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07月

奥多摩湖畔を彷徨った日のこと~都知事選に寄せて?

都知事選絡みの投稿が続いて恐縮ですが、折角なので、少し前にfacebookの方に載せた投稿を再掲させていただきます。

大学1年の終わり頃、突然、奥多摩湖に行きたくなり、昼過ぎに当時の自宅(東京都日野市の百草園)を出て、夕方4時頃に湖(小河内ダム)に到着し、南岸のほとんど整備されていない踏み跡程度の遊歩道を、日が沈もうとしていた時間に何も考えずに延々と歩き出したということがありました。

何を考えていたのか思い出せませんが、誰もいない森の中に入っていけば、そのまま自分が消えて無くなってくれるんじゃないかなどと、自殺とまではいかなくとも、厭世的な願望があったのだと思います(失恋とかが理由ではありませんので念のため。ある意味、「それ以前」の大学生活でした)。

当時はまだ山登りに目覚める前だったので、ヘッドランプなどの用意がないことはもちろん、靴も普段用のもので、ほぼ手ぶらで出かけたことや、「ここから先は落石等があるので立入禁止」の看板(ネットで少し調べたら今もあるようですね・・)があるのを見て、そのまま石にぶつかって死んでくれてもいいや、などとみっともない感傷に浸っていたことはよく覚えています。

2月か3月頃の話ですので(11月だったかもしれません)、5時半頃には周囲一帯は暗くなり、仕舞いには遊歩道がどこかも分からなくなって、暗闇の中、沢沿いの砂防ダムのようなところをよじ登ったりもしました。

湖畔に沿って行けば何とかなるだろうと思って歩いているうちに、6時過ぎ頃、明かりが見えたので山中をよじ登ったところ、キャンプ場らしき場所(南岸の真ん中過ぎ。今もグーグル地図に載っています)に出て、そこから車道をトボトボ歩いていたところ、通りがかりの自動車の方に拾っていただき、奥多摩駅まで送っていただきました。

湖畔を歩いていたときのことはあまり思い出せませんが、明かりを見つけて無我夢中で走ったことと、ドライバーの方(おじさん)から「この辺は熊が出るぞ」と言われたことは、今もよく覚えています。

その後、ほどなくして、大学生協で見つけた奥多摩地域の登山ガイドを手にとって、大学2年の秋頃には毎週のように未明から自宅を出て、京王線百草園駅から立川駅5時25分発の電車に乗り、日帰り登山に出かけていました。

大学時代は、誰が見てもどこから見ても、近寄るなと言われてもやむを得ないような陰気で救いのない学生でしたが、そうした時間を持つことで、辛うじて自分を持ち堪えることができたと思っています。

退任間際の舛添知事が湯河原通いを批判された際、奥多摩を軽視しているかのように受け取られかねない発言をしたことが話題になったせいか、知事選の候補者の方々が演説等に訪れたとの記事が取り上げられていましたが、私自身は奥多摩に特別の思い出や恩義のようなものがあり、今も、奥多摩の良さや大切さを都知事に限らず多くの方に知っていただければと感じています。

余談ながら、先週の土曜には中央大岩手支部の総会があり、遅参の身で恐縮ですが参加させていただきました。参加者の多くは大先輩の世代の方々なのですが、先輩方に暖かい言葉をいただくことを有り難く感じるのも、そうした学生生活を過ごしたことが関係しているのかもしれません。

アゴラ投稿の衝撃?と原文、そして都知事選に関する私の本音

先日の月曜に掲載したブログの文章が、著名な言論サイト「アゴラ」に投稿したところ、驚いたことに、その日のうちに載せていただきました。
http://agora-web.jp/archives/2020498.html

この文章は、日曜の深夜に突如、書かずにはいられない気分になり、朝まで事務所に籠もって書き上げたものですが、恥ずかしながら、できることなら都民を中心とする多くの方に見ていただきたいなどという危ない精神状態に陥り、こともあろうに?以前から知っていた(時折拝見することもあった)アゴラに、思い切って送信してみたという次第です。

もちろん、投稿(送信)したのも初めてですし、内容に多少の自信(多くの方が目を通すに値するのではないかとの思い)はあったものの、掲載される自信はなく、されたとしても画面の隅に一時的に出現するだけだろうと想像していたのですが、月~火にトップページの冒頭(注目記事欄)に載せていただいたり、全体のアクセスランキング(24時間)でも最大(現時点まで)で2位となり、1000個を超える「いいね」もいただき、投稿者本人が一番驚いています。

試しに、私の名前でグーグル検索してみたところ、面識のない方から「この記事は読んだ方がよい」などと暖かいコメントをいただいたものもあり、ただただ恐縮するばかりです。子供の頃、世間に向けて評論家のような仕事をしている方々にいささか憧れを抱いたことがありましたので、少しだけその真似事をさせていただき、良い冥土の土産になりました、これで思い残すことなく旅だっていけます、というのが正直なところです(笑)。

もちろん、厳しいコメントをいただくこともあるだろうと思っていたら、大物ブロガーの山本一郎氏から「普通は集団不法投棄は見つけ次第内偵かける、群馬も長野も千億単位で処理費かかるほど放置しないのに、金字塔なんて言うのは笑っちゃうよ」と酷評をいただいたのも発見しました。

このような批判は当然あり得べきところで、その点は「人里から遠く離れ、岩手の人間は誰も気にしない山奥にある上、岩手県庁の許可業者(処分業)ではなかった」という面と、「青森県内では過去にも問題を起こしたことがある「札付き」の業者で、調べようと思えばできたのではないか」という面と、どちらを重視するかという関連事実の積み上げと総合評価の問題に帰着しますので、発覚までの問題についてまで増田知事個人の責任を問えるのかということも含めて、軽々にどちらが正しいと言えるものではないのですが、それはさておき、著名ブロガーの山本氏がツィッター?でコメントしていただいたお陰で、私の投稿の存在を知ってご覧になった方もおられるでしょうから、投稿をご覧いただいたことも含め、山本氏にも大いに御礼申し上げたいと思います。

ちなみに、県境事件は岩手県の農政部が最初に発見し、岩手県警と協議し短期間の内偵で着手に至っており、青森県庁はそれ以前に地元で多少の通報を受けていたものの本格的に取り組んだ人がいなかった(ので、青森側の対応の当否はさておき、岩手側が「発見」した時点で、すでに数百億円規模の費用を要する惨状になっていた)との記憶です。
http://www.pref.iwate.jp/kankyou/fuhoutouki/18923/015687.html

以前に、山本氏が増田知事は非常に無能だと酷評されていた記事を拝見したことがあり、それだけに、増田知事にも良いところがあると書いた記事に否定的なコメントをせずにはいられなかったのかもしれません。

