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"万物の尊厳"の検索結果:9件

憲法記念日に考える「万物の尊厳」と書籍出版を夢見る日々

本日は憲法記念日ということで、多少は憲法を取り上げた記事を見かけますが、新コロ禍に遭遇後の社会では憲法論議は盛り上がらず、中国等との軍事的緊張により9条改正論にジワジワと賛意が広がりつつあるのかな、でも、それって日本人にとって望ましい憲法論なのかな、と残念に感じているところです。

私は数年前から「人にあらざる存在すべてに対する各々の特質に応じた尊重(万物の尊厳)」を個人の尊厳(13条。日本国憲法の最高原理)と共に憲法に書き込むこと(13条の2の創設)こそが、この国が最初に経験すべき憲法改正ではないかと感じ、2年前に岩手日報に投稿したのをはじめ、何度かこのテーマに関する投稿をしています。

内容自体、現代日本そして世界に必要と感じているだけでなく、日本が最初に経験すべき憲法改正は、日本の固有の精神性に根ざすのに憲法制定時に見落とされた価値で、これを宣言することが世界に歓迎・祝福されるものであるべきだと思っており、万物の尊厳は、その要請に合致すると確信しています。

本日のNHKのニュースで、公明党の山口代表が「加憲」を強調していましたが、万物の尊厳は、加憲の具体例の一つと言えるかもしれません(私は創価学会さんとはご縁がなく同党の支持者でもありませんが、自身が帰属した社会で与党内野党的な立ち位置になりやすい面はあり、何らかの近接性があるのかもしれません)。

1年以上前から、できれば、このテーマで1冊の本を書いて世に問いたいと夢見ており、1冊分の自費出版の費用なら、どうにか捻出できないわけではありませんが(家族には浪費だと目の敵にされるでしょうけど)、雑多な対応を余儀なくされる日々に追われ、夢のまた夢の状態が延々続いています。

今年のGWも、仕事が若干一区切りついた反面、未読の日経新聞が1年以上溜まっており、たった今から速読するか、起案を優先するか、悩んでいる有様です。

田舎の零細自営業者には「採算を問わず、出逢った仕事群に立ち向かう自由」と「それを断って立ち行かなくなる自由」しかありませんが、20年もこの仕事をしているのに、仕事を手短に賢くこなす(立ち回る)能力が今もロクに身につかず、一杯一杯のときに少し「まあ、これでいいや」的な対応をした途端に泣きを見る有様ばかりで、今も目眩を覚えないでもありません。

せめて、同じ志を共有して下さる方との出逢いに恵まれればと願いつつ、そうした時間を得るためにも、まずは目先の仕事に悔いの無い対応をしたいと思います。

司馬遼太郎氏も語っていた「万物の尊厳」

4月の「ロータリーの友」に、司馬遼太郎氏が平成元年に小学生向けに執筆した「二十一世紀に生きる君たちへ」という作品の書評が掲載されていました。

私は司馬作品の有名どころは概ね知っているつもりでしたが、この本は全く存じておらず、書評によれば、次の時代を担う子供達に特に伝えたいメッセージとして、①自然への畏怖、敬意と感謝、②自己の確立と人間同士の支え合いの2点に絞って、30頁ほどの文章でまとめたものとのことでした。

ネット上の書評も含め、司馬氏が後世のため自身の思想のエッセンスを抽出したラストメッセージとして、非常に意義のある作品と位置づけられており、そうした理由から、司馬遼太郎記念館では特別に作製した本を販売しているそうです。

それを読んで改めて、法の世界では、②は、日本国憲法の根本原理たる「人間の個人としての尊厳」(13条)で明確に定められているのに対し、①は全く述べられていないことに思いを致さざるを得ませんでした。

憲法は言うに及ばず環境基本法も、環境すなわち人間のまわりにある存在が「人間の生活のため」「人類の存続の基盤だから」保全等が必要だ、という人間中心主義が透けて見えますし、それは、日本国憲法(その淵源となった近代人権思想)自体が「地球は人類のもの」という思想に立脚しているからだというほかないのだと思います。

私は数年前から「日本国憲法に欠けているもの、言い換えれば、今の社会で、人類のあるべき指針として定められるべきなのに定められていないのは、人にあらざる存在への畏敬と感謝ではないのか、それを定めないままの現状でよいのか」と思い続けてきました。

そして、現代日本人は、憲法13条を改正し人間の尊厳と共に万物の尊厳も併記すべきではと思うようになり、半年前にそのことを記事に書いて掲載しましたが、実社会に何の影響力も持たない私には、そうしたことを書いても「その先」に繋げることは全くできず、その点はとても残念に思っています。

