に配分することを了解するか否か」という項目を作るなどの方法で、全体として選挙区内で多数の票を獲得した政党がより多くの議員を擁することができるシステムを構築することは可能ではないか(上記の例なら、投票者がB氏以外の候補者には当選して欲しくない(B氏以外は他党の人を当選させたい)と考えるのであれば×、A党の支持者なのでB氏が十分な得票を得るなら他の候補者に配分して構わないと考えるなら○を選べば、死票にならない)と考えます。

また、選挙区の単位を大きくする主張には、「選挙費用が嵩む」との批判が向けられやすいことは確かですが、広すぎることで、かえって掛け声だけの選挙カーが意味をなさない(費用対効果が悪い)として、有権者に対する別のアプローチ(選挙期間以外の時期を含め)ないしコミュニケーションの文化が開発・醸成されるのではと期待したいところです。

少なくとも、小選挙区導入以後の岩手1区の各候補者の得票率(wiki情報)などを見る限り、浮動票の占める割合が非常に少なく、各党ごとの得票率の固定化ぶりが著しいように思われ、そのことは、個々の候補者の得票の大半を固定客=政党等の支持者が占めていること、裏を返せば、現在の選挙制度(小選挙区制)が、無党派(各候補者を吟味して投票行動を決めたい人)にとって魅力(選択肢)のない制度になっていることを示しているように感じます。

一朝一夕にできることではありませんが、少なくとも、小選挙区・比例代表並立制を所与の前提とせず、我が国の現在及び将来の民主政治にとってどのような選挙制度(代表者を選ぶシステム、ひいては選挙で抜擢される代表者のあるべき姿)が最良なのかを、国民が広く議論し認識を共有できるような文化が醸成されて欲しいと願っています。

衆院選・岩手1区の公開討論会と前回に垣間見た「保元の乱」

突然に決まった衆院選ですが、週明け(12月1日)に盛岡市内で岩手1区の候補者による公開討論会が、JC(青年会議所)の主催で行われます。
http://www.moriokajc.org/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=444

今回は、現役の理事長の方が司会を務める予定と伺っていますので、選挙の意義を理解されている盛岡圏の方々はもちろん、「理事長に恥をかかせない」という見地から、少なくとも盛岡JCの関係者には積極的に参加いただければと思っています。

私は昨年にJCを卒業していますが、前回=平成24年12月の衆院選や昨年の参院選の公開討論会などを担当する委員会に所属していた上、設営のあり方などを巡って何人かの方と議論をしていたこともあり、私にとっては思い入れのあるイベントです(結局、私の希望は今も反映されていませんが)。

以下に引用する文章は、前回総選挙の公開討論会について書いたもの(旧HPの日記欄に掲載したもの)です。今回は、こうした意味での面白さは無いのかもしれませんが、当時ご覧になっていない方は、ご一読いただき、国民主権意識の涵養のきっかけにしていただければ幸いです。

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平成24年12月3日、JCの主催で岩手1区の公開討論会があり、参加してきました。私も末端のスタッフになっていたのですが、事前準備をサボっていたため、「タイムキーパーの補佐の補佐」という名ばかり役職があてがわれつつ、最前列のど真ん中で他のスタッフの方と肩を寄せながら拝見していました。

6年前に知事選の討論会のお手伝いをした際には、「何もしなくてよいから、終了後に機関誌用のレポートを書け」と命じられ、物議を醸さない程度に言いたいことを書いた記憶があり、今回も悲しい性か色々とメモをとったので、書きたいことが無いわけではありません。

が、ここでは1点に絞って書きたいと思います。もちろん、申すまでもありませんが、私個人のお気楽な私見を綴っているもので、JCとは何の関係もありません。

今回の討論会の最大の目玉は、直前に立候補を表明した、生活党改め未来党の達増知事夫人こと達増陽子氏が、初めて?の公衆向けの場で、どのような振る舞いが見られるかという点であったと思います。そこで、同氏(以下、達増知事との混同を避ける趣旨で、「陽子氏」といいます。)の様子に着目していたのですが、開始早々、非常に興味深い光景を目の当たりにしました。

すなわち、冒頭、司会者(岩手大の政治学の先生)から、各候補者に自己紹介が促され、陽子氏が2番手でスピーチをした後、隣に着席した3番手の階猛氏(民主党現職)がスピーチを始めたのですが、その際の陽子氏の階氏への眼差しが、とても対立候補に向けるとは思えない、慈愛溢れる母が我が子を見つめるようなものであったのです。