ところで、この投稿は、当初「都知事選は『東京をぶっ潰す男』と『日本をぶっ壊す女』の戦い(選択)になるべき~知られざる増田県政の金字塔から考える~」とのタイトルで、5000字を超える文章をダラダラ書いていたのですが、タイトルが24字以内で本文も3000字以内との制限がありましたので、一旦書き上げた後、あれこれ考えて削り、どうにか3000字強まで減らした上で送信しています。

結果として、文章が引き締まり質が遥かに良くなったように思われ、その点も含めアゴラには感謝しています。

投稿文を読んでいただいた方の多くが感じたことだと思いますが、この文章は、増田氏が岩手県知事時代、県境不法投棄事件の陣頭指揮に優れた点があったという点を指摘させていただいたに止まり、現在の都知事選において増田氏を支持することを目的として書いた文章では全くありません。

むしろ、「県境事件のご経験を生かして現在も東京的なるものと闘って欲しいのに、そのような印象を受けない」と批判じみたことを述べている下りもあり、見ようによっては、過去の栄光を引き合いに、東京的なるものと闘う姿勢を見せていない現在の増田氏を批判し、対照的に、旧来的な政治勢力との対決姿勢を鮮明に打ち出し、対決の場を演出している小池氏への支持を暗に示したものと読めなくもありません。

今回の投稿を私が「せずにはいられないと思った」一番の理由は、都知事選にあたり、増田県政を批判するネット記事等を多数拝見しているうちに、「確かに増田県政は在任当時も県民から批判される点は多々あったと思うが、少なくとも県境事件に関しては、二戸人には恩義があるはずだ(何より、豊島事件のような展開になれば、私は弁護団の一員として岩手・青森両県庁と対決し、苦心惨憺の目に遭っていたはずで、そうならなかっただけでも恩義がある)そのことを、このタイミングで誰も言わなくてよいのか(それは忘恩の輩ではないのか)」という思いが沸き上がってきたという点にありました。

その上で、その延長線で、増田氏は本当に都知事になりたいなら「東京と闘う男」を標榜すべきだと感じると共に、また、それでこそ、「日本(の政治文化全体)と闘う女」としての小池氏のキャラもますます引き立つ(政治のあり方に関する議論や運動が研ぎ澄まされる)のではと感じ、そうした観点から深夜に一気に書き上げたという次第です。

ですので、現時点の私にとっては、曲がりなりにも「日本と闘う女」としてのカラーを打ち出している小池氏の方が、「東京と闘う男」としての姿勢をあまり見せていない(ように感じる)現在の増田氏よりも「支持率一歩リード」という状態にあります。

その上で、「日本的なるものとの対決(小池氏)」も「東京的なるものとの対決(増田氏)」も、どちらも現在の東京ないし日本が取り組むべき課題であって、双方は対立的・選択的なものではなく、優先順位はありうるにせよ、双方とも適切な指導者のもとで推進されるべきだと思います。

そんなわけで、欲を言えば、現在の感覚としては、次の展開を期待しています。

1 小池氏は、知事当選後、増田氏を自民都連からスカウトして副知事とし、旧「みんなの党」を核とする諸勢力(一部、自民・民進などからの分裂組を含め)を糾合して、橋下市長よろしく地方議会制度などの改革を推進する新勢力を作る。

2 ほどなく、地方自治制度に関する様々な改革案を提示し、これに反対する自民党などの従来勢力との対決シーン(劇場)を演出しつつ、幾つかの妥協を勝ち取る。その中には、石原・猪瀬・舛添知事の退場時に盛んに言われた「知事が辞めるたびに巨額の選挙費用を要する愚」の改善策として、例えば、議会の3分の2(又は過半数?)以上の不信任がない限り、知事の辞任時に副知事に承継させることも可とする法案を可決させる。

3 小池知事は、それを手土産に、次の総選挙の際に知事を辞任し、選挙費用を使わずに増田都知事が誕生する→増田新知事は、小池知事がやり残した東京と地方との関係の再構築(東京的なるものの「悪い面」との対決)を推進。

4 他方、小池氏は国政復帰で一大勢力を構築→同じく復帰した橋下市長と連携して行政府・立法府の本格改革に従事?

まあ、こんなことを言い出したら、山本氏でなくとも、妄想もたいがいにせえよ、と失笑を買うだけですよね・・

でも、政治は悪口を語る場ではなく、夢を語る場であって欲しいと思っています。

余談ながら、小池氏といえば、「クールビス」を推進した環境相としてのイメージが強いですが、同氏は特措法が制定された当時の環境大臣(鈴木俊一氏。岩手2区)の後任で、私は、平成16年当時、不法投棄問題の意見書づくりに勤しんでいた関係で、日弁連(公害環境委員会)が環境大臣(環境省の幹部職員)と毎年行っている懇談会に末席ながら参加させていただき、小池大臣を拝見したことがあります。

その際、途中から入室した小池大臣のオーラが凄まじく、同氏の入場後に場の空気がガラッと変わり、日弁連会長さんがとても小物に見えるくらい、誰がこの場で一番偉いのかをまざまざと見せつけられたように思いました。

そうした経験も含め、増田氏・小池氏とも、都政や国政に新たな光を提示できるお立場にあり、都民は、議論を整理し先鋭化させることで、どちらの選択をするにせよ、社会の新たな道を切り開くことができるのではないかとの認識を一人でも多くの方に共有いただければとの思いで、僭越ながら、深夜にあれこれ考えて、送信させていただいた次第です。

以下、アゴラ投稿の「ダイエット」前の原文を、僭越ながら掲載させていただきます。

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鳥越氏のスキャンダル話を含め、巷の話題を席巻している東京都知事選ですが、我々岩手県民にとっては、増田氏は、ある意味「昔の主君」ですので、都民や他府県民とは違った感慨というか、視点で眺める面があります。

この点について、最初に、岩手の環境問題に関心を持つ弁護士の立場から、世間でほとんど取り上げられることがない「増田県政」の知られざる功績たる「県境不法投棄事件」について述べつつ、それを踏まえて、増田氏は、「東京をぶっ潰す!」という公約こそ表明すべきだということを、述べたいと思います。

また、それに続けて、増田氏の依って立つべき正義が、上記のようなものというべきであるからこそ、対抗馬たる小池氏には、東京からさらに視野を広げて、「日本(の政治文化)をぶっ壊す!」という公約をこそ掲げていただきたい、その二つの路線対立こそが、今回の東京都知事選における「あるべき争点」なのではないかということも少し書きたいと思います。

長文になり恐縮ですが、東京都知事選挙に関心のある方はもちろん、願わくば、都民(選挙権者)の方々に広く読んでいただければと思っています。

***

まず、「増田県政」についてですが、報道などでは「増田知事が在任中にハコモノばかり作って岩手県の借金(県債残高)を二倍にした」とか「巨大ハコモノを作らせたのは、増田知事を担いだ小沢一郎氏らの勢力(と、それを支持する建設業界)だ」とか「『がんばらない宣言』に象徴される費用対効果が不明なキャンペーンで、東京のコンサルタントに無駄に多額の金を払った」などの批判的報道を拝見することが少なくありません。