日本国憲法には、どこか、何か、足りない部分がある。改められたり、加えられるべき部分がある。そう思っている日本人が多くいることは、多くの世論調査から窺われます。

でも、今、少なくとも真っ先に改められるべきものが、「9条」だと考える日本人は、多数派とは到底言えないだろうと思っています。

先日、日弁連会館で「世界の憲法集」を買ってチラ見したのですが、諸外国でも、人にあらざる存在への畏敬と感謝を最高法規に定めている例というのは特に見かけませんでした。

そうであればこそ、世界に先駆けて現代日本人がそれを訴えていくというのは、大いに意義のあることだと思いませんか?

万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(後編)

今回は、前回に掲載した記事(岩手日報への投稿)についての補足説明です。この話(人間の尊厳だけでなく、いのち、自然そして万物の尊厳を憲法改正のテーマとして提げること)は、数年前から考えていたことなのですが、この投稿を行った経緯は次のような事情に基づくものです。

きっかけですが、3年前に「JC(青年会議所)が掲げている理念(JCIクリード)は日本国憲法の基本原理にそっくりである」という趣旨のことを投稿したことがあります。

この投稿は今も「JC 憲法」などとネット検索すると日本JCのサイトと並んで筆頭ランクに登場しており、私自身ブログの中で最も気に入っている記事の一つです。

ただ、ツィッター上でこの投稿を好意的に取り上げていただいた方がおられるのを拝見した以外で誰かから感想などを告げられる機会もなく、このまま埋もれていくのだろうと思っていたところ、半年ほど前に盛岡JC仲間で今も現役会員であるB君から、この投稿への過分なお褒めをいただくと共に、「岩手のJCの面々にも伝えて欲しい」などと奇特?な要望を受けました。

引用記事でも述べたとおり、私は現役時代にJCの方々に憲法とJCの関係についてお話する機会に恵まれなかったこともあり(引用記事も、卒業する年に盛岡JCで「この話を例会でさせて欲しい」と関係者の方に頼んだもののボツにされた怨念?が発端になっています)、有り難くお引き受けし、今月下旬に今年の日本JC岩手ブロックの主要メンバーの方々?向けにミニ講義を行うことになりました。

折角なので、日本国憲法のオーソドックスな考え方やそれを前提とした現在の社会が取り組むべき課題などに関する私なりの考えをお伝えしたいと思いましたが、今も昔も大勢の方の前でお話をするのは全く不得手ですので、毎度ながら膨大なレジュメを作ってB君に送っており、当日は棒読みモードでご容赦いただこうと思っています。

弁護士が語る憲法といっても、いわゆる護憲派の弁護士さんが仰るようなネタではなく、もちろん右翼チックな話でもなく、引用記事をベースに、改めて憲法とJCの関係についてあれこれ考えつつ、それを踏まえて憲法とその重要な担い手としてのJCの現代のあるべき姿を考えていただくようなテーマ設定にしたつもりです。

こんな機会は二度と無いでしょうから、講義終了後のしかるべき時期にブログにレジュメを公表するつもりですが、要するに、

①JCが掲げる理念(と実践)に照らせば、世間的には右翼チックとも評されるJCは、実際には日本最大級の護憲団体と評しても過言ではないこと

②それにもかかわらず復古的な改正を日本JCが唱える根底にあるものとは

③その上で、岩手のJCに考えて欲しい憲法改正案(運動)とは何か

の三本立てになっています。

さほどの大人数でもないそうですが、現在の岩手のJCの大幹部の方々がお集まりになるようですので、君たちは護憲団体だ、などと言うと五体満足で帰れないなんてこともあるかもしれません(笑)。

このうち、①②は引用記事を掘り下げた内容に過ぎませんが、③はブログでそれとなく書いたことはあるものの明確に述べてはいなかったので、思うところあって約10年ぶりに岩手日報向けに投稿を書きたい、また、どうせなら講義の前に書いて公表してしまいたい、というのが今回の日報への奇行ならぬ寄稿のきっかけとなっています。

もとより、人間だけでなく人にあらざる存在の尊厳も憲法で定めよなどと奇特なこと?を言っている人がいるとの話は聞いたことはなく、それどころか「万物の尊厳」という言葉も、少なくとも日本語(現代の日本社会)では聞いたことがありません。