この点、報道等に基づく一般的な理解として、階氏(議員)は、小沢氏らが民主党を離党した際、悩み抜いた末に苦渋の選択として民主党に残留したため、今回の選挙では、未来党(当県では「岩手小沢党」とでも表現するのが相当とも感じますが)から対立候補を擁立されることになり、陽子氏に白羽の矢が立てられました。

階氏は、達増知事が6年前に衆院議員から知事に転身した際、後釜として達増知事に抜擢され、達増氏後援会の全面支援のもと対立候補に圧勝し当選を続けており、今回の階氏の選択は傍目には生みの親たる達増知事への重大な裏切り行為にも見え、未来党=小沢氏・達増氏陣営がどのような方を「刺客」として送り込むのか、大いに注目されてきました。

そのような中で、未来党が陽子氏を擁立した趣旨は、①階氏の殲滅を目的に必勝の構えをとったのか、②それを企図しつつも他の適材が得られず仕方なくということなのか、③他の意図があるのか、私のような県内の一般庶民レベルで確立した見解は未だ生じていないと思います。

しかし、少なくとも、冒頭の陽子氏の様子からは、①や②の意図、換言すれば階氏への憎悪的なものは微塵も感じられず、ここ数ヶ月間の達増知事が盛んに再合流の期待を述べていた光景と合致する、階氏への愛着(未練?)を強く印象づけるものでした。

ところで、陽子氏自身については、知事夫人が急遽、出馬となったこと自体を批判する言論も散見されるところですが、私自身は、少なくともスピーチの姿勢(口ぶり或いは未来党のスポークスマンとしての振るまい)等に関しては、堂々とした、見事なものだと感じずにはいられませんでした。

少し考えれば、陽子氏は、元議員であり現職知事である達増氏の妻として、何年間も後援会を取り纏め、ご夫君の代わりに様々な演説等もこなしておられたであろうことは容易に思いつきますので(地元報道でも、関係者の説明としてそのように称されています)、そのこと自体は驚くにはあたらないのだと思います。

で、その延長線上で考えれば、陽子氏が階氏に暖かい眼差しを向けている理由も、よく理解できます。

恐らくは、達増氏後援会の全面支援により政治家の世界に飛び込んだ階氏にとって、後援会を取り纏めてきた陽子氏は、政治の世界での母も同然で、陽子氏にとっても、階氏は我が子も同然という関係にあるのではないかと思われます(もちろん、私は内部事情は何も存じませんので、あくまで報道と討論会の光景のみに基づく推測です)。

であるがゆえに、色々と込み入ったご事情があるのだとしても、階氏が小沢氏や達増夫妻の庇護を離れ、「独り立ち」を始めた姿は、陽子氏にとっては、我が子の巣立ちを見るような感慨があり、それが、上記の光景となって現れたのではないかと感じた次第です。

さすがに、その自己紹介シーンの後は、陽子氏が慈母の如き眼差しで階氏を見つめるような光景は見られず、基本的にはキリッと前を見据えてご自身の主張を述べておられたように思います。

階氏に関しては、お二人がマイクを交わす際に笑顔が見られた程度で、基本的にはいつも?の厳しい面持ちを続けていましたが、陽子氏に含むところがあるというのではなく、真っ当な緊張感を保っていたに過ぎないと理解しています。

公式見解で語ることはできないのでしょうが、階氏にとっても、恩義ある方々に弓を引くことに心苦しい思いを重ねておられると推察されます(階氏に関しては、一応は同業ということもあり何度かご挨拶したことがありますが、非常に誠実な方と理解しているつもりです)。

もちろん、お二人とも馴れ合いの選挙戦をしているわけではなく、公式(対外的?)には真剣勝負をなさっているのでしょうから、このような思いを抱きながら親子同然の関係にある者同士が戦を余儀なくされるというのは、保元の乱における源為義らvs源義朝の姿に重なるところがあるのではないかと思わずにはいられませんでした。