私自身は、増田県政(全3期)の初期(平成10年頃)と末期(平成16年末~19年)しか岩手におらず(前者は司法修習生として、後者は岩手への移転開業によるものです)、上記の批判に対し、さほど気の利いたコメントができる立場にはありません。

ただ、県債問題については、平成19年の増田知事の退任時に盛岡青年会議所(JC)などの主催で行われた「県知事マニフェスト検証大会」の際、増田知事から「当時が地方への財源支援の制度の転換期になっており、この時期(増田氏の在任時)だから、県立大やアイーナ(複合施設)の建設のため高額な補助を国から得ることができた(千載一遇のチャンスであり、現在なら諦めざるを得なかった)。これで県のインフラはほぼ整ったのだから、次の県政ではその有効活用に力を入れていただきたい」と仰っていたことはよく覚えています。

実際、県立大などのことは分かりませんが、アイーナについては私も様々な形で利用する機会があり、空間デザインの善し悪しなどは議論があるようですが、現に活用されていることも視野に入れて論じなければフェアではないのではという程度の認識はあります。

これに対し、増田県政の功績として、ご本人を含めほとんど誰も語ろうとしませんが、「金字塔」と言って良いほどの価値があるもので、私自身よく知り、多少とも関わっているテーマが一つあります。

それは、「岩手・青森県境不法投棄事件(以下、県境不法投棄事件といいます)で、率先して全量撤去と排出者側(首都圏など)への責任追及の姿勢を示し、特例法の制定に向けた世論を誘導して、曲がりなりにも県民の費用負担を大きく減らす形で地域の環境を回復させたこと」です。

県境不法投棄事件とは、青森県田子町の山中(岩手県二戸市との県境)に産業廃棄物の処理施設を設置していた業者が、両県境の谷間や山林などに、有害性の高いものを多く含んだ膨大な量の廃棄物を不法投棄し、いわば「谷を産廃で埋め尽くし、さらに山を穴だらけにして産廃で埋め尽くす」という暴挙を、推定で10年前後の期間に亘り行っていたという事件で、平成11年に発覚し刑事摘発され、翌12年頃から本格的に被害回復に向けた両県の取り組みが始まっています。

この事件では、主犯格たる青森の業者と、首都圏を中心とする全国各地から産廃を集めて現地に送り込んだ埼玉県の業者が摘発されたものの、発覚の時点でほとんど倒産の状態にあり、両県併せて最終的に1000億円近くに及んだ原状回復費用を負担できる状態にはありませんでした。

そのため、とりわけ主要な巨額負担が当初から予測された青森県庁は、廃棄物を撤去するか否か明言せず、遮水壁を作って現地に放置(封じ込め)をするのではないかとの疑念が強く寄せられ、地元民(田子町側)との間で、かなりの軋轢が生じていました。

これに対し、岩手県側では、増田知事が非常に早い段階で「有害性が強い物が多数含まれており、全量撤去以外の選択肢はなし」との強い姿勢を表明し、それと共に、岩手県独自で処理業者の財産に裁判所を通じて仮差押を行い、2億円以上の確保に成功するという快挙を成し遂げています。

県境事件の現場は、岩手側にとっては人里から遠く離れた山奥で、一般県民はおろか二戸市民にとってすら関心が低い事件だった上、その時点で撤去費用について国の補助などが得られるのか(全額を県民が負担しなければならないのか)不透明だったにもかかわらず、「首都圏など全国のゴミが、違法に持ち込まれて捨てられた」という事件の性質が、岩手が背負う「時の中央政権に虐げられた蝦夷などの歴史」と重なり、上記の快挙も相俟って、増田知事の判断は、県民の強い支持を受けることになりました。

そして、青森県もこの動きに影響を受け、重い腰を上げるような形で全量撤去を表明し、さらに、時の環境相を鈴木俊一氏(岩手2区=事件の地元からの選出)が務めていたことも味方したのか、平成15年には国が全量撤去の費用の6割程度を補助する「産廃特措法」が制定され、これにより約10年かけて両県の撤去作業が行われるという展開になりました。

この法律は、悪質な大規模不法投棄が判明した県境不法投棄事件と香川県豊島の不法投棄事件の2つを主に救済するために制定されたのですが、仮に、増田知事や青森県知事が廃棄物やこれに伴う汚染土壌を放置する選択肢をとった場合、地元住民は、豊島の住民が中坊公平弁護士らの支援のもと香川県を相手に公害調停などを行った事件のように、長く苦しい闘いを両県との間で強いられる展開になったことは間違いありません。

そのような苦難を地域住民に強いることなく、率先して全量撤去を打ち出し、豊島事件と連動する形で国の廃棄物行政の不備を説き、特措法による国費の多額の補助に繋げたことは、「岩手の歴史」と相俟って、増田県政の金字塔と呼んで遜色ないと思っています。

実際、両県は、原状回復作業に並行して、産廃業者に処理委託した全国の事業者(中には世間に名だたる有名な大企業も多くあります)の幾つかに対し、廃棄物処理法上の違反があったとして、自社が排出した廃棄物の撤去費用を支払わせることに成功しており、両県は、そうした形で「首都圏(の排出者側)」との闘いを地道に続けてきたのです。

***

ただ、増田知事にとって、一つ、心残りがありました。

それは、事件の中心人物たる埼玉の中間処理業者を指導すべき立場にあった埼玉県の廃棄物行政の責任を問うことができなかったこと、そして、東京都をはじめとする全国各地の排出事業者に対し適正な処理委託をするよう指導する立場にあった「排出者側の自治体(東京都など)」に、「純然たる被害県」としての岩手県が強いられた80億円程度と見られる「県民の費用負担」について、何らかの形で肩代わり(支援)を求めることができなかったことなのです。

要するに、「首都圏をはじめとする排出側の行政の責任を問うこと」が、県境事件、ひいては増田知事の大きな宿題として残りました。

私は平成15年から16年頃にかけて、日弁連・公害対策環境保全委員会(廃棄物部会)の委員として岩手県庁に接触していた関係で県職員の方からお話を伺う機会が何度もあり、知事がそうした思いを共有し、一定の模索をしていたことは間違いありません。

だからこそ、そのときの増田知事を知る岩手県民は、増田候補に対し、「時に、首都圏の都合(エゴ)の犠牲を強いられた、地方(田舎)の悲しみ、苦しさを東京の人達に伝えることを忘れないでいただきたい、さすがに、都知事として『県境事件の撤去に要した岩手の負担を東京都から返還する』とか、『青島知事に倣って、突如、東京オリンピックを中止し、浮いた国の財源をILC(岩手・宮城県境に予定されている国際リニアコライダー)の建設費に使わせる』などと公約して欲しいとは申しませんが、せめて、地方を知る者、地方から東京に出てきた者の代表として、地方と東京がよりよい関係を築くため、東京のあり方を大きく変えていく(そのことで、日本全体をよりよいものとしていく)姿勢や手法(政策)を強く打ち出していただきたい」と願っていることは確かなのです。