ネットで検索しても、私が過去に投稿したブログ記事しか発見できず、当然ながら、私のオリジナル(独創?)の言葉ということになるはずです。

しかし、この考え方は、要するに「社会は人間だけのものではない、自然、いのちそして万物(に通じている目に見えない力)に畏怖と感謝を抱くべき」という、日本人にとってはごく当たり前の、伝統的かつ違和感のないもので、そのことが憲法(日本人の最高法規)に掲げられていない方が間違った状態というべきではないかと思っています。

当日にお伝えする内容(レジュメ)では、そのこと及びそれを岩手の人々が率先して日本ひいては世界に呼びかけていく意義について、若干ながら触れており、いずれ本ブログにも掲載したいと考えていますので、関心をもっていただける方は、楽しみに?お待ちいただければ幸いです。

万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(前編)

先日、訳あって10年以上?ぶりに岩手日報の投稿欄(日報論壇)に投稿メールを送ったところ、数日後(11月8日)に無事に掲載されました。

ただ、本文は私の作成文章がほとんどそのまま掲載されているものの、私が投稿フォームから送信したタイトル(「万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から」)が全面書き換えになっており、この言葉(万物の尊厳)が今回の投稿のキーワードでしたので、その点は少し残念でした。

私は、日報論壇の投稿フォームには常に自作のタイトルを付けて送信しているのですが、どういうわけか毎度、全面的に書き換えられてしまいます。

字数の都合もあるかとは思いますが、表題は投稿の趣旨や読み手への訴求力など色々なことを考えた上で決めていますので、いっそ日報論壇の投稿フォーム自体にタイトル欄を設けて字数も告知していただければ有り難いと感じているところです。

ともあれ、今回は私が送信した内容をそのまま掲載し、次回に投稿の経緯について少し触れることにします。

***********

安倍首相は憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正を切望しており、今後は国会発議などの実現に強い働きかけを行うものと予想されます。

私自身は、自衛「権」はまだしも国家組織の一部門としての自衛隊を憲法に明記するのが適切か、また、初めての改正が自衛隊の明文化というのは社会に無用の誤解などを招くのではと感じており、現時点で賛成する考えはありません。

但し、制定から70年以上を経た今、改めて憲法のあり方を巡り様々な議論がなされるべきであること自体は間違いありません。

日本国憲法は大戦の惨禍を踏まえ、誰もが不当な抑圧の被害を受けたり加害者に陥ることの無いよう人間の個人としての尊厳が保たれるべきだと13条で掲げており、これが憲法の究極的な目的と考えられています。

現在、人格や文化の多様性の尊重が様々な場面で叫ばれていますが、それらも憲法の掲げる価値を実現する営みの一つと言えるでしょう。

ただ、「人間」だけの尊厳を掲げるのは、果たして日本人に相応しいことなのでしょうか。私達は日本列島を取り巻く様々な自然の恵みと脅威に感謝と畏れを抱きながら暮らしてきたのであり、今も自然ひいては万物に見えざる力を感じ、それを大切にして生きているのだと思います。

他方、力を持ちすぎた人類の活動により国内はもちろん世界中でかけがえのない自然が損なわれる一方、時には復讐の刃が人々に襲いかかる光景も目にしています。

岩手や北東北には太古からこの地で自然と共に生きた縄文人や蝦夷の血が色濃く受け継がれ、先人の文学作品などにもそうした思想が表現されてきました。

日本国憲法は国家のあり方や国民との関係を語るのみで、人にあらざる存在について何ら語っていませんが、そうであればこそ、人に限らず自然ひいては万物の尊厳も憲法に掲げるべきと私達が声を上げていくことは、大いに意義があるのではないでしょうか。

主権や統治機構、人権などの定めに限らず、日本人とは何者で、どこから来て、どこに行くべきかを語ることもまた憲法そして私達に託された使命であり、太古から現代そして未来圏までの複雑で多様な営みを見据えた憲法論の深化を願っています。

「ひらくこと」の聖地・下田の先にある道~南伊豆編その1~

2年も前の夏の話ですが、妻の実家に帰省した後、義父の自動車をお借りして、静岡県の南伊豆エリアに旅行したことがあります。

昔から、ペリー来訪の地である下田には一度は行くべきと思っていたというのが主たる理由でしたが、多忙にかまけてさほど準備もせず、1日目に黒船関係をあれこれ見て水族館に行き、翌日は同行者が強硬に希望する海水浴を行って帰宅、という大雑把な計画で赴くこととしました。