周辺の構図という点で考えても、以前ほどの勢いがなく、凋落が噂される本来の主君(小沢氏)への忠節を全うせんとする達増夫妻と、それと袂を分かち天下の権を掌握した者(小沢氏の失速後に政権を担った現・民主党)のもとで生きる道を選んだ階氏という構図は、小沢氏を摂関家の氏の長者たる藤原忠実・頼長に、現・民主党を後白河天皇や信西に置き換えれば、あながち強引とも言えないように思います。

そのように考えていくと、未来党が陽子氏を抜擢したのも、人材難だとか階氏と信頼関係のある人(陽子氏)の方が後腐れがなく将来の再合流がし易いなどといった面白味のない理由(だけ)ではなく、親子対決であることを承知の上で、「どちらかが斃れても、片方が生き残れば、我が一族(階氏を含む広義の達増ファミリー)は残る。だから、敵同士に分かれても悔いなく戦おう」といった悲壮なメッセージを含むものかもしれないなどと、妄想を膨らませることができそうな気もします。

少なくとも、討論会で「小沢首相を期待していたのに民主党に裏切られた」などと、小沢氏への忠誠を熱く語る陽子氏と、小沢氏について何も語らない階氏(時間の制約も大きいとは思いますが)を見ていると、以前、弁護士会の会合などで、階氏が司法系の話題以上に小沢氏への支持を熱く語っていた姿を垣間見ていた私には、時の流れというか、大河ドラマ的な光景を感じずにはいられませんでした。

まあ、自民党その他の勢力を(その後に他の勢力を一掃して天下を掌握した)平氏などに見立てたり、関係者の選挙後の姿を保元・平治の乱に近づけて考えるのは無理があるでしょうから、これをネタに「カノッサの屈辱」のシナリオ作りを目論むことはできないでしょうが、少なくとも、権力闘争に身を投ずる方々の大変さと、その方々が現に血を流さずに済む現代の有り難さを実感せずにはいられない面もあり、それらを感じただけでも意義があったと思われます。

公開討論会自体は、候補者に互いの見解への批判を避けよなどと「討論会」の看板とはおよそかけ離れたルールを設営側が定めているため、政見発表会の域をほとんど出ておらず、「政策論争」なるものがどこまで期待できるかという問題はありますが、上記のような光景を目の当たりにし、候補者の方々にある種の畏敬を感じたり、民主政治なるものへの参加意識を涵養する機会になるとは言えるのだと思います。

ということで、今回はパスした方も、次の機会にはご来場いただければ幸いです。

余談ながら、可能なら、今回、司会をなさった岩手大の丸山先生のような方には、学生さんに命じて、岩手の政治家の方々の後援会組織などを社会学的・政治学的見地から実地研究してレポートを公表していただければ、今回のような出来事が生じた場合に、それをもとに深みのある考察ができるのではないかと思ったりもしました。

広告業界に関する契約慣行と契約書なき下請受注のリスク

今週末に、デザイン(広義の商業広告)の仕事に携わる方々によるイベントが盛岡市内で行われるそうです。
http://morioka.keizai.biz/headline/1736/

私は、岩手に戻ってからはこの種のお仕事をされている方と関わる機会に恵まれていませんが、東京時代(10年以上前)には、一度だけですが、大手広告代理店から受注した商品カタログ等の制作に関する代金支払を巡る、厄介な紛争に関与したことがあります。

あまり具体的なことは書けませんが、かつて一世を風靡した某有名CMも制作したという広告デザイナーの方が、勤務先をリタイアした後に手がけた仕事で、ある分野では著名なメーカーから某大手広告代理店を通じて商品カタログの制作を受注し、仕事自体は問題なく完了したものの、代金の支払を巡って関係がこじれたという案件でした。

そして、その方が、制作に参加した関係者(孫請側)からは未払代金を請求される一方、元請側(広告代理店)からは契約関係を否定するなどして支払拒否されるという事態になり、元請側、孫請側それぞれと裁判をしなければならなくなり、その訴訟を受任した事務所の担当者として、2年ほど悪戦苦闘を続けたという次第です。

その方は、センスのある広告を仕上げる力量はある方なのですが(その方が抜けた後に作られた同じ企業のカタログを見せられ、素人でも品質の差が分かりました)、制作畑のご出身のためか、「お金(の範囲や流れ)」の話に詰めが甘いところがあり、それが紛争の主たる原因となり、「契約当事者(元請からの受注者)が誰なのか」など、難しい論点に直面して立証に難儀したのをよく覚えています。