そうした「知る人ぞ知る期待」を背負っている増田氏に打ち出していただきたい言葉が、小泉首相に倣って言えば、「(地方の立場から)東京(のエゴ)をぶっ潰す!」であることは、申すまでもありません。

この一言を増田候補が絶叫していただければ、最初は全国の多くの地方住民が賛同(熱狂?)し、ほどなく、その真意を知った東京都民も、これまでの東京のあり方を問い直し再構築してくれる指導者として、増田氏を支持するに至るということも、十分に期待できるのではないでしょうか。

それだけに、ある意味、「ぶっ潰す」対象の一つと感じられないこともない、自民党都連などの勢力が増田氏を担いでいるという構図や、増田氏が上記のようなお気持ちを今も感じておられるのかあまり伝わってこない選挙報道を眺めていると、岩手県民としては残念というか、寂しいものを感じ、誰か(ご自身を含め)、「増田氏を解き放って欲しい」と言わざるを得ない面はあります。

***

ここまで増田氏のことを述べてきましたが、以上との対比で、小池氏に求められるものは何だろうかということも考えてみました。

以下は、多くの方が同種のことを述べていることで、ありふれた話かもしれませんが、増田氏が「東京的なるものとの対決」をこそ掲げていただくべき責任(歴史)を背負っているのだとすれば、小池氏は、現在の都議会(自民党都連)との対決に象徴されるように、政界を渡り歩き、小沢氏や小泉首相に象徴されるように、「それまでの政治の中心勢力と対決する道を選んだ大物に付き従い、何らかの形で旧勢力と闘ってきた人(だから東京都連のような人達に嫌われるのだろう)」と言えるのだと思います(防衛相時代の大物次官との対決も、思い起こされるエピソードの1つでしょう)。

だからこそ、小池氏を支持する方々の多くが、今回の都知事選を「何となく政治を壟断している(自分達の影響力の確保を優先させて社会に閉塞感を与えている)のではと感じる旧勢力との闘いの集大成、或いは、今度はご自身が主役となって闘う出発点」になって欲しいと願っているのではと思います。

であれば、「現在の都議会(自民党都連)の主要メンバーとの対決」という対人的な話に矮小化させず、日本の都道府県議会制度(の運用)そのものについて、都民ひいては国民が納得できるような「問題の本質」を指摘し、変革(制度改変)を呼びかけるような姿勢を示していただきたいと思います(それは、兵庫県議会の事件に象徴されるように、国民全体が期待していることと言えるでしょう)。

もちろん、制度論は簡単に言えるものではないでしょうが、そうした姿勢をご本人が示して天下の賢を求め、それが支持を集めるのであれば、自ずから百家争鳴する展開は期待できるはずです。

今の国民は、どうして橋下市長や「維新の会」が一定の成功を納めたのかを知っています。それは、(自民党改憲案と異なり)国民の人権に文句を付けるのでなく、行政機構(ひいては住民に不信感を抱かれていた行政の実情など)の変革を旗印にして、それに取り組んだこと(いわば、弱い者いじめでなく強い者に挑んだこと)が庶民の喝采を浴びたからだと思います(もちろん、公務員労組との対決に明け暮れたことは、労組が弱者か強者かはさておき、「やり過ぎ」を裁判所から認定されたことを含め、その立場の方々からは徹底的に敵視されることにはなりましたが・・)。

小池氏が、橋下市長のように行政(役所)や立法(都議会)の改変に取り組んで一定の成果ないし支持を集め、やがて国の行政・立法の変革(国の官庁や国会などに関係する改憲論を含め)も促すような取り組みするのであれば、すでに「小池与党」化している音喜多都議らの旧みんなの党の勢力に限らず、裾野の広い政治勢力を構築し、やがては、小池氏が全盛期の小沢氏や小泉首相の後継者のような地位を獲得していくことも不可能ではないのではと思います。

少なくとも、今回の参院選で自民党を大勝させた民意は、「憲法改正(立法や行政に関する規定の見直し)に向けた議論は期待しているが、自民の現在の改憲案(人権規定の改変)は支持しない(ので、「自民党をぶっ壊す」小泉首相の再来を期待している)」というものであることは、多くの国民が感じているところではないかと思います。

それに応える政治勢力は未だほとんど育っておらず、小池氏を支持する方々は、「自民党内の嫌われ者」たる小池氏の勝利がその一里塚になることを密かに期待しているのではないかと思います。

だからこそ、その心意気を示す意味で、小池氏には、「東京から日本(の閉塞的な政治文化)をぶっ壊す!」と叫んでいただければと感じています。

ともあれ、「増田氏か小池氏かという選択」は、地方との関係性を重視した東京の変革を志向するか、国家との関係性(自民党をはじめとする国側への影響)を重視した東京の変革を志向するか、どちらかの選択という見方ができるのではと思われ、残り僅かな期間ではありますが、そうした観点から、さらに議論が深まればと願っています。

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原文は、以上になります。

アゴラは、私にとっては雲の上の方々が名を連ねておられる場ですので、非才の身がしゃしゃり出るのは畏れ多いというのが正直なところですが、県境事件のように、全国の方にその意義や問題意識を知っていただきたい事件に関わったときなどは、僭越ながら、また投稿をさせていただくこともあるかもしれません(いや、小心者ですので、たぶん二度とないでしょう・・)。

そんなわけで、硬軟さまざまなご批評も含め、暖かい目で見ていただければ幸いです。

知られざる増田県政の金字塔と都知事選の本当の争点

巷の話題を席巻している東京都知事選ですが、私たち岩手県民は、都民や他府県民の方とは違った感慨や視点で眺める面があります。

増田県政については、県の借金を二倍にしたなどと批判する報道はよく目にしますが、知事の功績として大きく評価されるべきものがあることは、ほとんど知られていません。

それは、「岩手と青森の県境で生じた巨大不法投棄事件(以下、県境不法投棄事件と言います)で、率先して全量撤去と関係者への責任追及の姿勢を示し、特例法の制定に繋げて曲がりなりにも県民の費用負担を大きく減らす形で地域の環境を回復させたこと」です。

県境不法投棄事件とは、青森県田子町の山中(岩手県二戸市との県境)に産業廃棄物の施設を設置していた業者が、県境の谷間や山林に膨大な量の廃棄物を不法投棄した事件です。

この事件では、主犯格たる青森の業者と首都圏を中心に全国各地から産廃を集めて現地に送り込んだ埼玉の業者が摘発されたものの、発覚時点でほぼ倒産状態にあり、両県併せて最終的に1000億円近くに及ぶ原状回復費用を負担するのは不可能でした。