まずは修善寺から天城峠を越えて河津に到着し、ほどなく、次々と現れる南伊豆の美しい海岸を横目にしながら下田の中心部に到着し、とりあえず湾内巡りをする黒船の遊覧船に乗りました。
http://izu-kamori.jp/izu-cruise/route/shimoda.html

湾内から下田市街の眺望に浴しつつ気の利いた一句でも、と思いましたが、オガール紫波の立役者のOさんが、FB上で軽口を投稿されている光景しか思い浮かばず、

人も世も、開く秘訣はシモだよね

といった程度のことしか思いつきません。

 

ともあれ、遊覧船の後、幕府とペリーの交渉の場となった了仙寺と、併設されている黒船ミュージアムを訪れました。
http://www.mobskurofune.com/

黒船ミュージアムで流れていた映像によれば、ペリー艦隊は、この了仙寺にて必死に対幕交渉を行いつつ、独自に日本語用語集を作っていたそうです。

しかし、その映像で表示された「艦隊が作成した?日本語の用語集」には、次の漢字が並んでいたのを私は見逃しませんでした。

「男根、女根、肛門」

やっぱり、人も世も開く秘訣はシモなのかもしれませんが、私には不得意な分野ですので、どうにも困ったものです。

ともあれ、了仙寺には日蓮の銅像も建立されていましたが、日蓮宗の寺院が対米交渉の場になったこと自体は、元寇の光景も重なって、不思議なものを感じてしまいます。

その後、市街地に駐車して市内の飲食店で昼食をとることにしました。この件に関しては、この年になって?下田で三島由紀夫を発見するという予想外の驚きがあり、次回に詳細を述べることとします。

昼食をいただき、ペリーロードを散策して風情のある景色を堪能した後、1日目の最後の目的地である下田海中水族館に向かいました。

ペリーロードは、上陸したペリー艦隊一行の隊列が交渉場所たる了仙寺まで行進した小川沿いの道のりの通称ですが、両岸には当時からの古い建物群が建ち並んで飲食店などとして活用されており、ミニ京都とでも言うべき良好な雰囲気で、京都と違って人が押し寄せることもなく、川岸に密集するカニの群れを静かに眺めることができました。

続々とカニ行進す ペリーロード

 

下田の黒船来航といえば、吉田松陰も欠かすべからざるネタではありますが、今回は時間不足のせいか事前調査の不足のためか、松陰関係の名所旧跡はすべて素通りになってしまったので、次に赴く機会があれば、ぜひ立ち寄りたいものです。

下田海中水族館では、ひととおりの展示を拝見し、最後に定番?のアシカやイルカ等のショーを拝見しましたが、細部は覚えていないものの、登場する生き物たちへの愛情を非常に強調すると共に、海洋プラスチック問題など、人類が海に危険を及ぼしており、そうしたものへの対策が必要だ、といったメッセージも掲げていたように記憶しており、その点は、単なるショーではないというか、好ましいものと強く思いました。
https://shimoda-aquarium.com/

 

ちょうどこの日(8月上旬)、小泉進次郎議員(現・環境相)と滝川クリステル氏の結婚発表のニュースが電撃的に流れてきましたが、滝川氏といえば、著名キャスターであると共に動物愛護運動家としても知られていますので、ちょうど水族館にいたせいか?このニュースを聞いた際、このお二人がタッグを組めば、動物愛護に関して何か大きなことを実現することもありうるかもしれない、と思いました。

端的に言えば、私は3年ほど前から「日本国憲法の根本原理である13条(人間の個人としての尊厳)を改正(追加)し、人間だけでなく人にあらざる存在の尊厳(万物の尊厳)も書き込むべきだ」と思うようになり、そのことをブログでも時々書いていますが、動物愛護運動家であるクリステル氏にとって、この憲法改正案は、悪い話ではありません。

また、憲法改正を党是とする自民党に身を置き、(最近は失速気味と言われていますが)よほどの躓きがない限り、いずれ首相に上り詰めると思われている進次郎にとって「劇的な復活後は安定政権を維持し延々と選挙に勝ち続けて憲法改正の発議が可能な議席数を獲得した」安倍首相すらできなかった憲法改正を実現することは、政治家として最大級の目標になりうるはずです。

そして、仮に、現在の日本国が憲法改正を行うことができるなら、国民の支持は言うに及ばず世界の情勢からも現時点では無理のある9条改正ではなく、他の事柄が選ばれるでしょうし、国民のごく一部しか利害関心を持つことができない些末と位置づけられる類の事柄ではなく、「はじめての歴史的改正」にふさわしい、これまでの国家・国民の関係や位置づけなど、社会全体に変化を及ぼしかねない大きなテーマに関わる壮大な事柄が、目玉として選ばれる(それだけのものでなければ、国民の熱狂・支持は得られない)はずです。

