北奥法律事務所

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今上天皇

新天皇陛下のご即位と万歳三唱の現在

先日皇居で行われた即位礼正殿の儀は、私もTV中継を拝見していましたが、ある方が「万歳三唱に少し違和感がある。それよりは君が代を歌った方がまだよいのでは」と仰ったのを機に、あれこれ考えが頭をよぎりました。

私の場合、儀式内容そのものに特段意見があるというわけではないのですが、TVのコメント等で「高御座は古代から用いられていた」とか「平安絵巻云々の装束等」の説明ばかりが繰り返されているのを見ると、「おことばも総理の寿詩も万歳三唱も、幾ら何でも当時は無いでしょ(明治以前に太政大臣が祝辞を述べたなんて話があるのでしょうか?)、そちらの方(大日本帝国が始めたことや個々の行為の由来や意義など)や平安朝~明治までの話には、どうして触れないんですか(TVで扱えない理由でもあるんですか)」と、その点ばかり気になって、後で少し調べていました。

恥ずかしながら、万歳三唱の由来も存じなかったのですが、wikiによれば、もともと中華皇帝の寿命を「万歳(1万年)」と称したのが言葉の発祥で、日本では大日本帝国の草創期に練兵場で軍人が明治天皇に向かって歓呼したのがきっかけとなり、それまで天皇に対し群衆が歓呼する言葉(様式)がなかったため、明治政府の検討を経て定着したのだそうです。

で、万歳(三唱の歓呼)とは「天皇陛下の健康と長寿を(臣下が)祈念すること」とのことですので、括弧内の部分はさておき、(本質的には古代から中世、現代に至るまで)日本国統合の象徴的権威であり続けた天皇の役割に照らし、国民が万歳三唱をする(弥栄を言祝ぐ)こと自体が、直ちに間違っているという印象はありません(但し、天皇と中華皇帝は役割・本質が全く異なるため、その点はどうかとは思いますが)。

ただ、それでも「天皇陛下を人民(の代表たる総理)が仰いで万歳三唱する光景」に一定の違和感が生じざるを得ない(複雑な気持ちを抱く人がいる)のは、やはり15年戦争(大東亜戦争=日中・太平洋戦争)の出征風景やバンザイ突撃に象徴される、全体主義的な(「みんなの都合」で個人や他者に理不尽な犠牲を強いた挙げ句に敗亡した)悲惨で暗い時代の記憶が、今も国民に共有されているからなのだと思います。

言い換えれば、万歳三唱という言葉・儀式ないし意味自体に罪はないものの、あまりにも残念な使われ方をされてしまったため、「ケチがついた」と言わざるを得ない面があるのではと感じています。

万歳三唱は、平成(上皇)の即位式でも行われましたが、昭和は戦前も戦後も(たぶん右も左も)、良くも悪くも集団主義(悪く言えば全体主義)の時代ですから、その総括がなされていない状況で、海部首相が万歳三唱をすることに違和感を呈する人は、(反政府ないし反自民など、一定の立場のある方を別とすれば)あまりいなかった(そのような声は、戦争の記憶がまだ色濃く残っていた割に、ほとんど出なかった)のではと思います。

これに対し、平成は(個人主義とまで言うかは別として)良くも悪くも集団主義が解体されていった時代なので、それなのにまだ万歳三唱なのか(今もそれしかないのか)、と違和感(時代遅れ感?)を感じた国民は、少なくとも平成元年よりは多くいたのではないか、というのが私の印象でした。

私は万歳三唱の間の今上陛下の表情をずっと拝見していましたが、その際の表情は、TV解説者がしきりに強調していた「自然体」というよりは、ある種のぎこちなさというか、硬いものであった(少なくとも、万歳三唱されて喜んでいるという様子ではなかった)ように感じましたし、それが「重責を担う緊張感によるものだ(に過ぎない)」という理解だけで良いのか、「国民一人一人の喜怒哀楽に寄り添う」ことを象徴のつとめとして掲げた平成・令和の両天皇の姿勢などを踏まえて色々と考えさせられる面があったように思います。

そうであればこそ、昭和の時代はまだしも、平成の30年間(或いはこの1年間)に「次も万歳のままでいいのか、天皇制を言祝ぐ、ケチのつかない別な言葉(儀式)を考えるべきでは」という議論があって良かったのかもしれません。

それこそ、現在の即位式のあり方に批判的な左派勢力などから即位式のスタイルに関する新たな提案があっても(そうした形で議論の先鞭を付けても)良かったと思いますが、政治関係者がこのテーマで世論喚起するのは難しいでしょうから、いっそ社会派志向のあるお笑い芸人とか文化人の方々などが、万歳三唱に代わる現代の=新天皇に相応しい別な言葉(儀式)を考える試みなどがあってよいのではと思ったりもしました。