そのため、巨額負担が当初から予測された青森県は、廃棄物を撤去するか否か明言せず、遮水壁を作って放置(封じ込め)をするのではないかとの疑念が強く寄せられ、地元住民・田子町との間で大きな軋轢が生じていました。

これに対し、岩手県側では、増田知事が非常に早い段階で「有害性が強い物が多数含まれており、必ず全量撤去する」との強い姿勢を表明し、それと共に岩手県独自で処理業者の財産に仮差押を行い2億円以上の確保に成功する快挙を成し遂げています。

県境事件の岩手側は人里から遠く離れていた上、撤去費用に関し国の補助などが得られるのかも不透明でしたが、「首都圏など全国のゴミが違法に持ち込まれて捨てられた」という事件の性質が、岩手が背負う中央政権に虐げられた蝦夷などの歴史と重なり、知事の判断は、県民の強い支持を受けることになりました。

そして、青森県もこの動きに影響を受け、重い腰を上げるような形で全量撤去を表明し、国が費用の約6割を補助する産廃特措法が制定され、約10年かけて両県の撤去作業が行われました。

この法律は、悪質な大規模不法投棄が判明した県境不法投棄事件と香川県豊島の不法投棄事件の2つを主に救済するため制定されたのですが、仮に、増田知事や青森県知事が現地封じ込めの選択肢をとった場合、地元住民は、豊島住民が中坊公平弁護士らの支援のもと香川県を相手に公害調停などを行った事件のように、長く苦しい闘いを強いられる展開になったことは間違いありません。

そのような苦難を地域住民に強いることなく率先して全量撤去を打ち出し、撤去費用に国の多額の補助を確保したことは、増田県政の金字塔と呼んで遜色ないと思います。

実際、両県は、原状回復作業に並行して、産廃業者に委託した全国の事業者の幾つかに、廃棄物処理法上の違反があったとして自社が排出した廃棄物の撤去費用を支払わせるなど、首都圏の排出者側との闘いを地道に続けました。

ただ、増田知事にとって一つ心残りがありました。それは、主犯格たる埼玉の処理業者を指導すべき立場にあった埼玉県の廃棄物行政の責任を問うことができなかったこと、そして、首都圏をはじめ全国各地の排出事業者に対し適正な処理委託をするよう指導する立場にあった排出者側の自治体(東京都など)に、純然たる被害県としての岩手県が強いられた80億円程度の自己負担に対し何らかの形で肩代わり(支援)を求めることができなかったことなのです

要するに、首都圏をはじめとする排出側の行政の責任を問うことが、県境事件ひいては増田知事の大きな宿題として残りました。

私は平成16年前後に日弁連の委員会活動を通じて岩手県職員の方からお話を伺う機会があり、増田知事も解決のため一定の模索をしていたことは間違いありません。

だからこそ、そのときの増田知事を知る岩手県民は、都知事選にあたり「時に、首都圏のエゴの犠牲を強いられた、地方の悲しみ、苦しさを東京の人達に伝えることを忘れないでいただきたい、地方を知る者として、地方と東京がよりよい関係を築くため、東京のあり方を大きく変え、日本全体を改善する姿勢や手法(政策)を強く打ち出していただきたい」と願っていることは確かなのです。

そうした期待を背負っている増田氏に打ち出していただきたい言葉が、小泉首相に倣えば、「(地方の立場から)東京(のエゴ)をぶっ潰す」であることは、申すまでもありません。

この一言を増田候補が絶叫していただければ、全国の多くの地方住民が賛同し、ほどなく、その真意を知った東京都民も、これまでの東京のあり方を問い直し再構築してくれる指導者として増田氏を支持するに至るということも、十分に期待できるのではないでしょうか。

それだけに、ある意味、「ぶっ潰す」対象の一つと感じられないこともない、自民党都連などの勢力が増田氏を担いでいるという構図や、増田氏が上記の思いを今も感じておられるのかあまり伝わってこない選挙報道を眺めていると、岩手県民としては残念というか、寂しいものを感じ、どなたか(ご自身を含め)、増田氏を解き放っていただきたいと感じる面はあります。

また、このように考えれば、都民が小池氏に求めるものも、より鮮明になると思います。

増田氏が「東京的なるものとの対決」を掲げる責任(歴史)を背負っているのだとすれば、小池氏は、現在の都議会(自民党都連)との対決に象徴されるように、政界を渡り歩き、小沢氏や小泉首相など既存の政治の中心勢力と対決する道を選んだ大物に従い、何らかの形で旧勢力と闘ってきた人と言えます。

小池氏を支持する方々は、政治を壟断している(自分達の影響力の確保を優先させて社会に閉塞感を与えている)と感じる旧勢力と同氏が闘うのを期待しているでしょうし、そうであればこそ、小池氏には「大物都議や自民党都連との対決」という対人的な話に矮小化させず、日本の都道府県議会制度そのものについて「問題の本質」を指摘し、変革を呼びかけることが求められており、それは、兵庫県議会の事件に象徴されるように国民全体が期待していることと言えるでしょう。

橋下市長や維新の会が一定の成功を納めたのは、行政機構(ひいては住民に不信感を抱かれていた行政の実情など)の変革を旗印にして、それに取り組んだことが庶民の喝采を浴びたからだと思います。

小池氏が都庁や都議会の改変に取り組んで成果を挙げ、官庁や国会の変革も促す動きも見せるなら、裾野の広い政治勢力を構築し、小池氏が全盛期の小沢氏や小泉首相の後継者のような地位を獲得していくことも、不可能ではありません。

先日の参院選で自民党を大勝させた民意は、「憲法改正(立法や行政の見直し)に向けた議論は期待するが、自民の改憲案(人権規定の改変)は支持しない」ものであることは、多くの国民が感じているところだと思います。

だからこそ、その民意に応える形で、小池氏には「東京から日本(の閉塞的な政治文化)をぶっ壊す」と叫んでいただければと感じています。

増田氏か小池氏かという選択は、地方との関係性を重視した東京の変革か、国家との関係性(自民党など国側への影響)を重視した東京の変革か、どちらを志向するかという見方ができ、そうした観点から議論が深まればと願っています。

岩手の弁護士の「Webサイトの歴史」と、そこから見えてくるもの(後編・県内の各事務所のサイト開設状況と特徴)

前回に引き続き、岩手の弁護士に関する「Webサイトの歴史」をテーマに取り上げます。といっても、前回は当事務所の実情を中心とした説明でしたので、今回が「本番」のようなものです。

まず、前回述べたとおり、「岩手でWebサイト(以下「HP」と表示)を作った最初の法律事務所」が当事務所であることは間違いないと思いますが、「最初の弁護士」であれば、正しくありません。