それこそ、国民が「総グレタさん化」するような事態にでもなれば(そのようにならざるを得ない危機的状況が生じれば)、万物の尊厳を憲法改正の事項に掲げることは、国民ひいては世界から熱狂的歓迎をもって受け入れられる可能性がありそうに思います。

それは決して望ましいことではないかもしれませんが、悲観的に予測される近未来の日本そして世界の姿かもしれません。

ともあれ、伊豆の海をこよなく愛し、人と生き物が互いに信頼し合う社会の必要を説く下田海中水族館のメッセージを聞きながら、この日に突如、国民の眼前に出現したビッグカップルは、そのような社会ひいては万物の尊厳を定める憲法改正の実現をこそ目指していただけたらと、思わずにはいられませんでした。

ともあれ、1日目の最初の目的地となった間歇泉(峰温泉大噴湯公園)にて毎度の一句。
http://kankou.town.kawazu.shizuoka.jp/attraction/141/

逆噴射家族は今日も大奮闘

ちなみに、その日の宿は、下田の南(南伊豆町)にある「ちょんまげの宿」と呼ばれる古民家に宿泊しましたが、宿のご主人(ちょんまげの方)に岩手から来たことを伝えたところ、岩手出身の方が宿の運営に関わっているとのことでした。
http://www.e-sankai.jp/

アイヌとイスラムの異同を踏まえて日本と人類の未来を論ぜよ~函館北方民族資料館の呼ぶ声~

先月の函館旅行の最終投稿です。今回、函館北方民族資料館にはじめて行きましたが、そこで不思議な発見(気づき)がありました。

ここは、アイヌ民族(アイヌ人)をはじめとする北方の諸民族に関する文化の紹介(大半はアイヌですが)を目的とする施設です。

と書くと「俺はアイヌじゃないし興味もないね」と仰る方も多いのかもしれませんが、日本人は弥生7~8:縄文2~3の割合の混血民族であり、アイヌは縄文の末裔の典型である上、とりわけ岩手(北東北)は本土では縄文の血を濃く残す地域でもありますので、岩手人はアイヌ(や琉球など)に対し関心や親近感を持つべきではと思っています。

館内には、著名俳優でありアイヌの末裔である宇梶剛士氏の司会によるアイヌ文化の紹介ビデオも放映されており、私は全部視聴したかったのですが、引率し甲斐のない同行者らの要求で、やむなく駆け足の観覧となりました。

で、展示品を見ているうちに、アイヌ民族の衣装は線状の紋様が非常に多く(というか、大半が線状の紋様・装飾になっていて)、これまで考えたことがありませんでしたが、どことなく、イスラムの幾何学模様(アラベスク)に似ているのでは、と感じました。

その上、アイヌ文化には肖像(絵)を書く文化がなく、「絵を描くと描かれた者が悪さをする」と考え、絵を描くこと自体を忌避する思想があるのだそうで、これも、偶像崇拝(人の絵を描き、礼賛すること)を禁ずる(忌避する)イスラムに通じるものがあります。

そのため、双方の文化を比較した研究・考察などが世に出ていないのかと思い、「アイヌ、イスラム、比較」などと検索してみましたが、それらしい文章などは全く見つかりませんでした。

もしかすると「まだ世の光が当てられていない埋もれたテーマ」なのかもしれず、ぜひ、これに取り組む研究者の方が登場することを願わずにはいられません。

それこそ、(現在はさておき)昨年までの函館は「中国・台湾・韓国の旅行者のカネで経済が成り立っていた社会」と評しても過言ではないでしょうが、もし、イスラム圏の人々に「ここに、イスラムに似たもう一つの文化がある」との認識を育ませることができれば、全世界で数十億に達し、これからの百年で、キリスト教圏(欧米人)に取って代わるのかもしれない、巨大なイスラム圏の人々が「新たな潜在的観光客層」として登場することになります。

ですので、函館ひいては北海道全体にとって、「アイヌとイスラムの異同という視点(それを研究しPRすること)」は、アジア人観光以上に、新たな巨大な金脈になりうるとすら言えるのかもしれません(別に、函館市アドバイザーに就任なさった某さんに向けて書いているわけではありませんが・・)。

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それはさておき、その上で、素人なりに「アイヌとイスラムとの異同」に関し思ったことを、1点だけ述べておきます。