その裁判で、ジャグダというデザイナーの方々の団体や、「クリエイティブディレクター」という職業がこの世に存在することを初めて知りましたが、その後、クリエイティブディレクターの第一人者というべき佐藤可士和氏の活躍をテレビなどで拝見したり、この記事のように広告絡みの話題に接する都度、その事件のことを思い出さずにはいられない面があります。

その事件では、大手広告代理店の代理人も、「この事件のように、広告業界では(一千万以上の金額が動く案件でも)契約書を作らないのが実情だ」と述べており、それが本当にそうなのか、そうだとして現在も続いているのか、存じませんが、合意の内容が曖昧だと、紛糾した際に、制作(下請)側の方ほど割を食う面が生じやすいことは間違いないと思います。

そうした意味では、少なくとも、大きい金額が動くなど潜在リスクが相応に存する案件では、弁護士に事業スキームを説明いただき、幾つかの事態を想定して適正なリスク分配を行う趣旨の契約書や合意書などを取り交わすことを励行していただきたいものですし、そのことは、広告業界に限らず、下請受注一般に言えることではないかと思います。

併せて、岩手県でデザイン業界に従事する方々から、現在、そうした事柄がどのように取り扱われているのか、お聞きする機会があればと思っています。

判例地方自治と雑誌購入

何度か書いていますが、私は数年前から購入している判例雑誌などをもとに判例等のデータベースを作成しています。平成23年頃までは、本業と兼業主夫労働で一杯一杯の毎日で、雑誌に付箋を貼るだけの積ん読状態が続いていましたが、その頃から債務整理などの仕事が減ったせいか?本格的に入力できるようになりました。

現在は、毎月購入している雑誌は、その月のうちに入力を終え、過去の積ん読状態の雑誌も着々と入力を進めることができており、収録も数千件(少なく見積もっても2000件以上)といってよいのではという程度に達しています。

該当する条文の箇所に論点などを付記し要旨をまとめる程度なので、大した作業をしているわけではありませんが、同種の相談を受けた際は前例や参考情報の検索という形で威力を発揮することが幾つかあり、地味で地道な努力が性に合っていることもありますので、今後も続けていくつもりです。

また、判例等によっては、滅多に勉強の機会に恵まれない法令等がテーマになっていたり、様々な論点・法分野が複合的に問題となり、どの場所に収録するかを決める際に多角的な検討を要する事例もあり、そうしたケースでは、要旨を収録するだけでも勉強になるという面があります。

現在、定期購読しているのは、実務家にとっては定番というべき判例時報と判例タイムズのほか、判例地方自治の3冊です。金融・商事判例や労働判例など幾つかの雑誌は、判例秘書(判例・雑誌検索ソフト)で対応させていただき、必要に応じて検索する扱いとしています。

判例地方自治は、判例秘書でフォローされていない上、弁護士会はおろか、盛岡地裁の資料室(弁護士等の第三者も閲覧等が可能)でも購入しておらず、盛岡市内では他所での閲覧等が容易でないため、やむなく購入している面がありますが、受験生時代には行政法はノータッチのため、その勉強も兼ねてと考えています。もちろん、経費の負担を考えると、弁護士会等に定期購読していただき、購入を打ち切りたいとの希望も無いわけではありませんが・・・

ともあれ、判例地方自治には、判例タイムズや判例時報には滅多に掲載されない地方税法絡み(固定資産税関係など)や住民訴訟絡み、自治体が当事者となる国家賠償請求や情報公開請求などが関係する裁判例が多数掲載されており、そこで勉強したことを生かせる場があればと願っています。

公務員が危険な作業を民間人に代行させた際に生じた事故と責任

北海道のある牧場に国が設置した施設内で生じた民間人の死亡事故で、担当公務員の事故防止措置義務違反を理由とする遺族からの国家賠償請求が認められた例について若干勉強しました。

具体的には、AB夫妻が経営している帯広地方の甲牧場内に国が設置・管理した「肥培かんがい施設」(牛などの家畜糞尿の処理施設)を管理を担当する国の機関の職員Cが施設の状況の調査中に、施設の一部である糞尿の貯留槽の蓋を誤って落下させてしまったところ、AB夫妻がCに対し、後日回収しておくと申し出たため、CもABに委ねました。そして、ABが貯留槽内で回収作業をしていた際、急性硫化水素中毒と見られる症状が生じて死亡するという事故が生じたものです。

