北奥法律事務所

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20日

震災から1ヶ月半後(H23.4末)の被災地相談~陸前高田編~

先日の投稿に続き、震災から1ヶ月半を経過した平成23年4月末頃に陸前高田の避難所に初めて相談に赴いたときのことを記します。

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この日は先日の宮古に引き続き、岩手県では最も被害の大きい自治体である陸前高田市への出張相談を担当しました。今回は、函館・秋田・大阪からそれぞれ派遣された弁護士さんを私の車両に乗せ、4人で被災地に向かいました。

配属先は、陸前高田の広田半島(牡蠣の養殖で有名)の真ん中にある「モビリア」というキャンプ場などに利用されている施設と、海岸から10㎞以上は離れているはずなのに、川沿いに押し寄せた津波の影響で大きな被害が及んでいる竹駒地区にある公民館(定住促進センター)の2箇所でした。

1 指定避難所まで

この日は、住田町から陸前高田市内(竹駒地区手前)に入ったところで大渋滞となりました。原因は、四十九日法要の日であったほか、竹駒地区から高田一中の国道沿いで電線の架線工事をしており、片側通行になっていたことによるものでした(高田市内の中心部や北部に渋滞はみられませんでした)。

なお、私と共にこの日の陸前高田の相談(別の避難所)を担当された某先生の提案で、「旧宮守村にある某ドライブイン風店舗」をトイレ休憩場所にしましたが、肝心のトイレに紙が切れていて泣きそうになりました。

2 モビリア(私と青森の先生が担当)

竹駒地区の渋滞と、陸前高田の中心部の壊滅等に伴うルートの不明(カーナビで指定された道路が、冠水その他で通行できず)のため、30分ほど到着が遅れました。途中で通過した陸前高田の中心部のあまりの壊滅ぶりには、本当に言葉を失うばかりでした。

施設では予め開催予定の告知はされていたとのことであり、他の避難所から相談に見えられた方もいましたが、相談にいらした方は5名に止まりました。

3 竹駒その他(秋田と大阪の先生が担当)

手前の渋滞に泣かされたものの11時前には到着しましたが、到着した時点で相談希望の方はおらず、担当者も不在でした。

結局、11時から5時までの相談会として設定していましたが、相談にいらした方は2名しかなく、施設の管理担当の方も「そんな連絡もあったかも」程度の低調な対応だったとのことです(住民から担当者に弁護士に相談させてくれ的な突き上げがないことの裏返しかと思われました)。

他の先生方のレポート(岩手弁護士会MLに送信)でも同様の指摘が多々なされていますが、事前に現場に周知がないなどの問題が多いようで、今回も現地の方から「事前周知の徹底(工夫)」を求める声がありました。

11時に竹駒で2人の先生を降ろした際、相談者が来なくて困った場合は連絡して下さいと述べていたところ、案の定、1時半頃、モビリアにいた私の元に大阪の先生からSOSが入りました。

そこで、急遽、青森の先生をモビリアに残して竹駒に移動し、岩手会のMLで本部の先生が送信していた「県内の避難所リスト」をもとに大阪の先生と近所の避難所巡りをすることにしました。以下、巡回先では次のようなやりとりがありました。

①西部デイサービスセンター竹の里

高齢者のデイサービスの施設で、ちょうど、利用者向けのオリエンテーション的な集会をやっていたため、窓口対応をされた方に、「岩手弁護士会ニュース」数十部を説明・交付して退去。

②社会福祉協議会事務所

上記のすぐ近所にあったので立ち寄り、窓口対応をされた方に「ニュース」を説明し、数十部を交付して退去。特に相談希望者が来所しているという感じでもありませんでした。

③仲の沢公民館

高齢者3、4名のみ滞在されていたため、「ニュース」数十部を説明・交付して退去。

④上細根町内会館

すでに夕食の準備を始めていたものの、十数名の利用者が滞在されていたので「ニュース」の簡易な説明会をしたいと申し出、10分ほど「ニュース」の内容や補足(支援法の典型相談例など)を説明し、若干の懇談とフリーダイヤルの宣伝、「ニュース」数十部の交付をして退去。

4 その他の視察?先

上記のとおり、指定場所の相談(特に竹駒)が低調であったため、他の関係先に「岩手会ニュース」を届けるのを優先した方が賢明と判断し、若干早めに竹駒を切り上げ、陸前高田市役所(臨時庁舎)に行きました。