私はイスラムに知見のある人間ではありませんが、イスラムが肖像画(なかんずく預言者の肖像画や銅像その他の造形物)を禁忌とするのは、詰まるところ、唯一神の絶対性(と唯一神との唯一の接続者である預言者)を守るためであると理解しています。

いわば、絵であれ他の造詣物であれ「これが神だよ」と説明される物が作られると、それが「新たな神」などとして一人歩きしたり、やがて多神教への回帰になるなど、唯一神への信仰が揺らぐ事態になるのを忌避したのではないかという理解です。

これに対し、私の知る限り、アイヌには「唯一神への信仰」なるものは存在せず、むしろ「万物に神宿る」の汎神論を徹底した思想(信仰)と理解しています。

アイヌは、上記の理由(描かれたものが魂を持ち亡者のような行動に及ぶとの思想)から、人物だけでなく、あらゆる物に対し写実画を禁じ、絵画の概念すら存在しない(抽象化した表現しか認めない)と聞いています(木彫りがあるので「人物像」を全否定しているわけではないのでしょうが、一定の抽象表現は施されているように思われます)。

いわば「徹底した一神教」がイスラムで「徹底した汎神論」がアイヌという点で、双方は両極にあると共に、「徹底」という点では類似しているのかもしれません。

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ところで、もう一つの「人類を代表する一神教」であるキリスト教は「神のもとの平等」という観念を通じて人類の本質的平等を案出し、科学技術の発展を通じて、近代人権思想(人間中心主義)に辿り着きました。

イスラムも、(西洋で中世は王権や教会権力との闘争や妥協、せめぎ合いがあったように)カリフなどの世俗的権力がかつては存在しましたが、本質的には「神のもとの(イスラム信者の)平等」という観念に立つことは間違いないと思います。

これに対し、汎神論に立つアイヌ(古代人の末裔)は、人間中心主義(人間の本質的平等を掲げる反面、人間の福利さえ実現できれば、他の存在に相応の被害・負担・抑圧が生じても構わないとの思想)を排し、「万物(自然)を尊び、万物と共に歩む」という思想に立っていることは間違いありません。

そして、現代社会が、強大になりすぎた人間の活動により世界の存続自体が脅かされており、その修正が求められている状況にあることは、流行り物のSDなんとかに論及するまでもなく、申すまでもない話です。

近年、突如としてアイヌ文化が注目されウポポイのような名所(新施設)ができたのも、根本的には「万物に神宿る」というアイヌの思想が、人間中心主義の行き詰まりを打開する可能性があるのではと感じる人が増えてきたことを示すものと言えます。

話が「イスラムとの比較」から逸れてしまいましたが、そうした「アイヌの思想の中核」とイスラムの思想の中核になることを比較すると、双方にとって新たに見えてくるものもあるかもしれません。

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ところで、私は数年前に突如、「日本国憲法には、人間の尊厳(13条)だけでなく、人に非ざるあらゆる存在(万物)の尊厳(13条の2)を掲げるべきだ」と感じるようになり、ささやかながら、ブログなどで、それ(憲法改正=新設)を提唱しています。

残念ながら、現時点ではネットの片隅で埋もれる日々ですが、願わくば、これを提唱する書籍を出版し、この思想を世に問いたいと思っていますし、その際には、その思想を共有している方々、とりわけアイヌ、琉球、そして蝦夷の末裔を自認するであろう方々には、賛同を呼びかけることができればと思っています。

冒頭にも書きましたが、日本人には、弥生人(人間中心主義=天皇のもとの平等)だけでなく、縄文人(万物の尊厳)の血も流れています。

汎神論(あらゆる物に神性や魂が宿るとの思想)は日本人の固有の精神だと述べる人も珍しくありません。

そのことを再確認し、世界にむけてご自身が何をできるか、すべきかを考えるためにも、ぜひ、皆さんも北方民族資料館に訪ねていただければ幸いです。

余談ながら、1階に掲示されたアイヌ絵(和人がアイヌの人々を描いた絵)を見ると、アイヌには眉毛が凄まじく太い(また、彫りも深い)人が多いと感じます。

そのような「眉の極太で彫りも深い人」で私がすぐ思い浮かぶのは西郷隆盛ですが、西郷さん=薩摩人も縄文の血を多く受け継ぐ人々と言われています(ただ、大久保利通は、典型的な弥生顔のように見えますが・・)。