お名前を出してよいか分かりませんが、平成14年か15年頃?に、現会長である小笠原基也先生が個人としてのHPを開設されているのを拝見したことがあります。弁護士としての業務よりもご自身の趣味(B級グルメ?)に関する話題が中心だったように記憶していますが、残念ながら現在は閉鎖されているようです。

以下、私が把握している限りで、現在HPを開設している県内の法律事務所を大凡の開設時期順に列挙します。

他にもサイトを拝見したことがありますが、理由は存じないものの、現時点では閉鎖され閲覧できない状態になっていましたので、ここで取り上げるのは止めておきます(新サイトを開設されているのかもしれませんが、確認できておりません。ご存知の方はお知らせいただければ幸いです)

また、iタウンページや弁護士紹介サイトなどに登録されている方なら他に何人かお見受けしていますが、ここでは「事務所自身のサイト(HP)」を開設しているという方に限って取り上げています。

1 当事務所(H17。盛岡)
2 小原恒之先生(リーガルスピリット。H20頃。一関)http://www.obara-law.jp/index.html
3 前田毅先生(早池峰。H23頃。花巻)http://www.hayachine-law.com/
3 八木橋伸之先生(岩手総合。H23頃。盛岡)http://iwatesougou-law.jp/index.html
3 熊本賢吾先生(H23頃?。一関)http://kengo-law.jp/index.html
4 川見哲一先生(岩手銀河大船渡。H24。大船渡)http://gingaoofunatojimusho.seesaa.net/

5 安部修司先生ほか(はなまき。H25。花巻)http://www.hanamaki-lo.sakura.ne.jp/index.html
5 千田實先生(H25頃?。一関)http://www.minoru-law.com/index.html
5 深瀬墾先生(H25頃?。北上)http://hiraku.jp/
5 桝田裕之先生ほか(セントラル。H25。盛岡)http://cent-law.com/
6 村井三郎先生(H26。盛岡)http://www.morioka-murai-law.com/index.html
6 吉田瑞彦先生(H26頃。盛岡)http://iwate-law.com/
6 加藤文郎先生(岩手銀河水沢。H26。水沢)http://iwateginga.sakura.ne.j  p/wp/
7 小野寺泰明先生(H27頃。盛岡)http://lawyer-yasuaki.sakura.ne.jp/
8 川上博基先生ほか(H28頃。盛岡)http://kawakami-law.com/index.html

パートナー方式で経営されている(と思われる)事務所は「ほか」を付し、加入弁護士の先生(全員)が恐らくイソ弁(勤務者)と思われるところは複数事務所でも「ほか」を付さずに表示していますが、正確には存じていない先生も多く、その点はご留意下さい。また、全部で15件もありますので、H25前後で一行あけています。

よく見ると、分かる人にはすぐ分かるのですが、「岩手で弁護士としてのキャリアをスタートした人」は、最近開設した方々を別とすればあまりおらず、早い段階でHPを開設している方々は、ほとんど全員が東京や仙台で弁護士としてのキャリアをスタートさせ、それから岩手に移転してきた方になっています。

この点は、地元のご出身で最初から岩手で登録するなど、地縁=人脈=受任ルートの多い方は、十分な受任件数(体制)があり、「宣伝ツール」としてのHPは必要としていないということを示しているのかもしれません。

また、八木橋先生のように「岩手・盛岡を代表する有力弁護士」と認知されている先生のサイト(内容・体裁)は、宣伝(集客)目的というより、顧客たる企業・団体さんなどとの関係でHPくらいは作っておくべきというお考え(一種の企業イメージ戦略)に基づくのではないかと思われますし、他にも有力な先生のHPでそのような印象を受けるものがあります(宣伝色の薄いHPは、東京の大事務所などによく見られます)。

そんなわけで、「岩手でHPを作成する法律事務所のまとめ」としては、総じて次のようなことが言えるのではと思います。

・東京など「外」から来た人(外で働いた経験のある人。特に若い世代)ほどHPを作る傾向がある。地元出身者や最初から岩手で開業(弁護士登録)し、すでに一定のキャリアを積んでいる方は、最近までほとんどHPを作らなかった(特に、盛岡)。

・岩手の法律事務所のHPは、平成25年頃に一気に増えた(これは、弁護士激増や債務整理特需の終焉による地方の町弁の業界不況が本格化したことと同じタイミングである)。

・当事務所を例外とすれば、HP作りはもともと県南・花北で盛んだったが、近年は盛岡でも広がり、市内で最有力(代表格)と目されている先生方が次々にHPを開設するようになってきている

・中には、ご自身(事務所関係者)ではなく本格的なHP作成業者やコンサルタント?に依頼し東京の事務所のような強い広告効果を意識していると見られるHPもあるが、全体としては手作り感のあるものがほとんど。

・イソ弁の加入などにより複数事務所となった(或いは規模が拡大した)時点でHP開設に踏み切る先生(法律事務所)は、割と多いように感じる。

・県内の日弁連ひまわり基金事務所や沿岸地域の事務所は、HPを開設しているところがほとんどない(現時点で確認できたのは、大船渡の川見先生のみ)

そんなところで、色々と感じたことを好き勝手に書き連ねましたが、やはり我々「岩手(地元)の弁護士」にとっての商売敵は、岩手で起きている事件(弁護士の支援を必要とする法律問題)を、派手な宣伝など何らかの「事件・当事者にとって、遠方の弁護士に依頼するのが必ずしも合理的でない理由」でさらっている東京や仙台その他の弁護士というべきだと思います。

そうした方々との「大受注競争」に負けないためにも、各人が個性を発揮したり研鑽を高め、そうした「地元業者の価値の増進」のため結束して立ち向かう仕組み作りや意識の涵養、さらには県民・県内企業などへの認知や信頼を高める努力が必要なのではと思っています。

などと偉そうなことも申しましたが、残念ながらそうしたことを話す機会も相手もなく、昔も今も独り不平を託っているというのが私の恥ずかしい実情です。

岩手の弁護士の「Webサイトの歴史」と、そこから見えてくるもの(前編・前置きとしての当事務所の実情)

私は平成12年に弁護士になり、平成16年11月に岩手に移転・開業しましたが、平成17年の秋頃に当事務所のWebサイト(以下、「HP」といいます。)を開設しています。

これは、東京ではすでに弁護士のHPも当たり前になりつつあったことや、私自身、「岩手は司法過疎の地域であり、弁護士にアクセスしたくても、上手にできず困っている人は沢山いるはずだ。そうした方のアクセス障害を取り除きたい」との気持ちが強かったことが最大の理由です。