本来の庁舎は津波が直撃したため、現在は高田一中の近くにある高台の団地付近に仮庁舎が設けられており、そこにある市の対策本部(広報担当)に伺ったところ、「岩手会ニュース」はこれまで見たことがないとのことでしたので、市内各所への配布等も含め、広報への活用を要請してきました。

その後、高田一中にも行きましたが、こちらは、さすが「県内最大の避難所」と目されていることもあり、岩手会ニュースも山積みでした。

宮古で伺った小学校は体育館のみ避難所として使用されているのに対し、こちらは校舎の1階を広く避難施設として使用しており、別格の感がありました。校庭での仮設の建設も進んでいましたが、反面、ここの生徒さんはどうやって勉強・運動すればいいのやら・・とも思いました。

その後、壊滅した中心部と海岸沿い(道の駅)を経由してモビリアも撤収し、大船渡経由で戻りました。

「大船渡・碁石海岸」インターで降り、大船渡署などを垣間見て住田町方面に向かいましたが、これまで拝見した宮古・釜石・大船渡は中心部が相当程度、生き残っていたので、これに対して中心部が完全に壊滅した陸前高田の惨状を改めて強く感じ、他市と比べた再建のため必要とする距離の違いが強く印象に残りました。

私個人は、4年ほど前に大船渡署の当番で高田松原に行って以来でしたので、高田松原のすぐ近くにある道の駅付近の変貌ぶりや、海面が国道のすぐそばまで来てしまっていることに、特にショックを受けました。

5 雑感・おまけ

壊滅した旧中心部を走行することが何度かありましたが、国道を除けば、道路状態が非常に悪く、パンクの恐怖を感じました。岩手会で他の地域に派遣された先生からパンクしたとの報告が複数あったので、パンクのリスクはかなり注意を払った方がよいと感じました。

盛岡に20時過ぎに戻りましたが、遠方からお見えになった先生に何の労いもしないのは私の「おもてなしの心(byどんと晴れ)」が許さない(或いは、ささやかながら外貨獲得)ので、反省会をやることにしました。その際、大阪の先生からは次のような指摘がありました。

①関西と東北との心理的距離について。

関西人にとって沖縄は身近だが、東北は非常に疎遠。大阪弁護士会には旅行などで沖縄を気に入り登録替えする人は多いが、東北には聞いたことがない。

神戸・大阪には、「被災地しばり飲み会」を筆頭に、支援希望者が多いので、もっと双方が交流する仕組み・仕掛けが必要。(私が銀座のアンテナショップや「なまはげ居酒屋」の話をすると、大阪にも「座敷わらし居酒屋」を作るべきと強調されていました。岩手弁護士の協同組合も他の弁護士会のように特産品販売でもやればいいと思うのですが。)

②仮設住宅について。

仮設に早く行きたいという声は多いが、奈良の大滝ダム(ダムの設計ミスで巨大地滑りの危険が生じ、集落の強制移転が行われた事件。近々に控訴審?判決とのこと)では、日当たりの悪い場所に仮設が作られたため、虫が大量発生して生活に多大な支障を来したり、防音能力がまったくなく、プライバシーがおよそ保護されず、問題が生じた例を沢山見てきている。「仮設の先(公営住宅の建設など?)」を見据えた対策を迅速に取るべき。

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こうして当時の記録を読み返すと、当時の現場の悪戦苦闘や、良くも悪くも「被災地サイドとの意思疎通を欠くまま、兎にも角にも被災地を訪れて支援したい(すべき)との県内・他県の一部の「偉い」弁護士さん達の声に押される形?で闇雲に避難所相談を設定し、半ば行き当たりばったり的に被災地を巡っていた」という印象を、改めて強く感じます(この点は次回の大船渡も全く同じです)。

岩手弁護士会では、在間先生が陸前高田に着任した3年ほど前から、主に陸前高田エリアで在間先生や盛岡の若手を中心に仮設住宅等の巡回相談をなさっているとのことですが(私は、その頃から原則的に月1回の法テラス気仙の相談担当のみとさせていただいています)、相談者・利用者サイドのニーズや心理的な距離を縮めること(地元の協力支援者などを含め)なども考慮し、より合理的で的を射た、持続可能な支援のあり方を考えていただければと思っています。

また、末尾に記載した「関西圏と東北との距離を縮める」という点も、残念ながら私自身はその後は特段のことはできていないように思われます。岩手の先生の中にはこの5年間で神戸の方々と強い繋がりを築いた方もおられるだけに、なおのこと忸怩たるものはあります。