西郷さん=薩摩人が維新期に大活躍したように、縄文の血も、活かし方次第では、維新のように日本人ひいては人類が新たな時代を切り開く原動力になるのかもしれません。

そうしたことも含め、縄文の血を引く人々が、根底にある思想を活かしつつ活躍する社会が開かれることを、願っているところです。

 

JCのための憲法学ともう一つの憲法改正論~H30.11講義の雑感

1年半も前の話で恐縮ですが、平成30年11月に、以前に投稿した「岩手のJCの方々(日本JC岩手ブロック協議会)向けに憲法についてお伝えする企画」があり、1時間弱ほど、岩手の現役JCの大物の皆さんに、私なりの考えをお話させていただきました。

以前にも書いたとおり、「いわゆる護憲でも改憲でもなく、ノンポリ無党派層の立場から、党派色のある方々とは全く異なるアプローチで、憲法及び憲法改正について私の考えをお伝えする」ことは、長年、自分がなすべきと思いながら実践できずにいましたので、ささやかながらも、ようやく宿題の一つを実現できたと、お声がけいただいたことに大変感謝しています。

ただ、JCIクリードと日本国憲法の類似性に関する話に時間と労力を使いすぎ、それ以外の話をあまりできなかった点は、悔やまれるところですが・・

こんな機会は二度と無いでしょうから、後日にレジュメを公表するつもりでしたが、諸事に追われ、1年半を経過した今も、まだ着手できていません。その代わりといっては何ですが、さしあたり、今回は当日の雑感を少々述べます。

①JCの卒業時にT君達から頂戴したネクタイを着用して行ったところ、運良く?T君をお見かけしたので、冒頭に「これ、T君にいただいたネクタイなんです。私、JCに入会したとき、『弁護士なのにしゃべりイマイチだね』と言われた輩なんで、本日も上手く話せないと思いますが、T君に免じてご容赦下さい」と軽妙なトークができればと思ったのですが、口下手なので、やっぱり言えませんでした・・

②久しぶりにお会いしたN理事長さんに「この人、こんなに美人だったっけ?」とびっくり。長年、盛岡JCに多大な尽力をされた方なので、しかるべき立場についたオーラの影響もあったのかもしれません。

昔々、東北ゼミナールに出向させていただいた際、東北地区の会長さんだった「秋田の女傑」と呼ばれた方が放っていたオーラに通じるものを感じました。

で、そのことも「ツカミ」で話そうかと一瞬思いましたが、純朴な岩手の田舎者には無理な注文でした・・

③こんな機会は二度とないと思い、クライマックスの場面で、昔から一度は言ってみたかった「皆さん岩手の人間は、何度も時の中央政府と戦い続けた蝦夷の末裔、戦闘民族なんです。○イヤ人みたいなもんですよ!」と興奮気味?に話しました。

が、ネタ的にぶっとび過ぎたのか、笑いはいただけず、ポカ~ンといった感じの反応でした。

ちなみに、コレも間違いなく「憲法の話」です。たぶん。

④盛岡JC次期理事長のIさんから(私がたった一人で提唱する憲法改正案である)「万物の尊厳について、もっと熱く語って欲しい」と大変有り難い言葉をいただきました。

で、本来であれば、持ちネタである「縄文と弥生の結節点としての岩手(が有する未来への役割)」について熱いトークをしたかったのですが、あがり症なので、「私、ケチで貧乏なので食事を残すのが食べ物に申し訳なくて、いつも盛岡北RCの例会でYさんと一緒に2~3人分食べてるんです」といったレベルの話しかできませんでした・・

ともあれ、JCの方々に、司法試験受験生が学ぶようなごくオーソドックスな憲法学、憲法観をベースとしてJC活動の意義やあり方をお伝えするのは、私にとって現役時代にやり残したことの一つでしたので、今回、参加いただいた皆さんに(一部、かなりぶっとんだ話だったにもかかわらず)好意的に対応していただいたことも含め、大変ありがたく思っているところです。

お声掛けいただいたB君をはじめ、日本JC東北地区岩手ブロック協議会の皆さんに御礼申し上げると共に、個人の尊厳と国民主権をはじめとする憲法の価値を実現するためのJCの地道な活動の更なる深化を、心より祈念する次第です。

ちなみに、曲がりなりにもOBですので講演料はありませんが(交通費のみ)、代わりに?岩手のワインと日本酒を有り難く頂戴しました。

リアル警察署いきもの係と憲法

さきほど、仕事で盛岡西警察署に少しだけお邪魔したのですが、どのような事情か知りませんが、1階の階段の脇に、生後間もない?子猫がケージに入れられており、ここから今すぐ出してくれと言わんばかりに、ケージの上部に這い上がり、四肢を柵にがしっと掴んだ状態で、延々と鳴き続けている姿に遭遇しました。