後記のとおり、平成17年当時は「HPを開設している法律事務所」は岩手県内では誰もおらず、その意味では当事務所が「先駆け」となったことは間違いありません。

もちろん、盛岡に地縁・血縁等のない私にとって営業対策ということも頭になかった訳ではありませんが、当時は「弁護士過疎」の言葉どおり、とりわけ若い世代の弁護士には、刑事の国選・当番をはじめ、単価の大きくない仕事でしたら山のようにご依頼等をいただき、食べるのに困らない生活はできましたので、営業面ではHPを開設する必要はありませんでした(他の先生方も同様の状況だったからこそ、県内では誰も作る人がいなかったとも言えます)。

余談ながら、平成16年という年は何かと話題のアディーレ法律事務所が開設された年でもあります。開設直後のHPを見たことがありますが、代表の方の顔写真が最近ネット等でお見かけするご本人の写真と比べ、あまりハンサムに写っていなかったように感じた記憶があります。

HPを作って依頼が殺到したかと問われると、全くそうではなく、大雑把に申せば、平成20年頃までは1ヶ月に1、2件程度?の問い合わせがあったに止まったように記憶しています(ちなみに、同時期に大阪で開業された同期の方は「HPで毎日のように次々と依頼が来る」と仰っていました。現に、今ではその事務所は大阪でも有数の規模に成長されているようです)。

これは、旧HPをご覧になった方はご存知のとおり、ホームページビルダーを購入して自前で作成したという、見栄え的にも「ぱっとしない」ものだったせいかもしれませんが、それ以上に、岩手県民に「インターネットで依頼先の弁護士を探す」という文化が乏しかったということも大きいのではと感じています。

ちなみに、現HPも、同様にホームページビルダーを買い替えて平成25年に作成したものです。所内にPCの達人(元システムエンジニア。但し文系)がいますので、その点は大助かりしています。

結局、身内の事情や私自身の適性などの事情から、私(当事務所)に「拡大志向」がほとんどありませんでしたので、ネットなどを通じた集客宣伝や大量受注の受け皿としての新人弁護士の採用などといったことは一切することなく、受任(営業)を支える幾つかの柱の一つという位置づけで淡々と運営してきたというのが実情です。

大まかな記憶としては、平成20年から22年頃は、債務整理(過払金)絡みのご依頼をHP経由でいただくことはそれなりにあったと思います。これは、「過払金」が社会内で大きくクローズアップされ、東京の一部事務所が全国的な宣伝を行ったことから、社会内でも認知が高まった一方で、この時期はまだ岩手に「出稼ぎ」に来る東京等の事務所がなかったことなどが要因になっているのだと思います。

これに対し、(何度も書いていることですが)平成23年(震災の年)以後は、債務整理絡みのご依頼は急激に減少しています。これは、法改正や一部の貸金業者の倒産などに起因する社会問題としての高利金融被害(町弁業界にとっては特需)が終焉に向かったこと、その一方で県内の弁護士も激増して「パイの奪い合い」が顕在化したことのほか、岩手に関しては、沿岸まで片道2時間以上をかけて何度も被災地の相談活動に赴いた、我々「地元の町弁たち」を尻目に、地元紙やTVで過払金に関する大宣伝攻勢をして頻繁に県内の公民館等に陣取る「東京の法律事務所の出張相談会(私は「地方への出稼ぎ」と呼んでいます)」が盛んに登場するようになったことの影響が大きいのだろうと思われます。

他方で、平成25年頃は、「弁護士ドットコム」経由の相談依頼が多く寄せられたと記憶しています。主なものは不倫・離婚などの男女トラブルや相続など家庭内の問題や近隣トラブルなどでしたが、事件性が薄いなど相談のみで終了することの方が多かったように思います。

26年頃からは、盛岡市内の複数の法律事務所(有力な先生が運営されているもの)でもSEO対策などネット上での集客に力を入れるようになったせいか、「弁護士ドットコム」をはじめ、ネット経由でのお問い合せは、現在では平成25年頃と比べて大幅に減っています。

ただ、それでもHPを通じてご相談等を受ける機会は月に数件程度はいただいており、「債務整理や国選・当番を中心に次から次へと依頼があり、てんやわんやだった」という震災以前の恵まれた時代とは異なり、大変ありがたく対応させていただいているというのが正直なところです。

当事務所での「お子様づれ」のご相談とキッズルームが示す業界の近未来?

日弁連の機関誌「自由と正義」の7月号に、大阪弁護士会館にキッズルームが昨年に新設されたとの記事が出ていました。

確かに、弁護士会館にキッズルームがあるという話はこれまで聞いたことがなく、東京の日弁連会館(日弁連と東京三会が入居)に存在するのか知りませんし、岩手弁護士会(サンビル2階)はもちろん、仙台の弁護士会館にもたぶん設けられていないと思います。

これに対し、個々の法律事務所に関しては、何年も前から「キッズルーム完備!お子様づれも安心してご相談下さい!」とHPで標榜している事務所は珍しくありません。

かくいう当事務所も、いわゆる「キッズルーム」こそありませんが、諸般の事情で幼児向けの用品類(揺りかご風の幼児用ベッドや逃亡防止用?の柵のようなものなど)が色々とあり、少しですが幼児用の本なども置いていますので、ある程度、相談中にお子さんを飽きさせない工夫ができるようになっています(ちなみに、岩手弁護士会=相談センターには、私の知る限り、そのような設備云々は微塵もありませんし、法テラス岩手も同様ではないでしょうか)。

裏を返せば、岩手に限らず、ほとんどの弁護士会では、相談中に幼児をフォローするための設備すら全くない状態が続いているのであり、一向に「女性会長」の登場の気配がない日弁連の役員人事なども相まって、我が業界(の元締めたる弁護士会)の後進性を示すものの一つというべきなのかもしれません。

これをさらに進めて「弁護士会は業界の支えにならない。現代のニーズを多く取り入れている有力な弁護士事務所らによって業界が変革されるべきだ」などと言い出すと、まるで雄藩連合による幕府改革(或いは維新云々)の主張っぽくなってきますが、さすがに冗談が過ぎましょうか(今、「花燃ゆ」の実質的原作にあたる「世に棲む日日」を読んでますので、その影響の戯れ言とご容赦下さい)。

それはさておき、大阪弁護士会のキッズルームは、相談者や会員等による託児利用だけでなく、面会交流の場として使用する試みも始まっているそうで、この点は非常に画期的ではないかと思います。

裏を返せば、公的施設に設けられたキッズルーム等も、そうした形で利用したり、様々な可能性があるのではないかと感じますし、関係者の模索に期待したいところです。

そういえば、裁判所や検察庁には託児サービスがありませんので、彼ら(お役所)にそのような機運が生じないのであれば、盛岡に限らず全国の弁護士会の大半は裁判所等の近くにありますので、相談者等の利用に限らず、裁判期日に出廷(証人など)する方など向けに有料利用できるようにするというのも「小口収入」という点では一つの策かもしれません。

ただ、裁判所には面会交流向けの「キッズルーム(試行面会室=面会交流・親権紛争の調査施設)」がありますので、使用していない時間に裁判所の利用者のため開放するような試みはあってよいのではと思います。