また、本当は、こうしたこともTVでは議論されるべきでしょうから、一局くらいは、せめて儀式の直後にでもそうした朝生的な討論番組を行ってもよいのでは、とも思ったりしました。

ともあれ、こうした儀式を拝見すると、改めて、天皇は現在もなお神の依代としての役割を期待されている(国家・国民により担わされている)のだろうと、その重責に対し、ある意味、気の毒に感じます。

見方によっては、天皇もまた、万歳のかけ声と共に、理不尽な役割を強いられている存在なのかもしれませんし、陛下の表情は「今も(社会統合のため)現人神(依代)を必要とし続けることに、皆さんは本当にいいのですか?」と語っていると解釈する余地もあるのかもしれません。

そして、そうした感想と共に、この制度(いわゆる国体)の数十年、数百年後の姿について色々と考えさせられたという点で、TV特番を拝見したこと自体は大いに意義があったと思います。

WHAM! とSMAPが示した時代の節目と平成日本の未来

先日(12月25日)、80年代のポップ・ミュージックの巨星というべきワム(WHAM! )のジョージ・マイケル氏が死去したとの報道がありました。

私は兄の影響で小中学生の頃にWHAM! の曲を何度も聴いたことがあり、司法試験受験生時代にもCDを借りてカセットやMDに編集してよく聴いていました。

WHAM! は、日本では「ラスト・クリスマス」が最もポピュラーかと思いますが、個人的には「The Edge of Heaven」という作品が一番好きです。

そんなわけで、制作者ご本人が天に召されたこともあり、追悼として、歌詞の一部を意訳(超訳?)してみました。

 Take me to the edge of heaven
 Tell me that my soul’s forgiven
 Hide you baby’s eyes and we can,
 Take me to the edge of heaven
 One last time might be forever
 When the passion dies,
 It’s just a matter of time before my heart is
 Looking for a home
・・・
And don’t you think that I know it , know it , know it , know it !

天国の端にある雲海を見下ろす断崖に連れて行き
僕が赦されるに値するか、突き落とされるのが相応しいか、
答を示してくれないか

貴方の目は閉じられてしまったけれど
僕たちにはまだ、できることがある

あの素晴らしい時間は永遠の彼方に過ぎ去り
情熱も二度と戻ることはないけれど
満たされることのない僕の心は
今も安住の地を求めて彷徨っている

(中略)
考えるまでもない、それは分かりきったことなのだから。

私には洋楽の歌詞を翻訳できるような語学力など微塵もありませんが、大学時代などに週に1度のペースでCDレンタル→編集という日々を送っていた頃、それなりに気に入った曲を聴いていた際は、説明書に付された翻訳歌詞に納得ができず、自分なりの意訳文を妄想することが時折ありました。

英語の解釈や想像力の問題かもしれませんが、洋楽の歌詞には日本の楽曲に見られない思想の深さを感じる言葉が多く、心に染みる曲を収録したCDの解説文に付された歌詞の翻訳が安っぽいものになっていると、憤慨して自分なりにその曲や歌詞(作者の意図)に相応しい日本語を探さずにはいられないと感じることがあります。

個人的には、ブログ等を通じてそうした「意訳」を発表して良質な作品の再評価を求めるような試みが、もっと盛んになればよいのではと願わないでもありません。

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ところで、その翌日(12月26日)には平成日本を代表するアイドルグループであるSMAPが、看板番組の最終回と共に大晦日を待たずして事実上の解散を迎えました。

私も最後の場面(代表曲「世界に一つだけの花」の歌唱シーン)などは拝見していましたが、改めて、SMAPが平成日本を象徴する何かを体現していたということと、SMAPの解散は今年の夏から議論が開始された今上天皇の生前退位問題と共に、「平成の終わりの始まり」を示す出来事だということを強く感じました。

とりわけ、SMAPが全員で番組の最後に震災向けの募金を呼びかけるコメントを行い締めくくったことは、普段この番組を見ない(SMAPのファンでもない)私でも、このコメントが毎回行われていたことやSMAPの被災地への熱心な支援活動などを知らないわけではありませんので、感慨を持たずにはいられない面はありました。

誤解を恐れずに言えば、そうした積み重ねは両陛下が被災地と共に歩む姿勢を示し続けていることと通じるものがあるようにも思われ、「被災地をはじめ社会に明るくエールを送り続けた存在」という意味で、SMAPは平成日本の社会で発揮した存在感(象徴としての役割)という点で、今上天皇に匹敵すると評しても過言ではないと感じます。

