北奥法律事務所

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北鎌倉

建長寺には登山もリスもござんすよ

前回(日帰り出張に伴う北鎌倉プチ周遊編)の続きです

円覚寺を出た後、道沿いを歩いて建長寺に向かいました。

道路の反対側から、北鎌倉駅に向かう鎌倉学園(建長寺に隣接する学校で、桑田佳祐氏と堺正章氏の母校)の沢山の生徒さん達が下校してきたので、重い鞄を抱えた身で細い路地で何度もすれ違わなければならない羽目になりました。

ともあれ、その末にようやく建長寺に辿り着いた後、堺氏が若い頃に活躍された西遊記、そして仏道に人生を捧げた三蔵法師を演じられた不世出の女優さんのことなども思い出して一句。

堅調なみちに花咲く建長寺
サザンカにナツメを偲ぶ孫悟空

建長寺は蘭渓道隆により開山された鎌倉五山第一位の寺院です。

建長寺は鎌倉五山の筆頭に相応しい壮麗な仏殿を備えています。

釈迦苦行像。
思春期はシャキャも痩せたいバラモンで(某漫画より)。

建長寺は、総門や山門、仏殿、法堂、庫裏などが一直線に並んで建築されており、中国で成立した禅宗の本来の建築様式とのことですが、初めて見る者には、まるで艦隊が連なるような奇妙で不思議な印象を受けます。

私は平成11年の夏に中国に旅行したことがありますが、一直線に巨大宮殿が次々と現れる紫禁城の光景に似ているように感じました。

詳細は存じませんが、中国には建物を一直線に建築するのを好む文化ないし思想があるのかもしれません。

この寺院の敷地をはじめ、北鎌倉一帯が谷間の細長い土地なので、一直線に建物を建てることに馴染みやすいのでしょうが。

ちなみに円覚寺には「一直線感」はなく、むしろ谷の両側に建物群がへばりついている印象を受けましたが、創建時は建長寺と同様に一直線状になっていたそうです。

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建物群の最後のあたりで、お江の方の廟所に用いられていたという壮麗なる門扉がありました。というわけで、大河ドラマで活躍された若き日の樹里氏が奏でる一句。

唐モンでジャズの代わりに数珠やるべ。


その後、まだ残された時間があるということで、寺院の裏の「奥の院」的なエリアを目指すことにしました。

沢山の階段を上らなければならず、疲労の末に一句。

登山やな北鎌倉の半僧坊

鎌倉市街を見下ろす光景は、旅に達成感や稀少体験を求める方に、至上のよろこびを与えてくれるでしょう。

ここを目指す方は、間違っても、ノートPCや使いもしない勉強道具(判例雑誌など)を大量に入れた鞄などの重い荷物を持つことなく、軽装でいらして下さい。

下山中に、よい子の皆さんを癒やすひとときを授かり一句。

五山にはリスもおいででござんすよ

かくして建長寺をあとにし、そのまま徒歩で鎌倉駅に向かいました。

裏側から立ち寄った夕暮れの八幡宮は平日おデートの皆さんがウジャウジャしていたのでツルッとスルーし、そのまま「おまけ」を経て新幹線ギリギリの時間でしたが、東京駅で猛ダッシュし、どうにか、遅れずに帰宅できました。

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以下、おまけ。

夕方に鎌倉駅前に辿り着いたので、某愛読者のクレームを覚悟しつつ、久方ぶりに孤食の居酒屋放浪記をすることにしました。

隣のボックスに耳障りなしゃべり口調のあんちゃんがいて、

「俺は弁護士ではないが本人訴訟の達人だ、少額訴訟ならお手のものだ」

云々と、同席者に自慢げに話し、交通事故?とか個別分野でも講釈を初める声が延々と聞こえてきたので、

隣にホンモノの弁護士がいるんだけど・・・

と言いに行きたい衝動に少しだけかられました。

が、急がないと新幹線に間に合わないこともあり、半ば耳を塞ぎつつ、日本でここでしか食べられない?黒酢黒ゴマ蕎麦と三浦半島名物の三崎マグロの輪切りテールオーブン焼き、そして特雌鳥の炭火焼きと鎌倉ビールを、大変美味しゅういただいて帰りました

次は、できれば一人ではなく一緒に食事を楽しめる方と来たいものです。

 

大船観音と円覚寺にて菩薩のご縁を祈願するの記

半年前の話で恐縮ですが、仕事で神奈川県に出張でき(日帰りですが)、折角の機会ということで前後の時間に近隣の寺院を見に行きました。年末年始にも鎌倉に日帰りで行きましたが、大河ドラマ効果?か、神奈川へのご縁が続いています。
マチ弁が鎌倉来たりてエセ歌人(前編) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

まずは、東海道線からもよく見える大船観音にて、21年ぶりの機会を大観音に感謝しつつ更なる御利益を祈願して一首

大船に乗ったつもりで気がつけば 菩薩足りぬと南無阿弥陀仏

観音様というのは「世を観て」救う存在だそうですが、当方も社会の様々な問題の解決に関わりつつ、今なお修行僧というのが実情のようです。

幾とせも世を観て聞いて働けど なお苦しめと今も悶える

大船観音は、昭和初期に世相浄化と観音思想の普及を目的に着工されたものの、ほどなく中断され、大戦後の昭和30年代に再開・落慶され、戦没者の鎮魂と世界平和を祈って建立されたという経緯を辿ったようです。

ともあれ、観音像自体は、半身のみ地面から生えてきたような特異な容姿をしており、

戦災の涙を吸うた白筍が 平和願いて生え聳えたり

と形容するに相応しいのかもしれません。

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その後、出張仕事を無事済ませ、北鎌倉の名刹に辿り着いて一句。

良き人に縁が来ればと円覚寺

国宝・円覚寺舎利殿は入口が閉じられ、普段は近づけないようです。全容を知りたい方は横浜市中心部の歴史博物館へどうぞ。

次に、北条時宗の廟所とされる佛日庵を訪ねました。円覚寺は、北条時宗が南宋の高僧・無学祖元を招聘し、創建した寺院です。

かつて外国の侵略から国を護った執権は、いま、同じ苦難に立ち向かう異国の人々に次のような一句を告げているかもしれません。

国難のときは気丈に胸を張り

敷地内には、夢窓疎石の作庭を今に伝えるのどかな光景なども広がっていました。

次世代に春を託して梅の花

・・・これが梅かどうかは私には分かりませんが(近くの建物で梅は咲き始めてました)

丘の上には国宝とされる梵鐘があり、表面には「国泰民安」なる碑文が刻まれているそうです。

「国民を二つに割るとはケシカラン。安泰を逆さまにしており、日本国民への呪詛だ!」などと言い出す人もいたりするのでしょうか?

(以下、次号)