西署は年季の入った陰気な建物なので、階段脇に晒された状態ということもあり、より悲哀ぶりが強調されてしまうのですが、当然のことながら私自身は立ち尽くすほかありませんでした。

留置係の方に少し尋ねたところ「午前中から来ているようだが、さすがに経緯は知らない」とのことで、何らかの事件の関係で保護されたのか、他の事情なのかは不明です。

誰に非がある事案かは知りませんが、本来の飼主であれ他の方であれ、適切な飼育の意思と能力のある個人や団体への保護の道筋が立てられるよう祈念するほかありません。

以前も、身柄拘束を受けた方が自宅で多頭崩壊を生じさせていたということで、勾留(国選弁護人の選任)直後に保健所や保護団体の方と色々と連絡調整をしたことがあり(幸い、保護=大捕物に従事することはありませんでしたが)、そうした事柄も踏まえ、私としては、愛玩動物の飼育は、許可制に近い形の登録制としたり、飼育放棄等の防止や早期保護(強制引取)などの制度を整備すべきではと考えます。

まあ、人間(幼児など)ですら、家庭の自己責任の名の下で?そうした制度が十分に構築されない有様でしょうから、動物についてはいつのことになるのやらかもしれませんが。

イオンなどで、その種のコーナーを見かける都度、かつて歴史マンガなどで垣間見た南北戦争以前の米国の光景を感じずにはいられない面はありますが、現状を奴隷制とまで表現するかはさておき、それこそ、国を二分する激しい闘争を経ないと、その種の慣行は改まらないのかもしれません。

愛玩動物に限らず、突き詰めた話としては、日本国憲法の最高原理(の一つ)が「人間」の尊厳に限っている(13条)こと自体が適切ではなく、いずれは「人類(個人)、生命、自然そして万物の尊厳」こそが、我国の根本理念として謳われるべきだと思っています。

せっかくの総選挙ということで、滝川クリステル氏や渋谷寛先生(弁護士)などを担いで?その種の公約を掲げる勢力が登場しても良いのではないでしょうか。

人が関わる生き物の尊厳ともう一つの憲法改正論

震災に伴う原発事故の際は、多くの動物が現地に置き去りにされ飢餓など残酷な態様で命を奪われたという報道が当時からありましたが、さきほども、そうした事情で飼っていた牛達を悲惨な目に遭わせてしまい辛い思いをしたという方のニュースが出ていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170313-00000023-mai-soci

申すまでもなく非難されるべきは原発事故を防ぐことができなかった人(ひいては原発の電力に依存する大都市をはじめとする現代社会そのもの)ですので、自分だけが過酷な現場を一方的に押しつけられたというべきこの酪農家の方を非難するつもりは微塵もありません。

ただ、人間には生きるため必要やむを得ない殺生を超えて他の生物を苦しめる権利などはないのですから、同じような避難云々の事態が生じたときのため、こうした事態を防ぐための措置を今のうちから講じておくべきだと思います。

例えば、搬送や安楽死など社会通念上の適切な措置を講じることができない場合は、ライオンなどはともかく、家畜などを解き放っても違法でない(生命尊重の見地から推奨ないし義務づける)ことを明示する規定を作ってよいのではと思いますが、どうなんでしょう。

動物愛護法にそのような定めがあるのか条文をチラ見した限りでは分かりませんでしたが、そのような考え方は同法2条が定める動物愛護の基本原則が要請するところでしょうし、とりわけ、野生動物ならまだしも「家畜」と呼ばれる生き物は人間が自分達の都合のため動物の様々な自由を奪い便益を享受しているのですから、「人と共に生きる存在」としての尊厳を最後まで守るべき責任があることは明らかだと思います。

この種の記事を見ていると、数年前に大阪で起きた「親が育児放棄して室内に放置され凄惨な飢餓の末に死亡した気の毒な子供達の事件」を引き合いに出すまでもなく、いずれ多くの人間が同じ目に遭うのではと感じざるを得ません。

日本国憲法は人間の個人としての尊厳を最高原理としていますが(13条)、万物に神が宿るとの思想を持ち、自然に畏怖と感謝を持って生きてきたのが日本人のメンタリティだと思いますので、人間だけでなく万物の尊厳を守るという理念のもとで社会のあるべき姿を問い直し、再構築していただきたいと願っています。