とりわけ、彼らが昭和63年(平成の前年)に結成されたという時的な側面もさることながら、「前任者」たる「光GENJI」が「昔(昭和)のアイドル」の最後というべき「ファン層にとって手の届かないスーパースター」として君臨していたのに対し、SMAPが独自の努力で「親しみやすいアイドル像」を構築し受け入れられてきたという点も、昭和・今上の両天皇と重なる面があるように感じます。

すなわち、昭和天皇が「もと現人神」としての圧倒的な権威を最後まで身に纏い続けたのに対し、今上天皇は、各地の訪問や国民との交流などを通じて「親しみやすい信頼される天皇像」を構築し、昭和天皇以上に国民から地に足のついた敬愛の念を集めてきたと評して良いのではと思われ、そうした今上天皇の歩みと最も類似する道を辿った社会的存在がSMAP以外にいるかと考えると、なかなか思いつかないように思います。

それだけに、今上陛下のご高齢に伴い平成が終わらんとしている現在、それと軌を一にするようにSMAPが終焉を迎えたことには、時代の転換期というものを強く感じざるを得ません。

そのような視点を踏まえつつ、SMAPの代表曲となり締めくくりの曲として選ばれたのが槇原敬之氏が制作した「世界に一つだけの花」となった光景を見ると、平成という時代は「個人の多様性と尊厳(に対する社会の包容力)」という日本国憲法の最高規範(根源的価値)がようやく日本社会に浸透していく過程を描いた時代だったのかもしれないと感じるところがあります。

その点は、今上天皇の歩みが「国民主権の憲法下において、国民と共にあゆむ天皇制のあり方を確立させる」というものであったことと重なるのではないかとも思います。

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ここで冒頭のジョージ・マイケル氏に戻りますが、同氏と槇原氏には共通点が多く見られるように感じているのは、私だけではないと思います。

申すまでもなくポップ・ミュージックの世界で多くの人の心を揺さぶった偉大なシンガーソングライターであることが主たる共通点ですが、お二人とも薬物犯罪での摘発歴があること、公言しているジョージ氏はもちろん、槇原氏もネット情報などからLGBT(性的少数者)の方とされていることなども共通点として挙げられるでしょう。

単純化するのは適切ではないでしょうが、お二人ともLGBTであることを含め様々な生きにくさを抱えていたことが、創作活動や薬物依存などの背景にあったのかもしれないとの一般的な推測はできるかと思います。

WHAM!の解散は1986年(昭和61年)であり、いわば「昭和の終わりの始まり」の時期に解散したと言うこともできます(誤解を恐れずに言えば、SMAPの解散と重なる面があるのかもしれません)。

解散後、ソロとして大きな栄光と挫折の双方を経験したジョージ氏のような歩みを今後のSMAPの面々が辿るのかどうかはともかく、ここ数年、LGBTなど様々な少数者の尊厳の擁護が強調されはじめたように、社会全体としては、次の十数年に「個人の多様性と尊厳」という平成日本が示したテーマをより深める動きが進むことは間違いないだろうと思います。

反面、トランプ氏の台頭(や安倍政権?)のような「古き良きナントカを取り戻す」とのスローガンで、多様化(による社会のバラバラ感)に抵抗する人も多く出るでしょうから、「90年代・00年代の世界」で「80年代の世界」と異なり民族運動など(米ソ冷戦の終焉)に起因する幾つかの武力紛争が生じたように、今後の日本国内でも「多様性(個人主義)vs反多様性(集団主義・復古主義)」、「寛容だがバラバラな社会vs偏狭だが身内と認定した者だけは守ろうとする社会」などという形で、何らかの軋轢・社会内対立などが生じてくる(抑圧されていた火種が勃発・先鋭化し何らかの対決を余儀なくされる「ギスギスした社会」になる)のかもしれません。

もちろん、その先には破滅ではなく新たな調和の模索がなされるものと願っていますが。

米国大統領が、戦争回避・調和志向型のリーダー(オバマ氏)から実力行使と「身内のための成果獲得」の意欲を旺盛に見せる闘争指向型のリーダー(トランプ氏)に交代したという事態も、その象徴的な現れのように感じないこともありません。

ともあれ、現在が時代の転換期であることは疑いようもなく、社会の行く末に思いを巡らせつつ、身近な方々が社会の奔流に呑み込まれることなく平穏な生活と尊厳を確保できるよう、「戦争(武力解決)放棄をした(すべき)社会における紛争解決手段としてのフェアな闘争の担い手」たる弁護士(法律実務家)の末端として、地道な努力を続けながらも先を見通す目を養うことができればと思っています。

最後に、当事務所の開設時に尊敬する親族の方からいただき今も私の机の前に掲げている油絵の画像を載せますが、これもまた「世界に一つだけの花」なのかもしれません。

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