昨年、沖縄に出張した際、「縄文文化圏」である北東北と沖縄の共通点だけでなく、関西圏が、首都圏以上と言ってよいほどその結節点の役割を担っているのではないかと感じました。それだけに、私自身がそうしたものに繋がる実践をできる場がないのか、今後も模索し続けたいと思います。

震災から1ヶ月後(H23.4)の被災地相談~宮古編~

先日から、震災直後の出来事などについて、旧HPの日記欄に投稿した文章を再掲していますが、先日の投稿に引き続き、震災後間もない時期に避難所相談などに従事した件について再掲します。

長たらしい文章ですが、それだけに当時の生々しい状態が再現されており、支援活動のあり方などを検討いただく上で、参考になる点はあると思います。

今回は、23年4月中旬に宮古の避難所相談を担当したときのことです。

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岩手弁護士会では、3月下旬から順次、内陸部(主に盛岡)で執務する弁護士がローテーションを組み、沿岸部に点在する避難所への無料相談事業を行っています(幸い、法テラスから申し訳程度ですが日当が出ます)。

4月中旬頃からは、日弁連を通じ、他県(主に北海道・青森・秋田・大阪・兵庫)の先生が応援に参加し、岩手会1名+他県3名が、岩手の弁護士が運転する自家用車に乗り現地2~4ヶ所に赴くという体制を取っており、5月末までこの体制が続くことになっています。

私自身は、家庭の事情により独身等の方々に比べて自由に身動きが取れない状況にあり大した貢献はできていませんが、それでも4月と5月で計5回、被災地への出張相談を担当しています。

この日は、私にとって4月3日の釜石以来2回目の避難所相談となり、神戸の弁護士さん1名、青森の弁護士さん2名と一緒に宮古の避難所に行きました。

終了後、岩手弁護士会のMLに相談結果を報告しましたが、相談内容以外は守秘義務が問われる内容でもありませんので、ここでもご紹介します。

1 指定避難所まで

この日は午後1時からの開始でしたが、弁護士会のルールで9時に盛岡駅前から出発となっていたため、11時過ぎに宮古市内に到着しました。

派遣先の避難所が、被災の様子が分かりにくい内陸方面にありましたので、県外の先生方にも被災現場を見ていただくべきと考え、宮古でも被害の大きい鍬ヶ崎地区に行き、そこから浄土ヶ浜を垣間見て、宮古駅に戻って昼食を取り避難所へ移動しました。

鍬ヶ崎の凄惨な光景は、その1週間前に宮古振興局の相談に来た際にも見ていましたが、若干片付けが進んだように感じました。また、浄土ヶ浜と国道を結ぶ橋からは、右手に壊滅した鍬ヶ崎地区、左手にいつもと変わらない穏やかで美しい三陸の海と断崖の光景が広がり、非常に対照的でした。

2 シーアリーナ

今回は宮古市民総合体育館(シーアリーナ)と宮古小学校の2ヶ所を派遣先として指定されており、弁護士会の対策本部の指示に基づき、シーアリーナで青森の先生お二人を下ろし、私と神戸の先生が宮古小に移動しました。シーアリーナでは、相談者が計11名で、他に雑談的に数名ほどの相談があったとのことでした。

避難所相談は現地で場所の選定をされている地元の弁護士さんや市役所等との協議で決まるのですが、一杯一杯とのことで、直前にならないと決まらず、現地でも十分には周知されていないことが常態化しているようです。

この日もシーアリーナでは開催予定の告知はされていたそうですが、あまり周知されていなかった様子で、相談者もまばらだったようです。

3 宮古小学校

到着直後、避難所になっている体育館の入口で利用者の顔役のような年配の方(配膳担当?)に、開口一番「弁護士相談が事前に連絡されていなかった」「前夜までに言ってくれれば、利用者に周知したのに」「今日は温泉の通所サービスの日で、皆、3時過ぎまで出払っている」と言われ、実際、利用者の多くが外出中で、閑散としていました。

宮古で執務している先生から「そのような場合はこちらへ」とメールでアドバイスを受けていたので、3時過ぎにまた戻る旨を伝えて、車で5分ほどの距離にある別の避難所(愛宕小学校)に移動し、3時頃、神戸の先生を残し、私一人で宮古小に戻りました。

ところが、戻った後も温泉から戻った方は高齢者が10名前後で、アナウンス等するも「相談しようムード」にならず(風呂上がりのせいか皆さん寝てました・・)、形としては1件のみに止まりました。