そこで、夫妻の遺族Xが「CにはABに蓋の回収を委ねる際に、作業の危険性を警告する等の事故防止措置を講ずべき義務の違反などがあった」と主張して国に賠償請求したところ、裁判所(釧路地裁帯広支判H26.4.21判時2234-87)は、Xの主張(担当職員の義務違反)を認め、国に数千万円の賠償を命じています(但し、AB夫妻にも4割の過失があったと認定)。

そもそも、公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失により違法に他人に損害を加えたときは、国又は地方公共団体が賠償責任を負います(国家賠償法1条1項)。

国賠請求を巡る紛争は公務の種類や態様に応じて多岐に亘りますが、「公務員が自ら行うべき作業を申出により民間人に委ねた際に事故が発生した場合に、作業に内在する危険性を警告しなかったことを理由に被害者が賠償請求した例」というのは滅多に聞いたことがなく、同様の性質を持つ事故の賠償問題を考える際に、参考になると思われます。

また、「業務として危険な作業に従事する者が、その作業の一部を好意で代替を申し出た他者に委ねた際に、その者への説明不足に起因して死傷の結果が生する例」というのは、民間企業などでも十分ありうることでしょうから、そうした事故の賠償責任を検討する際にも参考価値があると思われます。

裏を返せば、公務員に限らず、危険性を伴う作業に従事する方が、業務の際に関係者と接する際における事故防止のための措置(接する者への説明等)のあり方という点でも参考になると思われ、研修のための素材として活用できる裁判例というべきかもしれません。

トラック運転手の労働時間と事故時の責任

保冷荷物を配送するトラック運転手Xらが雇用主(貨物運送業者)Yに未払割増賃金などを請求した件で、Xらの待機時間が労働基準法上の労働時間に該当するとして、Xらの請求を認めた例横浜地裁相模原支判H26.4.24判時2233-141)を若干勉強しました。

車両運転に従事する労働者の待機時間の労働時間該当性については、タクシー運転手の待機時間について労働時間性を肯定した例が少し前に掲載されており(福岡地判H25.9.19判時2215-132)、運転者が自由に過ごすことができ労務に服するか否かを自ら判断できるような場合でなければ、使用者の指揮命令下での待機と評価され労働時間との認定を受けるのが通例と思われます。

ところで、私は、「トラック運転手の残業代請求」は携わったことがありませんが(本格的な訴訟としてはIT従事者の方の残業代請求訴訟を行ったことがある程度です)、トラック運転手の方が自損事故を起こし会社所有の車両を大破させたため、勤務先から賠償請求を受けた事件で、運転手の方から依頼を受けたことがあります。

依頼主(運転手)の説明によれば、その件では長時間労働が常態化しており(何年も前なのでよく覚えていませんが、一定の裏付けもあったとの記憶です)、疲労や寝不足などが事故の原因と見られたので、基本的には会社に責任がある事故で、依頼主に一定の責任があったとしても、(私の介入前に)支払済みの金額以上の責任はないと主張しました。

当方依頼主が適法な残業代の支払を受けていたのか、確認したか否かも含め記憶がありませんが、その件では、勤務先も、それ以上の措置(当方依頼主への賠償請求訴訟など)を講じてこなかったので、そのまま終了となりました。

仮に、相手方が訴訟に及んだ場合には、当方依頼主が適法な残業代の支払いを受けていなかったのであれば、反訴として既払金の返還+残業代を請求していたのではないかと思われますが(その件でも待機時間があったはずで、争点になりえたでしょう)、依頼主も自分から提訴することは希望しなかったので、その件では様々な論点が決着しないまま、事実上のゼロ和解となっています。

ともあれ、トラック運転手の超過労働を巡っては、残業代請求のほか、事故絡みも問題も生じやすいことは確かでしょうから、運送等の業務に従事する方は、労使問わず、法令遵守の視点を大切にしていただきたいものです。

消費税の課税標準の判断を巡る裁判

田舎の町弁をしていると、税務に関する法的紛争(申告等の解釈等を巡る税務署との争いなど)の相談、依頼を受けることはほとんどないと言ってよいのですが、東京時代に重加算税処分を争う訴訟を手掛けたこともあり、判例雑誌の勉強くらいはやっておこうということで、多少は勉強するようにしています。