こうした話は「国民の声」がないと動きにくいでしょうから、裁判員裁判に参加された方などから、裁判所の方々に向かってゲシゲシと嫌みの一つでも仰っていただければと思います。

地方の町弁が「事件に呼ばれる」ということ

尊属殺違憲判決事件は、大学ではじめて法律や裁判を勉強する学生が最初に教わる判例の一つであり、かつ講義を受けたときの衝撃を忘れ難く感じる事件の代表格でもあると思います。

その事件に従事された弁護人の方については、さきほど、下記の記事を拝見するまで全く存じなかったのですが、どうやら地方都市の一般的な町弁の方のようで、業界人的には、金字塔というか雲の上のような方だと思う一方、片田舎でしがない町弁をしている身には、それだけで親近感が沸いてしまいます。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/120200001/?P=1

私自身は、こうした業界で語り継がれる事件に関わることはないと思いますが、「特殊な事情から意気に感じるところがあり、限られた報酬で膨大な作業量を伴う大赤字仕事を手弁当感覚で従事する」経験をしていないわけではなく、本日、その典型のような事件(全国的に注目された、震災に絡む某事件から派生した民事訴訟。ちなみに「出会い」は有り難くないことに国選弁護人から始まってます)の1審判決がありました。

判決を受け取ったばかりなので深く読み込んでないのですが、主要な争点で当方の勝訴となっており、そのこと自体は感謝というほかないものの、相手方が控訴すれば、依頼主は控訴費用の負担が不可能と見込まれるため、手弁当=自己負担で控訴審(仙台高裁への新幹線代)に対応せざるを得ず、その点はトホホ感満載の状態です(東京と違って巨額の事件にはご縁がほとんどありませんので、1審勝訴の際は、いつも高裁の書記官に2審も陳述擬制=不出頭+初回から電話会議にして欲しいと愚痴を言ってます)。

控訴審で、当方の主張(要望)に基づく勝訴的和解ができればよいのですが、(尊属殺事件のように)万が一、2審逆転敗訴になったら大泣きですので、そうした展開にならないよう祈るばかりです。

ちなみに、尊属殺事件の引用記事の中に、「原則論で闘っても勝ち目は薄い、それより事案の特殊性にとことん言及すべきだ」という下りがありますが、私の受任事件も色々と特殊性のあるケースで、そうしたことに言及しつつ常識的な解決のあり方を強調する主張を尽くしており、その点が(判決での言及の有無はさておき)結論に影響したのではと思わないでもありません。

正直、敗訴の可能性も覚悟しており、本音を言えば「ここで負けたら、ようやくこの事件から解放される・・」との気持ちもあったのですが、お前はまだ修行が足らん、もっと精進せよと仰る影が、背中に立っているのかもしれません。

この事件は、最初の段階で、昨年まで当事務所に在籍していた辻先生が少しだけ関わっており、そうしたことも含め、世の中には見えない力が確実に働いているというか、多くの弁護士が時折感じる「この事件に呼ばれた」感を、抱かずにはいられないところがあります。

ちなみに、尊属殺事件を担当された大貫先生に関心のある方は、こちらの記事もご覧になってよいのではと思われます。
http://ameblo.jp/spacelaw/entry-10907208061.html

私も、ある意味、この事件で一番の犠牲になったとも言える依頼主の尊厳ないし意地が多少とも回復できるような解決を実現し、その上で「私ごと忘れてしまいなさい」と言えるような終局を迎えることができるよう、もう一踏ん張り、二踏ん張りしなければと思っています。

忘れられる不祥事と風刺の文化

6月は首が回らない日々が続き、更新が遅れてすいません。

舛添知事の辞任表明とEU報道で、税金等を使った権力者の贅沢を巡る話が萎んでしまった感がありますが、国民は選挙のときだけ主権者と昔から言われているだけに、せっかくの参院選の機会なればこそ、こうした話題をきっかけに、政治資金などを巡る制度・運用の改善を求める良質な議論がなされて欲しいと感じます。

以前、FBで選挙絡みの投稿をした際、アンチ達増知事の方からコメントをいただいたのですが、私のように支援者でも積極的なアンチでもない「どっちつかずの正義」の信奉者からすれば、折角そうした表明をなさるのでしたら、立場ありきの言説に止めず、多少とも一ひねりあるお話をいただければと残念に思ったりしたものです。昔なら、

雲上で 知事はタラフク食ってるぞ 貧乏県の希望王国

などと狂歌の一つも詠まれたのかもしれないと思うと、今の「自由」な言論空間の方が、むしろ退化の道を進んでいるのではと感じる面はあります。

もちろん、「知事は激務だし健康第一だから、長距離の飛行機移動はファーストクラスで良いじゃないか。ただでさえ、ファースト(一郎)が好きなんだし」とか「自民党(の支持者)の方が富裕層が多く、FBリア充投稿の山をはじめ、遙かに贅沢してるんじゃないか」、「いやいや、FBグルメ投稿の類なら野党サイドこそ労働貴族のような人達が沢山いるんじゃないか」などというご主張があれば、それはそれでそうかもしれないとも思います。

が、そうであれば、なおのこと、政治批判をしたい方は風刺の腕を磨いていただき、心に染みわたるような一言を投げかけていただければと願っています。

FBの政治家や著名人の方の投稿に、「ヨイショの嵐」と言わんばかりの追従コメントの山や、その逆の立場ありきの悪口投稿などを拝見して残念な気分になることがあり、言論空間に磨きをかけたいという心意気がもっと盛んになっていただければ幸いです。

政治を巡っては、「悪口ではなく政策を」という言葉がしばしば語られますが、私自身は、悪口であれ政策であれ、よく学び、よく感じ、よく考えた上で、(時に果断に)語るべきなのだろうと思っています。

幕末を代表する「たった四杯で夜も眠れず」の狂歌を政策を語ったものだと述べる人はいないでしょうが、外圧に対応できない幕府の狼狽ぶりを当時の「日本国民」に知らしめ、幕府の権威失墜への共通認識=体制転覆の素地を作った言論という点では、盲目的に攘夷を口にするだけの「薄っぺらい自称志士の政策論」よりも遙かに国家と人民への影響を与えたと思います。

それと同じで、新聞に掲載される「各党の主張一覧」程度のことをオウム返しに繰り返すだけの「自称政策論」は、自身の立場を述べているだけ=安っぽい悪口と大差なく、本当に聞く(語る)べきは、聞き手の心に響く、突き刺さるような言葉を伴うものであるべきで、それが悪口(風刺)の形をとっていても、社会のあり方を前向きに考えるエネルギーとして生きてくるのではないかと思います。

そうした言葉を紡げる人間になれるよう研鑽につとめたいと思っていますが、私自身はご覧のとおり、恥ずかしながら未だ暗中模索の日々です。