やむなく、岩手弁護士会で作成した様々な制度やアドバイスの要点を記載したチラシ(岩手弁護士会ニュース)の戸別配布等をしながら、気力のありそうな避難者の方に被災者生活再建支援法(家屋が被災した方に行政の支援金が支給される制度で今回は特に出番の多い法律)のアナウンスをしたところ、数名の方と雑談的に色々と質問を受けたりしました。

結局、前出の顔役の方から「4時過ぎに配膳開始になるので退去するように」と言われ、やむなく退散することにしました。

退去した4時半の時点まで、宮古小では壮年世代の方はほとんど外出して不在で、横になっている高齢者の方10~20名弱とお子さん数名という構図で、終始閑散とした感じでした。

避難所の入口には札幌市の職員の方(受付用の応援要員とのこと)が待機しており、「一番不足しているのは現地で人や物の配点のコーディネートができる人材なんですよね・・」と互いにため息を付き合うばかりでした。

岩手弁護士会の出張相談では、このように、せっかく現地に伺っても事前の広報等が行き届かず、弁護士4名・避難所2箇所で相談者が合計で10名前後に止まる日も少なくないようです。

言うなれば我々自身が「積み上がった支援物資」のような状態で、被災者だけでなく遠方から来ていただく弁護士さん方にも申し訳ないと感じています。

現地での広報等のコーディネートや適切な戦力投入のあり方などについて、弁護士会だけでなく、地元の方々にも対処法を検討いただければと思っています。

4 愛宕小学校

前記2の経緯から、1時半過ぎに何のアポイントもなく愛宕小に押しかけましたが、こちらは宮古小とは打って変わって到着直後から相談希望者が多数あり、私と神戸の先生で、合計11名の相談がありました。

再建法絡みがほとんどでしたが、生活・仕事の再建に絡む相談もあり、印象として宮古小やシーアリーナの方よりも活気があるように感じました。

宮古の先生のメールによれば、宮古小やシーアリーナが、宮古の中心部では特に被害が大きく、自宅その他を根こそぎ奪われた鍬ヶ崎近辺の方が入っているとのことで、これに対し、愛宕小の利用者が、多少は街並みが維持されている愛宕小周辺~市街地の方ということなら、その差が出たということかもしれません

弁護士会のルールで7時まで待機するように言われていましたが、5時半頃から避難者の食事時間となり、それ以後は相談希望の方もなく、そのまま終了となりました。

さすがに震災から1ヶ月半近くも経過したせいか、避難者・スタッフ向けの食事も大量に余っており、配膳場所のすぐ脇に開設したブースで空きっ腹で座っていたのを見かねたのか、「どうぞどうぞ」とスタッフ(ボランティア)の方に勧められ、遠慮無く頂戴しました。

ただ、シーアリーナに着くと、こちらでは、別室に移動したせいか、青森の先生方はそのまま待機されていたとのことで、汗顔の至りでした・・

5 雑感

3ヶ所とも、乳幼児(連れの家族)の姿はありませんでした。優先的に仮設住宅等に移動したということなのでしょうか?要介護の方がいる家庭も同様でしょうが、そうした配慮がされたということであれば、望ましいことかと思います。反面、今後の支援等の問題はあるかとは思いますが。

また、全般的に(特に宮古小とシーアリーナ)、1ヶ月半も避難所生活が続き、疲労の蓄積が顕著という印象です。「弁護士が対処を要する論点・紛争が顕在化するのはこれからだ」などと言われていますが、それ以前に避難者の方々が精根尽き果ててしまわないか心配です。

仮設であれ民間住宅等であれ、避難所生活の解消が何より優先されるべきではないかと思われます(反面、避難所生活なのでコミュニティが維持できているという指摘もあり、悩ましい問題も含まれていると思いますが)。

また、疲弊感の根本原因に、1ヶ月半も経過しているのに生活再建=仕事等の目処が立っていないという点も顕著に見られました(雑談等をしても、皆さん被災前はそれなりに仕事を持っていました)。

弁護士も、困っている住民の支援だけでなく地域に雇用と利潤(自立的な復興原資)をもたらしてくれる、産業・経済・企業等のサポートの方にも携わっていければと感じずにはいられませんでした。

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この日の避難所相談は、弁護士会の支援活動の問題点や課題について、色々と考えさせられることの多いものだったと思いますが、結局、さしたることもできず、改善というほどの事柄も生じないまま、現在に至っているように思われ、改めて私自身の力不足を痛感せざるを得ないところはあります。

最後に記した「産業・経済・企業等のサポート」も、弁護士会はもちろん、私個人としても特段のことはできておらず、今も皆さんにお力添えをお願いするほかないというほかない有様です。