といっても、判例時報などで時折取り上げられる「海外のタックスヘイブンを絡めた巨額の節税対策を巡る紛争(所得税法絡み)」は、田舎の町弁に縁のある紛争とはとても思えず、真面目に読んで勉強するのは、我が業界が対象となった「破産管財人の源泉徴収義務」に関する最高裁の判例など、一部に留まっているのが実情です。

この点、判例地方自治(雑誌)では、固定資産税の評価などを巡る訴訟が多く取り上げられているのですが、消費税は滅多に出番がないと思っていたところ、平成18年に、課税標準(消費税の算定の基礎となる課税資産の譲渡等の対価の額=対価として収受する(すべき)経済的利益の額)の算定を巡る裁判例があったのを見つけました。

具体的には、静岡県川根町の第三セクターが経営する温泉運営企業が、平成12~15年に、入湯客数や入湯税の対象者数を毎日集計し、営業日報に記載する方法で入湯税額を毎日算出して町に申告納税することにより、消費税は課税標準額に入湯税相当額を含めずに税務署に申告していた件で、税務署長が、当該申告方法(消費税の課税標準額からの除外)を認めずに更正・過少申告加算税賦課処分をしたため、企業側が処分取消請求をしたところ認容された例です。(東京地判H18.10.27判タ1264-195

裁判所は、上記の経理作業のほか、顧客への周知などから取引価額と入湯税を区別していたとして、入湯税部分が課税標準額の対象外となることを認めています。

ところで、このような「消費税と他の税金の二重課税」の問題は、温泉税に限らず、酒税など幾つかの商品・サービスで問題になりうるのではないかと思い、そうした紛争や制度上の手当の有無はどうなっているのかと少しだけ検索してみました。

すると、ある税理士さんのサイトで、「たばこ税・酒税等はメーカーが納税義務者となって負担する税金で、その販売価額の一部を構成しているので消費税の課税標準に含まれる。軽油引取税、ゴルフ場利用税、入湯税等は利用者(消費者)が負担する税金なので、原則として消費税の課税標準から除外される」とあり、そうであれば、残念ながら街の酒屋さんなどが、上記の温泉企業のような工夫をして消費税を節税することは難しい(他方、ゴルフ場などは、工夫次第で可能であり、税務署の処分を争うこともありうる)ということになるのかもしれません(もちろん、両者を区別することについての制度論としての当否の問題はかなりあるとは思いますが)。

ところで、上記の裁判例を手掛けたのは我が国の税務訴訟の第一人者と目されている鳥飼重和先生の事務所で、判決文の代理人一覧には面識のある方も含まれているのですが、税務訴訟のすべてが「第一人者が担うべき、多様で総合的な税法の知識、理解を要する訴訟」であるわけではなく、中には、事実認定が主たる争点であるとか、法律論としてはさほど複雑ではない案件もありますので、訴訟外の交渉なども含め、田舎の町弁にもお役に立てる機会をもっと持てればと思っています。

日吉の丘のラ・サールと函館山のカール・レイモン

盛岡の川徳デパートでは、例年、11月頃に北海道フェアを行うことが多いのですが、その際、「函館カール・レイモン」のソーセージ等が販売されるときは買物に行くことが多く、今年も何点か購入して帰りました。

私は平成元年から4年まで函館ラ・サールで高校生活を過ごしましたが、以前にも書いたとおり、勉強もダメ、運動もダメと、何一つ取り柄のない、のび太以下の有様という鬱屈とした日々を送っていました。

そのせいか、高校(及び併設の寮)は、函館中心部の東端にある湯の川温泉から北側の丘を20~30分ほど歩いたところにあるのですが、1、2年生の頃は、高校のある日吉町から逃げるようにして、日曜の朝に丘を下って湯の川温泉の停留所から市電に乗り込み反対側の函館山の麓まで行き、フラフラと散歩しては日暮れ頃にやむなく寮に帰る、ということが何度かありました。

その際、気に入って昼食利用をしていたのが、当時はレストランとして営業していたカール・レイモンのお店(レイモンハウス)でした。

私は、高校に進学(合格)した際、母から「褒美に海外旅行に連れて行ってやる」と言われ(海外経験のない母自身の希望でもあったとは思いますが)、高校1年の夏に、母と二人でドイツなどヨーロッパ数カ国を巡る10泊程度のパックツアーに参加したことがあります。

その際、主要な行き先になった西ドイツ南部(ロマンチック街道のローテンブルクほか)の光景が懐かしくて、それと同じ外観・内装になっているレイモンハウスのレストランで、ドイツ料理(実際に注文したのは800円程度のソーセージ等のランチセットでしょうけど)を食べ、ハリストス正教会など元町界隈の異国情緒に接するのが、ささやかな精神衛生の手段になっていたように思います。

そんなわけで、私にとっては、レイモンハウス(レストラン)が函館時代の数少ない「思い出の場所」で、最もお気に入りの場所と言っても過言ではないのですが、残念ながら、建物の外観こそ維持されているものの、何年も前にレストランは閉鎖され、現在は売店兼軽食コーナーという設えになっているようです。
http://www.raymon.co.jp/brand/pavilion.php

ただ、それだけに、「子供の頃の故郷の自然の風景」と同じく、失われたゆえにいつまでも美化?されたまま心に残る光景となっている面もありますし、「カール・レイモン」が盛岡に来ると買いにいかずにはいられなくなるのも、「高校時代を懐かしんで」という一語だけでは片づかない、あの頃の自分への屈折した執着のようなものがあるのかもしれないと思ったりもします。

そういえば、中学時代から世捨て人志向があったせいか、高校1、2年生の頃は、語学に強い大学に進学し、ドイツに留学してそのまま現地で仕事をする人間になりたい(日本には帰りたくない)と思っていました。今も、そんな自分はどこに行ってしまったのかと寂しくなることもあります。

恥ずかしながら、高校卒業後、函館には一度も足を踏み入れない状態が続いており、そろそろ家族連れでとは思っていますし、どうせ行くのなら、その頃に行かなかった観光地だけでなく、高校から1時間ほど坂道を上って垣間見た「函館の裏夜景」なども見に行けたらと思っているのですが、いざ足を踏み入れてみると、ふとしたきっかけで、封じ込めていた幾つかの感情が溢れてくるなどということも、あるのかもしれません。

ワイナリーの名所群と岩手のワイン処

私は、岩手日報と日経新聞を購読していますが、前者はほぼ毎日欠かさず見ているものの、後者は深夜のまとまった時間にまとめ読みをするスタイルのため積ん読となる一方で、今も半年ほどの新聞が自宅内で山積みになっています。

ただ、日経新聞でも土曜の「NIKKEIプラス1」だけは、「何でもランキング」の名所特集が、ささやかながら観光気分を味わえることもあり、すぐに読むようにしています。昨日は「地産地消 食事もできるワイナリー」が特集され、甲信地方(長野・山梨)などのワイナリーの名所が取り上げられていましたが、残念ながら、東北地方からのランク入りはありませんでした。

なお、ネット上でもこのランキングを見ることができます。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO79402270X01C14A1000000/

岩手では、花巻市大迫町が戦後間もなく始まったワイン生産地で、近年では、紫波町や葛巻町などもワイン産地として売り出していますが、「食事のできるワイナリー(で、全国規模の集客ができる魅力を備えたもの)」は、県内にはほとんどないのではないかと思います。

この点は、人口規模の違いか、交通の問題(電車等との接続)か、遠方からでも人を呼び込めるブランド力(建物や周辺景観、ワインや料理等の総合力)や経営センスを備えた企業(経営者)が育っていないのか、それ以外に原因があるのか、私には分かりませんが、「地域ブランド」などと運動をするのであれば、こうした(高級温泉旅館などとは違った形で)「地元や遠方のお洒落さん達を呼び込める洋風の施設(ひいては空間)」を作り育てる努力が必要なのではないかと思います。

また、私の知識不足かもしれませんが、盛岡で暮らしていても、地元のワインを美味しくいただくための料理を提供することに力を入れているお店とか、そうしたワイン・料理を家庭で楽しめる惣菜やレシピ等を地元民向けに販売する試みなどというものはほとんど聞いたことがなく、知見のある方々には、そのような地道な取り組みも行っていただきたいものです。

大迫のワイン醸造を始めたのは二戸出身の岩手県の初代民選知事・国分謙吉翁と伺っていますが、例えば、大迫、二戸そして謙吉翁が農場開発を行った滝沢市などが手を取り合って、甲信地方の名店に見劣りしない集客力のある飲食施設などを開発していただければと思っています。